猫ギターの教育論

尾道市向島の塾「US塾」塾長のブログ 早稲田大学・開成高校出身 本音が飛び交う、少し「上から目線」の教育論
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難関中学1年で落ちこぼれる理由
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    難関中学に入学した子にとって、中学校最初の中間試験が、この先勉強面でうまくいくか、落ちこぼれてしまうか、分岐点になる気がする。

    難関中学の定期試験は、非常に勉強がやりにくい。どうやったらいい点が取れるのかわからない。とにかく勉強のやり方がわからない。「のれんに腕押し」のような感覚だ。

     

    定期試験の勉強がやりにくい第1の原因は、難関中学に入学した子が、進学塾のカッチリした勉強のやり方に慣れているからだろう。

    進学塾ではテキストもカリキュラムも「カチッ」としている。綿密にシステム化されている。テキストとカリキュラムは密接に連動していて、カリキュラム表を見ればテスト範囲は一目瞭然だ。

    試験範囲も「算国理社すべてテキスト第2分冊第7回」という具合に明確で、試験勉強がしやすい。

    また塾のテスト問題も何百人何千人が同時に受験する問題であるから、必然的に最大公約数的な問題になり、難問ではあるがクセが極力排除された、出題者の体臭がしない問題になる。だからテキストを勉強すればするほど、正比例してテストの点数は上がる。

    これにひきかえ、中学校の定期試験は範囲も曖昧で、各教科の統一感もなく、問題も各先生の体臭がプンプンするローカルなもので、子供は戸惑う。

    そして、学校の定期試験で子供が一番困惑するのは、進学塾の試験範囲が「テキスト」中心であるのに対して、中学校の試験では先生の板書を写した「ノート」が出題のメインを占めることだ。

    進学塾のテキストは問題形式になっているものが主で、問題を解いていれば自然にテストで点を取れるようになっている。勉強が非常にやりやすい。

     

    逆に板書ノートはテスト勉強が非常にやりにくい。ノートからどのような問題形式で出題されるか、慣れないうちは非常に戸惑う。

    困ったことに、難関中学の先生は学究肌の先生が多く、教える内容も出題方式も独特だ。先生の「体臭」に慣れなければならない。

    おまけに板書をしない先生もいる。中学入りたての子にとっては、内容が独特でしかも板書をしない先生のテストに向けて、何を勉強すればいいのか途方に暮れてしまう。中学校1年生に「ノート術」を教えてくれる人は少ない。大学の試験勉強と同じ勉強法が、中1の段階で求められる。

     

    要するに進学塾のテストは相撲のようなルールがわかりやすい「単純系」で、中学校の定期試験はルールが難しい野球やアメフトのような「複雑系」だと言えるのかもしれない。

     

    それでも、多くの難関中学では、テストの席次がシビアに出る。

    難関中学に合格した子は、小学生の時に学校のテストを意識したことは、ほとんどなかったに違いない。勉強しなくても満点が取れた。小学校でテスト順位を発表することはあまりないが、学校のクラスの誰もがNO.1と認める学力を持っていただろう。

     

    しかし難関中学のテストは、そんな簡単にはいかない。難関中学で1番を取るのは1人。当然あとの子は1番になれない。

    難関中学の中1たちは、クラス順位を異常に気にする。小学校でダントツで一番だった子が、クラス50人中37番なんて結果が返却されたら、大いに傷つく。屈辱を感じる。

    難関中学最初の中間試験は、自分の学力が意外と振るわない現実をグサリと突きつけ、強いショックを子供に与える。

    難関中学で定期試験の順位は、子供の世界で一種の「ヒエラルキー」になる。
    偏差値やクラス順位はもちろん変動可能な数値であり、方向性を間違えず努力精進すれば上昇する数値なのだが、最初の試験で衝撃を受けて、その衝撃が無力感につながると、子供は偏差値やクラス順位をインドのカースト制度のような、固定した数値として捉えてしまいがちになる。
    俺はクラスで37位の男、私は偏差値43の人間と自己既定してしまう。

    自分をヒレラルキー下位の人間と規定することは、最初のうちは痛恨の極みでショックが大きいが、低い成績にいったん慣れてしまうと、同時にそこが安住の地になってしまう。

    「俺はバカだ」といったん開き直ってしまうと「低いポジションの方が居心地がいいや」という退廃的な気分になる。

    努力して好成績をめざす過程で傷つくより、低い位置に安住している方が楽であることに気付く。また大学入試は6年後という遥か先だから、現実から思い切って目を背けることが可能だ。「俺はバカだ」と言い放つことは、快楽であり現実逃避である。

    とにかく、難関中学に通いだした中1の子は、人生最大の疾風怒濤の時期を迎えている。中学受験も大事だが、入学後の中1初期は人生最大の転機と呼んでいいくらい、とてつもなく大事な時期である。

    自由な校風の学校は危険だ。塾に通って確かなレールに乗ったほうが、成績面では安全だ。

     

    | 中学受験 | 18:26 | - | - | ↑PAGE TOP
    中学受験「お父さん家庭教師」の破綻
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      父親が子供に勉強を教えるというのは、どういうことなのか?
      中学受験期の子供に勉強を教えている「お父さん家庭教師」は、かなりの数にのぼるだろう。
      しかし子供が成長するにつれて、だんだん父親は子供に勉強を教えなくなる。教えられなくなる。

      その理由はまず、父親の学力にある。難関中学の算数は難しいから、父親が問題を解けなくなる。
      小6ぐらいになってくると、子供に「お父さん、この問題教えて」と質問されても、お父さんは30分も1時間も頭をひねるだけで、問題が解けない。

      難関中学の算数の問題は年々難化しているから、子供時代に中学受験を経験したお父さんでも歯が立たない問題は多いし、また自分の受験時代には存在しなかった面積図が理解できないから、教え方は自然と我流になり、しかも「方程式なら解けるんだけどね」と突如方程式が登場したりして子供は戸惑う。
      子供は黙ってお父さんが難問と格闘する姿を見ている。お父さんは子供の視線が拷問プレッシャーになり、ますます解けない。難問にイラつき、「こんなもん自分で解け!」と逆ギレするお父さんの気持ちもわかる。

