猫ギターの教育論

尾道市向島の塾「US塾」塾長のブログ 早稲田大学・開成高校出身 本音が飛び交う、少し「上から目線」の教育論
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私の「日教組少年」時代
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    私が小学校教育を受けたのは広島県。

    日教組が強いところだ。

     

    被爆地なので平和教育も盛んで、部落解放同盟の勢力も強く、狭山事件を題材にした人権学習もたびたび行われていた。

     

    自分で言うのもなんだが、私は子供時代素直な真面目な少年だったので、これら日教組系「左翼」の先生から受ける教育から大きな影響を受けた。

    戦時中に教育を受けた子供が「軍国少年」だったように、私は「日教組少年」であった。

     

    小学校3年・4年の時の担任の先生は女性の方で、授業で平和学習や人権学習をたびたび行っていた。原爆や部落差別に関する映像もよく見せられたし、作文もたくさん書いた。

    大人になると、子供の頃にどんな授業を受けたのか、あまり記憶には残らないものだが、不思議なことに先生の雑談はよく覚えているものだ。私も教科学習より、強烈な映像と感傷的な筋書きと共に行われた、一種の「雑談的イベント」である平和学習や人権学習は鮮明に覚えている。

    担任の女性の先生は、部落差別で虐げられた人のことを語ると、顔が紅潮して涙した。そんな先生の姿を、純真だった小学生が忘れるわけがないのだ。

     

    私が書いた平和や人権に関する作文は、先生から絶賛された。

    私は小学校4年生の頃だったか、こんな内容の作文を書いた。

     

    僕は「はだしのゲン」を読んで、大きなショックを受けました。

    爆弾で人が殺されるなんて、想像もしていませんでした。

     

    「はだしのゲン」を読むまで、僕は戦争をよく知りませんでした。

    僕の頭の中で戦争とは、大きな運動場のようなものがあって、そこで20歳ぐらいの若い人が竹やりや大砲を持って戦うのです。運動場のまわりでは、兵隊さんのお父さんやお母さんが、笑顔で手を振りながら応援しています。

    人と人が殺しあうのですが、死体はありません。人が死んだらどうなるか、僕にはよくわかりませんでした。ゴレンジャーやマジンガーZみたいに死んでも死なないものだと思っていました。

     

    しかし「はだしのゲン」で見た本当の戦争は違いました。親や兄弟が爆弾で体を焼かれながら「熱いよう、ギギー」と死んでいくのです。死んでいなくなるのです。

    戦争がこんなに残こくなものだとは知りませんでした。

     

    僕は戦争がこわくなりました。「はだしのゲン」を読んでから、夜中にトイレに行くのがこわい時があります。もし戦争が起きて、原子爆弾が落ちて、僕や親や兄弟や友達やネコが焼かれたらいやです。

    平和は大事なものです。僕らが守らなければなりません。

     

    こういう内容の作文を書くたびに、先生の評判は良く、作文コンクールでもよく入賞した。

     

    ところが、先生のイデオロギーに対して、「おかしいな」と漠然と疑問に思ったのは、小4のとき、私が自由勉強で社会科研究を提出した時である。

    私は「自民党総裁選」に興味を持った。連日、福田首相と大平幹事長の自民党総裁予備選の様子がテレビで報道された頃の話である。

    政治家どうしの戦いは面白そうだった。テレビの情報だけでは物足りない私は新聞を読みまくった。

    政治の世界では、戦国や幕末に負けないぐらい、命のやり取りこそしないものの、ガチンコな戦いが行われている匂いがしたのである。

     

    福田赳夫・大平正芳・三木武夫・中曽根康弘など、自民党の派閥のボスの人物像も面白い。派閥の数で総裁・総理が決まるシステムも面白い。

    そして、田中角栄という人物に強い魅力を感じた。

     

    新聞もテレビも学校の先生も、田中角栄の悪口ばかり言っていた。「闇将軍」「角影内閣」などのニックネームをつけ、田中角栄はこの世の極悪人かと最初は思った。今でこそ田中角栄の実行力は評価されているが、当時田中角栄は三国志なら曹操みたいなヒール扱いで、今のどんな政治家より強く批判されていた。

