猫ギターの教育論

尾道市向島の塾「US塾」塾長のブログ 早稲田大学・開成高校出身 本音が飛び交う、少し「上から目線」の教育論
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コウタロウ英国留学記(4)
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    Walmerで木登り

    コウタロウ英国留学記最終回。
    イタリア・ポルトガル・スペインへの旅行
    大学でのエッセイの追い込み、そして帰国


    前回までのコウタロウ英国留学記  (1) (2) (3)


    1月「涙」

    ローマの危険で不気味な地下鉄

    12月31日ローマに向けて出発した。移動にはドイツのLCCのライアンエアーを利用した。


    LCCは値段が安い分、郊外にある空港を使う場合があるが、イギリスの拠点はロンドン北部にあるスタンステッド空港で、フライトの時間を考えないと空港までの交通費や前泊の宿泊費などでLCCを使わない場合よりも高くつく場合がありそうだなと思い、注意が必要だと思った。
    飛行機でアルプスを超える時の景色は忘れられない。地上から見ると巨大な山々だが、上空から見るとちっぽけだ。雲の間から刺々しく山頂が顔を覗かせる。



     
    ホテルはヴェネチアへの列車が出発するローマテルミニ駅付近にとった。
    空港から駅まではシャトルバスで移動した。バスでの移動中から古代の遺跡が見えて、また石畳の道路の脇に高い木が立っていてこれぞ”ローマへの道”と言う場所を通ったので、興奮気味に車内からカメラを向けていた。街自体が遺跡というか、遺跡が街を構成している、2000年前の建物が違和感なく溶け込んでいるという感じがした。



    コンスタンティヌス帝の凱旋門


    ローマ市街南側の境界、サン・セバスティアーノ門


    アッピア街道。ローマ付近は現在でも車道として使われているらしい。どの車も石畳の細い道をとんでもないスピードで走る
     
    ローマの地下鉄はロンドンやパリとは比べ物にならにならないほど暗く、施設が古びていた。車両も全面にスプレーで落書きがしてあり、落書きなのかアートとして描かれているのか判断しかねた。
    地下鉄ではスリに合いそうになった。僕が乗った電車は満員だった。これは注意していなければスリに遭っても不思議ではないと思っていたところ、ドアが閉まる直前に30歳くらいの男の人が僕の正面に不自然に割り込んできた。想像した通り、彼は僕のポケットに手を突っ込んできた。スリに会わないようにポケットには何も入れていなかったので被害はなかったが、実際にスリに遭遇して貴重な体験ができたと思った。不思議だが実際に自分がターゲットになったことが嬉しかった。


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    2015年1月1日の始まりはスペイン階段の上で過ごした。偶然、留学していた日本人の友達とローマにいる日が被ったのでせっかくだからと、一緒に晩御飯を食べ、新年をカウントダウンして迎えた。
    ローマの年越しは花火がいたるところで打ち上げられ、また、爆竹がひっきりなしにならされ、耳がおかしくなりそうなぐらい騒がしかった。遅くなりすぎても怖いので、1時ころホテルに帰った。

     
    ヴァチカンの大混雑

    1月1日。元日は多くの施設が閉じているので、次の日の観光ローマの街をひたすら歩き続けた。少し歩けばコロッセオ、また少し行けばトレビの泉、その目と鼻の先にマルクス・アウレリウス・アントニウスの廟と、世界史の資料集でしか見たことのなかった建造物が自分の目の前にある、夢のような時間だった。
     
    1月2日はヴァチカンに行った。ヴァチカン美術館は長蛇の列ができることで有名で、事前予約が必須であるが、実際に行列を目の当たりにしてぞっとした。チケットを購入しようとする人とは別に予約をしている人の列すらできる。
    中に入って気づいたが大方の目当てはシスティーナ礼拝堂だった。壁面、天井を隙間なく埋め尽くす壁画にはため息しか出ない。この空間だけ異様だったのは薄暗さと、私語とカメラの仕様に対してとにかく厳しいことだ。少しでも声を発したら注意されるし、カメラを構えようものならすぐに警備員が飛んで来る。システィーナ礼拝堂の特別さと神聖さを感じる経験だった。
     