      小4ぐらいまでは子供に「ちょっと算数教えて」と質問されても瞬時に答えることができるが、小6の子に本格的に勉強を教えるとなると、しっかりした予習が必要だ。一旦教える決意をしたら腹を括らなければならない。
      塾のプロ講師ですら綿密な予習をして授業に臨むのだから、素人のお父さんが難関中学の問題を生半可に教えることは難しいのが現実だ。本格的に教えるには膨大な時間と執念がいる。

      たった1〜2問ぐらい算数の質問に答えるぐらいは時間的に楽だと思われるかもしれないが、子供は自分が解けないから質問に来るのであって、必然的に質問される問題は強烈な難問になる。
      お父さんは仕事から帰って来たら突然、進学塾のテキストで選りすぐりの難問を子供から「わからん」と質問される。パパっと解いて鮮やかに説明できる父親は少ないだろう。

      予習した範囲を授業形式で教えるのは易しい。逆に、突然子供が持って来た難問を解くのは難しい。サーブを打つより受けるほうが格段に難しいのと同じことだ。持ち込まれた難問に答えるには強靭な学力が必要で、塾のベテラン塾講師並みに中学受験に知悉していなければならない。

      だから子供に勉強を教えることのできる父親は、時間に融通が利き予習時間や過去問研究の時間が取れる自営業の人か、あるいは予習しなくても教える能力がある医者か官僚か弁護士か大学教授のような高い学力を持つ人か、子供の教育にかける意気込みが狂気のレベルに達している人か、或いは本職の塾講師という場合に限られる。
       
      「お父さん家庭教師」は、反抗期思春期の子供に反抗されるか、無気力の仮面でサボタージュされる。
      10歳を超えれば、父親と子供はN極とN極、S極とS極といった具合に反発し合うのが普通ではないか。親子がベタベタの蜜月関係だったら気持ち悪い。
      狭い部屋で父親と子供が向かい合って、或いは子供の勉強机の横に父親が陣取って勉強を教えている姿はいかがなものか。
      個人差はあるだろうが、私には強い抵抗がある。子供の立場だったら絶対に嫌だ。ほとんどの子は抵抗を示して、「お父さん家庭教師」から卒業する。

      父親から過度に束縛された子供は「解放」され、勉強の道にはなかなか戻れない。出汁を取った後の鰹節や昆布のような抜け殻になる。特に六年間一貫中高の成績下位の子には、強い倦怠感がある。俗にいう「燃え尽き症候群」である。

      子供時代、あまり勉強しなかった人が親になると、子供に限度を超えて勉強させる傾向がある。自分が勉強しなかったから限度がわからない。勉強させられる痛みがわからない。自分は子供時代遊んだのに、子供に期待して口やかましく勉強させる親は、自分に甘く他人に厳しい典型だ。
      執拗な「お父さん家庭教師」は、内田樹氏言うところの「ファミリアル・ハラスメント」の一種だ。子供の抵抗は、無気力による成績低下か、最終的な大爆発で幕を閉じる。
       
      父親「お前、勉強しないと社会の落伍者になるぞ」
      子供「うるせいな、アンタだって落伍者じゃねえか。自分の仕事の不平不満を、俺の教育に持ち込むな。仕事やポジションに不遇感やらコンプレックスを抱いているからって、俺に夢を託すんじゃねえよ」
      父親「父さんは若いころもっと勉強すればよかったと後悔してる。だからお前にはもっと勉強してほしい。俺にとっておまえの成長が生きがいなんだ」
      子供「それが嫌だ。ああ嫌だ。その暑苦しい愛情の押しつけが嫌だ。アンタもいい加減俺にかまってないで、自分の生きる道見つけたら? 自分は努力せず俺に勉強させて卑怯だと思わないか? アンタの生き方は、夢を子供に託すという美名に酔った他力本願じゃねえかよ。迷惑なんだ。この毒親!」
      父親「父さんはお前のことを思って・・・」
      子供「アンタ幽鬼みたいな顔してるぜ。自分の顔、鏡で見なよ。アンタの本質は自己愛だ。子供の気持ちより自分の気持ちを優先する。その証拠に、俺はアンタから愛を感じない。とにかくウザい」
      父親「・・・」
      子供「アンタ、俺を使って、世間に復讐しようとしてるだろ」




       
      | 中学受験 | 13:45 | - | - | ↑PAGE TOP
      中学受験は才能
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        小5後半からガクンと成績が落ちる子供がいる。
        今日はそんな子供についての話。

        1年に数回、なぜか私のところに家庭教師の依頼が来る。
        「今大手塾に通っていますが、成績が伸びません。小3から塾に通わせているのですが、小5の冬ぐらいから成績がガクンと落ち始めたのです。大手塾ではいわゆる「お客さん」になりかけています。個別とか家庭教師といったカンフル剤が必要だと思うので、お願いしたいのですが・・・」

        私は近所では「厳しい先生」と言われているが、多分私という劇薬を使って受験を乗り切ろうというのだろう。
        そんな依頼は、当然全部お断りする。

        まず教える時間がない。時間がないから誠意をもって対応できない。個別は全責任を負うから大変である。
        それに私は短気だから、絶対に家庭教師や個別には向いていない。子供の勉強の姿勢が甘ければ怒り狂ってしまう。集団授業なら私が荒れようとも怒りが分散するので子供は耐えられるが、個別や家庭教師なら怒りがピンポイントで一直線に向かうので子供は嫌な思いをするだろう。

        中学受験をめざしている子が、小5の終わり頃から成績が落ちるというのは実によくある話で、しかもその時期に成績が落ちたら、正直言って中学受験には致命傷だ。私にはその子の成績を復活させる能力も自信も処方箋もないし、またやりたいとも思わない。

        なぜ小5の終わり頃に成績が落ちるのか? またなぜそれが致命傷なのか? さらにどうして私がそんな子を避けるのか? その理由はこうである。

        小5の終わり頃から成績が落ちる子は、親が中学受験に熱心で、小学校低学年から進学塾に通っている子が多い。雛鳥の頃から小さな翼を精一杯動かして、遊びを犠牲にして親の期待を一身に受けて、より高く空へ羽ばたこうとしてきたのだろう。
        小学校低学年の頃は塾の生徒も少なく、競争相手も少ないから偏差値も高い。しかし中学年・高学年と進むにつれて、どんどん潜在能力のある同級生が入塾してきて、塾の生徒数が大幅に増える。
        学力がハイレベルの子は、新人が何人来ようとも成績上位の座は揺るがないが、学力に自信のない子は、優秀な新入りたちに追い出されるようにして、塾内での偏差値をどんどん下げていく。

