猫ギターの教育論

尾道市向島の塾「US塾」塾長のブログ 早稲田大学・開成高校出身 本音が飛び交う、少し「上から目線」の教育論
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「大村はま」はRockだ
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    「大村はま」をご存知だろうか?

    大村はま女史は1906年生まれで、1980年で退職するまで52年間女学校や中学校で国語教師を続け、生涯一教師を貫き、退職後も98歳で亡くなるまでずっと、講演活動や実践活動を続けてきた方である。

    教育界ではかなり名を知られた方で、私ももちろん名前だけは知っていたが、著作に触れたことはなかった。

    正直私は「大村はま」に偏見を持っていた。経歴はある程度知っていたが、どうせ、本には婆さんの自慢話と、クドくてヌルい退屈な教育論が、延々と続いているに違いないと思っていた。

    「子供は天使です」「子供はみんな平等です」「子供を慈しみましょう」・・・日教組の先生が好きそうな、左翼の理論的指導者というか、戦後民主主義の体現者というか、マリア様的な慈母の退屈さというか、とにかく大村はまに対して悪しきイメージを抱いていた。

    まず、「大村はま」という名前がよくない。
    やさしそうな名前でしょ?

    やさしい先生→ぬるい教育論→面白くない文章→読む価値ナシ という図式が私の頭に勝手に作成され、食わず嫌いになっていた。

    ところが、大村はまの「灯し続けることば」という、薄い1000円の格言集を、騙されたつもりで読んでみた。

    いやあ、凄いですよ。大村はま。
    私が今まで読んできた教育関係の本では、ピカ一である。

    有名な教育者は、福沢諭吉しかり、新渡戸稲造しかり、毒舌家というか、人の言えないことを平気で開けっ広げに言う放胆さを持っているが、大村はまもそんな「毒舌教育家」の系譜につながる人だ。

    大村はまが、やさしい先生→ぬるい教育論→面白くない文章→読む価値ナシ、だなんて、とんでもない。
    逆に、厳しい先生→刺激的な教育論→エキサイティングな文章→読まないと絶対にアカン、と思わせる人である。
    「退屈なマリア様」ではなく、むしろ「毒舌ばあさん」と呼ぶにふさわしい。

    とにかく、言葉がピチピチ生きている。現場の人間が膝を打って共感する言葉に満ちている。手垢のついた言葉はない。どれも教育現場から直接生まれ出た新鮮な言葉だ。温泉でも、循環式の死んだ湯ではない。源泉掛け流しの湯だ。

    たとえば、私は以前、勉強が得意な子を教えるのは苦手な子を教えるより実は難しいという主旨の日記を書いたことがあるが、そんなことは、大村はまがとっくの昔に書いていたのである。

    大村はまは「できない子の世話は、たやすいことです」と題して、次のように書いている。

    教師ならよくおわかりでしょうが、勉強ができない、わかっていない子の面倒を見るのは、比較的たやすいことです。それに、それは教師として当然しなくてはならないことですし、そういう訓練も積んできていることと思います。それを行えば、いい先生だと誰もが評価してくれるでしょう。
    ところが、そういう子どもの面倒を見るとか、落ちこぼれた子を出さないということばかりに目が行って、できる子供を伸ばすことがおろそかになりがちのようです。

    (中略)

    力のある子供を伸ばす、精いっぱい学ぶ姿にもっていくには、教師のほうにそれだけの実力がいります。その子のすぐれた力をはるかに上回る幅や高さがなければ、夢中にさせられないのです。「優も劣も」といったときに、どうも教室では「劣」のほうに重みがかかってしまい、その子たちの面倒を見ることで教師が満足して、「優」の子を退屈させてしまうことが多いようです。それが教室の魅力を失わせているのです。


    教師が考えていることは、時代を超えても変わりはしない。私は大村はまと同じ意見を持ったことに、誇りを感じた。

    とにかく、大村はまは私のイメージとは全く逆の人だった。偏見は怖い。「あちら側」ではなく「こちら側」の教育者だった。実際に読んで見なければわからないものだ。

    大村はまの強烈な言葉を、いくつかご紹介しよう。

    持っている力というものは、使い切ったときに伸びるもののようです。大してない力でも、ありったけ使うと、またどこからかわいてくるのです。
    誰かが哀れに思って、与えてくれるのではないかと思うほどです。
    ですから、少ししか使わないと、力は伸びない、生まれてこないようです。かわいそうになるほど、持っている力をみな使ってしまうことが、次の力を得るもとになるのだと思います。


