猫ギターの教育論

尾道市向島の塾「US塾」塾長のブログ 早稲田大学・開成高校出身 本音が飛び交う、少し「上から目線」の教育論
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日本一素直な男・コウタロウ(26)
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    コウタロウの大学受験は、ソチ五輪の浅田真央と状況が似ていた。

    コウタロウも浅田真央も、前半で致命的な失敗をしたのに、後半は不屈の精神力で追い上げ、「奇跡の挽回」をなしとげた。

    ソチオリンピックの浅田真央は、前半ショートで転倒しメダルは絶望になったが、後半フリーで伝説に残る滑りを見せた。浅田と同様、コウタロウもセンター試験で失敗し、二次試験で大挽回したが、惜しくも僅差で一橋大学合格を逃した。2人の軌跡は胸を締め付けた。日本を代表するトップアスリートと、無名の19歳の青年を同列に並べることに飛躍があるのはわかっているが、浅田真央の笑顔と涙を見ていると、私にはコウタロウの姿と重ねざるをえなかった。

     

    コウタロウと浅田真央、2人に共通するのは、万人を味方につける笑顔である。また谷亮子や亀田兄弟のような闘争本能剥き出しタイプとは正反対の、お世辞にも勝負師とはいえない普通の子なのに、120%の精神力をふりしぼって、高い所に駆けあがろうとする健気な姿だ。

    浅田真央は決して美人ではない。だが笑顔がいい。笑顔ひとつで日本中を味方につけている。八の字眉毛の笑顔が浅田真央の武器だ。あのけがれのない笑顔の少女が、フィギュアスケートという過酷なリンクという衆人監視の闘技場で、転ぶ危険性と戦いながら、文字通り薄氷を踏む戦いをしているところに、フィギュアの残酷性があり、人気の原因がある。われわれは、ふつうの女の子が転ぶ危険性を秘めながらトリプルアクセルに挑む残酷なシーンを、ハラハラしながら楽しんでいるのだ。
     

    コウタロウも笑顔がいい。コウタロウは中学1年生の時から、お母さんが運転される軽自動車で塾に通った。中1のころは小さい体で、助手席で両手にひざを置き、背筋を伸ばしてちんまり座っていた。大学生でコウタロウは免許を取った。免許取得後、家から塾に向かうときはお母さんが運転され、塾からはコウタロウが運転を代わった。コウタロウはお母さんと運転を代わる時、車の前面に初心者マークを照れた笑顔で置いた。アメフトの筋トレ食トレで体が肥大化したコウタロウが、ういういしく初心者マークを置き、熊のような身体で軽自動車を運転する姿は、ほほえましかった。アメフトで頑強な身体になっても、コウタロウの笑顔は変わらなかった。

     

    浅田真央もコウタロウも、大きな目標をめざしたが、目標はかなえられなかった。

    メダルを逃した浅田真央が現役を続けるかどうかわからない。だが、4年後もう一回浅田真央の姿を冬季オリンピックで見たいし、ここで競技生活が終わるのは消化不良だと考えるのは当然だ。ただ、もう一度目標に向かって進むか、静かに挑戦の幕を閉じるかは、本人と周囲の者でなければ結論は出せない、微妙で重大な問題である。たった4分間の競技のために、4年間耐える道を選択するかどうかは難しい判断である。部外者には口を出せない領域だ。

    対してコウタロウは私の強いプッシュで、留学か慶應受験で、もう1回チャレンジすることになった。青春を完全燃焼し、10年20年30年たって若いころもっと頑張っておけばよかったと後悔してほしくなかった。私はコウタロウの人生を、大規模な治水工事のように強引に曲げた。
     

    受験に際して心配なのはコウタロウのアトピーだった。現役の時、コウタロウは背中と腕がアトピーでズタズタになった。出血し皮膚がかゆみに耐えられず、彫刻刀で刻むようにかきむしる状態だった。再受験はコウタロウの健康を蝕む可能性がある。コウタロウにもう一回、地獄の受験ストレスを与えるのが怖かった。 

    ところで、将来を嘱望された高校野球のピッチャーが、ひじや肩を酷使し壊す危険性がありながら、甲子園で勝利がかかった試合に投げさせるべきかどうかという議論がある。私はひじと肩を壊した将来性があるピッチャーに、連投を命じるかどうか迷う高校野球の監督の心境だった。

    私がもし高校野球の監督なら絶対に連投ストップさせる。将来プロとして活躍する可能性を奪いたくないからだ。

    コウタロウにもう1回大学受験をさせることは、将来ある投手を酷使し、華々しく散らせる高校野球の監督に似た悪行かもしれなかった。だが野球と勉強は違う。野球で200球投げるのは消耗だが、勉強で200個単語を暗記するのは蓄積である。野球の過度の投げ込みは才能破壊だが、勉強の知識詰め込みは豊潤な知性を育む土壌開拓だ。だから私はコウタロウに、大学1年生の平穏な生活に逆行する道を強く勧めた。

     

    コウタロウと私は、9月後半から、慶應義塾大学に向けて特訓を開始した。

    留学の勉強は9月中旬で終了した。97日と21日に2回、イギリスのケント大学留学への基準になるIELTSのテストがあり、大阪でIELTSを2回受験した。10月中旬にはIELTSのスコアが発表され、その後、大学の先生から面接を受ける。IELTSのスコアと面接が留学への判断基準になるのだ。約1か月の選考期間のあと、メンバーに選ばれるかは11月末日に決まる。

    留学が決まれば慶應への受験勉強はストップ。できなければ2月中旬まで慶應大学に向けて受験勉強を続けることになった。私もコウタロウも、留学が第一志望、慶應が第二志望という方向で、意見が一致していた。

     

    コウタロウの生活はハードだった。炎天下で重いヘルメットと暑苦しい防具を身につけ、アメフトの練習を続けながら、同時並行で猛勉強しなければならなかったのである。もはや文武両道の域を超えていた。

    しかも留学の勉強が終わった瞬間、コウタロウには慶應大学受験に向けて勉強が待ち構えていた。ハードな留学の勉強でゴールにたどり着いたと思ったら、すぐ目の前に慶應への受験勉強という新たなレースのスタートラインがあった。だがコウタロウは苦しい素振りは見せず、慶應だからといってとくに意識することもなかった。永遠に転がり続けるボーリングの球のように、粛々と平常心で勉強を続けていた。

     

    私にとってコウタロウは浅田真央だった。もしあなたが教育者で、素直で性格が良く努力家で、少々鍛えてもへこたれない精神力を持つ子が、信頼どころか信仰の域に達するぐらいあなたを頼ってくれたらどんな気持ちになるか。練習でいっさい手を抜かず、努力する姿を7年も見せつけられたらどうするか。高い目標を持ちながら病気で挫折し、再びチャレンジしたい気力を沸々と持ち続け、エネルギーのやり場に迷っているのがわかったらどうするか。将来大物になる高貴なオーラを漂わせていたらどうするか。リベンジを果たしたくなるのは当然ではないか。

    留学が決まるならあと2か月、決まらなければ5か月。慶應受験は私にとって、コウタロウへの最後の奉公だった。私の身体から強烈な磁場が発しているのが、自分でも意識できるくらい気力が充実していた。

     

    (つづく)
     

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