猫ギターの教育論

尾道市向島の塾「US塾」塾長のブログ 早稲田大学・開成高校出身 本音が飛び交う、少し「上から目線」の教育論
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世界一素直な男・コウタロウ(31)
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    アメフトキック.jpg
    岡山大学アメリカンフットボール部BADGERSのプリンス 背番号7

    コウタロウシリーズ最終回。コウタロウ自身が書いた文章を掲載する。前回コウタロウが書いた、高3の大学受験編はここに掲載している。今回はコウタロウが一橋大学に不合格になった時点から話がはじまる。大学1回生の1年間を記録したものだ。19歳の若者の生き方が、読者の方の力になっていただけたら嬉しい。
     

    「山頂から見た雲海が最も感動的でした。雲海のように真っ白い素直な自分というキャンバスに、貴校での3年間で大きな絵を描きたいです。」
    これは高校入試の面接の時に僕が面接官に向かっていった言葉である。微塵の恥ずかしさもなく言い切った僕は、高校3年間で真っ白なキャンバスに絵を描く準備期間を過ごした。そして大学に入学した僕は、さらなる激動の青春を経験することになる。
    航太郎という名前は簡単に言うと将来大海原に向けて航海に乗り出してほしいという父と母の願いに由来している。航海には羅針盤が必要だ。中世、大航海時代は羅針盤が発明されたことによって始まった。僕はUS塾で正確な羅針盤を体の中に組み込んだ。
     
    岡大入学までの経緯
    僕が高校時代、一橋を目指そうと心に決めたのは塾にあったダイヤモンド社の『大学図鑑』を読んでからだ。『大学図鑑』には各大学の特徴が本音でかつ親しみやすい言葉で書いてある。西日本にいると一橋大学の知名度は低い。名前を聞いたことはあるが社会科学系の超難関国立大学であると認識している人は少ない。だから地方の公立高校にいる僕が1年生のころから一橋大学に興味を持ち、第1志望として目標設定できたことが、どれほど価値があったか計り知れない。

    私立大学は立命館と同志社、中央大学全てに合格。結局、本命の一橋大学は前期試験で不合格となり、後期試験で岡山大学に合格し、どこの大学に進学するか決めかねていた。世間一般的には法律学の名門である中央大学に進学するのが妥当な判断である。だが一橋に合格しようと一心不乱に勉強した結果、アトピーがひどくなっていた。家族には、このままの状態で東京に行って一人暮らしをするのは難しいので、自宅から通える岡山大学に進学し、まずは体を“ふつう”の状態に戻すのが優先だと説得された。もしかしたら症状が悪化するかもしれないので浪人の選択肢は無く、3年に上がるときに編入できることも考えると岡大がますます現実的になってきた。

    体を根本から治すには飲む水、食べ物、服、洗剤、など生活を取り巻くあらゆる面に配慮しなければならない。水には特に父と母が気をつかってくれた。僕が小学校の時には、片道3時間かけて島根まで体に良いといわれる水を汲みに行っていた。現在も水には格別のこだわりがあり、飲み水、料理に使う水は成分の良い湧き水だ。慣れない土地での一人暮らしでは、そこまでの配慮を徹底することができないとの判断が根拠だった。
    どんな活動をするにしても健康な体あってのことだと、家族の意見に納得しようと自分に言い聞かせた。いま治しておかなければ将来働き始めたとき不自由を感じるかもしれない。安定した生活を手に入れることの方が、今の僕にとっては重要だと思った。最終的に岡大に入学することを決意した。
     
    ある日、母は知人に僕の名前を占ってもらったそうだ。それによると、僕の人生は最初苦しいが大学を出た後はパラダイスのような人生、と言われたことがあるらしい。これは都合のいい話だが、一橋大学を受ける前から僕は頑なにこれを信じていた。大学を卒業した後パラダイスのような人生を送るには一橋が最適だ。高2年でオープンキャンパスに参加した時からこの感覚は揺るがなかった。だから、僕は一橋に合格することができる、と思い込んでいた。ところが大学受験を終えて、自分は岡大生になっている。パラダイスに近づくどころか遠ざかっている。自分置かれている状況と気持ちが一致していなかった。


    岡大入学式.JPG
    岡山大学入学式

    岡山大学の入学式の日、僕はFacebookに“岡大の入学式が終わった。もうすでに7日、岡大の敷地に足を踏み入れたが、いまだに門を通るたびに悔しさが腹の底からこみあげてくる。でも今日をきっかけに前向きになれた!気がする。往復2時間の通学時間、バイト、サークル、旅行等々、上手く活用すれば俺はいくらでも覚醒できるはずじゃけぇ!”と書いている。
    確実に無理している。思ってもないことを書いている。覚醒できるとは書いているが、だれにも負けない吸収力と旺盛な好奇心を兼ね備えている僕の場合、東京に進出したほうが覚醒できるに決まっている。自分のポテンシャルを体の芯から理解しているからこそ、岡大の門をくぐっているのが屈辱だと感じた。
    僕と同じように第一志望ではない大学に進学することになった人は多くいるだろう。だが僕の場合、体のことを考えて大学を選択した要素が大きい。浪人も諦めた。妥協とは言いたくない。妥協とは言われないようにするために僕は成長し続けようと決めた。
     
