猫ギターの教育論

尾道市向島の塾「US塾」塾長のブログ 早稲田大学・開成高校出身 本音が飛び交う、少し「上から目線」の教育論
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私のブログの書き方
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    偏見かもしれないが、主婦の方のブログに面白いものは非常に少ない。ブログは主婦の方にとって、井戸端会議ツールなのだろう。

     

    ブログではないが、うちの母親も75歳の老主婦だが、私には興味のない話ばかりしてくる。

    「スーパーで、下着が安かったから2つ買ってきたの」
    「お友達の吉田さんと、水曜日島根県の有福温泉に行くの」
    「山内惠介そんなに歌は上手じゃないけど、顔がハンサムで一生懸命歌うから好き」
    「きょう村岡さんから、こんなにたくさんお花もらったの。きれいだから床の間に飾っておくわね」
    「このお皿素敵でしょ。ちょっと高かったのよ。刺身がおいしそうに見えるでしょ?」

    塾から疲れて帰って、この手の話につき合うのは忍耐力がいる。私にはババアの下着も山内惠介も全く興味がない。

     

    もしこんなうちの母親がブログを始めたら、目も当てられないほどつまらないブログになるだろう。

    主婦の方のブログは、他人が興味あるかないか選別することなしに、思ったことを垂れ流して書いてしまう。誰もが山内惠介に興味があるわけではないのだ。

     

    ところで、私自身がブログを書くとき留意している点は4つある。

    第1は接続詞の使い方。文章を一気に読者の方に見ていただくには、接続詞を操りパラグラフを繋ぎあわさなければならない。接続詞という連結器が故障すれば、文章はバラバラになってしまう。

     

    良い文章は、読者を文章の世界に沈没させる。読者は文字を意識せず、ブログの筆者が創作した空想世界に誘われる。だからこそ、接続詞を1つ間違えでもしたら、読者をわれに返らせてしまう。そうなったら負けだ。

    文章は川のように流れていなければならない。接続詞を間違えればダムのように文章の流れをせき止めてしまう。

     

    ときどき、わざと接続詞を使わないで、文章をギクシャクさせる「破調」の手法を使うこともあるが、基本的に接続詞には神経質になる。一度書いた文章を推敲するときも、最後までこだわるのが接続詞である。 

    自分の文章がもし試験の問題文に使われたとして、出題者が私の文章で接続詞の問題を作ったとしてもきっちり対応できるように、慎重に接続詞を選ばなければならない。

     

    第2は読点の打ち方。読点の打ち方が、文章を書く上で一番難しい。

    実は私は、自分の文章が上手く書けているかどうか、読点の数で自己判断している。

    気力体力がみなぎり、集中して書いている時は読点が少ない。文章の肺活量が多く、3〜4行を読点なしに息つぎなしに書けてしまう。読点が少ない文章には、勢いよく噴出したマグマのような、ハラハラした躍動感がある。 

    お恥ずかしい話だが、他人を攻撃する時の文章が、最も読点が少ない息が長い文章になる。怒りと興奮で一気呵成に文章が仕上がる。そんな攻撃的な気分の時は、蛇のように長い言葉の羅列を、敵の口に食らわすような快感を覚える。最高に論理的な文章は、感情的な時こそ書けるのだ。
     

    逆に身体がだるくキーを打つ手が止まり、脳味噌が枯れている時は必然的に読点が多くなる。読点が多いとき、文章を書くことがしんどいなと意識する。点だらけの文章は、書き手の疲労を物語っている。 

    ただし、読点が多い文章は、決して悪い文ではない。むしろ読者の心をつかむには、読点を多くした方が良い場合がある。

    読者を説得するための文章、読者の心に私の考えをストンと落とし込みたい時には、読点を意図して多くする。

    読点が多いブツブツした断続的な文章からは「詩的」な余韻が生まれ、ふだん無口な人が心を振り絞って語るみたいな朴訥さが伝わる。
     

    読点が少ないと能弁に、読点が多いと訥弁に、緩急をうまく織りまぜると文章に説得力が生まれる。読点の使い方で、文章に「動と静」のメリハリがつくのだ。

    第3は、「200字に1度、面白いことを書く」ということだ。

    これは映画監督兼エッセイストだった、故伊丹十三が残してくれた教訓であり、伊丹は「映画もエッセイもぼんやりしてたら観客や読者が逃げる。だから映画なら3分に1回、エッセイなら200字に1回は刺激を与えないとダメだ」みたいなことを書いていた。

     

    ブログの文章は私の場合原稿用紙3枚ぐらい、字数にすると1200字ぐらいだろうか。ということは1つのブログで6回は気の利いたことを書かねばならぬということになる。

    「面白いこと」とはもちろんギャグではなく(ギャグもあるが)、意外な情報や事実とか、比喩や修辞、また話の意外な展開の仕方も「面白いこと」の範疇に入る。

    私の場合は文中にわざと「唐突に現われる意外な人名・固有名詞」を出す。くどくて下品な手法だが、これも一種の芸風だと思って頻繁に使っている。

     

    ブログの1日分の日記は、小説に比べて非常に短い。だから「刺激的」に書くことが求められ、同時に「刺激的」に書くことが許される。

    ブログはフラッシュのように、一瞬にして読者に刺激を与えなければならない。だから過剰さこそがブログの命になる。だから、どぎつい唐突な修辞法は大きな効果をもたらす。
    もちろん刺激が強すぎて、読者を我に返らせてはならない。文章の流れを阻まないように、比喩や修辞は繊細に使わなければならない。あくまで文章の流れが主で、面白くするための比喩や修辞は従である。
    村上春樹も初期の『風の歌を聴け』や『1973年のピンボール』では比喩がふんだんにちりばめられていたが、最近の作品では比喩が減っている。比喩の感性で読者を刺激するより、ストーリーの流れを重視する路線に切り替えたからだろう。

    というわけで、私は大学受験の「小論文の書き方」とは逆の方法で、生徒に教える正統的な論文の書き方とは別のやり方でブログを書いている。

     