    博物館から出て帰るときには、城壁をぐるっと囲うほどの列ができていて、この行列に並んだら観光どころではなく並ぶだけで一日の観光が終わってしまう恐怖感を覚えた。予約は大事だとつくづく感じた。そのあとサンピエトロ寺院に入ったが、想像していたよりも巨大で、ペトロの墓も荘厳な雰囲気を帯びていた。



    イタリアでは、ピザはレストランでも大衆食堂みたいなところで食べても種類が豊富な上、安くて美味い
     

    コロッセオとカタコンベ

    1月3日は午前中にコロッセオを見学した後、午後はカタコンベに行った。
    コロッセオはむき出しの地下部分、昔は檻として使われていたところに苔がはえていて、感情がないというか寒々しい雰囲気を醸しだしていた。客席部分は人がどうやって座っていたのか想像できないくらい傾斜が急で壁のようだった。グラジエイターは戦い続けるか死ぬかの選択肢しかない悲惨な状況だったというが、人が獣と闘うのを見て、観客が興奮していた場所だと考えると笑えなくなってきた。それにしても、ここまでしっかりと形が残る遺跡を作った古代ローマ人の力を感じる。




    カタコンベにはバスで行けるが、どのバスに乗れれば良いのか調べるのが面倒くさいし、バスの時間に縛られるのも嫌だったので、タクシーで行こうかと考えたが、それも一人で乗るのはもったいないし、歩いたほうが最も融通がきくと考えたので結局歩いて、もしくは走っていくことにした。
    結果的に、途中にカラカラ帝の大浴場跡を発見できて収穫もあったが、全体的に道が狭く人影がなくただただ怖い道中だった。車がたまにしか通らない、片方は工事が途中で放棄された廃墟のような建物が吹きざらしになっているような道を通った時は、思わずダッシュせずにいられなかった。頭上をカラスが飛んでいっただけで変な道に導かれているのではないかとか、誰かが待ち伏せしていて誘拐されてしまうのではいかといった妙な想像をしてしまった。
    カタコンベに行くときは一日がかりの計画で、タクシーかバスを使い、余裕を持って訪れなければならないと学んだ。

     
    ヴェネチアで、たった一人の成人式

    1月4日。朝10にローマを発ちヴェネチアへ移動した。友達の勧めでITALOに乗った。フェラーリと同じ色の鮮やかな赤が特徴の列車だ。車内では無料でwi-fiが利用でき便利だった。
    ヴェネチアの駅に到着する手前で、電車が海の上を走るのだが、いよいよ水上都市のヴェネチアに到着したという興奮状態にしてくれる。駅を出たら目の前は運河。夢の国に来たようなわくわく感が心を支配する。水上バスであるヴァポレットのチケットを購入し乗船した。
    ヴァポレットはいろいろな路線があり、どれに乗ればいいか迷うが、ヴェネチアの全体像を把握するために2番の船でとりあえず1周してみた。ゴンドラで優雅な時間を過ごしている人もいれば、警察もボートでパトロールしている。主要な交通手段が船ということに興奮しっぱなしだった。
     
    ヴェネチアでは孤独に関して考えることになった。結果的に言うと、孤独は人にあふれる場所で感じるということだ。これまでは大自然の中に一人ぽつんと立っていてなかなか人に会えないような、物理的な距離や時間的な遠さが孤独を生むと考えてきた。しかし、実はそのような状況下だと確かに寂しさを感じるかもしれないが、自然が自分の友達になったというか、包み込まれたような不思議な安心感に似た感情を抱く。

    逆に、人ごみの中だと自分が1人でいるという事実が際立つ。有名な観光地のヴェネチアなので、周りはカップルや家族連れ、友達同士の旅行客ばかりだ。1人で行動している人はほとんどいない。日本で一番孤独な人間は、東京ディズニーランドに一人でやってくる客だと聞いたこともある。