    「地方の勉学より都会の昼寝」というが、その通りだと思う。
    入学式当時はリアルな実感は無かったが、夏休みに東京や京都、大阪に進学した友人が帰省してきた時には、高校時代にフィヨルドの崖の上と下にいるぐらいの差があっても、油断しているとすぐに追いつき追い越される危機感を抱いた。都会に出た学生は荒波にもまれながら鍛えられ断崖をもよじ登る力をつけていた。会食の席で話しても語彙は豊富になり押しの強さも増していた。活動の選択肢が圧倒的に多く、自分から刺激的な環境を探し回らなくても、自分の能力以上の力を必要とする環境が手に入る。そうして力をぐんぐん伸ばしていく。
    僕にとって一番苦しいのは、現状に甘んじ妥協を許容しなければならないことだ。向上心があるのにチャレンジさせてくれない環境に身を置いておくことが最も精神を蝕むのだ。

    アメフト部入部まで
    僕はオープンキャンパスや受験で一橋大学を訪れた時に、都会の洗練された空気を身をもって感じていたので、地方の国立大学特有のぬるい雰囲気の中に身を置くのは危険だと感じた。長風呂した時のように体から油が抜けすぎ、しかも微妙に居心地がよく、ふやけてしまいそうだった。
    大学に入ってからはサッカーサークルで適度に体を動かしながら、バイトでためたお金で旅行をしまくる生活をイメージして大学に入学した僕は、幾つものサッカーサークルの新歓に行った。だがそこは向上心が弱く、求めるレベルが自分の欲しているものではなかった。仲良こよしの球蹴りだと感じた。こんなところに身を置いていては運動をして体から老廃物を排出するどころか、ストレスをため込んでしまう。自分が所属するべき環境はサークルの中に見当たらなかった。
     
    そんな危機的な状況から僕を抜け出させてくれたのが、
    岡山大学アメリカンフットボール部BADGERS(バジャーズ)だ。活発に動き回るための酸素を与えてくれる場所だと直感的に感じた。BADGERとはアメリカアナグマを意味する。アメフト部創設当初所属しておられた先輩が不幸にも試合中の事故で無くなられた。その方は、体は小さいがすばしっこく何度倒れても立ち上がる強靭さを持っていたそうだ。その方にちなんで小さくても果敢に相手に立ち向かうアメリカアナグマがチームのニックネームになっている。僕はこのエピソードを聞いて自分と重ね合わせた。僕は、体は丈夫ではなくても執念で果敢に生きてきた。
    加えてBADGERSのスローガンはchallenge on だ。挑戦し続けるという意味のこの言葉は大学受験の失敗に縛られていた僕を前に進ませてくれるものだった。挑戦し続ける姿勢は当時の僕に一番必要な姿勢だった。
     
    岡山大学アメフト部BADGERSに入部することを決心したのは、新歓行事として行われたパーティーが契機だった。先輩の家で鍋とたこ焼きをすることになっていたのだが、卵アレルギーの僕は生地に卵を混ぜるたこ焼きは食べられないから、鍋だけを食べようと思っていた。
    ところが予想外の出来事が起きた。4回生の先輩が、僕が卵を食べられないと知って卵を生地に混ぜずにたこ焼きを作って下さった。僕は嬉しくてたまらなかった。「卵なしのたこ焼きも意外とおいしいな」と先輩が笑顔で言ってくれた時は誇張ではなく泣きそうになった。入学前は大学に入ってまで部活をやる気なんてさらさらなかったが、待ち望んでいた居場所をやっと見つけたと思った。
    BADGERSで人のために泣けるようになりたい。自分が負けたのが悔しくて泣くことはあるが、仲間を勝たせてあげることができなくて泣いたことはまだない。今いる環境は本当に汗臭く、男臭い。泥まみれで練習し体を痛めながらも執念で勝利を目指すアメフト部は自分に最適だ。共に食って吐き、寝、体をぶつけ合って、血を流した仲間と泣きながら抱き合いたいと思う。
     
    イギリス留学を決心
    僕は知らない土地への好奇心が強く、暇なときは地球儀や地図帳、地理の資料集を見たりしていた。NHKの「世界街歩き」は大好きな番組の一つである。岡大に入ってからは、外に出たいという思いがますます強まった。
    入学式前の説明会の時に、学部時代に留学を経験した男の人がアメリカの大学院に進む予定だと言っていた。一人だけ醸し出すオーラが違った。他を寄せ付けぬ雰囲気をまとっていた。彼は岡大への進学がそもそも不本意であったうえに予想よりも勉強が辛かったので、一刻も早く岡大から離れたい一心で留学したという。
    この話を聞いた時、僕の大学時代のビジョンに留学が浮上した。大学に入ってから旅行をたくさんして多くの国を巡ろうと考えていた僕にとって、留学は受け入れやすいアイデアだった。
     
