猫ギターの教育論

尾道市向島の塾「US塾」塾長のブログ 早稲田大学・開成高校出身 本音が飛び交う、少し「上から目線」の教育論
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教員免許廃止論
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    教員免許は廃止すればいい。


    大学3年・4年になってはじめて教職に就きたいと考えた教育学部以外の優秀な学生が、教職の単位を取ってないという理由だけで教師に就けないのはもったいない。ボランティアで子供と触れ合ったり、塾講師アルバイトを経験し、大学生活の中で教える面白さに目覚めた大学生に、公教育の道を開放したい。
     

    大学の4年間はどんな職業に就くか思い悩む時期である。ところが教師になるには、教育学部に入るか教職課程が必要で、早くも大学1年で教師になると決めなければならない。大学時代に将来をあれこれ迷った末、教師になるという道が閉ざされている。教員免許が優れた人材を学校現場から遮断している。
     

    果敢に民間企業に就活したのに、就職難で内定をもらえなかった大学生。彼らの中には、いい先生になる素質を持つ若い人がたくさんいる。ただ教員免許を持っていないというだけで、教職に就けないのは惜しい。不景気で就職難の時こそ、優秀な人材が簡単に教師になれるよう、教員免許の即刻廃止が必要だと思っている。
     

    それから、教師ほど中途採用に適した職業はない。他業種なら組織の末端から仕事を覚えねばならないが、教師はいきなり教室の独裁者。授業は組織戦ではなく個人戦。教師と生徒の間に上下関係はないが、管理職を除き教師の間に主従関係はない。教員免許の既得権益がなければ、いつ誰でも参入が可能な職業である。
     

    教師採用には教員免許は廃止し、一般企業のようにエントリーシートと面接と筆記で選ぶようにすればいい。教育学部と教職課程を履修した学生だけでは人材が限定される。いろんな学部から広く採用すれば面白い先生候補が集まる。もちろん年齢制限もなし。老若男女あらゆる人が先生になれる。
     

    教員免許をなくし広く人材を集れば、学校の教員室は子供への感化力に満ちた精強で埋め尽くされる。有能なビジネスマン、話術がある教授、賢明な主婦、教え方がうまい塾講師、ネイティブの英語教師、複数の企業から内定を得た優秀な大学生など、教員室はフィンランドも真っ青な人材の宝庫になる。
     

    こうすれば、現在学校に勤めている先生も、外部から人材がどんどん入ってくることで刺激になる。教師間の競争は子供に良い影響を及ぼす。ひどい授業しかできず、生徒に人望のない先生は淘汰されるからだ。
     

    橋下徹大阪市長は、校長を民間から登用している。同時に、教員免許をなくして現場の教師の入れ替えも同時進行でやるべきだと思う。指揮者だけ変えてオーケストラを変えるのは難しい。指揮者にも団員にも、下手な演奏をしたらどんどんクビにできる刺激を与えて欲しい。
     

    教員免許は、かつて勉強を教えられる人材が希少価値だった時代に、国が「この人は子供を教える力を持っています」とお墨付きを与えたなごり。学校の外部に教える能力を持つ人材があふれる今となっては、既得権益を守る時代遅れの古証文でしかない。


    運転免許を持たない人の運転は危険。医師免許を持たない医者の手術も危険。なのに、教員免許を持たぬ塾に親は安心してお金を払う。それが何を意味しているのか考えてほしい。
     

    私は塾の講師だが、塾がなくなればいいと考えている。学校を学力別編成にし、教員免許を廃止して、塾や民間企業から有能な人材を受け入れ、教師の質を上げ眠い授業を一掃する。昼の学校と夜の塾を一体化させる。子供が昼も夜も黒板に向かって授業を受けるなんて馬鹿げている。
     

    とにかく、教職課程の授業を受ける膨大な時間は、面白味のある優秀な人材を「公教育」の教壇から遮断し、むしろ生真面目なだけで融通がきかない人間をセレクトする制度だと思っている。教職課程は「退屈人間養成工場」で、教員の質を落とす可能性もある。


    教師には、退屈な教職課程の授業に耐え抜く忍耐力や、生真面目さも確かに大事だが、生徒に「この人には勝てない」と思わせる頭の切れとか、物事を「ズカッ」と伝える豪快さとか、心の中で沸々とたぎる熱意とか、ポジティブなバイタリティとか、ユーモア感覚に満ちた融通がきく頭の柔らかさとか、情の深さプラス懐の深さとか、そんな要素の方がずっと大切だと思う。


    教師の資質は天性なのだ。

    ところで、ドイツ陸軍軍人、ハンス・フォン・ゼークトのものとされる組織論があり、軍人を4つのタイプに分類している。
     

    〕能で怠惰・・・前線指揮官に向く
    ⇒能で勤勉・・・参謀に向く
    L鞠修蚤嫗董ΑΑα躬蔑甦韻泙燭蕨⇒躱校、もしくは下級兵士
    ぬ鞠修廼佇戞ΑΑ処刑
     

    軍人と教師は、まったく違う職種だということは十分わかっているのだが、教員免許の制度は「無能で勤勉」な人材を教壇に送り込んでいるような気がして仕方ないのだ。
     

    頭が柔軟で、教職取るなら大学時代もっと面白いことしたいと考える「有能で怠惰」な若者に、教師の道を志してほしいとの願いが、私にはある。

     

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