猫ギターの教育論

尾道市向島の塾「US塾」塾長のブログ 早稲田大学・開成高校出身 本音が飛び交う、少し「上から目線」の教育論
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フランスのベトナム料理の味
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    母の骨折入院で、私は自分で料理をしなければならなくなった。一人暮らしの男の料理だ。ふだんは海原雄山の私だが、こんな時に床の間の前で腕組んで偉そうに座っていたら飢え死にしてしまう。

    だったら何を作ろうか、まず頭に閃いたのは「生春巻」だった。簡単なのか難しいのか、微妙な料理である。

    私は生春巻が好きだ。生春巻を初めて食べたのはパリだった。
    パリへ行った時、フランス料理の牛脂の重量感に辟易した。フランス料理を食べていると、脂が消化しきれずダイレクトに皮下脂肪や内臓脂肪になり、体が重くなっていく心地がする。
    だから中華料理が恋しくなり、ガイドブックで中華街を探し出して地下鉄で行った。
    中華料理も油っこいかもしれないが、フランス料理の脂とはまた違う。

    地下鉄に乗って驚いたのは、パリの地下鉄のフランス人は老若男女問わず、格好良く洋服を着こなしていることだ。ファッションモデルの貸切車両かと思った。ディオールやシャネルのような最高級ブランドではないが、ウットリするほど自分にフィットした服を着ている。

    地下鉄の窓に自分の姿をさらすと、どう見ても「醜い日本の私」である。洋服を着ても、西洋人に容姿で勝てないことが骨身に沁みた。
    だからこそ、大島渚はカンヌの映画祭に、背広ではなく羽織袴姿で臨むのだろう。大島渚は国粋主義者ではなく左翼系の映画監督である。しかしながら、美的感覚に神経質な大島渚は、洋服が日本人には決定的に似合わぬ恥辱心と、西洋人に対する沸々たる反抗心から、羽織袴という民族衣装で勝負したのだと思う。

    さて、パリの中華街・チャイナタウンは、マカオの裏町みたいな怪しい雰囲気だった。欧米の街のチャイナタウンはどこも危険な匂いがする。
    ふだん漢字に見慣れているはずなのに、欧米のチャイナタウンでは漢字が黒魔術の呪文の文字のように見える。

    またフランスで西洋人の顔に見慣れてしまうと、チャイナタウンの東洋人の顔は薄気味悪い。私自身が極東の国のアジア人であることを棚に上げ、西洋で見る黄色人種は何やら腹に悪い魂胆を隠していそうな、卑屈で小賢しい顔に見える。

    そんな怪しい中華街でチャーハンと海老ワンタンと空心菜の腐乳炒めを食べた。サンフランシスコでもロンドンでもそうだが、西洋のチャイナタウンのチャーハンはタイ米の長粒種を使い、パラッとしている。卵が米に絶妙にコーティングされて、また焼豚の塩気がアクセントになって非常に美味い。

    久しぶりの中華料理で満腹になったあとブラブラ中華街を散歩していると、中華街に隣接した一角にベトナム料理店が密集している地域があった。

    かつてベトナムがフランスの植民地だったからなのか、ベトナム人街の面積は結構広かったが、どこか場末のうら寂しい雰囲気が漂い、漆黒の闇に原色のベトナム語の電飾看板が妖艶に灯っていた。

    ベトナム料理を食べてみたくなった。どんな料理か体験したい。
    フランスはベトナムの旧宗主国だし、ベトナム難民の受け入れには積極的だと聞いたことがあるから、本場に近い料理にありつけるに違いない。
    胃と腸には隙間なく中華料理が詰め込まれていたが、ベトナム料理の看板を見た途端、知的好奇心が満腹中枢を無視して「まだ食え、どんどん食え」と命令を下した。旅行先だと胃袋が3つくらいあればいいのにと思う。

    ベトナム料理店は、外の寂しさとは対照的に、アジア的喧騒で賑わっていた。そんなベトナム料理屋で食べた生春巻と牛肉のフォーは絶品だった。

    フォーとはベトナムの麺で、米で作った麺に、牛や鶏で取ったスープがかかった温かいソバだ。
    私が食べたフォーは薄切り牛肉が乗っていて、日本の肉うどんみたいでアッサリしてうまい。醤油が魚醤のニョクマムであるのと、ねぎの代わりに香菜を入れるのが違うが、肉うどんと同じ系統の味だ。JRの駅のホームで「立ち食いフォー」なんかやったら流行するのに。ニョクマムの味はグルタミン酸が強いので、アジア人は涙を流して喜ぶだろう。