    だが、留学は華々しいイメージがあるが、つかみどころのない話だ。大学に入ってから留学の宣伝は多く耳にするが、どれくらいの費用がかかるのか、どれくらいの英語力が要求されるのか、全体像が把握できない。それが少しだけ具体的なビジョンに変わってきたのは、5月末に大学でケント大学交換留学説明会が開催されてからだ。IELTSかTOEFLで一定基準のスコアをクリアしていることが応募条件で、その後学部の成績や学校生活を踏まえて面接で選考されるというものだった。
    岡大にはほかにも多くの留学制度があるのだが、ケント大学への留学は法学部が独自に結んでいるものであり、岡大の授業料だけで留学でき、選抜されれば必ず50万円の奨学金がもらえる。留学先で取得した単位は岡大での単位に読み替えられ、必ずしも留年しなくても卒業できる。この条件はかなり魅力的だった。


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     イギリス・ケント大学図書館

    留学に向けての勉強
    留学を笠見先生に切り出したのは大阪旅行中だった。難波にあるジュンク堂書店に行った際に、留学に関する本を見てみたいと先生に言った。先日大学でケント大学交換留学説明会が開かれ、それに興味を持っていること、TOEFLはSpeakingがパソコン相手でWritingもパソコンでタイプしなければならのに、IELTSはSpeakingも生身の人間相手でWritingも手書きなので、TOEFLよりも点が取りやすいのでIELTS受験を教授に勧められたことなどを話した。その時点では、切り出した僕はもちろん先生もIELTSに関する知識は全く無く、とりあえず勉強するのに不自由の無さそうな量だけの本を買っていただいた。

    留学メンバーに選ばれるための勉強がはじまった。
    高校1年生の時にシス単を徹底的に暗記して、スタートダッシュに成功したことに倣って、まずは留学レベルの単語を暗記することになった。題材は旺文社『TOEFLE3800』。大学受験で使ったシス単とはレベルが違い、何度繰り返しても、模擬テストを自分でやってみても合格点の9割には届かなかった。できなかったら坊主にするという条件も付いているので何としてでも合格したかった。決して先生は妥協を許さなかった。僕がどんな厳しい状況に置かれていようとテストはテスト。僕は行き返りの電車の中で睡魔と闘いながら懸命に暗記した。部活で体力を消耗し、本当なら帰りの電車で寝たいところだが、目を擦りながら暗記し続けた。講義と講義の間もほとんどの時間を単語暗記に費やした。ハードな日々が続いた。そして何とか期日までに単語テストには合格した。 
    テストに合格はしたものの、坊主がかかった単語テストと同レベルの緊張感を維持するのは難題だった。そんな時、先生は僕に坊主にすることを提案された。
    僕の髪を刈ることは先生にとっても勇気のいることだったに違いない。坊主の提案は、なりふり構わず泥臭く留学を勝ち取ろうという先生の覚悟の現れだと読み取った。勝負しよう。先生についていこうと決意した。僕は一瞬躊躇したもののすぐに「はい。します。」と言った。

    ハードな生活をしていたのは僕だけではない。先生は何としても留学を成功させたいと教材の研究や作成、過去問研究に現役の塾生よりも多くの時間を僕のために使っていただいた。先生は信じられないくらいの強靭な精神な持ち主でいらっしゃる。体力的にどんなに苦しくても、そのそぶりを生徒に見せない。見せないそころか生徒を鼓舞し緊張感を高める。巧みに雰囲気を作り出される。
     

    留学の勉強が最もハードだった7月、僕はQB(クウォーターバック)に指名された。アメフトのQBは攻撃の起点だ。まずはパスが投げられなくては話にならない。塾で先生が凛とした雰囲気を作り出すように、QBは攻撃陣でチームが勝てる雰囲気を作っていく。常に冷静さを保ちハドルと呼ばれる作戦会議ではで見方を統率する。相手守備とのだまし合いに勝つためには、チームの状態を完全に理解し、相手の情報もインプットされてなくてはならない。相手のプレッシャーに耐える精神と技術、身体能力が要求される。QBとしてチームに貢献できるように、もっとアメフトに時間を割きたいという葛藤も当然あった。だが俺が先生の執念に負けるわけにはいかないと気持ちを奮い立たせた。
     