     

    しかし子供の私の目からは、田中角栄の笑顔や話し方は、どう見ても悪い人には見えない。

    私は総裁予備選の分析結果に添えて「田中角栄は悪い人に見えない」という疑問を、社会科研究のコメントに素直に書いた。そしたら先生は赤ペンで

    「田中角栄は金権の悪い政治家です」みたいな言葉で、私の素朴な感想を一刀両断に切り捨てた。

     

    私は腹が立った。腹が立つと田中角栄をますます応援したくなった。怒りが湧いてくると頭からどんどん疑問が浮かんできた。どうして自民党は腐っていて田中角栄は極悪人なのに、自民党は250議席も取っていて政権を握り、先生や新聞が好きな社会党や共産党の議席は少ないのか。それが腑に落ちなかった。

     

    先生に叱られるのは嫌なので、それから政治のことは自由研究で全く書かなくなった。

     

    だからといって私は「日教組教育」の呪縛から放たれたわけでなく、中学になったら今度は、朝日新聞記者である本多勝一の本の虜になった。

    中学校の国語の先生から「アメリカ合州国」と「ニューギニア高地人」を読むように薦められ、読んだらたいへん面白かったので、「カナダ・エスキモー」「アラビア遊牧民」「戦場の村」「子供たちの復讐」「貧困なる精神」などを片端から読んだ。

    中でも衝撃だったのは「中国の旅」で、ここには南京大虐殺や、生物兵器開発のために中国人の人体実験を行った731部隊のことについて書かれていた。これを100%真に受けた私は、どうやったら中国の人たちに対して心からお詫びできるのか、このままでは中国に復讐されて当然だという悩みを持つようになった。

     

    そういうわけで、小学校の先生の影響と、本多勝一の洗脳によって、私は立派な「日教組少年」になった。

    戦前の教育を受けた「軍国少年」の洗脳が解けたのは敗戦だったが、私もまた「日教組少年」の呪縛が解けた瞬間があった。

    子供の頃に、あまりにも偏ったイデオロギーを叩き込まれたら反動は大きい。

     

     

    | 政治経済 | 12:53 | - | - | ↑PAGE TOP
    愛国心の評価に反論
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      愛国心論争が盛んであるが、どうやら小学校の通知表で愛国心が評価される事態が起こったらしい。
      愛国心を評価する側は、一体何を基準に子供の愛国心を評価するのだろう?

      学校現場で、教え子達の愛国心を「一郎君はA、瑞穂さんはC」と評価できる人がいるのだろうか?
      もし私が誰かの命令で、塾生の愛国心をABCで評価しろといわれたら途方に暮れてしまう。

      作文を書かせてみて「僕は国を愛しています。僕の命より国の方が大事です」と書いたらAで、「私は国より自分が大事です」と書いたらCなのか?
      サッカー日本代表を熱狂的に応援する子がAで、サッカーに興味がなくて裏番組のスマスマを見た子はCなのか?
      読書感想文で「はだしのゲン」を選んだらCなのか?

      とにかく、愛国心を判定する基準がつかめない。

      果たして愛国心の有無を基準に生徒を評価する小学校の先生は愛国者なのか?
      愛国心を判定する資格はあるのか?
      公共教育機関の教師が、愛国心という胡散臭い基準で生徒を評価する時の「よすが」になるのは、「国家の権威」という甚だ邪悪なものではないのか?
      国家の代表者小泉首相ですら、通知表での愛国心評価を好ましくないと見なしている。

      戦前、学校教育では、国家への愛を死をもって示せという極端な教育が罷り通っていた。愛国心の究極形は国のために死ぬことだと子供は洗脳された。そんなカルトな愛国心の強制が亡国の危機を生んだ。

      戦後は逆に愛国心強制の反動から、左翼教育が日本中の津々浦々に蔓延し、愛国心という言葉は必要以上に忌み嫌われた。

      戦前は愛国心が絶対的に肯定され、戦後は絶対的に否定された。愛国心をめぐっての強制とその反動が繰り返された。

      子供のときに強制された思想は、大人になって必ず反発を食らう。
      たとえば、我々が子どもの頃は、日教組教育が全盛期だった。
      もし日教組の思想信条が適切なもので、子供の心を虜にするものだったら、今頃社会党や共産党は政権を握っていただろう。歴史は変わり、土井たか子や不破哲三が歴代首相として名を連ねていただろう。

