猫ギターの教育論

尾道市向島の塾「US塾」塾長のブログ 早稲田大学・開成高校出身 本音が飛び交う、少し「上から目線」の教育論
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カープが弱くなった理由
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    カープが1991年から25年間優勝できなかった理由は、新人選手の逆指名制度とFA制にある。

    1980年台後半から、カープを取りまく雲行きが怪しくなった。プロ野球界のシステムが変わって、どうやらこれまでのようにカープは勝てないかもしれないという嫌な予感がした。

     

    80年代後半、巨人と西武を中心に1リーグ制が噂にのぼった。人気球団の巨人と、当時圧倒的に強かった西武が組んで、1リーグ10チームにし、観客動員の少ないチームを排除する動きが新聞をにぎわせた。巨人の渡邉恒雄は政界マスコミに強い影響力を持ち、西武の堤義明は世界最高の金持ちと言われた時代、この最強の2人がタッグを組んだのである。

     

    カープは毎年のように優勝争いに絡み一定の成績はおさめていたものの、勝ちに慣れたファンは球場に足を運ばず、観客動員は上昇せず資金力は脆弱で、1リーグに再編成された日本プロ野球界から排除される可能性があった。スポーツ新聞には1リーグに加入できない可能性がある球団として、広島やロッテや日本ハムの名前が挙げられた。

     

    結局、1リーグ制は掛け声だけで終わったが、代わって逆指名制度とFAという、巨人のような資金力の強い球団に有利なシステムが導入された。

    アマチュア時代に活躍した選手が即戦力として巨人にごっそり引き抜かれ、その結果カープの無名の選手を育てて鍛えるという地道な方法は通用しなくなり、弱体化する危惧を持った。

    だが、私の悲観的な想像よりはるかにカープは弱くなってしまった。まさか25年間優勝できないなんて夢にも思わなかった。

     

    巨人はFAで主力選手を手当たり次第に獲得した。中日から落合、西武から清原、ヤクルトから広沢、横浜から村田、ダイエーから小久保や工藤、そしてカープからは江藤や川口を取った。他球団で活躍した外国人選手、ペタジーニやラミレスや李承などもジャイアンツの一員になった。これでは他球団は勝負にならない。

    逆指名制度でも、大学生・社会人の有力選手を巨人が豊富な資金力をバックに獲得した。1993年から2006年までの逆指名制度で、上原・高橋由伸・仁志・二岡・阿部・内海などを入団させた。21世紀に入ってからの巨人の強さは、巨人有利な制度がバックにあったからである。

     

    不公正な制度の中で、カープはアマチュア時代の実績が乏しい選手を入団させることしかできなかった。

    だがカープにも家貧しくして孝行息子が出て、入団早々に大活躍する選手たちがいた。しかし悲しいことに、層の薄いカープ投手陣でイキのいい新人が出現すれば、たちまち登板過多になり肩やヒジを痛め、投手生命を縮めてしまった。小林幹英・沢崎・山内・河内・苫米地などの有望な選手が、酷使され特攻隊のように散ってしまった。彼らは広島でコーチや球団職員、また地元放送局の解説者として活躍しているが、酷使がなかったら別の人生があったのにと思う。

    これだけカープの若手投手が酷使され潰されたら、アマチュア球界の有望選手を抱える監督は、大事な教え子に広島カープへの入団を勧めないだろう。「カープへ入団したら潰されるぞ」と言って指名を忌避させる。

     

    さらに、カープは家族的経営と資金力不足がたたり、外部の人材を導入しなかった。

    ヤクルトは野村克也、阪神は星野仙一、中日は落合博満という外様監督に指揮を預け強くなった。(落合は中日OBだが、彼の性格はどんな組織でも外様的である)。

    弱小チームが強くなるには、勝ち方を知っている外部からの輸血が絶対に必要なのだ。新鮮な血液が入ることなく、血が濃すぎるカープが低迷するのは当然のことといえた。

     

    カープファンもオーナーも、「カープが優勝できるか?」という高い望みは現実的ではなく、「カープは存続できるか?」という心配を抱えていた。

    だからこそ今回のカープの優勝は、まさに「夢のまた夢」で、歓喜もひとしおなのである。

    | 野球スポーツ | 22:02 | - | - | ↑PAGE TOP
    カープ優勝。MVPは誰か?
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      カープが25年ぶりに優勝する。MVPはいったい誰だろうか。

      今季こそ飛びぬけた成績は記録していないので、記者投票のMVPには選ばれないだろうが、カープ優勝の最大の功労者は、黒田である。

      黒田はカープをいったん離れて、メジャーで経験を積み勝つ意識を身体で浴び、選手に強い影響を与えている。カープに対する主観的な情愛と、外部から冷静にカープを眺める客観的な視点を合わせた、内部であり外部である稀有な存在である、黒田こそがカープを変えた。

       

      また、黒田復帰はファンのカープ愛を強めた。

      カープファンはFA制度以降、現役で活躍中の選手に対し、心のどこかで「こいつはFAで巨人や阪神に行くんだろうな」と冷めた目で見ていた。応援しすぎて裏切られるのが怖かった。広島市民球場末期には、江藤や金本のようにチームを去っていくのかとファンは疑心暗鬼になっていた。

      だがメジャーでの20億円のオファーを蹴った黒田の復帰によって、選手もファンと同じようにカープを愛していることがわかった。裏切りを怖がらずに、思う存分カープを応援できる。そんな、かつて津田に感情移入したような熱烈な選手愛を呼び戻してくれたのが黒田だった。

