カープが1991年から25年間優勝できなかった理由は、新人選手の逆指名制度とFA制にある。
1980年台後半から、カープを取りまく雲行きが怪しくなった。プロ野球界のシステムが変わって、どうやらこれまでのようにカープは勝てないかもしれないという嫌な予感がした。
80年代後半、巨人と西武を中心に1リーグ制が噂にのぼった。人気球団の巨人と、当時圧倒的に強かった西武が組んで、1リーグ10チームにし、観客動員の少ないチームを排除する動きが新聞をにぎわせた。巨人の渡邉恒雄は政界マスコミに強い影響力を持ち、西武の堤義明は世界最高の金持ちと言われた時代、この最強の2人がタッグを組んだのである。
カープは毎年のように優勝争いに絡み一定の成績はおさめていたものの、勝ちに慣れたファンは球場に足を運ばず、観客動員は上昇せず資金力は脆弱で、1リーグに再編成された日本プロ野球界から排除される可能性があった。スポーツ新聞には1リーグに加入できない可能性がある球団として、広島やロッテや日本ハムの名前が挙げられた。
結局、1リーグ制は掛け声だけで終わったが、代わって逆指名制度とFAという、巨人のような資金力の強い球団に有利なシステムが導入された。
アマチュア時代に活躍した選手が即戦力として巨人にごっそり引き抜かれ、その結果カープの無名の選手を育てて鍛えるという地道な方法は通用しなくなり、弱体化する危惧を持った。
だが、私の悲観的な想像よりはるかにカープは弱くなってしまった。まさか25年間優勝できないなんて夢にも思わなかった。
巨人はFAで主力選手を手当たり次第に獲得した。中日から落合、西武から清原、ヤクルトから広沢、横浜から村田、ダイエーから小久保や工藤、そしてカープからは江藤や川口を取った。他球団で活躍した外国人選手、ペタジーニやラミレスや李承などもジャイアンツの一員になった。これでは他球団は勝負にならない。
逆指名制度でも、大学生・社会人の有力選手を巨人が豊富な資金力をバックに獲得した。1993年から2006年までの逆指名制度で、上原・高橋由伸・仁志・二岡・阿部・内海などを入団させた。21世紀に入ってからの巨人の強さは、巨人有利な制度がバックにあったからである。
不公正な制度の中で、カープはアマチュア時代の実績が乏しい選手を入団させることしかできなかった。
だがカープにも家貧しくして孝行息子が出て、入団早々に大活躍する選手たちがいた。しかし悲しいことに、層の薄いカープ投手陣でイキのいい新人が出現すれば、たちまち登板過多になり肩やヒジを痛め、投手生命を縮めてしまった。小林幹英・沢崎・山内・河内・苫米地などの有望な選手が、酷使され特攻隊のように散ってしまった。彼らは広島でコーチや球団職員、また地元放送局の解説者として活躍しているが、酷使がなかったら別の人生があったのにと思う。
これだけカープの若手投手が酷使され潰されたら、アマチュア球界の有望選手を抱える監督は、大事な教え子に広島カープへの入団を勧めないだろう。「カープへ入団したら潰されるぞ」と言って指名を忌避させる。
さらに、カープは家族的経営と資金力不足がたたり、外部の人材を導入しなかった。
ヤクルトは野村克也、阪神は星野仙一、中日は落合博満という外様監督に指揮を預け強くなった。(落合は中日OBだが、彼の性格はどんな組織でも外様的である)。
弱小チームが強くなるには、勝ち方を知っている外部からの輸血が絶対に必要なのだ。新鮮な血液が入ることなく、血が濃すぎるカープが低迷するのは当然のことといえた。
カープファンもオーナーも、「カープが優勝できるか?」という高い望みは現実的ではなく、「カープは存続できるか?」という心配を抱えていた。
だからこそ今回のカープの優勝は、まさに「夢のまた夢」で、歓喜もひとしおなのである。