猫ギターの教育論

尾道市向島の塾「US塾」塾長のブログ 早稲田大学・開成高校出身 本音が飛び交う、少し「上から目線」の教育論
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日本一素直な男・コウタロウ(1)
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    私の理想の生徒

    いまから、岡山大学法学部一回生のコウタロウ君のことを書く。彼は私の塾に中1から高3まで通い、お互い強く尊敬し合い、学びあった青年である。

    私は辛口の教育論をブログに書いている。論調は概してネガティブで気難しい。しかし今から書くコウタロウ君は、6年間も一緒にいながら、一瞬たりとも私を不快にさせず、いつも明るい笑顔と並外れた勤勉性で、気難しい私の心をつかんできた。


    コウタロウ君のことを長々と書くのは、日本中の子供を持つ親御さんに子育ての参考にしていただきたいという気持ちと、素直さがどれほど人の気持ちを震わすかという事実と、さらに日本には未だにこんな天然記念物のような素晴らしいヤツが存在するということを、世間に向けてデカイ声で叫んでやりたいからである。

    ------------------------------------------------------

    6年前、私は塾をやめたいと悩んでいた。

    39歳の私は、塾講師生活の限界に差し掛かっていた。20年続けた職業だけに強い愛着があったが、仕事に行き詰まりを感じていた。

    私は大学生の時、塾講師のアルバイトを始めた。そこで子供に慕われることに喜びを感じ、生涯の職業と決め、塾講師を続けてきた。他の仕事を選ぶことなど考えられなかった。大学生だった20代前半の私は、子供に囲まれ、子供に勉強を教えることの新鮮さで、毎日が幸せだった。

    しかし40代を迎えるにあたり、塾講師を始めた20年前とは、生徒の質が変わってきていた。時代の趨勢か、親の育て方の問題か、テレビゲームの弊害か、子供が授業を聞く力が衰えてきた。

    いや、子供が私の話を聞かないのは子供のせいじゃない。変わっているのは私の方かもしれなかった。私が年齢を取りすぎたのだと考えてみたりもした。39歳といえば、中学生とは20歳以上二回りも違う。ジェネレーションギャップは否めなかった。

    それに、塾講師を20年も続けていると、子供に対する目が肥えてくる。勉強が伸びる子伸びない子の見分けがつくようになってしまった。子供は可能性の塊である。しかし可能性にも限界があることを、ベテラン病にかかった私は知った気分になった。

    塾講師としての旬が過ぎたと思った。塾業界はプロ野球選手と同じで20代から30代が最盛期、40を越えたら管理職になる人と、おじさん先生、おばさん先生と、生徒からウケがなり閑職に追いやられる人のどちらかだ。学校の先生なら授業の評判が悪くても、定年まで勤め上げることができる。しかし塾講師は違う。旬の過ぎた講師は、大手塾ならコマを減らされ馘首されるし、個人塾なら衰退するのを待つだけだ。

     

    それに、私は塾に来る一部の親や子を信頼できなくなっていた。愚痴を言うのを許していただければ、どうしてこんな育て方しかできないのだろう、そう思わせる子供が増えてきた。親に自習室に行けと強制されたのはいいが、堂々とよだれを出して眠る歯科医の息子、アイドルやゲームに夢中になり過ぎ「ゲームはやめさせて下さい」と忠告したのに放任し「先生もっと成績を上げてください」と理不尽な文句を言いにくる中学生の女の子の母親など、ストレスばかり溜めさせる親子が増えてきた。

    もちろん、問題のある子供を何とかし、親を説得し意識改革に努めるのが私の仕事である。しかし私は、そういう仕事には意義を見出せなくなっていた。

    また、子供は塾を裏切る。どんなに力を入れて伸ばしても、親は突然菓子包みを持って「お世話になりました」と退塾していくケースがある。だから裏切りを恐れて、子供との間に距離を作った。全力で教えても逃げて行く。だから子供には愛情を必要以上には注がないようにした。

     

    そういえば、私が塾講師をやっているのは、恥ずかしながらスポ根ドラマ「スクール・ウォーズ」に憧れたからなのかもしれない。塾OBからよく言われるが、私の塾は厳しい部活のような塾らしい。滝沢賢治率いる川浜高校ラグビー部のように、意識が高い生徒と濃密な人間関係を築きながら高め合う人間関係が私の憧れである。

