2007.05.31 Thursday
フランスのベトナム料理の味
母の骨折入院で、私は自分で料理をしなければならなくなった。一人暮らしの男の料理だ。ふだんは海原雄山の私だが、こんな時に床の間の前で腕組んで偉そうに座っていたら飢え死にしてしまう。
だったら何を作ろうか、まず頭に閃いたのは「生春巻」だった。簡単なのか難しいのか、微妙な料理である。
私は生春巻が好きだ。生春巻を初めて食べたのはパリだった。
パリへ行った時、フランス料理の牛脂の重量感に辟易した。フランス料理を食べていると、脂が消化しきれずダイレクトに皮下脂肪や内臓脂肪になり、体が重くなっていく心地がする。
だから中華料理が恋しくなり、ガイドブックで中華街を探し出して地下鉄で行った。
中華料理も油っこいかもしれないが、フランス料理の脂とはまた違う。
地下鉄に乗って驚いたのは、パリの地下鉄のフランス人は老若男女問わず、格好良く洋服を着こなしていることだ。ファッションモデルの貸切車両かと思った。ディオールやシャネルのような最高級ブランドではないが、ウットリするほど自分にフィットした服を着ている。
地下鉄の窓に自分の姿をさらすと、どう見ても「醜い日本の私」である。洋服を着ても、西洋人に容姿で勝てないことが骨身に沁みた。
だからこそ、大島渚はカンヌの映画祭に、背広ではなく羽織袴姿で臨むのだろう。大島渚は国粋主義者ではなく左翼系の映画監督である。しかしながら、美的感覚に神経質な大島渚は、洋服が日本人には決定的に似合わぬ恥辱心と、西洋人に対する沸々たる反抗心から、羽織袴という民族衣装で勝負したのだと思う。
さて、パリの中華街・チャイナタウンは、マカオの裏町みたいな怪しい雰囲気だった。欧米の街のチャイナタウンはどこも危険な匂いがする。
ふだん漢字に見慣れているはずなのに、欧米のチャイナタウンでは漢字が黒魔術の呪文の文字のように見える。
またフランスで西洋人の顔に見慣れてしまうと、チャイナタウンの東洋人の顔は薄気味悪い。私自身が極東の国のアジア人であることを棚に上げ、西洋で見る黄色人種は何やら腹に悪い魂胆を隠していそうな、卑屈で小賢しい顔に見える。
そんな怪しい中華街でチャーハンと海老ワンタンと空心菜の腐乳炒めを食べた。サンフランシスコでもロンドンでもそうだが、西洋のチャイナタウンのチャーハンはタイ米の長粒種を使い、パラッとしている。卵が米に絶妙にコーティングされて、また焼豚の塩気がアクセントになって非常に美味い。
久しぶりの中華料理で満腹になったあとブラブラ中華街を散歩していると、中華街に隣接した一角にベトナム料理店が密集している地域があった。
かつてベトナムがフランスの植民地だったからなのか、ベトナム人街の面積は結構広かったが、どこか場末のうら寂しい雰囲気が漂い、漆黒の闇に原色のベトナム語の電飾看板が妖艶に灯っていた。
ベトナム料理を食べてみたくなった。どんな料理か体験したい。
フランスはベトナムの旧宗主国だし、ベトナム難民の受け入れには積極的だと聞いたことがあるから、本場に近い料理にありつけるに違いない。
胃と腸には隙間なく中華料理が詰め込まれていたが、ベトナム料理の看板を見た途端、知的好奇心が満腹中枢を無視して「まだ食え、どんどん食え」と命令を下した。旅行先だと胃袋が3つくらいあればいいのにと思う。
ベトナム料理店は、外の寂しさとは対照的に、アジア的喧騒で賑わっていた。そんなベトナム料理屋で食べた生春巻と牛肉のフォーは絶品だった。
フォーとはベトナムの麺で、米で作った麺に、牛や鶏で取ったスープがかかった温かいソバだ。
私が食べたフォーは薄切り牛肉が乗っていて、日本の肉うどんみたいでアッサリしてうまい。醤油が魚醤のニョクマムであるのと、ねぎの代わりに香菜を入れるのが違うが、肉うどんと同じ系統の味だ。JRの駅のホームで「立ち食いフォー」なんかやったら流行するのに。ニョクマムの味はグルタミン酸が強いので、アジア人は涙を流して喜ぶだろう。
また生春巻はライスペーパーに、レタス系の野菜とニラ、香菜とドクダミ、焼き豚と海老が包まれ、半透明のライスペーパーに赤い海老が透けて見え、ビジュアルが綺麗な食べ物だ。ピーナッツのタレに付けて食べると、サラダ感覚でうまい。ライスペーパーもビーフンも米だから、初めて食べるのに馴染み深い味だ。