    -----------------------------

    教師は一個の職業人です。「聖職」という方もいますが、私はその名に隠れて精神主義に偏っていく態度には賛成できません。心さえあればいい、熱意さえあればいいというわけではないと思うからです。熱心、結構です。いい人あたり前です。悪い人であったら、たまったものではありません。
    なのに、教師の世界というのは、いろいろな職業と比べても、「いい人」ということがかなり幅をきかせているように思います。他の社会では、仕事の能力と切り離して「いい人」をここまで尊重しないのではないでしょうか。いい人であっても、やはり業績を上げて、仕事をちゃんとやれる人でないと、価値を認められないのではないでしょうか。 
    教師という職業の拠って立つものは何か。子どもに一人で生きていける力をつけること、そのための技術を持っていることでしょう。それを忘れた「いい人」ではちょっと困るのです。


    最後に、「灯し続けることば」に散りばめられた格言の、タイトルだけをご紹介する。

    「熱心と愛情、それだけでやれることは、教育の世界にないんです」
    「自分が自分らしくないときには、小言を言わないようにしました」
    「獅子でなければ死んでしまうでしょう」
    「子どもほど、マンネリがきらいな人はありません」
    「最初に頭に浮かんだことばは、捨てます」
    「教室で、私は子どもがかわいいなんて思ったことはありません」
    「教師が少しは傷つかないと、子供はつまらないのです」


    ねっ、タイトルを読んだだけで、続きを読みたくなるでしょ?

    まさに、大村はまはRockだ。
    私の定義するロックとは、自分の考えに言葉や音楽が忠実なこと、破壊的かつ攻撃的であること、「他人と同じ」を嫌うこと、反抗精神を持っていること、自分の独創性がもたらす孤立に耐えうることなどであるが、そんな意味で大村はまは、98歳のロッカーだ。
    63歳で東京ドームを震撼させる、ミック・ジャガーの上を行く。
    | 読み応えのある本 | 13:22 | - | - | ↑PAGE TOP
    関西弁のS坊
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       (いまから5年前の話を再録)

       

      うちの塾に、沢田大輔君(仮名)という、くそ生意気で一度いじめて泣かしてやりたいような、中1の男の子がいる。彼は私に「S坊」(こちらも仮名)というニックネームで呼ばれている。

      彼は背が低く、ちっこい。
      外見は小学校4年生ぐらいだ。
      本人は結構自分の背丈のことを気にしているようなので、それについては彼の名誉のために、ここでもあまり触れないことにする

      S坊に
      「お前何才?」
      と聞くと、
      「おれ天才や!」
      と当意即妙の答えが返ってくる。そんな子だ。

      S坊は広島県の原住民なのに、なぜだか流暢で少々奇妙な関西弁で話す。manyを「ぎょうさん」と訳す。

      まだ声変わりしていないので、S坊の声は高くしかも大きい。そして湧き出る言葉の数もめっぽう多い。授業中私が放っておくと、S坊のマシンガントークが炸裂する。

      私は授業中に生徒が語りかけてくるのは嫌いなのだが、S坊の話は授業の流れに沿った、実にタイミングが良い切り返しが多いので、逆に私が巧みにS坊をあしらうと、授業が盛り上がるので好きなように言わせている。

      S坊は勉強もできる。彼は頭が切れ、同級生に対して言わなくてもいいことを口にする。しかも言っていることがズバリ的確なので、同級生からしばしば仕返しに糾弾される。

      同級生の攻撃に対してS坊は、寸鉄人を刺す関西弁で応酬するし、関西弁には「むかつく」オーラがあるので、S坊に口撃された子はますますエキサイティングする。

      休憩時間には、「S坊」VS「他の中1の男の子たち」という言葉の対戦バトルが繰り広げられている。
      「S坊」はいじめっ子といじめられっ子の両方をやっているので、何かと忙しい。

      S坊の声の高さと、口数の多さと、さらに言葉にふんだんに毒が盛られているところが似ているのか、同級生たちから「ミイ」という渾名を頂戴している。
      「ミイ」とはアニメの「ムーミン」に出てくる、髪を束ねた背の低い少々意地悪な女の子である。言われてみれば雰囲気は似てるなあ。

      そんなS坊も、何故だか上級生と下級生には絶大な人気を誇る。可愛げはふんだんに持っているのだ。

      ところで最近、S坊はどういうわけだか、「経済・金融・経営」の方面に興味を燃やし始めた。先日も一体どこで聞きかじったのか、私に「センブツ取引ってなに?」と訊いてくるので、ああ、先物取引のことを指すのかなと私は一瞬説明しようと思ったのだが、株ぐらいならともかく、先物取引など中1にはさすがに早いと判断し無視した。

