猫ギターの教育論

尾道市向島の塾「US塾」塾長のブログ 早稲田大学・開成高校出身 本音が飛び交う、少し「上から目線」の教育論
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日本一素直な男・コウタロウ(3)
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    アレルギーとアトピー

    実はコウタロウ君は、生まれた時から極めて重度の食物アレルギーだ。それに加えアトピー皮膚炎を患っている。コウタロウ君が食べられるものは限られ、反応を起こすと腹を下し、最悪の場合には呼吸器障害に陥る。

    コウタロウ君は小さいころアレルギーで米、稗、粟、小麦粉、肉全般、魚(青魚以外)、タコ、イカ、エビが食べられなかった。米やパンやうどんが食べられないコウタロウ君は、炭水化物を戦時中の日本人のようにサツマイモで取っていた。彼が生涯初めて食べた肉は牛でも豚でも鶏でもなく、なんとカエルである。

    いまも卵、そば、ピーナッツ、それにチーズ、マーガリンなど乳製品が食べられない。牛乳はかろうじて許容範囲で、イクラやタラコや数の子など魚卵もダメだ。ラーメンも、ほとんどの麺には卵が練り込まれており、友達とラーメン屋に行っても、野菜炒めとライスを一人で食べている。当然のようにコウタロウ君は学校給食が食べられなくて、お母さん手作りの弁当を食べていた。

     

    小さなコウタロウ君のかわいい笑顔が、特定の食べ物を身体に入れると、たちまち苦しみでゆがんでしまう姿を見て、お父さんお母さんはどれだけ心配されたことだろう。アレルギー治療のため、コウタロウ君は広島の大病院へ通った。それでも完治には至らず、心配したお父さんお母さんは、幼少のコウタロウ君を漢方医学の治療に委ねるため、中国の北京・大連に連れて行かれた。彼は小さな身体で中国大陸に渡り、言葉の通じぬ漢方医に診察される経験をした。

     

    まわりの人たちは、コウタロウ君を溺愛したと思う。彼のお母さんは陽気で優しい人で、三者懇談の時も、性に合わない人だと機嫌が悪い時の小沢一郎のように仏頂面で無口になる私を、滑らかな饒舌にしてくれる方である。また稀代の聞き上手で、コウタロウ君の極めて高い言語能力は、たぶんお母さんの力である。私とお母さんが話し始めると、横でコウタロウ君が笑顔を一瞬も絶やすことなく、背筋を伸ばしてニコニコ聞いているのが印象的だった。

    コウタロウ君のお母さんは、愛情量が強い方である。コウタロウ君を心底から愛していらっしゃる。反論があるのは十分承知で持論を述べると、子供を強く愛せる母親もいれば、薄くしか愛せない母親もいると私は考えている。私は母親の子供に対する愛情は平等だとは考えてはいない。

    コウタロウ君のお母さんは、どう少なく見積もっても普通の母親の2倍の愛情量を持っていらっしゃる。そして、彼がアレルギーであることによって、さらに愛情量がパワーアップしているように思えてならない。

    コウタロウ君のお父さんお母さんは、可愛げと律儀さの両方を高いレベルで兼ね備えた子供を育てあげられた。敬語とか挨拶とか外面だけを取り繕う慇懃無礼な子供ではなく、内面の部分から他人への誠意にあふれたコウタロウ君やお姉ちゃんをお育てになった。

    湯たんぽに温かい水を注ぐようにコウタロウ君に愛情を注がれ、コウタロウ君は湯たんぽのような笑顔で周囲の人間を温かくした。

     

    しかし、コウタロウ君の家の子育てにも、ひとつだけ小さな瑕疵がある。それは食事の仕方である。コウタロウ君はパスタを豪快に音を立てて食べるし、食事は何を食べてもガツガツして豪快だ。

    この欠食児童のような食べ方はおそらく、コウタロウ君が小さい頃、米も小麦粉も食べられなかった名残だろう。お父さんお母さんは、彼がはじめて米を食べたとき、パンを食べたとき、うどんを食べたとき、どんなに喜ばれたことか。アレルギーの数値が減り、一つ一つ食べることができるものが増えていく感動は大きかったに違いない。

    コウタロウ君を可愛がる親としては絶対に「音を立てて食べたらダメ」なんて言えるわけがない。食べ方なんかどうでもいい、コウタロウ君には食べることが大事だった。コウタロウ君がパスタを食べる時の盛大な音は健康の証で、お父さんやお母さんを安堵させる音なのだ。だから私も、コウタロウ君がパスタを音を立てて食べるのを聞くと、なぜか嬉しくなった。

     

