猫ギターの教育論

尾道市向島の塾「US塾」塾長のブログ 早稲田大学・開成高校出身 本音が飛び交う、少し「上から目線」の教育論
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中1の英語スペルはキミョウキテレツ
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    中1の単語力も、今の時期になってようやくましになってきた。習いたてのうちは単語のフィーリングをつかむのに苦労する。ローマ字感覚にとらわれ、英語独自の文字の並び方を会得するのに時間がかかる。

    中途半端にローマ字感覚が残っていると、appleをappruなどと間違える。
    「る」はローマ字の「ru」と書かないと気がすまないのだろう。気持ちは良くわかる。
    またbとdの混同はよくあることで、dogをbog、boxをdoxとするのは英語習いたての時期において、非常によくある間違いである。

    よく考えたら英語の綴りはあまりにも理不尽である。
    ハウスがどうしてhouseなのか、ホワイトがなぜwhiteなのか、ナイフが何故にknifeなのか、英語の語源の本を何冊かひも解いてはみたが、完全に納得したわけではない。英単語の綴りはまるでブッシュのイラク攻撃みたいに強引だ。

    音楽家の名前でも、Mozartはモーツァルトとは読めないし、Chopinはどう見てもチョピンで、Debussyはデブシーだ。西洋語のスペルは東洋人にはわかりにくい。生まれも育ちもfar eastの中1の子が、英語と最初に遭遇した時に奇妙なスペルミスを犯すのは責められないことなのだ。

    英語だけではない。西洋の言語のスペルは東洋人にとって違和感がある。
    フランス語にしてもprintempsをプランタンと読むのは無理がある。あとParisのsと、画家のモネのMonetのtは邪魔だ。最後に変な子音をつけないで欲しい。

    オランダ語もひどい。HUIS TEN BOSCHをハウステンボス、Vermeerをフェルメールと一発で読むことは難しい。

    オランダ語で思い出したが、オランダ語の単語には英語と「ほんのちょっと」だけ違うものがある。
    僕は今年の春にヨーロッパ旅行をして、途中ベルギーを訪れたのだが、その時使ったオランダ語の旅の会話集を見ると、単語の1文字2文字が英語と微妙に違うのだ。

    例を挙げてみると

    tomaat(トマト)
    appel(リンゴ)
    banaan(バナナ)
    brood(パン)
    oile(オイル)
    peper(胡椒)
    trein(列車)
    maan(月)

    などである。

    どれもマイクロソフトのワードで書くとスペルチェック機能が働いて、語の下に赤い波線が引かれそうなものばかりだ。オランダ語はまるで日本の中学1年生が習い始めに書く英単語みたいだ。

    英語を習ってからオランダ語を見ると、オランダ語は変な言語に見えるが、逆もまた然りだろう。
    福沢諭吉を代表とする幕末の洋学者は青年期にオランダ語を習い、その後世界最強の国家がイギリスであることを知るに至って英語に鞍替えする人が多かったが、彼らはわれわれと逆に
    「蘭語appelは英語じゃappleなのか。偏屈な言語じゃなあ英語は」
    と頭を抱えたのだろうか。
    | 高校受験 | 10:20 | - | - | ↑PAGE TOP
    暗記音読の「復権」
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      教育界では、素読とか暗唱とか丸暗記とか、古くからの「単純」な学習法が見直され、復活しつつある。これら「単純」な学習法は、戦前の小学校・中学校では抵抗なく行われてきた。

      ところが、これらオールド・ファッションな学習法、特に暗記の「強制」は、戦後長い間脇に追いやられ、ないがしろにされてきた。

      暗記の「強制」という古来の勉強法が邪険にされてきたのは、さまざまな理由があると思う。

      タイムスパンを戦後に限って考えれば、その理由の第1は「刷り込み」教育に対するアレルギー。
      戦前の小学校で、教育勅語を「無理やり暗記」させたことが、太平洋戦争の敗北につながったと考えている人が、教育界には多い。
      だから「強制的」な暗記に対するアレルギーを持つ教員が現場の主流になった。

      第2は子供を「生き生きと、個性的に」育てようという気分の蔓延。
      子供は生来、かけがえのない個性を持っている、生き生きと自由に育てなければならない、という気分が戦後の教育界を支配した。
      暗記の強制は、戦後の民主的な気分とは真っ向から対立する勉強法である。
      良心的な教師ほど、子供が生まれながらに持っている自然さを、暗記の強制が「穢す」恐れを抱いた。

      タイムスパンをもっと広げて考察すると、中国的な丸暗記勉強法の「敗北」こそが、暗記を忌避する最大の原因だろう。中国では、幼少のうちから四書五経を子供に諳んじさせた。内容の理解よりも暗記を優先させた。科挙は記憶力勝負の試験だった。

      そんな、記憶力の優劣を基準に中国全土から選抜された秀才が王朝を支配した結果、中国は西洋に負けた。古来の価値観に縛られ続けた中国の官僚組織は、西洋の侵攻を食い止められず、中国の半植民地化を許した。

      西洋ではルネサンス期以降、修道院での教義中心の黴臭い学問芸術が批判され、自由な学問芸術がそれに取って代わった。ダビンチ・ガリレオ・ダンテ・ミケランジェロなどの大天才が、自由な時代の気分の土壌から輩出した。
      因循姑息で旧弊な学問にこだわる中国が、自由闊達で自主性を重んじた西洋に、芸術の「格」でも、科学技術や武力においても負けた。
      暗記力のみに囚われた学問は、時代の趨勢に対処できない、堅苦しい脳味噌を作るものと見なされた。
      日本の教育も、そんな世界情勢を横目で見て、江戸時代の「中国的」な学問から、西洋的な「実学」へと、明治以降シフトしていった。

      とにかくここ数百年の学問の歴史の大流は、大人の用意したものをただ暗記させる方向から、子供の自主性に任せアイディアの閃きを待つ方向へ流れている。

      学問は、儒学やカトリックが縛り付ける暗記の暗闇から、人間性に重きを置いた独創性の光明に向かって解き放たれた。その流れ自体は、私は間違っていないように思う。

      しかしそんな流れが戦後の教育界の大潮流になった反動か、「学力低下」が叫ばれるようになり、その反動ゆえか学校でも塾でも、暗記とか素読というオールドファッションな勉強法が復権しつつある。勉強法の保守回帰だ。

