猫ギターの教育論

尾道市向島の塾「US塾」塾長のブログ 早稲田大学・開成高校出身 本音が飛び交う、少し「上から目線」の教育論
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丸暗記は絶対に実行しよう
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    教師は子供に対して、あらゆる事柄を意味も教えず、ただひたすら丸暗記させる潔さがいる。「読書百遍、意自ずから通ず」的な割り切りも、教師には必要だ。

    意味など教えるな! ひたすら丸暗記させてしまえ!

    英語の単語は言うに及ばず、社会の歴史人名でも丸暗記が大事だ。英語の単語と同じように、歴史人名も機械的な丸暗記でかまわない。歴史人名を、電話帳に掲載されている人名と同じような、意味がない「記号」と割り切って暗記させることを躊躇してはならない。

    教科書に出てくる歴史上の人物が何故凄いのか、なんで教科書に載る価値がある人物なのか、いちいち説明していたらきりがない。

    太閤秀吉や源義経やコロンブスの偉大さなら子供にもわかるかもしれないが、本居宣長や世阿弥やダンテの価値を子供に理解してもらうには、子供の側にある程度、教養の積み重ねがなければならない。本居宣長や世阿弥の斬新さが理解できる教養は、とても10代で身につく種類のものではない。
    小学生・中学生は「本居宣長・古事記伝・国学」と暗記すればそれでいいと、割り切って考えることも必要だ。

    ダルビッシュや宮崎駿の凄さなら、子供は体感的にわかる。
    しかし本居宣長や世阿弥の魅力は、「大人の世界」でしか理解できない。

    子供の頭に植え込む種は、黒かったり茶色かったり形もさまざまで、将来どんな草が生え、花が咲くかわからない。種が種の姿をしている時は、そこに意味などない。
    しかし、本居宣長という種でも、世阿弥という種でも、どんな種でもいい、将来そこからどんな芽が出て、どんな木が育ち、どんな花が咲くかわからなけど、ただひたすら教師は子供の頭に種を蒔き続ける根気と、「強制力」を施すことが大事だ。
    教科書の事柄すべて、森羅万象、子供に理解させることは無理だ。

    私の好きな佐野元春の「SOMEDAY」という曲に、こんな歌詞がある

    窓辺にもたれ 夢の 1つ1つを 
     消してゆくのはつらいけど
     若すぎて なんだかわからなかったことが 
     リアルに感じてしまう この頃さ


    黒い種から原色の花は想像できないが、咲いた時には感動がある。子供が「リアル」に本居宣長の凄みを感じるまで、たくさんたくさん、種を蒔き続けよう。

    | 硬派な教育論 | 16:48 | - | - | ↑PAGE TOP
    数値評価が子供は好きだ
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      勉強の世界では、偏差値やら数値評価の弊害がよく叫ばれるが、どうなのだろうか?

      日本人が数値評価を嫌うのは、「ナンバーワンよりオンリーワン」という曲が巷で流行しているのを見てもわかる。
      数値評価は子供を破壊するのか? ナンバーワンになれと強制するのは、子供の性格を歪めるのか?

      勉強以外のことに限れば、子供は基本的に数値評価が好きだ。子供の周りには、子どもを数値評価するモノがあふれている。
      スポーツは勉強よりもはるかに白黒がハッキリした数値評価だし、将棋や囲碁もそうだ。カラオケですら点数が出る。
      テレビゲーム機に至っては数値評価の権化だ。残酷なくらい厳然たる数値評価を、子供は楽しんでいる。

      スポーツやゲームに、わかりにくい主観的な評価は許されない。スコアは冷厳なくらい客観的でなければならない。
      最近中学校や小学校で流行っている、「生きる力」とか「真なる豊かさ」といった、曖昧でわけのわからん評価をスポーツやゲームに適用することは許されない。

      たとえばサッカーの試合で
      「東中対西中戦は、スコアは東中が2対1で多かったけど、『生きる力』は西中のほうが優勢でした。だからこの試合、西中の勝ち!」
      と連盟のお偉いさんに勝ち負け決められたら、生徒はやる気をなくす。

