猫ギターの教育論

尾道市向島の塾「US塾」塾長のブログ 早稲田大学・開成高校出身 本音が飛び交う、少し「上から目線」の教育論
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中1の英単語はキミョウキテレツ
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    中1の単語、習いたてのうちは単語のフィーリングをつかむのに苦労する。ローマ字感覚にとらわれ、英語独自の文字の並び方を会得するのに時間がかかる。
    中途半端にローマ字感覚が残っていると、appleをappruなどと間違える。
     
    「る」はローマ字の「ru」と書かないと気がすまないのだろう。気持ちは良くわかる。
    またbとdの混同はよくあることで、dogをbog、boxをdoxとするのは英語習いたての時期において、非常によくある間違いである。
     
    よく考えたら英語の綴りはあまりにも理不尽である。
    ハウスがどうしてhouseなのか、ホワイトがなぜwhiteなのか、ナイフが何故にknifeなのか、英語の語源の本を何冊かひも解いてはみたが、完全に納得したわけではない。英単語の綴りはまるでブッシュのイラク攻撃みたいに強引だ。
     
    音楽家の名前でも、Mozartはモーツァルトとは読めないし、Chopinはどう見てもチョピンで、Debussyはデブシーだ。西洋語のスペルは東洋人にはわかりにくい。生まれも育ちもfar eastの中1の子が、英語と最初に遭遇した時に奇妙なスペルミスを犯すのは責められないことなのだ。
     
    英語だけではない。西洋の言語のスペルは東洋人にとって違和感がある。
    フランス語にしてもprintempsをプランタンと読むのは無理がある。あとParisのsと、画家のモネのMonetのtは邪魔だ。最後に変な子音をつけないで欲しい。
     
    オランダ語もひどい。HUIS TEN BOSCHをハウステンボス、Vermeerをフェルメールと一発で読むことは難しい。
     
    オランダ語で思い出したが、オランダ語の単語には英語と「ほんのちょっと」だけ違うものがある。
    僕はにヨーロッパ旅行をして、ベルギーを訪れたのだが、その時使ったオランダ語の旅の会話集を見ると、単語の1文字2文字が英語と微妙に違うのだ。
    例を挙げてみると
     
    tomaat(トマト)
    appel(リンゴ)
    banaan(バナナ)
    brood(パン)
    oile(オイル)
    peper(胡椒)
    trein(列車)
    maan(月)
    などである。
     
    どれもマイクロソフトのワードで書くとスペルチェック機能が働いて、語の下に赤い波線が引かれそうなものばかりだ。オランダ語はまるで日本の中学1年生が習い始めに書く英単語みたいだ。
     
    英語を習ってからオランダ語を見ると、オランダ語は変な言語に見えるが、逆もまた然りだろう。
    福沢諭吉を代表とする幕末の洋学者は青年期にオランダ語を習い、その後世界最強の国家がイギリスであることを知るに至って英語に鞍替えする人が多かったが、彼らはわれわれと逆に
    「蘭語appelは英語じゃappleなのか。偏屈な言語じゃなあ英語は」
    と頭を抱えたのだろう。



     
    | 高校受験 | 21:12 | - | - | ↑PAGE TOP
    小学校で英語を中途半端に習う悲劇
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      新中1の英語の授業。たいていの中学校ではアルファベットから始まる。
      中1の4月時点で、もうすでに子供の英語の学力は大きな差がある。
      上は帰国子女から、下はローマ字すら書けない子まで、また上はnativeとjokeを交わせる子から、下はアルファベットが書けない冗談にならない子まで、レベルはさまざまだ。
      中学校の先生は、授業がとてもやりにくいだろう。
       
      一番手に負えないのは、小学校で中途半端に英語をかじった子だ。
      中学校行ったら英語が始まるので親が心配になって、小学校5年生あたりから、心配だからちょっと英語でも習わせておこうかと英語教室に通い始める子が、一番タチが悪い。
      小学校で英語教室に通った子が、中1の終わりごろから成績が奈落の底に落ち、ピンチに陥るケースが意外と多いのだ。

      小学校で英語をやっていた子は、中1の1学期くらいまでは、中学校の英語の授業は異常に退屈だ。小学校時代に習った、簡単な内容しか授業でやらないからである。

      当然アルファベットは熟知しているから、アルファベットの授業は硬筆習字みたいに退屈だ。
      単語も100個ぐらいは頭にストックしているので、努力しなくてもテストでいい点を取れる。1学期の中間テストでは当然100点を取る。
      そんな環境では、子供は英語をなめてしまう。何の苦労も努力もしなくても、英語はできると錯覚する。
       
      しかし、英語をなめている子を横目に、履修内容はどんどん難しくなっていく。
      知識のストックが空になっても、なまじ「英語は得意」という過剰な意識があるので、危機を感じないまま過ぎていく。
      whoとwhoseの使い分けができなくても、過去形の不規則変化の暗記が疎かになっても、現在進行形を習い始めてbe動詞と一般動詞がグチャグチャになっても、自分の陥った罠には気づかない。気づいたときには、英語の成績は壊滅状態になっている。
       
      学校の定期試験の得点の推移は、
      1学期中間  100点
      1学期期末   95点
      2学期中間   82点
      2学期期末   64点
      3学期学年末  47点
      という具合に、見る見るうちに下がる。

       
      親はせっかく英語を小学校のうちから早取り学習して、子供にアドバンテージを与えようと英語教室や英会話教室に通わせたのに、そんな気持ちが徒になってしまうケースのいかに多いことか。
       
