2004.11.21 Sunday
久保田早紀「異邦人」
「クラウン」の内装は、もともとラーメン屋として作られたものではなく、バー・スタンドをそのまま転用したものだ。昔バーだった名残で棚にはキープされた洋酒が陳列され、白い蛍光灯に照らされたガラスケースにはグラスがびっしり並んでいる。
内装は古いスタンド、実態は中華料理屋という、一風変わった店なのだ。何らかの理由で業種変更したのだろう。そもそも「クラウン」という店の名前自体、ラーメン屋のものではない。
ある人から「クラウンの中華はうまいよ」と聞かされて、大学生のときはじめて1人でこの店に入ったのだが、木の長いカウンターに丸椅子で、天井に安っぽいシャンデリアが吊るしてある内装は、どう見てもホステスのいるバーのもので、高いテーブルチャージでも取られるんじゃないかと冷や冷やした。
しかしカウンターには元中学教師のような、白髪の痩せて神経質そうな主人が目を伏せながら立っていて、奥の厨房では普通の主婦のような奥さんが、前掛けをして甲斐甲斐しく中華鍋を振っていた。
背脂の入ったラーメン、良い味のついた小さく刻んだ焼き豚がたっぷり入った焼き飯、いまどき珍しくニンニクの効いた餃子なんかがうまい。
ライスを頼むと、糠漬けの白菜と塩漬けのらっきょうがついてくる。内装のケバケバしさと、出てくる中華の素朴さのアンバランスさがたまらない。
もちろんテーブルチャージなんか取られなかった。私はそれ以来15年間この店の常連である。
さて、その日のクラウンには、私を含めて男ばかり4人の客がいた。「クラウン」のカウンターには12〜3脚の丸い椅子があり、私と同年代の4人の男が2脚ぐらいずつ植木算のように間隔を開け、自分の世界に閉じこもりながら黙々とビールを飲みながら中華を食っていた。私は端に座って確か野菜たっぷりのタンメンと餃子を食べていた。店にはテレビがあったが、私を含めた男たちはみんな食事と週刊誌に没頭していて、テレビを見ている者はいなかった。この店に置いてある読み物と言えば、新聞とアサヒ芸能と女性セブンとゴルフ漫画と釣り雑誌しかないので、ゴルフと釣りに全く無関心な私は女性セブンを読んでいた。
そんな4人の男の陰気な静寂に包まれた、地方の繁華街のラーメン屋の小さなテレビから、いきなり久保田早紀の「異邦人」が流れた。
♪子供たちが 空に向かい 両手を広げ 鳥や雲や 夢までも つかもうと している
テレビに映し出されたのは三洋電機のCMである。そういえば25年前も「異邦人」は三洋電機のCMソングだった。久保田早紀の「異邦人」が発売され、100万枚を超える超大ヒットを飛ばしたのは1979年のことである。
「異邦人」が流れた瞬間、私は食事と雑誌への集中を断ち切られた。久保田早紀が鼻にかかった透明感のあるエキゾチックな声で、♪子供たちが〜と歌った瞬間、それまでテレビに見向きもしていなかった私は思わずテレビのCMの画像を覗き込んだ。
不思議なことに私以外の3人の男たちも食事の手を止めて、私と同じようにテレビをじっと見つめていた。彼らも私と同じように突然の「異邦人」に驚いたのだろう。
テレビをいっせいに見つめた4人の男は口を交わさなかった。全員が一斉に「異邦人」に反応して、お互い懐かしさを共有していることがばれてしまった妙な照れくささがあった。「異邦人」がバックに流れているCM映像を見た後、我々はまた何事もなかったように食事と雑誌に戻っていった。
それにしても「異邦人」いい曲だ。神業のようなメロディーだ。日本の歌謡曲・J-POPが何十万曲あるのか知らないが、「異邦人」は間違いなくその最高傑作の一つだろう。ラーメン屋で4人の男を一斉に振り向かせただけのことはある。
久保田早紀が♪子供たちが〜と歌い出した瞬間、私の脳裏にはまだ行ったことのないシルクロードの風景が浮かび、同時に「異邦人」が流行った1979年の小学校5年生時分に戻った気持ちにさせられる。小学生の頃から私はこの曲が大好きだったのだ。
それにしても、こんなに歌い出しが鮮烈な曲は、私の知るところ他には中島みゆきの「世情」しかない。「異邦人」が♪子供たちが〜のワンフレーズで聴き手をあっちの世界に連れ去るように、中島みゆきも♪世の中はいつも 変わっているから 頑固者だけが 悲しい思いをする と、どすの利いた不気味な歌い方で私を金縛りにする。
コンスタントにヒット曲を連発する「歌姫」中島みゆきと違って、久保田早紀のヒット曲は「異邦人」しかない。「25時」とか「オレンジ・エアメール・スペシャル」という曲も出したらしいが、私には全然記憶がなく、久保田早紀はいわゆる一発屋として認識されている。
でも私は一発屋の残した曲が好きだ。一発屋の曲は何より曲がいい。一発屋は軽薄なタレント人気じゃなくて、純粋な曲の魅力だけでヒットチャートを輝かしたのだ。久保田早紀は「異邦人」という大名曲だけで、私の心を豊かにしてくれた。
久保田早紀は今、俳優久米明の息子の音楽家と結婚して、教会音楽専門のゴスペル歌手をやっている。「週刊朝日」で20年ぶりぐらいにその姿を見たが、芸能界とは離れた堅気の世界で、美しさを保ちながら幸せそうに暮らしているようだった。