    第4は「主婦のブログになるな」という戒めである。

    私は私小説があまり好きではない。よほど才能がある人でなければ私小説は許されない。第三者にものを伝えるには、「自分の書くことなんかつまらない」という前提が必要だ。相手にどう見せるか、その気遣いがなければよいブログは書けない。
    思ったことをそのまま書いてもダメなのだ。

     

    たとえば映画で雨をそのままカメラで撮っても、雨粒はクッキリ写らない。スタッフが上から大量の水を撒いて、光を当ててはじめてフィルムに雨粒が刻まれる。黒澤明のモノクロ映画『羅生門』では冒頭のシーンは豪雨で始まるが、この豪雨が異常に迫力があるのは、消防車から大量にまかれる水に墨汁を混ぜたからだ。

    雨粒をそのまま映してもフィルムに写らないように、自分の経験をそのまま語っても面白くない。文章には「墨汁」を仕込むことが必要なのである。

     

    以心伝心の「あうん」では絶対に伝わらない。第三者に言葉を伝える時は、最大限の気配りが必要なのである。純文学の路線を進むならそれも許せるが。

     

    以上、私がブログを書く時に気をつかっていることである。

     

    | 未分類エッセイ | 17:49 | - | - | ↑PAGE TOP
    状況説明の名手は、人を熱くする
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      大衆に爆発的に愛される人や作品の共通点。それは「状況説明」が抜群にうまいことだ。客を世界観に誘導するために、丁寧に、しかも楽しく状況説明をする。
      3人例を挙げてみよう。
       
      黒澤明の『七人の侍』は日本映画オールタイムベスト10では1位2位を争う名画だ。
      戦国時代が舞台で、収穫期に作物を盗みに襲ってくる野武士を追い払うため侍を雇う農民の話だが、3時間以上ある上映時間の2時間半が、最後の合戦シーンへの状況説明になっている。農民が村を守ってくれる侍を探すプロセス、村で一緒に住む侍と農民の人間関係、村を守る作戦会議が2時間半も続き、合戦シーンは最後の30分だけである。
      この道には人員を何人確保し、野武士を何人やっつけるか、作戦を具体的に図示しながら、合戦への緊張が高まっていく。
      状況説明の巧みさが、観客を合戦にシュミレーションゲームのようにのめり込ませる。下手なシナリオの映画は観客に疎外感を味わせるが、『七人の侍』は映画と観客の距離感が極めて近い。2時間半もの壮大な状況説明が『七人の侍』を名画にした。
       
      立川志の輔はチケットが日本で最も取りづらい落語家の一人だ。独演会は数分でチケットが売り切れる。志の輔人気はひとえに状況説明が「わかりやすい」ことが原因である。古典落語という芸能はそれ自体難解で、本質的に「わかる奴だけわかればいい」という性格を秘めているが、志の輔の落語にはそれがない。視線が好事家でなく落語の素人に向いている。
      志の輔は古典落語を語るとき、マクラを時代背景の説明に費やすことが多い。このマクラがわかりやすく面白い。江戸時代は3年に1回は閏月があり、その年は1年は13ヵ月だったのが、明治になって太陽暦に変わった。この知識がないとわからない演目の時、志の輔は上演時間30分のうち10分を状況説明に使った。話が難しくなりそうになると「ついてこれますかこの話?」と客に振って笑いを取る。この間が絶妙である。
       
      松岡修造は熱いのに暑苦しくないのは、解説がクールでわかりやすいからだ。
      松岡修造は錦織圭の師匠だが、錦織圭の凄さを、素人にはわからないプロの視点でわかりやすく語る。テニスのルールも知らない私のような素人が、錦織圭のラリーの凄さを知ったかぶりで語れるのは、松岡の状況説明の巧みさのおかげである。
      「報道ステーション」の松岡の解説で驚いたのは、なんと「サーブを返すことをリターンと言います」と、テニスのルールの初歩の初歩を語っていたことだ。にわかに錦織に注目し始めたテニスのルールを知らない人に向けた配慮だろう。素人をテニスの世界に引き込む状況説明で、一人でも多くテニスに巻き込もうとする心配り。熱いだけの人ではない。
       
      状況説明の大切さは、もちろん授業にも当てはまる。各単元に導入する際の状況説明こそが、授業の成功のカギを握っている。
      映画で状況説明がない合戦シーンには客は乗れず、時代背景がわからない落語は眠く、ルールを知らないスポーツ試合観戦が退屈なように、予備知識がない授業は理解不可能だ。
      勉強でつまずいた子には、膨大な量の状況説明が必要なのが厄介だ。社会が短期で伸びやすいのは、比較的状況説明が短くてすむからだが、数学が伸びにくいのは、状況説明に膨大な時間がかかるからだ。
      小学校で算数の割合や分数につまずいた子に、中2で一次関数を教えるのに、どれだけ状況説明の時間と労力が必要か。
      子どもが勉強を楽しめるには、丁寧な状況説明で子どもに疎外感を与えず、「勉強のこっち側」の人間にする気づかいが必要なのだ。子どもを勉強の側に引きずり込んでしまえば、あとは自分たちで勝手にやってくれる。
       
      とにかく、頭のいい論理的な語り口の状況説明は、聴き手に取って快感だ。林修など状況説明の技術だけでテレビの人気者になったと言っても過言ではない。
      また司馬遼太郎の本があんなに厚いのは、他の歴史小説家に比べてはるかに多く状況説明に紙数を割いているからだ。
      わかりやすい状況説明と言えば池上彰の存在を忘れてはならないが、池上は人に関心を持たせるには、状況説明で相手を「ノせる」というニュアンスのことを書いていた。
      人が理解しにくいことを語るとき、最初に思い切って状況説明に時間や紙数を取ることは、聴き手や読み手を熱くし、思考をドライブさせる。人を熱くする語り手は、状況説明の名手なのだ。



       
      | 未分類エッセイ | 16:37 | - | - | ↑PAGE TOP
      男性トイレに入ってくるババア
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        私は旅行が大好きだが、観光バスに乗っていると、トイレはやたら混雑する。
        特に女性トイレは異常に込み合う。ひどい時には30人ぐらいの行列ができている。
        高速道路のPAのトイレは広いからめったなことでは混雑はしないが、小さな観光地のトイレだったら、突然の大量の観光客の来襲に悲鳴を上げてしまう。
        たった3〜4個の便器しかないところへ、団体バスが3〜4台止まって、200人以上の人間がトイレに殺到したら混雑しても仕方ない。