      またテレビゲームで、一生懸命コントローラーで魔術のような指さばきを見せ、心地良い達成感を覚え、「よしハイスコアを叩き出したぞ」と思ったら、画面には点数が出ないで
      「君のプレイには『真なる豊かさ』を感じました。よくできました。○マル」
      という言葉だけがシラーと新幹線の電光掲示ニュースみたいに流れたら、プレステぶん投げたくなる。

      どうして勉強だけが、数値評価、駄目なのだろうか。
      | 軟派な教育論 | 16:51 | - | - | ↑PAGE TOP
      なかにし礼「時には娼婦のように」
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        芸能界が湿っぽい化け物屋敷みたいだった昭和40年代に、歌詞をバリバリ提供していたのが、なかにし礼だ。

        なかにし礼は今でこそ、「兄弟」「てるてる坊主の照子さん」「長崎ぶらぶら節」で作家として知られているが、40年代は超売れっ子の作詞家だった。
        昭和50年代が阿久悠の時代なら、40年代はなかにし礼の時代だった。

        なかにし礼は、40年代の性格も化粧も歌い方も暑苦しい化け物歌手に濃厚な歌詞を提供した。
        まるで脂っこいステーキの上にウナギの蒲焼をのせたような歌詞だ。

        なかにし礼の歌詞は、歌い出しが強烈で、聴くものを強引につかむ。

        たとえば、奥村チヨの「恋の奴隷」

        ♪ あなたと逢った その日から 恋の奴隷になりました

        いきなり恋の奴隷ですぞ。すごいよね。

        歌いだしの歌詞の凄さといえば、細川たかしの「心のこり」もそうだ。
        この曲は、1975年に発売された細川たかしのデビュー曲で、岩崎宏美の「ロマンス」を抑えて、日本レコード大賞最優秀新人賞を受賞した。

        「心のこり」は、いきなり歌いだしが

        ♪ わたしバカよね おバカさんよね

        だもんね。これもすごい。

        なかにし礼が書いた大胆で自虐的なフレーズを脳天気に歌うことで、細川たかしは一気に演歌の世界でスターダムにのし上がった。

        1975年といえば私は小学1年生。小1の子供にもこの歌は大ウケし、学校帰りに友達と一緒に

        ♪ お前バカよね 大バカさんよね

        と、ハーモニカがカタカタ音を立てている黄色いランドセルを背負いながら、小学1年生の頭脳では精一杯の替え歌を作って遊んでいた。

        細川たかしといえば、「北酒場」もなかにし礼の作詞である。

        ♪きた〜の 酒場通りには なが〜い 髪の女が似合う

        歌詞としては別にひねりはないが、「きた〜の」と細川たかしに脳天気に歌われると耳にこびりつく。

        この曲は「欽どこ」効果もあって日本レコード大賞を受賞した。

        なかにし礼の代表曲をあげると

        菅原洋一の「今日でお別れ」
        黛ジュン「天使の誘惑」
        ザ.テンプターズ「エメラルドの伝説」
        ペトロ・アンド・カプリシャス「別れの朝」
        いしだあゆみ「あなたならどうする」
        森進一「港町ブルース」
        ザ・ピーナッツ「恋のフーガ」
        弘田三枝子「人形の家」

        などがある。

        ♪今日でお別れね もう逢えない
        ♪好きなのに あの人はいない
        ♪湖に〜僕はひざまずき
        ♪別れの朝 二人は 冷めた紅茶 飲み干し
        ♪あなたな〜らどうする
        ♪背伸びして見る 海峡を 今日も汽笛が 遠ざかる
        ♪追いかけて 追いかけて たどり着きたいの
        ♪私は あなたに 命を あずけた


        これら有名曲は全部、なかにし礼の作詞なのだ。いかに当時バリバリ書いていたかわかる。

        そうそう、こんな強烈な曲もある。北原ミレイの「石狩挽歌」

        ♪海猫(ごめ)が鳴くから ニシンが来ると
         赤い筒袖(つっぽ)の やん衆がさわぐ
         雪に埋もれた 番屋の隅で
         わたしゃ夜通し メシを炊く


        そして最後は

        ♪オンボロロ
         オンボロボロロー


        で締める。

        歌謡曲の歌詞らしからぬ「ニシン」とか「メシを炊く」といった単語をぶち込んで、昔ニシン漁で賑わった北海道の漁港の斜陽ぶりを描く荒業を見せる。
        歌詞から魚の匂いが漂ってきそうだ。