      社会党や共産党が泡沫政党になったのも、我々日教組教育を浴びた世代の多くが、左翼的な思想信条をジワジワ強制されたことに反発を感じたからに他ならない。

      いままた愛国心を強制することは、10年後20年後の成長した子供に、再び愛国心アレルギーを感じさせるだろう。過度の強制は反動を起こす。
      私は右翼でも左翼でもないが、教育現場での思想信条の強制には頭を痛める。教育現場を軽やかさのない閉塞的な雰囲気にしてはならない。

      とにかく、もうやめようよ。「愛」なんてものを強制するのは。


      | 政治経済 | 23:14 | - | - | ↑PAGE TOP
      社民党・共産党凋落の理由
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        去年7月の参議院通常選挙で、共産党は4議席、社民党は2議席と大きく議席を減らした。
        共産党は6年前の選挙では無党派層の票を巻き込んで15議席と大勝したが、今回は議席数が3分の1になった。また社民党は旧社会党時代の土井たか子全盛期にはマドンナブームで46議席を得たが、その後22→16→5→3→2と議席数が激減している。(あのマドンナブームで当選したオバサンたちは、今どうしているのだろう?)

        ただ、参議院選挙で共産党が比例区で得た得票は4,362,574票、社民党は2,990,665票にものぼる。現行の選挙制度では衆議院参議院ともに小政党には不利な制度になっているから議席数は惨憺たるモノになっているが、実はまだ共産社民あわせて740万人の有権者が支持しているのである。この数は東京23区と横浜市の有権者の合計に匹敵する数字である。「少数党」と呼ぶには、支持者の数はあまりにも多い。議席数ほどには、両党の支持者は減っていないのである。

        しかし全盛期に比べると、共産党と社民党は「凋落」という言葉がふさわしいほど勢いがないのは、厳然たる事実である。
        それにしてもどうして、共産党や社民党は古くからの支持者を失い、若い人からそっぽを向かれるのだろうか?

        確かに90年代以降、両党には「国際情勢」というハンデがあった。冷戦が終わって後ろ盾としていたソ連が崩壊し、頼りにしていた中国も毛沢東からトウ小平に指導者が代わりストイックな原理共産主義の国から経済本位の「商売人」の国へ衣替えした。
        また依然としてお隣には北朝鮮があり、共産党や社会党が政権を取っていたら日本もあんな国になっていたという、絶好なショーウィンドウの役割を果たしている。
        社会主義国家の成れの果ての姿を、北朝鮮があんなにわかりやすい形で曝してしまえば、共産党や社民党の党勢拡大は困難である。

        しかしそれだけでは、共産党や社民党の凋落の原因は説明できない。
        現にイギリス労働党やドイツの社民党は政権の座にあるし、またフランスでは80年代から90年代にかけて、先進諸国がレーガンやサッチャーや中曽根など「新保守主義」の政治家が政権を握っている状況に逆行して、社会党のミッテランが大統領を14年間も続けてきた。
        だから社民党も共産党も、もしかしたら冷戦下うまく立ち回って国民の支持を集め続けることだってできたのである。

        私は社民両党の凋落の原因の一つは、彼らが「戦争反対」とか「護憲」といった、手垢のついた「正義」のスローガンを有権者に押し付け過ぎて、人々の心を打つ言葉を生み出すことを怠ってきたからだと思う。

        ところで、小泉首相も国民の心に響く言葉の探求を怠ってきた人である。小泉首相は「改革なくして成長なし」「自民党をぶっ壊す」という「ワンフレーズ・ポリティクス」で大きな支持を得てきたが、自民党をぶっ壊す政権獲得から3年たった今では鮮度を失ってしまった。
        ワンフレーズの格好いいスローガンは、はじめのうちは新鮮で人の心を打つが、やがて輝きをなくし、そのうちに人の心を打たない「手垢のついた言葉」に成り下がる。

