2005.07.30 Saturday
銀行の非常識な親子
しょせん他人というものは迷惑な存在だ。好ましい存在の他人とは、自分を理解してくれる他人、お金をくれる他人、ピンチの時助けてくれる他人、能力がある他人、おもしろい他人、性的魅力がある他人、可愛げがある他人・・・
本来なら迷惑なはずの他人を、いかに好ましい存在にするかが、教育なり躾なりの役割なのだ。しかしながら、自分の子をいかにして他人に可愛がってもらうか、他人の役に立つ人間にするか、そういう大事な視点が欠けている親が多い。
親は子供を愛して当たり前。しかし他人から見れば人の子なんて正直どうでもいいし興味がない。むしろ邪魔な時がある。親からしか愛されない人間は不幸だ。子が親から離れた時に、どれだけ他人から好かれる人間にするか、そこが子育ての勝負のしどころだろう。
「他人から愛される人間を育てる」そんな視点を、少しでも親たちに持っていただきたい。そうそう、私もこんな嫌な体験をした。
私は地方都市に住んでいるが、私の街の銀行には、キャッシュ・ディスペンサーの機械が2台しか置いていない。都会の銀行のように、機械が何十台も置いてあるわけではない。ふだん機械はは空いているのだが、給料日にはメチャクチャ機械が混む。機械が2台しかないから、殺人的な行列ができる。
都会の銀行では、混んでいても台数が多いから意外と行列の流れは早い。しかし田舎の2台しかない機械では、誰かが操作に手間取ったり、長々と機械を占有していたりすると、列はなかなか前には進まない。
さて、銀行が混んでいる日のこと。2台しかない機械のうち、1台が使用できない状態だった。たった1台の機械の前に10人ぐらいの行列ができた。
そんな時、5歳ぐらいの女の子を連れた35ぐらいの女性が機械を使っていた。
その女の非常識ぶりは凄かった。後ろに行列があるにもかかわらず、なんと小さい子供に機械操作をやらしていたのです。
子供は背が低いから、母親が抱きかかえながら、
「はい、押してご覧なさい。いち・・・・・・・さん・・・・・・・・ごお・・・・・・・・なな・・・・・・・・・・」
パソコンのビギナーがキーボードを初めて操作する時のように、子供はタッチパネルを、人差し指でぎこちなく1つ1つ押していた。しかも引き落としじゃあなく、よりによって振り込み! 相手の口座番号・金額・自分の電話番号・暗証番号・・・ いったい、いつになったら終わるのだろうか?
確かに銀行の機械の使い方を子供に教えるのは大事なことだろう。しかしそんなものは、いずれは覚えられることだ。こんな状況の時に親が子供に一番教えなければならないことは、すばやく操作を終えて、次の人に譲ることだろうに。
私は指でタッチパネルを触っている5歳の女の子に、いけないことなのかもしれないが、憎悪感を抱いてしまった。この子は母親のせいで、見ず知らずの人間から憎まれている。
私は母親に注意を促そうとしたが、子供の前で親を叱ることには、さすがに抵抗があった。それはやっちゃあいけないことではないかと。ああ、でも何か言わなければ・・・ 私も気が弱い。
私の思考が堂々巡りをしている最中にも、母親のスローなナビゲートのもと、子供の機械操作が続いている。苛立つ行列の客を尻目に、機械をいじる親子二人のまわりだけは、悠久の時間が流れているようだった。
とうとう、60歳ぐらいの白髪の紳士が、しびれを切らして怒鳴った。
「あなた、後ろに何人も待っているでしょう。子供にやらすんじゃない。早くしてくれ!」
老紳士の通る声に、銀行に緊張が走った。怒鳴られて女性は、どういう反応を見せるのか。老紳士と女性の口論が始まろうとしていた。
しかし女性の反応は意外だった。
「すいません、申し訳ありませんでした。気がつきませんでした」
と心底悪いことをしたと反省したように、あとは自分でさっさと操作を終え、帰り際に老紳士をはじめとする行列に並んでいた客に向かって、「申し訳ありませんでした」と頭をぺこぺこ下げながら帰って行ったのだ。
この女性、確かに悪いことを素直に認めるのは立派な態度だ。悪事や非常識を指摘され逆ギレする人が多い中、爽やかな立ち振る舞いであることは否定できない。しかし、こんなに混んでいるのに、気がつかないで自分の子供にのんびりと機械をいじらせていたのは何故か。何で指摘される前に気がつかないのか? 周囲の状況を察知できないアンテナの感度の悪さに、腹が立った。
それから一番やりきれないのは、母親の非常識な振る舞いのせいで、本来なら可愛い盛りの子供が憎まれてしまったことだ。それは母親にとっても子供にとっても、大きな損じゃないのか?