    コウタロウ君のお父さん、お母さんだけでなく、おじいちゃんおばあちゃんも、コウタロウ君に深い愛情を注がれた。コウタロウ君はおじいちゃん、おばあちゃんのことを、感謝を込めてこう書いている。

    僕は向島の祖父母と過ごす時間がとても多かったです。広島の病院に行く時はいつも祖母の車でした。また、外食する時、買い物に行く時など多くのイベントで祖父母と一緒にいたのを覚えています。僕が高校でサッカー部を引退するまで週に数回は祖母が家にきて足のマッサージをしてくれていました。祖父はゴルフで獲得した高級な肉や賞品を家まで届けてくれていました。家こそ違いますが、とても多くの時間を祖父母と過ごしました。

    お父さん、お母さん、おじいちゃん、おばあちゃんから温かい愛情を受けて、コウタロウ君はまれに見る素直で勤勉な少年に育った。過保護とは似ても似つかぬ、誰にでも愛される男の子になった。

     

    さて、ここからは私の想像である。

    私はコウタロウ君の「異常」とも言うべき人の話を聞く力、幸せそうな笑顔、それに大人に対する厚い信頼は、アレルギーで苦しんだことが遠因になっていると考えている。

    コウタロウ君は、医師の先生やお母さんが、食べていいと指示したものだけ食べてきた。医師が数値を検査し、お母さんが限られた材料の中から丁寧に調理され、コウタロウ君の口に運ぶ。医師やお母さんは、コウタロウ君に苦しみを与えないために、徹底して「毒見役」を努めた。

    コウタロウ君は医師の先生やお母さんを信用しないと、内臓や呼吸器に強い反応が起きてしまう。お母さんがコウタロウ君に食べ物を与える。何ともない。食べ物を与える。今度も大丈夫だ。その繰り返しがコウタロウ君とお母さんの、普通の親子以上のつながりを生んだのかもしれない。

    医者もお母さんも、絶対に彼に間違ったものを食べさせられない。大人は彼に反応を起こさない食べ物を与え続け、コウタロウ君は大人を信じて、言われた通りの物を食べ続けてきた。コウタロウ君は素直じゃなければアレルギーで辛い思いをするしかない。素直でなければ苦しくなるのはコウタロウ君なのだ。コウタロウ君には反抗期がない。彼は反抗期なんかやっている場合じゃないのだ。

    食べ物を通じて、お母さんや医師の先生と、コウタロウ君の強い信頼関係ができた。その信頼関係が、医者や肉親だけでなく、世間一般の大人に対する信頼につながり、学校の先生、サッカーのコーチなど、あらゆる大人の言うことを素直に聞く少年に育ったと私は考えている。彼にとって大人は「神様」だったのだ。

     

    こうしてコウタロウ君は、ハンディの中たくましく成長し、小3からサッカーを始めた。重度のアレルギーで、いつも不安と戦われてきたお父さんやお母さん、おじいちゃんやおばあちゃんにとって、グラウンドで走り、球を思いっきり蹴るコウタロウ君の姿に、どれほど安堵されたのか想像もつかない。しかも彼は運動神経抜群なのだ。

    そして、コウタロウ君は中1から、尾道本土からよりによって、厳しいと評判の向島にある私の塾まで、わざわざ橋や船で通い始めたのである。

    塾でコウタロウ君は同級生どころか、高校生にさえ勉強態度の模範になった。重度のアレルギーでアトピーなのに、彼の口から「いたい」「しんどい」「つかれた」「かゆい」という言葉など聞いたことがない。暑くても寒くても「大丈夫です」と言う。不快な表情ひとつしない。私の理不尽な要求にも裏の意味を読み取る感性をもち「はい」と素直に聞き実行する。弱音を吐くことなんか想像すらできない。彼が重度の疾患にかかっているとは、誰も見分けることができないくらいがまん強い。

    お母さんのお話によれば、小さい頃から痛い注射を打たれても、コウタロウ君は小さな身体で泣かずにじっと我慢していたそうである。たぶん、コウタロウ君が我慢するくせがついたのは、自分が痛がることによって、まわりの大人が心配することを気遣ったからだ。彼は自分の病気のせいで、他人が迷惑するのを気に病む、自分の痛みより他人の心情に配慮する男なのである。

     

    たとえば、先日、コウタロウ君とスグル君の3人で、焼肉屋でビビンバを食べた。彼がよく行く焼肉屋のビビンバには卵は乗っていないらしいのだが、その店のビビンバには目玉焼きがのっていて、私は目玉焼きを慎重に取り除いたのだが、しかし白身の一部が下のもやしに微小ながら付着していたらしく、彼はお腹を壊してしまった。完全に私の不注意である。コウタロウ君から帰宅後すぐにメールがあって、そこには、