      でもね、素読とか暗記とか、「単純」な誰でも教えられそうなことって、塾でやっていいの?
      手抜きじゃない?
      保護者の方も塾講師も、心のどこかでそう考えている。

      高いお金を払ってるのに、塾で素読とか暗唱とか丸暗記とか「単純」な作業をやらせることは、保護者の方には抵抗があるに違いない。学校でもできるじゃない、そんなこと。

      塾では「単純」なことよりも、学校の先生が説明に60分かかるところをたった5分で理解させる魔術のような講義をしてほしい、受験合格の秘儀を教えてほしい、勉強にメロメロになるような媚薬を与えてほしいというのが、もしかしたら保護者の方の本音ではあるまいか。
      また、われわれ塾や予備校の講師の側にしてみても、「学力を伸ばすには、素読と丸暗記が一番」と堂々と言い放つことは、凄く抵抗がある。

      塾や予備校の講師のウリは「華麗な講義」だった。
      わかりやすく楽しい講義をする講師はスターになり、参考書を著しサテラインで全国に授業が配信され、億に届く収入を得た。塾を選ぶ側の親や子供も、授業の「わかりやすさ」「楽しさ」を基準にして講師の力量を判断する傾向が強かった。

      塾や予備校の講師も、授業の「わかりやすさ」を目指して、自己研鑽してきた。
      外科医が手術の腕で、野球選手がヒットを打つ技術でメシを食っているなら、塾講師は「わかりやすい」講義でメシを食っている。塾講師のレーゾンデーテルは講義の腕に他ならない。

      そんな塾講師が素読と丸暗記の重要性を強調することは、塾講師のレーゾンデーテルを自ら否定することにつながってしまうのではないか?
      「わかりやすさ」を追求すべき講師が、素読と丸暗記といった「単純」な作業に学力向上の救いを見出すことは、自らの敗北を認め、逃げに走っているのではないか?
      暗記を強制するだけなら、ヤクザ体育会系の怖いオッサン連れて来て講師やらせれば一番いいんじゃないか?

      塾講師は、こんな心の声と戦っている
      「暗記や素読なんて、誰にでもできそうなことをやるなよな。それって負けじゃない?」
      「どうせおまえが「わかりやすい」講義ができないんだから、暗記とか素読とか言ってんだろうが」
      「子供の学力が伸びないのは、お前の「わかりやすさ」が足りないのだ」
      塾講師が強制的な丸暗記や、素読が大事だと言い放つとき、そこには罪の意識なり、恥じらいを感じざるを得ないのだ。

      ところが、強制的な丸暗記なくして、「わかりやすさ」だけを追求した授業をやってしまえば、授業が空回りし、講師が話す言葉が空を舞っているような体験を、最近数多くの先生がしていらっしゃるはずだ。

      塾の授業の「わかりやすさ」は、苛烈な競争のおかげで昔よりも格段に上がっているはずなのに、どうして「わかりやすさ」のレベルアップに反比例して、学力低下が叫ばれなければならないのか?

      | 硬派な教育論 | 16:53 | - | - | ↑PAGE TOP
      中学受験に読書は必要か?
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        私は中学受験経験者だが、中学受験時代、勉強は算数ばかりやっていた感じだ。国語を勉強した記憶があまりない。

        中学受験時代に進学塾通いをしていた時、算数の先生のことは鮮明に覚えている。板書の癖とか細かいことまで頭に甦ってくる。しかし、国語の先生の記憶は非常に薄い。塾のテキストの文章の中身と、雑談しか記憶にない。

        それに私は、小学生時代に読書なんてほとんどしなかった。
        5歳ぐらいまで父親が私を膝に乗っけて、持たせ読みはしていたそうだが、物心ついてから、本を自分から積極的に手にした記憶がない。
        本を読まないぶん、テレビは大好きだった。

        特に、学校の先生が薦めるような、文部省選定的な、小学生用の児童書は大嫌いだった。学校で強制的に読まされ、読書感想文を書かされる本は、道徳的で説教臭いものばかりで、うんざりした。

        たとえば野球の話でこんなものがあった。

        少年野球の大会。ノーアウト1塁2塁。バッターボックスに入る主人公。監督からはバントのサイン。しかし打てそうな好球が来たので指示を無視してホームラン。高らかにガッツポーズをして、喜び勇んでベンチに帰ると、監督のビンタ。
        「何でサインを守らなかった!」

        そんな説教的な内容のものには嫌悪感を抱いた。



        そんな私にも、小学生時代1冊だけのめり込んだ本がある。

        矢沢永吉の「成りあがり」だ。

        私が小学校時代の大ベストセラーで、矢沢永吉が「時間よ止まれ」で大ヒットをかました頃に発売された。この本は不良の友人が「読んでみろ」と貸してくれた。

        この本の文体と奇妙な言葉遣いは、私を楽しませてくれた。
        「マブい女」って、いったいどんな女なのだろう。永ちゃんが綴る言葉の1つ1つが無気味で、興味をそそった。

        内容は露骨な上昇志向と、自分はビッグなんだという自慢話。永ちゃんの本音をぶちかましたエグイ話は、子供が読む建前ばかりの本に比べて、ずっと新鮮だった。どんな偉人の伝記よりも。私にハングリー精神を与えてくれた。
        この本は私にとって隅から隅まで未知の世界、大人の世界だった。そして私は矢沢教に洗脳された。

        小学生時代に私を楽しませてくれた本といったら、「成りあがり」ぐらいしか思いつかない。

        じゃあ「成りあがり」ばかり繰り返し読んでいた私が、「中学受験には読書が必要ない」という結論を出すかというと、そうじゃない。

        中学受験のためには読書は必要だ。
        質の高い、受験に直結する活字を読むことは絶対必要だ。

        もちろん小6になったら、塾の宿題で、とてもじゃないが本を読む時間はなかった。
        しかし私は読書する時間はないのに、多くの良質な文章に接することができた。しかも非常に効率的に。
        それはなぜか?

