猫ギターの教育論

尾道市向島の塾「US塾」塾長のブログ 早稲田大学・開成高校出身 本音が飛び交う、少し「上から目線」の教育論
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内申点に物申す
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    公立高校の一般入試は、中33学期の学科試験と、中学校の先生が高校に送る内申点のドッキング判定で合否が決定する。一発勝負と日常の蓄積、両方の要素が試される。

     

    各都道府県で差はあるが、学科試験と内申点の比率はほぼ1対1で、また内申点の内訳は各学校や先生の方針で幅があるが、平均すると定期試験の点数が6割、授業態度や提出物が4割くらいである。

    ということは、授業態度や提出物などの平常点が、高校合格に必要な点数の4分の1弱を占めることになる。これは大きい。

     

    平常点を加味した判定方法は、不公平といえば不公平である。

    授業態度の良否判断は正直、学校の先生の主観が大きい。入試はスポーツのようにフェアな競争であるべきで、ここに特定個人の主観が入れば不公平だ。

    学区の先生には好き嫌いの激しい人もいて、好意を持つ子には点が甘く、生意気な子には点が辛い。上沼恵美子が担当の先生だったら怖い。平常点の重視は、学校の先生が子供の生殺与奪の権を握っているみたいで、良い気はしない。

     

    塾側の本音を言わせてもらえば、定期試験で高得点取っているのに、通知表の評価が低ければ腹が立つ。

    中間期末テストでは各教科90点前後を取っているのに、学校の先生から受けが悪く、5段階で4とか3とかつけられている子がいると、どうしたものかと思う。悪い評価をした学校の先生、テストでいい点取るのに詰めが甘い生徒、うまく指導できない塾講師の自分の三方に対して腹が立つ。

     

    また評価は秘密のベールに包まれていて、どうして中間期末試験が良いのに、通知表がパッとしないのか担任に保護者が尋ねてみても、「総合的判断」と言い訳されると二の句がつけられずお手上げなのである。

    提出物を出していない、授業態度が悪いとかの理由で3とか4をつけられると、中堅校はともかく難関校合格には大きく足を引っ張られ、内申点で涙を呑むケースも多い。

     

    内申点から平常点を抜き、いや内申点すらなくして、大学受験みたいに学科試験一本勝負にした方が基準がわかりやすく、フェアだ。

    スポーツの大会で、ふだんの練習態度が悪いからと減点されることなど、ありえない。公立高校入試は、そんなあり得ない評価が横行している。

     

    だけど、ここ10年くらいで、私の考えは大きく変わった。

    私も30代までは内申点廃止派だった。内申点は、指導力が欠如した学校の先生が、子供を縛るシステムだと考えていた。

    だが40歳超えてから、あることに気づいた。

    内申点が良い子は、就職試験に強いのだ。

    テストの点数は良くても、生意気な口をたたいたり、斜に構えていたり、発言にどこかイラっとした部分があったり、コミュ障の子は、総じて就職試験で高く評価されていない。

     

    逆に中学時代、努力しても中間期末であまり点数が取れない。無器用だが可愛げがあり、提出物も丁寧にこなす。誰からも愛され、私から見ても「この子には絶対、世間から評価される人生を送ってほしい」と祈りたくなる子、そんな子は、通知表で本来の点数より12点加算され、就活では大企業の内定を稼ぎまくる。テストの点だけでない「総合的評価」が、就活に直結する。そんなケースを長年塾講師をやっていて幾度となく経験していると、内申点の奥深さを感じるのである。

    内申点をないがしろにしてはならないのだ。

     

    塾ではテストの点数だけでなく、生活態度の改善も求められている。知育だけでなく徳育の領域まで指導しなければ、偏った人間が生まれてしまう。

    内申点を上げることは徳育、言葉を変えるなら「嫌な人との付き合い方」を学ぶことである。

    特に提出物を出さない子は、大人をなめている。内申点では提出物が最重要視される。提出物を遅れて出し、ましてや出さないと評価は大幅に下がる。

    提出物を出さない、またいい加減にこなすことは、先生に対する人格批判ととらえられても仕方がない。社会に出て上司に与えられた課題をサボれば、何らかのペナルティがあるのが必然だ。

     

    おまけに学校の先生の中には、塾を嫌う人もいる。勉強は塾でやっているからと学校の授業の態度が悪く、学校の提出物はないがしろにする子に対しては、怨念が通知表に反映する。特に相対評価で、真面目に提出物を出す子に甘くなり、雑な子の点数が低くなるのは自然な感情である。学校の先生は、提出物を出さない子を、自分に対して誠意がないと判断するのである。この判断は正しい。