    サッカー坊主7番.jpg
    小5・サッカー少年時代 背番号7

    慶応受験の決心
    留学の勉強をしている最中、先生が慶応大学の魅力を語る一連のツイートをされた。僕のiPhoneには慶応についてのツイートが大量に流れてきた。ツイートは万人向けに書くものだが、このツイートは僕個人に向けたメッセージだとひしひし感じ取った。コウタロウには大学を卒業した後も、向上心を折り曲げてまで現状に甘んじる苦しみを味わってほしくない。だから何としてでもより高いレベルに身を置ける慶応大学に行ってほしいという感情が文章から伝わってきた。先生は留学の勉強を始めた6月から慶応大学の受験を意識されていたそうだ。慶応大学受験は交換留学生に選ばれなかったときの一発逆転の手段だった。最初からIELTSにも慶応にも対応した教材を選択し勉強方法を決められていたことをこの時初めて知った。
    ツイートを読んだときは、慶応に行きたいという思いがある反面、失意の中の僕を救ってくれたBADGERSを離れたくないという思いが交錯した。今回ばかりは先生の意向に反して慶応受験は断ろうと真剣に考えた。先生の言うことは絶対で、素直についていけば必ずうまくいくと信じてやってきた僕が初めて先生の考えに従うことを渋った瞬間だった。
     
    数日間悩んだ。
    仮面浪人生活でストレスが溜まっても、アメフトで汗を流せばアトピーが再び悪化する心配もない。もし受験に失敗したとしても、自分の向上心と執念をぶつける岡大アメフト部BADGERSという場所が自分にはある。気持ちの余裕があったのが現役時代との違いだ。
    慶応に行ける可能性があるのに受験を自分から諦めて、将来の選択肢を自ら狭めることだけはしたくなかった。先生と僕が一心同体となって戦えば、大学の講義にほぼ出席し、かつ週5で部活をしながら慶応に合格するという、はたから見れば無謀なチャレンジでも成し遂げることができると信じていた。先生の僕に対する情熱に応え本気で勉強する最後の機会だと思い、自分の実力を試してみようと思った。
    岡大アメフト部BADGERSのスローガンChallenge on 。これは僕に慶応受験を勧めているようにも思えた。チャンスがある限り挑戦を続けろと僕に訴えかけていた。結果がどうなろうと挑戦した経験は決して自分にとってマイナスに働くことは無い。様々な可能性を考えた結果、僕は慶応大学を受験することを決意した。
     
    慶応受験を決めてから
    世界史を勉強するときは、資料集や世界史小辞典、他の様々な資料を見るのが面白かった。
    現役の時は一橋に特化した勉強だったので、慶応の世界史を勉強するとなると知らないことばかりだった。逆にその分、先生が選定した教材をこなしていくうちに知識を吸収していくスピードがとてつもなく速かった。先生の立てた作戦は僕の特徴に完全にフィットしていた。
     
    英語の時間は楽だった。IELTSの勉強がどれだけ偉大であったかが理解できた。なんと慶応の英語がスラスラ解けるのだ。何度か時間配分を失敗して、最後の長文にほとんど時間が残っていないことがあった。仕方なく超速読でポイントだけ拾い問題を解くことにした。全体の意味だけ取って選択肢を見る。スケルトンの競技をしながら金貨だけを拾う感覚だ。時間が無かった分、点数は低いだろうから落胆する準備をして点数を見ると、かなりとれている。英語力が現役の時と比べてはるかに伸びていることを実感できた。
     
    小論文の練習は正直苦痛だった。やる前は鍛えれば伸びると思っていたが、浅はかだった。
    慶応の小論文は文章が人より多少良く書けるくらいで、知識の欠陥を補完できるほどたやすいものではない。自分が書く小論文の文章には絶望した。全くインパクトのあるものが書けない。薄い言葉の羅列に過ぎなかった。何を言っていいのかが分からない。アイデアが無いから、中身のない文章に終始してしまう。書いているときは氷の張った湖上を優雅にスケートしているようであるが、読み返してみると実は氷は薄くそのまま水中に落ちてしまう感覚だった。インプットが足りていないから書けないのは当たり前。大学に入学してから先生に大量の本をいただいて、いろいろとものを考えるようにヒントをくださったにも関わらず、それをやらなかったせいで書けない。「お前が大学に入ってから濃い経験をしていないからだ。」という先生の言葉が身に刺さった。


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    夏の猛勉強姿。髪型もTシャツも気合抜群

    イギリス留学決定
    10月下旬、僕は留学生に選ばれる自信満々で面接室に入った。面接官は大学の若い教授2名だった。面接室には留学申込書とおぼしき書類が10通ほどあった。面接の最後に課された、英語で自分のどのような科目を学びたいかを語る試験での出来が良くなかった。日本語の面接は順調に進んでいたのに、IELTSのSpeakingの試験の時よりも喋れなかった。
    11月30日、法学部の掲示板に、「以下の学生をケント大学に派遣することを決定いたしました。」という表示があった。もし交換留学生に選ばれなかったら慶応まっしぐらだと決心がついていた僕は、一橋の合格発表の時のように番号を見るのを躊躇することは無かった。
    自分の学生番号があった。