      逆に、中1になったばかりの時点で、小学校時代英語を習っていない中学受験組は、英語で結構苦しむ。
      dogをbogと書いたり、motherをmatherと平気で書いたりして、小6までは華麗に算数の難問を解いていた姿はどうしたのかと思うほど、笑っちゃうくらい英語に戸惑う。
       
      ところが彼らは、中学受験で勉強のノウハウを知悉しているから、すぐに英語の勉強のコツをつかむ。
      3〜4ヶ月も経てば、小学校で英語を習っていた子を、ウサギとカメのようにあっさり抜き去る。
       
      教訓。
      小学校で英語を始めても、英語が得意になるとは限らない。

      小学校から英語をやるのなら、中途半端にはやるな。
       
      もう1つ。中学受験は幼いうちに勉強のやり方とか姿勢を子供に叩き込む、絶好の機会。中学受験の経験は、実は中学校の英語学習に、存分に応用が利く。





       
      | 高校受験 | 21:02 | - | - | ↑PAGE TOP
      歴史用語は漢字で書け!
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        小学生の作文はひらがなだらけで、読みにくい。

        ひらがなベースの文章に、漢字が無秩序に混入していて、読むのに骨が折れる。

        ある小学生の作文に「百円きん一」とあったので、生徒の前で朗読するとき、間違って私は「ひゃくえんきんいち」と読んでしまった。「均」が「きん」に変わっただけで、たちまち文章が読みにくくなる。

        以下の作文は、私が作った「漢字とひらがながランダムに混じった、小学生が書きそうな読みにくい作文」の例である。

        ぼくの1ばんのたから物は家ぞくです。そのり由は、家ぞくがいると、じ分でできないことがあったら、相だんにのってくれるからです。てん国のおじいちゃんとおばあちゃんもたからです。家族には健こうでいてほしいです。

        2ばん目のたから物は、友だちのしゃ真と手がみです。てん校してしまったけれど、手がみを読むと、友だちと一しょにべん強やうん動をしたことや、え顔を思い出します。友だちのしゃ真と手がみは、つくえのひき出しに、大じにしまってあります。

         

        読みにくさ炸裂である。

         

        あと、歴史用語は漢字で書かせたい。うちの中学生は、社会科の用語は必ず漢字で書いてもらう。
        中学校には、定期試験の答案をひらがなで書いてもOKのところもあるが、高校に進学したら漢字じゃないと汎用性がきかないので、漢字以外は許さない。

        もちろんアメリカを亜米利加、オランダを和蘭陀、オーストラリアを豪太刺利と書けなんて無理は言ったりはしないけど。
        イギリスを英吉利、ポルトガルを葡萄牙なんて格好つけて書いたら×になってしまう。

        去年の中3の途中入塾してきた女の子に、私が作った「歴史一問一答 500題」をやらせてみると、歴史用語を漢字とひらがなを、巧みに混ぜて書いていた。

        「井伊直弼」を「井伊直すけ」、「墾田永年私財法」を「こん田永年私ざい法」、「運慶・快慶」を「運けい・快けい」と、画数の多い難しそうな漢字をひらがなで誤魔化して書いていた。ピーマンやニンジンが嫌いな子供が、巧みに避けて食べるような感じだ。

        まだ「井伊直すけ」「こん田永年私ざい法」「運けい・快けい」ならいい。解読可能だ。
        しかし「本おりのり長」は困る。一瞬では拝読できない。「本居宣長」を我々が一瞬で「もとおりのりなが」と読めるのは、「居」「宣」という2字の印象が強いからであり、その2文字ともひらがなに直されてしまったら、少々手間取る。

        中途半端にひらがなが混じった人名や熟語は読みにくい。我々日本人がいかに漢字の絵文字性に依存し、文字を一種の映像として捉えているかがわかる。
        本来漢字であるはずの部分が、ひらがなに変わっていると、文字を絵文字として一瞬のうちに頭脳に焼き付けることができない。

        その上、パソコンで「本居宣長」なら一発で出るが、「本おりのり長」をパソコンで打つのは非常に面倒くさい。「本」「おりのり」「長」と分割して打たねばならぬ。

        その子は他にも、「織田信長」を「お田信長」、「聖徳太子」を「しょうとく太子」、「近松門左衛門」を「近松門左えもん」、「吉田茂」を「吉田しげる」と書いていた。
        「お田信長」はいかにも弱そうだし、「しょうとく太子」は明太子の親戚みたいだし、「近松門左えもん」はドラえもんの関係者みたいだし、「吉田しげる」は吉田しげる・梶原しげる・松崎しげる・克美しげる四兄弟の長男みたいだ。


         
        | 高校受験 | 15:25 | - | - | ↑PAGE TOP
        広島県東部の私立中高に、子供を通わせたくない
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          私は尾道に住んでいるが、塾講師生活20年間の経験から判断し、自分の子供ができたら、どの中学・高校に通わせたいか考えてみた。

          広大附属福山中高は別格として、おそらく、公立中学から尾道北高・東高というルートを選ぶだろう。

           

          広島県は全国に先駆けて「ゆとり教育」が行われていた。かつて広島県は寺脇研氏が教育長だったのだ。そのころの公立高校は総合選抜入試で難易度が低く、高校には学力向上へのモチベーションがあまり感じられなかった。当然大学進学実績も悪かった。教育熱心な家庭は、公立を避けて私立中学・高校へ子供を通わせた。

