猫ギターの教育論

尾道市向島の塾「US塾」塾長のブログ 早稲田大学・開成高校出身 本音が飛び交う、少し「上から目線」の教育論
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日本一素直な男・コウタロウ(7)
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    入院の話の続き。

    1月に入院した私は、2月初旬に退院した。足の患部を抉り取った跡は深い穴が開いたままだったが、人工皮膚を埋め込む修復手術は、4月に延期してもらった。受験と春期講習会終わるまで先生に手術を待ってもらい、2月3月の受験でいちばん私が受験生に必要とされる時期、とりあえず現場に復帰することができた。4月、春講が終わって修復手術で3週間入院したが、ようやく完治し退院することができた。

    入院中は一橋大学の入試問題を研究し続けた。病室は空気が乾いていて、ドライアイで目が霞んで見えない。老眼も重なって、赤本青本に顔を埋めるように目を近づけながら、コウタロウはこの問題は解けるだろうか、この問題は解けないかもしれない、じゃあどうやって対策を練ろうか、どんなテキストを使ったら効率がいいか、コウタロウの目線から探りを入れながら過去問を研究した。私はコウタロウの英国社の学力については世界で一番詳しい。退院したら過去問やりまくるぞと燃えていた。

     

    過去問をやれば勝てる。だが過去問は難敵だ。なぜなら過去問には受験生が苦手意識を感じた箇所が出る。しかも難度を高めて出題される。過去問はいわば「受験生の嫌う問題大全集」なのである。受験生が過去問を避けたい気持ちは痛いほどわかるが、いずれ立ち向かわねばならない関門である。

    過去問をやっても同じ問題は出題されない。しかし過去問をやらなければ合格できない。この事実は奥の深い問題である。過去問をやることで、その大学独自の思考回路のようなものが脳に叩き込まれると同時に、ふだんの勉強が無意識のうちに過去問に即した無駄のないものになるのが原因だろう。

    中村勘三郎は「型のある人が型を破ることを型破りといい、型のない人が型を破ることを型無しという」と言った。過去問は「型」である。過去問を解けば志望大学独特の出題の型が身につき、型が身につくからこそ入試本番の「型破り」な新作問題が解けるのだ。

    大学受験で過去問を積極的にやる受験生は勝率が高い。理由の一つは好奇心。志望大学がどんな問題を出すのか興味があるから過去問をやる。もう一つは闘争本能。肉食系タイプは高い点数をゲットしたいから、どんどん過去問にチャレンジする。過去問で一喜一憂すればするほど勝率は上がる。

    過去問を疎かにすればリスクは大きくなる。大学受験で怖いのは、模試でB判定を取ったからといって安心し、過去問をろくに解かずに受験に臨むことである。特に受験前、最後の2ヶ月は模試の結果でどん底に落とされた受験生が、血走った涙目で全身全霊をかけ過去問にしがみつき、猛スパートをかける。過去問に惚れるくらい解いた者が勝つのだ。

    もちろん、一つの参考書・問題集を何度も繰り返すのが効果的な勉強法なのは十分わかっているが、成績が伸びない受験生は同じ問題集ばかりやって新しいことに挑戦しない。一つの問題集の殻に引きこもりすぎて過去問を嫌う。

    コウタロウはどうだろうか。彼は完璧主義なところがあって、学校のテストで高得点を取るタイプである。逆に言えば冒険を嫌う。チャレンジ精神が必要な過去問に向かって、自分から積極的には近づかないかもしれない。コウタロウは自己評価より他人の評価の方が高いヤンキースの黒田みたいな男だ。自己評価の低さから来る弱気に支配されやすいコウタロウに過去問を解く度胸が生まれるかは、すべて私の指導力にかかっていた。

    私がコウタロウをうまく誘導して過去問を解いてもらい、上手にわかりやすく解説して自信を持たせて、過去問を断崖絶壁でなく緩やかなスロープとして認識できるような教え方ができるか、コウタロウに過去問を楽しいと思わせる授業ができるかは私の責任だった。

     

    ネックになるのは、個人塾には一橋大学の情報が少ないことである。受験が情報戦ならば情報面での立ち遅れは否めない。というか中国地方の予備校にも一橋の入試に詳しい人は少ない。だから私は首都圏の予備校の先生2人にアプローチを取って、一橋対策の深い部分を電話やメールで教えていただいた。私は基本的にシャイなので、人に教えを請うなんてことは極めて稀である。2人の先生は快く教えてくれた。いきなり情報を下さいという不躾な頼みを、気持ちよく受け入れて下さったのは、私がBlogTwitterで情報発信していたからだろう。私が塾のことを隠し事なくガラス張りにして発信しているので、この人なら大丈夫と思われたようである。私は今まで一方的に情報をgiveしてきた。だからtakeが可能だったのである。

