猫ギターの教育論

尾道市向島の個人塾「開成塾」塾長のブログ 早稲田大学・開成高校出身 本音が飛び交う、少し「上から目線」の毒舌教育論
中学受験前に小学校を休むこと
1月になると、中学受験が盛んな地域の、小学校6年生の教室では欠席が目立つようになる。
関東の中学入試は2月初旬、関西は1月下旬に実施され、受験する子供が正月明けぐらいから準備のため小学校を休むからである。

ただ、小学校を休むことで、まわりから手痛い中傷を受けることもある。
たとえば、松倉さんという小6の女の子がいて、私立女子中学を受験するとしよう。

松倉さんは偏差値が志望校のボーダーラインより少し下で、合否は追い込みにかかっていると、塾の先生から面談で言われた。
松倉さんはお母さんから「学校へ行っても無駄でしょ。塾の自習室に行きなさい。朝から開いているらしいわ。たぶん塾の先生がいらっしゃるだろうから、過去問やって算数を質問しなさい」と言われたので、1月の何日かは学校を休んで塾に行った。

ところが努力の甲斐なく、学校を欠席した松倉さんは不合格。
逆に小学校のクラスメイトで、試験日以外は一日も小学校は休まなかった田丸さんが合格した。
学校を休んだ松倉さんが不合格で、休まなかった田丸さんが合格という皮肉な結果になった。

休んで不合格になった松倉さんは、寡黙であまり笑わない生真面目な女の子だった。小説や少女マンガを読むのが好きで精神年齢が高く、友達ともあまり話をしない。それが同級生には、お高くとまっているように見えた。小学校の授業中は塾のテキストをやっていて、先生には黙認されていた。
逆に田丸さんは笑顔がいい子で、秀才という感じではなく、活発で友達づきあいが上手な子だった。小6らしい子供っぽさと愛嬌をふんだんに持ち合わせていた。お母さんは受験のことに関して田丸さんに任せ、カリカリした教育ママとは正反対の性格だった。

松倉さんのお母さんは、子供が私立受験することを自身のブログに書いていた。お母さんはふつうに書いているつもりなのだが、ブログの読者からは、松倉さんのお母さんが娘自慢をしているように映ったらしかった。中学受験の親独特の偏狭性とエリート意識が、読者の気に障ったらしいのだ。
松倉さんのお母さんはブログに「中学受験前に小学校へ行くのは、時間の無駄なような気がします。小学校の勉強は、ハッキリ言っていりません」と公然と書いていた。

松倉さんが不合格だとわかったあと、松倉さん母子に対するブログでのパッシングはひどかった。
ブログのコメント欄には「小学校の勉強はいらないと言っていたくせに、中学からお前の娘はいらないと捨てられた。プゲラララ〜」「小学校ズル休みして、中学校にズルッと落ちたバカ娘」といった、心ない中傷が書かれていた。
松倉さんのお母さんのブログは合格発表の日以来、更新が途絶えたままである。ブログのトップはスポンサーサイトで占められ、コメント欄には数百ものコメントが残され、ブログはアラシによる祭りの後のようだった。

小学校の教室では、松倉さん本人も攻撃された。
松倉さんが嫌いな女子たちは、わざと松倉さんに聞こえるように「田丸さんはちゃんと学校に行ったのに合格したエライ人」と口にし、クラスメイトの携帯にはブログで読んだのか「松倉は、小学校ズル休みしたのに、中学校ズルズル落ちたバカ」という中傷メールが回覧された。
松倉さんは結局、すべり止めの私立中学にも不合格になり、公立中学校に通うことになった。松倉さんをいじめた同級生の女の子たちも同じ公立に入学し、松倉さんは中学に行っても、
「ズル休みしてズルッと落ちた」
と執拗に中傷され、最終的には不登校になった。

小学校を休んだくらいで、ここまで酷く中傷されることはない。もちろん中傷する方が悪い。
しかし、私は中学受験前に小学校を休むことには強く反対する。

親が子供に小学校を休ませる気持ちはわかる。中学受験に真剣になればなるほど、直前に猛勉強させたくなる。
特に合格ライン上スレスレにいる子の親は真剣である。だから1月になると子供が小学校ですごす時間が無駄に思えてくる。学校で一日7時間拘束され、中学受験とは関係ない簡単すぎる授業を聞かなければならない。
いまさら言うまでもないが、小学校で習う内容と中学受験の問題の難しさは桁違いで、小学校の勉強が草野球なら、難関中学受験は大リーグでダルビッシュの球を打つようなものだ。中学受験は進学塾で難問の解き方を教わらなければ絶対に合格しない。
甲子園をめざす高校球児は、大会前は練習漬けになる。オリンピック直前の選手は時間をすべてオリンピックの準備のためにあてる。中学受験に一生懸命になっている親にとって、中学受験はわが子の人生を決定する真剣勝負だから、最後の一ヶ月は起きている時間はすべて中学受験のために使い、家や塾で入試に即した勉強をした方がいいと考えるのは、当然の成り行きだろう。

しかし、学校を休まないことはルールである。
ルールに違反し、子供が学校を休むように親や塾が仕向けるのは行き過ぎだし、ルールを破らざるを得ないような中学受験熱は困ったものである。
ルールを破ることは、子供を一種の「グレーゾーン」に落とすことである。ルールを破ることで、子供はモラルに反する「うしろめたさ」を感じる。そのうちだんだん「うしろめたさ」は感じなくなり、ルールやモラルに無神経になる。
こんなモラルに欠けた人間は、まわりから尊敬されず軽く見られ、ひどい時には中傷される。松倉さん親子がパッシングを受けたのも、ルールを破ることを広言し、モラルの隙を突かれたからである。モラルに欠けた者に対して、人は過剰に攻撃的になりやすい。逆に道徳的に正しいオーラがある人は、どんなに物静かでも攻撃されたりはしない。

