猫ギターの教育論

尾道市向島の塾「US塾」塾長のブログ 早稲田大学・開成高校出身 本音が飛び交う、少し「上から目線」の教育論
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日本一素直な男・コウタロウ(29)
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    大学1年6月、まだ留学をめざす前、コウタロウと大阪へ遊びに行き、夜の繁華街ミナミを通りがかった。やしきたかじんが飲んでいそうな、関西弁がしみついた界隈。ポン引きの男たちの下品な呼び込みの声から、女性の化粧や躰の匂いが想像できる土曜日の雑踏を、われわれ2人は心持ち早足で歩いていた。
    学生服のホックを止めていないと不良っぽいと見なされ、白いソックスが義務づけられる真面目な地方公立高校の中でも、コウタロウは極めつけに真面目な生徒だった。3歳児のように素直な18歳のコウタロウはネオンの光を顔に浴びながら、試合中のサッカー選手のように、落ち着かない様子で首をキョロキョロさせていた。こんなところに来るのは、生涯はじめてなのだろう。
    悪い遊びをコウタロウに教えてはならないので店には入らず、タクシーで通天閣方面に移動した。コウタロウは繁華街の妖気に興奮状態で、顔が温泉につかったトマトのように真っ赤になっていた。タクシーの中で、とうとうコウタロウは鼻血を出した。わかりやすい反応だった。紳士的な外見とは裏腹に、コウタロウはすべてにおいて欲が強い男である。「大丈夫か?」「大丈夫です」。あまり大丈夫そうではなかった。コウタロウは意志に反してあふれる鼻血に戸惑いながら、慌ててティッシュで血を止めていた。うぶな男である。
     
    コウタロウは、わかりづらい「変人」である。ただの真面目な男ではない。彼の個性を西洋絵画にたとえれば、ピカソのように奇抜でなく、ゴッホのような狂気もなく、ムンクみたいに奇矯でもない。コウタロウの個性はセザンヌのように構図が少しだけゆがんでいる。3次元を正確に描いたつもりが3.3次元ぐらいずれている。見る人の感性を試す「変人」である。しかもコウタロウが変人だとわかる人は、たいてい変人である。コウタロウは変人度を試すリトマス試験紙なのだ。
    真面目なのに変人。多面体のような個性がコウタロウの持ち味だった。コウタロウの個性を東京という高性能な画像処理ソフトで処理すれば、コントラストが際立つと考えた。だからこそ私はコウタロウを東京に送り込もうと燃えた。
     
    さて、慶應の小論文対策がはじまった。
    小論文は水泳に似ている。50メートルのプールを一気呵成に泳ぐように、字数制限ギリギリまで真直ぐスピードを上げて書き切る。途中で足をついたり方向を変えたりしてはいけない。
    スラッとした論理的な小論文を書くには、「怒り」のパワーが不可欠だというのが私の持論だ。「怒り」こそ首尾一貫した長文を書くためのロケット噴射だ。
    論理というのはそもそも戦闘好きで肉食系の西洋人が編み出したものである。武器で戦う代わりに言葉で戦うのが論理の力だ。慶應経済学部の論述問題は、長大な文章を読んで意見を1時間で600字書かなければならない。短時間で解答用紙に文字をたたきつけるには「怒り」が必要なのだ。
    さっそくコウタロウに小論文を書いてもらったが、正直、まだ不十分なところがあった。社会問題に対する意識、つまり「怒り」が感じられなかった。論理に一貫性がなく、文脈がギクシャクしていて、600字泳ぐのに息切れして足をプールにつけている状態だった。大阪ミナミの繁華街を訪れた時のように、課題文を見て興奮し、さあ俺の意見を書いてやるぞ、見ていやがれと、鼻血を噴き出すような熱い文章にはまだ遠かった。
     
    ところで、私の小論文指導は枝葉末節にはこだわらず、赤ペン先生みたいに細かいところを直したりはしない。「おもしろい」「ふつう」「つまらない」と無意識に頭の中で三段階に分け、あくまで内容勝負である。面白くてオリジナリティがあり、内面をさらけだす度胸があれば、少々の瑕疵には目をつぶる。
    小論文指導では、私も解答を書く。コウタロウを圧倒するような解答を書かなければ軽蔑される。コウタロウの文章に対する審美眼に畏敬を抱きつつ、慎重に模範解答を書いた。弟子の前で文章を書いて見せるのは、落語家の師匠が弟子に、マンツーマンで落語を演じるような教授法である。コウタロウは現役時代から私から執拗な文章指導を受けているが、何度も書いていくうちにコウタロウの文章力は上がっていった。おまけに、複数の人から指摘されて気づいたのだが、文体まで私に似てきた。
    原稿用紙がコウタロウの特攻隊員のような達筆で埋まるたび、コウタロウの小論文は進歩していった。あと2か月半あれば、慶應大学教授に感心してもらえるレベルまで仕上がる確信を持った。
     
    私はコウタロウの文章がイマイチだと書いたが、一般的な大学生より格段に上手く書けているのは確かだった。コウタロウの文章に文句をつけたくなるのは、私がコウタロウを贔屓し、コウタロウに対する要求水準が高いのが理由だ。
    われわれは身近な人間を過小評価しがちだ。たとえば私がコウタロウの文章を過小評価するのは、浅田真央を贔屓している日本人に、ライバル選手が強敵に見えるのと同じ心理だった。浅田真央を応援する人から見れば、浅田真央が頼りなく、ライバル選手が強く見える。
    たとえば、キムヨナは機械のように正確で転ぶ素振りもないし、素朴な浅田真央と違い演技も「色仕掛け」なところがある。またアメリカやロシアの選手も妖艶華麗で、日本の小柄な少女俳優が、ハリウッド女優と戦っているように見えてしまう。浅田真央に対する思い入れが、浅田真央の競技を過小評価する。この子は勝てるのだろうかと。贔屓目は過大評価にもなるが、同時に過小評価にもつながる。他人事ではないので冷静な評価ができなくなるのだ。
    だが、浅田真央の2日目のフリー演技はすごかった。もう誰が見てもいい演技だった。コーチにも、肉親にも、ファンにも、ライバルにも、浅田本人にも、天国のお母さんにも、「浅田真央はすごい」と我を忘れて叫ばせる、贔屓目うんぬんを超えた演技だった。
    コウタロウも、誰が見てもゆるぎない文章力をつける寸前まできていた。また、もし留学が決まって、慶應大学への試験勉強が終了し、私とマンツーマンで文章修業する機会が途絶えても、コウタロウの文章力は大英帝国が育ててくれる。
     
    (つづく)


     
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