猫ギターの教育論

尾道市向島の塾「US塾」塾長のブログ 早稲田大学・開成高校出身 本音が飛び交う、少し「上から目線」の教育論
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部活に先生が燃える理由
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    部活は子供にとって楽しいものだ。

    勉強より部活のほうが、子供には遥かに青春を感じる瞬間だと思う。

     

    勉強は孤独な個人技だ。しかし部活には友達との連帯感がある。

    チームとしての連帯感は人を陶酔させる。

    「スクール・ウォーズ」「飛び出せ!青春!」など部活ドラマも、松村雄基や石橋正次が演じる個人技に走る不良がチームメイトとの連帯感に目覚め、君も今日からは僕らの仲間と温かく迎えられ、集団技の虜になるという筋書きになっている。

     

    また黒澤明の「七人の侍」では、宮口精二演じる孤高の剣豪ですら、チームを組んで野武士から農民を守る任務を楽しんでいた。チームのために自分の力が役立つことを肌で実感する生き甲斐を、宮口精二は恥じらいの笑顔で表現していた。観客ですら「七人の侍」を見て、侍と農民といっしょに戦っているような、強い連帯感を抱く。日本映画の最高傑作と呼ばれる映画は、連帯感の素晴らしさを謳った映画なのだ。

    とにかく、集団技で闘う連帯感が、子供を部活漬けにするのである。

     

    学校の先生にも、子供以上に部活熱心な人がいる。

    授業よりも部活に燃える先生もいる。子供との連帯感から部活に生き甲斐を見出す。その心理は痛いほどよくわかる。

     

    教育に携わる者が一番燃えるのは、同じ価値観を持ち、同じ目標に向かって頑張る集団を教える時だ。教師がベスト・パフォーマンスを演じるのは、考え方が同じ素直な子供たちと、ゴールに向かって突き進む時なのである。

     

    先生にとっても、部活は授業より青春なのだ。

    部活は、みずから野球をやりたい、テニスをやりたいという意思を持ってやってくる子が集まり、しかも大会という共通の目標がある。先生のモチベーションは自然に高まる。部活で命より熱い夢を抱きしめて走る子供を見て、先生は胸を熱くする。

     

    逆に授業は、勉強ができる子と苦手な子の差が激しい玉石混交の異質空間である。すべての子に対して平等性を保たなければならない。能力差のある子、目的意識が違う子に、アウト・オブ・コントロールな状態で平等性を保つことが、どれだけ気遣いが必要であることか。カオスの中で心を病む先生もいる。

     

    ところが部活は、部活は退部も自由であるから風通しがいい。教師の側からすれば、自分と相性の合った子だけを集めることも可能である。部活は気心の知れた先生と子供だけの純粋な世界、「プチ王国」「ユートピア」になる。お互いに嫌い合う先生と生徒が、無理して一緒になる必要はない。

     

    生徒の側から見ても、部活を変えることで、より自分に向いている競技を選び、鬱陶しい人間関係をリセットすることもできる。好きな人と好きなことができる。

    学校には、どんな問題児でも受け入れてくれる部活の一つや二つはあるはずだ。
    たとえばある学校のレスリング部は、他の部活をやめた部員に広く門戸を開くことで有名である。「部活の問題児」の駆け込み寺になっている。
    相撲部で顧問を殴った北尾君も、柔道部の封建的な部風に馴染めなかった石井君も、野球部で身体が大きすぎて活躍できなかった馬場君も、友達の秘密を暴露していじめにあった中牧君も、みんなレスリング部に移籍し活躍している。

     

    とにかく、学校の先生にとって、部活の顧問が精鋭軍団の指揮官なら、クラス担任は誰も言うことを聞かないカオスの民主党代表みたいなものである。どちらの方が精神的苦痛かは言うまでもない。

    私が学校の先生なら、授業より部活に命をかける。

    頭の中で「HERO」を流しながら。

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