       

      そして新井。新井は前回のカープ時代と阪神時代を通して、勝負弱いバッターだというイメージがあった。変化球が打てず、負け試合での焼け石に水のホームランと、ダメ押しホームランなど、どうでもいい場面で打点を稼ぐ印象があった。

      ところが復帰後の「新井さん」は勝負強いバッターに変身していた。

      新井が復帰する時、私は代打要員だと考えていた。年齢も40近いし、試合に出れなくても練習姿勢で若手を覚醒していく役割を求められていたと思ったら、何と試合にバリバリ出て2年目の今年は打点王を狙える活躍である。これには驚いた。MVP候補の一人である。

      新井が阪神に行った時、正直私は「地獄に堕ちろ」と思った。こんなことになるなんて夢のようだ。

       

      鈴木誠也は一瞬でスターになった。

      「ミスター赤ヘル」の称号は山本浩二以来空席のままだが、鈴木誠也がこのまま伸びれば2~3年後は4番に座り「新ミスター赤ヘル」と呼ばれるだろう。

      彼の凄いところは、ソフトバンクの内川とオフに自主トレしたことだ。内川はプロ野球きっての右打者であり、常勝ソフトバンクの4番である。トップ選手の懐に飛び込み、教えを請いながらともに寝食を共にする行動力は素晴らしい。

      また内川も鈴木に可愛気と将来性を感じなければ、共に行動したりはしないはずである。内川も鈴木から刺激を受けられると判断したからこそ、懐に快く飛び込ませたわけだ。

       

      キャッチャーの石原の存在感は大きい。カープ打線の中で、1割台の石原の打率は異彩を放つ(最近は2割台に乗ったが)。

      40近い年齢で、肩もさほど強くないのに正捕手の座を守り続ける。バッティングのいい若手の會沢が台頭し、ふつうならレギュラーの座を譲るのが自然な成り行きだが、石原は老獪にマウンドを死守する。

      経験に裏打ちされたリードと、確実性のあるキャッチングには定評があり、ジョンソンからも「できれば彼に受けてもらいたい」と言われ投手陣からの評価も高い。野村復活も石原の功績が大きい。

      石原が頭に死球を受け登録抹消された8月には、巨人に4.5ゲーム差まで追い上げられ、石原の存在をファンも再認識した。

      阪神は現在、若手捕手の試用期間中で、金本監督は「捨てシーズン」と言っていいぐらい勝負を度外視し若手を育てている気がするが、もし阪神の捕手が石原だったら、藤浪晋太郎もあれだけ苦労することはないのにと思う。

      石原は渋いオッサンで、お父さん的なルックスだが、球場や街では石原の31番のユニフォームを着たカープ女子を結構目にする。菊池や大瀬良のユニフォームを着た人たちを尻目に「私はアナタ達とは違うのよ」という意気を感じる。

       

      地味ながら活躍が目覚ましいのは安部である。

      安部は堂林と3塁の激しいレギュラー争いをして、現在のところ勝っている。以前、堂林は野村謙二郎監督から「贔屓」され不振でも3塁のポジションから外されなかった。野村監督の現役時代の背番号7ももらった。

      またカープファンは堂林が大好きで、罵声でも堂林に対する期待と愛情が入り混じる。マスコミからも数多く取り上げられ、ルックス面でも神様に愛されている。

      カープファンは堂林が登場してから、彼が将来主力バッターになり、カープを優勝に導くという将来のストーリーを無意識に作りあげた。堂林にはスターのオーラがあった。安部はそんなストーリーやオーラに屈することなく、堂林の成長物語をぶち壊した。

      安部のライバルは堂林だけではない。内野はどこでもこなす安部は当初2塁だったが、セカンドの座はあの菊池に奪われた。ショートは田中広輔がポジションを手にした。おまけに今期は3塁にルナが加入した。こういう状況下でレギュラーに近づいた安部の精神力はただ事ではない。

       

      私が個人的に推すMVPは、菊池涼介である。

      かつて中日のアライバコンビはうらやましかった。

      2000年代の落合中日全盛時代、ショート井端・セカンド荒木の「アライバ」コンビは、センター前に抜ける当たりを軽々と捕球した。バットコントロールが誰よりもうまい落合監督の猛ノックを受け、2人の守備力には磨きがかかった。中日にカープは勝てなかった。

      だが、菊池はカープファンの守備に対する欲求不満を綺麗に解消してくれた。菊池の登場がセンターラインに柱を作り、守りの時間も楽しんで見れるようになった。

       

      当たり前の話で恐縮だが、野球は攻撃の時間は点が取れ、守っている時間は点が取れない。どうしても攻撃時間の方が盛り上がってしまう。

      だが最近のカープは、守備の時間も菊池の存在によって楽しめる。守備位置一つにしても菊池は魅せる。ふつうの二塁手ではあり得ないような深い守りにファンの期待は膨らむ。菊池は攻撃時間も守備時間も、二重にファンを楽しませてくれる。

      長嶋茂雄があれだけ人気があったのは、勝負強いバッティングだけでなく、あざといぐらいの華麗な守備にあった。菊池は長嶋茂雄に存在が似てなくもない。サーカスや雑技団の公演を見るようなエンターテイメント性が、菊池の守備にはあるのだ。

      菊池はヒットを打つだけでなく、敵のヒットを何本もアウトにする。野球の魅力を投手と捕手の往復運動でだけでなく、フィールド全体に広げた。『フィールド・オブ・ドリームズ』に出てくるような、天然芝の魅力的な球場マツダスタジアムの、まさに申し子である。

