日教組が強いところだ。
被爆地なので平和教育も盛んで、部落解放同盟の勢力も強く、狭山事件を題材にした人権学習もたびたび行われていた。
自分で言うのもなんだが、私は子供時代素直な真面目な少年だったので、これら日教組系「左翼」の先生から受ける教育から大きな影響を受けた。
戦時中に教育を受けた子供が「軍国少年」だったように、私は「日教組少年」であった。
小学校3年・4年の時の担任の先生は女性の方で、授業で平和学習や人権学習をたびたび行っていた。原爆や部落差別に関する映像もよく見せられたし、作文もたくさん書いた。
大人になると、子供の頃にどんな授業を受けたのか、あまり記憶には残らないものだが、不思議なことに先生の雑談はよく覚えているものだ。私も教科学習より、強烈な映像と感傷的な筋書きと共に行われた、一種の「雑談的イベント」である平和学習や人権学習は鮮明に覚えている。
担任の女性の先生は、部落差別で虐げられた人のことを語ると、顔が紅潮して涙した。そんな先生の姿を、純真だった小学生が忘れるわけがないのだ。
私が書いた平和や人権に関する作文は、先生から絶賛された。
私は小学校4年生の頃だったか、こんな内容の作文を書いた。
僕は「はだしのゲン」を読んで、大きなショックを受けました。
爆弾で人が殺されるなんて、想像もしていませんでした。
「はだしのゲン」を読むまで、僕は戦争をよく知りませんでした。
僕の頭の中で戦争とは、大きな運動場のようなものがあって、そこで20歳ぐらいの若い人が竹やりや大砲を持って戦うのです。運動場のまわりでは、兵隊さんのお父さんやお母さんが、笑顔で手を振りながら応援しています。
人と人が殺しあうのですが、死体はありません。人が死んだらどうなるか、僕にはよくわかりませんでした。ゴレンジャーやマジンガーZみたいに死んでも死なないものだと思っていました。
しかし「はだしのゲン」で見た本当の戦争は違いました。親や兄弟が爆弾で体を焼かれながら「熱いよう、ギギー」と死んでいくのです。死んでいなくなるのです。
戦争がこんなに残こくなものだとは知りませんでした。
僕は戦争がこわくなりました。「はだしのゲン」を読んでから、夜中にトイレに行くのがこわい時があります。もし戦争が起きて、原子爆弾が落ちて、僕や親や兄弟や友達やネコが焼かれたらいやです。
平和は大事なものです。僕らが守らなければなりません。
こういう内容の作文を書くたびに、先生の評判は良く、作文コンクールでもよく入賞した。
ところが、先生のイデオロギーに対して、「おかしいな」と漠然と疑問に思ったのは、小4のとき、私が自由勉強で社会科研究を提出した時である。
私は「自民党総裁選」に興味を持った。連日、福田首相と大平幹事長の自民党総裁予備選の様子がテレビで報道された頃の話である。
政治家どうしの戦いは面白そうだった。テレビの情報だけでは物足りない私は新聞を読みまくった。
政治の世界では、戦国や幕末に負けないぐらい、命のやり取りこそしないものの、ガチンコな戦いが行われている匂いがしたのである。
福田赳夫・大平正芳・三木武夫・中曽根康弘など、自民党の派閥のボスの人物像も面白い。派閥の数で総裁・総理が決まるシステムも面白い。
そして、田中角栄という人物に強い魅力を感じた。
新聞もテレビも学校の先生も、田中角栄の悪口ばかり言っていた。「闇将軍」「角影内閣」などのニックネームをつけ、田中角栄はこの世の極悪人かと最初は思った。今でこそ田中角栄の実行力は評価されているが、当時田中角栄は三国志なら曹操みたいなヒール扱いで、今のどんな政治家より強く批判されていた。
しかし子供の私の目からは、田中角栄の笑顔や話し方は、どう見ても悪い人には見えない。
私は総裁予備選の分析結果に添えて「田中角栄は悪い人に見えない」という疑問を、社会科研究のコメントに素直に書いた。そしたら先生は赤ペンで
「田中角栄は金権の悪い政治家です」みたいな言葉で、私の素朴な感想を一刀両断に切り捨てた。
私は腹が立った。腹が立つと田中角栄をますます応援したくなった。怒りが湧いてくると頭からどんどん疑問が浮かんできた。どうして自民党は腐っていて田中角栄は極悪人なのに、自民党は250議席も取っていて政権を握り、先生や新聞が好きな社会党や共産党の議席は少ないのか。それが腑に落ちなかった。
先生に叱られるのは嫌なので、それから政治のことは自由研究で全く書かなくなった。
だからといって私は「日教組教育」の呪縛から放たれたわけでなく、中学になったら今度は、朝日新聞記者である本多勝一の本の虜になった。
中学校の国語の先生から「アメリカ合州国」と「ニューギニア高地人」を読むように薦められ、読んだらたいへん面白かったので、「カナダ・エスキモー」「アラビア遊牧民」「戦場の村」「子供たちの復讐」「貧困なる精神」などを片端から読んだ。
中でも衝撃だったのは「中国の旅」で、ここには南京大虐殺や、生物兵器開発のために中国人の人体実験を行った731部隊のことについて書かれていた。これを100%真に受けた私は、どうやったら中国の人たちに対して心からお詫びできるのか、このままでは中国に復讐されて当然だという悩みを持つようになった。
そういうわけで、小学校の先生の影響と、本多勝一の洗脳によって、私は立派な「日教組少年」になった。
戦前の教育を受けた「軍国少年」の洗脳が解けたのは敗戦だったが、私もまた「日教組少年」の呪縛が解けた瞬間があった。
子供の頃に、あまりにも偏ったイデオロギーを叩き込まれたら反動は大きい。