それから、小さなモラルの破綻は大きな破滅を導く。「これくらいいいじゃないか」という軽い気持ちが、痛いしっぺ返しを食らわせる。
たとえば中学受験前に学校を休んだ子が大人になった時に、小学生の時ルールを破りモラルに反した悪い手癖が、あらぬところで再燃しないとは限らない。
大人になって経済犯罪で捕まる人はたいがい、真っ黒な極悪人ではないが、ルールを破ることに慣れ、モラルに無神経な人である。
経済犯は経済に疎い一般人の目から見て、たとえ数年間懲役食らった人に対しても、イマイチ悪いことをしているようには見えない。ホリエモンがどうして刑務所に入っているのか、理由がよくわからない人も多いと思う。
経済犯では、たかがモラルやルールだと思って軽い気持ちで破ったら、実は法に抵触していたという悲劇が起こる。子供が企業で働くようになり経済犯になり、罪の意識を持てない罪で刑務所や拘置所に入った時、母親の「ちょっとくらい学校を休んでもいいわよ」という、ルール意識に欠けた言葉が頭をよぎるのではないか。ズルしたらズルッとこける怖さを味わってからでは遅いのである。

子供が小学生・中学生・高校生のうちは、正しいこと悪いことの区別がはっきり分かれた、白黒がハッキリした世界に生きてほしい。小6でグレーゾーンの味を覚えるのは早過ぎるし、将来思ってもみない形で破滅する可能性もあるのだ。
| 猫ギター | 中学受験 | 18:09 | - | - | pookmark |
子供がスポーツ選手や芸術家になりたいと言ったら
子供がスポーツ選手や芸術家になりたいと言ったら、たいていの大人は反対する。
「たいへんな世界だぞ」
「もっと現実を見据えなさい」
「勉強した方が安定した生活がおくれるぞ」
と真面目に受け止めるのはいい方で、たいていの親は「思春期のハシカなんだ。いつかさめるさ」と鼻先でせせら笑うだろう。

私が親だったら、スポーツ選手や芸術家など「オンリーワン」の職業をめざす子供には、現実を知ってもらうため、以下のように話す。



スポーツ選手や芸術家になるには、ぶっ飛んだ個性がなければならない。とびきりの「オンリーワン」にならねば成功しない。
個性の99%は社会や世間で必要とされていない。社会や世間で必要とされる個性は「ゼニ」になる個性だけだ。

たとえばイソップ物語の、アリとキリギリスの寓話がある。
私はこの話を、アリは平凡だから幸福で、キリギリスは中途半端に個性的だから不幸のどん底に落ちる話だと解釈している。

キリギリスは怠け者では決してない。キリギリスはヴァイオリンの腕がある。ヴァイオリンという楽器は、3歳4歳から英才教育を施さないと弾けない。キリギリスはヴァイオリンのため、幼少時から努力を続けてきたのだろう。ヴァイオリンの腕こそ、キリギリスの個性だ。怠け者にヴァイオリンが弾けるわけがない。

キリギリスの不幸は遊んでいたことではない。ヴァイオリンの腕で銭儲けできなかったことだ。キリギリスは個性的ではあったけど、その個性がカネを産むほど輝いていなかった。圧倒的ではなかった。それがキリギリスを死に至らしめた。

キリギリスが、ハイフェッツのような猛烈な腕のヴァイオリニストだったら、喝采を浴びて野垂れ死ぬことはなかったろう。流しの歌手のようにアリの家を訪れて物乞いのように演奏しなくても、ホールで大観衆を前に演奏できたであろう。芸術家は成功すれば人類の至宝としてもてはやされるが、認められなければ遊び人扱いだ。

芸術家のような個性的な人間は、芸術家同士の過酷な競争が待っている。ヴァイオリンでお金が儲けられる人間は限られている。個性的な人間は、会社社会の人間以上に熾烈な競争が待っているのだ。

そして皮肉なことに、個性的な人間同士の競争を審査するのは凡人である。芸術家の作品に換金価値があるかどうかを判定するのは、大衆という名の凡人の集団である。
凡人は残酷にも、「こいつは上手い」「アイツは下手だ」とゴミを分別するかのように、個性的な人間を審査する。
漫画家が数日かけて描いた漫画を、映画監督が私財をはたいて制作した映画を、「つまらない」と一言で切って捨てるのが平凡人である。

凡人のアリは、キリギリスのヴァイオリンの腕がたいしたことなかったから、キリギリスを見放し、キリギリスの死体を食べた。
もしアリがキリギリスの腕に、金儲けができる価値があると判断したら、キリギリスを使って一攫千金を狙っただろう。キリギリスのヴァイオリンは、平凡人アリの審査で、落第点を与えられたのだ。

また芸術家が認められるには、時代とか運とか、不確定要素が存分に作用している。才能はいったん時流に乗れば爆発的に認められるが、そうでなければ悲惨な末路をたどる。岡本太郎は時代に求められたから名声を勝ち得たが、認められなかったらただの変なオッサンである。

こうして、小説家や芸術家やスポーツ選手は、ひと握りの億万の財産を稼ぐ成功者と、日々の生活に困るその他大勢に分かれる。勝者と敗者のコントラストが激しい。成功するのは0.1%である。

逆に勉強の世界のいいところは、別に一番なんかにならなくても、将来ふつうに生活できることである。子供が勉強嫌いになるのはわかるが、勉強というのはやり方さえ間違えなければ、誰でも将来メシが食えるようになれる、一番安全で簡単な手段である。勉強の道が舗装された道路なら、芸術家は獣道である。

オンリーワンをめざして、芸術の世界に飛び込む人間は、芸術家同士の競争の中でナンバーワンにならなければ生活できないが、凡人が努力すれば何とかなる勉強の世界は、別に「ナンバーワンになんかならなくても」生きていけるのである。
オンリーワンをめざせば、皮肉にもナンバーワンになるための熾烈な競争があることを覚悟しておかなければならない。しかも競争の基準は、勉強の偏差値のようにわかりやすい数値ではなく、時代とか運とか、あるいは人間性とか、どうにもならない代物なのである。
| 猫ギター | 硬派な教育論 | 22:55 | - | - | pookmark |
中1の乱れた性生活

親は子供を信じすぎてはならない。裏で子供はどんな悪さをしているかわからない。
特に、①親が留守がち ②親が厳しい ③子供が優柔不断でおとなしい、の三条件が揃うと危ない。

たとえば・・・
うちの塾生の友人の啓介君は中学一年生。一人っ子。気は優しいが優柔不断な性格。お父さんが単身赴任、お母さんが看護師である。お母さんは夜勤で家を留守にすることが多い。
夜勤の日は、夜、家には大人が誰もいないので、啓介君の家はクラスメイトのたまり場になっている。厳しいお母さんの目を盗んで、深夜までクラスメイトとゲームをしている。啓介君の部屋は遊び場になっている。