        ただ、女性トイレが長蛇の列でも男性トイレは空いている場合が多い。男性はトイレの所在時間が短いし、また団体バスはオジサン連れよりもオバサンのグループの方が圧倒的に多いわけで、団体バスの7割は中年女性が占めている。
        だから男性はトイレに困ることはあまりない。いざという時は、そこらの草むらでササッとすますこともできるし。

        そんな時に、堂々と空いている男性トイレに入ってくるご婦人がいる。さすがに1人で堂々と男性トイレに入ってくる人はいない、大抵数人固まって来る。
        団体バスに乗り慣れたご婦人は、どんなに女性トイレが込んでいても、男性トイレは空いているという愚かな「生活の知恵」で、男性の目なんかお構いなしに堂々と男性トイレにやって来る。
        ご婦人は女性トイレの行列を横目に、男性トイレに駆け込んできて、「奥さあん〜、こっち、あいてるわよ〜」と、大声で女性トイレの行列に加わっている別のご婦人方を呼ぶ。

        旅慣れたご婦人方は、観光地の男性トイレに女性がズカズカ入り込んで来ても、男性トイレで小便している気弱な男性達が突然のババア軍団の闖入になす術なく、戸惑うばかりで何も言えない事もよくご存知なのだ。

        北海道の美瑛に行ったときに、男性トイレにやって来た4人の婦人たちがいた。
        彼女たちは大きな声でおしゃべりしながら、図々しくも男性用の便器の前に堂々と並んだ。そこへ大便をしていた大学生ぐらいのお兄ちゃんが何も知らずに、ウンコを終えて出てきた。彼が扉を空けた瞬間、外に4人のオバサンが立ちはだかっていたわけだ。

        そしたら三浦春馬みたいな端正な顔のお兄ちゃんは驚いて、「アッ」と声なのか息なのかわからないような音を口から発し、後ずさりして片足のスニーカーを和式便器の中に突っ込んだ。便器の水がビシャっと散った。真面目そうなお兄ちゃんは顔を硬直させて、逃げるようにトイレから立ち去った。お兄ちゃんは間違って自分が女子トイレに入り込んだとカン違いしたのだろう。そりゃあいきなりトイレのドアを開けたら、細木数子と林真須美と十勝花子とあき竹城が待ち構えていたらビビる。

        そんなご婦人方でも、1人か2人は恥ずかしそ〜に男性トイレに入ってくる、ちょっと清楚な感じの奥さんがいる。
        「奥さぁ〜ん、こっち、あいてるわよ〜」なんて大声で叫んでいるような、先頭切って男性トイレに来るボスババアは、それなり下劣な容貌をしている。しかし下品なババアの陰に隠れるようにして、おどおど男性トイレに入って来た奥さんは、賀来千賀子みたいな清楚な風貌で、とても男性トイレに来る様な感じの人じゃない。

        賀来千賀子みたいな顔の奥さんは、仲間の下品なオバハンから男性トイレに誘われ、行くべきか行かぬべきか大いに迷っただろう。きっぱりと「私は男性トイレなんか行きません」と断ったらハブにされる、しかしやっぱり男性トイレに入るのは恥ずかしい。さんざん悩んだ末に、群集心理と生理的欲求には勝てずに男子トイレに飛び込んできたのだ。

        賀来千賀子は、まるで悪い友人に誘われて仕方なくつきあいでタバコを吸っていて、運悪く教師に見つかった中学生みたいな顔して男子トイレに入ってくる。生涯で男子トイレ初体験の奥さんは、突然のオバサン軍団の乱入に目を白黒させている男性の視線を浴びて、恥ずかしそうに薄笑いを浮かべているか、妙に開き直って顔がこわばっているかどちらかだ。

        女性トイレの延々と続く行列に並ぶのは苦痛だろう。でも女性が男性トイレに入るということは、やはりルビコン河越えちゃってるわけだ。
        女性が堂々と男子トイレに入っても許されるシチュエーションは、大阪新歌舞伎座の杉良太郎特別公演ぐらいしか、私には思いつかない。



         
        | 未分類エッセイ | 09:05 | - | - | ↑PAGE TOP
        仕事のONとOFF
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          私が京都に行くと、必ず立ち寄る先斗町の割烹があるが、そこにはじめて一人で行ったとき、なぜか主人に気に入られた。主人の料理は、おばんざいをプロが作ったらどうなるのかを見せつけた飛び切りの「プロ家庭料理」であり、カウンターでは全力投球で料理される方だが、ただ酒癖が悪く、営業時間が終わると店で酒を飲み始め、常連客にも焼酎をふるまいはじめる。私はその時、もちろん一見の客だったが、「あんたは感じがええ」「あんたの食べっぷりはええ」とほめてもらい、そのあとで馴染みのバーに連れて行かれ、酒のピッチが上がった主人はますますテンションが上がった。

          私が塾の講師であることを知ると、主人は顔をしかめ「世の中は、あんたみたいなニコニコして人のいい先生はおる。でも生徒を叱れる先生はおらん。あんた、ええ先生じゃろ? いい先生が日本を滅ぼす。わしらの頃の先生は・・・」と、顔が怒りモードになり、さんざん説教された。

          それから主人は、学校で自分がいかに叱られ、料理修行中に親方にどれだけ怒られたか語り始めた。そういう話を聞くのが嫌いな人の方が多いだろうが、私は熟練の技を持つ人が酔っ払って話す苦労話を聞くのが好きで、深夜2時ぐらいまで主人の話を聞いていた。

          主人は「あんたも子供を叱らんといかん。カウンターでニコニコパクパク食べているような人間が先生になったらあかん」と言った。私は「ふだんの私を知らないな」と、面白いので黙っていた。

          主人は私の教室での強面の姿を見たら、ものすごく驚くだろう。しかし、私は塾の外に出るとテンションが下がる。塾では鬼かもしれないが、もともと照れ屋なので外に出るとただニコニコした「ゆるキャラ」になる。

