2003.04.30 Wednesday
高1で開放感を味わったら負け
英会話を習得するのに、NHKのラジオ講座を毎日続けて聴くというわけには、なかなかいかない。NHKのラジオ講座は、語学習得のための安上がりで手軽な手段だとわかっていながら続かない。
NHKラジオ講座のテキストは、新学期の4月号は山積みになっているのに、2月号・3月号になると、本屋の片隅に埋もれてしまっているという事実が、語学を「強制力」なしに習得する困難さを物語っている。だから英会話を習うために、人は高いお金を払ってNOVAやイーオンに通うのだ。英会話教室への高い授業料は、「強制力」への代価である。
学習塾にも同じことが言える。塾の役割の1つとして「強制力」がある。塾は時間が決まっていて、わざわざ家から通わなければならない。さぼったり、宿題を忘れたりしたら、先生に叱られる。
僕は子供を勉強に導くための適度な「強制力」が、塾の商品価値の1つだと考えている。塾の「強制力」のおかげで、子供が塾に通っているうちは、安定した学力が維持できて、志望校に合格できる可能性も高くなるはずだ。
ただ、中学生が塾にいる時だけではなく、高校に入学して塾を卒業した後も自発的に勉強できる強い意識や学力を、中学生専門の塾が育むことができるか?
これは塾側としても、大きな課題なのだ。
自主性を育むための、僕の試みの一例をご紹介しよう。
僕は中学3年生の、入試3ヶ月前になると、いっさい宿題は出さない。これは、大きな冒険だ。
本当ならば、この時期は入試へ向けて、塾の「強制力」をフルに発揮させなければならない時期だ。生徒に向けて機関銃のように宿題を一斉放射しなければならないのはわかっている。
しかし僕は、子供の自主性を育てるための実験台として、一番大事な時期を選ぶ。勉強に対する自主性を育てるには、受験前の時期しかないのだ。
なぜなら、目前の困難に対する不安こそが、自主性を育むからだ。
もしひとりで登山していて、谷底に落ちてしまったら、自力で這い上がらなければ死んでしまう。そんな時人間は、想像力・実行力・体力・持続力を、フルに発揮させなければならない。そして助かったとき以前より精神的にも体力的にも強靭になっている。
受験を目前にして子供が不安で仕方ないとき、塾の「強制力」は子供にとっても親にとっても非常に有難いものだ。ただ、塾で出される課題を機械的にこなしていればいいのだから。
しかし塾が宿題を出さないと、「いったいどんな勉強をしたらいいのだろう」
と、子供は不安を掻き立てられる。
そこで、子供は頭を使う。子供に、自分自身の力で、受験というプロジェクトを成功させる計画を立ててもらう。自分で自分の弱点を客観的に精査して、自分で解決する。
もちろん、僕は無責任に子供を放ったらかしにしているわけではない。授業では、入試に最も即効性のあるカリキュラムを組み実践するのは当然のことだし、
暗記事項を覚えてもらうために「暗記特訓」も行う。
また、なぜこんな大事な時期に、宿題を出さないという大胆な方針を取っているのか、その理由を前もって綿密に話す。そして、どんな勉強方法が子供に適しているか、思いつく限りの多彩なケースを提示して、参考にしてもらう。また、自分の勉強方法が正しいかどうかを常に意識させるために、テストは頻繁に行う。
僕が機関車のように子供を引っ張るのではなく、子供を先頭に立たせて1歩後の位置から相談役に徹するのだ。
講師の側から見ても、大量の宿題を出していれば安心だ。ただ、それでは大学受験につながらない。
しかしこんな具合に、自主性をめざしていながら、安心して自主性を信頼できる子は、約3割〜5割ぐらいだろうか。
宿題がないことに甘え勉強を怠る子いる。そういう子には面談なり電話なり手紙なりで、コミュニケーションを取る。
最終的に私が「強制力」を発動しなければならないケースは多い。
結局私がやっていることは、塾の「強制力」の枠内での、「自主性ごっこ」に過ぎないのかも知れない。
さて、中学生時代に、塾で「強制的」に勉強させられて、高校へ通い始めたら、いったい勉強はどうなるのか?
「強制力」が消えた場合、子供はどうなるのか?