      MVPは菊池が最有力候補である。

       

       

      | 野球スポーツ | 19:16 | - | - | ↑PAGE TOP
      海軍式スパルタ監督・広岡達朗
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        プロ野球の名監督の著書は、教育に携わる者には参考になる。70年代なら川上哲治、80年代なら広岡達朗、90年代なら森祗晶、そしてここ20年ぐらいは野村克也、落合博満の著書が広く読まれている。
        僕がプロ野球の名将の本で最も愛読しているのは野村監督の本だが(つうか3ヶ月に1冊ぐらい野村本が出版される。野村監督は同じことを何度も繰り返して書くが、どうしても買ってしまう)、広岡達朗監督の著書も80年代には頻繁に出版され、僕もよく読んでいた。中高生時代に「意識革命のすすめ」「私の海軍式野球」など広岡達朗監督の本を何度も読み返し、20数年を経て塾で子供と接する上での糧になっている。
         
        そしてここ最近、広岡達郎氏の名前がよくメディアに散見される。巨人軍の野球賭博、清原問題などで、筋の通ったご意見番として引っ張りだこだ。最新作の『巨人への遺言』も売れている。
         
        広岡達朗監督は1978年に、弱小球団だったヤクルトを初優勝に導いた。当時のスワローズには若松や大矢や大杉や杉浦や八重樫やマニエルや安田や松岡など個性的な選手がいて、いしいひさいちの漫画のモデルになっていた。銀縁メガネの広岡監督は気難しい苦虫を噛み潰したような表情で戯画化された。
         
        広岡監督は球団幹部とのトラブルで、ヤクルトをシーズン途中で退団し評論家生活をしたあと、1982年に西武の監督に就任し、2年連続日本一を成し遂げた。当時の西武は田淵や東尾や大田やなどのベテランと、石毛や辻や伊東などの若手が混ざった強いチームで、1983年の巨人との日本シリーズは、日本シリーズ史上最高のゲームと呼んでいいくらいの死闘を見せた。
         
        広岡達朗は巨人の名遊撃手だったが、川上哲治監督との確執で巨人を追い出された。またヤクルト・西武を通して広岡の参謀役だった森昌彦(のち祗晶と改名)も長島茂雄と性格が合わず、卓越した頭脳を持ちながら巨人のコーチにはなれなかった。そんな巨人の反主流派の男2人が、西武の監督・ヘッドコーチとして古巣巨人に立ち向かっていく怨念対決は見応えがあった。
         
        広岡監督の野球は「管理野球」と呼ばれた。厳しい練習を選手に課し、私生活すら監視した。選手を監視するスパイ役は森昌彦コーチが受け持ち、マスコミに「森ゲシュタポ」と名づけられた。

        広岡監督はチームを急激に強くする劇薬だった。マスコミに選手の悪口を言いふらし、選手を怒らせることで発奮させた。当然だがそんなやり方は長続きしなかった。
        あまりにも厳格な完全主義と自己主張の強さ、そして人間性を疑われるほどの毒舌で選手やフロントとの軋轢が絶えず、ヤクルトは2年半、西武は4年、ロッテのGMは2年と短期間でチームを去った。特に天才肌の自己管理のできないベテラン選手からは嫌われ、東尾や大田など我の強い選手とたびたび衝突するのは当然の成り行きだった。
         
        また広岡監督は選手の好き嫌いが激しく、自身が守備の名手だったことから守りを重視し、ヤクルト時代にはバッティングは素晴らしいけど守備に欠陥がある大杉やマニエルを嫌った。
        特に赤鬼と呼ばれたマニエルはホームランを40本打ちながらも守備が拙く、広岡監督に「うどの大木」扱いされ、何度もトレード候補に挙がった。
        マニエルは現在フィリーズの監督で、2008年にはワールドチャンピオンの座に輝き、「ようやくヒロオカの言っていたことが理解できた」と発言しているが、監督広岡達朗と選手マニエルは険悪な仲だった。
         
        広岡の監督としての手腕は評価が高いが、これほど毀誉褒貶の激しい監督はいないだろう
        ただ、弱いチームを強くする一本筋の通った考え方は、塾で生徒を育てるうえで、大いに参考になるのだ。
         
        広岡監督といえば、何といっても玄米食だ。選手に玄米と菜食を強制し話題を振りまいた。まだ自然食が一般に認知されていない70年代後半の話である。食生活の改善こそが故障しにくい身体を作るという確信から、選手の体質を運動選手にふさわしいものにするために、選手の奥さんまで呼んで玄米食の調理法を教えるという徹底ぶりで、選手に白米を禁止した。

        選手に自然食を勧める講演で、自然食の専門家が「肉は腐った食物。牛乳も農薬がかかった牧草を食べた牛からしぼり取るもので、毒を飲んでいるようなもの」という趣旨の発言をしたのは有名である。日本ハムの大沢監督から「菜っ葉ばかり食っているヤギさんチームに負けるわけがない」と皮肉られた。
        またヤクルト時代には選手に牛乳を飲むなと命令を下したが、親会社のヤクルトは乳製品の企業なので、会社側から厳重に注意され物議をかもすトラブルもあった。
         
        ところがあろうことか、玄米を勧める広岡監督自身は肉食派で、贅沢病と呼ばれる痛風にかかってしまった。痛風とは「風が当たっただけでも痛い」と言われる、関節に激痛が走る中年男性に多い病気で、美食と飲酒が原因でかかる病気である。自然食を標榜する広岡監督が痛風になるのは皮肉で、言うこととやることの矛盾が面白おかしく指摘された。
         