           

          ベトナムに一人で旅行した時もそうだった。海外旅行中は完全にリラックスモードになる。現地でメコン川ツアーを申し込み、日本人が8人参加してあちこち見て回ったが、そこで30前後のOLの方2人と仲良くなった。関西のマスコミで仕事をしている人で、友達同士でベトナムに来たらしい。

          私がニコニコ楽しそうにしていたので、一人の方が声をかけてきた。「はじめまして、どこから来られたのですか?」塾では私を恐れて生徒はあまり声をかけてくれない、話しかけてくれるのは家の猫だけなので、十歳も年下の女性から声をかけられ嬉しかった。

          そのうち3人で話が盛り上がった。声をかけてきた方の人は、しだいに私に対してタメ口になった。私の名前がミオウだと聞くと、「えっ、かわいい、その顔でミオウ? ねえミオウって呼んでいい?」と言って、それからはミオウミオウって呼ばれ続けた。

          その女性から「ミオウの職業は何?」と質問された。私は「当てて下さい」と答えた。2人は「お医者さんぽいよねえ」「サラリーマンには見えない」「イタリアンのシェフ」「広告代理店の人」とか、いろんな職業の名前を口に出した。「塾の先生」と答えると2人声をそろえて「見えない〜」とキャーキャー叫んだ。

          「塾の先生って、試験前とかにハチマキして『お前ら合格したいかぁ!』って叫ぶんでしょ。ミオウって絶対に人を怒れないでしょ。できるのそんな仕事?」

          私は「まあ、仕事だから、一応叱ることもありますよ」とニコニコして答えた。その後2人と意気投合して、夜はホーチミンの街で蒸し魚やらいっしょに料理を食べた。

           

          私はONとOFFの落差が激しい。仕事中は身体に強い磁力がみなぎり、周囲に高圧電流を発するが、海外旅行をするとコンセントが外れて抜け殻のようになる。ONとOFFでは別人格になる。仕事中は「ゆるキャラ」がゴジラに変身するが、旅行すると「ゆるキャラ」に戻れる。

          私が海外によく一人で旅行するのは、クールダウンのためである。ONの状態を保ち続けると身体も精神ももたない。仕事を背負うことなくバックパックだけ背負って、海外をフラフラするとリラックスする。旅行中は気魄のようなものがすべて抜け落ちる。

          海外へ行っても仕事のことは考える。子供のことは考える。時には深刻に。しかしまわりの珍しい風景とか、おいしい食べ物が、仕事への集中を一瞬でも打ち消してくれる。

          | 未分類エッセイ | 18:33 | - | - | ↑PAGE TOP
          有名人自慢男
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            面白い人と出会った。
             
            ある企業の中間管理職の方(仮に名前をP氏としておく)と、縁あって神戸で会ったのだが、これが奇妙な人だった。
            P氏は挨拶もそこそこに、自分の会社の事業内容をはじめた。私にはあまり興味のない話だったが、私は儀礼上おとなしく耳を傾けていた。P氏には、相手が自分の話に興味があるのかについての配慮がなかった。どうしてこの人は自分の話ばかりするのだろう、何で人の話を聞きだそうという姿勢がないのか。おかしい。P氏の話はtalkでなくspeakで一方的なものだった。

            私はよく聞き上手と言われる。特に、私は初対面の人と会うとき、自分から語りかけるモードでなく聞くモードから入る。人の話を聞くのが好きだからだ。私が一方的に話すのは、信頼している方に悩みを相談する時と、尊敬する教え子に人生観を語る時くらいだ。
            ただ、聞き上手にも限度がある。P氏の自己語りは限度を超えていた。

            いつ私に話をさせてくれるのか、探りを入れてみたがP氏は打ち消すようにまた自分の話を続ける。私が自分のことを話そうとすると「そういうこともありますよね」と私の話を一般化し、よくある話として受け流し、強引に自分の話に持ち込んで、また自分語りを再開してしまう。しかも最後のほうになるとネタが尽きたのか、たった1時間前にやった話と同じ話を語り始めた。

            私はP氏との対話を期待して来たのだが、十数分でP氏との対話を断念し、以後は相槌モードに切り替えて話を聞き続けることにした。まるでビートきよしになった気分だった(もちろんP氏には、ビートたけしの話のキレは全くない)
            最初「聞きモード」に設定した私も悪いが、ここまで自分の話ばかり続ける人ははじめて見た。P氏は社内では中間管理職で、P氏の自分語りに部下が我慢しているのが見て取れた。
             
            さて、そのあとが圧巻だった。
            有名人といかに自分が知り合いか、政治家とどれだけ仲がいいかについて、ずっと有名人自慢を続けたのである。「私は歌手のAさんとパネルディスカッションをした」「Bさんとはいつでも電話できる仲」という話のマシンガントークが炸裂した。
            最初の2〜3人は「なるほど」と感じ、ミーハー気分で面白いと正直感じたのだが、あまりに有名人自慢が止まらないので、「この人は最後までこの調子なんだ」とあきらめモードになった。

            ある程度常識がある人なら、有名人自慢は自分を小さく見せる最悪の行動パターンだと知っているはずである。しかし、P氏は有名人の名前を口にするたびにドヤ顔をし、私がわざとびっくりした顔を見せ「そうですかあ」と大げさに答えると、「ヒヒヒ」と笑った。笑顔でからかい続ける私も人が悪いが、相手が辟易していないか省みないP氏も悪い。いったい何人有名人自慢を続けるのかと思いきや。最後まで数えてみると2時間で17人にものぼった。
             
            そして、この人は有名人だけでなく、どこに自分の友達がいるか、えんえんと全国津々浦々にいる友達の話を始めた。金沢の友達、鹿児島の友達、札幌の友達、「友達」という言葉が何回も登場した。本当に友達が多い人間、深い親友を持つ人間は「友達」という言葉はあまり口にしない。
            最後には有名人ネタも尽き、さもホリエモンと知り合いのような話をするので、「知り合いですか」とたずねると、サークルの友達の友達だという。P氏とホリエモンの関係は、アルカイダの友達の友達のレベルだった。