        私の読書とは、塾のテキストを読むことだったのだ。
        確かに塾のテキストの文章は断片的だ。長時間本の世界にトリップできる長さはない。

        しかし、問題文のバリエーションの豊かさは類を見ない。
        小説家や著述家が渾身込めて書いた文章の、クライマックスの部分だけが抜き出されている。
        解説する講師が口から泡を飛ばすような、おいしい部分が詰まっている。

        とにかく塾のテキストを、塾の行き帰りに電車の中で熟読した。
        塾のテキストを読み、問題を解くことは、中学受験生のための「擬似読書」なのだ。

        読書が好きだが、受験経験がない子供がいる。
        そんな子の読書遍歴を聞いてみると、結構偏りがある。自然科学の本が好きな子は、物語には見向きもしないとか。ゲーム関連の本ばかり読んでいるとか。

        私が中学受験しなかったら、それこそ「成りあがり」みたいな本しか読んでいなかっただろう。「成りあがり」だけ読んでいては、将来永ちゃんみたいなスーパースターにはなれるかも知れないが、中学受験にはパスできないと思う。

        中学受験のときに、塾のテキストの素晴らしい文章たちに出会って良かった。
        中学受験をする子は、同世代の中学受験しない子に比べて、塾のおかげで極めて効率的な読書教育を受けていると思う。

        | 中学受験 | 14:12 | - | - | ↑PAGE TOP
        大手塾と個人塾、どっちが好き?
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          大手塾と個人塾、子供を通わせるにはどちらがいいか?

          私は個人塾の経営者だが、正直言って個人塾は両刃の剣で、いい先生に当たると子供の学力は飛躍的に伸びるが、逆に相性の悪い先生だと地獄の日々が待っている。

          だから個人塾に子供を預けることはバクチに等しい。個人塾の良否を知るには口コミに頼らざるを得ない。
          また口コミが正しいとは限らない。A君にとって良い先生でも、Bさんにとって悪い先生だということは往々にしてある。

          逆に大手塾は、たくさん先生がいるから良い先生もいれば悪い先生もいる。だから講師の質が良くも悪くも平準化する。
          個人塾が癖の強いシングルモルトのウイスキーだとすると、大手塾はブレンダーが繊細にブレンドしたウイスキーということになる。

          また大手塾では頼りになる先生に出会っても、その先生にだけ教えてもらうわけにもいかない。配置転換もあれば転勤もある。個人塾なら塾がつぶれない限りずっと同じ先生である。

          ところで、大手塾は地域に何件も教室展開している。駅前や繁華街に小奇麗な4階建てぐらいのビルがあって、生徒数は全校で5000〜10000人ぐらい。1つの教室で100〜200人ぐらいの生徒数がいる。チラシをみても、合格者数地域NO.1を謳っている。

          こういう塾は教室によって当たり外れが大きい。地方の中心都市にある本部教室には、指導力のあるエース級の先生が揃っている。

          しかし分教室の講師の質は保証できない。きちんとした講師を集めてから新校舎を建てるのではなく、新校舎を建ててから講師を急いでかき集める。講師の質が低くなるのは当然だ。

          私も昔こういう大手塾の分教室に勤務していたが、本部から転勤してきた講師は、「左遷」という言葉が頭に浮かんでしまうような、疑問符のつく人たちばかりでした。また優秀な学生講師も、重点的に本部校舎に配属されていた。
          合格実績も、全校での数字しか掲載していないはず。○○教室何人と明確には表示されていない。

          ではなぜ、こういう塾が繁栄するのだろうか?

          その理由の第1は広告の力。
          大手塾は新聞折り込み広告に千万単位のお金をかけている。広告も小奇麗で、保護者の方の心理を巧みに突いたものだ。
          知名度の点で個人塾は大手塾に全く太刀打ちできない。また知名度とパッケージの小奇麗さは、消費者に安心感を与える。

          第2は大手塾の敷居の低さがあげられるだろう。
          個人塾に比べて気軽に電話しやすい。入塾電話の時、大手塾だったら優しい声の女性が感じよく応対してくれる。しかし個人塾の場合は、むさくるしい塾長がすべての仕事を一人でやっている場合が多いので、電話をかけても無骨な男の声が応対する。「感じが悪い塾」と受け止める方も少なくないだろう。

          また大手塾は校舎も1階がガラス張りになっていて、ドアを開けたら目の前はオープンスペースで事務の女性がいて、奥では若い講師がコピーをとっている。

          逆に個人塾は敷居が高い感じがする。気の弱い人には魔窟のようだ。
          たとえば子供を入塾させたいお母さんが個人塾を訪れる。
          古く少しかび臭い扉を開け「ごめんください」と声をかける。
          応答なし。

          もう一度勇気をふりしぼって少し大きな声で再び
          「ごめんください」
          と声を上げる。

          3秒間の永遠に続きそうな沈黙のあと、奥のほうから
          「はい」
          と塾長らしき男の声が聞こえる。
          奥から足音が聞こえる。
          どんな人がやって来るのか・・・・

          とにかく個人塾は敷居が高くて怖いイメージを持たれがちだ。
          頑固親父が1人で握っていて、一見さんが来たら怒鳴られそうな小さな寿司屋より、くるくる寿司のほうが入りやすいように。

          本音を言うと、大手塾の躍進の最大の原動力は、広告よりも敷居の低さよりも、私は時間講師・アルバイト講師の力だと思う。

          確かに大手塾は人材不足を埋めるため、また講師にかかる人件費を節約するために、学生アルバイトの比率が高い。無責任で学力のない、そこらへんに歩いているような兄ちゃん・姉ちゃんが、先生と称してロクな研修も受けずに平気で教壇に立っているケースもある。

          大手塾の講師採用の実態はそういう状況だから、無責任にも途中で辞めたり、性格面でも教務面でも教える人間として不適格でクビになったりで、講師がコロコロ交代する。教室長の締め付けが緩ければ、遅刻や無断欠勤が絶えない、仕事に対する最低限のモラルさえ守られていないような教室もある。

          しかしその反面、時間講師・アルバイト講師の中には、凄い若者がいる。
          高い学力と指導力を持った学生、社会へ出てバリバリ仕事ができる学生、生徒への愛情にあふれた学生。そんな一流の人材が、大学生・大学院生の時に、教師として教壇に立っているわけです。
          どんな業種でも活躍できる凄い若者が、学生時代の数年間教壇に立って子供を指導する。

          私もインターネットの掲示板でのお付き合いで、時間講師の方と接する機会があり、また実際に何度かお会いしたこともあるが、私が会った方は高い見識を持ち、若者を魅きつける力を持つ人ばかりだった。勢い余って社会人になっても、塾業界の泥沼に果敢に入り込んだ人もいる。

          彼らは純粋な気持ちで、儲け主義の会社や、やる気の無い教室長や、ちゃらんぽらんにしか仕事ができない同年代の学生アルバイトから、生徒たちを守っている。
          だから大手塾がアルバイト学生を使っていることは、一概に悪いわけではない。
          | 塾の様子ガラス張り | 13:34 | - | - | ↑PAGE TOP
          勉強苦手な子は時間と愚直さが必要
          0
            勉強が苦手な子が、勉強ができるようになうために、一番必要なものは何だろう?
            それはおそらく「時間」ではなかろうか。

            「時間」が必要とはどういうことか?