    そんな中で自分は1人で行動している。ちょうどそのころ日本では、もうすぐ成人式で友達は地元に帰っている。仲の良い友達と集まり酒を飲んだり、早いところでは成人式があったりしている。旧友と久しぶりに会い、成長を確かめ合い、思い出話に花を咲かせる。その様子をfacebookやtwitterに投稿したものが目に入る。そんな光景がうらやましくて仕方なかった。
     
    20歳の誕生日を海外で迎えるほうが貴重だとか、成人式に出席したかしなかったかなんて大した違いを生まないと自分に言い聞かせようとしたが、そう思えば思うほど、強がっているのが鮮明になり余計に悲しくなった。美しいサンマルコ広場の夜景を見ていると急に寂しさがこみ上げてきた。目の前に広がっている光景が次第に滲んでいく。一滴の涙が頬を伝うのがわかった。波の音や鐘楼から響く鐘の音が寂しい気分を助長するBGMと化した。


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    サンマルコ広場の鐘楼より

     
    ヴェネチアのとびきり美味なシーフード

    ヴェネチア二日目はブラーノ島へ出向いた。ガラス細工で有名な島で、ヴァポレットを降りると人が同じ方向に流れていくのでついて行ったら、ガラス細工の工房を見学できた。色とりどりに輝き、どうやって作業したか想像もつかないような繊細な飾り付けがされたガラスがあったのでお土産に何か一つ買って帰ろうかとも考えたが、手頃な値段のものがなく諦めた。将来こういうものが躊躇なく買える様になってからもう一度来たいと思った。
     
    1月6日イタリア最終日、ロンドン行の飛行機は夜なので、昼過ぎまでは観光できた。la plancaというジューデッカ島にあるレストランで昼食を食べた。トリップアドバイザーでの評価も高く、僕が行った時も満席だったので2時間待った。



    ジューデッカ島にあるLa Palancaというレストラン

    このレストランで、久しぶりに生の魚を食べた。カジキマグロのカルパッチョ、コイワシのマリネ、ヴェネチア名物のサルディン・サオールが盛られている前菜は2人でシェアしても十分満足できるだろうと思えるほどの量だった。それを一人で平らげたのでとても満足した。嫌な生臭さもなく味付けもさっぱりとしていて非常に食べやすかった。干したオレンジの皮を刻んでふりかけていたのはおしゃれだった。メインのトマトソースパスタも酸味と甘みのバランスが絶妙で何人前分でも食べれそうな勢いだった。久しぶりに食に幸せを感じた。オーナーが直接注文を取りに来てくれる親切な店で、待った甲斐があった。
     
    隣の席に座っていたイギリスのオックスフォードから旅行に来ている中年夫婦とも会話し、一人旅の寂しさが少しは解消された。食後には美しいヴェネチアの景色を目に焼き付けながら、紅茶を一杯のんびりと飲み干した。
    トレビーソ空港まではシャトルバスで行き、ライアンエアーを使ってロンドンまで帰った。感情の起伏が激しいイタリア旅行だったが、ミラノやフィレンツェにもいけていないし、ヴェネチアは涙を流した思い出の地となったので、将来もう一度訪れたいと思う。
    僕はヴェネチアで確実に強くなった。


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    注文した前菜、魚の盛り合わせ。これがほんとに美味しいんだ。量的には2人前だけど、新鮮な生の魚を食べるのが久しぶりというのもあって一瞬で食べきった。

     
    ポルトガルとエンリケ航太郎王子

    1月7日にイタリアから帰国して、服などを少し入れ替えてから1月10の朝にはスペイン、ポルトガル旅行に出発した。
    スペインというと、マドリードやトレド、バルセロナお観光する方が多いと思うが、僕はグラナダのアルハンブラ宮殿にだけ行ければいいという気持ちで計画を立てた。高校二年生の時に世界史の資料集でアルハンブラ宮殿に一目惚れしてから、大学生の内に絶対に行くと決意していた。
    またポルトガル観光で、リスボンではなくポルトを選んだ理由はエンリケ航海王子の生家を訪れるため。高校時代に年に1回生徒が発行する学校誌のようなものの学級欄で”運動できる爽やか王子”と書かれたことがあった。それ以来、エンリケ航太郎王子と呼ばれることもあった。
     
