猫ギターの教育論

尾道市向島の塾「US塾」塾長のブログ 早稲田大学・開成高校出身 本音が飛び交う、少し「上から目線」の教育論
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日本一素直な男・コウタロウ(16)
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    6月、コウタロウと大阪へ行った。大阪駅のグランフロントを中心に、コウタロウの感受性を刺激するような、大阪のDEEPな場所を回った。
    コウタロウはアレルギーなので食事には特に気を使った。コウタロウは乳製品・卵・魚卵・そばなど食べられない食品が多い。行く店は限られている。しかしアメフト部なので量は食べるし、どんどん太らせて強くしたい。私は新弟子を預かる相撲の親方みたいな気持ちになった。だから肉料理の店を中心に選んだ。

    一日目の夜は心斎橋のブラジル料理「バルバッコア・グリル」、力士やサッカー選手御用達の、肉が食べ放題の店だ。ワゴンで肉の塊が客席に運ばれ、ウエイターが好みの大きさに切ってくれる。サラダバーも盛りだくさんで、焼きパイナップルなど変わった料理もあり、これが意外にうまい。どうして日本の家庭ではパイナップルを焼かないんだろうと不思議に思う見事な味だった。
    二日目の夜は南森町の繁盛亭に近い焼肉屋「万両」。コスパのいい美味しい店だ。「食べログ」の大阪の焼肉屋で1位の店である。予約困難な店でいつも混んでいる。接客もいい。大阪で塾生と食べる時は、いつもこの店を使う。
    二日目の昼は何が食べたいかコウタロウにメールで聞いた。すると「昼ご飯に相応しいかは分かりませんが、寿司が食べてみたいです」と書いてあった。実はコウタロウにたずねる前、私は漠然と回転寿司を考えていたのだが、コウタロウは寿司を「昼ご飯に相応しいか分かりませんが」と書いてある。回転寿司は昼ご飯に相応しすぎる。どう考えても回る寿司ではなくカウンターの寿司を求めている。コウタロウのさり気ないふりをした強引な要求で、安くて済む回転寿司は封印された。こいつ俺を試してやがる、じゃあ飛び切りいい店に連れて行こうと、帝国ホテルの「久兵衛」を予約した。
    よりによってアメフト部の大学生を高級寿司屋に連れて行くのは度胸が要るが、たまにはいいだろう。予約時にはアレルギーについて店の人と綿密に打ち合わせをした。店に着くと、麻生太郎をストイックにしたような江戸気質のカッコいい親方が、ウニやイクラやエビの味噌など、コウタロウにダメージを与えるネタを抜かして握ってくれた。親方の姿をうしろで弟子がじっと観察し勉強していた。味も一流の店の雰囲気も堪能した。勘定も常識的な範囲で収まった。

    コウタロウはどこへ行っても遠慮なくガッツリ食べていた。遠慮がない子は好感を持てる。コウタロウとは二晩語り明かした。
     
    転機は二日目の夜にやってきた。
    食事前に、難波NGK前のジュンク堂へ行った。コウタロウは1階でアメフトの本を買っていた。私はお腹が減って、早く本屋を出て焼肉屋に行く気が満々だったのだが、コウタロウは「ちょっと二階に上がっていいですか」と言って、英語関連の本の売り場へ足を進めた。TOEICやTOEFL関係の本がギッシリ並んでいた。

    コウタロウはそこで「留学したい」と私に言った。岡山大学法学部ではイギリスの、ロンドンから電車で1時間半の場所にある、カンタベリー市のケント大学と交換留学の提携をしているという。岡大とは単位互換制で、留学しても4年で卒業できる。岡大の学費を払えばケント大学の学費は免除らしい。奨学金も出て入寮も可能。願ってもない好条件だった。
    ただ、選考されるのはわずかに2人。9月までにTOEFLかIELTSのテストで一定の点数を取るのが条件で、10月に面接、11月に結果発表という日程だった。コウタロウはIELTSを受験したいと言った。
    「あいえるつ?」
    私はIELTSを知らなかった。IELTSはイギリスやカナダやオーストラリアなどイギリス連邦の国で、海外留学の基準に使われる検定試験である。アメリカでの浸透度はTOEFLに及ばないが、イギリスでは広く受け入れられている。Listening, Speaking, Reading, Writingの4つのセクションからなり、各セクション9点満点で、ケント大学留学は、各4点が最低基準になっている。
    あとでネットで調べたら、IELTS4点をTOEICに換算したら500点前後だという。もちろんこんな点数ではイギリスには行けない。いまは6月初旬、9月までの3ヶ月間でスコアを大幅に上げなければならない。またスコアを上げてもライバルが手強ければ留学は難しい。