            たとえば小学校4年生で、教師が頭を抱えるほど勉強が苦手な子がいるとする。
            しかし彼らのうち7割は、きちんと塾に通っていれば、中学校に入学する頃には勉強は得意とはいえなくても、ある程度はできるようになっている。少なくとも、地元の中堅公立高校に合格するだけの学力は身につけることはできる。

            登山に例えるならば、一歩一歩愚直に、丹念にしっかり足を進めることで、知らない間に山の中腹に辿り着いて、振り向くと陽光に照らされた海や田を、高みから一望のもと眺めることができるのである。
            長い期間の地道な努力が、無意識のうちに高い場所にたどり着く事を可能にするのだ。

            「小学校から勉強勉強はかわいそう。伸び伸び育てたい」という考え方は一見正論だが、私に言わせれば勉強は早く始めるにこしたことはない。

            潜在的能力をもった子は、別にいつから勉強を始めようが、最終的には勉強が得意になる。しかしそうじゃない勉強が苦手な子供こそ、勉強のスタート地点は早いほうがいい。勉強の習慣は、早ければ早いほど自然に生活の中に組み入れることができる。

            才能がある子が中学受験で早期に力を伸ばし、逆に勉強が苦手な子が「勉強は中学からでも遅くない」と呑気に構えていたら、差が大きくなるのは当然の摂理だ。

            また勉強が苦手な子が、中学校2年生・3年生から本格的に勉強を始めて学習習慣をつけようと思っても、生活の中における学習時間は「異物」になる。

            講師も親も勉強ができない子に関しては、即効性を求めてはならない。ひたすら待つ。一見成績に関しては放任したような態度を取ること。しかし目だけはしっかりその子に注いでいる。そんなスタンスが望ましいと思う。

            さて、私は7割は伸びるといった。恥ずかしながら3割は伸びない。

            伸びる子にはもう1つ条件がある。それは「愚直さ」を持っていることである。

            ズルはしない。例えば友だちに宿題を写させてもらうことなど絶対にしない。そんなことは考えもしない。ただ目の前にある宿題や課題を、不器用ながらじわじわこなしてゆく。

            素直な子は伸びる。教師を信じる子は伸びる。疑わない子は伸びる。他力本願じゃない子は伸びる。
            | 硬派な教育論 | 00:52 | - | - | ↑PAGE TOP
            古文が嫌われる理由
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              古文には壁がある。思い切って勉強を始めるまでが難しい。
              古文に対して苦手意識をもっている子は、ほぼ全員が古典文法に触れてもいない状況で、壁を前にして立ち往生している。

              古文が毛嫌いされ、大多数の高校生にとって敬遠される理由は、

              1.古文が日常的に使用されることがほとんどない(英語と比べても遥かに)

              2.将来古典が何の役に立つのか、懐疑的なまま学ばなければならない(英語はその点、将来自分の糧になると確信をもって勉強できる)

              3.同じ日本語だから何とかなるという「甘え」がある(古文は外国語のつもりで学ばないと、絶対習得不可能です)

              4.古文ができるからといって、周囲が格好いいと思ってくれない(古文が得意だと、かえって変人扱いされる風潮が若い人にはある)

              壁を破るためには、まず無味乾燥な古典文法を、ある種の強制力を利用して(学校のテストなどを利用して)習得することだ。
              古典文法は英文法に比べて量も少ないし、いざ始めてみると、思ったより短期間で習得することが可能だ。

              でも、古文を好きになるための最上で手っ取り早い策は、予備校や塾でよい先生に学ぶことだ。
              しかし古文を楽しませてくれる先生はいまや希少価値で、教える先生すら古文を楽しんでいないし、自分が楽しんでいたとしても自己満足のみで、楽しさを伝える力がない人が多い。だから当然教えられる生徒の方も楽しくない、そういうい悪循環が見られる。しかし、足を使って探せば素晴らしい先生は結構いるものである。

              古文に親しむようになると、大昔の人の生活様式、恋愛心理などを「覗き見」する、という感覚が芽生えてくる。その「家政婦が見た」的な「覗き見」の楽しさを伝授してくれる人、タイムマシンで過去を旅して、過去の日本人と出会った時の新鮮な感覚を楽しく話してくれる人、そんな出会いがあるといいのだが。

              しかし良い先生と出会えない場合、参考書に頼るしかない。そこでお勧めの参考書だが、私が塾生に薦めているのは、あまりにも有名な本で恐縮だが

              「マドンナ古文」荻野文子(学研)

              である。これは古文の「壁」を無味乾燥な強制力ではなく、上質のわかりやすさと親しみ易さで破壊しようという試みが成功した参考書だと思う。
              語り口調で書かれているので、とても読みやすい本だ。
              まず、本屋で最初のほうだけでもさらっと立ち読みして欲しい。筆者の強い説得力に思わず引き込まれるはずだ。

              奇書の部類に入るが、単語暗記だったら

              「ゴロで覚える古文単語 ゴロ513(ゴロゴサーティーン)」板野博行(東進ブックス)

              が手っ取り早い。

              「うし」1.つらい 2.なさけない 

              の暗記法は

              牛(うし)になるのは、つらい、なさけない

              といった具合に、語呂合わせの暗記法が少々下品なイラストと共に書かれている。

              とはいっても

              「あらぬ」1.無関係な 2.意外な 

              あらヌード、意外だわ。無関係!

