2005.04.22 Friday
先生がカツラをかぶった日
頭が薄くなってきた塾の講師や学校の教師の方は、子供の厳しい目線をどうやってかわしているのだろうか。
学校や塾以外の職場では、ハゲている当人の前でお前はハゲだと馬鹿騒ぎされることはまずないと言っていい。OLが同僚のハゲ進行中の男性にオフィスで「あんた、最近うっすいね」と言う事態は、まず考えられない。
(山口智子なら言ってもさまになるが)
普通の職場ではハゲについては触れないように気をつかっているので、少々ハゲていても当人が無神経なら、周囲に気付かれていないと感違いしたまま日々の業務をこなすことができる。
そのかわり裏では散々笑われ馬鹿にされるし、嘲笑の的になる。
私が知る限り、れっきとした大人の職場でハゲがおおっぴらに糾弾され、声高に指摘され笑いものにされたケースは一例しか知らない。
それは織田信長家臣団である。
信長は秀吉に「ハゲねずみ」、明智光秀には「キンカン頭」とあだ名をつけ呼んだ。秀吉は毛の薄い人で、髪の毛どころかヒゲも薄く、偉くなってからは付け髭をしていた。光秀はどんぶりハゲで、頭は艶々と生光りしていた。信長はそんな二人を、甲高い声で「ハゲねずみ」「キンカン頭」と遠慮なくおもしろおかしく呼んだ。重役が社長に、その薄毛から由来したあだ名で、人前でズケズケと日常的に呼ばれるのだ。嫌な職場である。
さすがに織田信長家臣団の場合は例外で、普通の職場ではハゲは見逃される。
確かに「社内恋愛」に野心を燃やす場合については、ハゲの人は大きなハンディを背負うことになるのだが、そんな大人の世界は置いといて、とにかく大人だけのオフィスはハゲの人にとって、とりあえず無難な職場だ。
しかし教育の場においては、そんな呑気な態度は許されない。ハゲは必ず子供に指摘され、笑われる。
学校・塾は子供を相手にする職業である。子供は屈託がないが、同時にデリカシーもない。
だからおおかたの職場と違って、頭がハゲたら子供にしつこく糾弾される。
言われるどころか、似顔絵まで書かれる事態も起こる。くだらない言葉遊びの材料にもされる。
「先生アイスクリーム好き?」「何で?」「だって、『ハーゲ』ンダッツ」
「先生デンマークに住んでたの?」「どうして?」「首都がコペン『ハーゲ』ン」
ひどい時には他愛のない替え歌まで作られる。
♪ピカピカ頭の、○○先生は、いつもみんなの、笑いもの
でもその年の、クリスマスの日、サンタのおじさんは、言いました
暗い夜道は、ピカピカの、お前の「ハゲ」が、役に立つのさ〜
ハゲは、教育現場では隠しようがないのだ。
しかし「ハゲ」という言葉は、何故差別用語にならないのだろうか? 差別用語は色々あるが、果たして「ハゲ」はどうなのだろう。
学校のホームルームで、「ハゲは差別用語です」ともう少し指導すれば、子供の態度ももう少しはマシなものになるのだが。八百屋を「青果商」、魚屋を「鮮魚商」などと、言葉狩りをする人間の言いなりになって意味不明な言い換えに力を注ぐ前に、まず「ハゲ」を何とかして欲しい。カツラ業者が作った、「薄毛の方」という言い方もいまいち浸透しないようであるし。
さて、私が以前勤めていた塾の教室長だったP氏も禿げていた。
