猫ギターの教育論

尾道市向島の塾「US塾」塾長のブログ 早稲田大学・開成高校出身 本音が飛び交う、少し「上から目線」の教育論
kasami88★gmail.com
CALENDAR
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293031    
<< March 2020 >>
RECOMMEND
RECOMMEND
SELECTED ENTRIES
CATEGORIES
ARCHIVES
twitter
猫ギター
MOBILE
qrcode
LINKS
PROFILE
OTHERS
無料ブログ作成サービス JUGEM
<< カープが弱くなった理由 | main | 基礎力の正体は何か? >>
社会は「点」でなく「線」で学べ
0

    社会が直前追い込み可能な科目だと考える人は、さすがに少なくなった。入試問題を作る学校側もさるもの、用語丸暗記で解ける問題は少ない。入試は一問一答クイズ大会ではない。入試は暗記の多寡が合否を左右する状況ではない。

     

    「アメリカ南部の農業は何ですか?」「綿花です」「ピンポーン、合格です」の時代ではないのだ。

    大事なのは用語丸暗記ではなく、用語の背景にあるストーリーを把握することだ。松本清張ではないが「点」でなく「線」で学ぶ。蜘蛛の巣のように知識と知識を結ぶイメージを頭に張り巡らせているかで学力が判断される。

     

    中学校の定期試験なら「アメリカ南部の農業は何?」「綿花」でよい成績が取れる。定期試験は暗記努力がそのまま身になるテストだ。

    だが、生徒を落とす目的で作られた入試問題はそんなわけにはいかない。

    見逃されがちな点であるが、最低減の知識として「綿花」が何に使われるか知っておかねばならない。今の子は日常生活と学校で習うことが結びつかない。数学の証明問題のように、綿花という言葉の「定義」は最低限おさえておかねばならない。

     

    綿花がシャツやパンツや靴下の原料であり、おそらく自分の体の90%が綿花で包まれていることを意外に知らない子が多いのだ。綿花はともかく生糸や羊毛に至ればさらに知らない。羊毛がセーターの材料なのは直感的にわかるとして、背広が羊毛で作られていることを知っている中学生は少数ではないか?

     

    綿花が生糸や羊毛に比べどれだけ生活必需品としての価値が高いか。綿花は安価で水で選択しても傷まない。いまでも洗濯機に無神経に入れておけば勝手に洗ってくれる。クリーニングに神経質な生糸や羊毛と比べどんなに便利か。汗の吸収性もいいし、そこに綿花が普及した理由がある。

    また日本では江戸時代に綿花生産に干鰯(干したイワシ)を使っていた。アメリカでは鶏糞を使う場合が多いが、綿花は干鰯と相性が良い。綿花という一つのキーワードでも、地理から歴史へつながるのである。

    もっと言うなら金属の「すず」なんか、どういう用途で使われているか、日常のどこに存在するのか、社会の先生はですら知らない人は意外と多いのではないだろうか?

     

    そんなこんなで、綿花とは何かときちんと定義したうえで、綿花はどんな地域で栽培されているか、栽培の気候条件は何か、綿花を材料とする綿製品の生産が盛んな国はどこか、綿花について日常生活と絡めながら、「点」の知識が「線」につなげるのが、本来の社会の勉強である。

     

    社会で直前に追い上げようと思って一問一答の問題集を暗記するが、なかなか入試問題の過去問の点に結びつかないのは、入試問題が「点」より「線」を問うているからである。

    かつて、流れを説明する「線」を問う問題は、難関中学の入試問題、とくに麻布や武蔵あたりの専売特許だったが、現在では公立高校の入試にまでトレンドが及んできている。

    一問一答の問題はコンピューターでも作れる。しかし思考力を試す問題は、選ばれた先生が頭をひねって考え出した作品である。その作品に太刀打ちするのに「社会は直前で間に合う」という態度がいかに怖いか認識してほしい。

     

     

    ではなぜ社会の入試問題が「点」から「線」へ変質をとげたのか?

    高校側が暗記力自慢の子が必要ないと判断したのは大きい。中学時代に意味も分からず用語だけ詰め込んで入学した子は高い確率で大学受験失敗するので、思考力がある子を取りたい思惑が見える。

    大学側も塾予備校で詰め込んだブロイラーはいらないと、思考力が欠如した悪貨を駆逐したい、そしてそんな要望は国家政策にまで波及し、マークシートのセンター試験が改革されるに至った。

     

    だが「点」から「線」に変化した一番大きいのは「点」しか詰め込んでいない人材が、社会の邪魔者になるということである。

    たとえば、営業は買いたくない相手を説得する仕事である。説得するには「ストーリー」が必要だ。「わが社の新製品は最新鋭の××プロセッサーを使っています」と固有名詞告げただけで相手の購買欲はピクリとも動かない。「点」で人の心は動かない。既存の製品とどう違うか、顧客にとってどう役に立つか、ストーリーを語ることで商談が成り立つ。中高生のうちから事象に対してストーリーを語る思考力をつけることが、社会人としての訓練につながるのである。

     

    社会という教科は「社会」という名前であるから、日常社会と乖離してはならない。小中高生のうちから用語暗記中心の日常生活と隔たれた勉強は社会ではない。社会科は社会であり、社会人としての礎を築く教科である。

    とにかく「アメリカ南部の農業は何か?」「綿花です」という無口な態度ではだめで、饒舌な関西人のように綿花について長々と語れるのが社会科の力、社会人の力である。「点」から「線」への問題傾向変化は、社会科教育の進化である。

    | 硬派な教育論 | 18:45 | - | - | ↑PAGE TOP