猫ギターの教育論

尾道市向島の塾「US塾」塾長のブログ 早稲田大学・開成高校出身 本音が飛び交う、少し「上から目線」の教育論
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私が学んだ社会科
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    高3に社会を教えているが、7人とも分野がそれぞれ違うから大変だ。
    1人は現代社会、1人は世界史、1人は日本史、4人が地理と、社会科のほぼ全分野を教えなければならない。

    私は高2・高3の受験期、世界史・地理を学校で履修していたのだが、浪人中に日本史をやり始め、大学は日本史で受験した。
    学校で習った世界史・地理を棄て、学校でやってない日本史を選択したのである。
    自学自習で、結構無謀な転向だった。

    世界史は暗記量が多く、しかも用語がカタカナで記憶しにくい(中国史を除く)
    マジャパヒト王国・ムアーウィア・アウラングゼーブ・ホーエンツォレルン家・・・
    こんな難解なカタカナ用語を、何百何千と暗記することは、途方もない作業に思えた。

    また私は宅浪で、参考書だけではイマイチ世界史の流れがつかめなかった。
    おまけに世界史は、ヨーロッパ史や中国史だけではなく、東南アジアやラテンアメリカやアラブなど馴染みのない地域の歴史の知識も必要で、自分ひとりでは勉強できないと判断した。

    だから世界史は棄てた。

    それから、地理はどこまで暗記すればいいのか基準がつかめず、また難関私立の問題を検討したら細かい知識が必要で、どんなに踏ん張っても8割5分以上は取れそうもなく、社会が得点源になりづらいから避けた。

    早稲田の過去問なんか見ると、いきなりベルギーの国土の地図がドカンと出てきて、地域ごとの特徴を問うような問題があったりする。私はベルギーの専門家ではないので、そんな重箱の隅をつつくような類の問題に圧倒され、怖気づいてしまった。

    よって、地理も放棄した。

    そして、政治経済は受験できる大学の数が限られてしまう。

    結局、自学自習できそうで、かつ入試で汎用性のある科目は日本史だけだった。
    日本史は当然だが日本一国だけの歴史なので、流れが一本調子でつかみやすく、また司馬遼太郎や海音寺潮五郎や山岡壮八の小説や、大河ドラマで日本史の登場人物には馴染みがあったから、比較的勉強は楽だった。

    日本通史を学んでいると、リアリティー抜群の長大な大河小説を読む快楽が味わえる。(史実だからリアリティー抜群なのは当然だが)

    その後大学では、政治学と経済学を主に履修することになり(もちろん大学の授業は、好きな教授以外、ほとんど出席していないが)、結局私は高校で世界史・地理、受験で日本史、大学で政治経済と、社会科の分野をほぼ網羅することになった。

    そんな経験がいま役立っている。
    | 大学受験 | 20:36 | - | - | ↑PAGE TOP
    Number (n)ine
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      俺は39歳だが、若向きブランドNumber (n)ine(ナンバーナイン、と読む)の服が好きだ(悪いか)
      Number (n)ineの名の由来は、Beatlesの"Revolution No9"であり、曲のイメージ通り、かなりヤンチャなデザインだ。
      Number (n)ineを着る若い有名人は、キムタク・妻夫木聡・亀梨和也・品川庄司(品川の方)など、そうそうたる顔ぶれだ。

      オッサンでも、Number (n)ineのおかげで5歳は若く見える。
      40歳前後でNumber (n)ine着てるのは、藤井フミヤと福山雅治と永瀬正敏とオレぐらいだろう。

      ところでNumber (n)ineは他のストリート系ブランドと違って、デブに優しいブランドである。
      なぜなら、デザイナーの宮下氏が百貫デブだからだ。デブサイズもしっかり揃っている。

      昔のコムデギャルソンの店員はデブに対して
      「あなた、ちょっとウチのブランド着るの遠慮してくれないか? イメージ堕ちるから」
      と高飛車にほざいたらしいが、Number (n)ineの店員は、そんなこと死んでも言えない。

      だって
      「じゃあ、おたくのデザイナーの宮下さんはどうなんだ! 宮下さんデブだろ! 自己矛盾じゃないか! デブがデザインした服をデブが着てどこが悪い!」
      と客に返されるのがオチだからね。

      Number (n)ineはデブが安心して着れる、デブに優しいブランドである。


      さて、Number (n)ineは、NIRVANAの故カート・コバーンに年がら年中オマージュを捧げているブランドだ。

      M君によれば前期は「NIRVANAのカート・コバーンがもしまだ生きていてカントリーミュージックを奏でていたら?」というコンセプトだったらしい。

      俺がNumber (n)ineを着ると、コンセプトが
      「NIRVANAのカート・コバーンがもしまだ生きていて、死んで伝説にならず生き恥をさらし、CDも売れず懐メロ歌手扱いされ、ブクブク太っていたら?」
      になってしまう。