    例のごとくロンドンスタンステッドからライアンエアーでポルトに飛んだ。空港から試合地まではメトロで移動する。ポルトのメトロは路線数が少なくわかりやすい。車両はきれいで乗客の雰囲気ものんびりしていた。
    ポルトはドウロ川河口付近に位置する。川を挟む形で町があり、坂に住宅が立ち並び、観光用のケーブルカーがあり、橋が架かっているなど構造的には故郷である尾道と同じ雰囲気を感じたが、建物が石造りというだけで見た目が全く違って見えた。ポルトでやりたいことは二つ。ポルトワインのワインセラーを見学することと、エンリケ航海王子の生家を訪れることだ。


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    ポルトといえばこの景色。ドンスイス1世橋とワイン運搬船の組み合わせ。橋の上を走っているのは何とメトロ

    エンリケ航海王子の生家は発見するのに時間がかかった。Google map のGPSと地図上の点はあっているのに、それらしき建物が全然見当たらないのだ。10分以上そのブロックを周回した末にやっと入り口を見つけることができた。しかし、観光客が訪れている雰囲気もない。ガラス越しに中を覗くと、一応見学できるようにはなっているようだったがその日は閉まっていて、それ以降しばらく開館されることはないという。質問に答えてくれた人も忙しそうにしていたので、この場所には来れたわけだし、とりあえず目的は達成したと思い、入り口にあった看板と説明書きだけ写真に収めてその場を後にした。

    ポルトワインは、まだ糖分が残っている発酵途中にブランデーを加えて酵母の働きを止めることで甘く仕上がるのが特徴だ。まだまだ子供なのでワインの味など区別できないが、このワインがとにかく甘いことだけは分かった。ただアルコール度数が20%と通常のワインよりも高いため、甘くて飲みやすいからと言ってごくごく飲んでいるとすぐに酔っぱらう。ツアーの最後に試飲会があるが、白と赤を少しずつ飲むことができる。ジュースみたいだった。学生にとっては危険なワインだなと思った。


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    ポルトワイン。ワインの味を区別できるほど大人な舌は持ってないけど、また飲みたくなるワインだった。

     
    スペイン・マドリードの8万人収容のスタジアム

    目的を達成し早々とポルトを後にした。向かう先はマドリード。特にマドリードには用事はなかったが、ポルトからグラナダへ直接移動する手ごろな手段が無かったのでマドリード経由でグラナダまで行くことにした。
    手段は長距離バス。パリに行くときに利用したバスが頭をよぎり、さぞかし辛いバス旅になるだろうと予想していたが、思ったより楽だった。乗客が少なく、のんびりとくつろげたからだ。距離的には420kmと国境を超えるドライブにしてはそれほど長い距離ではないが、ポルトガル内の複数の都市で客をピックアップし、スペインに入ってからも高速は走らず、いろんな街を経由して順々に乗客を降ろして回るので余計な時間がかかったが、移動が昼間で外の景色も見られたし、本を読むなどして暇を持て余すことはなかった。
    ポルトガル-スペイン国境でウルグアイ人が二人バスから降ろされたのには少し驚いたが、無事にマドリードに到着した。マドリードのバスターミナルは巨大だった。
     