    また生春巻はライスペーパーに、レタス系の野菜とニラ、香菜とドクダミ、焼き豚と海老が包まれ、半透明のライスペーパーに赤い海老が透けて見え、ビジュアルが綺麗な食べ物だ。ピーナッツのタレに付けて食べると、サラダ感覚でうまい。ライスペーパーもビーフンも米だから、初めて食べるのに馴染み深い味だ。

    1人で料理するにあたり、そんなパリでのベトナム料理の味が頭に浮かんできて、フォーは難しくて作れそうもないが、生春巻ならなんとか自分でもできるんじゃないかと思い、作ってみることにした。

    (つづく)
    | 旅行食べ物 | 17:35 | - | - | ↑PAGE TOP
    ZARDが死んだ 2
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      ZARDの歌詞にはストーカー的要素があると、「何気やる気なローテーション」のたけさんが指摘されたが、慧眼だと思う。私は全く気がつかなかった。

      「もう少し あと少し・・・」の
      ♪ 追伸:あなたの生まれた家を見てきました 
        なんだか 切なくて懐かしかった

      の部分が特にストーカー的とのご指摘だが、坂井泉水が歌うと自然に聞こえてしまう。

      他の歌手だったらどうか。
      もし大黒摩季が「あなたの生まれた家を見てきたわ〜」と歌ったら、ハイヒールのまま土足で家にズカズカ上がられそうだし、山崎ハコならハンドバックに五寸釘を忍ばせてジメジメ家の周りを徘徊してそうだ。

      70年代ユーミンの曲、たとえば「まちぶせ」の ♪偶然を装い 帰り道で待つわ や、「魔法の鏡」の ♪魔法の鏡を持ってたら あなたの暮らし 映してみたい もしもブルーにしていたなら 偶然そうに 電話をするわ に共通するところがある。

      ユーミンにそんなことされたら怖いが、坂井泉水ならむしろそんな行為を期待してしまう。
      好きな人に追いかけられたら嬉しいが、変な奴に追いかけられたらストーカー。
      とにかくZARDの曲は、狂気とか異常とかいう言葉とは無縁の澄んだ音楽だった(「永遠」あたりは、ちょっと湿り気を感じるが)
      だからストーカー丸出しの歌詞に気づかなかったのだろう。

      ところで昨日からZARDの音楽を聴きまくっているが、ZARDの音楽が「死者の音楽」になってしまったことに、まだあまり慣れていない。
      坂井泉水の死後、「負けないで」も「マイフレンド」も、ただの別れの曲ではなく、死別の曲に聞こえる。
      ZARDの曲は過去形が多用されていて、そんな過去形の助詞の1つ1つが、坂井泉水の天国からのメッセージに思えてくる。

      福田和也が、三島由紀夫の文学のことを、自衛隊で割腹自殺した人間が書いた作品という色眼鏡から逃れることはできない、「潮騒」のような作品ですら、あの事件と関連付けて解釈されてしまうと指摘していたが、今後ZARDの音楽が坂井泉水の死と関連付けて語られてしまうのは、少し違うような気がする。

      尾崎豊のような、生前から夭折の予感がして、早死にする以外の生き方が想像できないシンガーで、結局覚醒剤中毒で民家の軒先に野垂れ死にするという曲のイメージ通りの死を選んだ歌手なら、死は曲を鑑賞する上での強烈なスパイスになるが、ZARDの曲には死は似合わない。
      | 音楽批評の部屋 | 19:55 | - | - | ↑PAGE TOP
      ZARDが死んだ
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        ZARDは最後まで、あまりテレビには出なかった。

        歌番組には出ない、雑誌のインタビューは皆無に近い、ラジオのDJもやらない、もちろんバラエティーなんか無縁中の無縁、ZARDはCDの音楽と、ジャケット写真だけで勝負した。