P氏は32にして角野卓造(幸楽の旦那)よりわずかばかり髪の量が少なく、横山ノック氏よりもちょっとだけ濃い、そんなヘアスタイルだった。脳天部には天然パーマの、茶色でか弱げな引っ張るとブチブチッと切れそうな髪が未練がましく生えていた。
しかしある日、朝のミーティングに現れたP氏は、突如髪の毛が増えていた。
1日で10センチは伸びていた。昨日まで生えていなかった部分にも、髪の毛が盛大に生えていた。しかもその毛質は、昨日までのまばらなものから、艶々とした大量の青黒い髪へと変わって(代わって)いた。
ハゲは生理現象なのだからいい。しかしカツラはまずい。
カツラを装着しているということは満天下に「私はハゲを気にしています。コンプレックスを持っています。」と宣言していることになる。だから普通のハゲは、5段階増毛法などの方法で、人知れずこそこそとカツラを装備する。
しかしP氏のカツラは5段階増毛法とか、そんなやわなものではない。オール・オア・ナッシング。
私たち講師は突然髪の量が増えたP氏に、何と声をかけたらいいかわからず、
朝の会議はぎくしゃくしたものになった。誰かがP氏の髪について言及したら、
その瞬間堰を切ったように大爆笑の嵐になりそうな、そんな緊張感が漂っていた。
するとミーティングの最後にP氏が、講師の緊張感を察したのか、自分の頭をさして、
「まあ、こんなわけですが、ひとつ今後ともよろしく」
と絶妙の間でボソリと顔を真っ赤にして言うと、講師の間で大爆笑が起こり、気まずい雰囲気は消えた。気のいい人だ。
P氏は自分のヘアスタイルを大きく変貌させたことについて、ずっと講師や子供にどう説明しようか、前夜大いに悩んだに違いない。P氏の内心の葛藤は並大抵の物ではないだろう。
一応講師への説明は済んだ。これからP氏は初めてのカツラ頭を子供の前で披露しなければならない。P氏は中学3年生の待つ教室へ入った。
私は塾の生徒達がP氏の頭を見てどんな反応をするのか、その興味深い瞬間を確かめにP氏の授業を覗いた。
P氏が中学3年生の難関クラス(別名真面目クラス)の教室に入ると、子供達は一瞬言葉を失い、その後友人同士で顔を合わせながら「カツラ?」と囁く声が、あちこちから聞こえた。
しかしさすがは難関クラスの中学生。賢そうな男の子は驚きを隠せず、「おっ」と息をのむかのような低いうめき声を上げるが、デリカシーが勝って、そのまま恥ずかしそうに下を向く。
聡明な女の子は隣の友だちに目配せをするが、それは悪いことだと感づき、前に向き直る。
誰もからかう言葉を浴びせたり、笑い転げたりする子はいなかった。授業は表面上、淡々と進行していった。
P氏の授業終了後、子供達はP氏ではなく、私達講師のまわりに集まってきた。
さすがにP氏に直接カツラの件について聞き糺す子はいなかった。
彼らの質問はただ一つ「P先生カツラなの?」
私達は事前に講師間で、P氏の髪形についてはノーコメントで通そうと言う統一見解が出来上がっていたので、生徒達には無言で通した。ニュアンスをたっぷり含んだ笑顔を子供達に残して。
なんとか中学生はおさまった。しかし今度は小学生。P氏は小5の国語の授業に行かなければならない。
小5なんてものは、自分の思っていることを全て口に出したがる残酷な年頃だ。彼らにP氏の髪型はどう受け止められるか?