      そして、彼が今興味を持っているのが、なぜだかうちの塾の経営についてである。
      授業中に、
      「先生、うちの塾儲かってます?」
      とか尋ねてきたり、また、
      「先生、うちの塾でも英検受けられるようにせんか? そうしたらぎょうさん生徒がくるよ」
      などと、関西弁を駆使してわが塾の経営アドバイザーの役割までしてくれる。

      先日など、授業中にいきなりS坊がしゃべり始めたかと思うと、
      「うちの塾は生徒が●●人、月謝が1人■■円だから、え〜と(ここで筆算をはじめるS坊) 掛けて××円でしょ、それでえ、先生家賃いくら?(私は正直に答える)、う〜んと▲▲円引いて、電気代と水道代は?(これも私は正直に答える)これも引いて・・・」
      と、楽しそうに計算している。

      ここまでは生意気の極みだが(私には滅茶苦茶面白いのだけど)、その後のS坊の一言は、私をうならせた。ああ、やはり子供だなあと感心した。

      「いろいろ引いたら
      ◆◆円残るじゃん。そしたら先生が3人いるから3等分して(ここでまた筆算)・・・ 猫ギター先生の給料は、○○円やろ?」

      夏講には私と帰省中の学生講師2人の計3人の人間が塾で教えているが、S坊は殊勝にも、塾の儲けを、私を含めた講師3人で平等に分けると思っているようなのだ。

      おお、この辺がかわいいなあ。子供だなあ。

      正直言うとね、3人で平等には分けないよ。先生はね、経営者だから、他の先生よりもたくさんもらっているよ。
      でも、S坊に真実を話そうとして、やめた。

      別にS坊の愛すべき平等心に、がめつい大人の1人として傷をつけたくなかったわけではない。私が他の講師より所得が多いという事実を話せば、S坊にマシンガントークで激しく攻撃されるに決まっているから黙っていたのだ。
      「先生、それええんか、もらいすぎやわ。まちがっとるわ。」
      とかなんとか言われるに決まっているのだ。

      それにそんなこと話したら、S坊はますますうちの塾の経営に興味を魅かれ、私や学生講師がいくら稼いでいるか、具体的な金額や比率について言及してくるに違いない。
      説明すればするほど、S坊の中で私の姿は、資本家の肥えた豚のように映るに違いない。

      私はS坊の好奇心をうちの塾の経営から引き離すために、彼に会社四季報を与えて、せっせとその読み方を教えている。S坊、もっと大きい世界を見ようよ。

       

      (彼はいま九大の3年生。関西弁に博多弁が混じった、雑種のバリバリの方言を話す)
      | uniqueな塾生の話 | 19:29 | - | - | ↑PAGE TOP
      カラオケの失態「紅」と「命くれない」
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        私が大手塾の講師だった頃、よくカラオケに行った。

        ブログの文面のイメージからして、意外だと思われるかもしれないが、私は結構仲間や同僚で集まると気をつかうほうで、カラオケボックスへ行っても飲み物や食べ物を注文したり、エアコンの温度調整をしたり、選曲ボタンを押したり、キーやテンポを変えたりするのは、たいてい私の役目である。

        仲間や同僚同士の集いで幹事をやったり、パシリをしたり、潤滑油的な存在になるのが、私は好きだ。

        さて、そんなある日、私が25〜26歳ぐらいの時であろうか、講師どうしでカラオケに行った。その日は珍しく、事務担当の女性の方が3人一緒に行くことになった。

        カラオケは盛り上がった。チェッカーズ・チャゲ&飛鳥・中森明菜・浜田省吾・サザン・ユーミン・・・・
        講師も事務の女性の方も、みな思い思いの選曲でカラオケを楽しんだ。

        しかし、事務の女性の方の藤田さん(仮名)は、みんなの歌を楽しそうに聞いていたが、自分から歌おうとはしなかった。
        藤田さんは30代前半くらい。ちょっと小太りでもっさりした、ジャイアンのママを大人しくしたような、正直言って暗い感じのシャイな方だった。

        私は藤田さんに気を利かせて、同僚の講師がマッチの「ギンギラギンにさりげなく」を大音量で歌う中、
        「藤田さん、何かお歌いになります?」
        と尋ねてみた。シャイな人は自分が歌の輪の中に入りたくても、なかなか自分からは言い出せないものだ。

        藤田さんは少し迷ったあと、小声で
        「じゃあ、「命くれない」をお願いします」
        と私に言った。そうか、藤田さんは演歌を選曲するか。結構イメージ通りの選曲だなと内心思いながら、私は瀬川瑛子の「命くれない」をリモコンで選曲した。