        野党はそんな首相の言葉の空疎さを槍玉に挙げて攻撃している。しかし、共産党や社民党は小泉氏の「ワンフレーズ・ポリティクス」を批判することはできない。なぜなら「ワンフレーズ・ポリティクス」の元祖は、実は社民・共産両党だからである。
        彼らは半世紀にわたって「戦争反対」「改憲反対」といった同じ言葉をしつこく繰り返してきた。3年どころか50年も60年にもわたって、「ワン・フレーズ・ポリティクス」を続けているのだ。
        小泉首相の「改革なくして成長なし」とか「自民党をぶっ壊す」というフレーズを「戦争反対」「護憲」「安保反対」に置き換えて欲しい。短いスローガンを連呼するのは、なにも小泉首相だけではないのだ。共産党や社民党の方がはるかに年季が入っている。
        共産党や社民党の凋落は、小泉内閣の支持率減少と同じく、言葉の創造力が欠如した「ワンフレーズ・ポリティクス」に原因があるのだ。

        誤解しないでいただきたいのは、私は「戦争反対」「平和を守ろう」という言葉の内容に異を唱えているわけではない。共産党や社民党の政策の語り方に対して注文をつけているのだ。
        「戦争反対」「平和を守ろう」というスローガンは、太平洋戦争終了直後の、長く激しい戦争で疲弊した国民の前では、大いに効果的だったろう。あの戦争がどんなに人々を苦しめたか、想像に余りある。

        戦時中の人々は、空を見上げれば爆弾が落ちてくる恐怖を感じ、今日の晩ご飯の食料確保に頭を悩まし、外地で兵隊として死の危機にさらされ、残された人は家に郵便や電報の配達人が来るたび肉親の死の報告じゃないかとハラハラし、親と子は疎開で離れ離れの生活を余儀なくされ、疎開で田舎の生活を送っている子は、いつ自分の家が空襲で破壊されるか親の生死を案じ、とにかく誰もが心を休めることなく、絶えず緊張しながら生活していた。

        そんな悪夢のような戦時下から解放されたばかりの日本人にとって、社会主義政党が叫ぶ「戦争反対」「平和主義」のスローガンは、乾いた砂漠で出会った、噴水のように人々を安心させ、かつ熱狂させた。
        しかし平和ボケした我々は違う。悲しいかな我々は「戦争反対」のスローガンだけでは心が動かされなくなった。街でよく見かける、白地に黒の毛筆体で書かれた「世界人類が平和でありますように」の文字を見て、果たしてどれだけの人間が平和への想いを新たにするだろうか?

        社民党・共産党の人たちは、戦争直後と同じ言葉で、同じ感覚で有権者に訴え続けている。彼らは自分たちの言葉が「正義」であることに安住して、有権者の心を打つ言葉の開発を怠ってきた。それが彼らの敗因である。
        彼らが心の底から戦争反対を願い、戦争に対して恐怖を感じ、戦争で虐げられた人の気持ちを想像できたなら、もっと生きた言葉で、聞く人を感動させる言葉で、平和について語ることができたのではないか? 平和に安住している人間を戦争の地平まで引きずりおろすリアルな言葉で説得していたら、今のような惨状に堕ちなかったのではないか?

        確かに「戦争反対」の言葉に一番有難みを感じるのは戦火の中である。今の日本みたいな太平の世の中で戦争の痛ましさを伝えることがいかに難しいか、それは私にもわかる。
        ただ今のような芸のない「戦争反対」「護憲」の無邪気な連呼から、社民党や共産党は一歩踏み出すべきなのだ。

        社会党・共産党は日教組を通じて、50年もの長い間いわゆる「左寄り」の教育を子供に与えてきた。もし彼らの「刷り込み」が成功したならば、子供たちが大人になった時に社会党や共産党にどんどん投票して、今では社会党と共産党の立派な政権が誕生していたことだろう。
        なぜそうならなかったのか、もう一度考え直して欲しい。
        | 政治経済 | 19:39 | - | - | ↑PAGE TOP
        2世議員はなぜ好かれるか?
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          世襲議員の増加が、ますます加速度を増している。小選挙区制の影響が大きいのだろう。
          1つの選挙区に定員1人というのは、無名の新人候補にとって荷が重い。特に地方ではそうだ。