        また、算数が強烈に難しくなるのも小5の終わりごろからである。
        相似が登場したり、図形がコロコロ移動したり、ニュートン算が現れたり、仕切りがたくさんある容器に水を入れたり抜いたり、超複雑な面積図を書かなくちゃ解けない問題が出たり、とにかくクリアな頭脳が要求される難問に翻弄されて、子供は頭の整理がつかない。そんな状態が続けば、最後には算数が嫌になりウンザリしてくる。

        しかし逆に、小5あたりから進学塾に通い始めた才能のある子は、初めて触れた算数の難問を解くのが新鮮で、小学校の勉強では味わうことのできなかった算数の面白さに目覚める。
        算数の苦手な子が敬遠したい問題は、逆に算数が得意な子にとっては、チャレンジ精神が奮い立つ快楽をもたらす。算数に恋してしまうのだ。こんな状態ではますます低学年から塾通いしてきた子の偏差値は下がる。

        そして、低学年から塾に通って成績が伸びない子は、悪い意味で「塾慣れ」していて、スレたところがある。
        今までの勉強方法に頑固なまでに囚われがちになる。こだわってきた勉強方法が合わないから成績が伸びないのは自明の理なのだが、悪い勉強方法にいつまでも固執する。
        これは別に子供に悪気があるわけではないのだが、そんな頑固さが勉強方法の構造改革の抵抗勢力になっているのは明らかだ。知らず知らずのうちに、自分で自分の首を絞めている。

        私が挙げた理由が複雑に絡み合って、雛鳥の頃から難関中学を目指していた子は、小5の春から小6の夏にかけてイカロスの如く力尽き、逆に後から入った才能のある子は潜在的な能力をあらわにする。
        青い空の上でぐったり疲れ果て、翼が折れそうな弱々しい鳥を、高性能な頭脳を持つ子はまるで銀色のロケットのような速さで追い越し、軽快に成層圏を越えた高みまで上り詰めて行くのだ。とても残酷な光景である。

        私は幼い頃からの受験勉強で疲れ果てた子供を、ロケットと競争させるような悪い人間ではない。疲れた鳥に鞭打つことはできない。
         
        中学受験は、昔なら「神童」と呼ばれた子どもがするものであり、力がない子が無理して中学受験しても、中2くらいで燃え尽き症候群になってしまう。
        中学受験での、子どもの促成栽培は危ない。


         
        | 中学受験 | 18:13 | - | - | ↑PAGE TOP
        地理を得意にする方法。Googleは「どこでもドア」
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          わが子が中学受験勉強を始める時、「親が勉強を教えなければならないのか」と不安になる親は多い。中学受験だからといって構えることなく、今まで通り子どもの生活と健康に気を配っていればいいのだが、勉強面でも子どもの中学受験に貢献したい方もいらっしゃるだろう。
          親が勉強を教えるなんて、「のび太のママ」みたいにヒステリックな教育ママを想像されるかもしれないが、あんな古めかしいスタイルとは違って、親子が勉強を楽しむ、ちょっと今風の環境を作ればいい。どうせ教えるなら楽しく教えたい。「おうちで寺子屋」をエンジョイするのだ。

          教えるのは社会の地理がいい。「ゆとり教育」で地理の学力が落ちている事実は、教育現場の誰もが感じている。聞くところによると、最近の子どもの中には、南極が暑い場所だと思っている子がいるそうだ。沖縄・ハワイと南へ行くほど気温が上がる。だから地球の最南端である南極は、灼熱地獄のような場所だという。こんな勘違いをするのは、地球が赤道を境に北半球・南半球に分かれていることを知らないのと、南極の氷の上でペンギンが歩いているイメージが、子どもの頭にストックされていないからである。

          子どもに日本各地のイメージを焼き付ける最大の方法は、日本一周することだ。夏休みを利用して40泊41日で日本一周すれば、地理の点数は飛躍的に上がるに違いない。
          さすがに日本一周はアイディア倒れに終わりそうなので、代わりとしてネットを活用しよう。まず、親子でパソコンやタブレットの前に座る。都道府県庁所在地名や山脈・川の名前を暗記する時、「愛知県・名古屋市」と無味乾燥に暗記しても面白くないから、地図を見ながら「盛岡」「飛騨山脈」「最上川」と、子どもといっしょに画像検索するのだ。
          都道府県庁所在地を検索すると、街の画像を見て、子どもの口から「名古屋って大きい街だね」「大津って琵琶湖が近いね」「山口って小さい街だね」「金沢って時代劇に出そうな古い街だなあ」と素直な感想が出てきたら嬉しい。ネット画像検索で風景が視覚に焼き付き、ちょっとしたプチ家族旅行になる。地理が嫌いな子は多いが、旅行嫌いの子は少ないはず。そのうち子どもは親の助けがなくても、わからないことがあったら自分で調べる習慣がつくはずだ。

          ここで、地理が得意な子の頭をのぞいてみよう。私の塾は小学生から高校生まで教えているが、地理好きの高校生に「兵庫県と聞かれてイメージするものは?」とたずねてみる。兵庫県は、北は日本海、南は瀬戸内海、山間部は緑深い山地と、さまざまな顔を持つ県だが、彼は「神戸は港町、姫路は城下町、忠臣蔵の赤穂も城下町です。天空の城竹田城も兵庫県ですね。甲子園もありますし、淡路島との間には明石海峡大橋が架かっています」とスラスラ答えるだろう。
          それに加えて「神戸は神戸牛、日本海側は松葉ガニがおいしいですね」と、高級食材の名前を挙げる。彼はふだんから社会に対する知的好奇心を発揮して、地名が出たら調べ、面白い旅行番組があったら見る。そんな積み重ねが、兵庫県に対して視覚だけでなく味覚まで感じる、高い学力を作りあげてきたのである。学力を高めるのは机の上の勉強だけではない。日常生活すべてがメッセージなのだ。

          ぜひ、親子一緒に、ネットで地理を楽しんでほしい。Googleの検索窓は、地理学力向上の扉である。地名を画像検索するだけの些細な作業が、パソコンやタブレットを「どこでもドア」にし、中学受験だけでなく、大学受験にも通じる楽しい教養を生み出す。
          ネット画像検索で「プチ家族旅行」に出かけよう。
           