1人で料理するにあたり、そんなパリでのベトナム料理の味が頭に浮かんできて、フォーは難しくて作れそうもないが、生春巻ならなんとか自分でもできるんじゃないかと思い、作ってみることにした。
(つづく)
だったら何を作ろうか、まず頭に閃いたのは「生春巻」だった。簡単なのか難しいのか、微妙な料理である。
私は生春巻が好きだ。生春巻を初めて食べたのはパリだった。
パリへ行った時、フランス料理の牛脂の重量感に辟易した。フランス料理を食べていると、脂が消化しきれずダイレクトに皮下脂肪や内臓脂肪になり、体が重くなっていく心地がする。
だから中華料理が恋しくなり、ガイドブックで中華街を探し出して地下鉄で行った。
中華料理も油っこいかもしれないが、フランス料理の脂とはまた違う。
地下鉄に乗って驚いたのは、パリの地下鉄のフランス人は老若男女問わず、格好良く洋服を着こなしていることだ。ファッションモデルの貸切車両かと思った。ディオールやシャネルのような最高級ブランドではないが、ウットリするほど自分にフィットした服を着ている。
地下鉄の窓に自分の姿をさらすと、どう見ても「醜い日本の私」である。洋服を着ても、西洋人に容姿で勝てないことが骨身に沁みた。
だからこそ、大島渚はカンヌの映画祭に、背広ではなく羽織袴姿で臨むのだろう。大島渚は国粋主義者ではなく左翼系の映画監督である。しかしながら、美的感覚に神経質な大島渚は、洋服が日本人には決定的に似合わぬ恥辱心と、西洋人に対する沸々たる反抗心から、羽織袴という民族衣装で勝負したのだと思う。
さて、パリの中華街・チャイナタウンは、マカオの裏町みたいな怪しい雰囲気だった。欧米の街のチャイナタウンはどこも危険な匂いがする。
ふだん漢字に見慣れているはずなのに、欧米のチャイナタウンでは漢字が黒魔術の呪文の文字のように見える。
またフランスで西洋人の顔に見慣れてしまうと、チャイナタウンの東洋人の顔は薄気味悪い。私自身が極東の国のアジア人であることを棚に上げ、西洋で見る黄色人種は何やら腹に悪い魂胆を隠していそうな、卑屈で小賢しい顔に見える。
そんな怪しい中華街でチャーハンと海老ワンタンと空心菜の腐乳炒めを食べた。サンフランシスコでもロンドンでもそうだが、西洋のチャイナタウンのチャーハンはタイ米の長粒種を使い、パラッとしている。卵が米に絶妙にコーティングされて、また焼豚の塩気がアクセントになって非常に美味い。
久しぶりの中華料理で満腹になったあとブラブラ中華街を散歩していると、中華街に隣接した一角にベトナム料理店が密集している地域があった。
かつてベトナムがフランスの植民地だったからなのか、ベトナム人街の面積は結構広かったが、どこか場末のうら寂しい雰囲気が漂い、漆黒の闇に原色のベトナム語の電飾看板が妖艶に灯っていた。
ベトナム料理を食べてみたくなった。どんな料理か体験したい。
フランスはベトナムの旧宗主国だし、ベトナム難民の受け入れには積極的だと聞いたことがあるから、本場に近い料理にありつけるに違いない。
胃と腸には隙間なく中華料理が詰め込まれていたが、ベトナム料理の看板を見た途端、知的好奇心が満腹中枢を無視して「まだ食え、どんどん食え」と命令を下した。旅行先だと胃袋が3つくらいあればいいのにと思う。
ベトナム料理店は、外の寂しさとは対照的に、アジア的喧騒で賑わっていた。そんなベトナム料理屋で食べた生春巻と牛肉のフォーは絶品だった。
フォーとはベトナムの麺で、米で作った麺に、牛や鶏で取ったスープがかかった温かいソバだ。
私が食べたフォーは薄切り牛肉が乗っていて、日本の肉うどんみたいでアッサリしてうまい。醤油が魚醤のニョクマムであるのと、ねぎの代わりに香菜を入れるのが違うが、肉うどんと同じ系統の味だ。JRの駅のホームで「立ち食いフォー」なんかやったら流行するのに。ニョクマムの味はグルタミン酸が強いので、アジア人は涙を流して喜ぶだろう。
また生春巻はライスペーパーに、レタス系の野菜とニラ、香菜とドクダミ、焼き豚と海老が包まれ、半透明のライスペーパーに赤い海老が透けて見え、ビジュアルが綺麗な食べ物だ。ピーナッツのタレに付けて食べると、サラダ感覚でうまい。ライスペーパーもビーフンも米だから、初めて食べるのに馴染み深い味だ。
1人で料理するにあたり、そんなパリでのベトナム料理の味が頭に浮かんできて、フォーは難しくて作れそうもないが、生春巻ならなんとか自分でもできるんじゃないかと思い、作ってみることにした。
(つづく)