猫ギターの教育論

尾道市向島の塾「US塾」塾長のブログ 早稲田大学・開成高校出身 本音が飛び交う、少し「上から目線」の教育論
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私の退塾勧告
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    「塾をやめてください」
    私は塾講師として2度、親に退塾を告げたことがある。
    1回目は、素行不良の女子中学生に対してだった。夏休みに髪を金髪に染めてきたので、「その髪型では塾に入れない」と叱って帰したところ、親からすぐ電話があり、「塾はうちの子の個性を尊重してくれないんですか」とクレームがあり、では退塾してください、わかりましたということになった。どの塾でもよくある退塾のケースだ。

    これから語る2回目のケースは、珍しい。
    私が退塾を勧めたのは小学5年生の男の子だった。鹿児島ラサール志望の、頭が切れ難問をスラスラ解く「天才」だった。彼のノートの文字は、数年前に話題になった「東大生のノート」のような丁寧なものでなく、「ガリレオ博士」が解決法を閃いた時に、床や窓ガラスに書き殴る乱雑な走り書きだった。頭の回転が速いから自然と文字を書くのが速くなり、正解率は極めて高かった。天才音楽家モーツァルトの自筆楽譜は汚いので有名だが、彼のノートも解読不能だった。

    うちは小さな塾で、生徒との距離が「親未満、教師以上」と言ってもいいほど密接だ。だからこそ、私は彼の人生を親の立場で考えた。寝汗をかくような斑紋の結果、才能を生かすには個人塾より大手塾の方がベターという結論に達したのだ。
    中学受験で、灘や開成やラサールをめざす「できる子」が難関校をめざすなら、大手塾を選んだ方がいいと私は思う。決して中小規模の塾の講師の力量が劣っているからではない。日本には「知る人ぞ知る」小さな塾があり、塾長は自分の名前を背負って立っていて、子どもへの愛情が教え方の研鑽につながり、力量はずば抜けている。有能な零細塾の先生が、自分の全知全能を賭けて、執念込めて少人数の子供を引き上げるケースが、一番合格可能性が高い。ボクシングで無名のジムが世界チャンピオンを育てるように。私にも彼をラサール合格に導く自信はあった。

    では、なぜ私は断腸の思いをしてまで、大手への転塾を勧めたか。それは、大手塾の方が刺激ある友人ライバルに出会えるからだ。特に小学校5年生・6年生くらいの男の子には、自分よりできる友人やライバルの存在が、子供に負けん気を起こさせ、「やる気スイッチ」を押すのだ。
    難関中学を狙う子は、小学校ではたいてい1番である。個人塾でもトップクラスだ。しかし大手塾に通うと、たいてい自分より凄い奴がいる。模試の順位表が学力を残酷に教えてくれる。冷酷な数字の羅列によって天狗の鼻が折られてしまう。
    闘争心が強い子どもは、いまいち実態がつかめない偏差値より、順位の方が気になる。そして、自分より上にいる同級生の顔、特に成績表の1番上にドドンと鎮座している奴の顔を見たいと思う。凄い奴とは、絶対に「生」で会わなければならない。目でそいつの姿をしかと見届けなければならない。そして同じ部屋で、同じ授業を受け、同じ空気を吸わなければならない。
    たとえば、子供が小学校5年生からはじめて大手塾に通い始める。はじめてのテストの順位表が配られる。順位表を見る。1位に滝重暢之という名前がある。苗字はタキシゲと読むのだろう。暢之はいったいどう読むのか?賢そうな名前だなあ。自分はまず名前で負けている。どうやらそいつは、同じ校舎にいるらしい。 

    滝重が教室にいた。顔を見る。猫背の少年だったら裕仁天皇のような神々しさ、髪ボサボサの奇怪な目をした落ち着かない少年だったらアインシュタインの独創性、小柄でちょこまかした笑顔の良い少年だったら太閤秀吉の機知、頭のでかい巨漢だったら西郷隆盛の貫禄。どんな容貌であれ、容貌に意味を探る。容姿や体格や髪型や語り口調と彼の頭脳の関連性を探る。しかし、こちらが勝手に神格化偶像化しているのとは裏腹に、塾で1番の滝重くんは普通の子供みたいに誰かとしゃべっている。あいつ、しゃべるんだ。笑うんだ。彼の子供らしさに拍子抜けし、安心する。塾内に「天才」がいると、教室が静かな闘争の場と化す。