本来なら迷惑なはずの他人を、いかに好ましい存在にするかが、教育なり躾なりの役割なのだ。しかしながら、自分の子をいかにして他人に可愛がってもらうか、他人の役に立つ人間にするか、そういう大事な視点が欠けている親が多い。
親は子供を愛して当たり前。しかし他人から見れば人の子なんて正直どうでもいいし興味がない。むしろ邪魔な時がある。親からしか愛されない人間は不幸だ。子が親から離れた時に、どれだけ他人から好かれる人間にするか、そこが子育ての勝負のしどころだろう。
「他人から愛される人間を育てる」そんな視点を、少しでも親たちに持っていただきたい。そうそう、私もこんな嫌な体験をした。
私は地方都市に住んでいるが、私の街の銀行には、キャッシュ・ディスペンサーの機械が2台しか置いていない。都会の銀行のように、機械が何十台も置いてあるわけではない。ふだん機械はは空いているのだが、給料日にはメチャクチャ機械が混む。機械が2台しかないから、殺人的な行列ができる。
都会の銀行では、混んでいても台数が多いから意外と行列の流れは早い。しかし田舎の2台しかない機械では、誰かが操作に手間取ったり、長々と機械を占有していたりすると、列はなかなか前には進まない。
さて、銀行が混んでいる日のこと。2台しかない機械のうち、1台が使用できない状態だった。たった1台の機械の前に10人ぐらいの行列ができた。
そんな時、5歳ぐらいの女の子を連れた35ぐらいの女性が機械を使っていた。
その女の非常識ぶりは凄かった。後ろに行列があるにもかかわらず、なんと小さい子供に機械操作をやらしていたのです。
子供は背が低いから、母親が抱きかかえながら、
「はい、押してご覧なさい。いち・・・・・・・さん・・・・・・・・ごお・・・・・・・・なな・・・・・・・・・・」
パソコンのビギナーがキーボードを初めて操作する時のように、子供はタッチパネルを、人差し指でぎこちなく1つ1つ押していた。しかも引き落としじゃあなく、よりによって振り込み! 相手の口座番号・金額・自分の電話番号・暗証番号・・・ いったい、いつになったら終わるのだろうか?
確かに銀行の機械の使い方を子供に教えるのは大事なことだろう。しかしそんなものは、いずれは覚えられることだ。こんな状況の時に親が子供に一番教えなければならないことは、すばやく操作を終えて、次の人に譲ることだろうに。
私は指でタッチパネルを触っている5歳の女の子に、いけないことなのかもしれないが、憎悪感を抱いてしまった。この子は母親のせいで、見ず知らずの人間から憎まれている。
私は母親に注意を促そうとしたが、子供の前で親を叱ることには、さすがに抵抗があった。それはやっちゃあいけないことではないかと。ああ、でも何か言わなければ・・・ 私も気が弱い。
私の思考が堂々巡りをしている最中にも、母親のスローなナビゲートのもと、子供の機械操作が続いている。苛立つ行列の客を尻目に、機械をいじる親子二人のまわりだけは、悠久の時間が流れているようだった。
とうとう、60歳ぐらいの白髪の紳士が、しびれを切らして怒鳴った。
「あなた、後ろに何人も待っているでしょう。子供にやらすんじゃない。早くしてくれ!」
老紳士の通る声に、銀行に緊張が走った。怒鳴られて女性は、どういう反応を見せるのか。老紳士と女性の口論が始まろうとしていた。
しかし女性の反応は意外だった。
「すいません、申し訳ありませんでした。気がつきませんでした」
と心底悪いことをしたと反省したように、あとは自分でさっさと操作を終え、帰り際に老紳士をはじめとする行列に並んでいた客に向かって、「申し訳ありませんでした」と頭をぺこぺこ下げながら帰って行ったのだ。
この女性、確かに悪いことを素直に認めるのは立派な態度だ。悪事や非常識を指摘され逆ギレする人が多い中、爽やかな立ち振る舞いであることは否定できない。しかし、こんなに混んでいるのに、気がつかないで自分の子供にのんびりと機械をいじらせていたのは何故か。何で指摘される前に気がつかないのか? 周囲の状況を察知できないアンテナの感度の悪さに、腹が立った。
それから一番やりきれないのは、母親の非常識な振る舞いのせいで、本来なら可愛い盛りの子供が憎まれてしまったことだ。それは母親にとっても子供にとっても、大きな損じゃないのか?