      でもそれは俺なりの美学だ。
      | 未分類エッセイ | 10:11 | - | - | ↑PAGE TOP
      子供手当て2万6千円の謎
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        「ふつう」の業界・団体に所属する人間だったら、参議院選挙で誰に投票しようかなんて、迷うことなんかない。

        各業界・団体にはそれぞれ、利益を国会の場で代表してくれる候補者がいる。
        医師だったら自民党の武見敬三、日教組所属の公務員だったら民主党の神本美恵子という具合に、投票する人はあらかじめ決まっている

        塾団体が推す候補っているのだろうか? 私は寡聞にして知らないが、たぶんいないんじゃないかな、と思う。塾業界の利益を代表してくれる政治家なんて、聞いたことがない。
        塾講師なんて典型的な無党派層で、政治的なしがらみはない。

        また、たとえ塾団体が「自民党のA候補に入れろ」「民主党のB候補に1票を」と命令したって、私のような人間は絶対に言うことなんか聞きはしない。


        ところで、民主党のマニュフェスト、「子供手当て」の話。
        民主党が政権を取れば、中学校卒業まで、子供一人当たり月額2万6千円を支給するのだという。

        この2万6千円という金額、塾の授業料に相当する額じゃないかって、塾業界の一員たる私は思ってしまった。

        地方の中学生相手の月謝として2万6千円は高すぎる。逆に都会の中学受験専門塾の授業料では安い。

        おそらく中学受験する息子や娘を持つ民主党の議員が、自分の子供の塾の費用を基準に、2万6千円という額を算定したのかもしれない。
        大手進学塾の費用は月5万円。ちょっとそれじゃあ高いから、半額にしようかなと、結構イージーに決めた額なのだろう。

        私は民主党の「子供手当て」の存在を知って、
        「民主党って塾業界の利益を代表する政党じゃないですか。塾代を政府が出してくれるわけなのね。子供手当てって『塾費用政府助成金』じゃん。塾が儲かるぜ。だったら今回は民主党に入れようかしらん」
        と冗談半分に(半分真面目に)思ってしまった。

        財源なんて、北海道知事・高橋はるみ氏みたいに、公務員の給料を一律2割削減すれば何とかなるのかもしれない。
        さらに国家予算が80兆、税収入が50兆、1年間で国は30兆の赤字を出している。ならば国家公務員の給料・ボーナス・退職金を一律8分の5にすれば、財政は劇的に健全になるだろう。20年ほど前、「8分の5チップ」という名のポテトチップスがあったっけ。

        だが、労働組合が地盤の民主党に、こんな荒業ができるわけがない。
        また公務員の給料が減ったら、節約のため子供の塾代をカットするだろう。概して保護者の方が公務員の子供は、真面目で性格が良い子が多い。塾に向学心のある子が少なくなる。

        逆に子供一人に一律2万6千円与えるといったって、子供の学力向上に関心のない親は「これで月に1回ディズニーランドに行けるな」とレジャー費に使ったり、自分の車のローンやパチンコ代に使ってしまうだろう。 2万6千円を塾に使うなどという発想は無い。

        結局「子供手当て」なんて、塾業界には何の足しにもならんじゃないか!

        そういえば、昔配られた「地域振興券」、消費の拡大には役に立たず、貯蓄に回された。
        ただ「だんご3兄弟」が爆発的にヒットしたのは「地域振興券」のおかげだという人もいるが。
        | 硬派な教育論 | 14:32 | - | - | ↑PAGE TOP
        ゴーゴーカルビ君
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          母親入院以来、スーパーで一人買い物することが多くなったが、尾道サティの肉売場には、毎日奇妙な歌が流れている

          歌詞の断片を拾うと

          ♪ゴーゴー カルビ ゴゴゴー(ゴーゴー カルビくん)
           ゴーゴー カルビ ゴゴゴゴー(ゴーゴー カルビくん) 
           宇宙のかなたの モーモー星から
           カルビ手裏剣 シュシュシュ

          恥辱的な、罰ゲームのような歌である

          もし私が生殺与奪思うがままの権力を握り、私に反旗を翻したヤツがいたとすれば、満座の前でそいつに「ゴーゴー カルビ ゴゴゴゴー」と歌わせて、大恥をかかせてやりたい。

          それにしても恥ずかしい歌だ。

          ヤマダ電機やデオデオの歌も、聞いてて顔面が紅潮してきそうな変な歌だが、ゴーゴーカルビ君もひどすぎ。

          私はマーケッティングには無知な男だが、マーケッティング理論には「消費者が赤面するような恥ずかしい歌を売場で流せば、顧客の購買意欲が上昇する」という学説でもあるのか。