    この喜びを先生にいち早く伝えたかった。すぐさま先生に電話した。電話先で先生は泣いて喜んでくださった。最高の結果を先生に伝えることができて心の底からほっとした。
    塾に伺い改めて留学が決まったことを報告した。少し楽観的な僕に対して、先生は職業柄最悪のシナリオを考える。先生は留学の勉強を教えた事が無く、半ば諦めていたそうだ。先生は僕に関する不安から完全に解放され、体調が安定しているという。
    大学受験の時から先生には心配をかけ続けてきた。僕のせいで体を壊してしまったのではないかと思うほど、僕のために時間と精神を削っていただいた。申し訳なく思う。
    面接で判断すると僕は確実に落選していたであろうが、それでも選ばれたのは、教授が僕の伸びしろを感じて下さったからだと思う。アメフトをしながら試験で高得点を出したことも評価されたのではないかという気もする。
    制度が始まって4年目。僕が初めての男子派遣生だそうだ。
    後日談になるが、担当の教授のところに伺った時に、志望理由書が評価されていたことを聞いた。意思や考え方はしっかりしている。ここでも笠見先生に鍛えられた文章力が活きた。
     
    留学が決まってから
    昨年、岡山大学アメフト部BADGERSは関西リーグ3部に所属していた。関西リーグ1部には関学や立命館、京大といった強豪が揃っている。留学が決まったのは11月末。その頃岡大アメフト部BADGERSは関西リーグ3部と2部の入れ替え戦に向けたトレーニングの真っ最中だった。今年のチーム目標は来シーズン2部で戦えるチームを作ることだったが、その目標をクリアするにはまず入れ替え戦に勝つことが重要であった。今年の4回生は人数が多く、それまでの練習より気合が入っていた。
    1年生QBの僕は全体の合わせの練習に入ることが少なくなり、チームと同レベルの情熱を維持することが難しくなっていた。淡々とメニューをこなしているだけで、自分で考えることも減り、時間が過ぎるのをただ待っている状況だった。だから入れ替え戦でチームが勝った時も心の底から喜び笑っていることはできなかった。
     
    だが、春休みにアメフトに対する意識を変革する出会いがあった。
    岡大ウエイトトレーニング部のキャプテンで、ボディービル、パワーリフティングにおいて全国大会で上位の成績を収められた4回生の先輩との出会いだ。その方に「アメフトで圧倒的な結果を残して岡大を牛耳る男になれ。」と言っていただいた。4日間のほとんどの時間をその方と過ごしたが、誇れる実績と豊富な経験は自信をもたらすことが分かった。
    僕は大観衆の声援を受けながら試合をしたいという夢を抱いた。岡大に近く20000人収容のKANKOスタジアムのスタンドが大観衆で埋まり、チームカラーの赤に染まっている。応援団の図太い声とチアの高い声がスタジアム全体を盛り上げる。迫力あるアメフトの試合はルールが分からない素人が見ても選手の気迫が伝わる。観衆も日常生活で発散できない苦しい気持ちを選手とかぶせながら、自分も一緒に戦っているような気持になる。そして最後にはスタジアム全体で勝利に歓喜する。アメリカンフットボール部バジャーズが岡大を盛り上げる。僕が在学中にこの夢を実現できるように挑戦を続けたい。


    800px-Momotaro_Stadium_01.jpg
    岡山KANKOスタジアム

    アメフト京大合宿
    アメフトに対する意識改革の大きな転機になったのが、京大合宿である。
    3月8、9の一泊二日で、BADGERSは
    京都大学アメリカンフットボール部ギャングスターズと合同合宿を行った。京大は関西リーグ1部に所属し、昨年はリーグ戦で立命館大学を破った。日本一の経験もある強豪だ。合宿に参加する前は、実績などから見て全く歯が立たないと想像していた。しかし、実際は通用する部分もあるなと感じた。とはいってもアメフト部という一つの組織全体を比べると圧倒的な差がある。
     
    京大農学部のグラウンドに到着した。一面に人工芝がきれいに張り揃えられた人工芝のフィールドが目に飛び込んできた。これなら擦り傷、切り傷の心配はしなくていい。しかもサッカーのスタジアムに設置してあるようなオーロラビジョンまでついている。こんな整った施設で練習しているのかと、羨ましくなった。
    京大には人工芝のグラウンドに加えて、さらに充実した施設が整っている。4階建てのクラブハウスだ。京大アメフト部のニックネームはギャングスターズであるが、選手は自分たちのことをギャングと表現する。外観はまさにやくざの事務所のようだ。
    この施設には風呂、毎日の朝晩御飯を食べる食堂、トレーニングルーム、試合や練習のビデオが蓄積してある資料室、対戦相手を研究するための分析室が揃っている。アメフトは相手の傾向を分析してなんぼの世界。隊形や選手の動きは紙の上であらかじめ全て決められている。相手がどの隊形からどんなプレーを好むのか、どんなプレーを最も得意としているのか、試合データを集め分析することが勝利に対して果たす役割はかなり大きい。単純な肉弾戦に見えて実は高度な頭脳戦なのである。その意味で今までの分析データがそろっているというのは貴重だ。
     