           

          しかし、最近では総合選抜の廃止と、日教組の弱体化、それに広島県の教育に対する力の入れようもあり、公立高校の充実がめざましい。尾道北・福山市立などには有能な先生が集結し、また尾道北は県から重点校として強力なプッシュを受け、進学実績を大きく伸ばしている。

          尾道北高は生徒の半分以上が国公立に進学する。北高の進学実績を上回る高校は、広島県東部では広島大附属福山高校しかない。逆に近隣の私立は軒並み大学進学実績を落としている。

           

          私の感覚では、中学を卒業して高校3年間で一番成績を伸ばす高校は、ダントツで尾道北高である。たしかに尾道北高の指導は厳しく「北高プリズン」という呼び方もされ、今年も進学実績があるにもかかわらず定員割れだったが、一教育者から見てわが子を託したい高校である。頭髪検査も厳しく、ソックスも白しか許さない、「昭和スタイル」をかたくなに守る高校である。

           

          しかし、特に小学生の保護者の方には、まだ「ゆとり教育」時代の公立高校への不信感を持つ方がいて、その反動で「私立信仰」が残っている。中学受験で何が何でも私立という方は多い。

          だが、公立高校が進学実績を伸ばしたいま、私立高校の相対的価値は大きく下落している。

          広島県東部の私立中高に対して、東京や大阪や都市部の「私立」の輝かしいイメージは捨てた方がいい。「ゆとり教育」時代の私立ブームは、不景気もあり終焉した。おまけに金銭の話で恐縮だが、公立高校無料化によって、北高にはタダで行けるのだ。

           

          広島県東部の、私立中高の問題点は何か?

          第1は、私立は生徒を集めないと経営に差し障るため、指導に甘い点があることは否めない。いったん厳しい学校というイメージがつくと、私立は生徒集めには致命傷になる。だからある程度生徒を「お客さん」として扱わなければならない部分も出てくる。

          その点、生徒数が少々減っても学校が存続し続ける公立高校では、生活面でも勉強面でも、思い切って厳しい指導ができる。

           

          第2は通学時間である。尾道から福山ならともかく広島まで通うとなると、通学時間が往復で3時間弱かかる。これは私に言わせれば、体力を消耗させるだけの無駄な時間である。通学時間を家庭学習や塾にあてれば、学力は大きく伸びる。

          朝の新幹線や山陽本線で、私立の制服を着て広島方面に通っている中高生を見ると、余計なお世話なのは十分承知なのだが、疲れるだけなのに時間がもったいないと感じてしまう。通学時間のタイムロスは勉強面に大きな差しさわりがある。北高ならば市街地や向島なら自転車一本で通えるのに。

           

          第3は、6年一貫私立には高校受験がないことである。高校受験は15歳の若者には大きな試練で、高校受験は若者を強くすると私は信じて疑わない。

          東京や関西の意識の高い子が揃う私立中高ならば、高校受験のない6年間は教養を身に付け、脳を涵養する貴重な期間になるだろう。しかし地方の私立中高の甘い環境で、テストで学力を試されることなく平和ボケした6年間を過ごせば、学力は惨めなほど弛緩し、大学受験に関して致命的な不利を背負う。

           

          第4は大学受験の指定校推薦である。私立高校には何らかの指定校推薦の枠がある。私立大学の指定校推薦で、高3の秋には進学する大学が決まる生徒が多い。

          私は高3の1月・2月・3月の厳しい一般入試は、若者のポテンシャルを高め、社会人としての強さを育むと固く信じている。だから高校入試の洗礼も受けず、大学も推薦入試で合格してしまったら、自分の力を最大限に振りしぼり、能力を試す機会が若い時にやってこないのである。これじゃあ、ありきたりの言葉で恐縮だが「生きる力」など身につかないではないか。

           

          第5は私立の知名度を伸ばすため、スポーツに熱が入りすぎることである。

          野球や柔道やラグビーなど、全国大会を目指せるスポーツ競技がある高校では、高校で最も熱いスポットが、夜遅くまでカクテル光線を浴びて活発な部活動のグラウンドになってしまう。

          そうなると同じ高校内に、厳しい監督に鍛えられた体育会系の根性がある生徒と、服装がだらしなく眉を剃った不良、またゲームに夢中の無気力な生徒が混ざり、コントラストが著しい。そういう環境では、高校で弁護士でも雇って「ドラゴン桜」でもやらない限り、勉強への指導が疎かになりがちなような気がする。

           

          とにかく、広島県東部の6年間一貫私立中高は、下手をすればありもしない私立ブランドにすがった、プライドだけ高い「もやし製造機」になってしまい、私は自分の子供を、高い学費と交通費を払ってまで、私立に通わせる気にはならないのである。



          ★開成塾・高校受験
          尾道市向島・しまなみ海道の「凛」とした勉強空間

          | 高校受験 | 21:26 | - | - | ↑PAGE TOP
          わが塾の高校受験・合格体験記
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            4月6日に、春最後の広告を出すので、尾道北高に合格した男の子2人に、合格体験記を書いてもらった。

             

            まずは一般入試で合格した、やんちゃキャラのスグル君。

            中学校の先生にあれこれ余計なちょっかいを出し、内申点は正直あまり良くない。学生服の第一ボタンは必ず開いている。修学旅行の沖縄でも、他校の生徒に眼を飛ばしたらしい。そんなわけで、私は彼に「部活の鬼顧問」として接した。

             