              など、だいぶ無理の多い(おもしろいけど)暗記法がほとんどで、この単語集に全てをゆだねるという感じで購入するのではなく、まあ話の種に使うというスタンスが良いだろう。

              なお「さはれ」のゴロは、青少年育成条例に反する。

              CDもついていて、このCDがシュールでたまらない。

              あと古文常識を知るためにお勧めの本は

              「あさきゆめみし」大和和紀(講談社)全13

              だろう。これは源氏物語をマンガにしたものだが、絢爛たる平安時代の貴族社会に、文語という言葉の壁なしに溶け込むことができる。

              | 大学受験 | 16:17 | - | - | ↑PAGE TOP
              中学数学・関数はDANCEで教える
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                関数は「踊り」で教えるといい。

                中3は2次方程式ももうすぐ終わり、2次関数に突入する

                数ヶ月前に電車の中で齋藤孝氏の本を読んでいたら、

                『伝統芸は師匠から弟子への口伝によって芸が伝わる。師匠の芸を「まねぶ」すなわち「学ぶ」ことによって芸が弟子の体に伝わるのだ。そして芸が「身につく」。身体に浸み込んだ芸は一生消えない』

                というなかなか鋭い記述があって、身体で覚えることの重要性を改めて認識した。

                そんな齋藤孝氏の記述にインスピレーションを得て、私も頭脳だけにとらわれがちな教科学習の世界を、身体の次元に変換させようとあれこれ悩んだのだが、悩んでいるうちに思いついたのが、数学の関数を身体で表現させることである。
                名づけて「関数dance」。関数でジェスチャーゲームをさせるのだ。

                そのやり方は、まず子供を立たせる。そして2次関数だったら、私が「Y=Xの2乗」と言ったら、子供は西城秀樹のYOUNG MANの「Y」みたいに両手を上げなければならない。要するに関数の形を両手で作りあげるのだ。

                「Y=2Xの2乗」だったら上げる手の傾斜を急にし、「Y=マイナスXの2乗」ならばオランウータンみたいに両手を下に向ける。「Y=8分の1エックスの2乗」だったら両手をほぼ水平に広げて手のひらを上に向ける。

                逆に「Y=マイナス8分の1エックスの2乗」ならば手のひらは下だ。子供は両手で関数の形を一瞬にして作らなければならない。身体でジェスチャーゲームを楽しみながら、子供は関数のグラフの形を「身につけ」るのだ。

                1次関数でもダンスはできる。慣れたら代表者1名に前に出てもらって実演させる。私は「Y=100億エックスやってみろ」とか意地悪する。

                Y=100億エックスならやれないこともないが、「Y=5」とか「X=−4」あたりは絶対両手では表現できない。もう1人誰かを前に呼んで助けてもらい、2人でグラフを完成してもらう。
                1人が十字架を作る。手のラインがX軸、身体のラインがY軸。もう1人が後ろに回ってY=5の線を作る。
                舞台上のレビューみたいでおもしろい。

                中学校の先生用の指導書に書いてありそうな方法だが、子供は結構楽しんでいる。初歩の関数を習得させる手段としては効き目抜群である。

                | 高校受験 | 13:36 | - | - | ↑PAGE TOP
                塾講師のベテラン病
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                  ベテラン講師は、子供の限界が見えてしまうという話をしよう。

                  宮沢喜一という政治家がいた。彼は日本でも有数な
                  "clever"で、"international"な政治家として知られていた。

                  宮沢喜一の経歴は凄い。宮沢喜一は武蔵高校を出て東大法学部に進み、大蔵官僚になる。彼は齢30にして、卓越した英語力を認められて、サンフランシスコ平和条約調印に随行し、重要でしかも煩雑な事務仕事をこなす。彼の英語力は抜群で、英語でジョークを言えるほどらしい。宮沢氏は英語でジョークを言えるのに、日本語でジョークを言わない、そんな気障なところがある。

                  宮沢喜一の優秀さは大蔵省の枠内だけではもったいないと、当時の有力政治家・池田勇人は判断したのであろう、宮沢喜一は大蔵省のキャリア半ばで池田勇人に秘書官として引き抜かれ、参議院議員、そして衆議院議員へとキャリアは順調にステップアップする

                  さらに、佐藤栄作・三木武夫・福田赳夫・中曽根康弘などの歴代首相から重要なパートナーとして認められ、経済企画庁長官・通産大臣・外務大臣・大蔵大臣など主要閣僚を歴任し、竹下登・安倍晋太郎と共に「ニューリーダー」と呼ばれ、首相候補としての地位を固めた後、リクルート事件という障害はあったが最終的には内閣総理大臣まで登りつめた。

                  首相退陣後は、なかば表舞台から引退したような形で、悠悠自適な人生を送っていたところ、今度は小渕首相に大蔵大臣への就任を依頼され、マスコミから「平成の高橋是清」というニックネームで奉られ、初代財務大臣という肩書きを残した。

                  思わず唸らざるを得ないほど、華麗なるキャリアである。ちなみに兄弟は皆優秀で、ちなみに弟の弘は広島県知事を経て、現在参議院議員である。

                  ブラウン管から伝わる姿からは、宮沢氏にあまり凄みは感じられないのだが、実際彼に接した人の目からすると、飛び切り優れた人材だったのだろう。
                  確かに宮沢氏は賢そうな顔をしている。色艶のある広い額の裏には、いかにも高性能の頭脳が宿っていそうだ。

                  賢い人間は普通、切れ長の涼しい目をしている。
                  しかし、何十万人に一人の、飛びきり頭のいい人間は、爬虫類のようなグロテスクで化け物のような顔をしているものなのだ。ヨーダの如きご面相の宮沢氏は、まさに飛びきり頭のいい人間の典型といえよう。

                  大物政治家にとって、宮沢喜一のような鋭利な頭脳を持った超有能な秘書を雇うことは、秀吉が石田三成を召し抱えたように、さぞ気持ちのいいものであろうと想像できる。

                  石田三成は豊臣家の他の家臣から非常に嫌われていた。同僚であり、三成と同じく秀吉子飼いの加藤清正や福島正則には「治部少(三成のこと)の肉を喰らいたい」と言われるまで憎まれた。
                  宮沢喜一も石田三成のようなインテリ特有の嫌味な臭気を十二分に放っていて、この点が彼の弱点になっていた。

                  たしかに、宮沢喜一の人格面においての悪い噂は、マスコミを通じてよく流れてくる。
                  ふだん宮沢氏は隙の無い重厚な紳士だが、酒を飲むと人格が変わり、他の政治家の悪口を言いまくるとか、初対面の人間には必ず相手の学歴を尋ねて、東大卒じゃないと「ほほお」と小馬鹿にしたような気色悪い笑みを浮かべるとか、宮沢喜一をことのほか嫌がる人は多かった。小学校卒で叩け上げの田中角栄が宮沢喜一を異常に嫌っていたのは有名な話だ。

                  宮沢喜一の、政治家としての致命的な弱点として常に挙げられるのが、彼の評論家的態度だった。
                  彼は政府の要職にいながら、まるで部外者のような評論家的な言辞を弄し、日和見主義者のような態度をとった。