        西武時代、日本ハムからトレードでやってきた江夏が広岡監督に「監督はどうして選手に玄米を食わせるのに、ご自分は痛風にかかるのですか?」と素朴な疑問を本人にぶつけたら、怒った広岡監督は江夏を2軍に落とし、そのまま飼い殺しにして現役引退させたという話が残っている。
         
        結局、玄米食は広岡監督本人もやらなかったし、アルコールで炭水化物を取るような東尾のような選手が玄米食を嗜むわけもなく、他の選手も広岡に隠れて白米を食べたし、おまけに痛風騒動が江夏の引退を早めたりで、玄米食は立ち消えになった。
         
        しかし広岡監督の教えを忠実に守り、玄米食と菜食を続けた男がいる。それが現ソフトバンク監督・工藤公康である。
        工藤が1982年に西武に入団した時の監督は広岡だった。広岡は工藤を「坊や」と呼び、高卒1年目からカーブの切れと物怖じしない度胸を買って中継ぎで起用した。

        工藤が46歳まで現役を続けているのも、玄米食と菜食中心の食生活を続けたのも一因になっているのかもしれない。玄米食を継続すれば運動選手の身体が長持ちすることが、20年たって工藤の存在で証明されたのだろうか。広岡の玄米の強制が、20年もたって結果を出したのである。
        また工藤の監督としての指導力も、広岡の影響を受けていないわけがない。広岡の意識の高さは、工藤に着実に伝染した。プロ野球経験者で言えば、渡辺久信や秋山幸二や伊東勤も、広岡の強い影響を受けてきた。

        広岡達朗は、ただものではない。

         
        | 野球スポーツ | 13:16 | - | - | ↑PAGE TOP
        広岡達朗監督と玄米食
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          プロ野球の名監督の著書は、教育に携わる者には参考になる。70年代なら川上哲治、80年代なら広岡達朗、90年代なら森祗晶、そしてここ20年ぐらいは野村克也監督の著書が広く読まれている。

          僕がプロ野球の名将の本で最も愛読しているのは野村監督の本だが(つうか最近2ヶ月に1冊ぐらい野村本が出版される。野村監督は同じことを何度も繰り返して書くが、どうしても買ってしまう)、広岡達朗監督の著書も80年代には頻繁に出版され、僕もよく読んでいた。中高生時代に「意識革命のすすめ」「私の海軍式野球」など広岡達朗監督の本を何度も読み返し、20数年を経て塾で子供と接する上での糧になっている。

           

          広岡達朗監督は1978年に、弱小球団だったヤクルトを初優勝に導く。当時のスワローズには若松や大矢や大杉や杉浦や八重樫やマニエルや安田や松岡など個性的な選手がいて、いしいひさいちの漫画のモデルになっていた。銀縁メガネの広岡監督は気難しい苦虫を噛み潰したような表情で戯画化された。

           

          広岡監督は球団幹部とのトラブルで、ヤクルトをシーズン途中で退団し評論家生活をしたあと、1982年に西武の監督に就任し、2年連続日本一を成し遂げた。当時の西武は田淵や東尾や大田やなどのベテランと、石毛や辻や伊東などの若手が混ざった強いチームで、1983年の巨人との日本シリーズは、日本シリーズ史上最高のゲームと呼んでいいくらいの死闘を見せた。

           

          広岡達朗は巨人の名遊撃手だったが、川上哲治監督との確執で巨人を追い出された。またヤクルト・西武を通して広岡の参謀役だった森昌彦(のち祗晶と改名)も長島茂雄と性格が合わず、卓越した頭脳を持ちながら巨人のコーチにはなれなかった。そんな巨人の反主流派の男2人が、西武の監督・ヘッドコーチとして古巣巨人に立ち向かっていく怨念対決は見応えがあった。

           

          広岡監督の野球は「管理野球」と呼ばれた。厳しい練習を選手に課し、私生活すら監視した。選手を監視するスパイ役は森昌彦コーチが受け持ち、マスコミに「森ゲシュタポ」と名づけられた。

          広岡監督はチームを急激に強くする劇薬だった。マスコミに選手の悪口を言いふらし、選手を怒らせることで発奮させた。当然だがそんなやり方は長続きしなかった。

          あまりにも厳格な完全主義と自己主張の強さ、そして人間性を疑われるほどの毒舌で選手やフロントとの軋轢が絶えず、ヤクルトは2年半、西武は4年、ロッテのGMは2年と短期間でチームを去った。特に天才肌の自己管理のできないベテラン選手からは嫌われ、東尾や大田など我の強い選手とたびたび衝突するのは当然の成り行きだった。

           

          また広岡監督は選手の好き嫌いが激しく、自身が守備の名手だったことから守りを重視し、ヤクルト時代にはバッティングは素晴らしいけど守備に欠陥がある大杉やマニエルを嫌った。

          特に赤鬼と呼ばれたマニエルはホームランを40本打ちながらも守備が拙く、広岡監督に「うどの大木」扱いされ、何度もトレード候補に挙がった。
          マニエルは現在フィリーズの監督で、2008年にはワールドチャンピオンの座に輝き、
          「ようやくヒロオカの言っていたことが理解できた」と発言しているが、監督広岡達朗と選手マニエルは険悪な仲だった。

           

          広岡の監督としての手腕は評価が高いが、これほど毀誉褒貶の激しい監督はいないだろう。いまでは辛口評論家として、週刊誌でよくコメント残している。

           