啓介君も最初のうちは、お母さんに叱られるからクラスメイトが家に来るのを嫌がったが、気が弱いのでNOとは言えず、そのうち友人と夜テレビを見たりゲームをするのが楽しくなって、自分から友人を誘うようになった。看護師のお母さんのシフト表をのぞいて、夜勤の日がわかると友人たちにGOサインを出した。

小学生の頃は孤独であまり友達がいなかった啓介君だが、中学校になってから友人と部屋で夜遊びできて、毎日が修学旅行のようで楽しくて仕方ないのだ。
中学生はなかなか外で夜遊びできない。コンビニでたむろしてたら補導されるし、ゲームセンターは立ち入り禁止。啓介君の家は大人の目がないので好き勝手に遊べる、夜のレジャーランドにはピッタリの場所だ。

看護師のお母さんは、この事実を全く知らない。病院で老人相手に格闘している時も、啓介君が家で真面目に過ごしていると信じ切っている。
謹厳実直な厳しい親や教師の前では、子供は猫をかぶり悪い面を見せない。だから子供が裏で悪いことをしていても、親や教師は気づかない。厳しい親や教師は子供の裏の面に対して「情報弱者」になりやすい。

さて、啓介君たちはゲームだけでは飽き足らず、おもしろい遊びを思いついた。
アダルトビデオ鑑賞である。
夜遊びを始めた頃は「となりのトトロ」とか「アバター」とか「マトリックス」といった、ふつうのDVDを見ていたのだが、そのうち部活の中3の先輩が家にやって来るようになった。そして、
「俺の家庭教師の大学生の先生が、これ面白いぞと貸してくれた」とAVを流し始めたのだ。
ちょっと前まではランドセル背負っていた啓介君は興奮した。啓介君と友人たちは、最初はキャッキャッ騒ぎながら笑って見ていたが、40インチの液晶大画面に映るDVDの画像が佳境に入ってからは、部屋はピンと張り詰めた静寂な空気になり、中1の男の子たちは誰もが、真剣な目で映像を眺めていた。

男子だけでなく、女子たちを一緒にAV鑑賞会に加えることになった。
女子たちが啓介君の部屋にやって来た。女の子たちもビデオ鑑賞会に参加し、AVで勃起した男子の「もっこり」した部分を、ズボンの上からキャーキャー言って触った。
啓介君は最初、股間を撫でる女の子の手の感触を「くすぐったい」としか表現できなかったが、そのうち「気持ちいい」という言い方のほうが、正しい気がするようになった。
男の子は仕返しに、女の子の乳を揉んでやった。最初は指でツンツン胸をつつく程度だったのだが、調子に乗りはじめた男の子たちは、女の子の背後に回って、両手でシッカリ揉むようになった。
リアル厨房(しかも1年生!)の「乱交パーティー」が、密室で行われているのだ。

お母さんが看護師で「夜の天使」として働いている間、子供は「夜のハーレム」に耽っている。


| 猫ギター | 硬派な教育論 | 10:00 | - | - | pookmark |
子供の朝食と糖尿病
「早寝早起き朝ごはん」という有名な標語がある。規則正しい生活をして、毎日きちんと朝ごはんを食べる子は、成績が良くなるという。
「早寝早起き朝ごはん」は、頭の成長はもちろん、何よりも生命を守るために大事な標語である。朝食の重要性は、いくら強調してもしすぎることはない。

朝ごはんを食べず一日二食にすると、どうしても夜にまとめて食べてしまう。特に夕食に米など炭水化物をドカ食いしたり、夜食にラーメンやパスタを食べると、炭水化物が糖に変わりやすく、大人になって糖尿病の原因になる。

糖尿病は想像以上に怖い。子供が将来成人病にかかる遠因は、子供時代の食習慣が大きい。まだ先の話だからといって、甘く見てはならないのである。
糖尿病にかかり血糖値が上がると、血液が濃厚なコンデンスミルクみたいになる。血が濃くなると合併症にかかりやすく、身体中に恐ろしい病気を引き起こし、心臓は狭心症に、脳は脳梗塞に、歯は歯周病に、腎臓は機能を果たさなくなり一日4時間も人工透析を受けなければならない。血液は全身を駆け巡るものだから、あらゆる臓器に障害を与える。糖尿病患者の平均寿命は低い。

糖尿病は生まれつき発症する種類のものもあり、また遺伝が左右するものであるが、食生活がきちんとしていれば防げる病気である。夜にまとめ食いし、食事時間が不規則で、間食に甘い物を欲しがると、糖尿病にかかりやすい。水戸黄門なら助さん格さん弥七よりも、八兵衛がかかりそうな病気である。

糖尿病での合併症で特に怖いのは「足が腐る」糖尿病壊疽である。
壊疽で足が腐り重傷になれば、身体にバイ菌が広がる敗血症になるのを防ぐため、最悪の場合、足を切断しなければならない。
歌手の村田英雄が晩年、足を切断して車椅子姿で姿を現した原因は、糖尿病壊疽のせいである。村田英雄は歌手は大きな声を出さなければならないから、たくさん食事をしなければならないという信念を持っていたようだが、そういう豪快な食生活が糖尿病を悪化させた。

糖尿病壊疽は、足にタコや水虫などで穴が開き、そこからバイ菌が入った時、糖尿病ではない普通の人なら、血液中の白血球がバイ菌を殺してしまうのだが、糖尿病だと血液がドロリとしているため、足先にまで血液が充分に通わないことから起こる。
日本列島にたとえると、血液を送り出すポンプである心臓が東京の位置なら、足は沖縄の位置にある。東京から沖縄までは遠い。だから糖尿病で血が濃厚になると、一番被害を受けやすいのは、心臓から最も遠い位置にある足なのである。
足が腐った時、タバコの害が加わると最悪である。糖尿病は血液を濃くするが、タバコは血管を細くする。糖尿病とタバコのダブルパンチで、血液が濃く血管が窮屈になり、血液がますます足先に行き渡らない。壊疽で足を切断する人の9割は喫煙者である。