        そういえば北島三郎の「まつり」もなかにし礼の作品だ。

        えげつない曲といえば、島津ゆたかの「ホテル」
        存在がばれてはならぬ愛人の苦悩を、笑いスレスレの細かな状況描写で言葉にする。

        ♪手紙を書いたら叱られる
         電話をかけてもいけない
         ホテルで逢ってホテルで別れる
         小さな恋の幸せ

         ごめんなさいね 私見ちゃったの
         あなたの黒い電話帳
         私の家の 電話番号が
         男名前で 書いてある

         奪えるものなら奪いたいあなた
         そのために 誰か 泣かしてもいい

         奪えるものなら奪いたいあなた
         一度でいいから あなたの肌に
         爪を立てたい


        すんごい歌詞ですな。愛人の家の電話番号が、男名前で書いてあるんですぞ。リアルさが笑いを誘う。

        さて、そんななかにし礼の真骨頂を示した名曲が、黒沢年男の「時には娼婦のように」である。1978年、私が小学4年生の時の歌だ。

        ♪時には娼婦のように 
         淫らな女になりな 
         真っ赤な口紅をつけて 
         黒い靴下を履いて
         大きく脚を広げて
         片眼をつぶってみせな
         人差し指で手招き
         私を誘っておくれ
         バカバカしい人生より
         バカバカしいひとときがうれしい
         ムーン ムーン ムンムン

         時には娼婦のように 
         下品な女になりな
         素敵と叫んでおくれ
         大きな声を出しなよ
         自分で乳房をつかみ
         私に与えておくれ
         まるで乳呑み児のように
         むさぼりついてあげよう

         時には娼婦のように
         何度も求めておくれ
         お前の愛する彼が
         疲れて眠りつくまで


        幼かった私は、「娼婦」という名詞や、「淫ら」という動詞の意味を知らなかったし、「娼婦」という人が何故に黒い靴下を履くのかよくわからなかった。
        正直、この年になっても、娼婦が黒い靴下を履くわけがよくわからない。

        とにかく「ザ・ベストテン」でこの怪しさ漂う曲を聴いて衝撃を受け、小学校はしばらくこの曲の話題で持ちきりだった。

        この曲、なかにし礼は作曲も手がけており、またなかにし礼自身の主演・脚本で映画化までしている。
        いかに「時には娼婦のように」がなかにし礼にとって思い入れの激しい作品かわかる。


        | 音楽批評の部屋 | 18:13 | - | - | ↑PAGE TOP
        世界のゴミ箱と分別事情
        0
          ゴミの分別なんてやり始めたのは、いったい何年前くらいからだろうか?
          僕が学生の頃は、ゴミなんて大きいの小さいのも、空き缶も新聞紙もカップめんの発泡スチロールもみかんの皮も、全部同じゴミ箱に入れていた。
          ゴミを分けるなんて考えは浮かばなかった。

          お役所が「ゴミは分けましょう」と言い出した当初は、ゴミの分別なんて一部の奇特な人しかやっていなかったと思う。
          しかし今では、ほとんどの人がゴミをきちんと分けている。
          ゴミの分別という意識は、日本人にはちやんと徹底されたようだ。

          今ではゴミをきちんと分けないと不安になる。
          まずダイオキシンの発生が怖いし、不燃ゴミが増加するといつか日本列島がゴミであふれ返ってしまうという圧迫感があって、リサイクルにも積極的に協力なければならないと思ってしまう。

          下の写真は成田空港のゴミ箱

          IMG19051.jpg

          典型的な日本の公共施設のゴミ箱である。
          絵で表示されていて、外国人にもわかりやすい。

          さて、お隣の韓国はどうだろう。
          韓国ソウルの地下鉄駅のゴミ箱である。


          travel5351.jpg

          韓国は日本以上に環境問題には熱心である。
          韓国ではスーパーやコンビニではビニール袋はもらえない。欲しければわざわざ店員さんに言って袋を買わなければならない。(1枚3〜4円という安価なものだが)

          とにかく日本も韓国も、きちんとゴミを分けている。

          では、アメリカのゴミ箱はどうか?