    マドリードのユースホステルで一泊した。ヨーロッパの街はどこもそうだが、住宅もホテルも会社も同じような石造りの外観のところが多いのでホテルの場所を見つけるのが大変だった。とくにマドリードに着いた時は暗かったので、自力では見つけられずジムらしき場所に入って受付の人に場所を聞いた。いい意味で予想を裏切り親切に答えてくれたのは嬉しかった。
    次の日の午前中、グラナダへのバスの時間までレアルマドリードのホームスタジアムであるサンチアゴベルナベウのスタジアムツアーに参加した。ツアーと言ってもガイドはおらす、個人個人で自由にスタジアムを見学できる。試合がある日以外は基本的に見学できるそうで、これだけの人気クラブだとスタジアムツアーに参加したい人も多いだろうから、ツアーによる収入だけでも相当な額になると思った。
     
    8万人入るスタジアムは巨大だった。日本には8万人収容できるサッカー専用スタジアムは無い。これが満員になるとどんな雰囲気なのかと想像もつかなかったし、8万人の大観衆の中でスーパープレーを繰り出す選手たちの精神的な強さは想像もつかない。この巨大なスタジアムが試合ごとに常に満員にする集客力はクラブや選手の努力の賜物だと思った。スタジアム自体がスパースターが集うビッククラブの力を象徴している気がした。
    スタジアムツアーでは、ロッカールーにも入れるのだが、意外にも質素で木のベンチが並んでいるだけだった。それでもジャグジーがあったりシャワーが綺麗だったり、ジャグジーとは別に風呂もあったりとホームチームのロッカーは充実していた。受験生の時とアメフトを始めてから、サッカー選手にはあまり興味がなかった僕でも知らない名前はないぐらい有名な選手の名前がロッカーに刻まれていて、凄い場所に来たんだなという以外に感想が持てなかった。
     
    マドリードからグラナダへの移動にもバスを使った。利用客は少なくなかったが、隣の席は埋まらなかったので、ゆったりと座ることができた。
    休憩のためにとまったサービスエリアのようなところで生ハムを買いバスの中で食べた。抜群に丁度いい塩気が疲れた体を蘇らせる。この時から生ハムにはまった。
    グラナダに到着してからタクシーでホステルまで向かいそのまま一泊。家族がやっているB&Bで、日本で最近話題になっている民泊みたいなホステルだった。リビングは家族と共有で、子供が親からプレゼントをもらっている様子も見ることができた。テレビでは吹替え版のドラえもんが放送されており、ワールドワイドな日本のアニメの実力に触れた。

     
    20歳の誕生日。一人パエリヤ

    1月15日、20歳になった。スペインで迎える誕生日、これからの人生の中であるか無いか分からないスペインで迎える誕生日。別にスペインということにこだわりは無いが海外で迎える特別な20歳の誕生日になったことに変わりはなかった。
    晩御飯にはパエリヤを食べた。注文するときに店主がスペイン語で何かを伝えようとしてきたのだが、しばらくしてこれは値段も量も二人前だが大丈夫かということを確認したかったらしいことがわかった。2人前を平らげることに不安は無かったのでそのまま注文した。人生で初めて食べたパエリヤだが、めちゃくちゃ美味かった。
    イカやムール貝などのトッピングにも香ばしい味がしみ込んでいて、米にもカツオや昆布からだしをとってたいたようなまろやかな味付けがしてあった。帰国してからスペイン料理屋で何度かパエリヤを食べたが、このときを超えるものにはまだ出会っていない。


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    世界史の勉強で憧れたアルハンブラ宮殿

    次の日は朝からアルハンブラ宮殿とアルバイシンの丘を観光した。高校生のころからの念願がやっと叶うと期待に胸を膨らませ、歩き始めた。丘の上にあるので坂道が長く続いたが、もうすぐアルハンブラ宮殿に到着すると思うと坂道を歩いて登る煩わしさなどみじんも感じなかった。人は本当に感情に左右される。
     