それから、もう一つ糖尿病の合併症で怖いのは糖尿病網膜症で、ある日突然、目が見えなくなる病気である。
何の前触れもないのに視力が落ちたり、飛蚊症といって黒い蚊のような物体が見えたり、急に目の前が真っ赤になり、最終的に失明に至る。年間約3000人が糖尿病網膜症で失明している。

糖尿病網膜症の原因は、目のスクリーンの役割をしている網膜の毛細血管に、血液が濃すぎて血が通わなくなり、網膜の血液不足を補うため新しい血管が生まれる。しかし新しい血管はもろくて破れやすく、おまけに眼圧が強くなり、網膜が出血して失明する。スクリーンが真っ黒になった映画館で、映像が映らないのと同じことだ。
かつて自民党幹事長で、晩年は献金で逮捕された金丸信は、死の直前は糖尿病でほとんど視力を失っていたという。

とにかく糖尿病は「病気のデパート」で、合併症にかかれば、狭心症は心臓外科、脳梗塞は脳外科、腎臓は内科、網膜症は眼科、歯周病は歯科、壊疽は皮膚科、壊疽で足切断に至れば整形外科と、患者は総合病院の建物を上から下まで回らなければならないはめになる。

糖尿病に限らず、朝食抜きは子供の寿命に影響する。子供に朝食を与え、規則正しい食生活を送らせるのは、親の役割である。
「勉強なんかできなくても健康に育ってほしい」という親がいるが、そう言っておきながら子供に朝ごはんを食べる習慣をつけさせないのはおかしい。
朝食を作るのは大変だし、しかも夜更かしな子供は朝食を取るのを嫌がる。「早寝早起き朝ごはん」は、親の管理能力を問われているのだ。

朝食に限らず、子供の健康管理は、子育ての最優先事項である。子供の健康に関する知識に精通しておかなければならない。
最近では、インターネットには健康に関する情報があふれている。子供の健康の知識も、検索すればいくらでも手に入れることができる。ネットの普及は平均寿命を伸ばす一因となっているのではないか。健康に関して情報弱者になるのは許されない。

たとえば、こんな学説もある。
妊娠中に母親が過度のダイエットをすると、おなかの赤ちゃんが飢餓状態になり、栄養を過剰に貯蔵する体質になるのだという。こうなると生まれた子供は、普通に食事をとっていてもエネルギーの吸収がいいので肥満体になりやすい。母親が妊娠中に自分の見た目を気にしすぎると、太りやすい体質の子供が生まれやすいのだ。

このように、ネットには子供の健康に関する情報が多い。正しいものと間違ったものを見極め、専門医にも相談しながら、神経質と言われることを恐れず、子供の健康に気を配りたい。
| 猫ギター | 硬派な教育論 | 21:26 | - | - | pookmark |
子供をほめる人はカネ目当て

大人が人生を振り返った時、厳しい言葉をかけてくれた先生の方が、自分の糧になっていると感じる。嫌われることを厭わずに、自分の甘さを直言してくれた先生には、感謝してもしきれない。
逆に、悪いことをしても見逃した先生は、子供の時は「ラッキー!」とありがたく思ったものだが、今考えると親身になってくれなかったか、叱る度胸がなかったか、トラブルになるのを面倒くさがったか、いずれにせよ記憶に薄い存在である。
鈍感な子供の目は、やさしさの裏の無責任さに気づかず、厳しさの背後にある愛情にも気づかない。

子供を叱らない親や教師は、どこか子供に遠慮しているのだろう。
遠慮は時に罪である。
ある時、吉永小百合が「よくない監督とはどんな人ですか」とたずねられて、「俳優に遠慮する人です」という趣旨の発言をしていたが、遠慮せずズケズケ物を言う監督の方が名監督で、逆に遠慮せずに言いたいことを心に溜める監督の作品の出来はあまり良くない、という意味であろう。

嫌われることを厭わずに、スタッフや俳優に厳しい監督は、いい作品を作ることが何よりも優先する。未来に高い達成感を得るために、現在をある程度犠牲にするのだ。遠慮する監督にいい作品は作れないし、俳優の演技力も伸ばせない。

同じように、子供を叱る教師は、子供の将来が何より大事で、また叱ったら子供が良い人生を送るという信念があるから、トラブルを恐れず叱るのである。
教師が子供を叱るのは、ズバリ、子供に商品価値を与えるためだ。他人のために何かを生み出し、生み出した見返りとして収入を得る。そんな商品価値を持つ大人に育てるために、教師は本気になる。
逆にほめ言葉をかける大人は要注意だ。たとえば、問題のある子にリップサービスをかける塾の講師は、子供が運んで来るお金が目当てな人が多い。悪いところを指摘し叱ったら、子供は塾をやめ儲けが減る。親がクレーマーとして乗り込む。だから腫れ物に触るように扱う。こういう塾は教育義務を果たしていない。

叱るのは成長を期待するからであり、ほめて放任するのはカネ目当てである例として、出版の世界を挙げてみよう。

出版には、自費出版と商業出版という、2つのシステムがある。
自費出版は出版の費用を著者が持ち、宣伝活動も著者が行う。著者は出版のために200万円ぐらいの費用を出版社に支払う。本を出すにはコストがかかるから、コストを書き手が負担するシステムである。
逆に商業出版は、出版の費用も宣伝活動も出版社が持ち、売り上げに応じて著者は印税を得る。われわれが買う本のほとんどは商業出版の本である。

自費出版の場合は、著者が出版社に費用を支払うわけだから、本がつまらなくて売れなくても、出版社の経営は成り立つ。正直言って自費出版の本は、書き手のマスターベーションのようなものが大部分である。自費出版は本を書く人から集金し、書く人の自己満足を満たす倒錯した世界である。

逆に商業出版は、本が面白くなくて売れなければ経営が成り立たない。本の商品価値を高めるために、編集者と著者が一体になって頑張らなければならない。
要するに出版社の側から見て、自費出版の顧客は本を書く人であり、商業出版の顧客は本を読む人である。

自費出版の出版社は、本を書きたいと思う人から、お金を引き出せるかが腕の見せ所であるから、「本を御社から出したいのですが」と原稿を持ってきた人の作品をほめまくる。
「一気に読ませるプロ級の筆力。人生経験の重みを、軽やかな文体で描く奇跡。読者の脳に知識、心臓に活力、血液に熱気が残る、活字のマジックを感じる」
といった感じの表面上のレトリックを駆使した文章でその気にして出版を勧め、うまくお金を引き出そうとする。間違っても批判して顧客の機嫌を損なう愚かなことはしない。