            必死で交友関係を誇示し、賢者を演じている人間の前で、私は愚者になりきっていた。私もP氏も等身大を見せない奇妙な会話だった。私は最後の方になると、どういうわけかP氏のカウンセリングやっている気分になった。
            失礼な言い方かもしれないが、私にはP氏が政治家や有名人のコバンザメにしか見えなかった。P氏は饒舌で気持ちよかっただろう。また私に対してあまり話さない人だという若干の不満と軽蔑も感じたかもしれない。最後まで意地悪くP氏の有名人自慢を続けさせた私も人が悪いし、こんなところで書くのも良くないことだとわかっている。でも会話の途中で「有名人自慢が多すぎます、やめて下さい!」とストップをかける勇気は私にはなかった。
             
            意外にも、ここまで見事な有名人自慢を続けるP氏に対して不愉快な感情は持たなかった。いまどきこんなに無防備な人はいるのかと感心したくらいだ。
            ただ、私はこの人に絶対に借りを作ってはならないと思い、食事の勘定は全部払った。

            自慢話をするのは小さい人間、また自慢話を面白がる人間はいない。P氏の有名人自慢で再認識した。
            そして、これまで私が文章に惚れてお会いした教育関係者の方々が、いかに凄い人たちかを再認識した。彼らは有名人自慢など思いもしない。虎の衣を借りぬとも、自己の世界を確立している。彼ら自身が一匹の虎なのだ。

             
            | 未分類エッセイ | 17:42 | - | - | ↑PAGE TOP
            理想の上司が織田信長?
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              「理想の上司」というアンケートが頻繁に実施されるが、たしかに上司運が悪ければ組織に属する人はつらい。1日8時間以上、週5回嫌な上司から命令され、暴言を吐かれ、こき使われながら精神的圧迫を受けるわけで、悪い上司なら比喩ではなくストレスで数年寿命が縮まる。
              サラリーマンや公務員が理想の上司を求め、職場環境を改善したい気持ちは当然だ。

              ただ不思議に思ったのは、「上司にしたい戦国武将」で1位を獲得したのは、あの織田信長だったことである。これには驚いた。
              理由は「リーダーシップがある」「時代を先取りしている」「論功行賞がハッキリしている」「シビアな実力主義で、成果をあげたら認めてくれる」など。まあ確かにそうだろう。

              でもね、信長が上司だったら大変だぞ。冗談じゃない。
              信長が上司なら、いつも白刃が首に振り下ろされる覚悟をしておかねばならないぞ。死の恐怖に震えるピリピリした職場を、日夜耐え忍ばなければならない。

              織田家臣団がどれだけ信長を怖がっていたか、どれだけ信長の顔色を窺いながら勤めを果たさなければならなかったか。ヒンヤリとした合理主義的な冷たさを漂わしているし、ヤワな現代人が耐えられるわけがない。
              人使いはとんでもなく荒いし、機嫌はいつも悪そうだし、機嫌がいい時は「はげねずみ」「キンカン頭」などと屈辱的なニックネームで侮辱されるし、やりきれない。

              信長の部下なら、残虐行為の実行部隊にもならなければならない。比叡山の焼き討ちに行かされ女子供を殺戮しなければならないし、敵の武将のガイコツに漆を塗ったものに酒を注いで飲まなければならないし、耐え切れない。
              信長に対しては私生活を犠牲にして、自分のプライドを捨てて、100%信長に献身しなければならない。さもなければ職を失い、命すら失う。

              信長は、あの時代だからこそ活躍できた人で、あの性格がそのまま現代の日本に生まれていたとしたら、野望は奥底に秘められ、鬱々とした日常生活を過ごしているに違いない。
              もし上司になってあの癇癪の強い性格が何かのはずみで発散されたら、部下はたまったものではない。
              あの時代の人でも、信長に対する恐怖心や敵愾心が高じて、荒木村重や明智光秀は謀反を起こしているではないか。

              「理想の上司は織田信長」などとのたまう人は、マゾヒストと疑われても仕方がない。


               

              戦国大名・明治の元勲の学歴は?
              http://usjuku.jugem.jp/?eid=492

              | 未分類エッセイ | 00:21 | - | - | ↑PAGE TOP
              超主観的・難関私大出身の有名人
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                早稲田大学
                「ワセジョ」は早稲田出身あるいは在学中の女性のことだが、「ワセジョ」はマスコミの寵児になりやすい。かつては人気女優でありながら大学に通った吉永小百合。オウム事件で名を上げた江川紹子、推薦で教育学部に入学するも中退した広末涼子。さらにはあの田中真紀子。ここ最近ワセジョが大人しいかと思えば、ひさびさの大物ワセジョ小保方晴子さんが登場。なお私の個人的なワセジョの典型的イメージは室井滋
                 
                慶應義塾大学
                一癖も二癖もある、世襲の国会議員が慶應には多い。まず二浪して入学した小泉純一郎小沢一郎。ここ四半世紀日本の政界をひっかき回した。ポマードで頭を固めた橋本龍太郎も慶應の二世議員。あと、やんちゃ系石原伸晃・河野太郎も。最強キャラは防衛オタクでキャンディーズファンの石破茂。慶應は面白い世襲議員が多い。世界史に登場する中国やヨーロッパの皇帝も、慶應出身の世襲政治家のように、一般市民とは隔絶したガラパゴス的キャラの持ち主だったのだろうか?
                 