        2〜3曲後に藤田さんが歌う、「命くれない」のイントロが流れた。
        それまで講師や事務の女性の方々は、松田聖子の「制服」とか、吉川晃司の「サヨナラは8月のララバイ」とか、杉山清貴&オメガトライブの「ふたりの夏物語」とか、若いポップス系の賑やかな曲ばかりが選曲していたので、「命くれない」のド演歌イントロは、カラオケボックスの雰囲気を、若者の集いの場から、銀座や北新地のネオン街へと強烈に変えた。

        私は「命くれない」の「これぞ日本の演歌の王道!」みたいなイントロが流れる中、マイクを藤田さんに差し出した。

        「どうぞ!」

        他の講師や事務のお姉さん達も、「藤田さん、しぶ〜い」とヤンヤの喝采だった。

        しかしマイクを渡された藤田さんは、マイクを受け取らず、キョトンとした顔をしていた。

        私は「藤田さんの「命くれない」ですよ」とマイクを再び渡そうとした。

        でも藤田さんは
        「こんな曲、私選んでいません」
        と、少し怒ったように言った。

        私は戸惑いながら
        「でも・・・「命くれない」じゃなかったんですか?」
        と尋ねた。

        そしたら藤田さんは
        「私が頼んだのは「くれない」です」



        「くれない?」



        私は「くれない」という曲を知らなかった。



        いや、「くれない」って、もしかしてXの「紅」のこと?



        まさか。



        藤田さんがXの「紅」を歌うの? イメージが違う。違うよ・・・



        ほんまかいなと思いながら、藤田さんに私は
        「「くれない」って、Xの「紅」ですか?」
        と、おそるおそる聞いてみた。

        藤田さんは私を睨みつけるように
        「そうですよ」
        と答えた。

        藤田さんが「紅」を私に選曲してくれと頼んだ時、皆が大音量で歌っていたので、「命くれない」と聞き間違えてしまったのだ。
        私の脳細胞が藤田さんのルックスに無意識に反応して、「くれない」の前に、「命」という言葉を勝手につけてしまったのだ。

        もっさりした藤田さんと、Xのイメージは全く結びつかなかった。

        「命くれない」は ♪あなた、おまえ、夫婦みち〜というホットな夫婦愛の歌。
        「紅」は ♪紅に染まったこの俺を、慰める奴は、もういない〜というYOSHIKI的ヤンキー美学に染まった、自傷系の歌。
        あまりにも対照的だ。

        藤田さんはどう見ても、「♪夫婦みち」が相応しいルックスと性格の人だ。
        YOSHIKIの血の匂いより、瀬川瑛子の白粉の匂いの方が似合っている。

        とにかく、「命くれない」と「紅」は180度違うタイプの曲だ。
        分度器にたとえてみるなら、「紅」が0度、「命くれない」が180度とすると、藤田さんの角の大きさは178.5度ぐらい、「命くれない」に限りなく近い人だ。

        ああ、恥ずかしかった。藤田さんに悪いことをしてしまった。
        結局藤田さんは、その日、何も歌わなかった。
        「命くれない」は私が歌った。

        X好きの藤田さん、元ヤンキーだったのだろうか?

        | 未分類エッセイ | 15:50 | - | - | ↑PAGE TOP
        猛烈な東大コンプレックス
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          私は25歳ぐらいまで、異常に東大コンプレックスが強かった。

          私が東京を離れ、地方に隠居生活しているのも、東大のある東京から去りたかった、と無意識に思っていたんじゃないかと、今にしてみたら思う。
          やっぱり小学6年生の頃から東大を意識して夢破れると、コンプレックスが強くなるのも無理はない、のかな?

          東大コンプレックスが強い私は、25歳まで、地下鉄丸の内線と京王井の頭線に乗れなかった。
          理由は、丸の内線には本郷三丁目、京王井の頭線には駒場東大前駅があるからだ。どちらの駅も東大キャンパスの最寄り駅だ。

          丸の内線でも、御茶ノ水から新宿・荻窪方面なら平気で乗れた。しかし御茶ノ水駅から池袋へ向かうラインには、どうしても行けなかった。「本郷」という文字を見ただけで、胸が萎縮しそうになった。

          京王井の頭線は全く駄目だった。1回大学生の時乗ってみたが、井の頭線に乗っている若者が、みんな東大生のような気がして、この場から消え入りたいような恥辱的な心境になった。
          それ以後は渋谷から吉祥寺に行く用事があっても、わざわざ山手線で新宿まで行って、そこから中央線快速に乗り換える、遠回りの道を選んだ。

