猫ギターの教育論

尾道市向島の塾「US塾」塾長のブログ 早稲田大学・開成高校出身 本音が飛び交う、少し「上から目線」の教育論
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SMAP解散と「教育者」飯島マネージャー
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    子猫は可愛い。誰からも愛される。

    だが親猫になると、子猫のように万人が可愛いと感じるわけではない。猫は年齢を重ねるとともに、ルックスは悪くなっていく。哺乳類の赤ちゃん特有の、キュッと抱きしめてやりたくなるような可愛らしさは消える。

    子猫は確かに愛らしい。だが、私も猫を飼っているからわかるのだが、不細工になっても、変わらずそれ以上に愛しいものだ。家族のように心が通ってくるのだ。

     

    アイドルもそうだ。

    十代の男性アイドルはフェロモンを発していて、同世代の女の子を虜にする。だが歳を取るにつれオッサン臭くなり、ファンが離れるのが男性アイドルの宿命だ。

    ジャニーズ事務所の総帥・ジャニー喜多川は人気が落ちた所属アイドルに「お前は女を知ったから売れなくなった。女に飢えたハングリーな目をしてなければだめだ」と言ったという。

    アイドルは性的魅力を発していなければ、子猫のように捨てられる運命にある。

     

    だがSMAPは違う。鮮度が命のアイドルなのに25年間も人気を保ち続けた。私から見れば40を超えて、雄のフェロモンを放ってるのはSMAPのメンバーではキムタクしかいない。だが他のメンバーも、ふつうの若者・中年のルックスになっても人気を保った。SMAPは自分の家族のように愛されてきた。

    SMAPは、25年にわたりグループを存続させ、しかも第一線の人気を保った。これは奇跡に近い。

    たとえば田原俊彦や近藤真彦の「たのきんトリオ」の人気が25年間も続き、藤井フミヤのチェッカーズが解散もせず25年間第一線で活躍できただろうか? 彼らの鮮度は5年前後だったではないか。

     

    SMAPの人気を支えたのは、マスコミの報道から類推するに、飯島マネージャーの存在が大きいと思う。

    部外者が芸能界のことを記事にするのは難しい。歴史家がどれだけ過去の史料を読み解いても正確な事実にはたどり着けないように。SMAPに関する報道から内部事情を類推するのは難しい。

    そうとは知りつつ、飯島マネージャーの大手事務所社員の一線を完全に超えた母親のような愛情がSMAPを人気グループにしたことは想像できる。

     

    飯島マネージャーはSMAPの「教育者」である。SMAP個人個人の個性を伸ばす教師。週刊誌で不鮮明な飯島氏を撮った写真を見たことがあるが、まるで小学校の先生のようだった。芸能界の辣腕マネージャーには見えなかった。

    私は個人塾を営んでいるが、勉強を伸ばすのも大事だが、生徒の個性を生かし長所を伸ばし、唯一無二の存在として社会に出てほしいと願っている。大学合格と同じ比重で、就活の結果が気になる。生徒がタレントならマネージャー、ミュージシャンならプロデューサー的な立場になりたいと考えている。

    だが生徒の個性を伸ばすと言葉にするのは簡単だが、実行するのは難しい。それどころか、生徒の良さを打ち殺し、欠けたものを埋める方向に走りがちだ。生徒本来の長所を忘れ、正反対のものを求めてしまう。徳川家康のように物静かで篤実な子に、豊臣秀吉のように華々しくアピールするよう要求し、またその逆のケースもあったりして、試行錯誤を重ねてきた。

     

    逆に飯島氏はメンバーの個性に合わせた仕事を模索し成功した。

    木村拓哉が『あすなろ白書』の助演・取手君役で「さりげない演技」が評価されてから、ドラマの仕事を意図的に増やし、『ロングバケーション』で「キムタク」として国民スターとなった。

    木村拓哉の囁くような演技は、他の若い俳優のオーバーアクションの演技に辟易していた視聴者に、等身大の共感をもたらした。目が大きく潤み鼻筋が通った超人的なルックスを持つキムタクに自己投影する矛盾を忘れ、キムタクの演技に自己移入した。

    日本でこんな「さりげない演技」を確信犯的に強調した俳優は、キムタク以前には松田優作しかいない。

     

    中居正広はバラエティーに活路を見出し、SMAP2大巨頭になった。

    中居は本質的に、どこか神経質で気難しい人だと思う。ファンやマスコミに対して表面上は冷たい印象を受ける。

    だが、バラエティーではゲストに気をつかい、きわめて社交的な面を見せる。天性が社交的な明石家さんまと比べて、中居は繊細で内向的な人が無理して頑張っているように感じる。そんな中居の精いっぱいの努力が視聴者の好感につながっている。中居君がんばってるねと。

    飯島マネージャーは、木村がドラマで成功したからといって、中居に同じ路線を走らせなかった。実は中居は演技が上手いのだが、木村の道徳的圧力すら感じさせる存在感にはかなわない。中居がテレビカメラの前で社交的になる特性を伸ばし、バラエティーの司会でトップをめざした。

     

    香取慎吾はSMAP誕生のころ、私の周囲の中学生には一番人気だった。25年前の中学生の女の子に好きなアイドルはと聞くと「かとりしんご」という名がよく返ってきた。

    SMAPの初期の写真を見ると、他のメンバーは典型的なアイドル顔で見分けがつかなかったが、香取慎吾だけは目鼻が大きく際立った存在に見えた。SMAPで最年少の香取慎吾はアイドルでなく子役スターのようだった。

    キムタクや中居はそれぞれドラマ、バラエティーに順調に居場所を堂々と確保したが、だが、子役から大人へ変わる香取慎吾の仕事には試行錯誤した。既成のアイドルがやったことのない「汚れ仕事」もやった。郷ひろみや田原俊彦が女装して「おっはー」という姿が想像できるだろうか。

    新選組の近藤勇、忍者ハットリくん、『ドク』でのベトナム人、こち亀の両さん、成功したものから失敗したものまで、硬軟取り混ぜ手あたり次第に仕事を選ばなかった。飯島マネージャーも香取慎吾の処遇には頭を悩めたと思う。

     

    草剛は歳を重ねるにつれ、アイドルとは言えない顔立ちになっていった。だがその唯一無二のルックスと雰囲気が、性格俳優の味を出した。

    私が草薙の演技で感動したのは、三谷幸喜の映画『ステキな金縛り』である。主人公深津絵里の若くして死んだ父親の幽霊役として登場したが、立ってるだけで父性愛が滲み、存在感だけで涙が潤んでくる演技だった。

     