            ただ、彼は体育会系のスッキリした素直な性格で、独特のかわいげがあるいいヤツだ。そんなスグル君は、こんな合格体験記を書いてくれた。

             

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            「このままでは、北高に合格する確率は消費税と同じ5%以下です」
            中3の12月にあった三者懇談で、僕は先生にはっきりと言われた。

            だが、ここから頑張れば受かるといわれたので、毎日自習室に行くようになった。


            塾に行くたびに、先生に一言もらい、成績があまり伸びない時期には、具体的なアドバイスをくれて、全面的にサポートしてくれた。

            塾の自習室に毎日行っているうちに、乾いたスポンジが水をどんどん吸収するように力がつくのが実感できるようになった。


            そしてついに高校入試の日が来た。先生から気合のビンタをもらい実力を発揮することができた。

            合格発表の日は、結果が出たらすぐさま先生に電話した。北高に合格できたのも先生がいろいろサポートしてくれたからである。

            北高に入ったら大学受験があるけど、ずっと先生についていってがんばりたいと思う。

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            情の「熱さ」がほとばしる文章である。泣かせ所を心得た、素晴らしい合格体験記だ。「このままでは、北高に合格する確率は消費税と同じ5%以下です」という衝撃的な書き出しの文章構成も見事だ。

             

            高校生になったら、スグル君は野球部に入る。練習で厳しく鍛えられるだろう。ぜひ尾道北高を甲子園に連れてってほしい。

            また塾では、鬼塾長から容赦なく気合が入れられるだろう。彼に期待しているぶん、指導が厳しくなる。

            とにかくスグル君には「文武両道」の最高の形を、高校3年間で見せてほしい。ヤンチャな部分を残したまま、小さくまとまらず、デカイ人間に育ってほしい。
            政治家にでもなって、ドカンと生きてほしい。

             

             

            次はコタロウ君。彼は紳士だ。怒り屋の私だが、いままで彼を叱ったことがない。叱る隙が全くないのだ。

            髪型は坊ちゃん刈りで、真面目を絵に描いたような男だ。詰襟の学生服のホックはきちんと閉められ、いつも笑顔を絶やさない。一昔前の、中学生用の学習雑誌の表紙を飾りそうなルックスである。


            彼の家にはゲーム機がないという。そんなコタロウ君のご両親の教育方針に、私は強い敬意を抱いている。


            コタロウ君は、当然のように推薦で尾道北高に合格した。

             

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            僕は受験勉強を意識したことはありません。それは塾にはいつも凛としていて、受験のような緊張感が漂っているからです。

            僕は試験の二ヶ月ほど前から前から小論文の練習を本格的に始めました。
            家で書いた文章を先生に提出し、先生が一人一人の文章をみんなの前で読みます。その一つ一つを先生が採点し、丁寧に添削して下さいます。
            文は書き出しで決まることや、接続詞に気を付けること、「思う」という語尾はできるだけ使わないほうが良いことなど、先生が繰り返し言われたことは大切だと感じました。先生が言われたことを忘れないように、僕は家に帰って再び文章を書きました。

            開成塾は自習室がいつでも開放されていることも大きな特徴です。僕は決まった塾の時間よりも自習室で勉強した時間の方が長いといっても過言ではないと思います。
            特に定期テスト前は、自習室に入り浸っていました。普段の学習が入試に向けての勉強になっていたようです。僕の場合内申点を稼ぐことにつながりました。

            入試では落ち着いて小論文を書くことができ、北高に選抜気嚢膤覆垢襪海箸できました。開成塾の小論文対策は、どこの塾にも負けません。

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            テーマを小論文と自習室にまとめ、コンパクトにまとめた文章力はさすがである。しかも彼は私が書いた広告のチラシを熟読し、私の教育方針を正しく解釈し、その延長線上で合格体験記を書いてくれた。卓越した読解力と表現力がなければ、こういう文章は書けない。

             

            彼には旧帝大か早慶に行って、サッカー選手として活躍し、将来はJリーグのチェアマンか、日本サッカー協会会長になってもらいたい。



            ●開成塾・高校受験
            尾道市向島・真直ぐな性格の子が集まる塾


            | 高校受験 | 11:05 | - | - | ↑PAGE TOP
            不況下の高校受験の厳しさ
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              日本は不景気で疲弊している。とくに地方の痛みは激しい。農業・漁業は高齢化が進み、工業は中国の経済発展に屈し、商業・サービス業は東京や大阪などの華やかな都会に太刀打ちできない。

              地方は人材の枯渇も激しく、純粋で真っ直ぐな性格の、学力・能力が高くヴァイタリティのある若者は都会にどんどん出て行く。「こいつはすごい!」という教え子は、みんな尾道・向島から去ってしまう。地方から活力が消え、無気力で退廃的な気分だけが残る。

              当然、不景気は高校受験に大きな状況変化をもたらす。
              尾道の高校受験も、例に漏れず不況の影響をもろにかぶっている。不況と公立高校の授業料無料化で、尾道北高・東高など公立高校の入試は未曾有の狭き門になるだろう。私立高校の定員割れが進むのに対し、公立高校の倍率は大幅に高くなるのは素人分析でも明白だ。


              中学生の意識も変わった。たとえば尾道北高は厳しい高校なのに、不況の中、厳しく鍛えられることを求めて志願者が増えている。「高校生活をエンジョイしたい」という動機で高校を選ぶ中学生は減った。
              中学生は教育機関に「真剣さ」を求めている。そして自らも真剣になっている。例年と同じ意識で高校受験を戦っていては合格発表の日に痛い思いをすることがよくわかっている。もはや広島県公立入試は総合選抜時代の甘い世界ではない。