        しかし以前、珍しくZARDは「負けないで」でMステに出演したことがある。You Tubeでその映像を見ると、緊張して初々しく、まるで「スター誕生」の予選に初めて出た素人の女の子みたいだった。

        ZARDがテレビ出演に積極的ではなかったのは、もちろんB-ingがアーティストの露出を抑え、神秘性を高める戦略を取っていたのもあるだろう。

        ただZARDのCDセールスが全盛期に比べて落ちた後になっても、テレビに出演しなかったことを見ても、坂井泉水は対人関係があまりうまくない、人前に出るのが苦手な女性だったのだろうと推測される。

        ZARDの仕事での移動範囲は東京23区内、半径10kmくらいの、極めて限られたものだったに違いない。
        レコーディングスタジオでの録音、ジャケットやPVの撮影、また時々ライブをする以外は、売れっ子シンガーにしては珍しく縄張りが狭く、「引きこもり」的な活動範囲だったように思う。
        皮肉なことに坂井泉水が死んだのも、そんな狭い縄張りの中の慶応病院だった。

        とにかくもZARDは業界の匂いがせず、松田聖子的な芸能界の白粉の匂いがプンプンする歌手とは対極の存在だった。しかし同時代のどんな女性シンガーよりCDは売れた。

        ZARDは「深窓の歌姫」的なポジションにいたにもかかわらず、最後までファンには身近な歌手だった。変にカリスマ的な存在になり、大スターと呼ばれ神棚に祭り上げられることはなかった。今回の死がたとえ自死だとしても、尾崎豊やビリー・ホリデーのような重苦しい「伝説」になることはないだろう。

        ZARDが支持されたのも、坂井泉水が高所から歌い下ろす歌手ではなく、横で寄り添い励ましてくれる女性だったからだろう。
        ファンの前でも上でもなく、いつも横にたたずんでいた人だった。

        たとえば「負けないで」というポジティブな応援歌は、一歩間違えば押し付けがましくガサツで、しかも陳腐な曲に堕ちてしまう可能性があるが、ZARDが歌うと、困難に立ち向かって這い上がる人間特有の、神経質でザラザラになった心に静かに寄り添うような、無上な優しさを感じ取ることができた。

        逆説的にいえば、露出が極めて限られ情報が少なかったからこそ、ZARDはファンに身近な存在だったのだろう。貴重なCDの歌声と、御真影のようなジャケット写真で、ファンは直接ZARDとつながっているような気分になった。
        ZARDはいつも俺のためだけに歌ってくれているんだ、そんな錯覚を感じていた。

        たとえば「心を開いて」

        人と深く つきあうこと
        私もそんなに 得意じゃなかった
        でも あなたを見ていると
        私と似ていて もどかしい
        そういう所が たまらなく好きなの


        の部分なんかを聞くと「俺って坂井泉水に好かれてる」と根拠のない妄想に浸ることができた。

        坂井泉水は美人だ。でも鼻の穴がほんの少し大きかった。そこがチャームポイントだった。
        ZARDの曲は坂井泉水の生前も死後も同じように、私のiPodの中で生き続けている。
        坂井さんがどんなに離れても心はそばにいるし、坂井さんがそばにいると心は強くなれた。いや、強くなれる。
        | 音楽批評の部屋 | 00:47 | - | - | ↑PAGE TOP
        「顔ちぇき!」
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          携帯の人気サイト「顔ちぇき!」に挑戦してみた。

          顔写真を送るだけで、どの有名人にどれくらい似ているか、判定してくれるサイトである。
          沖電気工業が開発した顔画像処理ミドルウェア「FSE(Face Sensing Engine)」を活用したもので、顔画像認識技術をもとに、有名人のリストから最も似ている3人を判定してくれる。累計利用者数が1ヶ月で1500万人を超えたという。

          で、私もやってみた。携帯で写真を撮って「顔ちぇき!」に送ると、1秒で判定して返信された。ドキドキ。

          結果は
          「阿部寛45%、イ・ビョンホン43%、若葉竜也40%」と判定された。
          若葉竜也という人は知らなかったので画像検索すると、結構イケ面だった。

          とにかく、私は阿部寛に一番似ているらしい。さすが最新鋭の顔画像認識技術だけあって、判定は適格だと思う。
          またイ・ビョンホンに似ているということは、韓流スターの素養もあることになる。