          ヤンキースタジアムのゴミ箱

          IMG15381.jpg

          マンハッタン、5番街のゴミ箱

          IMG15601.jpg

          ニューヨーク JFK空港のゴミ箱

          IMG19021.jpg

          ははは、笑っちゃうでしょ? 
          アメリカではゴミの分別なんかしなくていいのだ。

          アメリカ人は、ゴミをドカッとまとめて捨てる。環境問題なんて眼中になし。
          アメリカは分別のない国だ。京都議定書に背を向けているのも、このゴミ箱一つでわかる。

          スタバなんか、日本ではゴミを神経質に分別させるのに、本国アメリカのスタバのゴミ箱はこんな感じである。

          ニューヨークの某デパート内にあるスタバのゴミ箱

          IMG16121.jpg

          どれだけ日本や韓国みたいな小国が頑張っても、面積が広く人口も膨大なアメリカがこんな状態では、ちまちま分別するのがバカらしくなってしまう。

          ちなみに中国もアメリカと同じく、分別には全く不熱心だった。イメージ通りだ。
          タイは、路上も川もすべてゴミ箱みたいな汚い腐敗臭の漂う国だった。

          では、ヨーロッパはどうか? 
          ヨーロッパはアメリカと逆で環境問題にはとても熱心。
          環境問題に一番熱心な国といわれるドイツのゴミ箱を見てみよう。

          ドイツ・フランクフルト国際空港のゴミ箱

          travel2801.jpg

          メタリックな外見は日本や韓国と同じだが、ドイツのゴミ箱はデザインがシャープで洗練されている。格好よすぎ。

          また、4色を巧みに使い分けているところも素晴らしい。
          カラフルな色使いはシンプルだが、デザインに強いアクセントを加えている。
          日本に持ち帰りたくなるような、素敵なゴミ箱である。

          さらに、ゴミ箱の中をじっくり見てほしい。
          このゴミ箱の一番「ドイツ的」なところは、ゴミ箱の中のビニール袋である。

          黄色の文字の中には黄色い袋、青い文字には青い袋と、文字と袋の色がきちんと対応している。芸があまりにも細かいではないか。

          いかにも合理的で、几帳面なドイツらしいゴミ箱である。
          この徹底振りには、かなり驚いた。




          ★開成塾
          尾道市向島・「志」ある若者が集う「凛」とした学習空間




          | 旅行食べ物 | 23:19 | - | - | ↑PAGE TOP
          生徒の記憶力は信用するな
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            教師は、生徒を絶対に信用してはならぬ。

            といっても、生徒が教師を裏切るとか、生徒に対して常に疑心暗鬼を持ち続けろとか、そんな深い陰険な意味ではなくて、生徒の記憶力を信用してはならぬ、という意味である。

            たとえば授業がとってもうまくいった時。
            教師も生徒も「いい授業だった」と充実感を抱き、教師は満足して頭から湯気が出そうになり、生徒は素晴らしいミュージシャンのライブを聞いた後のような高揚感に包まれる。

            しかしせっかくの授業内容を、生徒は1週間後には少し忘れている。
            1ヵ月後には完全に忘れている。
            1年後には記憶の彼方だ。

            教師はせっかく生徒の頭にインプットした知識を、定着させる作業を怠ってはならない。
            たった1回教えただけでは、知識はタンポポの綿帽子みたいに四散してしまう。
            1週間後には復習を、1ヵ月後にはさらに復習をと、同じ単元を3〜4回反復しなければならない。

            もちろん塾では学校より先取り学習しているわけだから、2〜3ヵ月後には塾でやったことが学校の授業で繰り返し教えられるし、また塾でも春夏冬の講習会で復習の機会がある。

            ただ、教える側が、教えたことは生徒は忘れるものだという意識を常に持っているだけで、生徒の学力の伸び方は相当に違ってくる。

            復習のやり方は、宿題でもいいし、テストでもいいし、授業の最初の10分ぐらい使ってダイジェストで教えてもいい。

            とにかく反復が大事。
            料理人の腕が素人を凌駕しているのは、毎日毎日繰り返し厨房で料理しているからである。
            ベテラン教師の知識が圧倒で、教え方が上手いのは、毎年毎年同じ単元を子供に教え続けているからである。
            料理人も教師にも言えることは、反復こそがスーパープロフェッショナルへの王道、ということである。

            とにかくも、人間の記憶力は信用してはならない。

            | 硬派な教育論 | 15:50 | - | - | ↑PAGE TOP