          たとえば「長崎 軍艦島」なら
          IMG_6109.JPG
          強烈な画像が大量にヒットする。
          長崎の「端島」は、かつて石炭が採れてにぎわい、人口密度が東京23区の9倍に達した時期もあったが、1974年に閉山。現在は無人島。形が似ていることから「軍艦島」の通称で呼ばれる。検索すると島内の廃墟の写真がふんだんに出てくる。子どもの頭に「石炭→石油」のエネルギー革命を、一発でイメージづける格好の画像。
           
          画像検索なら、簡単に海外旅行もできる。
          さて、ここはどこだろうか?
           
          travel 306.jpg
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          2枚の写真は、ドイツ・ベルリンの壁の跡。冷戦時代は壁があり、警戒は厳重で、壁を超えようとして死んだ人も多数。現在は壁が保存された場所もあるが、公園として市民の憩い場にもなっている。シルバー色の長いシーソーが、ドイツ人のデザイン感覚と機能美、デザイン感覚を示している。

          こんな風に、写真だけ見せて、子どもにクイズ形式で地名を当てさせると、テレビの旅行クイズ番組みたいに盛り上がる。写真を選ぶ手間はかかるのだが・・・


           
          | 中学受験 | 10:32 | - | - | ↑PAGE TOP
          中学受験前に小学校を休むこと
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            1月になると、中学受験が盛んな地域の、小学校6年生の教室では欠席が目立つようになる。
            関東の中学入試は2月初旬、関西は1月下旬に実施され、受験する子供が正月明けぐらいから準備のため小学校を休むからである。

            ただ、小学校を休むことで、まわりから手痛い中傷を受けることもある。
            たとえば、松倉さんという小6の女の子がいて、私立女子中学を受験するとしよう。

            松倉さんは偏差値が志望校のボーダーラインより少し下で、合否は追い込みにかかっていると、塾の先生から面談で言われた。
            松倉さんはお母さんから「学校へ行っても無駄でしょ。塾の自習室に行きなさい。朝から開いているらしいわ。たぶん塾の先生がいらっしゃるだろうから、過去問やって算数を質問しなさい」と言われたので、1月の何日かは学校を休んで塾に行った。

            ところが努力の甲斐なく、学校を欠席した松倉さんは不合格。
            逆に小学校のクラスメイトで、試験日以外は一日も小学校は休まなかった田丸さんが合格した。
            学校を休んだ松倉さんが不合格で、休まなかった田丸さんが合格という皮肉な結果になった。

            休んで不合格になった松倉さんは、寡黙であまり笑わない生真面目な女の子だった。小説や少女マンガを読むのが好きで精神年齢が高く、友達ともあまり話をしない。それが同級生には、お高くとまっているように見えた。小学校の授業中は塾のテキストをやっていて、先生には黙認されていた。
            逆に田丸さんは笑顔がいい子で、秀才という感じではなく、活発で友達づきあいが上手な子だった。小6らしい子供っぽさと愛嬌をふんだんに持ち合わせていた。お母さんは受験のことに関して田丸さんに任せ、カリカリした教育ママとは正反対の性格だった。

            松倉さんのお母さんは、子供が私立受験することを自身のブログに書いていた。お母さんはふつうに書いているつもりなのだが、ブログの読者からは、松倉さんのお母さんが娘自慢をしているように映ったらしかった。中学受験の親独特の偏狭性とエリート意識が、読者の気に障ったらしいのだ。
            松倉さんのお母さんはブログに「中学受験前に小学校へ行くのは、時間の無駄なような気がします。小学校の勉強は、ハッキリ言っていりません」と公然と書いていた。

            松倉さんが不合格だとわかったあと、松倉さん母子に対するブログでのパッシングはひどかった。
            ブログのコメント欄には「小学校の勉強はいらないと言っていたくせに、中学からお前の娘はいらないと捨てられた。プゲラララ〜」「小学校ズル休みして、中学校にズルッと落ちたバカ娘」といった、心ない中傷が書かれていた。
            松倉さんのお母さんのブログは合格発表の日以来、更新が途絶えたままである。ブログのトップはスポンサーサイトで占められ、コメント欄には数百ものコメントが残され、ブログはアラシによる祭りの後のようだった。

            小学校の教室では、松倉さん本人も攻撃された。
            松倉さんが嫌いな女子たちは、わざと松倉さんに聞こえるように「田丸さんはちゃんと学校に行ったのに合格したエライ人」と口にし、クラスメイトの携帯にはブログで読んだのか「松倉は、小学校ズル休みしたのに、中学校ズルズル落ちたバカ」という中傷メールが回覧された。
            松倉さんは結局、すべり止めの私立中学にも不合格になり、公立中学校に通うことになった。松倉さんをいじめた同級生の女の子たちも同じ公立に入学し、松倉さんは中学に行っても、
            「ズル休みしてズルッと落ちた」
            と執拗に中傷され、最終的には不登校になった。

            小学校を休んだくらいで、ここまで酷く中傷されることはない。もちろん中傷する方が悪い。
            しかし、私は中学受験前に小学校を休むことには強く反対する。

            親が子供に小学校を休ませる気持ちはわかる。中学受験に真剣になればなるほど、直前に猛勉強させたくなる。
            特に合格ライン上スレスレにいる子の親は真剣である。だから1月になると子供が小学校ですごす時間が無駄に思えてくる。学校で一日7時間拘束され、中学受験とは関係ない簡単すぎる授業を聞かなければならない。
            いまさら言うまでもないが、小学校で習う内容と中学受験の問題の難しさは桁違いで、小学校の勉強が草野球なら、難関中学受験は大リーグでダルビッシュの球を打つようなものだ。中学受験は進学塾で難問の解き方を教わらなければ絶対に合格しない。
            甲子園をめざす高校球児は、大会前は練習漬けになる。オリンピック直前の選手は時間をすべてオリンピックの準備のためにあてる。中学受験に一生懸命になっている親にとって、中学受験はわが子の人生を決定する真剣勝負だから、最後の一ヶ月は起きている時間はすべて中学受験のために使い、家や塾で入試に即した勉強をした方がいいと考えるのは、当然の成り行きだろう。