          新人が小選挙区で立候補するなら、何年も連続して当選しているベテラン候補に勝つ必要がある。
          たとえばもし、私が自分の生まれ故郷から国会議員になりたくて、小選挙区で立候補するなら、亀井静香に勝たなければならない。
          神奈川で小泉純一郎、岩手で小沢一郎、東京で菅直人に、小選挙区で勝てそうだと思う人はいないだろう。政治家になろう、という目標を持つ人は少なくなる。


          そして選挙では最強のベテラン候補が引退しても、その地盤は息子や血縁者にそっくり引き継がれる。小選挙区の代議士は世襲で大名化している。
          小選挙区はまるで、江戸時代の藩のようになりつつある。小選挙区の数は300、江戸時代の大名・藩の数は約260、数もよく似ている。

          ましてや政治家一族が、長男だけでなく次男も、これまた三男も、ついでに甥もと、一族総出で政治家になったら、ますます政治家の世襲振りは加速する。

          こんな状況に対して強い世襲批判が沸き起こっている。しかし、2世・3世議員の増加は、実は国民感情とフィットしているんじゃないかと、最近思うようになってきた。
          有権者にとって、たたき上げの性格のエグい議員よりも、スマートな2世・3世議員の方が選びやすいのではないんじゃないかと。

          無名の人間が国会議員まで登りつめるのは、並大抵の苦労じゃできないだろう。いろいろ手も汚さなければならない。悪いこともしなければならない。登りつめたときには、世知に長け顔面も醜悪になり、年もとってしまう。
          有権者の側から見れば「何この偉そうで不気味な親父」ということになってしまう。
          山崎拓・野中広務・古賀誠・亀井静香・鈴木宗男・青木幹夫・・・
          抵抗勢力と呼ばれている人たちはたたき上げが多く、皆さん揃ってすこぶる評判が悪く、国民的人気が無い。

          逆に世襲議員は清新さでアピールできる。国会議員になるために裏で悪事を重ねて、這い上がる経験をしなくていいから、どこか世間知らずの部分が残る。そんなお坊ちゃん的なところが、有権者には「新しい清潔な政治家」という具合に映る。

          ジャスコの御曹司、岡田克也氏が良い例だろう。あの人は別に自分が手を汚さなくても、お父さんがオーナーのジャスコをバックに資金力は豊富で、純粋培養のまま永田町を渡り歩くことができた。

          それから、世襲議員のほとんどは先天的な能力が優れているかというとそうじゃない。「普通の人」だ。そして普通の人だから逆に国民に親近感を持たれ愛される。

          また永田町内での出世は早い。祖父や父の死で20代・30台から代議士になっているから、40代ぐらいで大臣に就任できて、若いうちから政治の表舞台に立てる利点もある。小沢一郎や安倍晋三は40代で自民党NO2の幹事長に就任した。

          さらに先祖代々から続く選挙区の固い地盤のおかげで、選挙の心配をしなくていいから、地元に帰る回数も少なくてすんで、国政に全力投球することができる。
          たたき上げの議員が選挙区で有権者のお爺さんお婆さんを相手にしているときに、世襲議員は霞ヶ関の役人と親交を深めることができて、それが永田町内での出世につながる。

          そんあわけで、無名の士が政治家に登りつめるには、悪の道をひたすら歩くか、ポピュリスト的な振る舞いで国民世論に訴えかけるしかない状況だ。
          無名で能力が高い若者が政治家に登りつめるためには、昔は官僚になることが良いとされてきた。しかし官僚上がりの政治家は、これまた評判が悪い。

          | 政治経済 | 13:53 | - | - | ↑PAGE TOP
          平成の松平定信・岡田克也
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            最近民主党代表の岡田克也氏の評判がいい。年金問題で菅直人が失脚し小沢一郎が代表を辞退して民主党が混乱を極めていた当時は、岡田氏では代表として役不足だと僕は思っていた。民主党代表は田中真紀子がいいなどとふざけた意見を述べたぐらいだ。

