猫ギターの教育論

尾道市向島の塾「US塾」塾長のブログ 早稲田大学・開成高校出身 本音が飛び交う、少し「上から目線」の教育論
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大学へ「ICOCA」
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    いよいよ国立大学2次試験だ。
    勉強にのめり込むと、勉強しても勉強してもまだやりたりない無間地獄に陥り、また2リットル入りのペットボトルを何本飲んでも、のどの渇きが収まらない飢餓感にさいなまれる。

    2次試験を迎えてもゴールにたどり着いた達成感はなく、まだやり残したことが死ぬほどあり、「もう本番なの?」と中途半端なところで勉強にストップをかけられた気分でもあり、また逆にハードワークで体力気力が消耗し「これ以上勉強はできない」と疲れ果てた気分でもある。

    勉強がまだやり足りないのにもうやりたくない、準備不足なのに準備万端。そんな矛盾した気持ちを抱えながら、受験生は試験に臨む。


    さて、うちの塾では、自分で持っている場合を除き、東京・大阪方面に行く受験生には、餞別として「SUICA」「ICOCA」を渡した。
    受験終了後に、大学最寄り駅の長蛇の切符売り場に並ぶのは精神的にキツイ。

    「SUICA」や「ICOCA」を持っていると、フリーパスで電車に乗れるような気がして、ちょっとした優越感にひたれる。地方の高校生が、東京や大阪の人間になったような体験ができる。ささいなことかもしれないが、心理的に大きいんじゃないかと思う。

    特に「ICOCA」は、「大学へ行こかー」と語呂合わせになるので縁起がいい。
    「Kit-Kat」よりずっと実用的だし。

    ただし、受験生がどんなに「大学へ行こかー」と望んでも、大学側から「おまえは来るなー」と宣告される場合もあるわけで、その点「ICOCA」は「Kit-Kat」や「ウカール」に比べて、言葉が弱い。ちょっと不安ではある。
    JUGEMテーマ:学問・学校


    | uniqueな塾生の話 | 12:34 | - | - | ↑PAGE TOP
    「クロネコヤマト」みたいな猫ピッピ
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      赤虎先生、ヒカリ先生、お祝いのお言葉、有難うございました。

      ところでピッピの出産の話の続き・・・

      出産時、母猫ピッピは、自分の身体に何が起きたのか理解できなかったろう。
      人間の女性は妊娠した時、腹を痛めた末に赤ちゃんが誕生することを知っている。ゴールがハッキリした苦痛である。
      でもピッピは激痛の先に待ち受ける事態を知らない。猫にとって出産とは、予期しない展開が次から次へと降りかかってくる、一種のパニック状態なのだろうか。

      ピッピの頭には子供とか、妊娠とか、生命とか、出産とか、そんな知識はたぶんない。ただわけのわからないまま、腹の中から大きな物体が出る苦悶の時を過ごすのみだ。

      苦闘の末、5匹の異物がピッピの体内から出てきた。ピッピは5つの物体を、腹に激痛を与えた邪魔者としては扱わなかった。5匹の赤ちゃん猫のために、身体を横たえ母乳を与えた。そして一匹ずつ平等に、わけへだてなく赤ちゃん猫をなめた。
      腹を痛めた異物体は、生まれ落ちた瞬間から母猫の愛情と保護の対象になった。

      生まれたての赤ちゃんは、ネズミみたいに不気味だが可愛い。ピッピと子猫の部屋は2階の段ボールなのだが、私は子猫を5匹ともピッピから離し、1階の台所に移して、いじって遊んだ。

      目がまだ開いていない、耳が垂れ下がったままの、携帯電話ほどの大きさしかないコンニャクみたいな固さの子猫たちは、身体の割に大きな声でビャービャー泣いた。

      すると、子猫の泣き声を聞きつけたママのピッピが、不安そうな顔で私の方を見て「ニャー」と泣いた。ネコ語が理解できない私にも、表情と声のトーンから、ピッピが子猫を返してくれと嘆願しているのがわかった。

      私は台所の廊下に5匹の子猫を置いた。すぐさまピッピは子猫の首を口でくわえた。子猫が痛がらないように、くわえる場所を慎重に選んで、コントロール良くひょいっと一瞬のうちに口で持ち上げた。ピッピは1匹子猫をくわえると、トコトコ階段を上がり子猫を段ボールに運んだ。



      1匹運び終わるとまた1階に戻ってきて、1階と2階を5往復、5匹とも段ボールに無事運んだ。運んだあとは段ボールの中で、安堵したように子猫の毛づくろいをし、母乳を与えた。

