猫ギターの教育論

尾道市向島の塾「US塾」塾長のブログ 早稲田大学・開成高校出身 本音が飛び交う、少し「上から目線」の教育論
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日本一素直な男・コウタロウ(8)
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    私の塾の高校部は一学年の人数が少ない。多くて4〜5人である。高3になると、論述対策など個別がメインになるので仕方がない。高3のための時間がほしい。だから人数は抑えている。それでも日曜日は一日中塾に来てもらったし、2学期以降になると深夜まで残って勉強してもらった。

    特にコウタロウは個別指導の時間が長かった。マンツーマンで週5時間以上はやっていたのではないか。

     

    個別指導は、勉強ができる子にも効果的だ。個別指導は勉強が苦手な子の補習的な意味合いが強いが、強烈な講師とモチベーションが高い子が一対一で向き合えば、問題のハードさと進路のスピードが心地良い。1対1の指導は才能を持つ子のリミッターを破壊する「英才教育」である。

    私の場合は集団授業より厳しい個別指導をする。伝統芸能で師匠と弟子が一対一でやりあう修業のような個別だ。弟子が師匠の問いに答えられないと場が凍る緊張感。個別は甘いものではない。子供に逃げ場がないキツイものだ。

    個別指導の良い点は、生徒のミスをただちに直せるところだ。問題を解く時に足を引っ張る「思い込み」を瞬殺できる。生徒の「思い込む」箇所を直ちに見抜き、脱出方法を共に探れる。

    そして実は、現代文こそ個別指導が効果的な教科である。英語数学のミスなら、講師が一方通行的に集団授業で正しい解き方を押しつければ生徒は納得せざるを得ないが、現代文は正解を示されても何故間違いなのか納得できぬ点が残る。そこで生徒が講師に疑問をぶつける。議論が始まる。そんな一対一のやり取りで国語力は伸びる。

    とにかく個別指導は師匠と弟子の真剣勝負だ。師弟関係に甘さはない。剣術のように師匠の声は硬くなるし、弟子をギロリと睨みつける。竹刀の音が高く響く。でも本気で打ち合って防具を外した後は、師匠と弟子がお互いに笑顔。そんなメリハリが私とコウタロウにはあった。

     

    一橋の過去問対策が始まった。科目は英語・国語・世界史・数学である。

    コウタロウの個別指導のメインは過去問だった。入学試験でも就職試験でも司法試験でも何でも、試験にパスするには何をすればいいのか、まず大まかな概要をつかむ必要がある。「木を見て森を見ず」の状態で合格は難しい。「過去問一点主義」が合格を引き寄せると信じた。

     

    まずは英語、英語はコウタロウの得意科目、学校の教材やプリントを見ると、一橋大学の英文和訳に即した問題をやっているので安心した。彼は自由英作文もリスニングも得意だ。だから過去問を普通に解いて、普通に解説するだけで良かった。

    最初は負担が大きいので全問を解くのではなく、一問ずつ時間無制限でやった。これだと負担が少ない。そのうち全ての問題を、時間を計ってやるようになった。

    楽しかったのは、駿台が出版している一橋模試を解く時だった。駿台模試には採点基準が細かくついている。コウタロウが問題を解き終わった後で、私とコウタロウが採点基準を使って別々に採点し合う。2人の採点官方式だ。たとえばコウタロウが22点で私が26点なら、私が甘い採点をしているんじゃないかと気にしたし、コウタロウが28点で私が23点なら「お前は自分に甘い」とからかった。偶然同じ点数だった時は笑い合ったものだった。

    英語の長文対策は赤本だけでは物足りないので、「速読英単語⊂綉虔圈廚鮖箸辰拭0豢兇留冓枯駄は英文の意味を「ひらめく」ことが必要だ。速単の上級編は難単語を暗記するためにあるわけではなく、難単語の意味を類推する訓練のための本なのだ。速単上級編は、右側の和訳を葉書で隠して訳してもらった。

    コウタロウには少々抜けたユニークなところがあって、英語力は抜群なのに、ときどき誰にでもわかるような単語の意味が出てこない。たとえば高3の時、

    It’s a pretty good bet that the sex hormones are somehow involved.

    ”hormones”という単語である。コウタロウはこれが「ホルモン」とスンナリ出てこなかった。”hormones”の左隣にはコウタロウの大好きな単語があり、これをヒントに類推しやすいにもかかわらずである。

    高1の時も「速読英単語・入門編」ではバレンタインの話で、”These chocolates generally have the shape of a heart.”” the shape of a heart”を、「ハートの形」とは訳せず、心臓のうんたらかんたらと訳していた。バレンタインのチョコレートの話なのに、である。高1時代のコウタロウはウブだった。高3になって駅前桟橋であんな光景に出くわすなんて思いもしなかった。

     

    国語の過去問対策は、コウタロウはどう感じたか知らないが、私には楽しくて仕方がなかった。コウタロウが書いて、私が添削しホワイトボードで説明し、私も自ら書いて比較する、オーソドックスなやり方である。