          ただ私は阿部寛みたいに情けない「結婚できない男」ではない。孤高の「結婚しない男」だ。その点が違うといえば違う。

          ついでに、うちのメス猫ピッピを、どんな芸能人に似ているか「顔ちぇき!」で判定してみた。



          結果は
          「ソン・ヘギョ23%、YUI21%、米倉涼子21%」
          というものだった。

          私はいつも一緒に布団で、ソン・ヘギョやYUIや米倉涼子に似た女性を抱擁して寝ている、ということになる。
          | 未分類エッセイ | 18:43 | - | - | ↑PAGE TOP
          家事がたいへん
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            うちの母親が3月下旬に、妹家族と大久野島に遊びに行き、孫を抱いて海岸に出たら、ヌルヌルしたコンクリートで滑って大腿骨を骨折した。
            大久野島は小さい島で救急病院がないので、救急車ではなく救急艇で本土の病院まで運ばれたらしい。

            66歳の老人なので大腿骨の中身がチクワみたいに空洞になっているらしく、若者の骨みたいに、くっ付き方がイマイチよろしくない。
            骨折した時お医者さんに「複雑骨折ですか?」と尋ねると「粉砕骨折です」と言われた。粉砕骨折。何たる恐ろしげな言葉の響きか。とにかく全治3ヶ月と宣告され、今も病院暮らしだ。
            でもまあ、今のところ順調に回復しているのでなにより。このまま寝たきりでボケ老人にならないことを祈ろう。

            というわけで母親の入院中、私は自分で家事をこなさねばならない。掃除洗濯、ゴミ出しやネコの世話。家事を疎かにすると家中が男子大学生の下宿みたいに汚くなるので、毎日粛々と家事をこなす。

            最大の難物は料理だ。
            私は料理を自分では絶対にしない。ただ味にはうるさい(らしい)。料理の批評は人一倍する。家庭内ではまるで美食倶楽部の海原雄山みたいに偉そうにしている。

            でもさすがに今回は海原雄山を気取っていたらメシが食えない。田舎ゆえ東京や大阪のように美味い店が数多くあるわけではないので、外食だけではお気に入りの店3〜4件のローテーションになってしまい、さすがに飽きる。

            かといって、コンビニ弁当ではわびしい。またコンビニ弁当1個では量が少ない。2つ3つコンビニ弁当をまとめ買いするのも格好悪い。
            しかも悪いことに、家の近所にも塾の近所にもファミレスやホカ弁屋がない。どうしてもメシは自分で作らざるを得ない環境にあるのだ。

            というわけで、ブログをあまり書けないでいる。
            | 未分類エッセイ | 16:59 | - | - | ↑PAGE TOP
            話が長〜い人
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              話が長い人がいる。相手の事を構わずに、延々と話す人のことだ。

              そういう人は聴き手の相槌を共感と勘違いし、沈黙を自分の話に聞き惚れているのだと好意的に解釈する。
              エンドレスに続く無神経な話で相手の口を塞いでおいて、そのクセ自分には話術があると思い込む、おめでたい人である。

              相手に向かって饒舌に話すのは気持ちがいい。ジャズクラブで流麗なアドリブを撒き散らすチャーリー・パーカーになったような会心の気分を味わえる。
              しかし話す側の快楽をよそに、聞き手は「早くこの人の話、終わらないかな」とウンザリしているケースがどれだけ多いことか。

              他人に向かって話す時、自分の話に酔い始めたらアウトである。酒に酔った酔っ払いも迷惑だが、己の話に酔う酔っ払いはもっと迷惑だ。

              特に教師なんかは話すのが仕事だから、生徒が教師たる自分の話を聞いているのか、聞いているふりをしているだけなのか、常にアンテナを張り巡らせて察知しておかなければならない。熱弁の暴走は迷惑だ。生徒を教室に拘束しておいて、教壇上から面白くない話をシャワーのように浴びせるのは言葉の暴力である。

              ブログの文章でもそうで、貴重な時間を使ってまで、どうしてあんなにわざわざ弛緩した長文を書けるのか不思議な人がいる。もっと短く簡潔に書けばいいのに、と思う。
              書き出しを見ただけで話の筋も結論もあらかた想像できてしまい、その想像通りに文章が展開してゆく。読者を置いてきぼりにしたままクドイ話が延々と続く。そこには刺激も教訓も面白みもない。あるのは自己満足だけである。