            しかし、学校を休まないことはルールである。
            ルールに違反し、子供が学校を休むように親や塾が仕向けるのは行き過ぎだし、ルールを破らざるを得ないような中学受験熱は困ったものである。
            ルールを破ることは、子供を一種の「グレーゾーン」に落とすことである。ルールを破ることで、子供はモラルに反する「うしろめたさ」を感じる。そのうちだんだん「うしろめたさ」は感じなくなり、ルールやモラルに無神経になる。
            こんなモラルに欠けた人間は、まわりから尊敬されず軽く見られ、ひどい時には中傷される。松倉さん親子がパッシングを受けたのも、ルールを破ることを広言し、モラルの隙を突かれたからである。モラルに欠けた者に対して、人は過剰に攻撃的になりやすい。逆に道徳的に正しいオーラがある人は、どんなに物静かでも攻撃されたりはしない。

            それから、小さなモラルの破綻は大きな破滅を導く。「これくらいいいじゃないか」という軽い気持ちが、痛いしっぺ返しを食らわせる。
            たとえば中学受験前に学校を休んだ子が大人になった時に、小学生の時ルールを破りモラルに反した悪い手癖が、あらぬところで再燃しないとは限らない。
            大人になって経済犯罪で捕まる人はたいがい、真っ黒な極悪人ではないが、ルールを破ることに慣れ、モラルに無神経な人である。
            経済犯は経済に疎い一般人の目から見て、たとえ数年間懲役食らった人に対しても、イマイチ悪いことをしているようには見えない。ホリエモンがどうして刑務所に入っているのか、理由がよくわからない人も多いと思う。
            経済犯では、たかがモラルやルールだと思って軽い気持ちで破ったら、実は法に抵触していたという悲劇が起こる。子供が企業で働くようになり経済犯になり、罪の意識を持てない罪で刑務所や拘置所に入った時、母親の「ちょっとくらい学校を休んでもいいわよ」という、ルール意識に欠けた言葉が頭をよぎるのではないか。ズルしたらズルッとこける怖さを味わってからでは遅いのである。

            子供が小学生・中学生・高校生のうちは、正しいこと悪いことの区別がはっきり分かれた、白黒がハッキリした世界に生きてほしい。小6でグレーゾーンの味を覚えるのは早過ぎるし、将来思ってもみない形で破滅する可能性もあるのだ。


             
            | 中学受験 | 18:09 | - | - | ↑PAGE TOP
            僕の開成中学合格戦記
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              僕が開成中学に合格したのは、1981年、ちょうど今から四半世紀前、25年前のことである。

              当時の公立中学校は荒れていて、不良はみんな「なめ猫」みたいな格好をしていた。だからおとなしい内向的な小学生の僕は、「公立中学へは行きたくないな」と思っていた。

              小5の冬だったか、うちに広島の中学受験塾から、入塾テストのDMが来た。僕はどうしてだか理由はわからないが、その入塾テストを受けることになった。

              僕の街から広島までは、新幹線で40分。在来線で1時間20分かかる。同じ県内でも広島はなかなか行ける町ではない。

              たぶん僕が入塾テストを受けたのは、おそらく広島へ遊びに行って、親に切手か、超合金か、鉄道模型を買ってもらうのが目的だったのだろう。

              テストを受けて、2日後くらいに電話があった。僕は4教科400点満点で、360点だったらしい。広島校の入塾テスト史上最高点だといわれた。

              そういうわけで、広島の塾に、日曜日週1回だけ通うことになった。行きは新幹線で、帰りは在来線で帰った。

              受験した中学は開成と広島学院とラ・サール。全部合格した。

              僕の第一志望はラ・サールだった。

              鹿児島という街は僕には魅力的で、西郷や大久保みたいに薩摩を起点に世の中へ打って出ようと、子供心に考えていた。
              桜島は男の子の野心をかき立てる火山だ。

              開成は記念受験のつもりだったが、合格した。謙遜でもなんでもなく、合格するとは思わなかった。
              まさか合格するとは思わなかったし、合格しても行く気はなかったので、過去問は前日に、店内がカレーくさい新宿の紀伊国屋書店で入手し(声の教育社のオレンジ色のやつ)、宿泊先の京王プラザホテルの部屋で解いた。

              過去問を前日にやって御三家に合格するなんて、今考えると牧歌的な時代だった。

              僕はラ・サールに行きたかったが、父親が開成を薦め、紆余曲折ののち開成中学へ通うようになった。

              僕がなぜ開成に合格したのか。それは記憶力が良かったからだと思う。

              15歳くらいまで、僕は電話番号を一度聞いたら覚えたし、メモという物を必要としなかった。

              友人がある日僕に電話番号を教えてくれた。僕はメモも取らず「わかったよ」と言った。友人は「ちゃんとメモしてくれよ」と少し怒っていた。僕は「ちゃんと記憶したから大丈夫だよ」と答えた。

              それくらい僕の記憶力は良かった。

              また、日本の県名・県庁所在地名は、幼稚園の年中組の時には完全に漢字で書けたし、世界の国名も小学校1年生のときには全部言えた。

              親戚のおじさんおばさん達と冠婚葬祭の折に会うと、幼い僕にクイズを出した。
              「栃木県の県庁所在地はどこ?」
              「インドの首都は?」
              僕は生意気に、スラスラと答えた。親戚の人たちは「賢い子だね」と言ってくれた。

              あと僕は好奇心が強かった。疑問点があると答えを知りたくてしょうがなかった。
              とにかく、わからないことがあると大人に質問し、本で調べた。
              一休さんに出てくる「どちて坊や」みたいな子供だった、と思う。

              僕は社会が大好きだったので、百科事典の地理・日本歴史・政治経済の分冊は、小学校低学年の頃から装丁が剥がれ手垢がつくまで、貪るように読んだ。物理とか化学は、難しそうなので全く手をつけなかったけど。





              ★開成塾
              尾道市向島の「秘密勉強基地」





              | 中学受験 | 12:21 | - | - | ↑PAGE TOP
              中学受験は才能
              0
                1年に数回、なぜか私のところに家庭教師の依頼が来る。特にこの時期は、小6で中学受験をしている子供の依頼が多い。