            しかし岡田氏の露出が増え、その人となりが明らかになるにつれ、民主党の支持率も上昇している。今日の朝刊を見ると新聞各紙軒並み「民主党が改選議席で自民党を上回る」との予測が一面を飾っていた。
            確かに国政選挙前には無党派層が「にわか民主党支持者」になる傾向があるとはいえ、今回の参議院選挙では無党派層の民主党に対する食いつきが非常にいいような気がする。これには岡田代表の功績もあるのだろう。

            岡田代表にはこんな話がある。
            まだ代表にも幹事長にも就任していない当時、民主党の他の代議士と一緒に飛行機で出張に出かけた時、その代議士が民主党の党費で買った航空券に自分のマイレージを登録しようとしたところ、「それはいかがなものか」と真顔でたしなめたというのだ。
            確かに岡田氏は洒落が通じそうもない頑固者で原理主義者の雰囲気がある。酒場でワイワイ飲んでいて、周囲の人間が猥談でも始めたら、牛のように表情を変えずに「そういう話はいかがなものか」と怒られそうな感じがする。

            そんな岡田氏の愚直なまでの清廉さは、政権交代の受け皿である党の代表としては適任なのかどうかまだ良くわからない部分がある。彼の理想主義的な清潔さを押し通す態度は50年体制時代の社会党委員長ならいいのかもしれないが、首相としてはどうかなという疑問が僕にはある。
            ただ、岡田氏の融通のきかない周囲に迎合しない性格は、首相に就任したら一途な政策推進力に変貌しそうな予感もする。

            岡田克也代表は
            松平定信に似ている。松平定信は若くして江戸幕府の老中首座として、腐敗した幕政を子供のような潔癖さで糺した人物である。日本の歴史上でも屈指の「清潔」な政治家である。岡田氏と松平定信は、愚直なまでの清廉さという共有点を持つ。
            岡田氏も松平定信は「お坊っちゃん」であるという点でも似ている。岡田氏はご承知の通りジャスコの御曹司であり、松平定信は8代将軍吉宗の孫である。政治の世界の清廉さとは、実は育ちの良さと表裏一体の関係であるのだ。

            それはともかく、岡田氏の松平定信をほうふつとさせる清廉さは、今回の参議院選挙で武器になるのだろうか?
            松平定信の清廉さが一番生きてくるのは、横に
            田沼意次のような「汚れた」政治家がいる場合である。

            田沼意次とは松平定信によって実権を奪われた老中で、公共事業を積極的に推進し株仲間を奨励して多額の賄賂を受け取ったと悪評の高い、きわめて「自民党的」な政治家である。
            田沼意次にはこんなエピソードがある。ある商人が便宜を図ってくれたお礼に、田沼意次に「京人形でございます」とブラウン管TVぐらいの巨大な箱を進呈した。田沼がその箱を開けると、本物の京都の舞妓さんが出てきた、というのだ。

            自民党の総裁が森喜朗や青木幹雄のような田沼的「汚れた」政治家だったら、強い清濁のコントラストが生まれ、「清潔」な岡田氏の存在感も増すだろう。しかし相手は小泉首相である。
            小泉氏も岡田氏と同系の「清潔」な政治家である。脂ぎった永田町の妖怪的な雰囲気は一切ない。小泉氏はお中元やお歳暮は一切受け取らず、家に来たら全て送り返すそうである。そんなところも岡田氏と小泉氏は良く似ている。2人とも金の話どころか艶福な話も聞かない。小泉首相も松平定信的な政治家なのだ。小泉氏が「清潔」なままだったら、同じ系統の政治家が2人並ぶわけで、岡田氏の出る幕はなかっただろう。

            しかし、年金問題で風向きが全く変わってしまった。小泉首相の「人生いろいろ、会社もいろいろ」発言がターニングポイントになったような気がする。ここ1ヶ月で小泉首相は、松平定信から田沼意次へと変貌してしまったようだ。
            こんな状況になると、岡田氏は小泉首相の「汚れた」政治に対するアンチテーゼとして、その清潔さを武器に存在感を増してくるだろう。

