猫ギターの教育論

尾道市向島の塾「US塾」塾長のブログ 早稲田大学・開成高校出身 本音が飛び交う、少し「上から目線」の教育論
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宇多田ヒカルとアメリカ進出
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    藤圭子がいい。久々にipodで聴いている。「京都から博多まで」は名曲だ。

    僕は昭和43年生まれ。藤圭子の全盛期は昭和45年前後。物心ついたとき、ブラウン管に流れるのは藤圭子の姿だった。
    「15、16、17と、私の人生暗かった」といったふうな怨念が露出した強烈な歌詞と、藤圭子の歌謡曲丸出しのメロディーは、幼い僕の頭に刷り込まれた。
    今でも「藤圭子的」な曲が流れると、いいなと思ってしまう。

    宇多田ヒカルの歌も、藤圭子の娘だという先入観をたっぷり抱いて聴いているからか、やっぱり「藤圭子的」な匂いがする。
    宇多田ヒカルの歌詞は藤圭子とは一見全く違うタイプに見えるが、「私のことをもっとわかって欲しいの。」的な部分では共通点がある。

    また宇多田ヒカルの曲はR&Bの表層を剥ぎ取れば歌謡曲だし、やはり親子だから声質が似ている。
    宇多田ヒカルはアメリカ生活が長いが、日本の土着歌手・藤圭子のDNAはビクともしていない。

    藤圭子が粘着質な原液とすれば、宇多田ヒカルは泥臭さが洗浄され、現代的に希釈されている。
    また本質的にタフな藤圭子の声に比べて、宇多田ヒカルは霞たなびく、消え入りそうな草書体の声の持ち主だ。人間の声が空気の震えであることを再認識させてくれる声質だ。

    宇多田ヒカルはハスキーで、かつ弱い声の歌手である。どすの利いたハスキー声の歌手なら腐るほどいるが、ハスキーで弱い声、しかも声に確固たる存在感がある歌手なんて、中森明菜以来だ。

    ところで宇多田ヒカルのアメリカ進出は、あまりうまくいかなかったらしい。
    でも、アメリカの女性歌手が歌うポップスって,ホントにいいか?

    アメリカの女性歌手には、女性というよりサカリのついたメス豚みたいなのが多いし、歌もさすがに声量はあるが、メロディーは大味過ぎて耳に残らない。
    日本人の大半にとっては、カーペンターズ的な歌手の美点は理解できても、マドンナがなぜスターの座に君臨しているのか不可解だろうに。

    そんなアメリカのポップス界で成功なんかしなくても、僕はいいと思う。
    だってアメリカ音楽業界の、メス豚の鳴き声の喧騒の中で、宇多田ヒカルの繊細なカナリアみたいな歌が埋もれてしまっても無理ないと思う。

    宇多田ヒカルは日本の歌手なんだから、日本でだけ売れればいい。ドメスティックでいこうよ。
    もちろんアメリカの華やかなショービジネスで成功したい気持ちはわかるけど。

    とにかく「Flavor of Life」は、「ぼくはくま」の迷走を吹きとばすいい曲だ。
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