    しかし私は運動神経がまるでない。自転車にも乗れないし、鉄棒の逆上がりはできないし跳び箱も飛べない。野球をすればピッチャーズマウンドからキャッチャーミットまで球が届かない。足も当然遅い。だから野球やサッカーやラグビーはできない。心は体育系なのに体育ができない。だから私は、勉強で体育会系的な気風を持つ塾を作ろうとした。

    一方で、私は子供に教養をつけ、アカデミズムに触れる環境を作りたかった。塾に本をたくさん置いて、生徒と自由闊達なウイットある会話をして、時にはバカ騒ぎをして、バカ騒ぎをすることで知性のリミッターを外す。理想を言えば、吉野源三郎「君たちはどう生きるか」のコペル君と叔父さんのような関係である。知的好奇心が強く聡明なコペル君の素朴な疑問に、叔父さんは理路整然と、時には熱く語る。そんな師弟関係に憧れた。

    矛盾しているかもしれないが「知的なスポ根塾」が私の理想だった。私と生徒が時には親密に楽しい会話をするけれども、いざという時には緊張感が走りガツンと叱る。それには生徒の側に遊ぶ時は遊ぶ、真剣なときは真剣にやる、ONとOFFのスイッチが入れ替わる強い知性が必要だった。

     

    私は、自分が40年間で得た知識、爆発寸前に有り余っている情熱を100%ぶつけられる、素直で本気な子に出会いたかった。知的会話が楽しめる子で、しかも根性があってへこたれない子。私の理想は高かった。

    だから毎回毎回、強気の広告を書いた。私の塾の広告は「やる気がある子は、かかって来い!」みたいな強い文面である。集客なんて二の次の媚びない、出せば出すほど塾生が減る、100人に1人の子をひたすら待つ広告である。よその塾が地引網で大量に魚を獲る広告なら、私は小さな船から糸を垂らし、大きな鯛が釣れるのを孤独に待つ広告だった。

     

    しかし実際にやって来るのは、やはり人の話を聞けない子が多かった。姿勢が悪い、話を聞かない、ノートが汚い、テキストを出すのが遅い、ゲームのやり過ぎで目がうつろ、忘れ物が多い、ホワイトボードに赤ペンで書いているのに赤ペンを使わない、しかも直そうとしても素直じゃない。何度も同じ注意を繰り返して、やっと聞く姿勢ができる。親に協力を求めても、なかなかうまくはいかなかった。そうして私は孤立した。なす術がないまま塾をやめる子もいた。もちろん、そういう子供と格闘しながら、成長を観察するのは楽しかった、だが本音を言うと、私と同じ価値観を共有する子供と出会いたい強い欲望があった。

     

    2月23日、塾の電話が鳴った。とても明るい声のお母さんだった。「入塾お願いします」。わが子を信じ、またわが子を預ける大人を100%信じてくださる方であることは、声のトーンで一瞬にしてわかった。「名前はコウタロウです」。どんな子がやって来るのだろう。楽しみだった。

    3月、新中のコウタロウ君がやって来た。第一印象から、頭の良さそうな笑顔のいい子という印象を受けた。コウタロウ君は坊ちゃん刈りで少年剣士のようで、目が細く古めかしい顔をしていた。

    授業を進めていくと、レスポンスが非常にいい。私の話を、離乳食を食べる幼子のように口を半開きにして聞き、笑うところは飛び切りの笑顔でニコニコ笑う。他の子が説教されている時も、自分のことのように神妙に聞いていた。

    コウタロウ君の授業の理解度は高かった。私の言葉がコウタロウ君にデジタルコピーされているようだった。彼の脳に造影剤を注入し、脳のシナプスを写し出すことができたなら、私の発する一つ一つの言葉が、大脳のすみからすみへと浸透していく感じだった。

     

    私は「来た!」と思った。

     