    でも「留学」という言葉に興奮した。私は以前、ブログにこんな記事を書いたことがある。
     

    私が人生で一番後悔しているのは、若い時にもっと海外旅行しておくべきだった、ということだ。 
    大学時代はバイトとサークルに明け暮れ、卒業したら仕事一筋で、海外旅行に行く余裕なんかなく、大学4年の韓国旅行が20代唯一の海外旅行で、ニューヨークと香港に初めて行ったのは32歳の時だった。 
    私は社会科が大好きな少年だった。百科事典や地図を小学校低学年の頃から離さなかった。幼稚園の時には県名・県庁所在地名を覚え、小学校2年生の頃には世界の国名は全部言えた。中学受験も社会で苦労したことはない。中学高校時代も軽い勉強しかしないのに、社会の定期試験は90点を下らなかった。いわゆる、社会科オタクだった。 
    地図や時刻表を見ると興奮し発情した。「時刻表2万キロ」の作者で、国鉄を全線完乗した宮脇俊三の本がバイブルだった。宮脇氏の生活に憧れて、高校時代から大学時代にかけ、休みの日があれば旅をした。東京から広島に帰省するのに、わざわざ鈍行電車に揺られて青森経由・新潟経由で帰った。 
    でも海外には行かなかった。金もないし時間もない、何よりも心の余裕がなかった。海外旅行したら塾が潰れると思った。贅沢すれば天罰が当たる。帰ってくれば塾が消滅している。そんな恐怖に駆られて、東京すらめったに行かなかった。塾にこもって仕事に励んでいた。 
    それよりも、海外旅行は夢の世界だった。憧れが強いほど、足がすくんで外国へ旅立つことに躊躇した。「ほんとうに俺なんかが、飛行機乗って外国なんか行っていいの?」グランドキャニオンやナイアガラの滝、万里の長城やエッフェル塔、名だたる観光名所が現実に存在するとは思えなかった。
    外国のことを考えると胸が痛くなった。痩せ我慢して、外国への憧れと好奇心を遮断した。
    でも著名な教育者、福沢諭吉も吉田松陰も緒方洪庵も、若い時分は遊学を重ねている。遊学とはいい響きだ。「遊び」ながら学ぶ。天才が旅をしてインスピレーションを得るなら、凡才の私が狭い塾でのほほんとしていいのか、そんな焦りが芽生えてきた。
    司馬遼太郎は戦国時代を、「この時代、旅をする者こそ物知りであった」「旅をすれば目が肥えてくる、居たたまれぬほどに肥えてくる」 と書いている。 別に現在は戦国時代ではないが、「旅行=成長」という図式は普遍的なものなのかもしれない。こういう言葉を残した司馬遼太郎自身が、旅を重ねている。ソニーの創始者盛田昭夫氏も、「旅行は手っ取り早い、最高の教育だ」という趣旨のことを述べていた。 
    ただ私は零細な個人塾経営者、旅をすれば失業する、旅をしなければ成長しない。強いジレンマに悩んだが、塾の収入もある程度安定してきたし、本音を言うなら旅行して何もかも忘れてenjoyしたい。楽しみながら何か糧を得ることができるのではないか。とにかく思い切って海外へ行くことにした。 
    どうせ行くのなら思い切ってアメリカがいい。しかも世界の首都ニューヨーク。 2000年の4月、飛行機の価格が一番安いときを見計らって、ニューヨークへ行った。
    4月初旬は飛行機が安い。観光シーズンではないし、日本人の99%が忙しい、大学生ですら入学式や科目登録で時間が取れない時期に、海外へ行けるのは個人塾経営者の役得だ。 
    マンハッタンのビル見て身震いした。一発でNYにノックアウトされた。日本のプロ野球選手が、リスクを無視してアメリカでプレーしたくなる気持ちが一瞬で理解できた。マンハッタンの高層ビルは、世界恐慌の頃から存在する古めかしいものもあれば、近未来の尖塔のような斬新な銀色のビルもある。
    茶褐色の古いビルは、水道管もガス管も電線も古くなり、外観は動脈硬化を起こしているようだったが、内装はモダンで洗練され、パワフルなニューヨーカー達が古いビルに生気を吹き込んでいる。 
    ゴーストタウンが、街の人々の力で活力を得ている。ニューヨークはそんな街だ。
    ニューヨークは素敵だった。マンハッタンの横断歩道で「これは夢ではないか」と思わず目を閉じた。でも目を開けたら、ちゃんと自分はマンハッタンに立っている。幻ではなかった。この街に一目惚れしたことを悟った。 
    帰国の際「ニューヨーク、学生時代に行っとけばよかった」と痛恨の思いで胸が苦しくなり、飛行機で泣いてしまった。2ヵ月後に香港に行った時もそうだった。もし学生時代に海外に行っていれば、別の人生があったかもしれない。10年遅かった。後悔で死にそうだった。もはや私は40歳。海外旅行をしても、犬の感性しか持てず、犬のように食い散らかすしか能がない。40歳の海外旅行は物見遊山にしかすぎない。
    しかし、繊細な感性を持ち、素晴らしいものは素晴らしいと素直に感動でき、目を輝かせながらキョロキョロできる好奇心豊かな若い人は、23歳までには海外旅行を経験してほしい。海外へ行って、将来、自分が異国の街で働く姿を想像してほしい。ささやかでもいいから、日本を背負って生きながら、外国の町を闊歩するイメージを喚起して欲しい。胸に抱いた好奇心や、漠然とした憧れを遮断することなんかない。
    目の前に地球儀があれば、今すぐ地球儀の中に飛び込め。世界地図にダイブせよ。
     