          TVに東大卒の人間が出たら、すかさずチャンネルを変え、目を逸らした。
          香川照之・加藤登紀子・舛添要一・草野仁・黒田あゆみ・・・・

          小説家に関しては、東大卒かどうかはあまり気にならなかった。というか、日本の文学史から東大卒の作家を除いてしまったら、誰もいなくなってしまう。
          夏目漱石・森鴎外・芥川龍之介・三島由紀夫・太宰治・川端康成・志賀直哉・谷崎潤一郎・・・
          彼らはみな東大卒だ。

          ただ、明治時代の東大の光景が痛いほど出てくる「三四郎」は、正視できなかった。

          サンデー毎日の「東大合格者名」が掲載される時期になると、「東大」の赤い大きな文字が目に付かないように、書店の雑誌売り場を避けた。

          25歳ぐらいまで、私は情けないくらい権威に弱かった。
          よく人は官僚支配を批判するが、私は官僚に選ばれる人間の優秀さと、人に祝福されて学生時代を過ごしてきた人間独特の、ガツガツしない人柄の良さを肌身で知っていたから、「日本の官僚は無能だ」と嘘をつくことは、死んでもできなかった。
          そう言った瞬間私は、無能なくせに嫉妬心の強い男であることがばれてしまうと思った。

          昔、貴乃花が横綱になってはじめて、明治神宮で土俵入りを披露した時、先日亡くなった父親の二子山親方が、澄ました顔だが感無量の面持ちをしていた。
          息子が綱を張って、さぞ嬉しかっただろう。

          二子山親方は、内臓疾患もあって、結局大関止まりで現役生活を終えた。
          しかし、自分が果たせなかった横綱になる夢を息子がかなえた。自分ができなかった横綱土俵入りを、息子が堂々と披露している。
          私も「二子山親方みたいになりたい」と思った。教え子を自分の手で東大に合格させたいと思った。

          貴乃花親子は、その後はいろいろゴタゴタがあり、二子山親方は必ずしも世間的には幸福な死に方はしなかったが、息子が土俵入りした瞬間を見ただけでも、私なら「この世に生まれて良かった」と、幸福の余韻を残して死ねるだろう。
          | 未分類エッセイ | 20:34 | - | - | ↑PAGE TOP
          定期試験で過去問解かせる行為は卑劣
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            近所のある塾から、うちの塾に転塾した子は定期試験の点数が下がる。転塾したての頃は、5教科450点の子が380点ぐらいに減る。それは近所の塾が、定期試験の過去問を集めて、解かせているからだ。

            私は絶対に定期試験の過去問は解かせない。というか過去問を汚物扱いする。

            われわれ塾の仕事は、中学高校大学入試で、合格点を取らせることである。入学試験には同じ傾向の問題は出るが、全く同じ問題は出ない。日常的に定期試験の過去問を解かせて、実力以上の点数を取らせることに、何の意義があるのか、さっぱり理解できない。

            定期試験の過去問を解かせることは、カンニング以外の何者でもない。卑劣な行為だ。真の学力をつける行為ではない。
            そんな勉強法を取って、中学生時代に定期試験で実力以上の点数を出していた子は、高校に入って自分本来の力に気付き、愕然とするのではないか?

            また、テストを使い回しする学校教師は、いったい、どういうつもりなのか?
            テストを作る手間を惜しんでいるのか?
            自分の手抜きが、塾側に悪用されている事実に気付いているのか?

            学校の先生は毎回テストを作り変えなければならないし、塾は過去問を解かせるという行為を止めなければならない。そんな当たり前のことができていない。

            学校教師の手抜きと、塾講師の破廉恥さが作り上げた通知表の評価で、内申点という公式文書が作られ、高校入試の判断基準になる。
            これでは真面目に勉強して来た子がかわいそうだ。

            | 高校受験 | 16:31 | - | - | ↑PAGE TOP
            大学生・一人暮らしの貧乏食(外食編)
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              進学・就職で、4月は親離れをする若者が増える時期だ。

              新しい世界で一人暮らしを始めた若者は、最初の2ヶ月は親の目から離れ、羽根を伸ばしたような解放感に浸れるが、時が経つにつれ懐が寂しくなり、親が恋しくなる。というか、親の作るメシが恋しくなる。
              黙っていても食事が「自動的に」出てくる状況が、いかに有り難いことか身にしみてわかる。

              私は中学1年から、一人親元を離れて暮らしてきた。
              中学高校時代は、朝飯晩飯は下宿のオバサンが作ってくれたが、昼は自腹だった。13歳の頃から、毎日エサ探しに悩んだ。

              食い物を買う金が無い時は、弁当のにおいが充満している教室を離れて、学校の近所をウロウロ歩きながら昼休みを過ごした。腹が減って泣きそうになった。
              十代の時に結構ひもじい思いをしたから、今の私は人一倍食べ物に対して執着心が強い男になってしまった。