                「今大手塾に通っていますが、受験まであと半年近いのに成績が伸びません。小3から塾に通わせているのですが、小5の冬ぐらいから成績がガクンと落ち始めたのです。大手塾ではいわゆる「お客さん」になりかけています。個別とか家庭教師といったカンフル剤が必要だと思うので、お願いしたいのですが・・・」

                私は近所では「厳しい先生」と言われているが、多分私という劇薬を使って受験を乗り切ろうというのだろう。 そんな依頼は、当然全部お断りする。

                まず教える時間がない。時間がないから誠意をもって対応できない。個別は全責任を負うから大変である。
                それに私は短気だから、絶対に家庭教師や個別には向いていない。子供の勉強の姿勢が甘ければ怒る。集団授業なら私が荒れようとも怒りが分散するので子供は耐えられるが、個別や家庭教師なら怒りがピンポイントで一直線に向かうので子供は嫌な思いをするだろう。

                それはさておき、中学受験をめざしている子が、小5の終わり頃から成績が落ちるというのは実によくある話で、しかもその時期に成績が落ちたら、正直言って中学受験には致命傷だ。私にはその子の成績を復活させる能力も自信も処方箋もないし、またやりたいとも思わない。

                なぜ小5の終わり頃に成績が落ちるのか? 
                またなぜそれが致命傷なのか? さ
                らにどうして私がそんな子を避けるのか? 

                その理由はこうである。

                小5の終わり頃から成績が落ちる子は、親が中学受験に熱心で、小学校低学年から進学塾に通っている子が多い。
                雛鳥の頃から小さな翼を精一杯動かして、遊びを犠牲にして親の期待を一身に受けて、より高く空へ羽ばたこうとしてきたのだろう。 小学校低学年の頃は塾の生徒も少なく、競争相手も少ないから偏差値も高い。

                しかし中学年・高学年と進むにつれて、どんどん潜在能力のある同級生が入塾してきて、塾の生徒数が大幅に増える。学力がハイレベルの子は、新人が何人来ようとも成績上位の座は揺るがないが、学力に自信のない子は、優秀な新入りたちに追い出されるようにして、塾内での偏差値をどんどん下げていく。

                また、算数が強烈に難しくなるのも小5の終わりごろからである。たとえば四谷大塚の「予習シリーズ」なら、分冊の2と3の間に大きな壁があるように思う。 相似が登場したり、図形がコロコロ移動したり、ニュートン算が現れたり、仕切りがたくさんある容器に水を入れたり抜いたり、超複雑な面積図を書かなくちゃ解けない問題が出たり、とにかくクリアな頭脳が要求される難問に翻弄されて、子供は頭の整理がつかない。そんな状態が続けば、最後には算数が嫌になりウンザリしてくる。

                しかし逆に、小5あたりから進学塾に通い始めた才能のある子は、初めて触れた算数の難問を解くのが新鮮で、小学校の勉強では味わうことのできなかった算数の面白さに目覚める。
                算数の苦手な子が敬遠したい問題は、逆に算数が得意な子にとっては、チャレンジ精神が奮い立つ快楽をもたらす。算数に恋してしまうのだ。こんな状態ではますます低学年から塾通いしてきた子の偏差値は下がる。

                さらに、低学年から塾に通って成績が伸びない子は、悪い意味で「塾慣れ」していてスレたところがある。今までの勉強方法に頑固なまでに囚われがちになる。こだわってきた勉強方法が合わないから成績が伸びないのは自明の理なのだが、自分を伸ばしてくれなかった悪い勉強方法にいつまでも固執する。 これは別に子供に悪気があるわけではないのだが、そんな頑固さが勉強方法の構造改革の抵抗勢力になっているのは明らかだ。知らず知らずのうちに、自分で自分の首を絞めている。

                私が挙げた理由が複雑に絡み合って、雛鳥の頃から難関中学をを目指していた子は小5の春から小6の夏にかけてイカロスの如く力尽き、逆に後から入った才能のある子は潜在的な能力をあらわにする。
                青い空の上でぐったり疲れ果て、翼が折れそうな弱々しい鳥を、高性能な頭脳を持つ子はまるで銀色のロケットのような速さで追い越し、軽快に成層圏を越えた高みまで上り詰めて行くのだ。とても残酷な光景である。

                私は幼い頃からの受験勉強で疲れ果てた子供を、ロケットと競争させるような悪い人間ではない。疲れた鳥に鞭打つことはできない。
                | 中学受験 | 11:54 | - | - | ↑PAGE TOP
                中学受験は子供を破壊するか
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                  朝日新聞の記事を読んでいたら、「中学受験は是か非か」みたいな記事があって、どんな独創的な意見が述べられているのか少々期待して読んでみると、2人の「識者」のうち一人が「中学受験は子供がかわいそうだ」的意見、もう1人は「中学受験は論理的思考法を育てる」という正反対の意見を述べていた。


                  その記事を読んで、相も変わらず常套句のコラージュのようなマンネリな意見を何度も何度も繰り返す「識者」がまだ存在するのかと、少々唖然としたのだが、まあ結局はどちらの意見も正論であるからこそ、何十年もオウム返しのように同じ意見が繰り返し述べられているのかもしれない。


                  中学受験の算数が論理的思考力を鍛え、子供の頭を柔軟にするという意見には確かに大いに肯かざるを得ない。
                  中学生に数学を教えていたらわかるのだが、中学受験を経験していない子に図形や文章題を教えるのは、固い岩石に種を撒いて植物を育てるような、極めて困難な作業である。

                  特に割合や速度みたいな抽象的で難度の高い分野を教えるときには、もっと小学生のときに算数をみっちり教えて、頭を柔軟にして欲しかったと嘆きたくなる時がある。
                  中学受験していない中学生に向かって、割合の授業でさらりと「全体を1とする」とでも説明しようものなら、私の言葉が子供の耳の右から左へ「ス〜」と抜けてゆくのが見える。割合の概念を何もわかってはいないのだ。


                  逆に中学受験経験者に数学を教える時は、嘘みたいな少ない労力で力がグングン伸びる。灰を撒くだけで花を盛大に咲かすことができる花咲か爺さんになったような心境である。


                  とにかく中学受験は、子供の頭を柔軟にするもってこいの機会である。中学受験でバリバリ算数の問題を解き、ガリガリ日本語の文章を読み書きすることによって、子供の頭脳は太古の昔から落葉が積もり涵養された、肥沃な広葉樹林みたいになる。
                  まあ、もともと柔軟な頭脳を持っていた子だからこそ、中学受験にチャレンジしたんだろうけど。