    稲垣吾郎は二枚目を中途半端に保ったことが、影の薄さにつながったが、ビートルズで言えばジョージ・ハリスン、仮面ライダーならライダーマンのような存在である。SMAPのメンバーでは癒し系で、一番手が届きそうな存在として愛された。SMAPはスーパーグループだが、スーパーになり過ぎない緩衝材として、稲垣吾郎の存在は貴重だった。

    かといいながら稲垣はとんでもないところで目立つ。『人志松本のすべらない話』で、同棲相手の男性がいることを話し、これにはものすごく驚いた。アンニュイで退廃的な雰囲気も魅力である。

     

    飯島マネージャーは5人の個性を際立たせた。それに加え彼女の凄いところは、ドラマやバラエティーはマンネリと言われるくらい王道を突き進んだのに比べ、音楽では前衛的に冒険を続けたことである。

    飯島マネージャーは音楽に関しては、つねに新鮮な人材を補給し続けた。『らいおんハート』では野島伸司、『BANG!BANG!バカンス!』では宮藤官九郎と、著名な脚本家に歌詞を依頼し、スガシカオや山崎まさよしやMIYABIなどブレイク中の新鮮なミュージシャンに楽曲を依頼した。

     

    また、SMAP出演のドラマは同じようなものが多く、ワンパターンと揶揄されたのと好対照に、楽曲は二番煎じを慎重に避けた。

    『世界に一つだけの花』があれだけ成功すれば、もう一曲ぐらいは槇原敬之にシングルを依頼し、二匹目のドジョウを狙うのがマネージメントの王道である。だがそれをしなかった。

    SMAPのシングルを系統的に聴いていると、素人でもわかる曲と、玄人好みの難解な曲が交互に現れる。売れ線の曲だけでは飽きられることを熟知していた。

    ドラマとバラエティーはソロで王道、音楽はグループで前衛と方針を使い分け、古い血と新しい血のミックスを絶えず意識することが、SMAPを新鮮かつ懐かしい存在にした。

     

    ところでSMAP解散は、海外ではビートルズの解散にたとえられている。

    ビートルズも人間関係が破綻して解散した。木村と中居は、ジョンとポールの関係に似ている。

    ビートルズのベストアルバムに赤盤・青盤というのがある。赤盤は初期の、青盤は後期のナンバーを集めたものだが、赤盤のメンバーの写真は若く同じマッシュルームカットで、無個性で見分けがつきにくいが、青盤は解散前の写真で4人は思い思いの服装髪型をしている。

    SMAPもデビュー当時の無個性なアイドルから変貌し、現在は個性が際立っている。誰も現在はキムタクと草君を間違えたりはしない。

     

    ビートルズもSMAPもこれだけ容姿がバラバラだと衝突を起こすのか、個性の拡張の行きつく先は解散しかないのかと、納得させる写真である。オンリーワンが5人揃えば破綻するものなのか。

    メンバーの個性の伸長、王道と前衛の調和は、まさにビートルズがたとった道であった。飯島マネージャーはビートルズのバンドとしての生き様が、どこか頭にあったのではないか。皮肉なことにビートルズとSMAPが同じ道をたどってしまったのは、さぞ、つらかっただろう。

     

    ビートルズは解散前に『アビー・ロード』という大傑作アルバムを残した。人間関係は破綻しても音楽は破綻するどころか病的な調和をみせた。彼らは音楽の前では嘘をつけなかった。

    SMAP解散まで4か月、5人がビートルズのように最後の奇跡的な調和を見せてほしいのは、ファンならずとも願うことであるが、今のままでは無理なのだろうか。

     

    SMAPはファンから見れば、テレビを通じた家族だった。飯島マネージャーはSMAPを自分の家族にし、日本人の家族にした。SMAPの解散はファンにとって「家庭崩壊」なのである。

    | 映画テレビ | 18:03 | - | - | ↑PAGE TOP
    俳優から学ぶ暗記法の真髄
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      勉強で嫌なのは、やっぱり暗記である。
      わたしも一応受験生OBだから、暗記のつらさはよくわかる。

      受験生時代、英単語と古文単語、日本史の用語は必死で暗記した。日本史の用語はマイナーな部分まで押さえておかねばならず、特に古代の仏像や工芸品の名前の暗記には参った。
      「法隆寺夢違観音像」「中宮寺天寿国繍帳」「法隆寺玉虫厨子施身聞偈図」などと、「こんなん覚えてどないすんねん」と文句の一つもつけたくなるような細かい用語が、私立文系の大学入試には頻出する。だから根気良く執念深く隅から隅まで覚えた。
      ドラえもんの道具で一番何が欲しいかと尋ねられたら迷うが、受験生時代なら迷わず「アンキパン」と答えただろう。天皇家の系図や明治以降の政党の変遷表あたりの複雑な箇所を、アンキパンで記憶できたらどんなにいいだろうと考えた。

      さて大学生になって、つらい暗記作業とオサラバかと思いきや、第2外国語のドイツ語の単語と文法には参った。一例を挙げると、ドイツ語は定冠詞や不定冠詞が格や名詞の性に応じてコロコロ変化する。これがややこしい。
      英語なら定冠詞はtheだけ覚えておけばいいが、ドイツ語は男性名詞がder,des,dem,den、女性名詞がdas,des,dem,das、中性名詞がdie,der,der,die、複数がdie,der,den,dieと変わる。ドイツ語は万事こんな具合で、大学の定期試験前は地獄だった。

      しかし、そんなドイツ語より辛かったのは映画の台詞暗記である。私は大学時代自主映画の俳優をやっていた。どんな俳優だったかは
      こちらを参照していただくとして、台詞の暗記には泣かされ続けた。
      芸術タッチで、言葉より映像で語らせるタイプの作品は台詞が少なくて俳優は比較的楽だが、私が出演した映画はコメディーとかアクションが多く、特にコメディー映画は台詞が長くて、しかもカメラの長回しが好きな監督だと3分ぐらい8mmカメラが回りっぱなしである。
      おまけに8mmフィルムは値段が高く、俳優が台詞を間違えると、もう1回最初から演じなければならず貴重なフィルムが屑と化すので、俳優のプレッシャーは相当なものだった。

      アクションシーンは台詞が必然的に少なくなるが、別の問題点がある。
      アクションシーンは激しい動作でも、身体を常にカメラのフレーム内に収めておかなければならず、しかもフレーム内に身体がうまく収まったとしても、室内撮影の場合は照明に常に身体を当てていないと駄目で、とにかく俳優がちょっとでも勝手な動きをすれば、レンズから俳優の身体がはみ出したり、暗くて映らなくなってしまう。
      せっかく汗水かいて熱演したのに、映っていなかったら悲しい。だから、アクションシーンの演出はセンチ単位の厳密なもので、息を抜けなかった。

