猫ギターの教育論

尾道市向島の塾「US塾」塾長のブログ 早稲田大学・開成高校出身 本音が飛び交う、少し「上から目線」の教育論
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個性は子供を不幸にする
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    私は個性的だとよく言われる。人嫌いだし、感情の起伏は激しいし、言葉もきつい。おそらく、一緒にいて疲れる人間だと思う。

    私を嫌う人間は、個性が強いというオブラートに包んだ言い方ではなくて、変人だとか偏屈だとか傲慢だとか、悪意のこもった言葉で中傷してくる。

    ところでここ数年、子供の個性を尊重しましょう、個性的な人間に育てましょうと巷では言われている。文部科学省や地方自治体の教育委員会でも、「個性」をスローガンに掲げているところが多い。

    個性的な人間とは、私のような人間に他ならぬ。偏屈な大人、周囲に毒を撒き散らす変な奴のことだ。

    文部科学省は、私のような「個性的な」大人を役所ぐるみ、学校ぐるみで育てたいのか。
    日本の教育行政が教育機関で育てたい理想の人間とは、私のような男なのか?

    お役所から子供の目標にふさわしい理想の人物像にされ、非常に光栄なことである。日本中の大人が全員、私みたいな狷介な個人塾経営者になればよい。

    冗談はさておき、真に個性的な人間は、就職が決まって髪を切っても、制服に身を固めても、黙っていても、個性のオーラがにじみ出る。自分の個性から逃げ出すことはできない。真に個性的な人間とは、個性が皮膚の毛穴から常に湧き出し、粘液を出し独特のにおいを放つ。

    そんな人間は不幸だ。強い個性は凡人から距離を置かれ、凡人の仲間の輪に上手く溶け込むことができない。
    個性的であるということは。言い方を変えれば、他人と違うということだ。「どうして僕は普通じゃないの?」と自分の個性に羞恥心を抱き、自分の個性を呪う。

    ところが、真に個性的な人間の寂寞感など想像もつかない平凡人たちは、ときおり個性的な人間に憧れ、よせばいいのに個性的な人間を演じたがる。

    平凡な人間が奇抜な髪型や服装で身を固め、刹那的な奇矯な言動で個性的な人間を演じても、すぐに見破られてしまう。平凡人は、個性的な人物を演じても、イミテーションの個性に疲れたら、平凡さの安住の地へいつでも帰ることができる。

    しかし真に個性的な人間はそうはいかない。個性的な人間にとって、個性とは運命共同体で、腐れ縁の個性と心中しなければならず、帰る場所などどこにもない。
    平凡人の「個性」は髪型を変え服装を変え言動を変えたら消え去る。しかし真に個性的な人間の個性は、頬のホクロのように、死ぬまで消えやしない。

    個性が弱い人間なら、学校教育というやすりで研磨されることで棘がなくなる。
    子供が成長していく上で、中途半端な個性が消え、平凡さを身に付けることは、意外と思われるかもしれないが、実は幸福なことだ。

    でも真の個性は、学校教育ごときで棘は消えない。縛られることでますます棘を尖らせてゆく。そんな棘だらけの個性は不幸だ。棘があるから自分を防御できる。しかし反面棘があるから人が恐れて寄って来ない。

    そして最も恐ろしいのは、個性の99%は「社会」や「世間」で必要とされていないことだ。「社会」や「世間」で必要とされる個性は、実は「ゼニ」になる個性だけなのである。

    イソップ物語の、アリとキリギリスの挿話がある。私はこの話を、アリは平凡だから幸福で、キリギリスは中途半端に個性的だから不幸のどん底に落ちる話だと解釈している。

    キリギリスは怠け者では決して無い。キリギリスはヴァイオリンの腕がある。ヴァイオリンという楽器は、3歳4歳から英才教育を施さないと弾けない。キリギリスはヴァイオリンのため、幼少時から努力を続けてきたのだろうう。ヴァイオリンの腕は、キリギリスの個性だ。

    キリギリスの不幸は遊んでいたことではない。ヴァイオリンの腕で銭儲けできなかったことだ。キリギリスは個性的ではあったけど、その個性が金を産むほど個性が輝いていなかった。圧倒的ではなかった。それがキリギリスを死に至らしめた。
    キリギリスが、他人に喝采されるハイフェッツやオイストラフのような猛烈な腕のヴァイオリニストだったら、キリギリスは野垂れ死ぬことはなかったろう。

    孤独な個性的な人間は、孤独な者同士の過酷な競争が待っている。ヴァイオリンでゼニ儲けできる人間は限られている。

    皮肉なことに、個性的な人間同士の競争を審査するのは、実は平凡人である。大衆という名の平凡人の集団である。平凡人は残酷にも、「こいつは上手い」「アイツは下手だ」とゴミを分別するかのように、個性的な人間を審査する。

    平凡人のアリは、キリギリスのヴァイオリンの腕が大したことなかったから、キリギリスを見放し、キリギリスの死体を食べた。もしアリがキリギリスの腕に、ゼニ儲けができる価値があると判断したら、キリギリスを使って一攫千金を狙っただろう。キリギリスのヴァイオリンは、平凡人アリの審査で、落第点を与えられたのだ。

    結論。
    子供に個性を求めてはならぬ。中途半端な個性は絶対的に人を不幸にする。
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