                  さて、もう一方の「中学受験は子供がかわいそう」「夜遅くまでの塾通いは子供の成長に支障をきたす」という意見は、半分正しく半分は間違っている。


                  子供の能力を度外視して、親が極度に受験に対してヒートアップしている場合は、中学受験なんて幼児虐待以外の何物でもない。過度に勉強させるとその反動で思春期に大爆発が起こり、子供の体内には勉強を拒絶する抗体が生まれる。


                  しかしその反面、難関中学受験塾で、上位4分の1ぐらいの成績を取っている子は大いに塾を楽しんでいるのだ。


                  ベテラン講師の授業は面白い。東京ならSAPIXや日能研、関西なら希学園や浜学園の講師の方は厳しい入社試験にパスし、段違いに知識量がある素晴らしい方がたくさん揃っている。本来なら大学で教鞭をとるべき人が、東京や関西の中学受験塾には綺羅星の如く勢揃いしているのである。


                  中小の塾から引き抜かれ、キャリアアップして大手塾にやってきた、ヤンキースの選手のような高所得の講師もいる。
                  そんな個性的で優れたスター講師の謦咳に接することが、小学校5年・6年という知識欲の塊の子供にとって面白くなかろうはずがない。子供は講師の授業を楽しみに塾に通う。
                  力量がずば抜けた講師と、才能にあふれた小学生が、授業でぶつかりあうのだ。

                  また、将棋や囲碁やテレビゲームみたいな遊び感覚で、算数の難問を「プレイ」するのは楽しい。
                  塾のテキストに見たこともないような強烈に難しい問題があって、見た瞬間は「こんなん解くの絶対無理だぜ」と手をこまねいていたのに、少しだけ解法の糸口が見つかり、その糸口を慎重にたどっていったら突然頭に電光石火のごとく解法が閃き、閃きが消えないうちに素早く計算し答えを出し、急いで解答と照らし合わして正解だとわかった瞬間。そんな瞬間には思わず1人ガッツポーズを取りたくなる。


                  そんなエキサイトした状態で算数と格闘していると3〜4時間すぐにたってしまう。時計を見ると深夜2時。親は「夜遅くまで努力しているのね」とほめてくれるが、実は努力なんかしていない。算数で遊んでいるのだ。遊んでいながらほめられちゃうから、ますます算数の問題を解くのが好きになってしまう。


                  勉強の得意な子はテレビゲームの腕もハイレベルな子が多いが、テレビゲームを攻略しても、所詮は自己満足の世界でしかない。
                  しかし塾で算数の難問を解くと、授業中に尊敬している講師にほめられ、テストで高得点を叩き出し、周囲から羨望の眼差しで見られる。そんな塾という場が楽しくないわけがない。


                  子供にとって進学塾は、自分の努力が正当に評価される場である。努力すれば点数で報われ、サボれば点数にはね返される。そんなシビアではあるがフェアな評価は子供にはわかりやすい。できる子にとってはやり甲斐のある世界だ。学校の通信簿のように曖昧で主観的な評価に対して気をつかうより遥かに魅力的な世界だ。
                  イチローのような能力のある選手が、旧弊で閉鎖的な日本のプロ野球を捨て、開放的なメジャーリーグに移っていったのと同じ心理である。


                  彼らにとって可哀想なのは、塾通いよりもむしろ学校の授業である。特に算数の授業は問題が簡単すぎて時間の浪費としか思えない。
                  進学塾のバリバリの子にとって学校の算数の授業とは、ショパンやリストを軽々と弾くことができるピアニストが、「猫ふんじゃった」を何度も何度も何度も何度も弾かなければならない、退屈極まりない時間なのである。


                  進学塾のトップクラスの子は素直な子が多い。素直な子は何が今の自分にとって重要で、何が重要じゃないか取捨選択したりはしない。大人に与えられる課題を、すべて自分に大事なものとして真正面から受け取る。自分の中に逃げ道を作らないで、与えられた課題はすべて馬鹿丁寧にこなす。そんな生真面目さが彼らの学力の原動力である。
                  だから彼らは退屈な学校の算数の時間も手を抜かずに、他のクラスメイト以上に真面目に取り組んでいるのだが、しかしそんな「無駄」な時間を、もっと他の事に置き換えることはできないのか?


                  進学塾の上位クラスの子は、塾こそが本来の居場所という感じがする。できる子から時間を奪っているのは、塾でなく学校なのである。

                  | 中学受験 | 11:30 | - | - | ↑PAGE TOP
                  中学受験で不合格になったら
                  0
                    どんなに本人が中学受験に対してあまり熱心じゃなくて、親主導で受験した子でも、さすがに掲示板に自分の番号がなかったら辛い。

                    不合格になるということは、中学校という1つの組織から、能力不足のために自分の存在が否定されることである。12歳までに世間からそんな酷い目にあった子は少ないし、「君なんか必要ないぞ」と言われてショックを受けない子供はいない。

                    ただ、本人が受験に熱心じゃなかった子にとっては、不合格のショックよりも、中学受験が終わって親の束縛から解放され、やれやれという気持ちのほうが強い。受験という拘束帯を外され、五体に自由の気が漲り、せいせいするだろう。

                    しかし中学受験にまじめに取り組んできた子は違う。
                    テレビもゲームも漫画も友達との付き合いも、受験のために犠牲にしてきた子が落ちたときのショックは計り知れない。

                    合格発表の次の日は、同級生に会うのが恥ずかしいため学校を休む子もいる。家出する子もいる。押入れに隠れて出てこない子もいる。三日三晩何も食べられない子もいる。
                    自分はお父さんお母さんの期待に応えられなかったダメ人間だ。お父さんお母さんが今までどおり自分を愛してくれるだろうか、そんな余計な心配をする子もいる。

                    ましてや中学受験の試験前に学校を休んで勉強した子には「学校を休んでまで勉強したのに合格しなかった」と、担任の教師や同級生の冷たい視線が気になる。

                    不合格のショックは、受験勉強の努力の大きさに比例する。
                    時速10kmの自転車が壁にぶつかっても怪我は軽いが、時速1000kmの飛行機が地面にぶつかったら機体も乗客も粉砕される。人の100倍努力した子は、ショックも100倍大きい。