      とにかく映画撮影で、俳優は台詞と動作を完璧に暗記しておかなければならない。暗記していなければ監督やスタッフ、他の俳優に多大な迷惑をかけるし、映画の成功も覚束なくなる。

      俳優が台詞の暗記で苦しむのはプロも同じことで、「マルサの女」で伊丹十三の厳密な演出と、長ゼリフの暗記に苦労した津川雅彦はこう語っている。


      「マルサの女」では、テストとテストの合間でも、何度も何度も台詞を口に出して、おさらいをすることで精一杯だった。ただただ台詞を叩き込むだけで必死だった。

      でも、貴重な発見はあった。台詞を臓腑まに叩き込むコツは、忘れる「回数」と、口に出してしゃべる「回数」にかかっている事に気が付いた。
      どれだけ頑張って覚えても、一晩寝れば必ず忘れる。だから次の日また覚え直す、それで一歩覚えが深くなる。
      また、一晩寝て忘れて、覚え直す。そこでまた一歩!深く覚える。忘れる回数を多くする程、深く覚えられるんだ。

      僕の場合、二週間、つまり十四回忘れて覚え直すことが必要だった。また、杉村春子さんは「千回も言えば覚えるわよ」と事も無げにおっしゃる。小林桂樹さんは五百回。僕はせいぜい百回が限度だが、日数をかけて忘れる回数を多くすることでカバーしている。

      更に台詞を覚える回路を変える事も大切だ。
      まず脚本の全体の意味と流れを「頭」で掴む。次に台詞の字を「目」に焼き付ける。次に人に読んでもらい「耳」で覚える。そして自分でしゃべって「舌」と「口」に覚えさせる。「更にリハーサルで動いて「身体」に覚えさせる。
      覚える回路を増やすと、線が一つ切れても別の回路が繋がって台詞がスムーズに出てくる。最後は車を運転しながらでも、台詞が自在に言えるようになった事を確認して仕上げとする。


      津川雅彦の暗記法を、たった2行で要約するとこうだ。
        「忘れる回数を多くする程、深く覚えられる」
        「覚える回路を変える事も大切」

      暗記の回数を増やし、「頭」「目」「下と口」「身体」と回路を変える。受験生のための金言であろう。


       
      | 映画テレビ | 21:30 | - | - | ↑PAGE TOP
      『真田丸』に名作傑作の予感
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        NHK大河ドラマ『真田丸』を見た。非常に面白かった。
         
        実は見る前に危惧があった。三谷幸喜脚本の『新選組!』に私はあまり乗れなかったのである。近藤勇が香取慎吾、土方歳三が山本耕史というキャストに、違和感を持ち続けたのだ。
        私の勝手なイメージは、近藤勇は野心家の田舎者で、土方歳三は純粋なテロリストである。関八州のヤンキーが京都で暴れたのが新選組である。香取慎吾も山本耕史も、私には上品過ぎた。
         
        NHK大河ドラマは歴史上の人物に新たな解釈を加えようと、イメージと違う俳優をキャスティングする傾向がかつてあった。徳川家康がそうで、太った体型の狸親父の家康のイメージを覆そうと痩せた俳優をキャスティングしたが、しっくりこなかった。『徳川家康』では滝田栄、『秀吉』では西村雅彦で、『信長』に至っては家康役はなんと郷ひろみだった。『功名が辻』で家康を西田敏行が演じた時、どれだけ安心して見ていられたことか。
         
        それから、会ってもいない歴史上の人物を邂逅させると、話が一気に嘘くさくなる。『新選組!』では初回で近藤勇と坂本龍馬が出会っていた。史実は謎だが近藤と龍馬が会うことで作り話感があり、その後の話にもイマイチ乗れなかったのは残念だ。
        女性主人公の『江』の上野樹里、『花燃ゆ』の井上真央に至っては歴史上の重要場面に顔を出しまくり、ファンタジーにしか思えなかった。
         
        『武田信玄』でも、中井貴一の武田信玄と上杉謙信の柴田恭兵が、川中島の戦いで一瞬しか目を合わせないシーンがあった。これも史実かどうか怪しい、この場面は嘘かもしれない。だが感動的だった。出会ってもいない歴史上の人物が出会うウソは、大成功か大失敗に終わるのである。
         
        『真田丸』に危惧を感じたのは、三谷幸喜の最新作『ギャラクシー街道』は筋が破綻し失敗作だと伝えられたからだ。また三谷氏自身がメガホンを取った『清須会議』は正直微妙な仕上がりだった。三谷氏のコメディの才能が、歴史ものでは上滑りするのである。『真田丸』も戦国ものをアメリカンコメディの手法で描かれたらどうしようという恐れがあった。特に大泉洋はコメディアン的な華がある俳優だが、時代劇では地雷にもなる存在である。
         
        でも、それは杞憂に終わった。
        大河ドラマが失敗に終わるケースは、人物に感情移入できない時である。だが大泉洋演じる信幸、草刈正雄の昌幸の性格描写は見事だった。しかも三谷幸喜のシナリオの技は遊び心に満ちている。
        大泉洋の信幸は寡黙で堅物のように見えるが弟信繁を思う優しい兄、抑えた演技に信頼感があった。
        草刈正雄の昌幸は、女性家臣を含めた大人数の前では「武田家は安泰」と楽観的なことを言って一同を安心させるが、カットが一瞬にして変わった信幸信繁兄弟の前では「武田家は滅びる」と本音を述べる。昌幸の策士ぶりをワンシーンで描写した、三谷幸喜しか書けない、ビリー・ワイルダーの映画のような遊び心あるシーンである。うなった。
         
        素晴らしかったのが平岳大演じる武田勝頼。偉大な父信玄と絶えず比べられ、武田家を滅亡させた悲劇の二代目である。
        勝頼から家臣が一人、また一人と織田側に寝返っていく。その運命を怒ることなく静かに受け止める、平岳大の絶望諦念の表情がいい。笑顔がはなかい。
        そういえば平岳大の父・平幹二郎は『武田信玄』で息子晴信(信玄)から駿河に追放された信虎役を、新劇調の大芝居で演じていた。信玄の父を平幹二郎、信玄の息子に平岳大、親子が動と静の対照的演技だったのは面白い。このキャスティングも三谷幸喜の遊び心だろう。
         
        そして主役信繁の堺雅人。
        私が大好きな俳優堺雅人が、どんな演技をするのかと思えば、『リーガルハイ』の古美門に近いはっちゃけた演技で、古美門から狂気を抜かし子どもっぽい、一風変わった信繁だった。緻密な演技計算で定評ある堺雅人が、なんでこんな奇妙な信繁像を作り上げたのか少し疑問だったが、第1話の信繁は15歳の設定なのだった。納得。