    コウタロウが留学! 海外旅行どころではない。私が叶えられなかった海外進出の夢をコウタロウが実現できるかもしれないのだ。しかも金銭的負担が最小限ですむ交換留学。留年する心配もいらない。
    コウタロウの感受性は図抜けていた。私はいろんな塾生を旅行に連れて行った。珍しい風景を見ると誰もが「すごい」と笑顔で私に感想を述べた。だが、コウタロウのリアクションは違っていた。町を散策するあいだずっと、首をキョロキョロさせている。コウタロウはサッカーを10年間続けていた。コウタロウの行動は、サッカー選手が前後左右に気を配りながらプレイする習性の名残だった。グラウンドでボールを追うが如く、街歩きで好奇心を誘うものを探していた。鋭く360度にアンテナを張りながら、四方八方から吸収しようとしていた。私が感想を聞いても生返事で、つもの笑顔は消え、どちらかと言えば怖い顔をしながら、面白い光景に心奪われ、自分の世界に入り込んでいた。
    コウタロウがこの集中力と感受性で、1年間イギリスで学んだらどうなるか。イギリスを拠点にヨーロッパやアフリカを積極的に旅すればどうなるか。コウタロウが地球儀に飛び込み世界地図にダイブしたら、ものすごく大きな人間になって日本に帰って来るのではないか。
    コウタロウはアメフトに続き、留学というアイディアで、道を切り開こうとしていた。

     
    ところで私は10年前にロンドンを旅したことがある。イギリスは魅力的な国だった。

    大英博物館は新旧のコントラストで、遊び心を見せつけてくれた。

    外観は威厳がある建物だが
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    中に入れば、光のまばゆさに驚きが走った
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    ロンドンの地下鉄は1863年開業、明治維新より前である。
    こんな浅い場所を運行する路線もあれば
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    モグラ以上に深い場所を掘る路線もある
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    水晶宮。いまは解体されたが、1850年の万国博覧会で、観客の度肝を抜いた。
    ガラスと鉄だけで建てられた斬新な建物だった。

    現代美術館、テート・モダンから眺めるテムズ川
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    曲線美が美しいリージェント・ストリート
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    ロンドンには最新のショッピングセンターもあれば
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    三越や高島屋など日本のデパートのモデルになった
    老舗の大デパート「ハロッズ」もある。「ハローズ」じゃないよ

    「ハロッズ」のライトアップ

    ロンドンの中心街、ピカデリー・サーカス
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    TOILETじゃなくて、TO LET

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    ロンドンのレストランは、正直あまりおいしくない。
    でも中華料理とインド料理は別だった

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    回転寿司もあった
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    ロンドンの街路表示板
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    「アビイ・ロード」だけは、さすがに落書きだらけ
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    ロンドンの街は落書きも洒落ているね

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    日本映画もイギリス人には日常
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    ロンドンで面白いのはミュージカル。言葉がわかれば最強の娯楽
    「オペラ座の怪人」は最高だった

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    工業都市マンチェスターに足を運んでサッカー観戦
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    ウィンブルドンでテニス
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    アイルランドでゴルフ。下の2つの写真は、なんとゴルフ場
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    スコットランドのエジンバラ
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    コッツウォルズ

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    湖水地方
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    ウェールズにはこんな山岳鉄道が
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    カンタベリーから近い、セブン・シスターズ・クリフ
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    そして、イギリスには凄い政治家がいた。

     ロイド=ジョージは階級社会のイギリスでは珍しく中産階級から首相になった。急進派閣僚として社会福祉の向上に務めた。彼がいなければイギリスは福祉国家としての道を歩んでいないだろう。アイルランドの独立を認め、禍根を消そうと努力した。アメリカの弱肉強食主義とは軌を異にした国家を作り上げた。かと思えば、第一次世界大戦では総力戦を敷き国家を勝利に導き、戦後処理も巧みにこなした。硬軟併せ持つ大宰相だった。


    チャーチルは第二次世界大戦中、ドイツがイギリス・コベントリー市の爆撃を計画していることを暗号解読で知った。並みの首相ならば「さっそくコベントリー市民を安全な場所へ避難させよ」と命令しただろう。
    だが、チャーチルは人口が少ないコベントリー市民に避難命令を出さなかった。そのためドイツの目論見どおり爆撃が実行され市民が犠牲となった。チャーチルはドイツの暗号を解読している事実を隠すために、コベントリー市民を見殺しにしたのである。チャーチルは戦時において、小を捨て大を残す信念を持っていた。


    とにかく、イギリス留学という目標ができて、夢の方向性が定まった。 
    大阪のジュンク堂ではIELTS関係の本をしこたま買って、重いので家に送ってもらった。
    コウタロウはイギリス留学のため、猛勉強を開始することになった。
    しかしそれは苦難のはじまりだった。

     
    (つづく)


     
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