猫ギターの教育論

尾道市向島の塾「US塾」塾長のブログ 早稲田大学・開成高校出身 本音が飛び交う、少し「上から目線」の教育論
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中1男子のピカチュウのカバン
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    中学生になると子供が変わる。
    女の子は小6あたりで俄然雰囲気が変わる子が多いが、男の子は少し遅くて、中1の夏休みくらいから中2の初期にかけて、「別人のように」までとはいかないが、なんだかキャラが違ってくる。

    色気づき、反抗期になり、体が汗臭くなり、無口になり、無愛想になり、顔が鋭角的になり、声変わりし、髪型服装に気を使い・・・挙げるとキリが無い。

    ところで、こんなカバンがある。

    IMG_2745.JPG

    お母さんの手作りか、バザーで売ってそうなカバンだが、小学生は塾の通塾カバンに使っている子が多い。

    中1のクラスでも、こんなカバンを結構見かける。
    中1の生意気盛りの男の子が、怖い顔して可愛らしいカバンを持って通塾してくる姿は、アンバランスで微笑ましい。

    しかしこんなカバンを持ってくる男の子は、中2になるとほとんどいなくなる。
    ある日突然、普通の肩掛けカバンやリュックに変わってしまう。
    中3になると天然記念物だ。

    大人の目から見たら可愛いカバンだが、反抗期成長期の男の子のダンディズムには大きく反するのだろう。
    | 塾の様子ガラス張り | 20:46 | - | - | ↑PAGE TOP
    「チャングムの誓い」を日本でリメイクしたら
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      いまさらながら「チャングムの誓い」は面白い。
      韓国の宮廷で、可愛くて我慢強いチャングムが、いじめられながら料理の世界(のちには医学の世界)で立身出世する話だ。「スチュワーデス物語」と「美味しんぼ」を合体させたような話だ。

      むかし総合テレビで途中から見たが、15分くらいで物語に引き込まれてしまい、これは途中から見たらもったいない、最初から見なければと思い、第1話からDVDを借りて見ている。

      ところで韓国も中国も、王朝は共に1910年あたりで滅亡しているので王家に対する遠慮が無いのか、皇帝や王が暴君や阿呆であってもリアルに描写し、宮廷の一般庶民には不可思議な慣習やしきたりを、好き勝手に描いている。

      逆に日本の天皇家は今も現役バリバリだから、映画やテレビでは、どんなに大昔の出来事であっても、天皇や皇室内部のことを描くのは難しい。ましてや現在の皇族のことなど、金輪際描けぬ。「美智子さま雅子さま・嫁姑の確執物語」なんてドラマは絶対に電波に乗せられぬ。

      天皇家には過度に遠慮するメディアだけれど、その反動ゆえか、江戸時代の幕府や大名に対しては容赦ない。
      どんなに映画やドラマで将軍を悪辣極まりない暴君に描いても、どんなに大奥を淫らな性の破廉恥場にしても、権力を失った徳川家の子孫は文句を言う力が無い。

      現代の日本では、将軍家は「いにしえの没落権力」、天皇家は「リアルな権威」であり、将軍家大名家はメチャメチャに茶化すが、天皇家に無礼なことはできない。
      日本のメディアでは、「暴れん坊将軍」「志村けんのバカ殿様」はいいが、「暴れん坊天皇」「志村けんのバカ宮様」は許されないのである。

      さて、「チャングムの誓い」を日本でリメイクしたらどうなるか?
      リメイクしたらどんな日本の俳優が演じるのがふさわしいか、考えてみよう。

      まずチャングムの母は鈴木京香。「チャングムの誓い」でチャングムの母を演じる女優さんは、鈴木京香が生理痛になったような顔をしている。
      チャングムの母が、子役のチャングムの足を棒で打つシーンがあるが、鈴木京香に子供の折檻シーンを演じさせると、妙な色気が引き立つだろう。

      チャングムの父は平田満。笑顔がそっくり。
      意地悪な太った婆さんチェ最高尚宮は野村昭子。佐々木すみ江でもいい。

      チャングムの母の親友で、宮中に入った幼いチャングムの教育係であるハン尚宮は樫山文枝。顔が何となく似ている。
      あと、意地悪役の女官に名取裕子は絶対必要。彼女は大奥や宮廷には欠かせない。
      優しいが坊っちゃん気質の中宗には野々村真がいいんじゃなかろうか。