              大学生の頃は、親と喧嘩していたので仕送りがほとんどなく(月に3000円くらい)、いかに食費を切り詰めるかが至上課題だった。

              大学近くの定食屋には、よく通った。
              「いつも、どうも、ありがと!」とおじさんが必ず挨拶してくれる定食屋「TOKIWA」や、チョコとん(チョコが挟んである豚カツ)というゲテモノメニューで有名な、チーズメンチカツが美味い「ふくちゃん」、飯が大盛りで途中1回カレーをかけてくれるサービスのいいカレー屋「藤」は重宝した。

              ただ、そんなリッチな定食屋に通うのは金がある時だけで、金欠の時は専ら200円の「牛丼太郎」だった。
              吉野家は今と違って牛丼が並が400円、マクドナルドのハンバーガーも200円以上して、結構高かった。

              だから牛丼太郎の200円という価格は破格だった。牛丼に使われている肉は、本当に牛肉なのか非常に疑わしい、赤身と脂身がくっきり分離した形状をしていたが、それでも肉の味がしたので嬉しかった。

              また大学の第一学生会館地下のカレーもよく食べた。
              ここのカレーは褐色というより黄色で、肉なんてひとかけらも入っていなくて、パサパサしたグリーンピースと半生の玉ねぎが具の、お世辞にも美味いとはいえないカレーだったが、一皿確か170円だったので日常的に食べていた。

              このカレーの皿はプラスティックで、皿の底はカレーの黄色が染み付き、ちょっと不潔っぽかったのだが、そんなことはお構いなしに食った。

              あと私が一番好きなのは餃子の「王将」だ。餃子定食は餃子2人前とライスとスープがついて確か500円ぐらいだった。
              それでも金欠の時は高かったので、餃子1人前とライス大盛りというパターンが多かった。これなら300円前後で食費が浮く。
              「王将」の餃子は今も大好物で、京阪神に行ったら必ずと言っていいくらい立ち寄る。「王将」の餃子の、ちょっと下品っぽく油濃い味が大好きだ。B級グルメの代表格だ。

              外食でも、安く済まそうと思ったら、いくらでも安くなる。
              しかしピンチの時は、やっぱり自炊に限る。私は自炊もよくした。金のかからない自炊の話はまたいつか・・・

              とにかく一人暮らしをする皆さん、何とか安くて美味い飯屋を探し出して欲しいです。

              | 未分類エッセイ | 15:40 | - | - | ↑PAGE TOP
              「ドラゴン桜」の影響力
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                首都圏や京阪神の難関高校の生徒にとって、東大は現実的な目標だ。

                難関高校の教室では、東大という言葉が
                「お前どこ受けるの?」「文2」「ふ〜ん、オレ理1」
                という具合に、ごく日常的に語られている。

                むしろ開成や灘は、東大か医学部に合格しないと、「親の期待を裏切った、人生の落伍者」扱いされ、世間のさらし者になるような気がする。被害妄想かもしれないけど・・・


                ところが地方の高校生は逆に、勉強ができる子でも「東大受ける」なんて周囲に言いふらすと、変人扱いされるか、冗談だと受け止められる場合が多かった。

                東京に住んでいる人には意外なことだろうけど、地方には東京に行ったことがない高校生が結構いる。地方の高校生にとっては、東京という街ですら未知の世界なのに、ましてや最高学府の東大なんて、現実的にイメージできない。


                東大に対してリアルなイメージをもてないから、模試の偏差値で「東大B判定」とか出ても、「本当にオレ、東大に合格する可能性あるのか?」と疑ってしまっていた。

                都会の高校生がハーバードやオックスフォードに現実感が無いのと同じくらい、地方の高校生は東大に対してリアルな実感が沸かなかったのかもしれない。


                また、開成の東大合格者数が180人、自分の高校が4年に1人という数字を聞くと、学力を持つ地方の高校生でも、東大に対して怖気づいてしまう。

                田舎の宝くじ売り場は、1等賞が4年に1回しか出ないから当選は無理で、1年に180本も当たりが出る東京の開成売り場で買ったら3億円は当たりやすい、そう考えているのと全く同じことだ。
                とにかく、難関高校には東大へ集団で乗り込む列車が用意されている。難関高校の生徒にとって、最も自然な進路は東大なのだ。


                ところが、地方の公立高校の優等生にとっては、東大は孤剣を携えて単身で乗り込むところだった。東大は孤独な戦いを余儀なくされる、異常で特別な場所だった。

                そんな状況を「ドラゴン桜」は変えた。

                 

                「ドラゴン桜」を読んだのは、地方の公立高校の優等生達だけではない。難関高校の生徒も同じように読んでいる。
                むしろ、東大が身近な存在である難関高校の方が、「ドラゴン桜」を読んだ生徒の割合は高いだろう。教室内でも絶対話題になっているはずだ。

                「ドラゴン桜」が、勉強ができる高校生の東大熱を煽ったと仮定するなら、地方の公立高校生だけではなく、開成や灘やラサールの高校生の東大熱をも高めたことになる。

                しかし、そうはならなかった。理由は何故なのか?

