猫ギターの教育論

尾道市向島の塾「US塾」塾長のブログ 早稲田大学・開成高校出身 本音が飛び交う、少し「上から目線」の教育論
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日本一素直な男・コウタロウ(19)
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    ロカビリー先生が、6月29日にわが塾にいらっしゃった。
    福岡から広島県まで、お忙しい中ご来訪いただいた。私は福岡県のロカビリー先生の塾には2度お伺いしたが、ロカビリー先生が、わが塾にいらっしゃるのは初めてである。心地よい緊張感がみなぎった。
     
    私が改めて紹介するまでもないが、ロカビリー先生の塾は「硬派」な塾である。強い指導力で中学生を鍛える塾だ。塾から放たれる熱量が凄まじく高い。刀鍛冶が名刀を鍛える音が聞こえてきそうな、塾というより「鍛錬場」という感じだ。
    よく「学力より人間力を伸ばす」とか「こころの教育」といった浮薄なスローガンを口にする人がいる。この手のスローガン信奉する人は、さぞ自分の「人間力」や「こころ」に自信があるんだろうなと呆れるが、ロカビリー先生の塾こそ、学力を伸ばすことを通して「人間力」や「こころ」を逞しくする場である。
    ロカビリー先生の塾の生徒の授業態度を見たら「これが中学生?」と誰もが驚くだろう。中学3年生なのに意識がやたら高く、まるで駿台予備学校・東大クラスみたいな集中力なのだ。先生がホワイトボードで説明される時、生徒たちは放心状態で口を半開きにして話を聞き、演習の時は目をじっと教材に落とし、シャープペンを走らせる音と、ロカビリー先生が机間巡視される足音だけが聞こえる。そのメリハリの良さは圧巻だった。
    残念ながら、世間一般の中学生の集団指導塾は、甘い塾が多いのが現実だ。誰かがよそ見していたり、私語を始めたり、心あらずといった感じでボーっとしていたりするのが普通だ。講師が話す内容の20%も生徒の頭に入っていない。しかしロカビリー先生の塾では、先生の話の90%以上が浸透しているように見えた。だからといって強制とか隷属とか飼い慣らされているイメージは全くない。オーケストラでいえば、指揮者のタクトで楽団員が奴隷のように動いている感じではなく、一糸乱れぬ規律正しい動作の中に自発的なムードがあふれていた。
    ロカビリー先生の塾の様子についてはこちらを参照
     
    ロカビリー先生の塾は、保護者に対しても「硬派」である。
    たとえば入塾面接で、先生の塾に入塾を希望する親子は、先生から以下のような言葉を突きつけられる。
     
    親御さんや学校の先生から怒られるのと、私から怒られるのはまったく別世界、別次元とお考えください。今まで味わったことのない強烈な衝撃だと思います。親や学校の先生から怒られて平気だというレベルでは、うちで大丈夫かどうかの判断材料にはなりませんね。
     
    私は子どものダメなところはダメだとはっきり言います。言い訳や反論は一切させません。他の誰かのせいではなく、完全に君が100%悪いのだと認めさせます。もちろんそれによって子どもは傷つくでしょう。これが成長するために大切なことだと思いますので。
     
    私の塾に入る場合は、子どもを修行する寺か武道場に入門させるぐらいの気持ちでちょうどいいかもしれません。
    詳しくはこちらを参照
     
    塾の営業トークに慣れた現代の親には、このようなロカビリー先生の対応は新鮮だろう。
    最近の塾は競争が激しい。買い手市場である。だから塾側は親と生徒に居心地のいい空間を提供する。だから指導が甘くなる。最近の子供は大人に叱られることに慣れていないし、大人もわが子が第三者の大人に叱られることを快く思わない。そんな時代の趨勢に逆らって、子供と正面から向き合い能力を厳しく引き上げようとすると、退塾の危険性があり塾が儲からないから、叱るべき時に叱らずやさしく接する。塾講師は不真面目な子供の態度を叱らずに耐える。塾講師は嫌な上司に対するのと同じ態度で、言うことを聞かない子供に我慢を重ねる。講師はストレスが溜まるし、生徒は学力も授業態度も伸びないまま放置される。
    とにかく経営に重きを置く塾は、子供を弟子でも生徒でもなく消費者扱いするのが、世の趨勢である。多くの塾では生徒を間違った「お・も・て・な・し」精神でスポイルしてしまうのだ。
     