          それなら我が塾も塾生獲得のため、塾の外にスピーカーつけて

          ♪ 成績伸びたー のびのび太ー

          みたいな歌でも作って、街ゆく人に聞いてもらおうか。
          | 未分類エッセイ | 20:39 | - | - | ↑PAGE TOP
          不潔国家中国
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            中国は衛生観念のない、不潔極まりない国だ。
            人民はウンコと蚤と有毒物質に囲まれて生活している。

            しかし、中国で病原菌が蔓延し、大量の中国人が「不潔死」したというニュースはあまり聞かない。
            中国当局が不都合な事実を隠蔽してるのだろうが、中国では食材に必ず火を通す習慣があるのも大きいと思う。

            中国では、日本のように生の食材をそのまま口に入れない。
            野菜は寄生虫か、或いは人体に危害を及ぼす農薬が付着しているので生のまま食えない。中華料理にサラダはない。マヨネーズやドレッシングが中国家庭の食卓に普及したのは最近のことだ。

            また中国人の舌は酸味を嫌うので酢の物は嗜好に合わず、豆腐も冷奴ではなく炒めたり煮たりして食う。

            魚介類は新鮮ではないので濃い味のソースや唐辛子と共に火に通す。北京や上海の小綺麗な寿司屋を除き、中国で刺身なんか食おうものなら1週間下痢が止まらないか、腸がサナダムシの巣になっちまうだろう。

            とにかく中国人はコークスの猛烈な強火によって、細菌も農薬も焼き尽くしてしまう。どんなに怪しい生き物でも、火を通せば食えると思っているのだろうか。

            中国は気候が温暖で食材は比較的豊富だが、それ以上に人間の数が多い。
            だから日本人の目から見たらゲテモノ以外の何者でもない生き物を食わざるを得なかった。日本のように選り好みをする余裕がなかったのだ。

            中国人は空を飛ぶものは飛行機以外、四つ足のものは椅子以外食べると言われている。
            日本人は主に牛と豚と鶏しか食べないが、中国では羊も鳩もアヒルも亀もガチョウもヒトデも蛇も蛙も犬も猫も日常的な食材だ。
            中国人は生き物全て(飢饉の時には人肉も食う)、時にはダンボールすら食材にしてしまうタフな民族なのだ。

            しかし、中国の価値観を日本に押し付けられたらかなわない。日本にウサギさんやネズミさんのような怪しい獣肉とか、死んだ豚肉とか騙して売りつけるのはやめてもらいたい。

            調子こいた中国の悪徳業者は、犬肉入りのドッグフードとか、猫肉のキャットフードとか日本に輸出してそうだ。
            | 香港・中国 | 13:48 | - | - | ↑PAGE TOP
            「お山の大将」と「井の中の蛙」上
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              個人塾経営者は、よく「お山の大将」とか「井の中の蛙」と言われる。
              世間の人からは、私なんかもそう見られているのだろう。

              確かに「お山の大将」はみっともない。
              つい最近、ある個人塾の経営者が書いたブログの教育論を読んで「これはまずいのではないか」と考え込んでしまった。

              ある題材がテーマの連載で、教育のテクニカルな問題に関するものだが、内田樹氏の言葉を借りれば「ストックフレーズの乱れ打ち」というやつで、過去何十回何百回と繰り返された事柄が、長々と退屈に書かれていた。

              ときどき当人の「オリジナル」らしき内容も挟まれてはいたが、その「オリジナル」も的を外れたもので、失礼ながら読んでて赤面してしまった。

              しかも文体にはどこか「自慢」の匂いがプンプンしていた。自慢は読者を敬遠させる最大の悪である。

              この人物の文章を成分表示すれば、ストックフレーズが69%、妙な「オリジナル」が15%、自慢が9%、あと中年男特有の軽躁な高揚が7%という具合で、読むのに少し苦労した。

              自分の書いた文章には愛着が生まれる。しかし自分の文章を冷厳に見つめる評論家の眼を兼ね備えて初めて、良い文章が完成するのは言うまでもない。

              読者の目には無駄な脂肪が多いメタボリックな文章でも、書いた当人にはスリムな名文に見える。自分が書いたものは皮下脂肪でも内臓脂肪でも愛しい。

              個人塾の先生は「お山の大将」になりがちだ。たしかに教師が「大将」にならなければ、子供に教えられないという側面はある。
              ただ、傲慢さが高じて肥え太り、眼に脂肪が溜まり、真贋の区別ができなくなり、自作の無駄に長い文に対して推敲の労を取れなくなってしまえば終わりである。

              最近子供の国語力・文章力の低下が叫ばれているが、ブログでたまたま目にした個人塾経営者の長文を読んで、塾講師の文章力も、もしかしたら低下しているのではないかと疑ってしまった。
              先生と称し称される立場である限り、自己を冷静に見つめる目だけは残しておかねばならない。
              | 未分類エッセイ | 01:08 | - | - | ↑PAGE TOP