                首都圏や京阪神の難関高校の生徒は、東大の「限界」を知っている。
                首都圏や京阪神なら、身近には東大生や京大生の先輩や親戚がいて、東大に入っても人が羨望するような絶対的幸福や金銭を手にしているわけではないことを、肌身で感じている。
                東大生は、他の大学を出た人間より、1.5倍くらいの「いい生活」しかしていない。1.5倍という数字では、若者は満足しない。


                結局、頑張って東大に入っても、いずれはビジネスマンや技術者として、組織に属さなければならない。
                おまけに組織内での出世競争・生存競争は激しい。たとえ財務省に入省しても、事務次官や主計局長になれるのは、同期で1人いるかいないかで、あとは競争から脱落する。

                また組織での競争は、学生時代のわかりやすい偏差値という基準で勝負が決まるのではない。会社組織では、若者には得体の知れない基準が勝者と敗者を決める。その基準がよくわからない。不気味だ。
                おまけに組織では、自分の生殺与奪の権利を、組織の上司に握られる。首にナイフを当てられたような状況で仕事をしなければならない。

                ところが医学部だと、大学病院や総合病院を退職する事態になっても、開業医として生きてゆける。組織からはみ出しても、満ち足りた生活が保障される職業は、高校生が想像する限り医者しかない。
                そんな現実を知っているからこそ、難関高校の生徒達は、「ドラゴン桜」の東大ファンタジーには酔わなかった。医学部という堅実な道を選んだ。

                しかし、医学部志向が強まったとはいえ、灘や開成の合格者数の減少ぶりは半端ではない。
                おそらく、灘や開成では合格者が減っただけではなく、不合格者が大幅に増えていると推測される。昨年までなら余裕で東大に合格した高校生が、不合格になっている。

                それはなぜか?

                 

                「ドラゴン桜」を読んで、一番影響を受けたのはたぶん、高校生自身ではない。むしろ高校の先生のほうが、「ドラゴン桜」という漫画に素直に感化されたんじゃないか、と思う。

                たとえばもし、私が地方の公立高校の教師だったら、絶対に「ドラゴン桜」の影響を受ける。間違いない。阿部寛が乗り移ったような、東大一直線教師になるだろう。

                というのも、私は小さい頃から青春ドラマが好きだった。「飛び出せ!青春」の村野武範みたいな熱血教師を格好いいと思った。教師になって、クソ生意気だが骨のある、剛たつひとや石橋正次みたいな思春期の若者と喧嘩し、仲直りをして共に涙を流すシチュエーションに憧れた。


                また私はスポーツができないくせに、スポ根マンガが大好きだった。
                「あしたのジョー」や「巨人の星」や「スラムダンク」や「やったろうじゃん」や「はじめの一歩」や「MAJOR」は大好きな漫画である。

                だから、私がもし高校教師になったら、クラブの鬼顧問になりたい気持ちを人一倍持つだろう。高校生をビシビシ鍛えてやりたい。
                しかし残念ながら私は運動神経が鈍い。特に球技はからきし駄目だ。野球部の顧問をやってノックをやろうと思っても、バットに球が当たらない。ノックバットで空振りする顧問に野球を教える資格はない。

                サッカーになるともっと駄目だ。小学生のとき、友人達とサッカーをする時は、いつもキーパーだった。私達が子供の頃はキーパーに対する大きな誤解があって、肥満児がキーパーをやるケースが多かった。表面積が広いから、ボールが当たる確率が高いと思われていたのだろうか?

                そんな情けない私には運動部の顧問はできない。だから、ただ淡々と授業をやって家に帰る、生き甲斐を持てない高校教師になっていただろう。
                そんな閉塞された運動音痴な高校教師を「ドラゴン桜」は変えた。仕事にやりがいを与えたのだ。





                ★開成塾・大学受験
                尾道市向島・定員7名・少数精鋭



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                ワサビは醤油に溶くか、刺身で包むか
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                   寿司にワサビは欠かせない。

                  特にマグロは絶対だ。トロでも赤身でもヅケでも鉄火巻でも。
                  マグロにワサビが触れたとたん、化学反応起こして一心同体渾然一体になるんじゃないかと思うぐらい、相性はピッタリだ。