事実、高校生になって、勉強への興味を失ってしまう子がいる。高校へ行ったら勉強をしない、成績が下がる。
特に、中学生の時は厳しい塾に通った生徒が、高校は生徒の自主性を重んじるところ(見方を変えれば、甘い高校)へ進学した場合に、よくあるケースだ。
高校の勉強は中学の10倍難しい、しかし怖くて熱心な塾の先生の存在が消えるので、受ける「強制力」は10分の1になる。となると、勉強のモチベーションは、単純計算で中学時代の100分の1に下がってしまう。
中学時代は、塾という猛烈な機関車に牽引されてきた客車が、高校生になった途端に機関車がどっかへ消えてしまって、動力を持っていない哀れな客車は自分では動くことができず、線路の真ん中でぽつんとたたずむしかない。
何故勉強しなくなるか、成績が下がるか。それは、中学時代の塾が子供に与える負荷が大きすぎて、子供が燃え尽きてしまったからなのかもしれない。また、中学生時代の塾の先生の暑苦しいぐらいの熱意と、高校の先生の放任主義のギャップに戸惑っているのかもしれない。
ところで、私は実は「教え子が高校になってから勉強しなくなる」という心配を、あまりしなくてもいい立場なのだ。
それはなぜかというと、うちの地区では最難関の公立高校が、そこらのスパルタ塾も真っ青な「強制力」の権化だからである。
うちの地区で最難関の公立高校は、県が人材・資金を集中させる重点校で、進学実績を伸ばすために総力を挙げている。朝は7時から補習をし、年に何回か「勉強合宿」をやって、合宿では1日14時間勉強させる。
多くの子供はもちろん嫌がるが、保護者や私は一応安心して子供をこの高校へ送り込る。
中学校で厳しい塾の洗礼を浴び「強制力」で引っ張り上げられた子は、高校生になっても、なんらかの「強制力」に頼るのが一番安全な道だと思う。成績面だけを考えたら、恐らくそれがベストだ。
高1で履修する内容が、センター試験で大きなウェイトを占めるという事実、また高3になると、難関国立・私立高校の生徒が本腰を入れて勉強に取り掛かり始めるという事実。そんな事実を真剣に考慮すると、大学受験を本気で考えるならば、高1でのスタートダッシュは非常に大切で、高1で成績が下がっている場合なんかない。
ただし、そんな勉強に対する「強制力」が、子供の将来にどんな影響を与えるのか、子供をどんな大人にするのかはわからない。
NHKラジオ講座のテキストは、新学期の4月号は山積みになっているのに、2月号・3月号になると、本屋の片隅に埋もれてしまっているという事実が、語学を「強制力」なしに習得する困難さを物語っている。だから英会話を習うために、人は高いお金を払ってNOVAやイーオンに通うのだ。英会話教室への高い授業料は、「強制力」への代価である。
学習塾にも同じことが言える。塾の役割の1つとして「強制力」がある。塾は時間が決まっていて、わざわざ家から通わなければならない。さぼったり、宿題を忘れたりしたら、先生に叱られる。
僕は子供を勉強に導くための適度な「強制力」が、塾の商品価値の1つだと考えている。塾の「強制力」のおかげで、子供が塾に通っているうちは、安定した学力が維持できて、志望校に合格できる可能性も高くなるはずだ。
ただ、中学生が塾にいる時だけではなく、高校に入学して塾を卒業した後も自発的に勉強できる強い意識や学力を、中学生専門の塾が育むことができるか?