                  国民が政治家に求めるものは、「ぜひ、何々をしてみせます。」と政策目標を具体的にあげ、それを確実に実行する力なのだが、宮沢喜一の口癖といえば、
                  「〜かもしれないなあ」「〜ということもあるなあ」と、渦中にいる人間のはずなのに、冷静な他人事のような物言いが、国民やマスコミや周囲の人間をいらだたせた。しかも彼の分析は的確なものだから、なおさら始末が悪かった。

                  宮沢喜一は政治家としては三流だが、政治評論家としては一流だと論じた人がいたが、この分析は正しい。

                  おそらく宮沢氏は、様々な政治的諸要素を元に、何元何次もの複雑な数式を鋭い頭脳でいじりながら、政策が果たして実行できるか精密に分析し、将来の結果を推測してしまったのだ。
                  未来の結果がわかってしまえば、実行するのはバカらしくなる。政治状況をかなり先まで見通せる鋭利な頭脳は、彼の慎重かつ小心な性格とあいまって、宮沢喜一から政治家としての実行力を奪ってしまうのだろう。
                  頭が重すぎて、足が動かない。理論先行で実行が伴わない。そんな悪弊に宮沢喜一は囚われた。

                  宮沢喜一ほどではないけれど、私は塾講師としての「ベテラン病」に冒されつつある。頭の中であれこれ思い巡らせて勝手に結論を出し、実行する意欲が減退しているのだ。

                  人はこれを「成熟」という好意的な言葉で評価してくれるのだろうが、私には成熟した自分が物足りない。

                  塾講師を始めた20代の頃、子供の可能性は無限大だと信じて疑わなかった。全知全能を賭けて子供に立ち向かい、学ぶにふさわしい環境を完璧に整備すれば、どんな子でも成績は極限まで伸びると思っていた。

                  「ドラゴン桜」ではないが、「どんな子も東大に俺が入れてやる」という、途方もないことを考えていた。自分の力ならすべて可能だと信じていた。

                  私が大手塾から独立して自分の塾を作ったのも、子供と共有する時間がたっぷり欲しかったからだ。一緒にいる時間が長ければ長いほど子供の学習能力は伸びると確信していた。

                  個々の生徒に対しても全力でぶつかっていった。
                  私は純粋な心を持つ「問題のある子」に対して人間的魅力を感じた。だから生徒との人間関係が強くなりすぎて、深みにはまっていった。

                  「問題のある子」たちと苦楽を共にしたいという意思は固かった。私は癖の強い子、成績が低い子、不器用な子、でも心が綺麗で純粋な神様みたいな子供に向かって、果敢にチャレンジしていった。

                  しかし、家庭や学校まで立ち入ったり、子供の私生活に干渉したり、私か試みた数々の無謀な体当たりによって、私も子供も双方ともに手痛い火傷を負った。
                  家庭環境を含めて、子供が十数年間生きてきた「文化」を変えない限り、学力向上は難しいことが痛切に身に沁みた。小手先の授業や、ありきたりの口先だけのお説教では、子どもは変わらないのだ。

                  正直言って、私が子供に良かれと思い全力でぶつかればぶつかるほど、塾の生徒は減っていった。問題のある子を積極的に入塾させ続けると、塾の経営が傾いていった。

                  できる子ばかりに力を注ぐことは誰でもできる。俺だけは違う道を選ぶんだ。確固たる指針と、男の意地があった。
                  問題のある子に対して、「何でここまで」と言われるぐらいのことはやった。
                  安定を求めて、はらたいらと竹下景子に賭け続けておけばいいのに、自虐的に「篠沢教授に全部」と言い続ける日々が続いた。

                  塾を始めた当初は私の過激な行動から、「あの塾の塾長は異常な人よ」とまで言われたこともあった。もっと普通になれよと。
                  胃壁をヤスリで削られるような毎日だった。時には自殺まで考えるほどの痛い経験をした。

                  結局、私には問題のある子を「更正」させる力なんて無かった。私は怒り、迷い、自分と子供を不健全に責める事しかできなくなった。

                  私の煩悶の熱を浴び、焼け焦げた子供たち。今考えると、私のやり方は直球一本で、かなり強引だった。他人の心や、家庭の文化を「破壊」し「再構築」しなければいけないという私の病的で向こう見ずな使命感は、傲慢と受け取られても仕方がないものだった。

                  私は自分を捨てた。自分を捨てて、子供にすべて捧げる覚悟があった。
                  しかし子供の鋭い感受性は、自分を捨てるという一見自己犠牲に満ちあふれた言葉の裏の、私の肥大したエゴを的確に読み取っていた。

                  自分を捨てる? 人のために身を削る? そんな言葉は自己愛に満ちあふれた、隠れナルシストの嫌味で倒錯した人間にしか口にできないぜ。

                  ところが私の試みが、敗戦に敗戦を重ねるだけだったら、私はもっと早く自分の愚行を悟っただろう。しかし、ときおり、私のやり方を深く理解してくれる子供がいる。ついてきてくれる子供がいる。そんな子供の存在が、ますます私を一途にさせた。

                  「問題のある子」とつきあうのは難しい。1対1、サシで勝負しないことには解決しない。大勢相手に勉強を教えるという「塾」という形態に限界を感じた。
                  私は学校を作りたかった。でも、それは夢のまた夢でしかなかった。

                  当然の帰結として、私は安全運転を覚えた。いつの頃からか「塾」という狭い世界に閉じこもる決意をした。
                  金儲けのコツを覚えた。自分の力を100%出したら人は去ってゆく。50%じゃ手を抜きすぎてこれもダメだ。70%くらいに抑えることが塾経営では最高のバランスだ。

                  私が冒険をやめ、「手抜き」の加減を知ることによって、塾の生徒数は増え、経済的にも安定していった。私の塾講師としての成熟と、ある程度の経済的な安定は、あえて火中の栗を拾わない安定志向から生まれてきたのだ。
                  以前のようにがむしゃらになれない、冷めた部分が芽生えてくる。自分のできる範囲内の仕事しかしなくなった。

                  若い頃だったらどんな子でも「私におまかせください」と無条件で喜んで受け入れていたわが塾も、今では入塾の面談ので親と子の姿や言動をじろりと観察して、直感的に「私の力では伸ばせない」と判断したら直ちにお引き取り願うようになった。
                  宮沢喜一と同じく、「評論家的」な態度が身につき、苦い経験を繰り返すことを過度に恐れ、実行する度胸が消えてしまった。