          しかし広岡監督といえば、何といっても玄米食だ。選手に玄米と菜食を強制し話題を振りまいた。まだ自然食が一般に認知されていない70年代後半の話である。食生活の改善こそが故障しにくい身体を作るという確信から、選手の体質を運動選手にふさわしいものにするために、選手の奥さんまで呼んで玄米食の調理法を教えるという徹底ぶりで、選手に白米を禁止した。

          選手に自然食を勧める講演で、自然食の専門家が「肉は腐った食物。牛乳も農薬がかかった牧草を食べた牛からしぼり取るもので、毒を飲んでいるようなもの」という趣旨の発言をしたのは有名である。日本ハムの大沢監督から「菜っ葉ばかり食っているヤギさんチームに負けるわけがない」と皮肉られた。

          またヤクルト時代には選手に牛乳を飲むなと命令を下したが、親会社のヤクルトは乳製品の企業なので、会社側から厳重に注意され物議をかもすトラブルもあった。

           

          ところがあろうことか、玄米を勧める広岡監督自身は肉食派で、贅沢病と呼ばれる痛風にかかってしまった。痛風とは「風が当たっただけでも痛い」と言われる、関節に激痛が走る中年男性に多い病気で、美食と飲酒が原因でかかる病気である。自然食を標榜する広岡監督が痛風になるのは皮肉で、言うこととやることの矛盾が面白おかしく指摘された。

           

          西武時代、日本ハムからトレードでやってきた江夏が広岡監督に「監督はどうして選手に玄米を食わせるのに、ご自分は痛風にかかるのですか?」と素朴な疑問を本人にぶつけたら、怒った広岡監督は江夏を2軍に落とし、そのまま飼い殺しにして現役引退させたという話が残っている。

           

          結局、玄米食は広岡監督本人もやらなかったし、アルコールで炭水化物を取るような東尾のような選手が玄米食を嗜むわけもなく、他の選手も広岡に隠れて白米を食べたし、おまけに痛風騒動が江夏の引退を早めたりで、玄米食は立ち消えになった。

           

          しかし広岡監督の教えを忠実に守り、玄米食と菜食を続けた男がいる。それが工藤公康である。

          工藤が1982年に西武に入団した時の監督は広岡だった。広岡は工藤を「坊や」と呼び、高卒1年目からカーブの切れと物怖じしない度胸を買って中継ぎで起用した。

          工藤が46歳まで現役を続けているのも、玄米食と菜食中心の食生活を続けたのも一因になっているのかもしれない。

          玄米食を継続すれば運動選手の身体が長持ちすることが、20年たって工藤の存在で証明されたのだろうか。

          広岡達朗は、やはりただものではなかった。広岡の玄米の強制が、20年もたって結果を出したのである。

          | 野球スポーツ | 23:48 | - | - | ↑PAGE TOP
          広島新球場へ行ったぜ!
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            広島市の中心部は、駅から路面電車で15分ほどの、紙屋町・八丁堀にある。広島市民球場も、紙屋町の広島最大のデパート「そごう」のすぐ近くにあり、目の前が原爆ドームである。

            これに対して広島駅前は、正面には近代的な福屋百貨店、西側は河合塾や代々木ゼミナールなど予備校が並び、100万都市の体面を保っているが、東側はアジアの混沌を体現したような昔ながらの商店街が並んでいる。広島駅の東側は駅前なのに場末のようだ。

            駅の東側を歩いてみると、生活観のある魚屋の匂い、八百屋の匂い、乾物屋の匂い、お好み焼き屋の匂いが鼻を刺激する。夜になるとシャッターが閉まり、闇市の名残のような雰囲気になり、「仁義なき戦い」の菅原文太や梅宮辰夫が出てきそうだ。

            この市場とも商店街ともつかぬ、古めかしい区域を線路沿いに歩けば、突然視界が開けこんな建造物にお目にかかれる。



            広島の新球場、「MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島」。かつては貨物駅の操車場である。場末に忽然と現れた、幻のような施設だ。

            今日は朝、時間があったので、尾道から広島までバスで往復して、球場だけ見物しにやってきた。コンクリート打ちっ放しの突貫工事でできた球場で、東京ドームや福岡ドームのようなゴージャス感はないが、まぐれもないカープのための新球場である。

            内部は公開されていないが、外部から球場をチラッと見ることができる場所がある。



            球場の広告は「ポプラ」「ますやみそ」「オタフクソース」とローカル色満点で楽しい。新球場だが、広島市民球場に色濃くあった地方球場の味が残っていて嬉しい。「ユニコーーーーーーン」の看板が気になるが。



            カープのグッズの売店は開いていた。授業で着るためユニフォームを買おうと思ったが、お目当ての前田(マエケンじゃなく、おじさんの方)の背番号1のXLサイズは売り切れてなかった。栗原のユニフォームも品切れ。東出か大竹にしようかと思ったが、結局買わなかった。8000円もするし。

            前売券売場にも行った。売り切れの試合が多い。広島市民球場では日曜日当日に行ってもチケットは十分余っていた。ここ3〜4年は巨人戦ですら簡単に入場できた。隔世の感がある。カープ球団が潤うのはいいことだ。

            球場正面には、2000本安打・200勝をあげたカープ選手の手形のモニュメントがあった。山本浩二・衣笠・野村・北別府、それにもちろん前田選手も。



            でも、こんな注釈もあった。



            金本の手形は、もちろんなかった。
            | 野球スポーツ | 23:55 | - | - | ↑PAGE TOP
            広島市の中心部にある廃墟
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              怪しいコンクリートの廃墟、ここはいったい・・・・?
              「太陽にほえろ!」のラスト近くで、刑事と犯人が追いかけっこするような不気味な廃墟ビルだ。




              もしかしてアスベスト? いや、どうなんだろう。
              とにかく、古めかしい建造物だ。



              トイレ?
              トイレがあるということは、人が集まる場所か?
              どこじゃ、ここは!?