案の定、小学生にはデリカシーは露ほどもなかった。P氏が教室に入るなり、5秒の間を置いて、「キャー」という大歓声。
男子達は机から身を乗り出して「カツラじゃあ」「カツラ、カツラ」「かあつらあああ〜」、女の子は「きもち悪いぃ〜」、そしてその後は「カツラ取ってぇ」「そのカツラいくら」「さわらせて」「僕にもかぶらせろ」の大合唱。
その日は授業にならなかった。
以上がP氏のカツラ顛末でした。
でもP氏の場合はまだいい。悪戯好きな子供によって、ぼ〜としている隙にいきなりむんずとカツラを取られ、人前でハゲをさらした悲惨な目にあった人も恐らく教育現場にはいるのではなかろうか。
私も若いときは残酷なもので、P氏のことなど他人事だと思っていたのに、今ハゲが進行中。塾の生徒は私が怖いので、ハゲのことなど誰も指摘しない。
それにしても江戸時代の男は良かった。大人になると前髪頭頂部を剃り落としたチョンマゲの髪型だったから。あの髪型は毛が少なくなっても誰も気付かない。若者の方が「元服」と称して前髪を剃った。
若者の方から大人の髪形に合わせたのである。さすが大人優位の封建社会だと思う。
学校や塾以外の職場では、ハゲている当人の前でお前はハゲだと馬鹿騒ぎされることはまずないと言っていい。OLが同僚のハゲ進行中の男性にオフィスで「あんた、最近うっすいね」と言う事態は、まず考えられない。
(山口智子なら言ってもさまになるが)
普通の職場ではハゲについては触れないように気をつかっているので、少々ハゲていても当人が無神経なら、周囲に気付かれていないと感違いしたまま日々の業務をこなすことができる。
そのかわり裏では散々笑われ馬鹿にされるし、嘲笑の的になる。
私が知る限り、れっきとした大人の職場でハゲがおおっぴらに糾弾され、声高に指摘され笑いものにされたケースは一例しか知らない。
それは織田信長家臣団である。
信長は秀吉に「ハゲねずみ」、明智光秀には「キンカン頭」とあだ名をつけ呼んだ。秀吉は毛の薄い人で、髪の毛どころかヒゲも薄く、偉くなってからは付け髭をしていた。光秀はどんぶりハゲで、頭は艶々と生光りしていた。信長はそんな二人を、甲高い声で「ハゲねずみ」「キンカン頭」と遠慮なくおもしろおかしく呼んだ。重役が社長に、その薄毛から由来したあだ名で、人前でズケズケと日常的に呼ばれるのだ。嫌な職場である。
さすがに織田信長家臣団の場合は例外で、普通の職場ではハゲは見逃される。
確かに「社内恋愛」に野心を燃やす場合については、ハゲの人は大きなハンディを背負うことになるのだが、そんな大人の世界は置いといて、とにかく大人だけのオフィスはハゲの人にとって、とりあえず無難な職場だ。
しかし教育の場においては、そんな呑気な態度は許されない。ハゲは必ず子供に指摘され、笑われる。
学校・塾は子供を相手にする職業である。子供は屈託がないが、同時にデリカシーもない。
だからおおかたの職場と違って、頭がハゲたら子供にしつこく糾弾される。
言われるどころか、似顔絵まで書かれる事態も起こる。くだらない言葉遊びの材料にもされる。
「先生アイスクリーム好き?」「何で?」「だって、『ハーゲ』ンダッツ」
「先生デンマークに住んでたの?」「どうして?」「首都がコペン『ハーゲ』ン」
ひどい時には他愛のない替え歌まで作られる。
♪ピカピカ頭の、○○先生は、いつもみんなの、笑いもの
でもその年の、クリスマスの日、サンタのおじさんは、言いました
暗い夜道は、ピカピカの、お前の「ハゲ」が、役に立つのさ〜
ハゲは、教育現場では隠しようがないのだ。
しかし「ハゲ」という言葉は、何故差別用語にならないのだろうか? 差別用語は色々あるが、果たして「ハゲ」はどうなのだろう。
学校のホームルームで、「ハゲは差別用語です」ともう少し指導すれば、子供の態度ももう少しはマシなものになるのだが。八百屋を「青果商」、魚屋を「鮮魚商」などと、言葉狩りをする人間の言いなりになって意味不明な言い換えに力を注ぐ前に、まず「ハゲ」を何とかして欲しい。カツラ業者が作った、「薄毛の方」という言い方もいまいち浸透しないようであるし。
さて、私が以前勤めていた塾の教室長だったP氏も禿げていた。
P氏は32にして角野卓造(幸楽の旦那)よりわずかばかり髪の量が少なく、横山ノック氏よりもちょっとだけ濃い、そんなヘアスタイルだった。脳天部には天然パーマの、茶色でか弱げな引っ張るとブチブチッと切れそうな髪が未練がましく生えていた。