    練習が始まった。
    京大の練習はテンポが速い。部員数は岡大より圧倒的に多く、普通に考えると同じメニューであれば一人当たりの回数は減るはずであるが逆に増えているように感じた。無駄な時間が全くなく、メニューからメニューへの移行時間がとにかく短い。次に何をするかが明確で、どうすればいいかわからず戸惑って時間が過ぎていくこともない。グラウンド脇にあるオーロラビジョンも一役買っている。次の練習メニューと場所、練習が始まってからの時間を表示している。これのおかげで次の練習場所までダッシュで行ける。だがオーロラビジョンが無くても、練習メニューは全て頭に入っているはずで今と同様にダッシュで移動することが容易に想像できる。

    加えてコーチがの数が豊富で、QBの練習は常に一人以上のコーチが見てくれていた。細かいところまで目が行き届き、間違ったことをしていればすぐに修正される。一方で岡大の練習は、第3者にコーチングしてもらう機会が少なく、今やっていることはこれで良いのかと不安になることがある。京大のコーチが充実しているのは学生コーチが多いからだった。5回生6回生が基本的に練習を監督する。潔くいうとほとんどの選手が留年しているということだ。僕が止まった選手は理学部だから就活が必要な人たちとは事情が違うが、話を聞く限り、留年することも自分の大学生活のプランとして組み込まれているようだった。4年間の選手生活を終え、5年目6年目は残った単位を取りながら学生コーチとしてチームに貢献する。留年をネガティブなこととしてとらえなくても済むところが京大の凄いところでもある。
     
    さらに選手同士のコーチングの声も絶えず出ていた。学年に関係なく練習のポイントをフランクに指摘し合える雰囲気がある。的確な指摘ができるのは、練習の意味を自分で考えて理解しているからだ。午前中2時間、午後5時間という長時間の練習にもかかわらず集中力を維持できるのも互いに励ます合う声はもちろんのこと、細かいミスをも見逃さまいとする張り詰めた意識があるからだろう。
    最も目に焼き付いたのはユニホームだ。京大アメフト部のユニホームは昨年一新され黒に近い深緑となった。ヘルメットは黒である。京大は試合前のアップで選手が集団行動のように縦横斜め乱れることなく整列しランニングをする。僕はそれを見るたびにあさま山荘事件の時、建物の壁をぶち抜くのに用いられた鉄球を思い出す。大きな黒い鉄の塊が身軽に動き回って猛スピードで突っ込んでくるわけで、その迫力は想像を絶する。鉄球が自分に向かって飛び込んでくる恐怖感は岡大の練習では感じたことが無かった。


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    京大アメフト部「鉄球軍団」

    夜、例年なら京大の宿泊施設に泊まるのだが今年は場所が確保できなかったらしく、同じポジションの部員の下宿先に泊めさせてもらうことになった。一日目の練習後、ポジションごとにご飯を食べ、そのあと銭湯へ行った。銭湯でも驚きが待っていた。みんなとにかく体がデカい。腕が太く胸筋が発達しているのは言うまでもないが、下半身の太さは異常だった。ケツがぷりぷりで太ももは丸太のよう。野球のピッチャーは走り込みで下半身を鍛えろというが、まさに強靭な下半身から安定したボールが生み出されているのだと実感した。自分の体が恥ずかしくなり早く服を着たい気持ちだったが、自分が思っている以上に体が疲れていたので、できるだけ体を見られないように肩まで湯につかっていた。
     
    京都大学の年間のオフィシャルブックを見せてもらった。次元が違った。プロのスポーツチームのものと比べても劣っていない。印刷以外は学生が全て行っているというから凄い。高校時代に経験した部活の内訳やシーズンの対戦相手など、見たい企画が様々あるが、一番印象に残ったのはとにかく日本一という言葉が数えるのが嫌になるくらい何回も登場することだ。気になって実際に数えてみたところ、全99ページに81回あった。企業の写真だけのページがあるのでとんでもない数だ。広告やチーム全体が日本一という崇高な目標を共有し、日々鍛錬を重ねる目的が統一されているのだ。
     
    アメフトは勉強と一緒だ。緻密すぎるぐらいの計画を立てる。基礎を徹底的に反復し、その日やったこと出来たこと出来なかったことを記録する。質にこだわって練習時間を短くするのではなく、質、量ともに追求する。長い練習時間にもかかわらず高い集中力を保ち続けている。同じレベルの練習を実現するのは簡単ではないが、不可能ではないことも悟った。僕は誰にも負けないぐらい勉強に打ち込んできた。勉強のノウハウを応用すれば、岡大アメフト部BADGERSでもできないことはない。

    僕は今シーズンイギリスに行くので、チームメイトと歓喜と苦難を共有することはできない。チームメイトは京大に近い高いレベルのグループでリーグ戦を戦う。客観的に見て、グループの中で最弱なのは明らかだ。一度チームから離れて客観的な観点からチームを眺めたときに感じたことを遠慮なく指摘できるように、1年間のブランクを埋め合わせることができる実力は付けてくると決意している。特に体重はウエイトトレーニングをして80KGまで増やして帰国したい。