        視聴者はまだ信繁には感情移入していない。第1話で場をさらったのは平岳大の武田勝頼である。そして15歳の純粋な信繁もまた、滅びゆく勝頼に感情移入していた。滅びゆく勝頼を見つめる信繁の目は、やさしい目だった。
         
        武田家を滅亡させた勝頼、豊臣家を滅亡させた秀頼は、同じ運命にある。後年、信繁は秀頼を助ける。大人の信繁は、秀頼に勝頼の姿を見出したに違いない。秀頼は勝頼の生まれ変わりなのかもしれない。
        『真田丸』第1回武田家滅亡は、最終回豊臣家滅亡の布石である。勝頼に感情移入した信繁に対して、視聴者はいずれ強く感情移入するだろう。大坂の陣で信繁は『半沢直樹』のように復讐の鬼になり強くなって、徳川家康に立ち向かう。

         
        | 映画テレビ | 15:28 | - | - | ↑PAGE TOP
        NHK『新・映像の世紀』
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          地理は空間を考える三次元的教科、歴史はそれに時間軸を加えた四次元的教科である。

          地理は「どこでもドア」、歴史は「タイムマシン」の教科だ。

          三次元の教科である地理を学ぶには、旅行して見聞を深めるのが一番いい。だが四次元教科の歴史はタイムマシンが発明されない限り、過去の世界を実際に目で見て聞くことはできない。

          だから、歴史を教えるには、映像の力を極力借りたい。

          そこでNHKスペシャルで1995から1996年にかけて放送された、アメリカABCとの共同取材番組「映像の世紀」を生徒に見せている
          私はこの全11話からなる番組が大好きで、2003年にアンコール再放送が行われた時、録画するため、わざわざ奮発してDVDレコーダーを買ったほどである。
          NHKの番組で、私は「映像の世紀」が一番好きだ。

          「映像の世紀」の内容は以下の通り。

          第一集 『20世紀の幕開け』-カメラは歴史の断片をとらえ始めた-
          第二集 『大量殺戮の完成』-塹壕の兵士たちは凄まじい兵器の出現を見た-
          第三集 『それはマンハッタンから始まった』-噴き出した大衆社会の欲望が時代を動かした-
          第四集 『ヒトラーの野望』-人々は民族の復興を掲げたナチス・ドイツに未来を託した-
          第五集 『世界は地獄を見た』-無差別爆撃、ホロコースト、そして原爆-
          第六集 『独立の旗の下に』-祖国統一に向けて、アジアは苦難の道を歩んだ-
          第七集 『勝者の世界分割』-東西の冷戦はヤルタ会談から始まった-
          第八集 『恐怖の中の平和』-東西の首脳は最終兵器・核を背負って対峙した-
          第九集 『ベトナムの衝撃』-アメリカ社会が揺らぎ始めた-
          第十集 『民族の悲劇果てしなく』-絶え間ない戦火、さまよう民の慟哭があった-
          第十一集 『JAPAN』-世界が見た明治・大正・昭和-

          「映像の世紀」は世界30ヶ国以上のアーカイブから収集した貴重な映像を編集して作った番組で、第一次世界大戦、ロシア革命、ベルサイユ条約、世界恐慌、ナチスの台頭、第二次世界大戦、インドの独立運動、朝鮮戦争、ベトナム戦争という、20世紀の大事件がリアルな映像としてまざまざと活写されている。

          20世紀初頭にエジソンの発明によって、人類が初めて映写機を使えるようになり、20世紀は動画で見る事ができる最初の世紀になった。
          逆に言えば19世紀までの歴史上の人物の動画は当然残っていない。ビクトリア女王もナポレオンもリンカーンも坂本龍馬も動画でその姿を見ることはできない。
          ところが、20世紀の歴史上の人物はヒトラーもムッソリーニも毛沢東もスターリンもガンジーもホーチミンもルーズベルトもチャーチルも、当たり前だが映像の中でキチンと動いている。彼らが現実に存在した人物であったことを再認識させてくれる番組だ。

          「映像の世紀」の圧巻は第二集で、第一次世界大戦が日本人が想像するよりいかに激しい戦争だったか、一発で理解させてくれる。
          1914年に戦争が開始された時は、誰もがこの戦争は早期に解決すると思っていた。パリでもロンドンでも、戦争に従軍する前の若い兵士は笑顔で戦争に旅立っている。
          ところが予想に反して戦争は激化の一途をたどり収束の糸口すらつかめない。
          第一次世界大戦初期は、まだ大砲の打ち合いで馬も登場し、中世の古戦みたいな「のどか」な戦争だったが、そのうち塹壕が掘られ、鉄条網が張られ、機関銃が登場し、戦車が製造され、毒ガスが撒かれ、飛行機が飛び交い、4年という短期間に殺戮兵器は目覚ましい発展を遂げる。戦争が科学技術を進化させるという残酷な事実が、映像の力でしっかり理解できる。

          第一次世界大戦は、人類史上初めて兵士の身体が鉄と機械でミンチにされる戦争だったのである。


          また第四集あたりから、不鮮明で古めかしい映像が突然、撮影技術の進歩でクリアになる。クリアになった映像に映し出されるのは、ニュルンベルクのギリシャ神殿を模した会場で行われたナチス党大会で手を激しく動かしながら熱く演説するヒトラーだった。

          空には光線が飛び交い、巨大なハーケンクロイツの旗が暗闇に眩しく映し出される。10万人の歓声がヒトラーを迎える。
          ヒトラーがドイツで政権を握ったのは恐怖政治のためだけではなく、ヒトラーが稀代なカリスマ性を持ち、ナチスの支配装置の意匠がドイツ人を魅了したからだということを、鮮明な映像は教えてくれる。

          「ヒトラーの格好良さ」を映像は残酷に映し出す。

          また、加古隆作曲のメインテーマ『パリは燃えているか』は名曲である。加古隆の重厚な音楽が「映像の世紀」を格調の高い番組にしている。

           

          ところで最近、新たな映像から構成された「新・映像の世紀」が放映されている。

          私が今まで述べた「映像の世紀」とは、まったく違う番組と言っていい。
           

          第3集のナチスの映像を見たが、旧作に比べてカラー映像が多く、グロい。衝撃度が圧倒的に勝っている。

          連合軍に解放された直後の、ユダヤ人が収容された、ブーヘンヴァルト強制収容所のカラー映像が映っていたここでは5万人以上がここで犠牲となった。連合軍が見たものは、死体の山と骸骨のような生存者。ドイツ軍は証拠隠滅もできずに敗走したのだ。
           