    今日はありがとうございました。焼き肉で久しぶりに良い肉を食べた気がします。

    ただ、自分の不注意でご心配をおかけしてすみませんでした。外出時は、100%安全な物しか食べてはならない、という教訓が得られました。またよろしくお願いします。おやすみなさい。

    と書いてあった。コウタロウ君は自分の腹の痛さより、私に心配をかけたと気をつかっている。幼少期から周囲の大人に対して気遣う習慣が、彼を物腰の低い紳士に成長させたのだ。

     

     

    最後に、アレルギーとアトピーについて、コウタロウ君にメールで質問をぶつけてみた。彼の回答は口述筆記でなく、彼自身が書いた文章である。

     

    Q:アレルギーについて尋ねられるのはどんな気持ちですか? また、アレルギーやアトピーで他人からいやな仕打ちを受けたことがありますか?

    A:アレルギーであること、アレルギーについて聞かれることは自分にとって苦しいことではありません。自分の体を見直すきっかけになります。今は東洋医学に興味があります。趣味として勉強してみようかと思っています。これも、アレルギーになっていなかったら縁の無かった分野でしょう。アトピーとアレルギーは僕に色々なきっかけを与えてくれました。

    人から嫌な仕打ちを受けた記憶はありません。アレルギーであることをからかった悪口を言われたことはあるかもしれませんが、本当に覚えていません。嫌な記憶だから無理矢理忘れようとしているわけでもありません。おそらく小学校のときから笑って受け流していたのではないかと思います。

     

    Q:学校給食の時間などに、自分だけ他の人と違うものを食べている時の思いは、どんな感じですか?

    A:僕は給食時間は、一人だけ母の弁当を食べていたのですが、1つ悔しかったことがあります。小学校では”ぬた”が1番まずいメニューとして児童から敬遠されていたのですが、僕は祖母が作った絶品のぬたの味しか知らなかったので皆が嫌がる理由が分かりませんでした。おかずは普段ならすっからかんになるはずなのに、ぬたの日は半分くらい残っていました。それを全部平らげて「これ、ぶち美味いじゃん!」と、言ってやりたかったのです。これはマジで悔しいです。食べられるんなら全部食えって思います。野菜に好き嫌いがある人は特にです。

    とは言うものの、クラスメートは皆優しさに溢れていました。納豆や八朔ゼリーなど一人分がケースに入っているようなものが余った場合は僕に分けてくれていました。給食費を払っていない僕に、です。弁当美味しそうじゃね、と声をかけてくれる人もいました。
    それでも、一人だけ皆と違う料理を食べているという意識が強くなる時がありました。合宿、遠足、修学旅行の時です。クラスのテーブルの1番端に"コウタロウさま"と書かれたプレートが置いてある席が準備してあったからです。すき焼きの鍋やしゃぶしゃぶの鍋を一人でつつくこともありました。そんな時、少し寂しい気分になったこともありました。しかし、一学年150200人もいるのに、僕一人のために別の料理を準備していただいたことへの感謝の気持ちや、一人だけ違う料理を食べるという特別感を楽しむ気持ちの方が強かったのを覚えています。

     

    Q:学校給食を食べられないことは、苦ではありませんでしたか?

    A:お母さんの美味しい弁当を食べられるんですよ。時には給食のメニューと合わせてくれたこともありますし。だから給食を食べられないことが苦だと感じたことはありません。みんなと一緒に”ご飯”を食べているという感覚でした。

     

    ふだんは文体が硬質で、お母さんのことは「母」と丁寧に書くコウタロウ君だが、弁当のところは「母」でなく「お母さん」とくだけた表現を使っている。

    この「お母さん」の使い方は、どこか知覧の特攻隊で死んだ若者の手紙を想像させる。知覧の特攻隊員が母親に宛てた手紙には、「母」というかしこまった言葉の中に、ときどき「お母さん」という生々しい言葉がある。私はそれを見ると胸が詰まりそうになる。「母」と「お母さん」を自然に使い分けるテクニックには、コウタロウ君の卓越した文才と、お母さんに対する強い想いが込められていると、私は思う。

     

    さて、東京の予備校の講師であり、個人塾を経営されている細川元先生に以上の文章をお見せしたところ、こんなご意見を寄せていただいた。

     

    コウタロウ君の素直さ、大人に対する信頼が彼の体を苦しめたアレルギーとの等価交換だと考えると、素直や信頼というのはそれだけ重みのあるものなのだと思わずにはいられません。そしてまた、コウタロウ君の素直さを素晴らしい羨ましいと言うのは簡単ですが、それを生んだつらさを思えばこれからは軽々に口にはできません。

     

    こうして、幼少期病気で弱い子だったコウタロウ君は、強い男になるため私の弟子になった。

     

    (つづく)

     

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