    リフティング.png
    中3・サッカーの大会でリフティング

    愛情に恵まれた子供時代
    僕は生まれてからこれまで、周りの人に恵まれていた。父母、祖父母の努力なくして自分の体は改善することは無かっただろうし、留学できる体にはなっていなかったと思う。自分のやりたいことを不自由なくやらせてもらったことには感謝している。

    僕の根幹をなしている部分は幼稚園での経験だ。水泳元オリンピック候補の園長先生夫婦がやっている私立の幼稚園。教育の根底には溢れんばかりの愛情があり、10年後20年後を見据えて子供に接されていたように感じる。特に何事も最後までやりきることの大切さを体にしみこませていただいた。最たる例が宮島に一泊二日で行く遠足だ。僕はアレルギーがひどく、万が一のことを考えると、参加は見送ろうというのが親の判断だった。しかし、先生は何としてでも連れていくと言い切った。中学生になって初めて知ったが、親もすぐ対応できる距離のホテルまでついてきていたそうだ。そこまでして、遠足に参加させてくださった先生の執念は僕に伝わった。遠足後の発表会で僕は『僕は宮島で強くなった』という題のスピーチをした。

    このブログを執筆するにあたり幼稚園便りを読み返した。園児の保育は当然だが、親の教育に力を入れていることに驚いた。幼稚園で僕と共に親も成長してきたからこそ、僕は病気に負けずにやってこれたのだ。家の本棚にはアレルギーの子供用の本が隙間なく並んでいる。何とかして普通の食事と遜色ない食べ物を食べさせたいという母親の愛情は感じようとしなくても感じとった。
    卒園の時にいただいた勇気・元気・根気という言葉は、今でも苦しいときに口ずさむ。卒業や行事など節目の度に訪れるが、そんな時でも大歓迎してくださる。成人を迎えようとしている今でも幼稚園に帰ることができるというのは本当に恵まれていると思う。


    幼稚園 芋掘り.jpg
    幼稚園の芋掘り遠足で

    そして何といっても笠見先生。僕が現状に満足せず野心的に常に上を目指そうという姿勢を持てているのは先生のおかげである。先生が塾生のために割いた時間の割合は、僕が一番多いと自信を持って言える。大学1年の時は塾生ではないにもかかわらず、未経験の留学英語まで見てくださった。自分が成長し続けることでしか感謝の気持ちを表すことはできない。
    僕の人生に大きな影響を与えてくださっているこれらの人たちは、僕が現状に停滞している姿を見ると悲しむだろう。たとえどこかで失敗したとしても受け入れてくださると確信しているが、この人たちにかっこ悪い姿を見せたくないという気持ちが僕をアグレッシブにしている。反骨心と向上心を失った瞬間、自分が自分ではなくなるという危機感を常に抱いている。
     
    7年前US塾に入ってすぐ、国名からイメージするものを出来るだけ多く挙げるという社会の授業があった。ライス国務長官とヒル国務次官補。僕はニュースでちょうど聞いていたアメリカ人の名前を発言した。これで完全に先生に気に入っていただき、僕の人生は変わった。US塾に行っていなければ、普通であることに満足し自分の力相応な環境で生活をしていただろう。
    ただ、今はまだ何も手に入れていないことを忘れてはいけない。ただ海外に行くだけなら誰にだってできるし、海外留学している人なんて日本に五万といる。ここからが僕の人生にとって本当の勝負である。


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    コウタロウの送別会で、アメフト部の仲間からもらった、あたたかいメッセージが詰まったアルバム。「ビッグになって」「金髪美人と仲良くなれよ」と書いてあった。コウタロウは飛行機でも手荷物扱いにして、片時も離さないと言っていた。一生の宝

    さて、ここまで、長文を読まれて疲れられたとは思うが、僕の現在の思いを英語にしてみたので読んでほしい。
     
    I was really happy to be chosen a exchange student for three main reasons.
     
    First, this is the first time that I was able to meet my teacher’s expectation. When I passed my first choice high school examination, teacher and I weren’t glad from the bottom of our heart because we thought it natural. Concerning entrance exam for the university, I failed Hitotsubashi in spite of all his efforts. In addition, although I passed Chuo-University, I entered local university in contrast to my teacher’s wish that he wanted me to go to Tokyo. So, I got excited to gain result as we wish.
     
    Second, I can destroy my values. Many students gather from various countries and a lot of values collide each other. It takes just one hour to go to London from University of Kent by train and easy to go European continent. There are many worlds that I have never seen. I make my antenna of curiosity sensitive and I want to input as many information as possible.
     
    Third, not to mention to English skills, I can study to speak logically. Seeing from objective view point, my communication style is very Japanese. Especially I think so in that I often find myself just nodding with smile or saying ambiguous words in order to escape from referring cores. I will appeal myself to everybody by indicating what I want to mean clearly and taking actions actively. I would like to deepen self-confidence through various experiences.
     
    Pre-sessional English course will start from May.
    Classes of politics and international relations faculty will start from September.
     