              とにかく中学生が将来、疲弊した地方に残るか、都会に出る足場を固めるかは、高校受験の結果にかかっている。だからこそ、塾の講師も生徒も覚悟を決めている。
              受験に勝つには強いエネルギーが必要だ。エネルギーを外に放出するタイプ、内に秘めるタイプ、それは人それぞれだが、ガツンとした熱量が合格を左右する。受験は戦争だ。戦う意欲を忘れた塾や受験生は淘汰される。静かな闘志が充満した凛とした空間でこそ、子供は持って生まれた素質を磨き上げる。


              何度も繰り返すが、地方の状況は厳しい。良い将来像が思い浮かばない。デフレは徐々に経済大国日本の生活水準を奪っていく。

              そんな絶望的なデフレの中、うちの塾は高い授業料をいただいている。月謝の額は、大学受験は文型3教科で13,000円、高校受験・中学受験は18,000円。不景気で高額の授業料を捻出するのは家計には痛かろう。それでもわが塾を信じて高い授業料を出して下さっている方の信頼にこたえねばならない。


              また「親に迷惑をかけたくない」と塾の費用を気にしながら、でも先生の塾には通いたいと言ってくれる殊勝な高校生もいる。彼のためには腹をくくらねばならない。数千倍にして返してやらなければならない。


              こんな言い方をするのは気が引けるが、不景気は子供を強くするのも事実だ。親がリストラで仕事を失い、家庭内に社会の寒風が入り込み、大人の厳しい世界の波が押し寄せれば、もはや子供は子供ではいられない。両親の苦境を救うのは自分しかいない。現状を打破する唯一の突破口は学問しかないのだ。

              明治維新後没落した武士の子弟は、親の不遇の身を嘆き、かつての恵まれた地位を学問で挽回しようとした。そのときと同じように、キリリとした目で勉学に励む若者が増えつつある気がするのは私だけだろうか?


              どんな若者が最も強くなれるか。偉人になる可能性が高いか。それは生まれた時は家庭円満で経済的に豊かだが、就学時に家が傾き苦境に立つ、そんな経験をした若者である。幼少期の幸福と、青年期の困難をともに肌で知っている。苦境続きの若者は幸福の甘さを夢想できず、逆に満ち足りた若者は零落の苦さを想像すらできない。不自由のない生活から一転して叩き潰された経験のある若者こそが、最終的な勝者になる。


              とにかく不況の中、子供は依存を捨て自立する気概を持たざるを得ない。親の依存から離れるどころか、親を両肩に背負う若者も現れるだろう。「家貧しくして孝子出づ」という格言が、いまのご時勢だからこそ生きてくる。

              わが塾は、例年より真剣味が増している。これも不況のせいか。わが塾が学問で這い上がる野心を持つ若者の受け皿にならなければと思う。腹をくくらねばならない。

              | 高校受験 | 23:58 | - | - | ↑PAGE TOP
              三平方の定理と「青い三角定規」
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                三平方の定理は、高校数学入試問題の主役である。中学で習う数学では最後の最後に登場して、最も重要な役割を果たす。三平方の定理を知らなければ入試問題の3割は解けない。いかに複雑な図形の中から直角三角形を探し当てるかが、図形問題を解く鍵になる。

                 

                直角三角形を発見すれば、2辺の長さがわかればもう1辺は三平方の定理を使って簡単に計算できるし、三角定規の形をした直角三角形なら、1辺の長さだけで残りの2辺は自動的にわかる。30度・60度・120度という角度の図形があれば、三角定規の形を疑ってかからねばならない。

                 

                僕が三平方の授業をするときには、三角定規はメルモちゃんのキャンディーみたいに、赤と青で書く。




                 

                この「赤い三角定規」「青い三角定規」を使えば、三角定規がビジュアル的に目立ち、難しい図形の問題が解きやすくなる。

                数学のややこしい問題で、「ここ120度でしょ? 180度から120度引いたら60度。青い三角定規が潜んでいる感じがするだろ? (ここで「太陽がくれた季節」の、あのイントロを効果音に使う)」


                こんな説明をすると、三平方の定理の応用問題を、多少はわかりやすく教えられる。

                ところが今年の中3は、「青い三角定規」というグループを知らない。 君は、何をいま、見つめているの」と歌っても、2名しか反応しなかった。 ものすごく有名な曲なのに。
                効果音の効果はなさそうなので、「太陽がくれた季節」を歌いながらの説明は、お蔵入りしている。

                 




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                | 高校受験 | 16:35 | - | - | ↑PAGE TOP
                高校受験で「電話帳」を使わなくなった理由
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                  高校受験の話。尾道北高・東高、その他の公立高校ををめざして、中3の諸君はよく頑張っている。冬講は実際の入試問題に、大いに触れなければならない時期である。

                   

                  わが開成塾では3年前まで、旺文社の「全国高校入試問題正解」、いわゆる『電話帳』を使っていた。『電話帳』という通称は本の分厚さからつけられたものである。

                  かつては公立高校のナマの問題に触れるため、3月の入試までに47都道府県すべての問題を、英数国理社・全教科やり終えることを目標にしていた。気合を入れて猛勉強しなければ終わらない、かなりの分量である。