これは塾側としても、大きな課題なのだ。
自主性を育むための、僕の試みの一例をご紹介しよう。
僕は中学3年生の、入試3ヶ月前になると、いっさい宿題は出さない。これは、大きな冒険だ。
本当ならば、この時期は入試へ向けて、塾の「強制力」をフルに発揮させなければならない時期だ。生徒に向けて機関銃のように宿題を一斉放射しなければならないのはわかっている。
しかし僕は、子供の自主性を育てるための実験台として、一番大事な時期を選ぶ。勉強に対する自主性を育てるには、受験前の時期しかないのだ。
なぜなら、目前の困難に対する不安こそが、自主性を育むからだ。
もしひとりで登山していて、谷底に落ちてしまったら、自力で這い上がらなければ死んでしまう。そんな時人間は、想像力・実行力・体力・持続力を、フルに発揮させなければならない。そして助かったとき以前より精神的にも体力的にも強靭になっている。
受験を目前にして子供が不安で仕方ないとき、塾の「強制力」は子供にとっても親にとっても非常に有難いものだ。ただ、塾で出される課題を機械的にこなしていればいいのだから。
しかし塾が宿題を出さないと、「いったいどんな勉強をしたらいいのだろう」
と、子供は不安を掻き立てられる。
そこで、子供は頭を使う。子供に、自分自身の力で、受験というプロジェクトを成功させる計画を立ててもらう。自分で自分の弱点を客観的に精査して、自分で解決する。
もちろん、僕は無責任に子供を放ったらかしにしているわけではない。授業では、入試に最も即効性のあるカリキュラムを組み実践するのは当然のことだし、
暗記事項を覚えてもらうために「暗記特訓」も行う。
また、なぜこんな大事な時期に、宿題を出さないという大胆な方針を取っているのか、その理由を前もって綿密に話す。そして、どんな勉強方法が子供に適しているか、思いつく限りの多彩なケースを提示して、参考にしてもらう。また、自分の勉強方法が正しいかどうかを常に意識させるために、テストは頻繁に行う。
僕が機関車のように子供を引っ張るのではなく、子供を先頭に立たせて1歩後の位置から相談役に徹するのだ。
講師の側から見ても、大量の宿題を出していれば安心だ。ただ、それでは大学受験につながらない。
しかしこんな具合に、自主性をめざしていながら、安心して自主性を信頼できる子は、約3割〜5割ぐらいだろうか。
宿題がないことに甘え勉強を怠る子いる。そういう子には面談なり電話なり手紙なりで、コミュニケーションを取る。
最終的に私が「強制力」を発動しなければならないケースは多い。
結局私がやっていることは、塾の「強制力」の枠内での、「自主性ごっこ」に過ぎないのかも知れない。
さて、中学生時代に、塾で「強制的」に勉強させられて、高校へ通い始めたら、いったい勉強はどうなるのか?
「強制力」が消えた場合、子供はどうなるのか?
事実、高校生になって、勉強への興味を失ってしまう子がいる。高校へ行ったら勉強をしない、成績が下がる。
特に、中学生の時は厳しい塾に通った生徒が、高校は生徒の自主性を重んじるところ(見方を変えれば、甘い高校)へ進学した場合に、よくあるケースだ。
高校の勉強は中学の10倍難しい、しかし怖くて熱心な塾の先生の存在が消えるので、受ける「強制力」は10分の1になる。となると、勉強のモチベーションは、単純計算で中学時代の100分の1に下がってしまう。
中学時代は、塾という猛烈な機関車に牽引されてきた客車が、高校生になった途端に機関車がどっかへ消えてしまって、動力を持っていない哀れな客車は自分では動くことができず、線路の真ん中でぽつんとたたずむしかない。
何故勉強しなくなるか、成績が下がるか。それは、中学時代の塾が子供に与える負荷が大きすぎて、子供が燃え尽きてしまったからなのかもしれない。また、中学生時代の塾の先生の暑苦しいぐらいの熱意と、高校の先生の放任主義のギャップに戸惑っているのかもしれない。
ところで、私は実は「教え子が高校になってから勉強しなくなる」という心配を、あまりしなくてもいい立場なのだ。
それはなぜかというと、うちの地区では最難関の公立高校が、そこらのスパルタ塾も真っ青な「強制力」の権化だからである。
うちの地区で最難関の公立高校は、県が人材・資金を集中させる重点校で、進学実績を伸ばすために総力を挙げている。朝は7時から補習をし、年に何回か「勉強合宿」をやって、合宿では1日14時間勉強させる。
多くの子供はもちろん嫌がるが、保護者や私は一応安心して子供をこの高校へ送り込る。
中学校で厳しい塾の洗礼を浴び「強制力」で引っ張り上げられた子は、高校生になっても、なんらかの「強制力」に頼るのが一番安全な道だと思う。成績面だけを考えたら、恐らくそれがベストだ。
高1で履修する内容が、センター試験で大きなウェイトを占めるという事実、また高3になると、難関国立・私立高校の生徒が本腰を入れて勉強に取り掛かり始めるという事実。そんな事実を真剣に考慮すると、大学受験を本気で考えるならば、高1でのスタートダッシュは非常に大切で、高1で成績が下がっている場合なんかない。
ただし、そんな勉強に対する「強制力」が、子供の将来にどんな影響を与えるのか、子供をどんな大人にするのかはわからない。