逆に商業出版は、本を何とかして売らなければならないから、編集者は鬼のように書き手を鍛え、書き手も読者に作品を評価されたいから編集者の換言を素直に受け止め、作品の力を高め読者に支持されるため必死になる。
むかし「ドラゴンボール」や「DRスランプ」を描いた鳥山明は、デビュー前に才能を認めた集英社の編集者から何度も書き直しを命じられ鍛えられたのは有名な話である。
編集者と書き手が必死になると、表面上の社交辞令的なほめ言葉などプラスにはならないのだ。

教育の世界も同じことである。
甘い塾は子供の将来より親が持って来るお金が大切だから子供をほめ、厳しい塾は子供の将来が大事だから子供に厳しい。
子供は時に怠け心が生まれる。そんな怠惰なバイ菌を、キリッとした叱り言葉の抗生物質で退治しなければならない。バイ菌だらけのまま、弱点だらけのまま社会に出れば、子供は痛い目に遭う。

子供がどんなにアホでも親は過保護で甘やかし、学校教師は子供に遠慮し、塾講師は注意せず、入試は推薦でフリーパス、世間は無関心で何も言わない。その結果、就活で初めて子供は自分がアホなのに気づく。こんなのは「裸の王様」でなく「裸のお子様」の悲劇である。

だから親は、叱ってくれる教師がいれば、「ハッピー!」と思って任せてしまえばいいのである。叱る教師に文句をつけても子供が損をするだけだ。
子供が商品価値を持ち、ドラゴンボールをつかめる大人になるには、鳥山明のように叱られる時期が必要なのである。
| 猫ギター | 硬派な教育論 | 13:12 | - | - | pookmark |
老人と障がい者をバカにする子を叱らない親
子供を叱る基準は、各家庭によって違う。違って構わないと思う。
ただどんな親でも、絶対に100%叱らなければならない時がある。
老人や障がい者や身障者を中傷する言葉を、子供が吐いた時だ。

老人や障がい者に対して、子供が本人が目前なのはもちろん、陰で悪口を言ったり笑いものにしているのを見た時、たとえば障がい者を「ガイジ」なんて呼んでいようものなら、大人はその場で有無を言わせず叱らなければならない。

悪口の中でも、老人や障がい者の悪口は最悪のものであり、言われた者と家族を深く傷つけると同時に、言った側の品格を貶める。

ところで、現在の老人は、子供とは隔離して生活している人が多い。
核家族化で老人と同居している子供は昔に比べて少ない。だから老人の現状を知らない子供は多い。子供は父母と兄弟だけの小さな核家族で生活し、老人は一人暮らしや老人ホームや介護施設と分居している。
高齢化社会なのにもかかわらず、子供と老人は別々のコミュニティで暮らしていて、子供と老人が日常でふれあう機会は少ないのが日本の現状である。高齢化社会が進んでなかった、かつての大家族社会では老人と子供が同居し、老年人口が増えた今になって、子供と老人の生活圏に壁があるのは皮肉である。
祖父や祖母と同居していない子供には、老人が周囲にいないから、高齢化社会と言ってもピンとこないのではないか。

だから、ふだん老人と接していない子供が、老人という「異物」と接した時、好奇心から残酷なリアクションを起こしやすい。
しかし高齢化社会で、看護や介護など老人と密接に接する職業に就く人が必要とされている。おじいちゃんおばあちゃんと自然体でつきあえる若い人でないと、なかなか老人相手の仕事はできない。老人とうまく付き合えない子は、大人になって軽視され苦労する。
65歳以上の老年人口は25%にも上がる。つまり老人を言葉で傷つけることは、日本の総人口の4分の1を敵に回すことになるのだ。老人の悪口を言ったり笑い者にすることは、処世術としてもいただけない。

さて障がい者に目を向けて見ると、アメリカでは、いわゆる健常者と呼ばれる人と、同じ職場で働き、同じ学校で学ぶ場合が多い。日本のようにひどく隔離されてはいない。また現在のアメリカは差別に対して厳しい目を持っているため、あからさまな差別をした者は社会から葬り去られる。
グローバル化という言葉を、アメリカの価値観を世界に広がる風潮と解釈すれば、日本でも障がい者は職場や学校にますます進出してくる。そうなると、障がい者に対する振る舞い方で、その人の人格のコアな部分が見えてくる。障がい者を蔑視する人は「人間失格」のレッテルを貼られる可能性もある。
だから、老人や障がい者を傷つける言葉を吐くことは、高齢化とグローバル化の両方に牙を向ける行為だと言えるのだ。

そして何と言っても、老人や障がい者や身障者に対する配慮が足りない子供を育てて、いちばん損をするのは親自身である。
親が老いて身体が不自由になった時、子供が親に優しくするとは限らない。親が老人や障がい者に尽くしている姿を見て育った子なら親を介護するだろうが、子供が老人や障がい者をバカにしても咎めなかった親は、いざ自分がそういう立場に立った時に、子供からやさしくされると考えない方がいい。
子供は親の姿を見て育つ。子供は体が弱った親に対して、露骨に邪魔者扱いはしないだろうが、自分の家族があると言い訳しながら、疎遠な距離を置くようになるだろう。

老人や障がい者や身障者に対する子供の心ない態度を放置すれば、子供が社会で軽く見られると同時に、親自身も冷たい仕打ちを食らう。
だから、ふだん子供を叱らない親でも、子供が老人や障がい者や身障者をバカにしている言動を取れば、勇気を出して叱ってほしい。たとえそれが、叱られるのに慣れていない、どんなに真面目な子であってもだ。

いつも叱っている父親が怒鳴ってもあまり怖くないが、ふだん優しいパパが叱ると迫力がある。また、叱られ慣れてる子が叱られるより、叱られ慣れてない子供が叱られる方が、当人たちにも周囲の者にも怖い場面だ。
たとえば、波平さんが「カツオ!」と怒鳴っても日常のひとコマにすぎないが、マスオさんが「タラオ!」とタラちゃんを鋭い声で叱ったら、日常を引き裂くような緊張が走る。
ふだん子供を叱らない親でも、老人や障がい者を傷つけることを言った時厳しく叱らなければならない。さもないと、子供が高齢化にもグローバル化にも対処できない、時代に逆らう人間になってしまう。
| 猫ギター | 硬派な教育論 | 16:46 | - | - | pookmark |
教育書に翻弄される親