                  しかし寿司ダネなら、なんでもかんでもワサビをつければいいもんじゃない。

                  特にイカ。イカは合わない。私にはイカとワサビが絶妙の組み合わせだとは到底思えない。
                  マグロとワサビの組み合わせは素晴らしい。でもイカの寿司に挟まっているワサビは非常にタチが悪い。イカのワサビは、鼻の奥で辛さが強烈に爆発し、阿鼻叫喚の心境を思う存分味あわせてくれる。

                  特に回転寿司のイカはひどい。握ってくれるアルバイトの兄ちゃんは、マグロもイカもたっぷりと同じ量のワサビをつける。修行した職人なら、ワサビをトロにはたっぷりイカには少しと、技巧を施してくれるだろうに。
                  回転寿司で、半透明なイカの身の裏側に、たっぷりと緑のワサビが透けているのを見ると、恐怖を感じてしまう。

                  また、ワサビを刺身に乗せて食うか、それとも醤油に溶くか、とても難しい問題だ。
                  寿司屋だったら、職人が適量のワサビを厳密に計算して握ってくれる。食い手はただ、安心して職人に身を任せていればいい。

                  しかし刺身はそうはいかない。ワサビの量は食い手の裁量に任されている。
                  ワサビのつけ方を観察していると、人それぞれだ。
                  鮫皮で丁寧にすった、緑鮮やかな本ワサビを無造作に醤油に溶かしている人を見ると、
                  「邪道。味のわからん奴だ。もったいない。練りワサビ食っとけ。」
                  と軽蔑したくなる。

                  逆に、顕微鏡の標本を扱うみたいに、神経質にワサビを刺身にちょこんとのっけて、丁寧に包むようにして食べている人を見ると、「気取った食い方しやがって。上品ぶらんと、どばっと豪快に喰らわんかい!」と突っ込みを入れたくなる。

                  結局、どうすればいいのだろう。

                  どっちで食べても一長一短。帯に長し、たすきに短し。

                  ワサビを刺身に乗せて食べると、ワサビの刺激的な香りと、辛さの中に秘めたる自然の甘さをしっかりと味わうことができる。しかし刺身一切れごとに、ワサビを乗せなくてはならない。これは少々面倒くさい。
                  マグロだったら多めに、白身やイカは少なめにと、刺身一切れ食べるごとに、頭をフル回転させてワサビの適量を決めなければならない。ワサビの加減の計算で、脳が疲れてしまう。

                  そして、乗せるワサビの量を間違ったら大変なことになる。ワサビが少ないと腑抜けな味になるし、ワサビが多いと阿鼻叫喚の世界に突入し、間抜けな姿を周囲の人にさらしてしまう。
                  おまけにワサビにも、辛いワサビと辛くないワサビがある。少量でも激辛のワサビもあれば、大量につけてもちっとも辛味を感じないワサビもある。この辺をきちんと把握しておかなければならない。

                  また、ワサビを刺身に乗せる食べ方は、食べる人の箸使いが上手か下手か、露骨にわかってしまう。
                  箸を使って、ワサビを刺身にちょこんとのせる、ワサビを刺身でくるむ、刺身を丸めた状態で醤油につけ、口に運ぶ。そんな一連の動きで、箸の使い方が試される。

                  ワサビのつまみ方や刺身の丸め方で、箸使いの拙劣さが暴露され、食べる人に礼儀作法が身についているかどうか、一目瞭然でわかってしまう。
                  実に危険な食べ方だ。

                  逆に、ワサビを全部醤油に溶かす昔ながらの食べ方は、ワサビの刺激と甘さを舌で直接感じ取ることができない。せっかくの清冽なワサビをどぶに捨てるような感じもする。
                  まだ生ワサビが流通していなくて、粉ワサビしかなかった頃の食べ方の名残だろう。

                  しかも最近のトレンドは、ワサビを刺身に乗せる食べ方が主流になっている。グルメ本やグルメ漫画では、ワサビを醤油に溶いて食べる人は、時代遅れの無教養な人と見なされている場合が多い。

                  でも、ワサビを溶かした醤油を刺身につける食べ方にも長所はある。それは、刺身全体にまんべんなくワサビの味が行き渡ることである。おまけに、刺身1枚ごとに、ワサビの量で迷う心配がない。刺身を取って、ただワサビ醤油につけるだけでいい。頭を使う必要がない。

                  刺身の食べ方にさんざん迷った私は、ワサビの半分を醤油に溶かし、半分は乗せて食べる、というやり方で食べている。ワサビを溶かすことで刺身にしっかりとワサビ醤油の味をコーティングすることができ、またワサビを刺身に乗せることで刺激と甘さも味わえる。

                  今のところ、私にとって刺身の最良の食べ方だ。

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