                上智大学

                女子アナが多い。三雲孝江、安藤優子、目加田頼子、貴乃花夫人の河野景子長野智子、阿部知代をはじめ、若手の小熊美香、出水麻衣など、上智の女子アナ輩出度は傑出している。マツコ・デラックスが嫌いそうな大学である。あとアグネス・チャン、ジュディ・オング、ヒロコ・グレースが上智。


                明治大学
                日本一饒舌なビートたけしがいると思えば、日本一寡黙な高倉健も明治。日本一熱い男・星野仙一、日本一ハンサムな山下智久、日本一海外で活躍しているサッカー選手・長友佑都、日本一の登山家・植村直己、日本一売れた作詞家・阿久悠、日本を代表する作曲家・古賀政男、日本一チケットが取りにくい落語家・立川志の輔、日本一献身的な「ゲゲゲの女房」を持つ向井理、日本一のレコード職人・山下達郎・・・
                 
                立教大学
                みのもんた、古館伊知郎、徳光和夫という、局アナ→フリーで成功を収めた3人が目立つ。これに関口宏を加えたら、日本の司会の大御所四天王が立教大学出身ということになる。立教大学の創立記念式典があったら、誰に司会者を依頼するのか迷う。この4人に対抗できる司会者は、早稲田の大橋巨泉・久米宏・筑紫哲也・田原総一朗の早稲田四天王しかいない。
                 
                学習院大学
                立教大学が司会者なら、学習院大学は俳優兼クイズ司会者の双璧がOB。「クイズタイムショック」の田宮二郎と、「アタック25」の児玉清。皇族はもちろん学習院だが、セレブも多い。父親が銀行家のオノ・ヨーコも。宮崎駿吉村昭塩野七生細川俊之小倉久寛も学習院。
                 
                中央大学
                キャノン元会長の御手洗富士夫は、私立大学出身者ではじめて経団連会長になった。イトーヨーカドーCEO・鈴木敏文はセブン・イレブン生みの親。秋元康も中央。あと谷啓・高木ブーと、人気コメディアングループを陰で支えた2人も中央出身。コメディアンではないが巨人の阿部慎之助も中央大学。
                 
                青山学院大学
                桑田佳祐が超有名だが、日本の歌謡曲・JPOPの大物作曲家が多い。筒美京平・浜口庫之介・後藤次利・ドリカム中村正人・槇原敬之が青学OB。「サザエさんの歌」「ブルーライト・ヨコハマ」「黄色いさくらんぼ」「人生いろいろ」「嵐の素顔」「ガラガラヘビがやってくる」「LOVE LOVE LOVE」「決戦は金曜日」「世界で一つだけの花」「どんなときも」は青学出身者が書いた曲である。
                 
                法政大学
                野球が強いので有名だが、最近は勢いがない。稲葉篤紀廣瀬純安藤優也も、もうベテラン。あとに続く選手が少ない。それにしても70年代80年代の法政はすごかった。山本浩二田淵幸一江川卓。それぞれ球界を代表する外野手・捕手・投手だった。それからポジティブ系のミュージシャンが多い。「愛は勝つ」のKAN、「TRAIN TRAIN」ブルーハーツのボーカル甲本ヒロト、「ビューティフルサンデー」の田中星児が法政。
                 
                同志社大学
                頑固者が多い大学のイメージ。野球の宮本慎也、サッカーの宮本恒靖は2人とも筋が通っていそうだし、筒井康隆はてんかんの記述が論争になり、佐藤優は懲役で信念を曲げず、岡林信康は曲が放送禁止になってもめげず、百田尚樹は中国・韓国に関する発言で物議をかもし、中村うさぎは奔放な生き方を貫き、土井たか子は「ダメなものはダメ」
                 
                関西学院大学
                関西のボンボンみたいなOBが多い。高島忠夫・藤岡琢也・豊川悦司・笑い飯の哲夫・大江千里が代表的OB。だがその反面、関学はアメフトが強く硬派な一面を見せる。また、団鬼六東郷健、さらには佐川一政のような、とんでもないOBがいるのが関学の奥深いところ。
                 
                関西大学
                フィギュアスケート男子の高橋大輔・町田樹・織田信成は全員関大生。有名な3人が揃うのもすごいが、それぞれキャラが立っているのはもっとすごい。髪型が面白い高橋大輔、語録が面白い町田樹、顔が面白い織田信成。個性豊かである。あと関大にはコテコテの関西人タレントが多く、桂文枝(三枝)・ミヤネ屋の宮根誠司・フットボールアワーの岩尾望が有名。
                 
                立命館大学
                内部生と外部生で気質は違うのだろうか。ナインティナインの岡村隆史はサッカー少年で、一浪して入学したが、漫才師になるため一年で中退。苦労人の匂いがする。逆にサバンナの高橋茂雄は立命館中学からの内部生。イケてなくても楽天的で幸せそうな感じがする。あと立命館の知的なイメージを上げているのが、元ヤクルトの古田敦也
                 

                | 未分類エッセイ | 22:00 | - | - | ↑PAGE TOP
                僕が出会った「怪物」
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                  僕がネットに深入りし、ブログで文章を書くようになったのは、S氏という「怪物」の影響が大きい。
                  S氏とは7〜8年前、yahooの掲示板で出会った。僕より6〜7歳年上で、関西で個人塾を開いていらっしゃったのだが、「セルフリタイア」と称して、別の業種に転業した方である。

                  7〜8年前のyahooの塾掲示板は、福沢諭吉や新渡戸稲造の再来といっても過言ではないくらい、個人塾の塾長が思い思いに文章を綴り、実りある議論で持ちきりで、刺激的な時間を過ごした。

                  僕はyahooの掲示板を覗くまで、同業者とまったく付き合いがなかった。大手塾だったら、仕事が終わると飲みに行き、共通の生徒の話題や教育論で盛り上がれる。でも個人塾ではそれはできない。困難に直面すると1人で悩み、トラブルはすべて自分で解決しなければならなかった。

                  しかしネットで同業者の方が書く文章に接し、仕事の上ではじめて「共感」を知った。僕の代弁者が、日本中のあちこちに現われた。個人塾の先生方とのネットでの対話は、僕の仕事のやり方に確信をもたらした。

                  S氏の文章は、斬新な塾経営のノウハウ、鮮やかな広告の文面、個人塾塾長としての生きる姿勢、新しい塾への展望、教育に関わるすべてが、超絶レベルの文章で書かれていた。

                  S氏が投稿すると誰も返信しない。読者はただただS氏の「作品」に圧倒され、ため息をつくばかりだった。
                  ふつうの才能の持ち主なら、微妙な心のひだは霞みたいなもので、文章では表現しづらいものだ。しかしS氏は水蒸気のようにたなびく心理を、質感のある手触りの文章に刻印した。心の気体を一気に固形にする魔術師だった。