 
本屋や図書館には教育書があふれている。子育てに悩む親は、目についた本をあれこれ読む。新聞や雑誌にも、子育て論がたくさん掲載されている。でも書く人によって意見が面白いほど違い、誰を信じていいかわからない。

たとえば子供が反抗期で、怒り方叱り方に悩んでいる母親がいるとする。子供に対して、どういうスタンスで接していいかわからない。

そんな時、女性の教育学部准教授Aさんが、
「感情で怒るのはダメ、理性で叱りましょう」
というタイトルのコラムを書いているのを、ある母親が美容院で手に取った雑誌で、たまたま目にした。そこにはこう書いてある・・・




西洋のアングロサクソンの白人は、肉食系で勝負好きですよね。でも彼らは好戦的に見えるのに、感情を相手にぶつけることがマイナスだと知っています。感情的な言葉では、相手を打ち負かせないのです。
だから、感情より理性を優先させます。理性をバックグラウンドにした言葉の論理の力で、相手より有利に立とうとします。感情を心にぐっと秘め、理性の衣装を着て、論理的な言葉を積み重ねた方が、ケンカに勝てることを肌で知っているのです。法廷でも敏腕弁護士ほど、冷静で論理的なのです。

子供が悪いことをした時も、この方法論は有効です。感情的な怒りでは子供を説得できません。一つ一つの言葉を、積み木のように子供の頭にそっと積み重ねるようにして諭すと、子供はわかってくれるはずです。

お母さん、決して怒ってはダメです。叱りましょう。
子供を叱るときは、理性を90%土台にして、10%の感情のスパイスを効かせたいものです。怒りの感情は生の姿で出してはいけません。冷静に叱る演技をしたいですね。
また、子供に注意するときには、『ほめる:叱る』の比率は、9:1がいいですね。9ほめて1叱るのが、丁度いいバランスです。
教育は親と子の勝負であるという一面があります。子供との「勝負」に勝つには、大人の演技をして、アングロサクソンのように論理で子供に挑みましょうね。




このコラムの内容がストンと心に落ちた生真面目なお母さんは、子供に対する怒りと小言をぐっとこらえて、叱る時は論理的に諭し、子供が自分から悪いところを悟るよう、上手に演技するように決意した。

しかし、このA准教授のコラムを読んでしばらくたって、旦那さんが持って帰った男性週刊誌の、スパルタ塾B塾長の
「叱るな!怒れ」
と題された毒舌コラムには、正反対のことが書いてあった・・・




子供に対して感情をぶつけて「怒る」とよくないから、理性的に「叱れ」と言うよな。
でもな、俺の経験から言えばね、感情をガツンとぶつけたほうがうまくいくんだな。
「怒る」が本音爆発なら「叱る」は演技だ。子供は大人の演技を簡単に見抜くぞ。親が演じる田舎芝居なんか、すぐバレるに決まってる。
「子供を怒ってはいけません。叱りましょう」とお固い教育書に書いてあるから、真面目な親はこれを真に受け、実践しようとする。

でもぶっちゃけ、「怒る」演技と「叱る」演技を使い分けることなんて、できるのか?
もう一つ。この前俺が読んだ学者先生のコラムには「子供を叱るときは理性を90%土台にして、10%の感情のスパイスを効かせましょう。怒りの感情は生の姿で出してはいけません。理性をもって叱る演技をしましょう」「子供に注意するときは、『ほめる:叱る』の比は、9:1にしましょう。9ほめて1叱るのが、丁度いいバランスです」なんて書いてあった。

アホか。そんな器用なことできるかっつーの。
俺はな、教師やる前は売れない俳優だったんだけど、「理性を90%土台にして、10%の感情のスパイスを効かせて叱る」なんて、緻密な演技なんか絶対にできないぞ。監督にそんな難しい指示されたら、俺ならブチ切れて帰る。
そんな繊細な演技ができるのはだな、女優ならメリル・ストリープと寺島しのぶぐらいじゃないか?
普通の主婦にアカデミー賞級の演技ができんのか?

いいか、ここからが大事だぞ。
理性的に叱れ、感情的に怒るなと簡単に言うけどな、「感情」という言葉は、「彼女の演奏には感情がこもっている」「彼の作文は感情性が豊かだ」というふうに使えばプラスの意味になるだろ。
でも「感情」はプラスの意味だが、「的」をつけて「感情的」にするとマイナスの意味になる。日本語は難しいよな。

だったら、いい意味で「感情的」に怒ればいいじゃないか。
「感情」の「感」は「感じやすい」、「情」は「情け深い」という意味だ。「感情」をぶつけられるのは、感じやすく情け深い人間だからこそだと、俺は思う。たまにはお母さん、感情的になって思いを子供にブチまけてもいいじゃないか。心の底から感じやすく情け深い人間は、激怒して錯乱しても、ヒステリー状態になっても、出てくる言葉は人の心を打つはずだと、俺なら考えるけどな。

でもな、お母さん安心しなよ。感情的になった親が吐く言葉は、ゲロのような暴言とは限らない。子供の感情を昂ぶらせる金言になることだってある。感情的に腹の底から声を出せよ。叱るなんて小賢しいことやってちゃあ、子供の心は動かせないと、俺は思う。
あんたの言うことなら子供は聞くぞ。きっと。

 



B塾長の偉そうなモノの言い方に抵抗はあるが、母親はこの扇情的な文を読んで「スパルタ塾B塾長の方が正しいかもしれない。一度感情爆発させて、お皿の一枚でも割って激怒してみようかしら」と洗脳されるかもしれない。
A准教授からB塾長に、あっさり乗り換えてしまう可能性がある。

ただ、A准教授のコラムを読んだあとはやさしくて、B塾長のあとは急にヒステリックに激怒して皿を割る母親の姿を見ると、子供の目からは態度がコロコロ変わる、感情の起伏が激しい姿にしか見えない。
積み木を頭にそっと積み上げてきたのに、突然、積み上げた積み木を破壊するような行動に出た母親に、子供はどう対処していいかわからない。こんな情緒不安定な首尾一貫性のない子育てをしていたら、子どもはグレて積木くずしになってしまう。