      ピッピが子猫を運ぶ姿は、「クロネコヤマト」のロゴそのままの姿だった。



      JUGEMテーマ:ペット


      | わが家の猫 | 21:17 | - | - | ↑PAGE TOP
      日本人より活字中毒な韓国人
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        むかし、有馬温泉の、鉄錆色・煉瓦色・鼻血色で有名な公衆浴場「金の湯」の芋を洗うように混雑した湯船で、文藝春秋を読んでいた中年男性がいた。下半身だけ浴槽につけ、右手をクイッと直角に曲げて本をつかみ、左手でページをめくっていた。
        その男性は30分ぐらい、ページをめくる時以外は微動だにせず、文藝春秋に没頭していた。
        湯につかる時、彼の文藝春秋を濡らしてしまわないかヒヤヒヤした。どう考えても文藝春秋のペラペラの紙は耐水性ではない。

        最近の高級旅館には、露天風呂つきの部屋があり、プライベートな空間で本を読むのが至上の極楽だと広言する人がいるが、有馬温泉の公衆浴場の文藝春秋の中年男性も、休みになると露天風呂付き客室で読書を楽しむ口なのか。

        私も風呂場で本を読みたいと思うが、本が濡れることに神経質なので、風呂での読書はなかなかできない。
        受験生時代は風呂に入る間を惜しんで、でる単や日本史用語集を風呂に持ち込んだりしたが、手だけ湯船から出していると、手だけ寒く乾いてしまい心地が悪いので、風呂での勉強は長くは続かなかった。

        ところで、韓国ソウルの駅前の7階建て巨大サウナの地下浴場は、新聞の切り抜きがビニールのファイルに入っていて、裸の入浴客が手にして読んでいた。
        もちろんファイルの四隅は水が入らないように、固く密封されている。

        日本のスポーツ新聞で再現してみた。こんな感じ。



        こんなファイルが100枚以上常備され、入浴客がジャグジー風呂や漢方風呂やサウナで、じっと読みふけっていた。もちろん私はハングル文字が読めないので、せっかくの新聞のファイルの恩恵にはあずかれなかったが、日本のスーパー銭湯やサウナにも、こんな新聞や雑誌の切り抜きを入れたファイルがあればいいのにと思う。

        日本人も活字好きだが、韓国人の活字中毒度は日本人を上回っているのかもしれない。有馬温泉の公衆浴場の文藝春秋の中年男性も、こんなファイルがあったら喜ぶだろう。
        | 韓国 | 21:48 | - | - | ↑PAGE TOP
        猫ピッピの出産
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          ピッピの出産の日が来た。

          腹をミジンコのように膨らませた猫のピッピが、落ち着きなく室内を徘徊していた。何か探し物をしているかのようではあるし、不安で駆けずり回っているようにも見えた。猫の出産に立ち会ったことのない私でも、ピッピが出産間近であることがわかった。

          夜の1時頃、ピッピは私の顔を見て「ニャー、ニャー」と不安を訴えかけてきた。赤ちゃんが腹の中から出たいというシグナルを発し、強い体調変化を感じたのだろう。

          ピッピは、これから自分の腹の中から赤ちゃんが出てくることなんか、たぶん知らない。
          人間なら哺乳類のメスの腹が膨れたら、腹の中には赤ちゃんが存在するという予備知識を持っているが、猫のピッピには、腹が膨れる身体の変化が何を意味しているのか、これから自分の身に何が起こるのか予知できず、精神的な恐怖でいっぱいなのだろう。

          私はピッピを膝に乗せ、「これから子供を産むんだよ。大丈夫」と声をかけながら、背中をさすってあげた。ピッピのパパになった気がした。ピッピは私に撫でられ少し落ち着いたらしく、目がトロンとしてきた。

          ピッピは私の顔を見上げると、出産の覚悟を決めたのか、隣の部屋にゆっくり歩いていった。部屋をのぞくと、ピッピは本棚と押入れの間の狭苦しい空間で、鼻息を心持ち荒くしながら横たわっていた。すでにピッピは、私への甘えや依存を捨てた厳しい顔をしていた。

          私は出産に立ち会おうと徹夜を覚悟したが、布団に入ると睡魔には勝てず、そのままピッピを置いて寝てしまった。無責任なパパである。

          朝起きると7時だった。廊下に出るとピッピが悠然と歩いていた。
          ピッピの腹は昨日までのミジンコ状態とは違い、ペコンとへこんでいた。へこんで身軽になった腹はゴムみたいに垂れていた。ピッピの白い体毛には少し血液が付着していて、廊下や階段にも血の跡があった。

          子猫が生まれたのだ。

          昨日ピッピが寝そべっていた、押入れの前の狭い空間を見た。5匹の猫の赤ちゃんが、顕微鏡の中の得体の知れない微生物のように、モゾモゾ動いていた。赤ちゃん猫と畳の擦れ合う音がかすかにした。