          連合軍はこの残酷の限りを尽くした場所を、ドイツ人の一般市民にも見せなければならないと考えた。実際に見せなければ「そんなものは出鱈目だ」と言われる可能性が大きい。

          団体旅行のように見学させられるドイツ人の姿。男性は顔を背け、女性は気を失った。

          ドイツ人から「知らなかったんだという声が上がった。

          すると、解放されたユダヤ人収容者たちは、こう叫んだ。

          いい、あなたたちは知っていた」と。
           

          普通のドキュメンタリーは、死体を映さない。

          だが「新・映像の世紀」は、死体を隠さない。
           

          「はだしのゲン」が原爆を伝える強烈なインパクトを放ったのは、死体を執拗に描写したからだ。大量の死体、家族の死体。

          戦争の残酷さを、他人事でなくさせるのは、死体映像である。

          「新・映像の世紀」は「はだしのゲン」と似ている。


           

          | 映画テレビ | 14:12 | - | - | ↑PAGE TOP
          NHK大河ドラマの傑作・戦国編
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            日本史に興味がもてない人は、NHK大河ドラマを見れば、好奇心が芽生えるきっかけになる。日本史が得意な人は、たいてい大河ドラマが好きだ。
            ただし、大河ドラマは1話45分、全話50話ぐらいあるので、すべて見たら35時間くらいかかり、最初から最後まで見たら勉強に差しさわりがあるので、数時間にまとめた総集編のDVDをレンタルすればいい。
             
            大河ドラマの題材になる時代は、古代や近現代が手薄なのが弱点だが、戦国や幕末のラインナップは豊富にそろっている。
            戦国時代でおすすめは『独眼竜政宗』だ。東北の若き戦国大名伊達政宗は、幼少のころ疱瘡で片目を失ったコンプレックスの固まりで、母に醜いと疎まれ、弟を殺し、父を見殺しにするという修羅場をくぐった。政宗が智略を尽くして東北を平定した時には、もはや秀吉が全国を統一し、秀吉の死後は家康が天下の座を継いだ、「遅れてきた英雄」だった。
            秀吉を貫録十分の大俳優・勝新太郎が、そして若さのパワーにあふれた政宗を、まだ無名俳優だった若い渡辺謙が演じる。老獪な秀吉と、若い政宗の静かな対立は緊迫感にあふれ、まだ無名俳優だった渡辺謙の、眼帯姿で片目をギョロリ剥いた演技が印象的だ。
             
            ただ『独眼竜政宗』は信長が出ていないので、信長を知りたければ『利家とまつ』がいい。反町隆史の信長は「いかにも」という感じだし、なにより秀吉を演じる香川照之が素晴らしい。高度経済成長期の脂ぎったビジネスマンのような秀吉を好演し、香川照之が人気俳優になった出世作でもある。
            『信長〜KING OF ZIPANG』という作品もあるが、信長役の緒形直人の演技が暗く、また徳川家康を郷ひろみ、明智光秀をマイケル富岡が演じ、致命的な軽いキャスティングミスが多く、またご覧になっていただければわかるが「珍作」なので薦められない。

            なお大河ドラマ最高の信長は、1983年『徳川家康』の役所広司である。役所広司と言えばいまや「マルちゃん正麺」だが、まだ無名だった役所広司のギラギラした信長は抜群で、家康役の滝田栄を食っている。NHKもよくこんな無名の俳優を見つけ出し、大役に抜擢したと思う。『独眼竜政宗』の渡辺謙と、『徳川家康』の役所広司は、大俳優がブレイクする瞬間を見ることができる。
             
            武田信玄が主人公の『武田信玄』『風林火山』はどちらも面白いが、武田信玄の生涯は入試には出ないので受験生は見ない方がいい。『毛利元就』も信玄と同じ地方で活躍した大名なので入試には関係ない。
            もう20年以上前になるが、『武田信玄』に中井貴一がキャスティングされた時は意外だった。震源の肖像画は太った入道頭の男というイメージで固定されていたが、細面で神経質な中井貴一の信玄像は新鮮だった。『風林火山』で市川亀治郎が演じた信玄は、肖像画のイメージ通りである。

            『武田信玄』のオープニングテーマはNHK大河ドラマで最も勇壮なもので、私が大好きな曲である。テレビでもよく流れているので知っている人も多いだろう。作曲は稀代のメロディメーカー山本直純で、平将門を主人公にした『風と雲と虹と』のテーマも素晴らしい。大河ドラマではないが、ファンクな『新・オバケのQ太郎』のテーマも山本直純である。



             


            あと総集編ではないが、現在放映されている『軍師官兵衛』は、歴史好きを久々に興奮させる大河ドラマである。
            ジャニーズタレントが主人公の大河ドラマに対して、厳しい目を向ける人は多い。私も『新選組!』の香取慎吾はいまだにミスキャストだと考えているし、『義経』の滝沢秀明も力量不足だったと判断している。

            岡田准一はジャニーズ臭が少なく、放映開始当初から安定した演技をしていた。だけどストーリーがやや予定調和に流れているなと感じていたところ、荒木村重に1年も幽閉され、足を引きずるようになってからの岡田准一の智謀に満ちた悪役演技は素晴らしい。前半の好青年ぶりと白黒のコントラストがある。特に信長が死んでから俄然面白くなった。秀吉が官兵衛の智略を恐れ、天下を取ってから官兵衛を遠ざけた理由がわかる演技である。

            秀吉役の竹中直人は、私の頭の中では秀吉の生き写しである。授業で秀吉の太閤検地や刀狩や朝鮮出兵を教えていても、竹中直人の顔しか浮かんでこない。
             
            (つづく)




             
            | 映画テレビ | 11:25 | - | - | ↑PAGE TOP
            「龍馬伝」木村拓哉が龍馬を演じたら?
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              「龍馬伝」のテーマソングはいい。メロディーに「泣き」が入っている。僕が過去の大河ドラマで一番好きなテーマは、加藤剛が平将門を演じた「風と雲と虹と」、2番目は中井貴一の「武田信玄」かな。どちらも作曲が山本直純。豪壮と哀愁をmixした名曲だった。

               

              ところで「龍馬伝」。龍馬役は最初から福山雅治だったのか、それとも巷で言われているように木村拓哉が龍馬をやる予定だったのか、そんなことを考えながらドラマを見て、シナリオを追っている。

               

              「龍馬伝」シナリオの福田靖氏は、木村拓哉と福山雅治のどちらを想定してシナリオを書いたのか? 

