猫ギターの教育論

尾道市向島の塾「US塾」塾長のブログ 早稲田大学・開成高校出身 本音が飛び交う、少し「上から目線」の教育論
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宅浪の罠
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    私は一年間宅浪した。
    宅浪が可能だったのも、予備校に通わない決断ができたのも、私に自学自習の経験があったからだ。
    私は小6の時、一年間、大手の進学塾に通った。塾は広島にあって週1回・日曜日。私が住む尾道から、行きは新幹線、帰りは在来線で通った。家から塾まで行きは1時間半、帰りは2時間強かかった。
    授業時間は朝9時から正午まで3時間。テストとテスト解説だけの塾だった。1週間の勉強はテストの予習範囲を配られてこなすだけ。授業は基本的になし。テキストを自分で解くだけ。いい意味で放任された。毎回配られるテストの順位がモチベーションの源だった。
    こういう放任主義で、勉強は自分一人の力でやるものという意識が血肉化した。勉強は講義で聞くものでない、本から目で吸収するものだと。
     
    だが、私は中高で勉強をサボった。英語と数学は壊滅的だった。
    当然、東大も早稲田も慶應も落ちた。開成高校の人間は妙にプライドが高く、東大・早稲田・慶應・医学部など以外の大学には行きたがらない。「開成のおちこぼれ」である私もそうだった。
    だけど、私には中学受験時代に鍛えた、自学自習力があった。勉強は自分一人でできるという確信があった。
    予備校に通わず、宅浪の道を選んだ。
     
    中高時代、勉強をサボっている間に、読書ばかりしていた。映画ばかり見ていた。古い名作を見たら図書館に通い、映画評論を読み漁った。ハリウッドの娯楽作と違って、古典映画には高校生には理解できない謎の部分がある。謎を理解するために文献を読んだ。
    とくに小津安二郎にはまった。小津作品はストーリーは明快だが、撮り方といい、セリフの言い方といい、謎だらけだった。謎を解くため無理して映画評論家・蓮實重彦の本を読んだ。難解だった。だが受験勉強を始めた時、どんな入試問題の素材文も、蓮實重彦の文章よりは簡単に読めた。映画評論を読むことで自然に現代文の力がついていた。
    現代文の力があるから、参考書を読む力がついた。壊滅的な英語を立て直すために使ったのが伊藤和夫の『英文解釈教室』。難しい本だが、私には読みやすかった。蓮實重彦の文章が独特の「蓮實重彦語」で書かれているのと違って、『英文解釈教室』は明晰な日本語で書かれていたからだ。
     
    宅浪してどん底から這い上がるには、参考書の力を借りなければ無理だ。参考書を読むには読解力がいる。プラスして自学自習するノウハウが身体にしみこんでいなければならない。私にはそれがあった。
    私が宅浪したとき、一番頼った本は過去問だ。孤独な受験生にとって赤本は掴むべき藁である。
    予備校には受験情報があふれている。宅浪生は情報弱者だ。だけど過去問で合格最低点が取れれば合格なんだ。受験は合格最低点を取る競技だ。7割取れればいい。こう開き直ると気分が楽になった。赤本こそ最高の情報源じゃないか。私は赤本を信頼し信仰し、反復して解いた。
     
    宅浪中、私は定評ある参考書しか使わなかった。新しい参考書に浮気しそうになったが耐えた。英語は伊藤和夫、日本史は山川出版社から、ほとんど逸脱しなかった。古い参考書には過去の受験生の成功体験がしみついている。宝くじを買う時は一等賞が当たった店で買う客の心理と同じだ。
    だから私は今でも、教え子の大学受験生には新しい参考書はあまりやらせない。古い定評があるものしか基本的に薦めない。これは私の宅浪時代の、新しい本への恐怖心に由来している。
     
    とにかく、予備校なしで宅浪して、私が一浪して早稲田の政経学部に合格できたのも、参考書読解力と自学自習力があったからだ?
     
    だが、宅浪には罠がある。
    読者の方は、こういう疑問を持つだろう。
    「おまえは開成高校を出ていながら、なぜ東大に行けなかったのか?」
    「開成から一浪して早稲田では、成功とは言えないのではないか?」
    疑問は正しい。
     
    結局、私は数学から逃げたのだ。
    数学で自学自習をもくろんでいたが、失敗に終わった。浪人開始当初は、自分だけでできると考えていた。だが、苦手教科がどん底状態では、大学受験では一人で這い上がれない。
    私の「読解力」とやらも、数学の解説を理解できるまでには至らなかった。青チャートの解説を読んでも、どうしてこの式が次の式につながるのか理解できない。基礎知識がごっそり抜けていた。現代と違って「実況中継」的なわかりやすい参考書は出ていなかった。
    数学を一人で這い上がるには、限界があると悟った。一人で勉強すると、苦手教科の壁がブチ破れないことが骨身にしみた。
     
    宅浪すれば、無意識に得意教科に走る。私は社会が得意だったから、社会の勉強がメインになってしまった。
    孤独に勉強を続けていると、得意教科は精神安定剤になる。逆に苦手教科で心が病む。時間をかけても伸びた心地がしない。前に向けて走っているつもりでも、ルームランナーのように進めども進めでも一か所にとどまっている。残るのは精神的疲労だけだった。
     
    6月に、東大をあきらめ、早稲田を第一志望にした時の開放感は、いまも覚えている。
    数学は向いてない、自分には数学の才能がない。英国社で勝負しよう。登山者が重いリュックを地面に置いた時のように、身体が一気に軽くなった。
    俺は官僚になりたいわけではない。マスコミに就職したい。だったら東大じゃなくてもいいじゃないか、早稲田はマスコミ就職に有利だ。
    たとえ周囲が反対しても、わが道を行くべきだ。まわりは東大に捨てられたバカだと心の中で思うだろう。
    だけど、浪人して強いところは、周囲の意見に流されなくなることだ。他人が自分に対して何を思おうと、あまり気にならなくなる。頑固さ、したたかさが身につく。
    数学をどん底から伸ばすのは難しい。『ビリギャル』だって数学の成績が伸びたわけではない。数学を伸ばすのは「奇跡」なのだ。
     
    しかし今考えると、私はリタイアを自己正当化しただけかもしれない。
    浪人中、もっと人や組織に頼る方が良かったと後悔することがある。
    一人にこだわり過ぎたのではないか。中学受験の成功体験に酔い、何でも自分でできると思い込み過ぎたのではないか。
    数学がわからなければ家庭教師に頼み、予備校の講習会ぐらいは通い、Z会や進研ゼミなど通信添削の手も借り、誰かに頼れば良かったのだと思う。
    依存症は良くない。だが見栄を張った独立心だけでは成功しない。人に教わることは恥だ、そんなプライドが当時の自分にあったことは否定できない。
    国立を避け私立を選んだのも、論述問題を誰かに添削され、文章を批判されるのを恐れたのかもしれない。
     
    宅浪でも、一人で苦しむことに執着せず、誰かに甘えるべきところ甘える気楽さが必要なのではないか。
    教わることは恥ではない。まだ18歳19歳なんだから。




     
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