      チャングムは誰がいいのだろうか?
      | 映画テレビ | 06:20 | - | - | ↑PAGE TOP
      伊藤和夫と中原道喜
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         最近「つまらない」授業に凝っている。
        声を落として喋る。声に抑揚はつけない。淡々と言葉と言葉の「間」を大事にしながら話す。

        もちろん、小学生や中1に対しては大きな声を出し、馬鹿チックで元気いっぱいな授業をやろうと心がけている。
        「つまらない」授業をやるのは中2以上の学年で、早口で喋らないと生徒が話を聞かないんじゃないか、教室を言葉のマシンガンで乱射しないと良い授業とは言えないんじゃないか、そんな恐怖に耐えじっくりと語る。

        若手のヘタクソな落語家ほど早口だ。全盛期のビートたけしぐらいの頭の回転の速い人なら早口は格好いいが、私みたいに頭の回転が鈍く、滑舌の悪い人間の早口は聞き苦しい。
        だから、1つ1つの言葉を、活字を埋め込むようにゆっくりしゃべる。

        文学で言えば、過激な村上龍の文体から、静謐な村上春樹の文体に志向を変えたと言えばいいのか。
        言葉を子供に押し付けるのではなく、子供の心に1つ1つ「落とし込む」語りと形容すればいいのだろうか。
        もちろん、「つまらない」授業とは言葉のあやで、それは決して手抜きでも、ましてや老化では決してない。

        ところで、私がイメージする「つまらない授業」の理想とは、故伊藤和夫師の授業である。
        昔私が浪人生だった頃、夏に駿台予備校へ伊藤和夫師の英語の講義を聴きに行った事がある。
        伊藤和夫師の「英文解釈教室」は名著で、浪人の時英語の学力が滅茶苦茶だった私を、一応早稲田合格まで引き上げてくれた本である。
        この本の理屈っぽさが好きで、単語の羅列の暗号にしか過ぎなかった英文が、論理的にスパッと解きほぐされてゆく過程を、たっぷり味わせてくれた。
        特に「倒置」の章は圧巻で、世の中にかくも頭のいい人がいるのかと感心した。

        ただ、伊藤師の授業は他の若手講師に比べて、ケレン味のある派手なものではなかった。19歳の私は正直「なんだこれ」と思った。
        淡々とした授業で、内容は自身の著書と変わることなく、これなら講義を聴かずとも、著書を何度も読んだ方がいいかも、と生意気な感想を持った。
        伊藤和夫は、話し言葉よりも書き言葉に凄みが出る人だと思った。
        でもおそらく、今の私が伊藤和夫師の授業を聞いたら、授業の素晴らしさがわかるだろうにと確信する。

        また高校時代、私より1学年上の英語は中原道喜先生という方で、参考書や問題集も数多く執筆されている方だった。もう引退されたのだろうか。
        中原先生も、学究肌の静かな物腰で生徒を怒鳴るなんて光景が全く想像できないような先生で、私もチラッと授業を拝見したことがあるが、淡々とした授業風景なのに、生徒達は中原先生の「凛」としたオーラを嗅がされ、誰もが真面目にノートを取っていた。

        伊藤和夫師も、中原道喜先生も基本的には訥弁な方だと思う。「話し言葉」ではなく「書き言葉」の人だと思う。
        生身の姿が実際の姿で、書いた文章は仮の虚構の姿だという考え方もあるが、私は書き言葉にこそ、その人の知識や精神の深み、つまり本質が顕れると思っている。

        伊藤師も中原先生も、名声が凛とした空間を作るのか、凛とした空間を作れる男だから名声を得たのかわからないが、とにかくあんな授業を10年先の目標にしたい。

        刺激的で面白おかしい「テレビ的授業」ではなく、深く聴き手を傾聴させる「読書的授業」の方に、大きくシフトを変えていきたい。
        | 大学受験 | 20:54 | - | - | ↑PAGE TOP
        ダメ人間欠陥人間が活躍する「24」
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           「24」シリーズを見ていると、CTU職員には個性的な変人が多い。
          CTUは米国の危機管理を請け負う組織なのに、そこで働く職員はエリートとは程遠い人物だらけだ。癖が強すぎる。