          ピッピは赤ちゃんを1匹ずつ丁寧に舐めた。ピッピが寝そべると、赤ちゃんは5匹全員がママのピンクの乳首に食らい付いた。
          ピッピは私が寝ている間に、出産のすべての行程を、きちんと自分ひとりでやり通したのだ。






          JUGEMテーマ:ペット


          | わが家の猫 | 22:38 | - | - | ↑PAGE TOP
          早大映研の部室と、塾の自習室
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            私が大学時代に所属していたのは早稲田大学映画研究会で、映画系では最も古いサークルだと言われている。映画研究会(映研)のOB名簿らしきものを見ると、上のほうに橋田壽賀子の名前があった。
            早稲田には100近い映画サークルがあるが、早稲田の他の映画サークルは、映画研究会から分派独立(喧嘩別れともいう)してできたらしい。

            映研の部室は、古い4階建ての「第一学生会館」という、いまは取り壊されてしまった建物の最上階にあった。ここはサークルの部室が集まった建物で、壁にはサークル紹介のビラや、演劇のポスターがベタベタと貼られ、2階には「文連」という早稲田祭の実行委員、つまり活動家の学生の事務所があったり、階段の踊り場では壁に向かって尺八を吹いている学生がいたり、まあ何ともユニークでアングラな人たちが集まった建物だった。

            早稲田は学生の数が40,000人以上と多いため、黙っていたらマスの中で埋もれてしまう。無理してでも自分の突出した部分を見つけ、個性をアピールしなければ生きていけないようなところがある。そんなプレッシャーが大学を活性化させるのだろうが、特に第一学生会館に巣食う学生たちは建物の意匠のせいか「変人」が多い気がして、若い変人たちを詰め込んだ第一学生会館は、コンクリートでできた変人屋敷のような景観を呈していた。BGMも尺八の音色だし。

            私より10歳以上の先輩たちは学生運動に忙しく、過激な行動と正義の純度で自分の存在をアピールしたが、私達の世代の大学生は、ユニークな唯一無二の存在に憧れ、自分の個性を意識して作り上げる方向性を追求したのかもしれない。
            とにかく第一学生会館は60年代70年代の社会正義を体を張って実現しようとした活動家と、80年代以降のちょっと個人主義的な、ノンポリでプチブルな学生の両方を見守ってきた。

            私もそんな雰囲気を愛し、大学時代は教室で講義を聴くよりも、第一学生会館にある映研の部室にいることが多く、早稲田実業高校近くにある「メルシー」というコーンが入ったラーメン屋に友人達とよく連れ立って行ったし、また第一学生会館の近くにはガウディみたいな建造物があり、その前の「ほっかほっか亭」の、脂っこくべちゃべちゃしているのだが、中毒性があり腹持ちがいいC級グルメの典型みたいな唐揚げ弁当を買って部室で食べたりした。

            4階の映研の部室に隣接して、アナウンス研究会があり、ここは映研とは違い大盛況で、部室の外にまで部員があふれ、ニュース原稿読みの練習なんかをしていた。アナウンス研究会、略してアナ研は亡き逸見政孝さんなど、アナウンサーを多数輩出している。
            そんな廊下にまで人が溢れるアナ研の人混みを抜けると、4階の一番奥まった位置に映研の部室があった。

            映研の部室は汚く、机には空き缶や書類や映画のチラシが常時ゴチャゴチャした状態で散乱していたし、室内はタバコでパチンコ屋並みに煙たく、床にはタバコの灰が落ちていた。おまけに映画の機材、8mmカメラや照明やレフ板や三脚や映写機や編集機が乱雑に置かれ、また誰が書いたのか知らないが、天井には東陽一・高橋伴明・田原総一朗といった映画監督の名前が墨で大きく書かれ、狭くるしいアングラな空間を醸し出していた。

            部室に行くと、部員達が話に興じていた。仲のいい部員や慕っている先輩が部室にいると、嬉しくて話が進んだ。
            私は自分から話すのが苦手で、先輩や同級生や後輩たちの話を、笑いながらうなずいて聞くのが好きだった。
            ただ、黙っているだけでは淋しいし、ちょっとは自分の存在をアピールしたい欲もあるので、ギャグや毒舌を含んだ短い言葉を、合いの手に入れたりした。

            話題はさまざまで「ローリングストーンズとエアロスミスはどちらが偉大か」という音楽話とか、「次の首相は誰か? 次の次の首相は誰か? じゃあそのまた次の首相は誰か?」とか政治の話とか、「もしテレビ業界人になれたら、おニャン子クラブの誰と付き合うか」というどうしようもない話とか、年長者に眉をしかめられそうな、典型的な日本のアホ大学生のものだった。