              「龍馬伝」の龍馬は、押しの強い龍馬ではなく、どちらかと言えば大人しい、受け身の龍馬である。受け身の演技が際立つには存在感が必要。福山雅治と木村拓哉、存在感が強いのは当然キムタクの方である。

               

              「龍馬伝」は、木村拓哉の存在感にすがったシナリオのような気がする。キムタクは黙っていても「アク」のようなものが放出される。

               

              最近の木村拓哉のドラマ、特にレーサー役の「エンジン」、総理大臣の「CHANGE」あたりは木村拓哉が「最強の人」になっていて、説教くさく鼻につくところがある。

              「ロングバケーション」の頃は、木村拓哉がまだ「キムタク」ではなく、等身大の若者役で感情移入できた。最近の木村拓哉ドラマは、昔の「RUN」「とんぼ」など長渕剛ドラマに似ている。

               

              そんな状況の中、「龍馬伝」で「日本最高の俳優」木村拓哉が、「日本歴史上最高の人気者」坂本龍馬を演じるとどうなるか? 完璧な人間すぎて視聴者は敬遠する。キムタク龍馬がスーパーマンになることを、賢明なドラマの作り手なら忌避するはずである。そこでシナリオにある工夫を加えた。

               

              劇中に「キムタク+龍馬」に嫉妬し暴言を吐く、岩崎弥太郎役を設定したのだ。

               

              「龍馬伝」で、香川照之演じる岩崎弥太郎は、必要以上に龍馬を嫌っていないだろうか?龍馬に嫉妬していないだろうか? 

              たしかに龍馬と弥太郎は広末涼子を間に置いた「恋敵」のような複雑な仲だが、福山雅治は善人で、あれほどまで弥太郎から敵意を向けられるリアリティがない。

               

              いまの「龍馬伝」のシナリオで、木村拓哉が龍馬役なら、岩崎弥太郎の嫉妬も納得がいく。キムタク龍馬なら、あれくらい憎まれても現実味がある。木村拓哉は視聴者の好き嫌いが激しい。
              逆に福山雅治は万人受けする俳優だ。福山雅治を主演・龍馬に設定して、シナリオ段階であんなに福山さんを嫌う敵役を登場させるのは不自然だ。

               

              「龍馬伝」は、最近のキムタクドラマのスーパーマンぶりを、劇中で香川照之に批判させることで中和させる意図があったのだと想像できる。

              「キムタク龍馬、なんぼのもんじゃい」という視聴者の代弁を、岩崎弥太郎にさせたのかも。そうでないと香川照之の福山雅治に対するあの怒りの心情が、いまいち納得できない。

               

              というわけで、僕は「龍馬伝」は、もともと木村拓哉主演で企画されたドラマだと邪推する。

              少なくとも龍馬役は武田鉄矢ではない。武田鉄矢が坂本龍馬なら、岩崎弥太郎役は鈴木正幸(金八先生のおまわりさん)しかいない。

              | 映画テレビ | 12:34 | - | - | ↑PAGE TOP
              2009年紅白歌合戦と、その他いろいろ
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                紅白を見た。

                津軽三味線をバックに従えた、細川たかしの「望郷じょんがら」が大熱唱で、こんなに歌のうまい人なのかと改めて驚いた。熱唱型の歌手は手を抜くと悟られやすいものだが、今回の紅白での細川たかしの気迫はMAXに達していた。

                「♪津軽は〜雪ん中」の部分の高音が快感で、もはや細川たかしは「演歌界のパヴァロッティ」と呼んでもいいかもしれない。円天事件で2年のブランクののち再復帰、心に期するものがあったのだろう。とにかく全身全霊を込めて歌っていた。

                 

                あと、矢沢永吉の登場の仕方はカッコ良かった。いきなりNHKホールの廊下が映り、職員の拍手の中イタリア製のスーツを着た永ちゃんがステージに向かい、‘E YAZAWA’のシンプルなセットで「時間よ止まれ」を歌う。新譜「ROCK‘N ROLL」からのシングル「コバルトの空」も名曲だ。永ちゃんに対するNHKの最上級の特別扱いは歌手冥利に尽きるだろう。僕は永ちゃん登場を見事に当てたが、やっぱり永ちゃんが出演してよかった。場を食う力量はさすがだ。

                 

                それから加藤清史郎。K君本人にはいままで伝えていなかったのだが、加藤清史郎はK君の幼いころに似ている。特に鼻筋がそっくりで、加藤清史郎の目をアンパンマンのように大きくして、頬をアンパンマンのように紅く膨らませ、顔の輪郭をアンパンマンのように丸くして、声をアンパンマンのように高くしたらK君だ。

                「天地人」で直江兼続の子役として登場したとき、よく似た子が出ているなと驚いた。かわいげがあるくせに、気の強さを隠せない性格もそっくりだ。少年時代の直江兼続は上杉謙信との初対面で「わしはこんなとこ来とうはなかった!」と言い放ったが、K君にもそんな我の強いところがある。阿部寛演じる謙信が「気に入った」と叫んで加藤清史郎の頭をグリグリ撫でた理由もよくわかる。

                 

                ところで29日にK君を飲みに誘った。「危険な情事」の話で盛り上がった。「先生もそんな経験あるんですか?」「あるわけないだろ。でもうらやましいよね」

                そのあと、たまたま子役の話題になった。「三丁目の夕日」の須賀健太はいいね、みたいな話の流れになったが、いきなりK君は加藤清史郎の名前を持ち出して「あの子ブサイクですよね」と言ったのだ。これは意外。僕はずっとK君と加藤清史郎のイメージがダブっていたので驚いた。加藤清史郎がブサイクなら自動的にK君もブサイクということになる。K君は少年時代の自分を否定したのだ。K君もメタ認知ができていない。


                紅白の話に戻るが、石川さゆりは相変わらず色っぽい。演歌ではなく艶歌と表現したい。

                石川さゆりの代表曲は「天城越え」、カラオケで歌われた曲の累計ではNO1を競うのではないか。カラオケに行けば、若者がGreeeenの「キセキ」を歌うように、年配の女性の方なら必ず誰かが「天城越え」を選曲する。

                 

                ところが「天城越え」は歌う人を選ぶ。もともと石川さゆりの持ち歌だから、ある程度のルックスは必要だ。

                「天城越え」のクライマックスは「♪山が、燃える〜」の箇所だが、山のように太ったおばさんが「♪山が、燃える〜」と声を張り上げれば失笑は避けられない。肥満体の皮下脂肪がプスプス燃える音が聞こえ、焚き火にくべられた豚の丸焼きを想像する。だから武田信玄みたいな「山は動かぬぞ」的な太った女性は絶対に「天城越え」を熱唱してはならない。