    だから塾では、提出物の指導が絶対に欠かせない。提出物は指導の生命線である。

     

    だが、十代の反抗心が強い若者にとって、内申点は邪悪なものである。

    私が中学生なら、私に悪く通知表で評価した学校の先生に対して、こう強く反発する。

     

    「どうしてアンタに俺の評価ができるのか、徳がない奴に徳育する資格があるのか。提出物なんて勉強の経過を見る代物で、テストの点数という結果だけで評価してほしい。真面目ぶって結果出さない奴より、結果出す人間の方が、実は真面目ってことじゃないか。

    内申点って、弱い大人が子供を支配する凶器だ。人格的魅力で引き付けるんじゃなくて、内申点で縛りつけることしかできない馬鹿な大人たち。そんなくだらない大人から良い子扱いされると反吐が出る。

    俺の実力を大学受験で見せたい。大学受験こそ、大人に媚びない実力主義のフェアな世界さ。学校教師が俺を認めないなら、凄い大学入って認めさせてやる。お前は俺を評価しなかったけど大学は俺を評価した、俺に対する低評価を後悔させてやる。ほえづらかくなよ」

     

    若者の中には、学校の支配から卒業するのに、盗んだバイクで走り出すような馬鹿な真似はせず、狂気のように勉強して知識を身につけ、大学に入り早く自由になりたいと、大人に対する敵対心をパワーを勉強に向ける者だっているのだ。

     

    だが、50代の中年男性の老婆心から言わせてもらえば、「知」だけで世の中を渡るのはリスクが大きい。特に成績トップクラスの公立中学生は、すごい同級生が身近にいないから、お山の大将になりがちだ。

    難関中学にはとんでもない化け物がいる。漱石は「知に働けば角が立つ」と言ったが、小5で英検2級とり、あるいは中3で中国語の読み書きができる難関中学の天才に対して「知で戦えば殺される」のである。「知」による実力だけで戦うのは、あまりにも無防備だ。

     

    「知」の実力がものをいう、お笑い芸人の世界ですら、芸の凄さに加え「好き嫌い」が人気を左右している。

    内申点が良さそうな芸人の代表がサンドウィッチマンで、内申点がいかにも低そうなのが品川祐である。

    品川祐は頭が切れる人で、アドリブ力がすごい。だが、話が他の芸人に対して高圧的な面があり、また嘘か本当かは知らないが、若手時代に番組のADに偉そうにしていたそうで、ADがディレクターやプロデューサーに出世した現在、「品川だけは使わない」と過去を根に持っているから仕事が来ないと、品川自身が自虐的に話していた。品川は私の好きな芸人だが、知性を露出させて損をしている。

     

    逆にサンドウィッチマンは好感度NO1芸人で、伊達と富沢は売れてからも仲良く、敵を作らない芸風に人柄がにじみ出て、また東北被災地への援助など、いかにも「内申点が良さそうな」活動を続けている。

    M-1グランプリの審査員だったサンドウィッチマンの富沢は、審査に人間味を重視していた。漫才には演者の人間性がにじみでていなければダメだと。

    富沢の審査コメントには、人間性を向上させてきた、サンドウィッチマンの「したたかさ」を語っている。

    富沢は高校時代内申点が良いどころか、ツッパリだった。だが30代前半まで売れなくて、その時の苦労が才気だけでは勝てない、勝つには人間性で勝負するしかないという結論に至ったのだと私は推測する。芸のキレと人間性の二刀流でないとブレイクしない。サンドウイッチマンのスタンスは、若い時から才能だけで売れた芸人とは一線を画す。

     

    私も塾講師として、教え子の内申点が低ければ、好感度を上げれば生き方が楽になるし、同時に好感度を上げる知恵を与え、嫌な先生がいれば反抗するのではなく、逆に先生を手玉に取る「したかかさ」を身につけてほしいと考えている。

    また天性の可愛げに自信がなければ、世の中を渡る武器として、律義さを定着させるのが大事だ。律儀な人間になるためには、提出物をきちんと出すこと。提出物の指導は律儀な人間を育てる第一歩である。

    信長みたいなエキセントリックな人材は天性だが、家康のような律儀で堪える人材は教育の力で生み出せる。教え子を好感度が高い人材に育てたい。決して「おしゃべりクソ野郎」とは世間に呼ばせたくないのである。

    好感度でワースト1位でも、圧倒的実力でお笑い界に君臨する、天才・松本人志をめざしてはならない。

     

     

     

     

     

     

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