    宮殿の入り口に到着した。イヤホンガイドを借り、順序に沿って見学し始めた。アルハンブラ宮殿は異なる時代に建てられた建物が組み合わさって構成されている。時代によって建築様式や形状なども異なるため見ていて飽きない。カルロス5世の宮殿やライオンの中庭、アラヤネスの中庭、ヘネラリーフェなど見どころは盛りだくさんだ。イスラームの装飾は繊細で、僕が行ったときは天井を修理していたのだが、修復にも時間がかかるといっていた。宮殿にはシエラネバダ山脈からの水が引き込まれ、建物の中に溶け込んでいる。水を利用しているというよりも水が活きている宮殿だと思った。噴水や水路をとおる水など音が絶えず聞こえてきて癒される。やっぱり僕は水のある場所が好きなんだと再確認した。
     
    アルハンブラ宮殿からはこれも世界遺産であるアルバイシンの丘が見えるのだが、一つの丘が真っ白に見えて非常に見応えがある。この丘は昔アラブ人の居住区だったところで、建物の壁がギリシャのサントリーニ島のように白で統一されている。
    アルハンブラ宮殿に3時間ほど滞在した後、ここに歩いて向かった。歩いていると遠くからギターの音と歌声が聞こえてきたのでそれに誘われて行くと展望台にたどり着いた。ここからはアルハンブラ宮殿を一望できるのだが、ここから見るシエラネバダ山脈を背景にした宮殿も美しかった。のんびりした空気の流れる南米のような雰囲気の感じられる場所だなと感じた。



    ナスル朝時代王族の避暑地として造られたヘネラリーフェ、アセキアの中庭。1950年代に修復工事が終わったらしく、外観はとても新しい。水が主役の庭。ベンチに座って深呼吸すると澄んだ心が蘇る。

    グラナダにはもう一泊し、次の日の朝飛行機で帰国したが、途中経由したマドリードの空港もターミナルが巨大で乗り継ぎが大変だった。 
    結局、クリスマス休暇でフランス、イタリア(ヴァチカン市国含む)、ポルトガル、スペインを旅行したが、それぞれ雰囲気が違って面白かった。
    店での接し方を例に取ると、フランスはよそ者、イタリアは友達、ポルトガルではお客様、スペインでは観光客としての対応をされているなと感じた。これは僕の態度や行先で大いに変わるが僕の中での各国の印象を簡単に言うとこんな感じだ。1か月弱最初から最後まで1人で旅行すると精神的にもそこそこ疲れるなと感じた。

     
    日本人留学生ダニエル

    ここである日本人留学生の男を紹介したい。その名はダニエル。顔がハリーポッターのハリーに似ていることから、ダニエルと言うニックネームを持っている。
    彼は地元尾道では有名人だった。1/2成人式で将来の展望を発表し、国連職員になりたいと語っていたのが印象的だった。機械が動いているかのような正確なお辞儀をし、しゃべり方も只者ではない印象を受ける。尾道から広島市内の高校に進学し、卒業後イギリスに渡ったそうだ。直接面識があるわけではないが、彼と中学校が同じだった友達から間接的に話を聞くと、みんなも別次元の人だと認識しているように感じる。ブログも有名だ。
    僕が1月にロンドンで英検を受験したとき驚愕した。筆記試験の時の試験監督がダニエルだったのだ。会場はImperial College of Londonで、後で彼のfacebookを確認してみると、やはり試験監督はダニエルだった。
    試験会場に入室し着席して顔を上げた瞬間、知っている顔が教壇に立っているのだ。試験前だったのに、試験どころでなく動揺した。イギリスの大学に進学しているのは知っていたが、まさかこんなところで目にするとは思っていなかった。
    試験監督と受験生という立場に歴然とした差を感じた。何が何でも絶対に合格せねばと思った。

     
    2月「授業」

    英語のディスカッションの苦しさ

    さて、ここまで大学の授業について全く触れていないので少しはイギリスでの勉強に関しても触れておきたい。
    Pre-sessional courseが終了しテストにも無事合格したので、10月からは正規の学生と一緒に授業を受けることになる。10月からクリスマスまでの秋タームと、クリスマス休暇明けから4月2週目くらいまでの春タームがあるが、それぞれ4つずつ授業を履修した。
    政治の導入科目や、日本の政治、イギリスの国会について、第二次世界大戦中のイギリス、EUの仕組み、世界の帝国史などに関する授業をとった。ジャーナリズムを学んでみたかったが、開講されるのがバスで1時間ほど離れたキャンパスにあり他の授業との兼ね合いもあり、取るのを断念した。
     