子育て上手な親は哲学を持つ。考えがぶれない。
子供との距離が、太陽と惑星のようにつかず離れず絶妙で、他人の意見を参考にするが依存しない。教育書を読んでも100%鵜呑みにしない。自分の教育観を再確認するか、軽い補正程度にとどめるはずだ。
 
 
| 猫ギター | 硬派な教育論 | 10:08 | - | - | pookmark |
DQNネームをつける親

仕事の合間に軽い気持ちで、イタズラ心もあって、教え子たちの名前をネットで姓名判断してみた。
塾生OB含め50人ぐらいの名前を調べてみた。
そうしたら、ほとんどの子の名前が素晴らしい結果になった。それを見ると
「協調性と積極性のある人柄が大物として人望を集める」
「富栄名声を得て、家庭的・社会的にも恵まれる」
「実業家などいずれの社会でも頭角を現し、おごることなく安泰」
「困難にも挫けない辛抱強さが天与」
「打てば響く頭脳を持ち不屈の忍耐力を持つ」
「内心強固だが外面温和な人柄で、運気盛んなり」
「晩年発展し長寿をまっとうする」
誰もが最強の名前だ。

逆に私の名前は、悲惨なくらい運気がない。
姓名判断のコメントを見ると
「薄幸挫折で、意志薄弱で無気力に拘わらず、妄想的に向上心ばかり強い」
「人との対立を起こす神経質で疑い深いタイプ」
「自己防衛的な性格で言動に爽快さがなく、執着心が強く片意地」
「怒気を含むこともある空虚な暗い気性」
「家庭的にも孤立、親族の縁も薄く、離別したり苦労の多い凶運」
「言葉に皮肉が出やすく、自己過信になると偏屈な面が出て、人と対立」
「急禍急変の災厄あり。没落変転する暗示あり」
ひどく悪い結果に驚いた。直ちに改名しろと脅迫されているようだ。悪運漂う不吉な名前で、40年間も無謀に生きてきたのだ。たかだか占いではあるが、少なからず落ち込んでしまった。
 
ただ、教え子たちの姓名判断の結果が良いのは、お父さんお母さんが姓名判断を基にして名前をつけているのが原因なのだろう。
最近は子供の名前をつける時、ほとんどの親は姓名判断を参考にする。また姓名判断の専門家に名付け親になってもらった子もいるのだろう。
私の名前は、明らかに姓名判断の手が加えられていない。

子供の名前は一生ものだから大事だ。姓名判断にこだわるのも、親の愛と魂が込もっている証拠だろう。
親は子供の名前をつける時、一世一代のコピーライターになる。

ただ最近、DQNネームとかキラキラネームと呼ばれる、外来語を無理やり漢字にしたり、暴走族やアニメやゲームのキャラを使ったり、大胆不敵な当て字にする子供の名前が流行っている。
例をあげれば、火星を「まあず」、騎士を「ないと」、光宙を「ぴかちゅう」と読ませたりする名前である。一世一代のコピーライターの大暴走である。

親にとって子供は唯一無二だから、他の子とは違った名前をつけたい気持ちはわかるが、DQNネームはつけられた子供本人には不便である。ワープロで簡単に変換できないし、学校でもネタにされる。
親からもらった大事な名前だからと、子供が誇りに思えるようになればいいが、珍名のせいであれこれネタにされて、うっとうしい気持ちになるのは確かだろう。
DQNネームでいちばん困るのは、たとえば光宙君が大人になって犯罪をおかした時である。窃盗くらいの軽犯罪で「ピカチュウが泥棒!」と朝のワイドショーで報道され、殺人事件並みの大報道で揶揄されてしまう。

もっと面倒なのは、男か女かわからない名前である。「優」とか「薫」とか「瞳」は男女の区別がつかない。黒木瞳と山口瞳では180度キャラが違う。
私の名前も未央(みおう)というが、44歳の中年男なのに、誰が見ても女性の名前である。
面倒なのは電話の本人確認で、必ずオペレーターから「ご本人様ですか?」と尋ねられる。 ムッとして本人だと言うと「失礼いたしました」とオペレーターの方がすまなそうに言う。
ある時なんかは、私が女性だと完全に思い込んだブライダル業から「あなたの花嫁姿を演出します」と婚礼衣装のDMが送られてきた。44歳のオッさんの花嫁姿をどう演出してくれるのか楽しみだ。
| 猫ギター | 軟派な教育論 | 12:16 | - | - | pookmark |
子供に手伝いをさせないと、仕事中毒の大人になる

バンコクに行った時、空気が水でなく油脂の霧でできてるような、暑く湿っぽい熱帯の屋台で食事をすると、鶏肉とバジルの炒め物を作るため中華鍋を振るお母さんを、小学生高学年ぐらいの子供が手伝っていた。子供は料理や飲み物を運び、勘定をする役目を担っていて、てきぱきと無表情に仕事をこなしていた。

発展途上国では、子供が親の仕事を手伝うのは当たり前のことなのだろうが、いちおう先進国である日本人の私としては、よく働く子で偉いなと感心すると同時に、勉強は幼い頃にしかできないのだから、労働に時間を使うより、記憶力がいい子供のうちに勉強して、知識を吸収した方がいいのではないかと、国情の違いは知りつつ、複雑な気持ちになった。

とにかく、発展途上国の子は働き過ぎで、日本の子は働かなさ過ぎる。子供に賃金労働をさせるのは論外だが、家の手伝いはやった方がいいと思う。

家の手伝いは、子育てのキーポイントである。
私が教師をはじめたての頃、ベテランの先生が懇談でお母さんに「どうしたら学力が上がりますか」と尋ねられ、「家の手伝いをさせてください」と答えるのを聞き、「そんな当たり前のことしか言えないのか」と生意気にも軽蔑したものだったが、いまになって全部わかった。

日本の母親、特に専業主婦は、子供は勉強が大切だから、家事は一切自分が引き受け、子供は勉強に専念させ、家のことはさせたくないという考え方の人が多い。特に教育熱心な人とか、家事を短時間に効率的にこなす力がある人は、子供に家の仕事を与えない傾向がある。意図的に与えないというか、子供に役割分担させるのが面倒くさいので、ついつい自分一人でやってしまうという言い方が正しいだろう。