                  冒険はしないが、逆に子供の今の学力より一段階だけ上の学力を着実に身につけさせる私の講師としての能力は、年々磨きがかかっている。
                  しかし、以前のように、三段階も四段階も上の世界へ子供を化けさせようという野心は意識的に消してきたし、またそんなことは無理なような気がしてきた。

                  私の経験から得た「賢明な」判断は、講師先導で子供を「化けさせる」には無理があり、逆に放任していても「化ける」子は自然に「化ける」のだということを教えてくれた。

                  私の子供に対する評論家的態度は、今でも加速してゆく。授業態度、テストの点数、ルックス、親の教育意識などをから判断して、小学生や中学生の、将来の学歴を判断してしまう悪癖がついた。
                  過去に私が教えた子と照らし合わせて、今私が教えている生徒との最終学歴を評論家のように予想する。

                  たとえば。
                  「小学6年生のA君。中学受験をするが、お母さんが少々意識過剰気味。教育熱心はいいのだが、A君はお母さんの顔色を窺いながら勉強している。中1まではお母さん先導で成績は維持できるが、中2ぐらいからA君はお母さんが鬱陶しくなって勉強を嫌がり、成績は大きく下降するだろう。」

                  「中3のBさん。真面目な女の子で学年トップ。熱狂的に勉強に取り組む。
                  だが彼女は勉強以外の楽しみを知らないらしい。高校に入って、「異性」に彼女の熱が向かい始めたら・・・」

                  「中2のC君は地味で目立たないが、勉強する習慣が血肉化している。コツコツ型。クラブもサボることなくきちんと出ている。C君は自由奔放な校風の私立より、拘束の厳しい公立高校の方が似合っている。そこで鍛えられれば、地方の国立大学はまず大丈夫だ。ただ頭に「キレ」がないので、それ以上は無理かも」

                  「中1のDさんは英語塾と掛け持ちしていて、英語力は抜群だが、国語力がいかんせん弱い。高校へ行ったら、英語の長文読解で苦労する」

                  「中3のFさん、この子は努力家で実に頭が下がる。内申点も抜群。ただ理社が苦手。知的好奇心がどこか薄い。勉強をエンジョイしていない。アナログの知識が足りない。高校へ行ったら大幅に成績が落ちるのではないか?」

                  「中3のG君の子は国語と社会がめちゃくちゃ得意で、サブカルチャー面の知識量は凄い。明るいオタク。ただし数学が苦手。私立文系には最適で、早慶上智も狙える。しかしこの子の親は公務員で、地方の国立大学へ子供を進学させたがるだろう。そこでこの子の苦手な数学に時間をかけすぎ、結局数学はものにならず、高3の秋頃に私立文系に転じるが、時すでに遅し。結局、中途半端な私立文系の大学にしか合格できないだろう。」

                  こんな評論家的予想が、頭の中を占める。しかも私は中高は開成高校、大学は早稲田。数多くの優れた先輩・同級生・後輩の姿が頭にインプットされていて、比較対照する人材には事欠かない。

                  若いときの私なら、勝手に子供の将来像なんか想像せず、ただがむしゃらに成績を上げるために、子供を脇に抱えて立ち向かっていったのだが、「分別」のある私にはもうできない。
                  教える側が、子供の限界をあれこれ想像し、評論家的になるのは良くない事だ。
                  そういう意味で、私の塾講師としての耐用年数も、そろそろ終わりかなとも思いかけている。

                  ベテラン講師は「あきらめる」傾向がある。プロ野球の世界がいい例だ。

                  たとえばある球団が、オールスターまでの折り返し点で、首位と10ゲーム引き離されていたとしよう。
                  ベテラン選手が多いチームは、10ゲーム差という差が、追いつくにはあまいにも困難な数字であることは経験上熟知しているので、あきらめの気分を抱き、攻撃が淡白になり、逆転優勝はできない。「現実」を知り尽くしていることが徒になってしまう。

                  しかし、若手主体のチームなら、10ゲーム差を追い越すことがどれほどの難事か「現実」を知らないから、うまくチームを鼓舞することができれば、「よし、いっちょう、やったるか」という大胆かつ積極的な気持ちになる。若い勢いが奇跡の逆転優勝につながる。

                  今年の巨人と阪神がいい例だ。金本や矢野や下柳は、40歳の私と同年代の選手だ。
                  | 硬派な教育論 | 17:56 | - | - | ↑PAGE TOP
                  空腹時のハイチュウとタン塩
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                    仕事やダイエットで強烈に腹がへった時、ほんのわずかでも口にしてしまうと、すべての意識が胃に集中して人を大食いモードにしてしまう食べ物がある。
                    たった一口で、忘れかけていた空腹感を爆発的に呼びさまして、大量の食べ物を誘う起爆剤になるような、ダイエット中で痩せたい人は絶対食べてはならない食べ物。

                    私にとって、ハイチュウはそんな食べ物だ。

                    塾は「夜の稼業」なので、正午にに昼飯を食べた後、午前1時になっても夕飯を食わずに仕事をすることなんてザラである。
                    授業に集中しているおかげで空腹は全く意識せず、私の全神経は脳に集中し、胃の方向には全然向かない。むしろ何か食べてしまうと眠くなるので、夕方の食事はできるだけ避ける。

                    そんなある日のこと、4年前だったか午後8時頃に、授業の合間の休憩時間に中3時代のK君が私にハイチュウを1つくれた。私は「食い物を塾に持ってくるな」と注意するのも忘れ、「ありがとう」と、包み紙をはがしてハイチュウを食べた。

                    うぅぅ・・・・うまい!

                    甘さと酸っぱさのバランス! うまい!