    1つの授業につき週に1時間の講義(レクチャー)と1時間のゼミのようなディスカッションの時間(セミナー)がある。つまり他の人と顔を合わせて学ぶのは各ターム週に8時間しかない。予習復習がとても重要だということだ。講義を受ける前に2,3の資料を読み、講義の後に復習をし、それを踏まえてセミナーのための文献を読む。セミナーでは講義内容と参考文献を元に議論をして理解を深める。
    僕が最も苦労したのがこの部分で、いくら参考文献を読んだところで、背景知識の量が違いすぎ他の学生が説明していることが少ししか理解できない。イギリス政治の授業はセミナーのグループで自分以外全員ネイティブだったので会話のスピードも速くついていくのが必死だったというか、完全についていけてなかった。
     
    セミナーではどれだけ積極的に議論に関与しようとしても限界を感じた。外国人の僕には、アクティブラーニングのようなセミナーはきつい。聞き流しても内容は入ってこない。
    逆にレクチャーは日本の大学の一般的な講義と同じで先生がスライドなどを使って解説していく方式だ。先生が説明口調で、プレゼンのときのように聞き手の学生を意識して話してくれるので非常に聞き取りやすかった。



    イギリスで読んだ日本の文庫本。本体価格1円の中古の本だけど、古本独特の匂いと日焼けした紙の感じが好き。文字が小さいのも昔っぽい。

     
    3月「坊主」

    長髪を一気に坊主にした人気者koTTAro

    4月にイギリスに来て夏に1回散髪をしたが、それ以降は耳の周りを軽く切る程度でほったらかしていた。日本人がやっている美容院に行く選択肢もあったが髪のためにお金を出す気にはならず、それなら現地の散髪屋さんに行ってテレビの企画であるようにお任せで安く仕上げてもらおうかとも思ったがそこまでの勇気もなく、結局気づいてみれば耳が完全に隠れるほど髪が伸びた。ヘルメットを被っているような見た目だった。頭が重く感じた。
     
    バリカンを友達に借りて、長髪を一気に刈った。思い付きは怖い。現地の床屋に入る勇気がないのに、いきなり坊主にしだすとは面白い。フランス旅行前に坊主にしていればドライヤーを荷物から省けたし、何より確実なシャワーが保障されないユースホステルなどでは洗面台で頭を洗ったりできるので非常に便利だったというのに。乾かす手間も省けたし旅行の前に坊主にすればよかったと後悔した。
     
    坊主にした後アメフト部の練習に行くと、いつもは“Hi,koTTAro”と迎えてくれるはずのみんなが、僕のほうを見ては目を丸くしている。QBのローレンスには誰かまったくわからなかったといわれた。自分の目の前にいる日本人がkoTTAroであると認識されてからは丸めた頭を触られまくった。一瞬だけでもFalconsの中心になった気がしてうれしかった。ちなみに、チームメイトたちは‘こうたろう’とフラットに発音することが難しいらしく、イメージとしてはkoTTAroと呼ばれている感じなのでこう表記している。
    イニシエーションのコスプレといい、突然坊主にしてくるのといい、最初から最後までこの日本人はどこか狂っていると思われていたかもしれない。
     
    エッセイ。エッセイ。エッセイ。エッセイ。エッセイ。エッセイ。3月の僕の頭の中を文字であらわすとこうなる。24時間こんな感じだった。本当にエッセイに追われていた。一つ2年生の授業を取っていたのだが、エッセイが3500ワード以上で死ぬかと思った。レッドブルを飲み夜遅くまでエッセイを書き続けた。この時が一番留学生らしかったかもしれない。
     