                  日本の47都道府県の問題をすべてやり終えたときは、「三枝の国盗りゲーム」で日本地図のパネルがすべて自分の色で覆いつくされたような達成感があった。

                   

                  しかしここ数年、電話帳を使うのはやめた。

                  電話帳を使わなくなった理由の第1は、国語でここ数年、問題の省略が目立ち始めたからである。著作権の絡みの関係なのかよくわからないが、たとえば秋田県の問題では2番・3番は掲載されているのに、1番が省略されていたりして不完全で使いにくい。

                   

                  第2は英語リスニング問題。リスニングCDは主な都道府県のものしか収録されていない。しかも1つの都道府県の問題が完全に収録されているわけではなく、中途半端で使い勝手が悪い。またCDは1回しか音声を流さずリピートしてくれないし、また生徒が答案を書くインターバルが取られていないため、一時停止ボタンをいちいち押さねばならず、操作が大変でイライラする。

                   

                  第3は、電話帳には解答用紙がついていないし、配点がわからないから正確な採点ができないことだ。もちろん各都道府県のHPで配点を調べればいいのだが、煩雑な作業で正直言って面倒くさい。得点があやふやなら学力を把握しづく、達成感がない。国語に至っては問題すらカットされているのだから、採点のしようがない。

                   

                  過去問を解くときは、1回1回が本番のテストのような、カッチリした形式で行いたい。いまの電話帳は国語の問題がないし、リスニングCDが不完全で、解答用紙もなく配点もわからない。


                  電話帳でなによりも困るのは、各都道府県で傾向と難易度が違うことである。国語は自由英作文を課す都道府県と課さない都道府県があるし、社会でも神奈川県のように選択肢ばかりの都道府県があれば、宮城県のように記述だらけの県もある。
                  数学は難易度が違いすぎる。たとえば富山県の問題は難問で、公立のレベルを超えている。広島県の公立高校は比較的入りやすいので、公立高校が強い富山県の難問は異質に感じてしまう。もちろん難問にチャレンジするのは大事なことだが、時間に余裕がないだけに限度がある。

                   

                  とにかく電話帳は編集が悪いし、各都道府県で問題にばらつきがある。だからいま、僕は広島県の公立高校の過去問に加え、広島県と問題傾向のよく似た6〜7県を選んで、それぞれの過去問を5年分授業で使っている。

                  いろいろ解いてみたら、大分県の公立高校の問題が広島県とよく似ているのがわかった。社会や理科の選択肢と記述問題のバランスが酷似している。国語だけ、大分県は広島県と違い自由英作文が課されているが、その他の点はよく似ている。

                  特に大分県は数学の問題がいい。難易度も広島県と同じくらいだし、また分析していただくとわかるが、大分県の問題は素直である。言いかえれば塾のテキストの延長線上にある、オーソドックスな問題が出題されている。おまけに簡単な問題と難しい問題のバランスがいい。

                   

                  うちの塾の冬講は、大分県をはじめとして、広島県に似た傾向の都道府県の過去問をamazonで取り寄せて、5年分テスト形式で授業で解いてもらい、僕が採点して解説という形式をとっている。要するに、すべての都道府県を電話帳で「地理的」に制覇するのではなく、6〜7県の過去問を「歴史的」にさかのぼって解いていく方法に変えたのだ。

                  もちろん各都道府県の問題冊子には解答用紙もついていて、リスニングCDも完璧で、文字も電話帳に比べて格段に大きく(特に数学は電話帳の図形やグラフは小さすぎる)、配点もバッチリ載っている。

                   

                  この方式の利点は、同じ都道府県をさかのぼって解いていくと、各年度で点数が比較しやすいことだ。たとえば電話帳なら、大阪府の83点と兵庫県の67点ではどちらが出来がいいのかわからない。しかし京都府の平成21年度の67点と、平成20年の61点なら、もちろん年度によって問題の難しさは違うが単純比較がしやすい。同じ都道府県の問題を解き、コツを飲み込み回を進めていくうちに得点が伸びていけば、受験生には達成感があるだろう。

                   

                  たしかに電話帳は分厚くてモチベーションが上がるし、日本を征服をしたような到達感があるが、いかんせん以上挙げたような欠点があるので、思い切って方式を変えてみたのだ。







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                  高校推薦入試小論文の「邪道」な秘訣
                  0
                    いま中学生に、高校入試小論文の指導をしている。

                    僕がこれから書く高校入試小論文の方法論と価値観は、我流で邪道で外道かもしれないが、広島県公立高校の推薦入試(選抜機砲砲△訥度結果は出しているので、いちおう書いてみたいと思う。
                     

                    高望みなのはわかっているが、僕は「誰でも書ける小論文」はめざしていない。「誰も書けない小論文」を目標に指導している。出題者が求める文章ではつまらない。出題者が想像もしていなかったけど、出題者に『これを求めていたんだ!』と思わせてしまう文章が理想だ。

                     

                    僕の考えを一言で述べると、小論文はテクニックより素材だ。アイディアがすべてだ。1つのアイディアで押し通す、肺活量が強い一直線で天衣無縫な文章が理想だ。斬新なアイディアが閃いた時、思わず「これはいけるぞ!」と快哉を叫びたくなり、心の中で「クスッ」と笑いが出る。一刻でもはやく自分の閃きを文章にしたいから、筆はどんどん進む。構成は滑らかに、語彙は華やかになる。良いアイディアが閃けば原稿用紙は一瞬にして埋まる。一瞬で埋まった文章は一瞬で評価される。

                     