          離婚とか、同性愛とか、精神的な疾患を抱えた肉親を持つとか家庭に悩みを抱え、性格的にも問題のある登場人物が多い。
          どの登場人物も、必ず何か日常生活に懸案を抱えている。

          しかし誰もが、小気味いいくらい仕事ができる。

          クロエは変な女だ。まず目つきが悪い。おそらく幼少の頃からいじめられっ子で嫌われ、パソコンしか語る相手がいない子だったろう。
          しかし仕事は滅茶苦茶できる。現場からジャックがややこしい調査を頼むのは必ずクロエだ。クロエの性格は誰もが避けているが、仕事ぶりは誰もが買っている。

          エドガーはデブだ。喫煙者とデブは意志が弱いと見なされ、アメリカの一流企業には就職できないと言われるが、エドガーはCTUという政府のトップ機関で何食わぬ顔で堂々と仕事している。
          原発に仕掛けられた爆発物の起動装置を解除し、大統領から仕事ぶりを褒められたこともある。

          アルメイダはクロエやエドガーとは違って、人格的にも能力的にも優れた男だ。しかしミシェルを助けるためにCTUを裏切る行動に走ってしまったり、本質的には熱情的な男である。またジャックとは必ずしも仲が良いとはいえないけど、アルメイダは自分より強い過激性を持つジャックの行動に最終的には魅かれてしまう。
          アルメイダ、顔をよく見るとゴリラみたいだが、男の色気が溢れている。

          ニーナは・・・・話がややこしくなるのでニーナの話はやめる。

          アルメイダはともかく、クロエもエドガーも「ダメ人間」「欠陥人間」の典型なのかもしれない。日本の企業面接では絶対に振り落とされるタイプだ。
          エドガーはデブはともかく顔が無愛想だし、クロエは眉間の皺だけで入社を拒否されてしまう。

          だが「24」では、組織に合わない人間関係もうまくない欠陥のある人物が、己の技量だけでCTUでは活躍し、アメリカ合衆国の危機を救っている。

          彼らのような非組織的な人間達が、組織に一番貢献できる姿を見せてくれる「24」は面白い。


          | 映画テレビ | 20:51 | - | - | ↑PAGE TOP
          「功名が辻」が最近面白い
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            NHK大河ドラマ「功名が辻」が最近面白い。
            番組開始当初は、キャストが爺臭くて、見ていて強い違和感があった。
            山内一豊の上川隆也の両脇は武田鉄矢と前田吟の家臣。信長は舘ひろし、秀吉の柄本明。

            何だか老人ホームの芝居みたいで、見ていて痛々しかった。
            特に柄本明が、実年齢の離れた卑屈な若猿を演じているのを見ると困惑した。

            しかし最近、秀吉の柄本明がいい。彼は信長生存時の秀吉はアカンかったが、晩年の朝鮮出兵、秀次謀殺あたりの秀吉を演じたらピカ一だ。
            明国皇帝の座への野心、幼い拾君への溺愛、北政所への恐妻家ぶり、淀君への好色爺ぶり、家康への懼れ、三成への信頼、秀次を邪険にする陰湿さ・・・
            晩年の秀吉の悪い部分を、感情の起伏をデフォルメさせ、実に上手く演じている。さすがだ。

            いまは秀吉・柄本明が、秀次・成宮寛貴を苛め倒す場面なのだが、秀次と仲の良い山内一豊夫妻の困惑が、柄本明の悪役振りの激しさによって大いに深まっている。

            柄本明を秀吉にキャスティングしたのは、まさに晩年のためだったのだ。
            若い役者に秀吉を演じさせたら、信長に小突き回されている時分はいいが、晩年の権力者の退廃ぶりは演じきれまいに。

            | 映画テレビ | 15:29 | - | - | ↑PAGE TOP
            部活熱心な子は受験前に成績が伸びる?
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              「部活を頑張っていた子は、部活を高3・中3で引退してから、勉強で猛烈なラストスパートをかける」という俗説があるが、果たして本当だろうか?
              部活で体も心も鍛え上げられたから、その力を勉強に受験前に生かせるというのが、その説の根拠らしい。