     

    とうとう、私は無事に退院できた。44歳の働き盛り、気迫に満ちていた。一橋大学に行くには4月5月6月が勝負だ。4月は私が入院してコウタロウには申し訳ないことをしてしまったが、その償いをするべく、5月はGWも塾を開けてスグルやコウタロウを鍛えた。スグルは野球部、そしてコウタロウはサッカー部。どちらも体育会系バリバリである。コウタロウはサッカー部をまだ引退していない。しかし勉強面ではアクセル全開にしておかねばならない。

    4月5月6月は、運動部の生徒と塾の先生の間に意識の差が生まれやすい時期である。早く受験勉強をはじめたい塾講師と、部活の最後の試合に燃える生徒の間で行き違いが生じやすい。だから私は部活との綱引きに負けないよう殺気を放出した。

     

    世界史の過去問をやりたい。しかし過去問をやるには世界史の基礎学力が、現役生5月の段階でのコウタロウには足りなかった。基礎力を鍛えるため、抜け駆けしてダッシュをかける必要があった。5月中旬、私は思い切ってコウタロウに厳しいノルマを課した。

    河合塾・代ゼミ・Z会・駿台など予備校が出版しているセンターの実戦問題集で、6月20日までに85点以上取ることをめざした。一橋大学を受験するには、世界史で90点以上は最低取ることを基礎力という。

    高3・5月の時点では、学校の世界史はまだ複雑な近現代史が残っている。しかしコウタロウの志望校は一橋大学、世界史論述は日本一難しい。学校の授業に合わせていれば遅すぎる。しかも一橋大学志望者は浪人が多い。早慶の併願者も多い。コウタロウの現代のセンター試験の得点力は60点前後、あと20点は上げねばならない。近現代史は自分で学ぶ必要があった。

    何十回かかるかわからない、とにかく実戦問題集を解く、見直しをする。他の問題を解く、見直しをする。85点取るまでその繰り返し。苦手な分野が現れれば「山川世界史ナビゲーター」や「青木の世界史実況中継」で根本から調べ上げる。もちろん私も質問に答える。理解しづらい箇所は映像授業を見る。這い上がるのは自分の力しかない。完全な自学自習をコウタロウに成し遂げて欲しかった。

     

    私はコウタロウを呼んで椅子に座ってもらい、目を見据えて言った。コウタロウはいつものように手を膝にきちんと置いて、息を詰めて私の話を待っていた。

    「世界史センター実戦問題集で85点以上取れ。何回解いてもいい。期限は6月20日。ダメだったら坊主にしろ」

    コウタロウは坊主命令を出され、躊躇することなく1秒で「はい」とうなずいた。コウタロウは福ちゃんが丸刈りで頑張っている姿を見ているはずだ。ノルマを果たせなかったら遠慮なくバッサリ刈られる事はわかっている。それでも坊主になる覚悟を決めた。

    この時点で私とコウタロウは5年半のつき合いである。でもマンネリに陥ることなく、私と彼の間には師弟の厳然とした距離があった。私は彼を決して懐に入れず、彼は私を畏れていた。ある時は鬼顧問と部員の「体育会系」、逆にある時は大学教官と学生の「文化系」と、フレキシブルに立場を入れ替えることができたが、この時の私とコウタロウの関係は完全に体育会系だった。

    だからといって、彼には奴隷根性なんかまったくない。逆にコウタロウは強くなりたい意志があるからこそ、誰よりも強い主体性と自立心があるからこそ理不尽な要求に耐えているのである。

     

    そういえば、こんなエピソードを思い出した。私が退院して間もない頃、コウタロウやスグルの前で、私がどういう心境でそんなことを言ったのか理由は未だによくわからないが、「俺はもう生徒を怒らない。やさしい先生になる」とつぶやいた。その時2人は戸惑いを隠せない不安な表情をした。コウタロウはいつもは私の言うことを素直に聞いてくれる男だが、この時は「でも、それは・・・」と明らかに不満そうだった。そんなに厳しくしてほしいのか。だったら君の要求にこたえて厳しくしてやろう。坊主命令はコウタロウ自身が蒔いた種だった。