    コウタロウ君は、私が一度指示したことをすぐ守った。私が出すたった1回の指示が、コウタロウ君の頭の中で永久不変に固定した。

    山本五十六は人に物を教える時の心構えについてやってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ」という格言を残しているが、コウタロウ君は、やったり聞かせたりさせたりほめたりする面倒くさい手続きをいっさい踏まなくても、ただ「言う」だけで勝手に動く、講師としては極めて楽な子供だった。

     

    コウタロウ君の表情は、大人への無邪気な信用に満ちていた。子供は3歳ぐらいが一番かわいいというが、彼の素直さは3歳児のそれだった。コウタロウ君の精神年齢は高いが、身体と知能だけが中学生に成長し、純粋さと笑顔は3歳児のままだった。

    しかも彼の凄いところは、大学生になった今に至るまで「3歳児」であることである。

     

    人から好かれる子は、中学生・高校生、さらには大学生になっても哺乳類の赤ちゃんのような可愛げを持っている。この子のために何とかしてやりたいと、赤ん坊を保護する本能が全開になりそうな、良い笑顔を持っている。コウタロウ君はその典型だった。爬虫類のような顔をした同年代の子がいるが、そういうタイプとは明らかに違った。

    私のコウタロウ君に対する直感は正しいと思う。人物に対する見識眼が極めて高い、私よりいい意味で気難しいロカビリー先生赤虎先生にコウタロウ君を引き合わせても、たぶん彼が「本物」であることは見抜いて下さるはずである。

    こましゃくれてない自然な敬語を使い、まじめな話をするときは真正面から目を見て、必ず手をひざの上に置き、面白い時は心の底から笑う男だった。真面目、素直、賢明、純粋、清潔、几帳面、彼に対するほめ言葉が、間欠泉のようにあふれ出た。
    そしてこの子は絶対に私を裏切らない。第一印象でそれを確信した。この子なら愛情をフルに発揮し全力でぶつかれる。彼の笑顔はそれを語っていた。

     

    私はめったに塾の生徒のことをブログやツイッターに書いたりはしない。しかし彼が塾に来てすぐ、興奮してコウタロウ君のことを書いた記録がある。

     

    新中1の凄い子とヒル国務次官補 
     (以下引用)

    昨日新中1の授業で、「中国・インド・アメリカ合衆国・フランスから連想するイメージの言葉を、好きなだけ書け」という企画をやった。
    今から国のイメージを焼きつけることは大事だ。現に中国と韓国を混同している子がいる。中国からイメージする言葉に、キムチとかビビンバとかチェ・ホンマンとかヨン様を挙げた子がいた。
    中国なら、万里の長城・北京オリンピック・ラーメン・孫悟空・一人っ子政策・パンダといった言葉を並べて欲しい。A君は「紫禁城」というキーワードを挙げた。

    アメリカ合衆国で同じことやったら、新人のY君(=コウタロウ君)が「ライス国務長官」と書いた。小6なのに大した者だ。中3でもライス国務長官を知らない子が多いのに。ライス国務長官はニュースでも目立つ。なぜ認識できないのだろう。名前はライスだし、顔も怖いし。ブラウン管に出てきたら目が釘付けになる存在感があるのに。
    Y君のさらに凄いところは「ヒル国務次官補」の名前も書いていたことだ。私は驚いてしまった。彼は現時点でも賢さと素直さのオーラではち切れそうな子だが、将来うまく伸ばせば才能が爆発するだろう。

    頑張って育てねば。武者震いしてきた。

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    ところで、司馬遼太郎「世に棲む日々」によると、吉田松陰は「百人やって来るうち一人ぐらいは凡質からはるかに突き出た『奇士』がいるに違いない、それを待っている」先生だった。

    そして松蔭は、のちに妹を嫁がせるほどの愛弟子、久坂玄瑞からはじめて手紙が来た時、その内容の苛烈さ潔癖さに「ついに奇士が来た」と、雀躍りするような気持ちだった、とある。

    コウタロウ君に出会って、私も松陰に負けず雀躍りした。とうとう「百人に一人」が来たと。俺はこの子を教えられるんだ。

    塾をやめたいなんて気持ちは、完全に吹っ飛んでしまった。「3歳児」のコウタロウ君のおかげで、私は40歳のマンネリ講師から、20歳の初々しい大学生講師へと一気に若返った。

     




    (つづく)

     

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