              階段を登ると、暗闇から青空が・・・



              廃墟は、広島市民球場でした。



              広島市民球場は都心部にあって、周囲はビルが密集している。



              外観はそんなに古さを感じさせない。



              球場の南を見渡すと、平和公園と原爆ドームが見える。



              ローマ・コロッセオの内部
              スタジアムの熱狂は、昔も今も変わらない。
              でもコロッセオより広島市民球場の方が古臭く感じるのは、オレだけかな?
              | 野球スポーツ | 16:52 | - | - | ↑PAGE TOP
              阪神ファンはチキン
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                阪神優勝時に、道頓堀に飛び込む阪神ファンはつくづくアホだと思う。

                あのドブ川に飛び込んだ阪神ファンは、職場で学校でネットで「オレは道頓堀に飛び込んだぜ、エッヘン!」と自慢してるのだろうが、もはやあれだけ大勢の人間が飛び込むと、独創性もユーモアもなく、群集心理丸出しで、なんともイタイ。

                確かに最初に飛び込んだ人は勇敢だった。カーネルサンダースを投げ込んだ人はブッ飛んでいた。ユーモア満点だった。でもあとは、単なる真似しいに過ぎない。

                「大阪城を建てた人は大工さん」と最初に発想した子は偉い。
                でも真似して勝ち誇ったように、「大阪城建てた人知ってる?秀吉じゃないよ。大工さん!」と大人をからかうガキが愚かなのと同じことだ。

                飛び込む奴等が多いから橋のフェンスが高くなった。彼らの行為は公共事業を無駄に増やしただけじゃないか。

                警察も甘い。
                中国の天安門事件の時、学生を銃で掃射したのは北京の師団ではなく、辺境警備に携わる少数民族の師団だったらしい。
                都市の軍人は学生に対して同情的になりがちだからという、李鵬ら幹部の「配慮」が残虐な結果を生んだ。

                大阪府警は阪神ファンが多いから、道頓堀川のバカ群集に甘いのだろう。
                だったら広島県警に警備を任せてしまえばいい。
                弱小球団に甘んじているカープファンの恨みと、金本と新井を取られた怨念で、厳しい警備が可能だろう。広島県民の警察官のピストルから銃弾が飛び、道頓堀川はカープ色に染まる。

                阪神ファンも、あんなドブ川にこだわってないで、関西には明石海峡大橋という真新しい立派な橋があるのだから、あそこから飛び込めばいい。
                道頓堀川より明石海峡の方が水はキレイでしょうに。明石海峡にはタイさんもタコさんも元気に泳いでるしね。
                | 野球スポーツ | 00:14 | - | - | ↑PAGE TOP
                高橋尚子と小出監督
                0
                  高橋尚子と小出義雄監督は「破局」した。そして高橋尚子は引退した。

                  私には8年前の、あの高橋尚子と小出監督が抱き合うシーンの残像が焼きついているので、とても残念だ。
                  シドニーの金メダルは素晴らしかった。当時小泉純一郎はまだ首相ではなかったが、もし首相の座にあったなら高橋尚子の勝利に「感動した」という台詞をはいていただろう。

                  ところで、小出監督は小さな個人塾の塾長にいそうな、怪しいキャラクターである。世間からのハミダシ具合が個人塾のオヤジっぽい。

                  小出塾は生徒数が全学年合わせて10人ぐらいの零細塾。塾は築30年ぐらいたった雑居ビルの2階にあり、塾の階段脇には塾長の錆びた自転車が置いてある。近所のお母さんは「あそこの先生態度が大きくて、ちょっと変わってるわよ」と自分の子どもを小出塾に通わせたりしない。

                  しかし小出塾には、世間知らずでちょっと抜けたところのある、勉強一筋の大天才児・高橋尚子が小出監督を慕い通っている。高橋少女は小出監督を完全に信じきっている。

                  2人の関係の濃さは師弟関係を超えているが恋愛関係でもない。しかし並みの恋愛関係よりも猛烈に深く結びついている。周囲の者から見たら奇妙な関係である。

                  しかし高橋尚子は大手予備校の模試を受験したら常にトップ。世間から疎まれた小出監督の怨念が、高橋尚子という稀に見る才能と、素直な性格と出会い、奇跡を生み出しているのだ。

                  それにしても、陸連の幹部たちは、陸上界のアウトサイダーである小出監督に対して、面白からぬ思いを抱いているだろう。「正統的」な自分たちが教えている選手じゃなく、「異端」の小出義雄という男の教え子が女子マラソン界の女王として君臨した時代は、とんでもない悪夢だったに違いない。

                  そんな怨念がアテネオリンピックの選考会で高橋尚子が選ばれなかった原因であるという邪推も、あながち間違いじゃないと思う。

                  また陸連幹部じゃなくても、小出監督と高橋尚子のコンビを嫌う人は日本には結構いる。小出監督はアクの強そうなオッサンだし、高橋尚子は小出教という新興宗教にはまって、目がイッちゃってる変な女に見えないこともない。

