「少々の風邪なら塾へ来い。休む奴はやる気がない」
しかし今では、そんな残酷なことを言ってしまったことを反省している。
子供は元来弱いものだ。生きていることが奇跡かもしれないのだ。
風邪で無理して、死んだらどうするのか。
かつて、医療後術が進歩していなかった頃、子供は可愛い盛りによく死んだ。
乳幼児の死亡率は高かった。ちょっと前まで笑顔を振り撒いていた子が、突然高熱を発して命を失ってしまう。
今だったら注射の一つで直る生命が、昔は骨になって墓の下に押し込められてしまったのだ。
今は少子化の時代だ。少子化にはいろいろな原因が挙げられるが、私は「子供が死なない恐怖」が薄らいできたことも原因の1つだと思う。1人っ子でも医療が進歩しているから、突然病気でこの世を去って、親を置き去りにすることはないだろうという安心感がある。
しかし昔は違った。乳幼児はよく病気にかかった。また男の子は戦争で死ぬことを余儀なくされた。青春期に結核にかかって夭折する子供もいた。
たとえばサザエさん一家。サザエさんのモデルになった家族は、サザエさんとカツオくんの間にもう一人男の子がいて、その子は戦争か病気で死んだと言う噂がある。28歳のサザエさんと、小学校5年生のカツオくんの年齢差が激しい理由として、サザエさんが執筆された時代背景を考えたら、その噂には強い説得力がある。
サザエさん一家のような幸福そうに見える家庭にも、家族の欠落による不幸の影がある。
昔の親は1人でもたくさん産んで、子供に先立たれて、取り残される恐怖から逃げようとしたのである。
1人でも多くの子に生き長らえて欲しいと、すがるような気持ちだったに違いない。
昔は、墓地には若い人の姿が、今よりもっと多く見られたことであろう。子供に先立たれた親たちである。
そして、自分の家族が、家族の突然死によって不幸にならないように、せっせと神社仏閣に足を運んだ。善光寺参りや伊勢詣でに対する当時の人たちの熱狂を、我々は笑うことはできないのだ。
子供はある日、病で突然生命を奪われる。
食欲の無さは病の兆候である。だから子供が御飯を食べないとき、親はどんなに心配することか。
赤ちゃんがぐったりして、乳首に口をつけてくれない。白い母乳が虚しく乳首を流れる。どうしよう、この子はこのまま死んでしまうのか。
そして深夜突然赤ちゃんが泣き出す。心配で眠れなかった母親は、乳首を赤ちゃんの胸に当てる。赤ちゃんは母乳を貪り飲む。やった。お母さんは安心して涙がこぼれる。
食べることは生命の証である。子供が元気に御飯を食べることは、親にとって最大の幸福である。子供が食事をしていると親は安心する。
親は子供がどんなに大きくなっても、子供が食べる姿を見るのが好きだ。
クラブ活動帰りの子供は食欲旺盛、親は忙しい仕事の合間に御飯をバンバン作る。
都会から長期休暇を利用して帰省した大学生には、都会ではひもじい思いをしているだろうと、久しぶりの凄いご馳走を用意する。
ツバメの親の運動量の99%は、恐らく子供の餌探しのために消耗されるのだろう。人間だってツバメと変わりはしない。