              しかし高校・中学3年間、物事すべてに一生懸命打ち込み「手抜き」という概念が頭にない子なら、勉強も部活もとっくに両立させてきたはずである。
              中学高校生活で、好きな部活だけに一生懸命になって、嫌いな勉強に手を抜いてきた子が、部活を引退したからといって急に勉強を始めるわけがない。

              人間とは、そんなに短期間では変化しないものである。中1から、いやもっと早くから勉強に「洗脳」しておくのが望ましいことは言うまでも無い。

              また、人間には得意不得意がある。私は運動よりも勉強の方がマシな子供だったが、「勉強をしばらくやめて、あと半年はサッカー頑張りなさい」と教師や親に命令されたら嫌だ。
              不得意で、しかもすることに意義が感じられないことに対して、いきなりモチベーションを高めるのは難しい。
              私がもし野球が大好きで甲子園を目指す中学生なら、部活を引退しても嫌いな勉強なんかしないで毎日素振りでもやっているだろう。

              ところで、部活は勉強が苦手な子のはけ口というか、逃げ道になっていた場合が結構多い。部活熱心は怠学の言い訳だったのか。そんな子はクラブ引退後、何から勉強に手をつけていいのか戸惑っている。
              高校生はともかく、9月・10月・11月と「部活燃え尽き症候群」にかかっている中学生は多いのではないか。
              いままで部活をやっていた夕食までの時間は、家で昼寝か、或いはテレビでアニメかドラマの再放送、もしくはゲームの時間になってしまっている。
              受験前の一番肝心な時期に無駄な時間をダラダラ過ごす。

              もちろん、中学生活で遊び呆けていた子よりは、部活に打ち込んでいた子の方がラストスパートをかける可能性が高いのも事実である。「部活バカ」が「勉強バカ」に移行するケースは非常に多い。

              特に夏あたりから塾通いを始めた子に、素晴らしい子がいる。顧問が厳しく、合理的な指導を施している部活に在籍していた子はいい。
              厳しいクラブで中学生活を過ごし、引退して高校受験を目前にして焦る。焦って塾に飛び込むと、学校の勉強とは違う、凛とした勉強空間が待っている。今までは部活に一直線になっていた視野が、急に勉強に対して向けられる。

              とにかく勉強が新鮮で仕方ない。私はそんな子を秘かに「勉強処女」と呼んでいるが、彼らは塾の雰囲気に謙虚に溶け込み、私がガンガン言ってもへこたれない。成績は加速度的に上がり、他の塾生に衝撃を与える。

              また、鬼軍曹的で厳格な部活の顧問に洗礼を受けた子は、自ずからキリッとした物腰を身に付け、いわゆる体育会系の子特有の爽やかさを持っている。だから大人は肩入れしやすい。
              それから、彼らは厳しい部活で鍛え上げられ、鍛錬すれば結果が出ることを身体で知っている。努力と結果の因果関係がわかっている。
              だから勉強でも努力すれば結果を残せだろうと楽観的に考える。そして同時に結果が出た時の得も言えぬ達成感を味わっている。だから慣れない勉強に対しても素直に入り込める。
              大人が子供にある種の強制的な鍛錬をさせて、結果を実らせる「快楽」を経験させることは、非常に大事なのだ。

              逆に時間拘束だけがやたらに長く、顧問が素人で指導がユルい部活は百害あって一理も無い。部活は先輩との上下関係を育て、礼儀作法を子供に叩き込むと言うが、そうでない部活のいかに多いことか。顧問や先輩とタメ口で、シャキッとしたところがない部活で何を学んだというのか。
              | 高校受験 | 15:13 | - | - | ↑PAGE TOP
              運動会と生類憐みの令
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                学校の運動会では、障害者差別につながるから、目隠しをしてムカデ競争が禁止されているらしい。
                そんなのを聞いていると、私は「生類憐みの令」を想像する。

                生類憐みの令については、
                「将軍の前で、頬についた蚊をパチンと殺した旗本が、遠島の刑に処された」
                「火消し用の甕に入った水を道に撒くのを禁止された。ボウフラが干からびて死んでしまうから」
                とかいろいろ、ホントかウソか分からない伝説がある。

                片目のダルマはダメだとか、目隠しはいけないとか、一部の学校の先生の想像力豊かなのは結構なのだが、そんな「生類憐みの令」みたいな滑稽な想像力が、かえって人を傷つけている。
                障害を持つ方を、動物扱いして過度に憐みをかけて、逆にとんでもない差別になっていると私は思う。