                  でもね、塾業界で受験に命をかけている私のような者には、どんなに小出監督や高橋尚子が変な奴でも、高橋尚子がシドニーで金メダルを取ったあの感動的なシーンには胸が熱くなってしまう。

                  オリンピックも受験も、師匠と弟子が一体になって、成功に向かって全力を尽くすという状況はまったく同じなのだ。小出監督は塾講師で、高橋尚子は受験生。明らかにシドニーのあの瞬間、私は小出監督に自分の姿をだぶらせていたし、高橋尚子は受験戦争に対し身体を張って戦う自分の教え子にしか見えなかった。

                  確かにあちらはオリンピックという晴れ舞台で、こちらはたがが受験という小さな舞台かもしれない。しかし本番前の緊張感とか、事を成し遂げたときの爆発的な喜びは、何ら劣るものではない。

                  高橋尚子は1番でゴールを決めても、まだ何か物足りないような顔をして目をキョロキョロさせていた。途方にくれながら小出監督の姿を探していたのだ。高橋尚子にとっての本当のゴールは小出監督なのである。金メダリストになった姿を小出監督に見てもらわないことには、勝った意味などない。

                  小出監督の方もマスコミの記者やカメラマンを引き連れて、1位でゴールした高橋尚子の姿を探して競技場内を駆けずり回っていた。それはとても臨場感がある映像だった。
                  そして、やっとのことで相手を見つけ出した2人が抱き合った瞬間、私は泣かずにはいられなかった。

                  あのシーンの感動の質は、2月3月に全国あちこちの塾で繰り広げられている、塾講師と受験生が合格して喜び、泣きあう場面と全く同じだ。我々は合格して栄光をつかんだ子供の笑顔を見るためだけに、この仕事をしている。





                  ★開成塾
                  尾道市向島・しまなみ海道の知的空間





                  | 野球スポーツ | 17:59 | - | - | ↑PAGE TOP
                  松坂大輔が2年目好調なわけ
                  0
                    今年の松坂大輔は好調だ。私は松坂の愛嬌ある善人丸出しの顔が好きで応援している。

                    去年と今年の成績を比較してみよう。

                    2007年 15勝12敗 防御率4.40
                    2008年 18勝3敗  防御率2.90

                    大リーグ2年目で、格段の成績アップである。2年目の松坂は、何が変わったのだろうか。

                    メジャーの滑りやすいボールや傾斜のきついマウンドに慣れ、またバッターと対戦回数が増えるにつれ相手の弱点を把握できるようになり、さらにアメリカ大陸のハードな飛行機での移動に対する体調管理が可能になるなど、いろいろ好調の原因はあるだろう。

                    それに加えて、松坂が完投を意識しなくなったことも、好調の原因の1つに加えていいと思う。
                    松坂は去年、完投を意識しすぎた。というか、松坂は高校時代から西武時代にかけて、常に完投を期待される立場にいて、球数を重ねれば重ねるほど球が生きてくるという、完投型の身体になってしまっていた。

                    一試合を完投するには、ペース配分を緻密に考え、どこかで手を抜かねばならない。
                    高校野球や日本のプロ野球なら、少々手を抜いてもバッターを打ち取ることができるが、強打者が揃ったメジャーの打者には、力を抜いた球など通用しない。
                    全てのボールで120%の力を出さなければならない。

                    松坂は日本時代、マラソンのような長距離を走るつもりで投げていたが、アメリカでは短距離走の意識で投げなければ、相手打者は抑えられないのである。
                    1球1球に100m走のような全体力を振りしぼる、古い言葉でいえば「一球入魂」の精神がないと、松坂のような投手ですら、アメリカでは通用しないのだ。

                    テニスやバトミントンというスポーツは、途中の選手交代などあり得ない。
                    しかし野球は選手交代可能なスポーツである。疲労の激しい選手はいつでも交代できるルールになっている。投手が1試合を完投するのは、無理という前提に立ったルールのスポーツである。
                    だから無理して完投をしなくていい。先発投手は5回6回を2~3失点で抑えれ、十分役割を果たしたことになるのだ。よしんば完投したとしても、それは結果なのだ。

                    とにかくアメリカでは、松坂のような投手ですら、1球1球全力を意識しながら、120%の力で投げねば勝てなかった。
                    完投を意識して遠いゴールを見据えて投げるのではなく、いつぶっ倒れてもいいから、今ここにある1球を腕がちぎれんばかりに全力投球しなければならない。

                    受験勉強でも、毎日のペース配分を考えるなんて悠長なことを言ってないで、1時間1時間を手抜きなく、「一球入魂」の精神で走り抜けないと、濃密に詰まった勉強はできない。合格できない。
                    松坂と同じように、マラソンを走る意識ではなく、瞬間瞬間で100m走を駆ける意識が、受験勉強には必要だ。

                    短距離を何本も走れば身体は疲労で悲鳴を上げるが、嬉しいことに勉強はどれだけ集中しても疲労度は格段に小さい。
                    10時間短距離走を繰り返せば人間はたぶん死ぬが、10時間勉強しても生命には全く支障はない。
                    とにかく、身体は疲れるが脳は疲れないようにできている。狂っても知らないけど(笑)
                    | 野球スポーツ | 17:40 | - | - | ↑PAGE TOP
                    前田よ「あぶさん」になれ!
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                      カープの快進撃は、ブラウン監督の功績が大きい。
                      ベースを投げ飛ばす熱情と、鋭利な知性を合わせ持った外人監督。ヤンキーでインテリなアメリカ人マーティー・ブラウン。カープOBのたらい回し政権では、今年も最下位に沈んだままだったろう。