しかしある日、朝のミーティングに現れたP氏は、突如髪の毛が増えていた。
1日で10センチは伸びていた。昨日まで生えていなかった部分にも、髪の毛が盛大に生えていた。しかもその毛質は、昨日までのまばらなものから、艶々とした大量の青黒い髪へと変わって(代わって)いた。
ハゲは生理現象なのだからいい。しかしカツラはまずい。
カツラを装着しているということは満天下に「私はハゲを気にしています。コンプレックスを持っています。」と宣言していることになる。だから普通のハゲは、5段階増毛法などの方法で、人知れずこそこそとカツラを装備する。
しかしP氏のカツラは5段階増毛法とか、そんなやわなものではない。オール・オア・ナッシング。
私たち講師は突然髪の量が増えたP氏に、何と声をかけたらいいかわからず、
朝の会議はぎくしゃくしたものになった。誰かがP氏の髪について言及したら、
その瞬間堰を切ったように大爆笑の嵐になりそうな、そんな緊張感が漂っていた。
するとミーティングの最後にP氏が、講師の緊張感を察したのか、自分の頭をさして、
「まあ、こんなわけですが、ひとつ今後ともよろしく」
と絶妙の間でボソリと顔を真っ赤にして言うと、講師の間で大爆笑が起こり、気まずい雰囲気は消えた。気のいい人だ。
P氏は自分のヘアスタイルを大きく変貌させたことについて、ずっと講師や子供にどう説明しようか、前夜大いに悩んだに違いない。P氏の内心の葛藤は並大抵の物ではないだろう。
一応講師への説明は済んだ。これからP氏は初めてのカツラ頭を子供の前で披露しなければならない。P氏は中学3年生の待つ教室へ入った。
私は塾の生徒達がP氏の頭を見てどんな反応をするのか、その興味深い瞬間を確かめにP氏の授業を覗いた。
P氏が中学3年生の難関クラス(別名真面目クラス)の教室に入ると、子供達は一瞬言葉を失い、その後友人同士で顔を合わせながら「カツラ?」と囁く声が、あちこちから聞こえた。
しかしさすがは難関クラスの中学生。賢そうな男の子は驚きを隠せず、「おっ」と息をのむかのような低いうめき声を上げるが、デリカシーが勝って、そのまま恥ずかしそうに下を向く。
聡明な女の子は隣の友だちに目配せをするが、それは悪いことだと感づき、前に向き直る。
誰もからかう言葉を浴びせたり、笑い転げたりする子はいなかった。授業は表面上、淡々と進行していった。
P氏の授業終了後、子供達はP氏ではなく、私達講師のまわりに集まってきた。
さすがにP氏に直接カツラの件について聞き糺す子はいなかった。
彼らの質問はただ一つ「P先生カツラなの?」
私達は事前に講師間で、P氏の髪形についてはノーコメントで通そうと言う統一見解が出来上がっていたので、生徒達には無言で通した。ニュアンスをたっぷり含んだ笑顔を子供達に残して。
なんとか中学生はおさまった。しかし今度は小学生。P氏は小5の国語の授業に行かなければならない。
小5なんてものは、自分の思っていることを全て口に出したがる残酷な年頃だ。彼らにP氏の髪型はどう受け止められるか?
案の定、小学生にはデリカシーは露ほどもなかった。P氏が教室に入るなり、5秒の間を置いて、「キャー」という大歓声。
男子達は机から身を乗り出して「カツラじゃあ」「カツラ、カツラ」「かあつらあああ〜」、女の子は「きもち悪いぃ〜」、そしてその後は「カツラ取ってぇ」「そのカツラいくら」「さわらせて」「僕にもかぶらせろ」の大合唱。
その日は授業にならなかった。
以上がP氏のカツラ顛末でした。
でもP氏の場合はまだいい。悪戯好きな子供によって、ぼ〜としている隙にいきなりむんずとカツラを取られ、人前でハゲをさらした悲惨な目にあった人も恐らく教育現場にはいるのではなかろうか。
私も若いときは残酷なもので、P氏のことなど他人事だと思っていたのに、今ハゲが進行中。塾の生徒は私が怖いので、ハゲのことなど誰も指摘しない。
それにしても江戸時代の男は良かった。大人になると前髪頭頂部を剃り落としたチョンマゲの髪型だったから。あの髪型は毛が少なくなっても誰も気付かない。若者の方が「元服」と称して前髪を剃った。
若者の方から大人の髪形に合わせたのである。さすが大人優位の封建社会だと思う。