    4月「362日ぶりの日本」

    帰国の荷造りはたいへん

    帰国の時が近づいてきた。たった1年とはいえど、イギリスに来た時よりも格段に荷物が増えている。パークウッドには服や靴、本などを入れておけばユニセフに寄付されるボックスが設置してあったので、日本に持って帰って使うほどでもないが、まだまだ使えそうな靴や衣類、文房具などを大量に寄付した。1年前の反省を活かし、できるだけ荷物を減らしたかった。
    帰国3週間前頃から荷造りを始めた。お土産などに多くのスペースお割かれるので苦労した。どうしても入りきらない荷物は新しく大きくて安いスーツケースを買い、クロネコヤマトで日本に送った。
    帰国2日前、2年生のWRで一番仲の良かったセドリックが、帰国するコウタロウのためにメッセージを募ってくれた。多くのチームメイトから嬉しい言葉をもらい、世界とつながったと思った。QBのローレンスやセドリックとは今でも連絡を取る。
     
    海外での「湯船愛」

    日本でも一人暮らしをしているとシャワーで済ます人が多いかもしれない。しかし、家に湯船があり入ろうと思えばいつでもお湯を張れる状況と、入りたくてもシャワーの施設しか無いのとでは全く違う。シャワーだと立ちっぱなしで足がつかれリラックス出来ない。少しでも風呂でくつろぎたかった僕はバケツを持ち込み、そこに座り壁にもたれかかり、ぬるめのお湯を浴びることで何とか気持ちを紛らわしていた。だが、湯船には到底及ばない。
    またクリスマス休暇の時は結局時間がなくて断念したのだが、湯船というか温泉に浸かりたくてハンガリーのブダペストに行くことを本気で計画していた。それほど湯船に恋焦がれていた。
    そして帰国直前に湯船に浸かる機会が訪れた。ヒースロー空港で前泊した部屋に湯船があったのだ。興奮した僕は熱いお湯を貯め、ざぶーんと勢いよく浸かった。思わずのぼせるまで浸かってしまい、熱くて風呂上りに全裸でいたら案の定湯冷めして、次の帰国の日の朝、体調は最悪だった。風邪をひいているときの長時間フライトは辛い。

     
    帰国してインフルエンザに

    日本を出国してから362日ぶりに帰国した。到着ゲートを出て親の姿を発見した時は、親がここにいてくれるだけで安心感を抱いていることに気が付いた。「久しぶり」と言うと「風邪は大丈夫?」と母親は言う。特別な言葉をかけるのも照れくさいので、何気ない日常にありふれたような会話をした。
    体調が優れなかったので、“3大食べたい”の、焼き肉、ラーメン、すし、を置いてうどんを食べた。だしの味が体にしみた。うまかった。やっぱり日本食はうまい。そう思った。
     
    父の運転する車で尾道まで帰った。家についたころには熱が上がっていて、病院に行くとインフルエンザだと診断された。帰国早々のインフルは残念だったが、1週間ほどゆっくり休めと言われているのかなとも感じた。
     
    最後に、留学したいと言い出した僕を叱咤し、情熱的に牽引してくださり、この場でコウタロウシリーズイギリス編を書く機会を設けてくださった笠見先生には最大限の感謝を表明したい。
    また家族、祖父母、BADGERSの仲間、留学中出会った日本人の留学生たち、留学制度を維持している岡大の担当者の方々、全ての方の協力、サポートのおかげで留学が成り立っていたことに感謝したい。
    さらに直接の関わりはなくとも僕を応援してくださっている方々もいることを認識し、その方たちの期待を裏切らないように成長し続けなければならない。
    その一歩目として、帰国後一年間の僕の歩みをアメフト編として書く。


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    最後のヒースロー空港。さよならイギリス、また来るでー


    コウタロウ英国旅行記 完 


    これは、コウタロウが大学2年の、イギリスへ留学した時の体験記である。大学1年での、アメフトと留学を目指すための英語勉強を両立した体験は、コウタロウシリーズ(31)を参照してほしい。


     
     
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