    だが、中学受験塾で難関中学を目指す小学生が最も意識するのは、実は成績が1番の奴ではない。意識するのは最初だけである。勉強が死ぬほどできる人間に対しては差を痛切に感じ、時がたつにつれ神棚に飾ってあるご本尊のように意識しなくなる。成績が1番の奴は取って代わる対象にはなり得ない。
    男の子は小5くらいから、身体が子どもの匂いから、男の汗臭いにおいに変わる。声変わりもする。男として闘争本能が芽生えてくる時期だそんな中学受験を戦う子が強く意識するのは、成績が同じぐらいの身近なライバルだ。こいつにだけは負けたくないという同級生が現れる。塾では気楽に口のきける仲のいい友達もできるが、心の中で1番強く意識している奴とは、気軽におしゃべりなんかできない。口をきかなければならない状況になっても、会話は気まずくぎこちない。無言で切磋琢磨しながら競争する。

    受験が終わり、2人とも志望校に合格する。お互いの能力を認め合っていたライバルと、同じ中学校に通う。緊張が解け、どちらともなく声をかけ合う。「合格したの?」「そうだよ」「よかったな」「そっちこそ」。受験時代の苦労話や、親のこと、兄弟のこと、趣味のことなど、堰を切ったように語り合う。 2人は中学で親友になる。現役ボクサー時代には意識過剰のあまり親密に話すことなんか考えられなかったジョーと力石が、天国で深い付き合える無二の親友になるようなものだ。
    中学受験で子供にかかる負荷は、大人の予想以上に大きい。子供は平然と勉強しているようでも、内心は不安に満ちている。同じ苦労を背負いながら、ライバルとして頑張ってきた。誰よりも自分の苦労をわかってくれ、誰よりも自分を認め挑戦してくれた中学受験塾でのライバルが、戦いすんで仲良くなるのは当然だ。こうして、小学生の時はライバル意識を燃やして、ろくに口もきかなかった塾のクラスメイト同士が、同じ中学校に合格したら進学先の中学校で無二の親友になる。

    塾で出会い、中学で親友になった者は戦友であり、中学・高校・大学と進んでも仲がいい。大人になっても、友人がそれぞれ企業や官庁に就職する。医師や弁護士になるかもしれない。嫌な言い方かもしれないが、小学生のうちからエリート人脈を築き上げることができるのだ。
    年端の行かない小学生時代に、苦労を共にした戦友。学閥ならぬ「塾閥」である。これこそ大手塾の強みである。私がラサールをめざす生徒に、塾をやめてもらったのは、塾内にライバルがいないからだった。切磋琢磨する友達がいる環境に、何としても置いてやりたかったのだ。大手塾で、強い友情を育んでほしかった。

    転塾の話を切り出したとき、大胆な決断にお母さんは驚いていらっしゃったが、理路整然と事情を話すと納得してくれた。子どもにもきちんと「君は大手塾の方があっている。もっと広い環境に飛び出せ」と、泣きながら話した。
    正直、塾としては彼が中学受験すれば、複数校受験して合格実績は出せ、塾の名声を上げる広告塔になれる。あと1年間、いっしょに受験を戦える。でも「親未満、子供以上」のスタンスから、私は経営を捨てた。かわいがっている子も捨てた。


    実は、子どもが塾に合っているかどうか、一番わかっているのは塾の先生である。

    塾は競争が激しいから、競争相手の動向に神経質になるため、自塾とライバル塾の個性や力量を正確に把握している。学力面でも性格面でも自塾との相性が微妙な子どもがいれば、ライバル塾に転塾した方が伸びるのではないかと、塾の先生は考えているものなのだ。


    だが実際には、よほどの問題児でない限り塾をやめさせたりしない。成績が良く高いレベルの環境で刺激を受けた方がいいと判断した子どもも、逆に学力が低く集団塾では伸びず個別指導や家庭教師に鞍替えした方がいいと判断した子どもも、塾で飼い殺す。

     

    私が退塾を勧めた子は、結局ラ・サールに不合格になった。

    大学は国立大学が不合格になり、東京の中堅私立に入ったそうだ。

    私が彼を手離した決断は、間違っていた。

    痛恨のミスだった。

    この経験以後、才能がある子は、徹底して私が育てるスタンスに変えた。

     

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