            今回の選挙、民主党の勝利の匂いがプンプンする。
            | 政治経済 | 02:14 | - | - | ↑PAGE TOP
            雅子さんと君が代
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              雅子さんが心の病を患っているそうだ。
              情報がないからはっきりした原因は知らない。しかし、雅子さんの病の最大の原因はおそらく男の子の世継ぎが産めない事だろう。結婚してすぐにでも男の子が産まれていればこんな事態にはならなかったはず。

              愛子さんの立場も宙ぶらりんである。天皇になる人なのかそうじゃないのか、いまだにはっきりしない。
              雅子さんがこの状態で、しかも出産を続けるにはかなり高齢で、現在のままでは男の子が生まれる確率はかなり低い。愛子さんのポジションは今のうちにきちんとしておかないといけない。そんな政治的な決断の遅さも雅子さんを苦しめている。

              それにしても雅子さんの状況はあまりにも痛々しい。僕は女性じゃないからわからないが、子供を生まなければならないというプレッシャーは相当なものだと思う。雅子さんは一向に男の子が産まれる気配がない自分の下腹部に意識が集中し過ぎて、体のバランスを崩し精神を病んでしまうのも当然である。

              「子供を産め」という無言の圧力が雅子さんを苦しめている。いや宮内庁のトップに至っては、「秋篠宮殿下に第3児を」という意地悪な会見で、無神経にも正直な気持ちを口に出してしまったのだ。無言の圧力どころか、よりによって側近の者が雅子さんの悩みを「言葉」で深くしてしまった。

              ところで、雅子さんに子供を産めと暗にプレッシャーをかける、悪魔のような歌が存在する。

              それは他ならぬあの「君が代」である。

              「君が代は、千代に八千代に、さざれ石の、いわおとなりて、こけのむすまで」と、歌詞の最初から最後まで「君が代」は天皇の継続性についての歌なのだ。日本の国歌は天皇家の権勢や威光の歌ではなく、また天皇の人格を褒め称える歌でもない。ただ天皇制よ千年八千年つづけー、血を絶やすなーと言っているだけなのだ。

              「君が代」は天皇制の継続性、すなわち天皇家の血統が未来永劫絶えないことこそが、天皇の威のよすがであると歌っているのだ。天皇は偉いことよりも、優しいことよりも、血が続くことが最優先なんだよと「君が代」は言っている。

              ということは「君が代」は雅子さんに対して「千年も八千年も天皇制が続くように、丈夫な男の子をたくさん産みなさい」というメッセージを発しているわけである。ここまで血統にこだわる歌は、世界広しといえどもあまり例がないのではなかろうか。結果的に君が代は「産めよ増やせよ」と歌で雅子さんを脅迫しているのだ。「君が代」は宮内庁長官の発言よりも遥かにひどい思う。

              だから君が代を学校でちゃんと歌えと強制する文部科学省の役人たちは、雅子さんに対して残酷極まりない行為をしていることになる。子供が産めない人の気持ちを察してあげようとはしないで、ひたすら小学校・中学校・高等学校の生徒達に君が代を歌わせることで、「いわおに苔が生えるまで天皇制は続く予定だったのに、あんたが男の子を産まないと、君が代はあんたの代で終わってしまう。万世一系の血筋を途切れさせてはならぬ。」と雅子さんにプレッシャーを与えているのだ。

              しかも学校行事での「君が代」の歌わせ方はひどい。誰も大きな声を張り上げて君が代を歌っている人間などいない。みなボソボソと誰にも聞こえないような、けだるそうな小声で

              「き〜み〜が〜あ〜よ〜お〜わ〜、ち〜よ〜に〜いい、や〜ち〜よ〜に」 

              と唇をかすかに震わせるだけ。そんなボソボソした歌が何十人何百人の合唱になると、まるで大量の亡霊のうめき声みたいな不気味な歌になる。そんな気味の悪い歌い方で「天皇の世の中は千年・八千年です。子供産め〜」と雅子さんを苦しめるのだ。何でそこまでして「君が代」を歌わなければならんのか。

              「君が代」は皇室を讃える歌なのだろうが、結果として次期皇后の雅子さんに重荷を与えてしまってる。本当に皇室のことを思い、雅子さんに余計なプレッシャーをかけたくなければ、君が代は自粛すべきだ。
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