最初に大きく失敗すると心が乱れて演技が雑になる。つまずきを致命傷と受け取れば、ショックで傷に傷を重ねてしまい挽回が難しい。これは入試にも言えることだ。
たとえば中学入試で算数が大コケしたとする。算数が最後の科目ならいいが、たいてい算数は2番目か3番目にある。
算数の大チョンボは次の科目に影響しやすい。たとえばうっかり計算ミスをしたとしようか。途中式を解答用紙に残す方式を採る学校なら部分点をもらえるが、そうじゃなかったら考え方は合っていても得点はゼロである。オールオアナッシング。
こんな調子で大問を2〜3問落とすと衝撃で頭の中が飛んでしまい、算数のあとに控える理科や社会がシドロモドロになってしまう。
算数のミスで頭がパニックになり集中力が維持できず、答案用紙に意識がグリップしない。結局理科や社会でもミスを連発するという悪循環に陥る。
まだ国語のミスなら挽回できる。入試では国語が最初の科目という学校が多いが、国語の出来不出来は答案が返却されてみないとわからない。国語は試験が終わった瞬間「できた」と思っても得点は意に反して悪い場合が多いし、その逆もまた然りだ。
時間配分を誤り1番の問題を完璧に解こうと思って時間を取りすぎ、2番3番の問題が空白のままというミスだったらダメージが大きいが、それ以外は国語のミスが後の科目に影響することはない。
また理科社会は1問や2問間違えても配点が小さいので、少々ミスしても精神を揺るがすほどの絶望的な気持ちになったりはしない。
ところが算数のミスは浅田真央のトリプルアクセル失敗みたいな、誰の目にも明らかな、派手でわかりやすいミスである。算数で主観的にミスをしているなと思ったら、大抵は誰にでもわかる客観的ミスである。得点にガツンと残酷に跳ね返る。
国語のミスが後になって冷酒のようにジワジワ効くミスで、理科社会のミスが局地戦の敗北とするなら、算数のミスは日本軍のミッドウェー海戦のような戦局を180度変えるミスである。算数のミスは受験生をヤケクソな気分にする。
算数でミスしたら、もはや開き直りしかない。算数で「致命的」な間違いを犯せば、受験生活で努力の結果積み上げてきたガラスの城が呆気なく崩壊する映像が頭に浮かび、厭世的な心理状態に陥ってしまうが、ガラスの破片が地面に散らばる廃墟の中で、負け戦を果敢に戦う開き直りこそが勝利を呼ぶ。
死ぬ気で受験勉強して本番で大きなミスをしたら、胃が凍るような気分になり集中力が散漫になるのは当然の事だ。努力に比例してショックも大きい。
しかし、完璧主義の格好いい戦いを振り捨て、捨て身になった泥まみれのみっともない戦いを生きてこそ良い結果が出る。
算数の大チョンボは一瞬氷の絶望を生むが、絶望状態から体勢を立て直し、身体が火照るよな熱気と、研ぎ澄まされた集中力を身体に再び取り戻すことが勝機につながる。