     

    コウタロウは私を100%信用してくれた。理不尽な要求だが、彼は理不尽の裏にも私の深い考えがあることが本能的にわかっていた。というか私が言うことはすべて正しいと信頼している。猛烈な重圧がかかった。しかし、もちろん私には確固とした信念と理屈があった。

    世界史で厳しいノルマを課した理由の第一は、コウタロウにプレッシャーを与え、本場に強い精神力を養うためだ。コウタロウは中学受験をしていないし、高校受験は推薦入試で、入試本番の圧迫感を経験していない。だから私が脅すことによって、本番の緊迫感のリハーサルをするのである。コウタロウは決して谷亮子のように本番で野獣に化すタイプの性格ではない。修羅場に臨むための免疫をつけておきたかった。

    第二は、コウタロウの世界史の勉強方法を見ていると、教科書に用語集、図表まではキチンと見て勉強しているのだが、「山川世界史ナビゲーター」や「青木の世界史実況中継」で調べるような深い勉強がイマイチできていない。まだ勉強が浅い。これは彼が司法試験を受験する時に不利だ。正しい勉強法とはいえない。だから高校生のうちから本の山に埋もれて、あれこれ参考文献を参照する習慣をつけてもらいたかった。

    第三の目的は、私が中学受験時代の勉強法を、コウタロウに真似してもらいたかったからだ。私が中学受験を始めたのは小学5年生の終わりごろだった。私は塾へは通っていなかったが、広島の進学塾からDMが来て、テストを受験してみてはどうかとの案内があった。軽い気持ちでテストを受験したところ、入塾テストが広島校の史上最高点だったと伝えられいい気になった私は、週1回・日曜日だけ、新幹線で広島に通うことになった。そこの塾は日曜日に算国理社の4教科のテストと軽い解説があるだけで、テスト勉強は「予習シリーズ」みたいなテキストを配られるだけで完全に子供任せだった。現在の塾事情からすれば完全に手抜きだが、そこの塾のやり方は私には合っていて、私は講義の力を借りずに、自分で調べて勉強するくせがついた。同じように、コウタロウにもテストの目標値だけ与えて、あとは自分で効果が高い勉強法を見つけ、自分から攻めて行く自主的勉強の習慣をつけてもらいたかった。コウタロウの力量を見込んだからこそできる勉強法である。

     

    というわけで、コウタロウは世界史に集中し始めた。使用した参考書は「山川世界史ナビゲーター」や「青木の世界史実況中継」をメインに、「ヨコから見る世界史」などを使った。「ヨコから見る世界史」は地球上の事件を各世紀ごとにヨコに並べた書で、古代中世ではヨーロッパ・アジア・アメリカと別々の場所で起きた全く関連のない事件が、近現代で一つに収束する推理小説のような、「グローバル化」の進展がわかる参考書である。

    またiPadのソフト「Z会の世界史」は超便利だった。社会の用語暗記にはもってこいのソフトである。文化史が少し弱いが、必要最小限の用語を網羅し、間違った箇所がしつこく何度もランダムに出る形式で、寝食忘れてエキサイティングに必要最低限の用語が暗記できる。

    コウタロウは部活を6月に引退したが、5月6月は部活で一番燃え上がる時期なのに、彼は世界史のハードなノルマに耐えた。コウタロウの点数の推移を紹介すると、まず駿台の実戦問題集は69,71,64,58,69,67,7185点には達せず、Z会を一度やってみたが問題が難しく40点。河合塾に移って79,81,83,84とあと1点まで迫るのだが、その後79点とやや後退した。今度は代ゼミで76,75とさらに後退して締め切り期日が迫った。このままではコウタロウは坊主だ。

    締め切りが迫ると、コウタロウは「本番みたいに緊張します」と言いながら引きつった笑いをしていた。締め切り5日前、私はコウタロウに冷たく声をかけた。

    「コウタロウ、お前家にバリカンあるか?」「はい」

    「ダメだったら3mmだからな」「はい」

    コウタロウは火事場の馬鹿力を出し、締め切り3日前、とうとうセンターの本試験で87点を取った。コウタロウは坊主を免れ、私もコウタロウも安堵した。1ヶ月で世界史の突貫工事は完成した。教育は「愛情と脅し」なのだ。

     

