猫ギターの教育論

尾道市向島の塾「US塾」塾長のブログ 早稲田大学・開成高校出身 本音が飛び交う、少し「上から目線」の教育論
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宮台真司「日本の難点」
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    ここ数日、今まで積極的に読んでいなかった著者の本を、片っ端から読んでいる。「新しい、未開の著者」の書物を読むのは、評判がいい有名店なのに、まだ機会がなくて一度も訪れたことのない店の暖簾をくぐる緊張感がある。
     

    いま僕が積極的に読んでいる書き手とは
     

    坂口安吾
    宮台真司

     

    この2人 である。
     

    坂口安吾はとりあえず置くとして、宮台真司が出版したはじめての新書「日本の難点」には感動した。特に職業柄、第二章「教育をどうするのか−若者論・教育論」には己の感性を鞭打つ言葉が多く、繰り返し読んでいる。
     

    宮台真司は、おそらく日本で一番有名な社会学者で、類まれな頭脳からあふれる奔放な物言いに、何かと敵が多い人だ。僕はそんなイメージから、読まず嫌いになっていた。
     

    また、某サイトのある書き手が宮台かぶれで、この方の文章が失礼ながら理屈だけで面白くない。しかもどこか高踏的で、砂浜でみんなが海水浴を楽しんでいるのに一人だけタキシード姿で現われ、「僕は知的だろ? 君たちとは違うんだ」みたいな、60年代的知性を振りかざすアナクロで嫌味な部分と、場違いな滑稽さが兼ねそなわっていて、宮台真司氏もそんな人だと思っていた。
     

    そんなわけで僕は宮台真司に偏見を持っていて、「知情意」のうち「知」の部分だけが突出した、理屈を捏ね回す嫌味な人物だという先入観にとらわれ、読まず嫌いになっていたのだが、読んでみると感激した。
    確かに「知」が表面的に突出しているのは認めざるを得ないが、宮台真司はイメージに反して、熱い「情」「意」が瞬間的にほとばしる人ではないか。

     

    宮台かぶれの某氏の文章が、スープを取った後の出しガラとすれば、宮台氏本人の文章は豊かなコクのあるスープだ。
    表層をなぞっただけのフォロワーに偏見を持たされ、あやうく宮台真司を読まずに終わるところだった。

     

    さて、「いじめは本当に決してなくせないのか」の部分で、宮台氏は「いじめ」への処方箋を、こう論じている。ここで僕の目を引いたのは「スゴイ奴」という言葉である。どんな人間を宮台真司は「スゴイ奴」と呼ぶのだろうか?
     

    ---------------------------------
    心底スゴイと思える人に出会い、思わず「この人のようになりたい」と感じる「感染」によって、初めて理屈ではなく気持ちが動くのです。「いじめたらいじめられる」なんていう理屈で説得できると思うのはバカげています。世の中、弱い者いじめだらけだし、それで得をしている大人がたくさんいるのですから。

     

    そうじゃない。「いじめはしちゃいけないに決まってるだろ」と言う人がどれだけ「感染」を引き起こせるかです。スゴイ奴に接触し、「スゴイ奴はいじめなんかしない」と「感染」できるような機会を、どれだけ体験できるか。それだけが本質で、理屈は全て後からついてくるものです。
     

    想像してほしい。利己的な奴が本当にスゴイ奴だなんてあり得るでしょうか。「感染」を引き起こせるでしょうか。あり得ない。周囲に「感染」を繰り広げる本当にスゴイ奴は、なぜか必ず利他的です。人間は、理由は分からないけれど、そういう人間にしか「感染」を起こさないのです。
     

    人間は、なぜか、利他的な人間の「本気」に「感染」します。それにつけても、最近の子どもたちは、「本気」で話されたことを「本気」で聞く経験、あるいはそれをベースにして自ら「本気」で話した経験を、どれだけ持っているでしょうか。それこそが「感染」の土台であるのに。
    -----------------------------------

     

    「本当にスゴイ奴は利他的で、人間は利他的な人間の「本気」に「感染」する」という箇所に、涙が出そうになった。
     

    ちなみに宮台氏は「スゴイ奴」の反対に位置する人間を、「セコイ奴」「浅ましい奴」と呼んでいる。
     

    「日本の難点」から、引用を続けよう。
     

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    不思議なことに、我々は自己中心的な人間を「本当にスゴイ奴だ!」と思うことはありません。(中略)「本当にスゴイ奴」とそうでない奴の違いは、プラトンの言葉で言えば、ミメーシス(感染的模倣)を生じさせるかどうかで分かるのです。ミメーシスというのは、真似しようと思って真似るのではなく、気がついたときには真似てしまうようなものです。(中略)

     

    誰もが認めるスゴイ奴は「本当にスゴイ奴」を探し求めるのではないかと思います。エゴイスティックな奴とは「こうすれば得になるとか損になる」とか「手段」の合理性を考える類の浅ましい輩ですから、どう考えてもこういう輩は「感染的模倣」の対象にはなりません。
     

    「感染的模倣」の対象になる人間とは、端的な「衝動」に突き動かされている人間です。むろん食欲や性欲なども端的な「衝動」を与えます。でも「感染的模倣」をもたらすのは「ありそうもない衝動」「不思議な動機づけ」に突き動かされた人間だけです。たぶん宗教の開祖も多くの場合そうした人間だったでしょう。
     

    「本当にスゴイ奴」を探し求めるとは、「ありそうもない衝動」に突き動かされる人間を、”思わず”「感染的模倣」をすることを通じて、自分自身が「ありそうもない衝動」に突き動かされる存在になっていくこと、というふうに思います。
    --------------------------------------

     

    引用が長くて恐縮だが、五臓六腑に染み渡る文章である。
     

    さらに宮台氏は、シュタイナー教育を、こういった理由で肯定する。
     

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    早期教育と呼ばれているものの大半は有効ではないと思います。真の早期教育があるとすれば、僕は「目から鱗」がキーワードだと思います。「目から鱗が落ちた」「聞くと見るとは大違い」「世評の大半は勘違い」という経験を、どれだけさせてあげられるか、です。(中略)

     

    シュタイナーの教育実践は、我々の感情の幅や感覚の幅を自明のものとしないで、広く深く拡大するべく、なるたけ感情的・感覚的に幅広い体験をさせていくことを目的としたものです。(中略)
     

    「目から鱗」こそがキーワードだと述べたことも、それに関係します。ただし、単に知的な「目から鱗」よりも、それを手段とする感情的・感覚的な「目から鱗」こそが大切だと思います。知的な幅と違い、感情的・感覚的な幅は、成人後は簡単に変えられないからです。
     

    感情や感覚の幅が広い人間であるほど、他人が置かれている状況や、それが彼や彼女に与える影響を理解できます。それが理解できる人は、他人を幸せにできるし、他人を幸せにすることを通じて自分も幸せになることができます。感情や感覚の幅の狭い人間には、それがすごく難しくなります。
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    利他的な「スゴイ奴」こそが強い感染力を他人に与え、「スゴイ奴」を育てるには子供の頃から意識して感情的・感覚的な幅を広げる教育を施さなければならない。なるほど、心にストンと落ちた。

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