    I would like to study two subjects, international relationships and journalism. When it comes to international relationships or international politics, I have seen it as relationships between Japan and the US or Japan and China. I think I have to add some different angles, for example the values European have. I would like to study those with new values. Of course I can study these issues by books and electronic materials when I am in Japan, but by undergoing through my own experiences, I could gain surprising findings.
    It is because I am interested in a job of journalist that I want to study journalism.
    News sometimes largely relate to international politics. Since the Gulf War was televised, news have reported a lot of important scenes such as 9.11 and the Afghan War. However, what flowed from TV screens were not everything. I think we are tend to accept news contents without questions in Japan. I want to know how people come from other countries appreciate news.
     
    I have much space to improve. I believe I could gain bright future after studying in Kent.
    I am ready to navigate the great ocean.
     
    この拙い英文が1年後には華麗な文章に様変わりしているはずだ。
    1年後、僕がイギリスで感じたことを日本語と英語で、このブログで再び書く。


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    ロンドン・ヴィクトリア駅
    ケント大学があるカンタベリーへの最寄り駅


    最後に
    笠見先生の魂ともいえる『猫ギターの教育論』は全31回のコウタロウシリーズを最後に幕を下ろす。多くの愛読者の方も残念に思われるだろう。最終回を書かせていただくことを恐縮に思うが、それでも最終回を航太郎に任せようという先生の愛情に応えたくて、ここまで書いてきた。このことを誇りと思い、糧とし、コウタロウシリーズに恥じないようにチャレンジを続けなければならない。
     
    アトピーとアレルギーは改善した。
    2014年1月。僕は国立病院機構福山医療センターで卵の負荷試験を行った。留学するのに際して自分が実際にどれくらいの量の卵をたべることができるのかを知っておきたかったからだ。卵黄から15分おきに1g、2g、4gの順で食べたあと、卵白を1g、2g、4g、8gで食べるという試験だった。最初に卵黄を食べるときは、スプーンを持つ手が震えたが、食べてみると想像したよりも問題なく進んだ。卵白8gに進んだ時強烈な腹痛と、息苦しさ、体のだるさ、熱っぽさが一気に襲ってきた。だが、この試験の結果、卵が入った麺やから揚げなどの加工品や完全に加熱されたものなら食べられることが分かった。病院の先生も僕が留学することを喜んでくださり、大いに後押ししてくださっている。
     
    病気に苦しんでいる仲間に言いたい。病気だからといって諦める必要は無い。体の状態で出来る範囲の最高を追い求めれば良い。病気であるということは、自分の気づかないうちに周りの人から多分に愛情を受けることだと僕は解釈している。家族、祖父母、幼稚園の先生、病院の先生をはじめ多くの人の努力のおかげで、米すら食べられない状態からここまで回復した。たっぷり受けた愛情は、いざという時の底力となる。
     
    次に、向上心を持った地方の仲間たちへ。地方の学生の素朴さ素直さは武器になる。淀みのない純白の笑顔は最強だ。ゆったりとした時間の流れの中で爆発力を蓄える。僕がロンドンに留学するように刺激的な経験を契機にして、ストッパーは外れ圧倒的な発信力を身につける。僕が地方から都会への飛躍を成し遂げるパイオニアになる。僕に続いてほしい。 
    僕はUS塾で鍛えられ反骨心と執念を養った。体の中にブクブクと沸騰しているマグマのように熱い情熱も蓄えた。海上でも迷わないように羅針盤も体に埋め込んだ。航太郎が、文字通り大海原に航海に乗り出す時が来た。
     
    KLMオランダ航空868便、関西国際空港発、アムステルダム経由ロンドン行き飛行機の窓から見える、真っ白な雲海が航海の始まりを祝福してくれるだろう。



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    瀬戸内海の島から、遠くイギリスへ旅立つ航太郎

    (1)中1・私の理想の生徒 
    (2)60年代の中高生がタイムスリップした少年
    (3)重度のアレルギー・アトピーと戦う
    (4)高1・青春ドラマな若者
    (5)高2・ゆとり教育
    (6)受験一年前・私の入院
    (7)高3・世界史詰め込み
    (8)一橋過去問対策
    (9)大学受験直前・走れコウタロー! 
    (10)一橋合格発表・生徒コウタロウの視点
    (11)一橋合格発表・講師の私の視点
    (12)岡山大学でアメフト開始! 
    (13)ビスコ少年とアメフト
    (14)誇大妄想の師匠と弟子
    (15) 私の大学受験失敗 
    (16) イギリス留学をめざす 
    (17) 大学1年・英単語2000個を2週間で暗記?
    (18) 英単語を2週間で2000個暗記!
    (19) ロカビリー先生とコウタロウ
    (20)一橋得点開示・留学に向け坊主頭
    (21)先輩コウタロウと後輩ワタル
    (22)交換留学のため使った英語教材
    (23)コウタロウ、塾を去る
    (24)慶應大学をめざせ
    (25)慶應大学をめざせ
    (26)コウタロウと浅田真央
    (27)慶應大学をめざせ
    (28)慶應大学をめざせ
    (29)慶應大学をめざせ

    (30)私からの最後の言葉

     
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