                 

                石川さゆりが「♪山が、燃える〜」と歌えば「山」は艶やかな女の情念のメタファーになり妖気を発散するが、太ったオバサンが「♪山が、燃える〜」と口にしたとたん焼き豚の匂いが立ち込める。山は燃えてはならない。もし「天城越え」が天童よしみの持ち歌だったらどうなるか想像してほしい。

                 

                ただ、太ったオバサンでなくても、「天城越え」はあまりに芝居がかった曲なので、僕はあまり好きではない。石川さゆりで最高の曲、いや演歌で僕がいちばん好きな曲の1つは「津軽海峡・冬景色」である。

                 

                石川さゆりが「津軽海峡・冬景色」でブレイクした年、沢田研二の「勝手にしやがれ」とレコード大賞を争った。昭和52年のレコード大賞は沢田研二と石川さゆりの一騎打ちとされ、歌謡曲マニアだった小学校3年生の僕は大いに盛り上がった。沢田研二のナベプロと、石川さゆりのホリプロの全面対決だったが、この年のレコード大賞の発表は高橋圭三が封筒にハサミを入れ「発表します」と読み上げる方法ではなく、モニターの画面に棒グラフが現れる方式を取り、石川さゆりがジュリーに圧倒的大差で負けた光景を思い出す。

                 

                あのころはレコード大賞は、今では想像できないほどの権威だった。紅白歌合戦のオープニングの歌手紹介のとき、「レコード大賞を受賞した沢田研二さんは、いま車でNHKホールに向かっています!」と司会者が叫ぶのが格好良かった。TBSのある赤坂(いや、レコード大賞の番組収録はTBSスタジオじゃなかったかも)からNHKの渋谷区神南への車内は、歌手のビクトリーロードだった。

                 

                レコード大賞に限らず、僕が幼稚園・小学生時代のTBSの番組には威厳があった。TBSの番組は歌番組もドラマもバラエティーも、オープニングに強烈なインパクトがあった。オープニングだけで視聴者を引き込んだ。

                 

                たとえば「8時だョ!全員集合」のオープニングは、いかりや長介の「8時だョ!全員集合」の声で唐突に始まる。CMをボンヤリ眺めていても、いかりや長介の登場で一気に画面に引き込まれた。。

                 

                また「ザ・ベストテン」のオープニングもゴージャスだった。レーザーライトが飛び交い、久米宏と黒柳徹子が両脇から現れ、レコード売り上げ・有線・ラジオリクエスト・ハガキの4つの部門のランキングが白いテロップで流れる。僕ら視聴者はそれを眺めながら、総合集計したベストテンを想像した。小学生の僕は凝り性なので、4つの部門がどういう割合でミックスされ総合ランキングを計算するのか、あれこれ紙に書いて試してみた。おそらくハガキが40%、ラジオリクエストが30%、レコード売り上げが20%、有線が10%と試算した。

                 

                それから「赤いシリーズ」のオープニングは過剰にドラマチックだった。山口百恵主演の「赤い疑惑」「赤い運命」「赤い衝撃」「赤い絆」のオープニングは百恵ちゃんの歌だが、宇津井健主演の「赤い激流」「赤い激突」のテーマは、日本海の映像(たぶん)をバックにした、映画「砂の器」のテーマを意識したオーケストラとピアノの協奏曲で、短調の深刻なメロディーが波乱万丈な(荒唐無稽とも言う)ストーリーを暗示した。

                 

                強烈なドラマのオープニングといえば「Gメン75」だろう。あのオープニングテーマ、どこかの空港の滑走路を借り切った横並びで7人が歩く姿。カッコ良すぎる。ニヒルでクールな丹波哲郎にあこがれた。僕にとってハードボイルドとは、レイモンド・チャンドラーではなく「Gメン75」である。あと原田大二郎が立ったまま銃に打たれて死ぬシーンは素晴らしかった。エンディングテーマのしまざき由理の「面影」も名曲だ。

                 

                インパクトが強いオープニングといえば「ありがとう」も負けてはいない。あの音のでかいブラスのイントロに、水前寺清子の「♪さわやかに〜」の全然さわやかでない破裂声がかぶり、のっけから視聴者を圧倒する。気丈な水前寺清子と気難しい顔の山岡久乃の絡み、紅白の司会を5回もやった大物感があった佐良直美、少し間抜けな石坂浩二、石井ふく子ドラマしかお目にかからない岡本信人などの姿が思い出される。

                 

                「津軽海峡冬景色」について語ろうと思ったら話がそれた。それはまた今度。

                 

                 

                 

                 

                 

                ★開成塾
                尾道市向島・熱い「志」を持つ若者が集う「凛」とした学習空間

                 

                 

                 

                 

                 

                 

                 

                 

                | 映画テレビ | 14:31 | - | - | ↑PAGE TOP
                家族に憧れた小津安二郎
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                  映画監督・小津安二郎の謎の一つは、戦後になって、ワンパターンと揶揄されても仕方ない、同工異曲のホームドラマばかり撮り続けたことだ。

                  小津は松竹から1年に1本、原節子や司葉子や香川京子や田中絹代や笠智衆や佐分利信や佐田啓二など、オールスターキャストのホームドラマを作り、興行成績は抜群だった。

                  小津と並ぶ巨匠の黒澤明は、小津と同時期にあらゆる種類の映画を撮っている。主人公の境遇もさまざまで、肺病のヤクザ、農民と共に野武士と戦う侍、拳銃を奪われた警官、気ままな用心棒、収賄事件に巻き込まれた男、ガンで余命半年と宣告された公務員、子供を誘拐された富豪、頑固だが根は優しい医師など、時代劇やら現代劇やら、いろんなジャンルの映画を撮っている。

                  それに対して小津は、一貫してホームドラマしか撮らなかった。舞台は上流階級の家庭で、主人公は丸の内で働く高級ビジネスマンか大学教授、住居は瀟洒な日本家屋、大学時代の友人と酒を酌み交わし、飲む時は料亭か割烹、話題は娘の縁談がメインで、最後に娘が嫁いで親が取り残される、ワンパターンのストーリーだ。

                  小津安二郎の発言をあれこれ読んでいたら、ホームドラマというジャンルの完成度をストイックに追求する、愚直な職人肌ではなさそうな気がする。
                  むしろ小津は才気煥発で奔放な人物で、その気になれば、さまざまなジャンルの映画が撮れたはずだ。

                  その証拠に、戦前の小津安二郎は「大学は出たけれど」「生れてはみたけれど」など社会風刺のきいた、キレのあるユーモアに満ちた作風の監督として知られた。当時とすれば前衛映画の作り手だった。
                  また小津は戦争中、軍部報道映画班としてシンガポールへ赴任し、「風と共に去りぬ」など、接収されたハリウッド映画を大量に観て過ごした。