    一橋の国語は、1番が現代文の論述、2番が明治時代の文語文、3番が要約問題である。

    1番の論述は「大学教授を感心させる文章」をめざした。スッキリわかりやすく、第三者にも理解できる文章である。コウタロウは几帳面な性格だから、下書きし推敲して私に提出する。答案に自信がある時は緊張した固い顔で、自信がないときは照れ笑いして口で何やらブツブツ言いながら持ってくる。嘘は決してつけないとてもわかりやすい男だった。

    「大学教授を感心させる文章」とは、言葉では説明しがたいが、どこか「スコーン!」と抜けた文章である。感覚をつかんでもらうために、松本人志やバカリズムや有吉がやっているお笑い大喜利番組「ipponグランプリ」をコウタロウに見せた。独特極まりない教え方だが、知性の刀が突き抜ける感覚は、大学受験の答案も大喜利も根っこの部分では変わらない。「ipponグランプリ」を見せることで、コウタロウと「スコーン!」とした感覚を共有したかった。この答案は10点とか、これは1点か2点だぞと、微妙で繊細な授業ができた。

     

    2番には、明治時代の文章が出題されるのが一橋大学の特徴だった。福沢諭吉・西周・加藤弘之・幸徳秋水、たいてい藩閥政治に対するジャーナリズム視点からの批評文である。体制を批判するアプローチは明治以降変わっていないが、現在のジャーナリズムに比べて文章が激烈で表現が露骨なため、明治の文語文はハラハラして面白い。

    2番の問題を通じて、私はコウタロウに「社会正義」を教えたかった。コウタロウは弁護士になる。弁護士に必要なのは純粋な怒りだ。弱者が強者に勝つには正義に満ちた言葉しかない。弱者は強い弁護士につく。コウタロウは熱い男だが、赤色や黄色したわかりやすいパッションを見せたりはしない。底に秘めた青い炎を持っている。せっかく赤や黄色より温度が高い青色の炎を秘めているのに隠したらもったいない。青い炎を少しでも表に出すためには、明治時代の反抗精神がコウタロウに乗り移り、起爆剤になればいいと考えた。

     

    3番の要約は、私の最も得意とする分野である。なぜなら私は塾の広告を自分で書いているからだ。私の塾の広告は文字が多い。文字は多いけれども紙面の都合上「イイタイコト」の100分の1も伝えられない。脳内のゴチャゴチャしたカオスを、短い文章で伝えるのには慣れている。さもないと塾の経営が成り立たないからだ。要約がうまくできるかによって、経済上の潤いが違ってくる。

    コウタロウが弁護士事務所を開いた時、事務所の存在をアピールしなければならない。弁護士も黙って客を待つ時代ではない。そのためには自分の得意分野を、信念を短い言葉でアピールしなければならない。コウタロウは頭の中に豊富な言葉の源泉を持つ男である。あふれる言葉を短く要約する力、さらに短くコピー書く力を、要約問題を通して教えたかった。要約する力はコウタロウにとって事務所が軌道に乗るかを左右する、意外にも大事な力なのである。

     

    国語では、私はコウタロウと一緒に答案を書いてみた。一橋の過去問には赤本と青本があるが、青本はともかく、赤本にはときどき糊口をしのいだような、「大学教授を感心させる」にはほど遠い、また「ipponグランプリ」では4〜5点しか取れないと思われる模範解答があった。何とか私も「スコーン!」をめざして、コウタロウに「こんなのどう?」と照れながら見てもらったりした。コウタロウに私の答案を見せる時は緊張した。コウタロウが私の答案に感心してくれると嬉しかった。

     

    とにかく国語の論述指導で、コウタロウには私の力を100%出し切ることができた。傲慢な言い方になるかもしれないが、教え子のほとんどは私が球を投げても受けきれない。私はキャッチャーが後逸しないように、怪我をしないように遠慮して投げてきた。しかしコウタロウには肩がちぎれるほど全力投球ができた。コウタロウは私の球を真正面から受けた。コウタロウが中1ではじめて塾に現れた時の直感は正しかった。高3になって言葉の真剣勝負ができた。6年間教えてきて良かったと思った。

    ところで少し大げさな話になるが、地球上で「教育」が始まった経緯はわからない。親が自分の子どもに教育を施すのは自然な成り行きだが、他人が他人の子を教える初期衝動は何なのだろうか。学校教育の起源は「国家のため」「民族のため」と言われているが、そんなのはまやかしだと思う。
    教育の起源はたぶん「素直な子を伸ばしたい」「純粋な子に力をつけたい」という純粋な大人の欲ではないのか。

    私は孤独である。周囲にわかってくれる人がいない。塾生たちは幼すぎる。だからブログやツイッターをやっている。ネットならわかってくれる人が現れる。でも、目の前の生身の人間に、私が積み上げてきたものをわかってくれる若者が現れた。彼は無口だけども、私の考えの根本から微妙な部分まで理解してくれた。

    (つづく)


     

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