                  S氏が書くものは、硬い木版に彫刻刀で刻んだような文体で、押しの強さは圧倒的なのに、読後には詩的な余韻が爽快に残った。
                  S氏の形容詞多用の文体は「三島由紀夫」に比肩した。他にS氏に対抗できる書き手は思いつかなかった。
                  当時yahooの掲示板を覗くと、毎晩のようにS氏の強烈なパンチがパソコンの画面から飛んできた。S氏の両手が僕の心の深部をつかみ、ブルブルと強く揺さぶった。

                  僕が33歳の時、S氏に実際に会うことになった。気難しい儒学者のような姿を想像した。しかし実物のS氏は、40歳前後なのに細身で若々しく、たたずまいが「文学青年」だった。若い頃の佐野元春のような黒眼鏡をかけ、いつも颯爽と青い背広を着ていた。

                  S氏の話は、内容も口調も圧力があった。論理的で詩的な、穏やかだが輪郭のハッキリした、図抜けた頭脳があらわになった話し方だった。
                  僕がS氏に質問を投げかけると、10秒から15秒ぐらいの沈黙があった。S氏は反射的に返事をする人ではなかった。誠実に僕の質問の意図を読み取り、鋭い頭脳で最適の答えを探し当てていた。結論がでると「それはですね、猫ギターさん」と、S氏の魅力的な長弁が開始された。

                  僕はS氏の子分のようになった。S氏と数回、大阪のキタや東京の六本木で豪遊した。S氏が放心したようにバーで、真っ白な顔して水割りを片手に無言でいる瞬間、僕は「この頭の中に、あの文章が詰まっているのか」と、S氏の顔を憧れの目で見たものだった。

                  S氏は個人塾をセルフリタイアして、塾とは別の世界に入り込んでいた。S氏はある種、破滅的な人だった。大きな挫折をして破滅しようが、それは浮世の出来事で、行動はヤクザでも内面は純度100%のカタギだった。

                  世間という曖昧模糊な言葉をあえて使わせていただくならば、S氏は世間で汚れていながら、世間知らずの高校生みたいな言葉を吐く人だった。言葉と行動があまりにも不一致だった。

                  でももしかしたら、僕は考え違いをしていたのかもしれない。今思えばS氏の純粋な文章と、現実社会での行為は、実は矛盾していなかったのだと思う。S氏は純度の高い人間だったからこそ、他人の穢れを憎んだ。

                  純粋な人間は、他人にも純粋さを求める。純粋でないものに戦いを挑み、葬り去りたい願望が生まれる。アメリカのイラク戦争もそうだった。イラク戦争を起こしたのは純粋な「ネオコン」と呼ばれる集団だった。

                  「ネオコン」とは大学生の時から民主主義を信奉し、国民の代表者が行政や立法に携わる、アメリカの政治形態を宗教のように崇めたインテリのことである。
                  「ネオコン」がブッシュ政権の中枢に乗り込んだ時、アメリカの民主主義と毛並みの違った政治形態、たとえばイラクのフセイン政権、北朝鮮の金正日政権を激しく憎んだ。
                  アメリカの民主主義に逆らう国を武力で圧倒しようとした。アメリカの「純粋さ」を地球上に押し付けた。これがイラク戦争の本質である。

                  ネオコンもS氏も、極度の純粋さが研ぎ澄まされ戦闘的になった。金銭で腐敗した政権より、ストイックで純粋な政権の方が、戦争の惨禍を巻き起こすのは、歴史を少し学べばわかる。S氏は個人対組織の無謀な戦いを続けていた。

                  S氏の言動は、スコット・フィッツジェラルド不朽の名作「グレート・ギャッピー」を地でいく、浪費と破滅の美学に貫かれていた。S氏といっしょに遊興にふけっていると、腹が据わって来た。深夜の豪遊は、天国とも地獄もしれない異次元を彷徨っているようで、病的な胆力が生まれてきた。

                  S氏は酔うといつも「塾を潰す」と小泉純一郎みたいなことを言っていた。教育業で高い金を取るのは間違っている。授業料は6000円にして、企業からカネを得て、その金を塾に回せばいいと語っていた。

                  企業から汚れたカネをせしめ、教育という純粋な場所にカネを回す。要するにS氏がカネをロンダリングして、僕たちに教育現場を預ける。
                  「才能を眠らせてはならない。日本を背負う才能がある子には、絶対に金を惜しんではならない」という点で、S氏と僕の見解は強く一致していた。

                  しかし、S氏は数千万単位、下手したら数億単位の金額を必要とする計画を立てていた。「孫正義に会ってyahooを協力させる」「イギリスの王室の裏情報があるから、この会社の株を買えば儲かる」とか、大風呂敷の話が目立ち始めた。僕はそれに怯えてついていけなくなった。

                  S氏は借金を抱えていた。サラ金の段階は越え闇金に手を出していた。多額の借金を得る成功を得るには、中途半端な成功はあり得ない。僕とS氏では、抱えている物の大きさが違いすぎた。
                  一度僕はS氏に「小説家にならないんですか」と訊ねてみた。S氏は無言で笑ったが、小説家として成功しても、借金を返済するのは容易ではない。ましてやS氏の文体は純文学そのままであり、大衆的人気を得るタイプではない。

                  莫大な金額を得るには、理想を追求するしかない。S氏は理想を追い求めなければ生きられないほどの窮地に立たされていた。またS氏は本質的に理想主義者である。
                  そこへ僕は「現実」という言葉を持ち込んだ。「理想」を追い求める人にとって「現実」という言葉ほど腹立たしいものはない。

                  結局、S氏とは訣別した。しかし、教育者の根幹の部分、凄味のある言葉の吐き方、アウトサイダーとしての立ち振る舞いを、S氏から学んだ。
                  とんでもない出会いだった。

                  | 未分類エッセイ | 20:25 | - | - | ↑PAGE TOP
                  転落の塾遍歴
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                    小学校から中学校、あるいは中学校から高校に進学して、急速に成績を下げる子がいる。中学受験で合格を勝ちえたのに、中学生になったら凡庸に堕ち、また中学校の定期試験では高得点を弾き出したけど、高校生になったら成績に精彩がない。