                    大地震でポッキリと折れ、ゆっくりと地面に向かって静かに倒れてゆく鉄塔のように、自信とプライドが崩れ落ちる。中学受験不合格が、生涯を左右する大トラウマになる可能性だってあるのだ。

                    しかし私の塾講師の経験上、中学受験にまじめに取り組んできた子ほど、不合格になっても前向きに勉強に取り組み、3年後に中学受験で不合格になったのと同じ高校に合格し、リベンジを果たす子が多い。高校に不合格になっても大学で見事に結果を出す子が多い。

                    子供の自癒能力は凄いと思う。心の深い傷を、成長への肥やしにする。
                    中学入試を経験することで、自己を過大評価しない、また過小評価もしない、自分の能力を客観的に見る視点が子供にできる。顔から童臭が消え、同級生よりも早く大人の顔つきになる。
                    デビュー当時のイチローと、現在のイチローぐらい、顔の相貌が変わる。

                    おまけに、試験の結果には運が付きまとう。
                    中学受験の合格者のうち4分の3ぐらいは、10回試験をやっても、すべての試験で合格点をたたき出す子だと思う。
                    しかし残りの4分の1ぐらいの子は、合格不合格が入れ替わっていても全然おかしくはない。問題運やその日のコンディションで合不合が決定される。たった1回の試験の恐ろしさである。

                    そういうわけだから、ギリギリのラインで運良く合格して中学で遊び呆ける子と、あともう一歩で合格したのに悔しい思いをして、屈辱をバネに勉強を頑張る子では、15歳までの3年間で学力は完全に逆転する。

                    ところで高校から中高一貫校に入学した子は、在校生から「新高(しんこう)」と呼ばれる。そして「新高」は、高1最初の模擬試験で上位を占める。「新高」の子の8割は学内平均より上、中位以上の成績を取る。

                    「新高」は入学時、中学校で3年間のんびりでやってきた子に対して、強烈な刺激を与える。学内で「敗者」とか「劣る」とか見なされることは全く無い。むしろ「新高」の高い学力を見せ付けられ、敬意を抱くことの方が多い。
                    中学受験で合格した子にとって、「新高」は下剋上でのし上がってきた、自分の地位を脅かす存在なのだ。

                    確かに、模擬試験のベスト10のうち7人くらいは、中学受験で合格した「天然モノ」の天才たちが占める。これは厳然たる事実だ。
                    しかし中学受験時に破れなかった上位4分の3の壁は、屈辱がモチベーションになった3年前の厳しい高校受験勉強によって、あっさりと破られてしまう。

                    ただ高3になると、中学受験組が眠りからさめ、潜在的な才能が発揮されぐんぐん成績が伸び、「新高」の子は圧倒的優位を保てなくなるが、成績的にはそんなに大崩れはしない。中学受験・高校受験と2度にわたって重ねてきた鍛錬が、成績の安定感をもたらす。

                    私は中学受験を否定的には捉えない。
                    不合格になったら確かに子供は傷つく。やる気のある子ほど傷つく。
                    ただその傷は、子供が残り70年の人生を生きる上でのパワーになる。間違いない。
                    | 中学受験 | 22:29 | - | - | ↑PAGE TOP
                    勉強嫌いのチップ
                    0
                      私が大手塾にいた最後の2年間、塾で一番勉強ができる子が集まる、附属福山中学・高校を目標とするコースの担任を一手に引き受けていた。中学受験・高校受験の進学実績は、極論すれば27歳の私の肩にかかっていた。

                      私は鬼のように指導した。「気迫」ではなく「鬼迫」で勝負した。5分に1回は罵声を発していた。頭にあるのは進学実績。合格者の数。仕事のできる先生と呼ばれたい虚栄心。政党の党首が議席数を欲しがるように、1人でも多くの合格者数をGETしたかった。絵に描いたような「スパルタ進学塾」の講師だった。

                      私は規模の小さい尾道校の講師で、マンモス的規模の福山校に物凄いライバル心を燃やしていた。生徒数は尾道校の3倍。でも附属福山高校・中学の合格数では絶対に負けたくなかった。別に報奨金があるわけでもない。動機は自己満足にすぎないのかもしれない。だが、とにかく福山校に勝ちたかった。

                      私はまだ27歳。福山校の先生方は40前後のベテラン。初めてアルバイトした20歳の時、研修で福山校の先生にはケチョンケチョンに言われ鍛えられた。
                      帰りの電車は屈辱と、それ以上に自分の授業のショボさで顔面蒼白になり、泣きながら帰った。とにかく福山校のベテラン講師には負けたくなかった。返り討ちにしてやりたかった。

                      高校受験で厳格な指導をしたことについては、全く後悔していない。少し大手塾時代より丸くはなっているが、今でも中学生にはピリピリ厳しく接している。中学生ぐらいの年頃は、ビシビシ鍛えた方がいい。

                      ただ、中学受験は過激にやりすぎた。促成栽培に走った。
                      なかなか花が咲かない蕾があれば、咲くのを待つのではなく、私の指で花びらを1枚1枚強引に開いていった。

                      合格実績は上がった。でも私がやったことは結局「勉強嫌い」のチップを子供の脳味噌に埋め込むことだったのかもしれない。
                      「イキガミ」の国家繁栄予防接種のナノカプセルが破裂して若者の命を奪うように、私が小学生に勉強を押し付けたせいで、「勉強嫌い」チップが中学入学後に炸裂し、向学心も上昇志向も、知的向学心すら奪っていった。

                      中学受験は、ある程度「才能」がものをいう。12歳の冬という一瞬の「才能」が試される。12歳の冬の時期は、子供によって精神も頭脳も身体も、どれをとっても成長の差が激しい。

                      「才能」が中学校で花開く子もたくさんいる。「才能」が花開く条件は、勉強をエンジョイすることだ。蕾のままで必要以上に厳しく接してはならない。才能の花が開いてからはじめて、ガンガンに鍛え上げればいい。

                      私は厳しい講師かもしれないが、厳しくするには相応の「時期」がある。

                      本番はあくまで大学受験。近視眼的かつ短絡的な中学受験で子供を潰してはならない。
                      | 中学受験 | 00:28 | - | - | ↑PAGE TOP