                    逆に段落間の不自然なつぎはぎが目立つ、干からびた文言を並べたパッチワークみたいな文章はよくない。なかなか原稿用紙が埋まらないのは、アイディアが貧困だからだ。貧困なアイディアを小手先のテクニックで取り繕った文章なんか教えたくない。子供の感性よりも指導者の存在を裏で感じる、形式が表に出る小賢しい小論文なら書かないほうがいい。
                     

                    繰り返すが、小論文は素材が勝負だ。たいていの小論文参考書は、表面的なテクニックに終始した、いわば「文章の書き方講座」の域を脱していないものが多い。「どう書くか」には触れられているが「何を書くか」について納得のいく説明がされた本はまれだ。

                     

                    英語や数学など他の教科は、鋭い閃きや膨大な知識がないと解けないのは当然だ。しかし小論文に関しては段落の分け方・接続詞の使い方など形式面ばかりがクローズアップされ、アイディア素材については、あまり触れられていない。小論文こそ斬新な閃きで、他人と大差がつけられる分野なのにもったいない。

                     

                    料理でも、素材がよければ調理法が多少悪くても素晴らしい一皿が作れる。小論文指導は悪い素材を誤魔化す方法ばかり教えられてきた。しかし屑肉を使ったハンバーグの作り方ばかり教えても意味がないし、つなぎのパン粉とか玉葱の炒め方とかスパイスとか、枝葉末節の部分だけ指導しても、材料の悪さは隠し通せない。

                    逆に素材のいい霜降り肉なら、調理法を少々間違えても最高のステーキができる。問題はどうやったら素材のいい霜降り肉が育てられるかだ。

                     

                    要するに小論文は、試験直前に慌ててよい文章を書こうと取り繕ってもダメで、ふだんどれだけものを考え、読書をして重層的な教養を蓄えているかで決まる。霜降りの肉なんて、育てるには長期間の丹精が必要だ。

                     

                    ただ矛盾しているようだが、中学生の文章は短期間である程度上達する。

                    では、良い文章を書くにはどうするか。アイディアを捻り出すにはどうすればいいか。

                     

                    まず、斬新なアイディアを出すには、思い切って裸にならなければならない。

                    ’Don’t be shy.’「恥ずかしがるな」

                    ’Don’t hesitate.’「躊躇するな」

                    この2つのフレーズを意識しよう。いい子ぶってはならない。真面目な子を演じてはならない。生身のネタで勝負しないと、いい文章は書けない。

                     

                    では、小論文を書く上で最高のネタとは何か?

                    それは「自分の体験」だ。

                     

                    裸になって自分の体験を書けばいい。中学3年生にとって、いちばん熱く一気呵成に書けるのは自分自身のことだ。最高の素材は自分自身である。

                    ただ、手垢だらけの誰もが書く体験では、良い評価は得られない。評価されるのは「こんな体験誰もしたことがないだろう」「これを書いたら読む人は驚くだろう」という唯一無二の体験だ。試験官が小論文の採点をしていることを忘れ、文章に引き込まれるような素材だ。小論文を書くときこそ「オンリーワン」を意識したい。

                     

                    話は飛ぶが、文学賞の世界でも、オリジナリティの高い素材が受賞につながる。ミステリー作家の登竜門に「江戸川乱歩賞」という賞があるが、この賞は賞金が1000万円で、小説家志望者の憧れになっている。

                    江戸川乱歩賞を取るには傾向と対策があり、審査員がよく知らない未知の世界が舞台でなければ、なかなか受賞できない。江戸川乱歩賞の審査員は百戦錬磨の小説家で、彼らはミステリーの舞台としては定番の警察とか病院とか刑務所については精通しているから、よほど斬新な舞台を設定しないと評価されないのだ。


                    もちろん僕は、文学賞と小論文は別種の才能が求められるのは十分承知の上で言ってるのだが、素材が新鮮な文章が人を引き付けるという点では、中学生小論文もプロの小説家の文章も同じである。

                     

                    中学生の頭に浮かんだ素材が新鮮かどうか、オリジナリティが高いかどうかは、ある種の審美眼がないと中学生にはわからない。「これは面白い。新しい」「これは面白くない。よくあるタイプの文章」と指摘するのが僕の役割だ。僕の作文指導は枝葉末節の形式的な指導より、面白いか面白くないかの選定作業がメインだ。

                     

                    さて、僕の方法論や価値観を読んで、「それは小論文の書き方ではない」「小説やブログの書き方ではないか」と指摘する方もいるだろう。

                    よく小論文は作文ではないといわれる。たしかに小論文は作文ではない。小論文に「自分の体験」ばかり書くと作文になってしまう。小論文は生の自己主張の場ではなく、設問に対してズレた文章を書いてはならないのが小論文の大前提だ。設問者のツッコミに、的確なボケをかますのが基本だ。

                     

                    しかし小論文の中の作文的要素は文章にふくらみを与える。大学受験の小論文はまた別の世界だが、中学生が書く小論文には、堅苦しさの中にも書き手の個性の痕跡を、中学生らしい素直な子供っぽさを加えたい。ボケを演じながらも、したたかに自己主張する意識がほしい。
                     

                    また、小論文を書くには構成力、すなわち起承転結の技法が必要だ。そのうち「起」は話題の紹介、「結」は文章を無難に締める部分で、他人との違いをアピールできない。
                    「結」はあくまで軽い表現のほうがいい。もし小論文の最後が「これからの日本はどうなってしまうのであろうか!」などという陳腐な大言壮語で終わってしまったら、大減点されてしまう。
                    また「起」から気合をいれて、ケレン味のある書き出しで読者を一気につかむ作戦を狙ってもいいが、文章のカナメは何といっても「承」「転」の部分である。