                    上の学校に進学したら、いままで良かった成績がガクンと落ち、目も当てられない状態になる。こうなると責任は誰にあるのか、不毛な犯人探しが始まる。親が悪い、子供が悪い、学校が悪い、友人が悪い、前の塾が悪い、今の塾が悪い、生活環境が悪い、過保護過干渉だ、依存症だ、反抗期だ、部活の疲労だ、異性の影響だ、才能の限界だ、身体の異変だ、幼年期の読書不足だ、通学時間が長い、燃え尽き症候群・・・詮索は尽きない。

                    個人個人によって、さまざまなケースがあるが、塾選びを失敗して成績が落ちる場合も数多い。
                    たとえば、中学校で450点以上取っていた子が、中学まで通っていた塾が高校部をやっていないので、高校になってやむを得ず転塾し成績がガクンと落ちたら、それは50%ぐらいの確率で、高校の塾の先生が悪い。
                    指導方法や力量や人格など、何らかの問題点が高校の塾の先生の側にある。高校の勉強の難度の壁もあるが、相性を疑ってかかるのが先だ。
                    450点取らせた中学の塾の先生は凄い。高校になって成績を落とした自分は力が足りない。謙虚に認めることが解決の糸口だ。

                    中学校で通った個人塾の先生が素晴らしく、勉強に燃え充実した受験生活を送った子が、高校から運悪く、ひどい個人塾に通うことになったらどうなるのか。

                    高校受験を終えて、中学の塾の先生に「ありがとうございました」と礼を言い、新たな気持ちで「いい個人塾ないかな」と塾を探す。中学校の時通った塾のおかげで、個人塾は素晴らしい学び場と刷り込まれているから、大手ではなく個人塾にこだわる。軽い気持ちで近くの個人塾の門を叩く。

                    しかし新しい塾の先生は、前の先生とはどこかが違う。中学の塾の先生は柑橘系のいい香水の匂いがしたのに、新しい塾の先生は煙草と整髪料のにおい。中学の塾には凛とした清潔感があったのに、新しい塾は微妙に蔓延している不潔さが漂う。性格もどこか陰湿なところがあり、素直に話を聞けない。塾のBGMは中学の塾はバロック音楽が流れていたのに、新しい塾は伍代夏子や冠二郎。

                    中学までの塾の先生とは、つかず離れず良い関係ができていた。依存というネガティブな言葉とはまったく違う、とても頼れる存在だった。厳しく温かい「父性」を感じた。
                    教え方も上手かった。中学の塾の先生は、学校の教え方とは違っていた。生活面では厳しい先生なのに、授業は楽しかった。先生は生徒に高い要求をしたが、自分にも厳しかった。「普通の授業はしないぞ」という気概に満ちていた。
                    でも、高校の塾の先生は、高校の眠い授業と変わらない。いや、高校の先生の授業の方が、ずっとわかりやすい。

                    中学の塾の先生には叱られて泣かされても嬉しかったのに、高校の塾では褒められても何だか気持ちが悪い。
                    そして、中学の塾の先生のブログは毅然とした爽快な文体で、大ファンだった。硬派でぶっきら棒だけど、根底に愛情が眠っていた。でも高校の塾の先生のブログは・・・

                    確かに高校になって成績が下がった。新しい先生は「お前は中学まで何をやってきたんだ。過保護で過干渉な、バカ塾の講師に教えられてたんだろ」と厭味を言う。
                    中学の塾の先生の悪口を言うなよ。先生のことすごく慕ってたんだから。アンタとは違うよ・・・

                    | 未分類エッセイ | 21:42 | - | - | ↑PAGE TOP
                    裏原宿の美容院で恥をかいた
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                      日本で一番ファッションナブルな街原宿へ行った時のこと。

                      修学旅行の高校生で賑わう竹下通りを抜け、表参道駅の方へ足を進めると、一転してハイソな世界が広がる。
                      DiorやLouis Vuittonの路面店を回る。

                      Dior Hommeには、BEATLESのSgt.Papperでボールが着ているのと同じような服があった。地雷だ。あんな服誰が着るのか。

                      そのあと、裏原宿のドメスティックブランドの、小さなブティックも見て回った。痩せたら服の選択肢も広がり、今まで無縁だった世界に飛び込める。

                      それにしても、この界隈を闊歩している若者の格好良さには恐れ入る。
                      私は秋葉原で買い物をしたあと、原宿に来た。秋葉原の若者と、裏原宿の若者のファッションセンスの違いは凄い。

                      秋葉原と原宿は別の国のようだ。秋葉原の若者のセンスは中国の田舎町みたいだし、原宿はロンドンみたいだ。オタクに走る若者、オシャレに金を使う若者、価値観の違いは大きい。

                      ところで、ある裏原宿のブティックに入ると、中の様子がおかしい。服なんか全く置いてなくて、白いモダンな室内では、若い女性が数人、鏡に向かって髪を切られている。

                      ここは美容院だったのだ!
                      間違った!

                      ドリカムの吉田美和に似た受付のお姉さんは、私の姿を見て、「いらっ・・・」と言ったあと、戸惑い言葉を濁した。

                      私は清原みたいな短い丸坊主頭である。切る髪がない。美容院に行ってもすることがない。
                      お姉さんが私のツルツル頭を見て、「こいつ何しに来たのか?」と絶句したのも無理はない。

                      私は逃げた。

                      しかしまあ、何とややこしい店か。
                      この界隈の小洒落た店は、建物の意匠デザインが似ているので、ブティックか美容院かレストランか判別できない。エステや観葉植物の店まで紛れ込んでいる。

                      店の雰囲気が似ている上に、この界隈の店は決まって看板が小さく、その小さな看板の上にこれまた小さく店の名前がローマ字でゴニョゴニョ書かれている。

                      美容院なら美容院とはっきり書けよ。「山野愛子美容室」みたいに。
                      サロン・ドなんとか、ちゅう名前はやめてほしい。

                      やはりオレには秋葉原が似合っているのかなあ。
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