                障害を持つ方に対する健常者の取るべきスタンスは、個人レベルで言えば「優しい無関心」であるべきだと私は思う。
                過干渉はもってのほか、助けを求められた時のみ、さりげなく手を添える。
                代弁者になろうとすることはあまり有難い行為ではないし、ましてや自分の政治信条のために、弱者の存在を振りかざすのは極めて不快な行為だ。
                (勿論、障害を持つ方が、声高に自分の境遇を主張しなければならない場面もあることは、十分承知している)

                「ムカデ競争がダメ」とか言っている人は、過度の善意に起因する想像力が、他人をどれだけ傷つけるか、もっと想像力を働かして欲しいものだ。

                なお「生類憐みの令」だが、ある歴史学者の方が
                「生類憐みの令は、戦国時代の人名を粗末に扱う遺風を一掃するのに、大いに役立った。過度の動物愛護を強制することで、人びとに生命を粗末にしてはならないことを教えた」
                という説を述べているのを聞いたことがある。

                論功を受けるため、敵の生首を水で丹念に洗い、耳や鼻をを削ぎ取り針金に串刺しにした戦国時代の残虐ぶりの反動が、あの生類憐みの令だった、というわけだ。
                極端な残酷さを、滑稽なほど過激な「生類憐みの令」」の毒で消し去ろうとした。
                もちろん綱吉は、そこまで思いを馳せて「生類憐みの令」を作ったわけじゃあないだが。

                もしかしたら日教組の方の、「ムカデ競争禁止」などの滑稽な差別教育は、戦前の過度の人権侵害を一掃するのに役立っていたかも知れない、とも私は一方では思う。

                | 硬派な教育論 | 15:42 | - | - | ↑PAGE TOP
                吉野家牛丼復活祭
                0
                   

                  吉野家は今日だけ牛丼復活。
                  昼一時ごろ、福山の久松通り店に行ってみた。

                  10人ぐらいの行列。
                  私の前にいたオバサンが、「一日全国100万食限定」を「一人100万食限定」と見間違え、
                  「わたし、100万食も食べられんわあ」
                  と語ってるのがおかしかった。

                  私は学生時代、吉野家が大好きだった。餃子の王将と吉野家は、本当にお世話になった。

                  久しぶりに牛丼を食べると、やはり豚丼とは格が違う。
                  豚肉は煮ると、どうしても臭みが出る。
                  豚は焼いたり炒めたりするのが最も適した調理法だと思う。

                  久しぶりに牛丼を食べて、戦時中に麦飯やとうもろこし飯を食べることを余儀なくされていた人が、白米の銀シャリを食べた時の喜びが少しわかった気がした。

                  それにしても牛丼はうまかった。
                  アメリカ牛丼の脂身の旨さは格別だ。オーストラリアの牛肉は、赤身がモッサリして、牛丼の肉としてはベストなチョイスではない。

                  吉野家の牛丼の味は、2年半の休止の間に上がっているような気がしたけど、錯覚だろうか?
                  絶対に休止間に研究が重ねられている。
                  味が濃くもなく、薄くもなく、ちょうどバランスが良い塩梅でした。

                  | 旅行食べ物 | 15:48 | - | - | ↑PAGE TOP
                  黒田とカープの経営陣
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                    カープの黒田が故障した。右ひじの炎症だという。

                    それにしても黒田ほど「エース」という称号がふさわしい男はいない。
                    面構えもいい。ドラフトでは澤崎が1位、黒田が2位で、優男風の澤崎に比べて農夫然とした朴訥な雰囲気の黒田は出遅れたが、20代後半になってブレイクした。

                    黒田はカープ史上でも指折りの大投手である。
                    今では信じられぬことだが、20年ぐらい前、カープは投手王国と言われた。
                    去年40歳で引退して楽天でコーチをやっている紀藤がカープの2軍時代に、ウェスタンの試合で10何連勝かして防御率が1点台という活躍を見せたが、1軍昇格が見送られた。1軍の投手陣が絶好調で、誰も2軍に落とせなかったからだ。
                    弱小カープにも贅沢な時代があったのだ。