                     

                    僕の作文指導は「承」の部分に一番こだわる。「承」は具体例で、独自のアイディアがアピールできる願ってもない空間だ。小論文の前半部で、思いっきり自分の体験を披露すればいい。文章の面白さは「承」の部分が請け負っている。

                     

                    それに対して「転」は論文の最重要部で、抽象度の高さが求められる。今度は一転して「承」の具体例を「転」で抽象化しなければならない。僕は起承転結の「転」という文字を具体から抽象に転じるという意味で解釈している。「承」で子供のように遊んで「転」で大人になるのだ。「承」で中学生らしさを、「転」で高校生の背伸びした姿をアピールすれば、コントラストの強い小論文に仕上がる。


                    「承」は感情「転」は理性、「承」は感性「転」は知性、「承」は柔らかく「転」は硬く、「承」は気さくに「転」は小難しく、「承」が普段着姿でカジュアルなら「転」で制服を着込んでフォーマルに。

                    「承」で展開した中学生個人の話を、「転」で社会とか地球とか環境とか、広い世界に解き放つ意識を持てば、良い小論文が完成する。

                    ただ中学生の小論文は「転」の抽象的な部分では差がつかない。「承」の具体的な部分、個人の思いを込めた実例の部分で勝負が決まると僕は考えている。設問に対して「私にもこんな経験がありました」と面白く反応した文章を、うちの塾生には書いてほしい。
                     

                    なんだか小論文のテクニックを否定したニュアンスの文章になってしまったが、もちろん小論文にテクニックが必要だ。僕はマクロな素材面の指導だけではなく、ミクロな技術面の指導にも怠りはないつもりだ。

                    技術面の例を一つ挙げると、対義語を使えば文章にメリハリができる。たとえば僕の今日の記事でも、「アイディア」「テクニック」、「理性」「感性」、「ボケ」「ツッコミ」、「ステーキ」「ハンバーグ」、「カジュアル」「フォーマル」といった対照的な言葉を要所要所で散りばめている。対義語を使うだけで文章は映える。

                    しかし素材が悪ければ、腕利きの書き手でも良い文章は作れない。どんな名料理人でも腐った鯛を料理できないように。

                     

                    (なお、大学受験の小論文には、決定版とも言えるべき本がある。この本の紹介はまたの機会に)




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                    音読マンセー!
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                      音読は古典的な授業法である。「サイタ サイタ サクラガ サイタ」の昔から、映画やドラマの国語の授業は「吉田、34ページから読んでみろ」といった、音読シーンが定番になっている。

                      生徒に文章を声に出して読ませることは、子供の頭の中で活字の羅列が音になって、脳内のドームに正確に響いているか、反響の度合を確かめる作業である。
                      目から入り込んだ文字情報が、脳内で音に変換され、口から声として発せられる。もし文字が意味に変換されていなければ、音読を通じて一発で確認できるのだ。

                      外国語にしても、語学力がなければ音読などできない。手も足も出ない。
                      もし私にアラビア語やロシア語を読めと命令されても、一文字たりとも解読できないし、ハングル文字は母音と子音を組み合わせた文字だから、一文字読むのに5秒〜10秒ぐらいかかり、ドイツ語は大学の第二外国語で習ったのである程度読めるが(つうかドイツ語はローマ字読みでOKだし)意味はサッパリわからない。

                      古文だって高校生に音読させてみれば、理解力の差は歴然たるもので、古文の点数が高い子は朗々と文語文が読めるが、苦手な子はスムースにはいかず「こんなんでセンター大丈夫なのか」と心胆凍らしめるくらいひどい。音読で学力はある程度測れる。

                      言語を操作する力と音読力は、ある程度比例関係にあると言ってよい。
                      それは特に小学生に顕著で、国語が苦手な子は、難しい漢字が登場すると立ち止まったり、途切れ途切れな読み方だったり、文節のつながりがおかしかったり、単語のアクセントが妙だったり、言葉(特に助詞)が抜けたり、自分勝手に読みかえたり、音読中にボロを出しまくる。

                      だから小学生の国語の授業では、音読を重視している。特に国語が苦手な子に対しては「国語の授業」=「音読の矯正」といってもいいくらい、音読漬けにする。

                      音読中、子供が漢字が読めない時は、もちろんきちんと読み方を教えるが、言葉が抜けたり自分勝手に読みかえた時は「違う!」と鋭く言い放つ。
                      塾での音読は、子供にしてみれば地雷原を踏むと言ったら大袈裟だが、マインスイーパぐらいのスリルはある。

                      いまさら当たり前のことを言うが、国語力の高い子は読むスピードが適正だ。速すぎず遅すぎず、しかも正確に読む。

                      たとえばうちの塾の中2、理知的な風貌のKさんは音読の天才だ。You Tubeで公開したいくらいうまい。声が少し低音で桜井よし子みたいな説得力があり、読み終わったあと一瞬の沈黙のあと、同級生達のため息が聞こえる。私ですら「ブラボー」と叫びたくなるぐらいだ。

                      早口で本を読む子もいるが、そんな子は雑な読み方をしているか、あるいは逆にプロレスやF1中継時代の古館伊知郎のように頭が切れるかのどちらかである。

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