                    ハイチュウは、呑み込むタイミングがとても難しい食べ物である。いつまでも口の中で旨さと甘酸っぱさを発散させていたい。ガムみたいに、噛んでも味が落ちないから、呑み込むのがもったいない。

                    しかし口の中の幸福を妨害するかのように、胃がブラックホールみたいに、ハイチュウを壮絶な力で吸い取ろうとする。ハイチュウの取り合いで、口と胃がバトルを繰り広げるのである。

                    当然最後には胃が勝ち、まだ十分噛み終えないうちにハイチュウは胃の中に呑み込まれてしまう。そんな口と胃のバトルは、食べる私にとっては快感で、思わず中毒のように何個も何個もハイチュウを口にしてしまう。やめられない、とまらない。

                    ハイチュウのせいで空腹感が突然呼び覚まされ、K君にハイチュウをもう1個だけくれと頼んだが、もう持っていないという。なんでたった1個しかくれないのか。とにもかくにも、ハイチュウの絶妙な酸っぱさが、私の休眠していた食欲を呼び戻してしまった。

                    私の胃を、鯉が何百匹も泳いでいる池にたとえてみよう。
                    餌の時間なのに、誰も餌をあげる人はいない。

                    ハイチュウを食べる前、鯉たちは池のあちこちに散らばって、のっそりと空腹を意識することなく平和に泳いでいたが、ハイチュウが池に投げ入れられた瞬間、鯉たちはたちまち胃の中のハイチュウのまわりに集まって、大暴れし始めた。

                    何百匹もの鯉が、たかがハイチュウ1個の奪い合いで、お互いにボディ・アタックを食らわしあって、強烈な水しぶきが沸き起こる。それまで深閑としていた池が、ハイチュウ1個のせいで沸騰してしまったようだ。
                    もっとハイチュウ食いたい。早く晩飯食いたい。しかし仕事中だから許されない。私は暴力的に襲ってきた食欲で、かき乱されてしまった。

                    その後は授業していても唾が口の中にあふれて、うまくしゃべれない。まるで身体中の全ての水分が、唾液になって流れ落ちてきそうになった。中3の生徒には悪いが、ハイチュウを食ったあと、15分ぐらい授業が上の空だった。

                    フランス料理のどんな高価な食前酒でも、ハイチュウ1個には勝てやしない。ハイチュウは最強のアペリティフである。

                    ところで、ハイチュウと同じく、空腹感を一気に呼び覚ます最強の食べ物はタン塩である。タン塩の塩気は恐ろしい。

                    焼肉屋でタン塩が一番最初に出るのは、もちろん網を汚さないための配慮であろうが、タン塩が焼き肉のオープニングを飾るのは神の配剤である。

                    タン塩を網に置く。網は火を入れたばかりで、まだ十分に熱していない。タン塩はしばらく、赤い身を横たえながら静かに佇んでいる。
                    しかし火力が伝わるにつれ、表面に肉汁があふれ、タンも次第に薄茶色の旨そうな色に変わってゆく。

                    タン塩を食べるタイミングは、意外と難しい。
                    イチローはタン塩をひっくり返さないで、表面の肉汁を逃さないように、神経質にタンを包んで食べるそうである。私もイチローの食べ方は正しいと思う。
                    せっかくたっぷり滲んできた、おいしそうな肉汁を、ひっくり返すことで逃してしまうのは、もったいないじゃないか。

                    そんな焼きたて熱々のタン塩を、ちょこっとレモン汁につけて食べる。
                    絶妙な塩気、わずかに効いた胡椒の芳香、爽やかなレモンの酸味、タンだけが持つ獣のワイルドな旨み、牛とキスをするようなsexyな感触・・・
                    タン塩を口に運ぶごとに、食欲が増す。食べれば食べるほど腹が減る。

                    タンの塩気が、ほんのり甘く感じるのは何故だろう。焼き肉のオープニングは、タン塩以外には絶対考えられない。

                    もし、タン塩を2,3切れ食べただけで、「今日の食事は、これで終わりです。解散!」とそれ以上何も食べさせてもらえなかったら、とても困る。
                    | 旅行食べ物 | 22:17 | - | - | ↑PAGE TOP
                    林家こぶ平、市川海老蔵を襲名
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                      「〜サマ」という呼び名がふさわしいのはヨン様&杉様に止めをさすが、「〜様」と呼ばれているスターは思ったよりたくさんいる。
                      レオナルド・ディカプリオは「レオ様」、ベッカムは「ベッカム様」、橋本龍太郎は「龍さま」などなど。あの名優市川雷蔵が死後「雷様」と呼ばれていたなんて知らなかった。
                      (「雷様」の呼び方がわからん。「ライ様」なのか「カミナリ様」なのか)

                      歌舞伎界にも「サマ男」がいる。たとえば一昨年「宮本武蔵」を演じていた市川新之助改メ市川海老蔵。「おーいお茶」のボウズの人だ。
                      海老蔵の祖父の11代団十郎はまだ海老蔵と呼ばれていた若い頃「海老様」と呼ばれていたそうだ。それにちなんで11代目の隔世遺伝と言われるほど顔が似ている現海老蔵も、歌舞伎ファンから「海老様」と呼ばれているらしい。

                      歌舞伎界は世襲なのだが、梨園に嫁いだ女性は、格好いいイケメンで客から溜息が出るような美男を産まなければならない義務がある。容姿はどうでもいい皇室(失礼)と違ってそのあたりはシビアだ。男の子の顔の美醜によって、歌舞伎界は一家の一世代分の運命が決まるのだ。

                      成田屋の家系は武蔵の現海老蔵がハンサムでひと安心だが、もし林家こぶ平=
                      林家正蔵みたいな顔の男の子が産まれていたらどうなったであろう。こぶ平があのルックスと体型で「海老様」と呼ばれなきゃならないなんて悪夢である。成田屋はこぶ平の顔のせいで衰退の一途をたどるだろう。

                      こぶ平、じゃなかった海老蔵は、「宮本武蔵」の主役なんてとてもじゃないができない。落語家だったらこぶ平の顔はいいが、歌舞伎役者の家に生まれていたら自分自身も歌舞伎ファンも共に不幸だ。同じ世襲でも歌舞伎役者と落語家では後継者に求められる顔がまるで違うわけだ。

                      逆に林家三平の息子の顔が現海老蔵みたいな顔だったら、これはまた違った意味でたいへんだ。笑点を見ればわかる通り落語家のルックスはひどい。
                      あの大喜利のメンバーの中で楽太郎が一番ハンサム(元アイドル山田君を含めても)なんだから、その醜さたるや相当な物である。演歌の世界でも最近は若いハンサムな歌手が登場しているのに、落語界で美男を探すことはとっても難しい。

                      だからこぶ平が海老様みたいなイケメンの顔をしていたら、周囲の醜男と比べられて大いに浮いてしまう。たとえば海老蔵が正蔵を継いで、三平一門の林家ペーと林家こん平を助さん格さんみたいに従えている所を想像してしてほしい。海老蔵は「怪物ランドのプリンスだい!」といった趣になるだろう。だから落語界のイケメンはトイレの100ワット電球みたいに無駄なのである。

                      世襲もなかなかたいへんそうだ。

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