猫ギターの教育論

尾道市向島の塾「US塾」塾長のブログ 早稲田大学・開成高校出身 本音が飛び交う、少し「上から目線」の教育論
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井上陽水の狂気
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    井上陽水,忌野清志郎,奥田民生,星勝,佐藤準,鈴木茂,久石譲,矢野誠,井上陽水奥田民生,川島裕二,高中正義
    ¥ 3,329

    今の若い子は、井上陽水知らない。

    ただ、学校で歌わされているのだろうか、「少年時代」は結構知名度が高い。でも「少年時代」は井上陽水の代表曲かもしれないが、最も井上陽水らしからぬ曲である。

    「少年時代」は文部省唱歌みたいで、井上陽水の狂気や、堅気のオッサンではない異常性が伝わらない。井上陽水は、「天然ボケ」ならぬ、作為のない「天然狂気」の人である。

    「夢の中で」は井上陽水らしい変な曲だ。

    ♪探し物は何ですか 見つけにくいものですか 
     カバンの中も 机の中も 探したけれど見つからないのに
     まだまだ探す気ですか それより僕と踊りませんか
     夢の中へ 夢の中へ
     行ってみたいと思いませんか
     ウフフ ハ〜ア


    どうしてこの歌は突然、「それより僕と踊りませんか」と唐突な展開を見せるのだろうか?
    謎だ。

    また、「傘がない」。25歳ぐらいまで、傘を持たずに街を歩いて、突然雨が降ってきた時に、無条件反射のように頭に浮かんだ曲だった。

    雨が降っても傘を買う金がない。ビニール傘はコンビニで500円かかる。濡れるしかない。
    しかし、この曲に登場する青年は、傘がなくても「君に会いに行かなくちゃ」と、会いにいける彼女が待っている。
    彼女がいない俺は何なのか。「傘がない」の曲の中の若者より、俺のほうが不幸じゃないか。時にはナメクジのようにぬるく、時には氷のように冷たい鬱陶しい雨粒に濡れるたび、一人でブツブツ心の中でつぶやいていた。

    それにしても、井上陽水の詞も声もシニカルでコミカル。声と詞がこんなに融合した歌い手はなかなかいない。

    たとえばもし、陽水の詞を吉田拓郎が歌ったら、強い拒絶反応を感じるに違いない。

    ♪飾りじゃないのよ涙は ハッハ〜ン
    と拓郎が歌ったら気持ち悪いし、逆に陽水が
    ♪人間なんて ララララララララ〜
    とやったら、人間讃歌的なメッセージソング色は皆無になり、アンニュイでアバンギャルドな歌に大変化する。

    私が日常的に聞いている日本のポップスは圧倒的にサザンが多いが、アナーキーでファンキーな井上陽水を、たまに聴きたくなる。

    | 音楽批評の部屋 | 21:21 | - | - | ↑PAGE TOP
    欧米に塾がない理由
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      アメリカやヨーロッパに塾がないのは、宗教の影響が大きいだろう。

      欧米ではキリスト教の影響が強く、日曜日は安息日になっており、人間としての営みを最小限にして神とともに過ごす時間ということになっている。
      日曜日は神と過ごす時間なのだから、塾の先生と一緒に過ごしてはならないという訳なのだろうか?
      だから欧米人は、日曜日スパッと休む。

      たとえばロンドンは、日曜日はかつてデパートや商店は全面的に休みだった。
      ここ数年、デパートは日曜日にも開店するようになったが、それでも開店時間は正午から午後6時までと、圧倒的に短い。
      だからロンドンの日曜日の夕方は閑散としている。ゴーストタウンのようだ。

      逆に日本人は、土曜日・日曜日に暇をもてあますことができないらしい。デパートは稼ぎ時だ。日本人は遊びに忙しい。また土日も骨身を削って働く人もいる。
      平日も休日も動きまくる。日本人は動いていないと死んでしまうマグロやカツオのようだ。

      だから日本の大人は、子供が休日ダラダラしていると不安になる。子供にも休日に動いてもらわない時がすまない。
      土日の「貴重な」時間を利用して勉強すれば将来凄いことになるんじゃないか、そんな欲も出てくるし、よその子はせっせと塾に通っているから、自分の子も塾に通わせる。

      どうせ子供は自分で勉強できないんだから、どこか評判のいい塾に預けよう。そんな親の気持ちが塾を流行させ、受験熱はヒートアップするのだろう。そんなわけで子供の休日は塾通いで潰れる。

      そもそも日曜日というものを作り、7日に1日は休みにしようという概念はキリスト教圏ののものである。
      日本に「週」という概念が導入され、日曜日が終日休日に、土曜日が半ドンになったのは、明治以降のことだ。

      江戸時代以前の日本に日曜日はなく、正月と盆の薮入りで丁稚や奉公人が自宅へ帰るのを許された以外は、まともに休日などなかった。月月火水木金金じゃないけど、日本人は放っておいたら毎日働く民族だったのである。

      もしかしたら今でも日本人の体内時計に日曜日は組み込まれていないのかもしれない。

      よって日本人の子供が、学校や塾に拘束される時間は、途方もなく長くなっている。

      平日は朝7時からクラブの朝練、8時半から16時まで授業、16時から18時までクラブ活動、19時から22時まで塾。土日もクラブの練習や大会、そして塾で休む間もない。

      これを大人の世界にあてはめると、9時から17時まで勤務したあと、夜また別の職場で働かなければならない、ということなのである。
      しかも別の職場は土日にもある。
      しかも、宿題という在宅勤務までたっぷりと用意されている。

      子供が疲れないわけはない。

      ところで、私は儒教についてはまるっきり素人だが、日本や韓国や台湾など儒教文化圏の地域で塾が流行っていて、起きている時間全て勉強で埋め尽くさねば気がすまない、「蛍雪の功」的な狂気スレスレの勤勉さを見ると、儒教文化とどうしても結び付けたくなってくる。

      そういえば閑散とした日曜の夕方のロンドンも、チャイナタウンだけは暗黒の中の篝火のように、とても活気があった。

      | 軟派な教育論 | 13:55 | - | - | ↑PAGE TOP