                  それにもかかわらず小津が戦後、恋愛物とかアクションとか他のジャンルの可能性を一切封じて、状況設定がワンパターンのホームドラマを一途に撮り続けた理由は何か。フランス料理のシェフ、高級料亭の板長の力量がありながら、小津が取りつかれたようにお茶漬ばかり作り続けたのはどうしてなのか。

                  私は小津安二郎を取り巻く、実生活の環境に理由があると考える。

                  小津は中学校で、映画館通いに熱中し学校の授業には出ず、不良学生として寄宿舎から追放された。旧制高校の試験に2度も失敗し、親類のコネで松竹蒲田撮影所に入社した。
                  また小津安二郎は60歳で死ぬまで生涯独身だった。原節子との純愛を噂されたが、死の直前まで母親と二人暮らしだった。

                  結果として、小津は映画監督というヤクザな世界での大成功者になった。しかし、同級生のようにサラリーマンにならず、妻も子供も生涯得ることはなかった。

                  邪推かもしれないが、小津はカタギなサラリーマンに憧れたのではないか、また自分の家族を持ちたかったのではないか。

                  妻がいて子供がいる、ありふれた家庭生活を送る人にとって、小津の映画は日常的な光景に満ちている。
                  しかし家族を持たぬ小津には非日常的な世界だった。小津映画の家族は、小津の想像力が作った箱庭であり、小津映画は小津安二郎という男の「脳内家族」なのである。
                  隣の芝生は青いというが、小津は自分が得ることができなかった隣の青い芝生を、偏執狂のようにデッサンし続けた。

                  たしかに、家族を持たない人間が家族を描けるわけがない、父親になったことのない人間に父親の気持ちがわかるわけがないという反論もあろう。しかし小津のホームドラマは強い説得力を持ち、娘を嫁がせる父親の欠落感が痛いほど伝わるのは誰もが認めるところだ。

                  小津のホームドラマが観客を魅了したのは、小津の家族に対する「憧れ」が強かったからに他ならない。小津は自分の「憧れ」の家族を創出して見せた。ワンパターンと言われながら、何度も何度も家族を撮ることに執着した。まるでゴッホが「ひまわり」ばかり描いたように。

                  家族を持たない人間が、ホームドラマの巨匠になったのは、不思議なことではない。「憧れ」は創作のパワーになる。
                  他人が持っていて、自分が持っていない「憧れ」を作品の対象にした時、アーティストは名作を生み出す。
                  強い団結と友情を謳ったスポ根の脚本を書けるのは、友達がいないひとりぼっちの帰宅部の少年であり、健康的なビーチボーイズのサーフィン音楽を作ったのは、病的で鬱々としたブライアン・ウィルソンである。

                  小津は、一流企業の重役の地位と、最大の理解者である妻と、賢くて美しい娘を持つことに憧れた。アウトサイダーであった小津の、カタギの人生に対する強い憧れが、ホームドラマの傑作を生み出した。

                  また、小津が描く家族は、必ずしも幸福に満ちているわけではない。娘の結婚や母親の死も、劇中には登場する。
                  しかし小津は、家族にまき起る不幸すら羨望の目で見つめた。小津の孤独は、他人の家族の幸福だけでなく、不幸にまで憧れるレベルまで深化していた。

                  とにかく、小津安二郎の映画は、小津にとってのファンタジーであった。 ワンパターンのホームドラマは、観客には日常、監督には非日常の世界であった。
                  映画とは夢であり、映画監督は非日常的な世界を撮りたがる。小津にとって家族とは、宇宙旅行と同じくらい非現実的な未知の「憧れ」の世界であった。


                   

                  小津安二郎は観客を饒舌にする
                  http://usjuku.jugem.jp/?eid=426



                  | 映画テレビ | 13:44 | - | - | ↑PAGE TOP
                  好きな映画ベスト30(1位〜15位)
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                    日本映画
                    1.七人の侍(黒澤明)
                    2.天国と地獄(黒澤明)
                    3.男はつらいよシリーズ(山田洋次)
                    4.生きる(黒澤明)
                    5.蒲田行進曲(深作欣二)
                    6.椿三十郎(黒澤明)
                    7.用心棒(黒澤明)
                    8.Love Letter(岩井俊二)
                    9.幸福の黄色いハンカチ(山田洋次)
                    10.マルサの女(伊丹十三)
                    11.麦秋(小津安二郎)
                    12.仁義なき戦い・代理戦争(深作欣二)
                    13.ふたり(大林宣彦)
                    14.東京物語(小津安二郎)
                    15.浮雲(成瀬巳喜男)

                    外国映画
                    1.ゴッドファーザー
                    2.スティング
                    3.ゴッドファーザー PART
                    4.ニュー・シネマ・パラダイス
                    5.セント・オブ・ウーマン
                    6.めまい
                    7.パルプ・フィクション
                    8.ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ 
                    9.アラビアのロレンス
                    10.バック・トゥ・ザ・フューチャー
                    11.アマデウス
                    12.ブレードランナー
                    13.アパートの鍵貸します
                    14.ショーシャンクの空に
                    15.ダイ・ハード

                     

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                      日本映画
                      16.蜘蛛巣城(黒澤明)
                      17.千と千尋の神隠し(宮崎駿)
                      18.少年時代(篠田正浩)
                      19.赤ひげ(黒澤明)
                      20.ラヂオの時間(三谷幸喜)
                      21.誰も知らない(是枝裕和)
                      22.魔女の宅急便(宮崎駿)
                      23.キッズ・リターン(北野武)
                      24.砂の器(野村芳太郎)
                      25.西鶴一代女(溝口健二)
                      26.家族(山田洋次)
                      27.ALWAYS 三丁目の夕日(山崎貴)
                      28.しとやかな獣(川島雄三)
                      29.お葬式(伊丹十三)
                      30.かもめ食堂(荻上直子)
                      次点.隠し砦の三悪人(黒澤明)


                      外国映画
                      16.欲望という名の電車
                      17.ターミネーター2
                      18.ロッキー
                      19.E.T
                      20.裏窓
                      21.ストレンジャー・ザン・パラダイス
                      22.十二人の怒れる男
                      23.アンタッチャブル
                      24.ミリオン・ダラー・ベイビー
                      25.大人は判ってくれない
                      26.セブン
                      27.ラストエンペラー
                      28.童年往時 時の流れ
                      29.戦場のピアニスト
                      30.許されざる者
                      次点.時計じかけのオレンジ

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