    逆にロカビリー先生は、退塾をものともせず子供を鍛えられる。子供を「変える」ために明晰な方法論を武器に豪腕を発揮される。子供は負荷をかけたら伸び、子供が脱皮しブレイクしたときの快感を誰よりもよくご存知である。
    子供が「変わる」のを待つのではない。子供を「変える」ために強い指導力を行使する。大人が子供を「変える」意志がなければ子供が「変わる」ことはできない。放任するより手をかけたほうが健全に「変わる」可能性が遥かに高いことを熟知されている。
    「ありのまま」の子供が、いかに魅力がないか。大人の愛情と厳しさが注がれた子供の、どれだけ魅力的なことか。愛情を与えられ、手塩にかけてほど良く握られたおにぎりは美味い。
    強制と自主性は矛盾しない。教える側が子供に強い負荷を与えることは、才能の可能性を広げる。教師がある時期に「君はここまでできる」と可能性を示し、強制し、達成させれば、子供が自分で勉強する時「俺はやれるに決まっている」と自分の可能性を信じ、自分を縛り上げ、自分で達成する礎になる。
    強い指導力は、理想の生徒像への想像力と、現実の生徒を理想へ近づける創造力の両方が備わっていないと、自信を持って行使できない。理想の形を現実に作り上げていくには、理想に対するイメージが鮮明であることと、現実的な指導法のノウハウを兼ね備えてなければならない。指導力が発揮できない先生は、想像力も創造力も欠けている。厳しくて実行力がある先生は、生徒に対する理想像がある。その理想の形に向かって迷いなく指導できる。
     
    強い想像力と創造力をお持ちのロカビリー先生が来られた時、うちの塾の何をお見せしようか考えた。
    塾の先生が他塾を訪問する時、授業を見せるのが普通だ。授業自慢に走りやすい危険性を秘めている。でも私は「先生」を見せるのではなく「生徒」をご覧に入れたかった。スポットライトが当たるのは舞台ではなく観客席だ。
    塾の真価はどんな生徒が学んでいるかで決まる。吉田松陰の松下村塾や緒方洪庵の適塾が有名になったのは、日本を動かす教え子を輩出したからだ。先生はあくまで影の存在である。授業という「経過」でなく生徒という「結果」にスポットライトを当てたかった。
    また、私は教育論で偉そうな事を書いている。変な親や子供のことを「悪口」のレベルまで貶めて書く。じゃあいったいお前の塾の生徒はどんなに凄いヤツなのかと、突っ込まれても仕方がない。
    ロカビリー先生に、コウタロウの知的な風貌、紳士的な立ち振る舞い、粘り強い勉強姿を見ていただければ、私の教育論の基幹部分が一発でわかっていただけると思った。「百聞は一見にしかず」である。
    ロカビリー先生は子供に対する高い理想像を持っていらっしゃる。そしてコウタロウはまだまだ未熟だが、私の理想の生徒である。「人物眼のソムリエ」であるロカビリー先生の目から、コウタロウがどのように映るか興味深かった。
     