                      特にブラウン監督が、あの前田智徳をレギュラーから外した決断は大きい。

                      私は前田のファンだ。前田はカープの宝である。
                      江藤や金本や新井など中心バッターが他球団に移籍したのに、前田だけは大怪我もあったろうが、カープに残ってくれた。しかも前田の神秘性は、日本のプロ球界で随一だ。

                      だから、こんなこと言うのは心苦しいのだが、前田がレギュラーでなく、天谷や赤松が外野を守っているからこそ、今年のカープが浮上した事実は、認めざるをえない。

                      前田の打撃力はもちろんピカイチだ。イチローが尊敬するバッターで、理論肌の中日・落合監督も「前田の打撃は基本に忠実で美しい」と絶賛している。

                      しかし前田は、守備と走塁に大きな不安を抱えている。アキレス腱断裂以前の前田は走攻守揃った選手だったが、ケガ以降は守備と走塁にハンディを抱えるようになった。

                      バットで打球をグラウンドに弾き飛ばす能力は最高だが、グラウンドで思いっきり走り回ることができない。
                      前田の守備力では相手のシングルヒットを二塁打に、走塁では自分の二塁打をシングルヒットにしてしまう。
                      前田が打撃で100打点を上げたとしても、守備のまずさ、走塁の遅さで30打点は差し引かれる。

                      カープは阪神のように投手力が安定しないし、ホームランバッターも巨人に比べて少なく、二遊間の守備も荒木・井端の中日とは雲泥の差だ。ならば小賢しいくらいの機動力で相手バッテリーを撹乱するしか勝つ方法は見出せない。
                      戦力の弱いカープが大砲巨艦主義を取っても粉砕されるだけであり、足でかき回すゲリラ戦法しか勝機をつかむ術はない。

                      ただ、前田をレギュラーから外したら、ファンから非難轟々になるのは目に見えていた。
                      私も開幕前、ブラウン監督が「前田はレギュラーとしては扱わない」というコメントを聞いて、ブラウン監督を少し恨んだものだ。

                      だがここ数年、前田が緒方がレギュラーの時代、カープは低迷した。しかも前田や緒方はどんどん歳を取り、力が徐々に落ちつつある。力が落ちたベテランをレギュラーとして常時出場させていたら、カープはますます弱体化するのは明白だ。

                      機動力を打ち出すという戦略を前面に出し、あえて前田や緒方を外したブラウン監督の方向性は正しい。

                      ところで、監督がベテラン選手に気を遣いすぎると、悲劇が起こる。
                      たとえば1986年の日本シリーズ、カープは西武に3連勝のあと4連敗した。とんでもない屈辱的な負け方に、高3だった私はショックのあまり、学校を3日間休んだ。

                      カープは当時、山本浩二と衣笠の両ベテランが打撃を引っ張っていた。外国人選手を取らない純血打線で、巨人を僅差で破りセリーグの覇を握った。セリーグ優勝は、ベテランの老骨に鞭打つ活躍の賜物である。
                      1986年の日本シリーズでも、カープは山本浩二の活躍で、初戦引き分けのあと3連勝した。

                      しかしその後のベテラン2人、特に衣笠の打撃はさんざんだった。
                      当時のカープは阿南監督。選手時代の実績があまりなかったからなのか、大スター山本浩二や衣笠への遠慮が目立ち、バットの振りが素人目にもわかるぐらい遅く、バットが波打っていて全く打てそうにない衣笠を外さなかった。

                      逆に西武は高卒ルーキー清原が4番に座り、秋山も20代前半で脂の乗り盛りで、打者は辻や石毛、キャッチャーは伊東、投手は工藤や渡辺久信や郭泰源など、若手選手が日本シリーズの後半、勢いを増していった。

                      マラソンレースで20代前半の若者が、後半グングンピッチを上げるのと対照的に、40歳の山本浩二や衣笠はリタイア寸前だった。その証拠に山本浩二は日本シリーズ後に引退した。

                      1986年のカープで、阿南監督がベテランに頼りすぎて負けたのとは対照的に、今年のカープは若手への切り替えが大きく成功したといえよう。

                      さて、来年前田は広い新球場で、ますます苦境に立たされる。レギュラーとしての出番は、今年以上に少なくなるだろう。

                      ただ、前田には絶対に引退して欲しくない。広島市民球場と共に老兵は去ろうなどと、変な考えを起こさないでもらいたい。

                      「無冠の帝王」とは清原のことだが、前田も抜群の打撃技術を誇り、生涯打率3割を維持しながら、打撃タイトルを1度も取っていない「無冠の帝王」である。清原に便乗して、引退などとは間違っても口にして欲しくない。

                      前田には「あぶさん」のような代打の切り札になって欲しい。
                      カープは来年、新球場でかなりの成績を上げる可能性がある。優勝に絡む可能性だってないとはいえない。

                      そんな優勝争いの真剣勝負の時、満塁の場面で前田が代打として出たら、相手投手は非常に苦しむ。

                      前田の選手生活の最後の数年間、代打という職業の価値を高め、満塁でも敬遠される「必殺仕事人」になれば絶対にカッコイイ。

                      来期の前田は、代打で125打数58安打、打率4割6分4厘、ホームラン10本、打点63。代打専門選手として初めてのMVPに輝いて欲しい。

                      1試合で一番大事な1打席を前田に託す。前田がバット1本で伝説を残し、真のカリスマになるのは、これからである。

                      | 野球スポーツ | 18:29 | - | - | ↑PAGE TOP