    世界史を伸ばすために、もう一つ、映像の力を借りた。

    世界史を伸ばすためには、骨の髄までしみ通るリアルな手触りを持つ教養が必要だ。私はNHKスペシャルで1995から1996年にかけて放送された、アメリカABCとの共同取材番組「映像の世紀」をコウタロウに見せた。私はこの全11話からなる番組が大好きで、2003年にアンコール再放送が行われた時、録画するためにわざわざ奮発してDVDレコーダーを買ったほどである。

    「映像の世紀」の内容は以下の通り。
    第一集 『20世紀の幕開け』-カメラは歴史の断片をとらえ始めた
    第二集 『大量殺戮の完成』-塹壕の兵士たちは凄まじい兵器の出現を見た
    第三集 『それはマンハッタンから始まった』-噴き出した大衆社会の欲望が時代を動かした
    第四集 『ヒトラーの野望』-人々は民族の復興を掲げたナチス・ドイツに未来を託した
    第五集 『世界は地獄を見た』-無差別爆撃、ホロコースト、そして原爆
    第六集 『独立の旗の下に』-祖国統一に向けて、アジアは苦難の道を歩んだ-
    第七集 『勝者の世界分割』-東西の冷戦はヤルタ会談から始まった
    第八集 『恐怖の中の平和』-東西の首脳は最終兵器・核を背負って対峙した-
    第九集 『ベトナムの衝撃』-アメリカ社会が揺らぎ始めた
    第十集 『民族の悲劇果てしなく』-絶え間ない戦火、さまよう民の慟哭があった
    第十一集 『JAPAN-世界が見た明治・大正・昭和

    「映像の世紀」は世界三十ヶ国以上のアーカイブから収集した貴重な映像を編集して作った番組で、第一次世界大戦、ロシア革命、ベルサイユ条約、世界恐慌、ナチスの台頭、第二次世界大戦、インドの独立運動、朝鮮戦争、ベトナム戦争という、20世紀の大事件がリアルな映像としてまざまざと活写されている。
    20世紀初頭にエジソンの発明によって、人類が初めて映写機を使えるようになり、20世紀は動画で見る事ができる最初の世紀になった。逆に言えば19世紀までの歴史上の人物の動画は当然残っていない。ビクトリア女王もナポレオンもリンカーンも坂本龍馬も動画でその姿を見ることはできない。
    ところが、20世紀の歴史上の人物はヒトラーもムッソリーニも毛沢東もスターリンもガンジーもホーチミンもルーズベルトもチャーチルも、当たり前だが映像の中でキチンと動いている。彼らが現実に存在した人物であったことを再認識させてくれる番組だ。

    「映像の世紀」の圧巻は第二集で、第一次世界大戦が日本人が想像するよりいかに激しい戦争だったか、一発で理解させてくれる。1914年に戦争が開始された時は、誰もがこの戦争は早期に解決すると思っていた。パリでもロンドンでも、戦争に従軍する前の若い兵士は笑顔で戦争に旅立っている。

    ところが予想に反して戦争は激化の一途をたどり収束の糸口すらつかめない。第一次世界大戦初期は、まだ大砲の打ち合いで馬も登場し、中世の古戦みたいな「のどか」な戦争だったが、そのうち塹壕が掘られ、鉄条網が張られ、機関銃が登場し、戦車が製造され、毒ガスが撒かれ、飛行機が飛び交い、4年という短期間に殺戮兵器は目覚ましい発展を遂げる。戦争が科学技術を深化させるという残酷な事実が、映像の力でしっかり理解できる。第一次世界大戦は、人類史上初めて兵士の身体が鉄と機械でミンチにされる戦争だったのである。

    また第四集あたりから、不鮮明で古めかしい映像が突然、撮影技術の進歩でクリアになる。クリアになった映像に映し出されるのは、ニュルンベルクのギリシャ神殿を模した会場で行われたナチス党大会で手を激しく動かしながら熱く演説するヒトラーだった。空には光線が飛び交い、巨大なハーケンクロイツの旗が暗闇に眩しく映し出される。10万人の歓声がヒトラーを迎える。ヒトラーがドイツで政権を握ったのは恐怖政治のためだけではなく、ヒトラーが稀代なカリスマ性を持ち、ナチスの支配装置の意匠がドイツ人を魅了したからだということを、鮮明な映像は教えてくれる。


    コウタロウは「映像の世紀」を、当事者の顔になって真剣なまなざしで見つめていた。

     

    (つづく)

    IMG_0069.JPG
    同志社大学2年になった福ちゃんの話を聞く、高3のコウタロウ

     

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