    ロカビリー先生にご覧いただいたのは、まず中1の授業である。1時間半の国語の授業。中1は授業中緊張していた。たぶん、ロカビリー先生がどんな先生かと聞かれた時に、「俺よりずっと怖い先生。やさしく見える人ほど笑顔の裏に凶器を秘めている」というワンフレーズで紹介をすませていたのが原因だろう。
    次に、私とコウタロウとの3時間の個別授業をご覧にいただいた。最初の1時間半は「DUO」のディクテーション。音声を流しコウタロウが書く。後半の1時間半はZ会の「CORE」の和訳、英文をコウタロウが和訳し、私が間違いを指摘し、最後に音読。ただそれだけの単純な作業だ。普通なら人様にお見せするものではない。
    しかも、ロカビリー先生は大事なお客様だ。最大限の授業パフォーマンスでお迎えしなければならないのかもしれない。面白くケレンに満ちたものをご覧になっていただく方法もあっただろう。しかし実際に見ていただいたのは、3時間マンツーマンの、学生がただ訳すだけの作業。私が授業をするのではなく、訳すのは学生のコウタロウ。大学生の単純な筋トレ走り込みを3時間お見せすることは失礼だと躊躇もした。
    しかし、私はこれが個人塾の本質だと思った。個人塾は生徒の一から十まで育てる場所だ。基礎訓練を時間かけてじっくりできることが個人塾の長所である。授業だけやってあとは子供まかせという方法は人情において取れない。
    そしてコウタロウ最大の長所も、基礎訓練を厭わないところである。個人塾とコウタロウの本質は一致している。真面目で忍耐強い子ほど、基礎訓練に重きを置き執拗な指導をする個人塾と合う。また、努力をする子ほど個人塾の塾長は熱を帯びて教える。私とコウタロウの関係は6年間で「道具のないドラえもんと、賢くて真面目なのび太」のようなものになってしまった。努力家のび太を最大限に引き上げるのは、圧倒的にのび太を贔屓する「ドラえもん個人塾」という形態だと私は固く信じている。
    とにかくコウタロウはシンプルな、忍耐強くない子なら嫌うことを、長時間コツコツ継続できる男だ。高校時代はサッカー部で校庭の掃除を欠かさず、英語の音読を疎かにせず、大学のアメフト部では筋トレを生き甲斐のように続けている。シンプルな練習に快楽すら感じていると思うほど、継続力に長けている。
    コウタロウの継続力の根底には、男の子らしい野心がある。その片鱗をロカビリー先生に見ていただきたかったし、コウタロウの長時間勉強を厭わぬ執念を丸ごと受け入れられるのも、時間が無限で方法論に融通が利く個人塾だからということも、お互い再確認したかった。
    王貞治が荒川コーチと深夜まで一本足打法を完成し「世界の王」になった環境は、個人塾だからこそ作られるのだ。
    私が大手塾から独立したのは制限が多かったからだ。大きな夢を持った子に一から十まで関われ、時間も何もかも気にせず教え放題・教わり放題なのが個人塾なのである。
    ロカビリー先生は私の意図を的確に見抜かれ、高く評価してくださった。以下はロカビリー先生の感想の抜書きである。
     
    この「個別指導」を通じて特に感じたことが2つある。1つは、とにかくコウタロウ君は、猫ギター先生に半端なく鍛えられていること。しかも集中力が強力だ。俺は3時間ずっと彼を見ていたが、途中でため息をついたり、あくびをかみ殺すようなことは1度たりとも確認できなかった。しかもこの日も大学の部活(アメフト)を練習してきた後の勉強だ。
    もう1つは、猫ギター先生がこの個別指導のために膨大な研究と準備をされていること。それから、昼から夜まで食事もとらずにエネルギッシュな指導を続ける体力と精神力。この師弟のやり取りを傍らで見ながら、お互いが一切の妥協や手抜きをせずに、同じ目標に向かって疾走している真剣勝負の雰囲気をビシビシと感じた。しかし、かと言ってそこに悲壮感はなく、時折、猫ギター先生もコウタロウ君も笑みさえ浮かべながらやっている。

    音を流す。書き取る。訳を言う。正解を確認する。少し解説を入れる。音を流し音読。音を流す。書き取る。訳を言う。正解を確認する。音を流しながら音読。音を流す。書き取る。訳を言う・・・・見方によっては、すごく単調な練習だ。しかし、本当に力が付くのはこういう練習であり、このような練習は指導者と学び手の意思疎通や信頼関係がないと絶対に続かない。

    詳しくはこちらを参照
     
    ロカビリー先生にコウタロウを評価していただいて嬉しかった。個人塾の塾長は、かわいがっている生徒を本人の前ではボロカスに言うくせに、他の人から「いい子ですね」とほめていただけると目が潤む人種なのだ。ロカビリー先生はそのあたりの人情の機微が分かる方だ。
    また5月にロカビリー先生と電話した時、コウタロウ一橋不合格が悔しくて、電話口で恥も外聞もなく嗚咽してしまったことも覚えていて下さったに違いない。ロカビリー先生の声を聞くと涙が止まらなくなったのだ。
     
    ところでこの日、コウタロウは私に爆弾書類を差し出した。
    コウタロウはロカビリー先生がいらっしゃる前で、いきなり私に「こんな時にアレですが」と一枚の紙を手渡した。
    それは一橋大学の得点開示だった。
    コウタロウはアトピーで腕と背中と顔までが血に染まり、かゆさと痛みのせいで、センターで満足に得点できなかった。900点中683点。とても一橋に出願できる点数ではなかった。おまけに2次試験も実力を発揮できず、数学に至っては一問も完答できなかった。一次二次とも無惨な完敗だった。悲惨な点数を現実に一枚の紙で突きつけられるのは嫌だった。私はおそるおそる得点開示の無味乾燥な数字に目を通した。
     
    (つづく)

     
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