                    しかし投手王国時代の各投手は、エースと呼ぶにはどこか弱点があった。
                    北別府は球速が遅いし、川口は四死球が多くて試合が長く、津田はストレートが走っていないとガンガン長打を浴びるし、大野は故障が多いし、それぞれ何らかのウィークポイントがあった。

                    しかし黒田は球速もあり球数は少なく安定感抜群で、投手王国時代のどの投手にもひけをとらない。
                    ただし、今のカープは他の投手があまりにも情けないから、黒田が一人峻立して見えているという事情もあるのだろうけど・・・。
                    とにかく黒田がいなければ、今年のカープは楽天と借金数を競い合っていただろう。

                    さて、そんな黒田がFAの権利を取得した。黒田はいったいどこに行くのだろうか?

                    黒田がカープに残る選択肢はない。怪我でカープ残留の線が強まったと予想する人はいるが、おそらく黒田はFA宣言するだろう。カープはFA宣言した選手を引き止めた前例はない。
                    現実問題として、カープには黒田を引き止める金がない。黒田を引き止めたとしたら、費用を捻出するために高給取りの緒方や佐々岡は引退を余儀なくされ、また主力選手のうち2〜3人を自由契約にしなければならない。

                    それにしてもカープはここ十数年間、金欠で慰留できずに放出した選手のいかに多いことか。
                    川口・江藤・金本・ミンチー・ロペス・加藤・シーツ・ラロッカ・・・
                    「活躍しているのに、どうしてカープをやめるの?」という選手が多すぎる。
                    どうせならパリーグに出せばいいのになぜかセリーグに移籍する選手が多く、しかも移籍した選手は揃ってカープ戦になると活躍する。毎年毎年カープを追われた選手と遺恨合戦が繰り広げられるのは、ファンとしてやりきれない。
                    最低限カープに彼らを残留させる金力さえあったら、カープは毎年優勝争いを繰り広げていたろう。

                    さて、もし日本の球団に移籍するなら、黒田は巨人・阪神のどちらを移籍先として選ぶか?
                    敵として黒田に押さえつけられてきた巨人や阪神は、黒田の凄みを知っているため、怪我をしようが黒田を意地になって獲得しに来るだろう。

                    巨人はもはや球界人にとって憧れの場所ではない。巨人の選手がステイタスという時代はもはや終わりかけている。視聴率も低いし、球団のトップはあの通り気難しい人だ。黒田は現在の巨人のような「ややこしい」球団を選ばないだろう。

                    阪神は下柳が年を取り、史上最強の救援トリオJFKにも破綻が出ている。
                    阪神は投手が充実しているように見えて、実は大幅に整備しなければならない時期に差しかかっている。阪神は黒田を獲得しないと、また弱い時代に逆戻りする可能性がある。

                    私が黒田なら、巨人よりも阪神を選ぶ。とはいっても黒田の本音は、おそらくメジャーに行きたいのだと思う(親王の名前を外した私に物事を予測する資格はないが)
                    中4日で腕が炎症を起こすまで黒田が力投したのは、おそらくメジャーのスカウトに、自分の力量をアピールしたいという気持ちがあったことは否めない。黒田の松坂や上原に対するライバル心は相当なものだと思う。

                    メジャー球団も、実績のわりに給料が安く、コストパフォーマンスの高い黒田を狙っている。
                    私も、上原や松坂に負けない実績をメジャーでつかんで、日本一の投手として黒田が活躍してくれれば嬉しい。

                    でも私も生粋のカープファン。本音を言えば、黒田にはカープに残留して欲しい。しかし今のカープにいては黒田は駄目になってしまうような気がする。

                    カープ球団が経営努力をしているかといえば違う。
                    福岡のソフトバンクも、札幌の日本ハムも、カープと同じ地方球団ながら強さと人気を保っている。
                    ソフトバンクはダイエー時代から、根本管理部長や王監督など外部の血を積極的に導入し、城島・小久保・井口・村松・工藤など主力が毎年のように抜けても、優勝争いに毎年加わっている。
                    日本ハムも札幌ドームへの本拠移転という大改革をやり遂げ、また新庄の獲得は人気向上に大きく貢献している。

                    カープは未だに外部の人材を拒絶し、まるで日本相撲協会のような内部のたらい回し人事でお茶を濁し、しかも衣笠氏のような監督に就任してもおかしくない有力OBすら排除しようとしている。