ただ、どんな教育書にも書いてあるように、家事は子供に分担させた方がいい。子供が家事をすることによって、自分のささやかな無償の労働が家族に役立つことがわかり、責任の一端を担う誇りを知る。勉強では、自分の努力が他人の役に立つことが、短期間で実感できない。
だから、家の手伝いをする子は積極性が生まれる。手伝いもせず母親を家政婦のように扱う子は、依存心が強くなり自発的行動エネルギーが低下する。手伝いをし家事で一定の役割を担ってる子は、行動に柔軟性が生まれる。家の手伝いをしている子は、よく気がきくのだ。

ところで、子供に家の手伝いをさせないと、将来、意外な弊害を引き起こす。
子供に手伝いをさせない母親は、家事一切、何から何までひとりでやる。母親が家事を独り占めすればするほど、子供は何もやらなくなってしまう。
そんな母親の元で育った子は、将来必ずしも大人になって怠け者になるわけではない。意外にもその反対に、仕事中毒になってしまうのである。

子供は幼い時に、母親から何から何まで仕事を一人でこなす姿を見る。子供は母親の姿から学ぶ。
そんな子は将来、仕事を自分ひとりで抱え込み、他人に仕事の役割分担がうまくできない大人になる可能性がある。お母さんが働き者で家事を丁寧に一切を取り仕切り、そんな母の姿を自然だと思う子供ほど危ない。

自営業なら一人で仕事をこなせばいいかもしれない。しかし企業という組織では、他人に仕事を任せることが大事である。
子供の頃から家事の分担に慣れ、家事の一端を担ってきた子は、大人になってスムースに仕事分担ができる。
しかし家事を母親に任せっきりにした子は、仕事というものは集団技でなく個人技という刷り込みができて、一人で仕事を抱え込み、チームで仕事ができない人間になってしまう。

要するに、親が家事全般をこなし手伝い経験が少ないまま育った子供は、大人になって親と同じように、家事も仕事も人任せにできず何でも自分でやってしまう人間になる。子供時代は親に家事を丸投げし、逆に大人になれば仕事の責任を過剰に抱えすぎる。手伝いをしないと、仕事を適度に分担する概念が育たないのだ。
子供が将来、一人で仕事を抱え、仕事に押しつぶされない大人にするためにも、家事を分担して任せよう。
| 猫ギター | 硬派な教育論 | 10:00 | - | - | pookmark |
悪口は成績向上の敵
塾で学校の先生の悪口を言う生徒がいる。理科の先生が若くて教え方が素人だとか、社会の先生は老人で授業が眠いとか、家庭科の先生は内申書で贔屓するとか、いろんな悪口を聞く。
ただ彼らは同じ口で、塾の悪口を言ってるに違いない。悪口を言う人間は、誰の悪口でも平気で言うものだ。学校の先生の悪口を生徒が語るのを聞いて優越感に浸っている塾講師は、子供の残酷さを理解していない。そんな子は塾講師の悪口を学校の先生の前で言ってる可能性が大きい。

親の場合にも、それは当てはまる。塾の面接の時に、前の塾で子供が伸びなかったと、延々と前にいた塾の問題点を語る人がいるが、そんな時はたいてい子供の行状が悪い。私はそんな親を冷ややかな目で眺めている。

一般論で言っても、悪口を言う人は信用してはならない。他人の悪口が好きな人は、たいていあなたの悪口もどこかで言っている。自分だけが言われていないと思ったら大間違い。今は悪口の対象にならなくても、仲がこじれたりすると態度急変、あちこちで悪口を言い回る。

他人の悪口を言う人は、実はサービス精神が旺盛な人が多い。悪口に人は食いつきやすい。会話で場を盛り上げるのに悪口は効果的だ。悪口を言えば注目を引く。悪口がエンターテインメントだと思っている。
他人の悪口を言う人はまた、まわりに連帯感を求めている、悪口を言いふらし「共通の敵」を作ることによって、共感を得ることで寂しさを紛らわす。

ところがあまり悪口が過ぎると、話し仲間からも距離を置かれる。あの人は悪口ばかり言ってる人だと敬遠される。そして攻守逆転、悪口好きな人は悪口の対象になる。悪口の語り手から悪口のネタになる。悪口で人をこき下ろそうとしたのに、意に反して自分が疎外される皮肉な結果に終わる。
特に、学校内で女子のいじめが陰湿なのは、そんなサイクルが渦巻いているからだ。携帯メールが悪循環をさらに加速する。

さて、塾をやっていてしみじみ実感できることは、勉強が一番伸びにくい子は、裏で学校や塾の先生の悪口を、もちろん敬語を使うことなく盛んに言い、携帯電話で友人の悪口を頻繁にメールするタイプの子である。

悪口を言う子はなぜ成績が伸びないか、それは自分が勝てない相手がいた時、努力して伸びて追いつこうと考えるのではなく、嫉妬を全開にして引きずり降ろそうと考えるからである。相手のレベルに自分を上げるのではなく、自分のレベルに相手を落とす。そんな思考回路がしみついてしまえば、いつまでたっても成長しない。

子供が悪口を言うクセがついたのは、もちろん親の影響が大きい。親が芸能人や近所の人の悪口を言いまくり、家庭内でネガティブな会話を垂れ流し放題にすると、子供も悪口に染まってしまう。

特に、子供の前で学校や塾の先生の悪口はあまり言わない方がいい。もちろんあまりにもひどい先生なら別だが、先生の悪口は子供の知的成長を止める。
なぜなら、子供は憧れる人からしか学ばないからだ。親が学校や塾の先生の悪口を率先して言うのは、子供から学びの機会を奪う愚行である。

いつまでたっても、他人の悪口を言う人間のままでは淋しい。他人からほめられる人間になる第一歩は、悪口と決別することだ。他人を落とすのではなく、自分が伸びる。ネガティブではなくポジティブに。

一流は見知らぬ人が賞賛する。二流は身内がほめる。三流は自画自賛する。四流は他人の悪口を言う。
四流から一流への道は、まず人の悪口を言わないことから始まる。
| 猫ギター | 硬派な教育論 | 10:02 | - | - | pookmark |
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