昭和33年―日本はけっして裕福ではなかったけれど、人々は明るくきらめく未来に向かって懸命に生きていました。この年完成した東京タワーは、まるで人々から希望を託されたかのように、着々と天に伸び続け、完成のときを迎えます……。
「ALWAYS 三丁目の夕日」は、そんなタワーを背景に、下町に暮らす個性豊かな面々が織り成す感動と希望の物語です。
・・・って紹介されても、あまり見たくないでしょ?
なんだか、ありきたりの人情映画みたいで。「文部省選定」っぽいし。
だから私も最初は食指が動かなかった。
でも「ALWAYS 三丁目の夕日」は素晴らしい。観た後でもう一回観たくなる映画だ。
良い映画の条件の一つは、「この映画の中の登場人物になりたい」と観客に思わせる映画だと私は思っている。「七人の侍」や「となりのトトロ」がそうだし、「ALWAYS 三丁目の夕日」も、観客が登場人物の一員に成りたいと切実に思わせる映画の系譜に連なる。
まずCGが出色だ。昭和30年代の東京の風景をCGで丹念に再現している。リアルタイムで昭和30年代を体験した人や、或いはCGにウルサイ人には文句もあるだろうが、私みたいな一般の観客にとっては、昭和30年代にタイムスリップした気分を十二分に味あわせてくれた。
特に蒸気機関車の白煙を盛大に上げる走りっぷりや、ゴロゴロ街を走る路面電車の存在感がリアルで驚いた。
この映画のメインストーリーは、偏屈な小説家志望の駄菓子屋の30代の男が、ひょなことから男の子を預かり、子供に強い愛情を感じて優しい人間に変わってゆく、という話だ。
偏屈で人嫌いな男が若者や子供と接することで、固い心が解き放たれてゆくという設定は、アルパチーノの名作「セントオブウーマン 夢の香り」とよく似ている。
偏屈男を演じるのは吉岡秀隆。吉岡秀隆は最初、心がささくれ立った嫌な性格の男として出てくる。
TVドラマの「Drコトー診療所」の後で観ると、コトー先生とは別人の吉岡秀隆に強い違和感を感じる。あのやさしいコトー先生が、素朴な純君が、「ALWAYS 三丁目の夕日」では自ら営む駄菓子屋に集う子供達に「お前らはスカだ。帰れ!」と怒鳴り上げているのである。コトー先生は絶対にそんなことはしない。
いつもの吉岡秀隆とは丸っきり違う。
そんな時、飲み屋で酔っ払ったはずみで、小雪演じる飲み屋の女将から、身寄りのない淳之介という男の子を預けられてしまう。淳之介は金持ちの妾の子で、またその妾に捨てられた子である。
吉岡秀隆は美人女優にもてる役が多い。「北の国から」は宮沢りえ、「寅さん」は後藤久美子、「Dr.コトー」は柴崎コウ、今回の「三丁目の夕日」では小雪に惚れられる。
小雪は蓮っ葉な女なのに清楚、清楚なのに蓮っ葉という役柄がキマッている。小雪のような固いイメージの女優が、ちょっとキツめなパーマをかけて、適度にクダけた役柄を演じると、色っぽさ満点である。
吉岡秀隆に預けられた淳之介は、空想小説を書くのが好きな内面の深い子であり、捨てられた子特有な暗さがない、子供らしい男の子である。
最初吉岡秀隆は淳之介を「お前は縁もゆかりも無い赤の他人だ」と邪険にしていたが、淳之介が自分が書いた少年小説のファンだと知り、物語が進んでいくうちに、父と子のような深い愛情で結ばれる。
淳之介を演じる子役は本当に素晴らしい。「この子なら赤の他人だけど、父親と同じような愛情を注げるな」と思わせる子だ。
吉岡秀隆は淳之介に父性的な愛を感じると共に、どんどん性格が丸くなり、映画の最後には結局いつものコトー先生になってしまうのが微笑ましい。
自らの不遇を拗ねた偏屈男が、子供によって変わって行く過程が心地よい映画で、大人を変える子供の力は偉大だとつくづく思った。
なんだか「教育は共育」という言い古された言葉が、リニューアルされて頭に甦った感じだ。