                    昔はカープの選手がカープを去ったら「裏切り者」と選手を非難したが、今では球団の方が悪いように思えて仕方ない。
                    カープ球団もいまさら樽募金でもなかろう。戦争直後の樽募金は同情されるが、平成の世に樽募金は情けない。
                    樽募金は経営努力の行き詰まりでしかない。

                    カープ球団の経営の迷走ぶりを端的にあらわしたのが、りょうさんがmixiで紹介された、カープ球団が販売している
                    このグッズである。私はこれを見てたまげた。
                    私は経営のド素人だが、ド素人でもこの球団の経営陣が無為無策なのは一目瞭然である。ファンとして涙がちょちょぎれるわあ。

                    1980年代にカープは全盛期を誇った。あの時期に大改革を施していれば、現状のような情けない姿を、ファンにさらすことはなかったろうに。
                    とにかく私が黒田なら、「カープキャラメル」で球団に愛想を尽かす。
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                    飲酒運転と車道沿いの居酒屋
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                       外国を自動車で走っていると、車道は日本みたいに便利でにぎやかではない。
                      韓国でも台湾でも中国でもイタリアでもイギリスでもフランスでも、普通の道を走っているのに、周囲にはまるで高速道路沿いのように店がない。
                      道路沿いにコンビニがあるのは日本だけで、他の国で道路沿いに明かりがついていると、それは決まってガソリンスタンドだ。

                      たとえばA町からB町へドライブすると、B町まで店もないし自販機すらないので、A町で飲み物を仕入れなければならない。
                      アメリカではドライブインやモーテル、また「24」で悪者に占拠されそうな雑貨屋をたまに見かけるが、他の国は一般道なのに、まるで高速を走っているような淋しい状況である。

                      逆に日本の一般道沿いには店がたくさんある。日本人にとって当たり前のことだが、どうやら日本は特殊らしいのだ。
                      日本は駅前商店街がシャッター通りになり寂れたが、その分郊外の国道沿いは店で埋め尽くされ、たいへん賑っている。
                      レンタルビデオ・ブックオフ・パチンコ屋・ホームセンター・カーショップ・中古車ディーラー・ラーメン屋・焼肉屋・ファミレス・回転寿司・牛丼屋・ボーリング場・カラオケ・家電量販店・コンビニ・24時間営業スーパー・作業服屋・ドラッグストア・ラブホテル・・・
                      とにかく何でもあって、今では車道が商店街みたいになった。

                      でも、よく考えたら私が生まれた頃は、日本も街を出てしまうと諸外国と同じように住宅や田畑しかなかった。
                      数年前、塾の授業終了後に夜中車を飛ばして出雲大社に行ったが、国道54号線の、中国山地真っ只中の広島県と島根県の県境周辺は、30分間ぐらい何の店もなかった。コンビニすらなかった。
                      田舎過ぎて無気味だったが、それが妙に新鮮だったのを記憶している。

                      ところで郊外の車道沿いには、居酒屋のチェーン店をよく見かける。深夜2時3時まで、赤い灯りが煌々とついている。
                      しかし、どう見ても郊外の道路沿いの居酒屋は、自動車で来る場所である。居酒屋の前には広大な駐車場もある。

                      これって飲酒運転の元凶ではないのか?

                      こういう類の、車道沿いの居酒屋で飲むのは難しい。ドライバーが下戸なら帰りも酔わずに運転ができ、周りの人間も遠慮なく酔えるが、ドライバーも酒を嗜む人だったら、周囲が酔っているのに1人だけ酒を我慢するというのはつらい。

                      グループの中で飲んでいない人がいると、ついつい周囲の人間は気を使ってしまいがちである。運転があるからといって飲ませないのは可哀想で、どうしても「まあ一杯だけでも」ということになってしまう。
                      ドライバーも、ビール1杯ぐらいはとジョッキを手にし、そのうちジョッキだけでは物足りず、焼酎や日本酒に手を伸ばす。
                      そうしているうちに、結局グループ全員が酔っ払ってしまって、誰かが飲酒運転に手を染めるわけだ。

                      店がたくさんあって賑やかな日本の車道は好きだが、車道沿いの居酒屋は飲酒運転の大原因になっているような気がする。
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