              ただ文章の場合は、クドイ面白くない話なら読み流せばいいし、話が長いだけのオナニーブログは二度と訪問しなければいいわけであって、その点が会話とは異なる。

              あと話し手が気をつけなければならないのが、同じ話の反復である。
              どんな話し手にも、絶対に言っておきたい「こだわり」を持つ話題がある。
              そんな「こだわり」を会話の席で相手に開陳したいと思うのが人間の本能であるが、話し手が熱く語る「こだわり」の話は、聞き手には逆に暑苦しい内容であることが多いので、聞き手は無反応な沈黙か適当な相槌で返す。
              話し手は相手のリアクションが不十分なので、相手に自分の「こだわり」が伝わっていないことを不満に思い、ますます熱くなって同じ話を繰り返す。聞き手はいい加減ウンザリし、同じ話をクドクドする困ったヤツだと、話し手を避けるようになってしまう。
              自分の話に対して相手のリアクションが悪かったら、黙るか話題を変えるのがエチケットだろう。
              | 未分類エッセイ | 12:31 | - | - | ↑PAGE TOP
              宇多田ヒカルとアメリカ進出
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                藤圭子がいい。久々にipodで聴いている。「京都から博多まで」は名曲だ。

                僕は昭和43年生まれ。藤圭子の全盛期は昭和45年前後。物心ついたとき、ブラウン管に流れるのは藤圭子の姿だった。
                「15、16、17と、私の人生暗かった」といったふうな怨念が露出した強烈な歌詞と、藤圭子の歌謡曲丸出しのメロディーは、幼い僕の頭に刷り込まれた。
                今でも「藤圭子的」な曲が流れると、いいなと思ってしまう。

                宇多田ヒカルの歌も、藤圭子の娘だという先入観をたっぷり抱いて聴いているからか、やっぱり「藤圭子的」な匂いがする。
                宇多田ヒカルの歌詞は藤圭子とは一見全く違うタイプに見えるが、「私のことをもっとわかって欲しいの。」的な部分では共通点がある。

                また宇多田ヒカルの曲はR&Bの表層を剥ぎ取れば歌謡曲だし、やはり親子だから声質が似ている。
                宇多田ヒカルはアメリカ生活が長いが、日本の土着歌手・藤圭子のDNAはビクともしていない。

                藤圭子が粘着質な原液とすれば、宇多田ヒカルは泥臭さが洗浄され、現代的に希釈されている。
                また本質的にタフな藤圭子の声に比べて、宇多田ヒカルは霞たなびく、消え入りそうな草書体の声の持ち主だ。人間の声が空気の震えであることを再認識させてくれる声質だ。

                宇多田ヒカルはハスキーで、かつ弱い声の歌手である。どすの利いたハスキー声の歌手なら腐るほどいるが、ハスキーで弱い声、しかも声に確固たる存在感がある歌手なんて、中森明菜以来だ。

                ところで宇多田ヒカルのアメリカ進出は、あまりうまくいかなかったらしい。
                でも、アメリカの女性歌手が歌うポップスって,ホントにいいか?

                アメリカの女性歌手には、女性というよりサカリのついたメス豚みたいなのが多いし、歌もさすがに声量はあるが、メロディーは大味過ぎて耳に残らない。
                日本人の大半にとっては、カーペンターズ的な歌手の美点は理解できても、マドンナがなぜスターの座に君臨しているのか不可解だろうに。

                そんなアメリカのポップス界で成功なんかしなくても、僕はいいと思う。
                だってアメリカ音楽業界の、メス豚の鳴き声の喧騒の中で、宇多田ヒカルの繊細なカナリアみたいな歌が埋もれてしまっても無理ないと思う。

                宇多田ヒカルは日本の歌手なんだから、日本でだけ売れればいい。ドメスティックでいこうよ。
                もちろんアメリカの華やかなショービジネスで成功したい気持ちはわかるけど。

                とにかく「Flavor of Life」は、「ぼくはくま」の迷走を吹きとばすいい曲だ。
                | 音楽批評の部屋 | 20:20 | - | - | ↑PAGE TOP