            ただし、一応映画研究会なのだから映画の話も盛んで、当時一部で崇拝されていた映画評論家の蓮實重彦に関する話とか、また「小津安二郎の「お早よう」の子供の放屁は何かのメタファーなのか」といった個々の映画の話とか、あと映画研究会で撮られた映画をネタに「○○先輩には才能がない。オナニー映画だ」といった厳しい批評をしたりして、青臭いながらも映画論は活発だった。

            とにかく、映研の部室ではウィットのある会話が弾んで楽しかった。私はここで空気を読みながら対話をするコツを少しは理解できるようになったし、また面白い話をしなければスルーされる厳しさも学んだ。

            さて、何で私が大学時代のサークルの話を延々としたかというと、うちの塾の自習室の雰囲気が、いまはもうなくなってしまった早稲田の映研の部室に瓜二つなのである。

            さすがに自習室がタバコの紫煙で充満しているわけではないが、狭くて薄汚い部屋だし、映画の機材の変わりに書籍がたくさんあり、少しアングラな匂いもする。

            もちろん映研の部室は議論活発な喧騒な場であり、対照的にうちの塾の自習室は静寂さに満ちている点が大いに違うが、どちらもエネルギー量の強さという点で共通している。大学受験に燃える若者の静かな沈黙のエネルギーは並大抵ではない。
            映研の部室も塾の自習室も、ともに脳が活発に成長する場のような気分がして、それに何よりも私にとってかけがえのない「居場所」である。

            塾生が自由な時間に来て自由な時間に帰り、休憩時間は塾生たちのユーモアに富んだ会話で笑いに満ちている。おとなしい子もニュアンスのある笑顔で、かつての無口な私のように会話に参加している。
            居心地の良かった東京の早稲田大学の映研の部室が、瀬戸内海の島の雑居ビルに再現されたみたいである。

            私が映研の部室に腰を据えて離れなかったように、将来有望な受験生たちが、塾の自習室を生涯で最も大事な時期の「居場所」にしてくれることは嬉しい。

            60年代70年代の大学生が、学生運動で体制側に向けたエネルギーも、80年代の個性を追求した内向的なエネルギーも、もしかしたら若さ故に方向性が間違って歪んでいたのかもしれないが、エネルギーの熱量が強烈だったのは確かである。
            うちの高3生はあと1ヶ月で大学生になる。彼らのエネルギーの熱量は、我々に劣らず強い。早大映研部室の遺構のような塾の自習室で蓄えられた2000年代の大学生のエネルギーは、どの方向に放出されるのか。
            | 塾の様子ガラス張り | 22:31 | - | - | ↑PAGE TOP
            広告は「要約」である
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              中学生の授業で「要約」を教えようと考えている。国語しかり英語しかり。
              長い文章のエッセンスだけを、キリリと200字〜400字くらいにまとめる。文章のコアな部分を、ギュッと把握できる力がつくだろう。

              私も小学6年生の時、塾の先生から勧められて「天声人語」の要約を1日も欠かさずやっていた。私がいま、曲がりなりにもブログでこうして飽きずに文章書きを続けられるのも、その時の経験がものを言っているのは間違いない。辰濃和男氏のエッセイ独特の「読者を静かに搦め手から説得する方法論」の10%ぐらいは吸収できたように思う。

              でも今考えると「天声人語」なんて、一番要約しにくいタイプの文章だ。小学生時代は我流で要約していたつもりになっていたが、読み返してみると要約になっていないし、また大人になったいまの私が「天声人語」の要約をしようと思っても無理だ。エッセイ的な文章は要約問題にそぐわない。「社説」の方がずっと要約の材料文としてふさわしい。

              要約は慣れてしまえばコツがつかめる。人がものを書くのは、何か新しいアイディアが浮かんで、それを披露したいからに他ならない。頭に浮かんだユニークな視点、発想のオリジナリティを自慢したいのだ。そんな書き手の「イイタイコト」の要の部分を、鍋に浮かんだ湯豆腐を掬うように、丁寧に書き出してやればいい。

              ただ、他人の文章なら客観的かつ冷徹に眺めることができるが、自分の文章を要約するのは意外に難しい。「イイタイコト」が自分でわかっているかいうと、そう単純なものでもない。

              いま私は塾の宣伝広告の文章を書いている。この作業は思いのほか難しい。
              膨大な「イイタイコト」が頭の中にある。また私が今まで書いてきたブログは1000編以上あって、原稿用紙に換算すると400字詰めで5000枚に達するだろう。

              しかし広告の文章のスペースはせいぜい原稿用紙10枚くらいしかない。広告の文章は、自分の思想や教育論の「要約」のようなもので、5000枚の膨大な文章を10枚に「要約」するのは並大抵な作業ではない。

              ましてや、たった一言のコピーにするのは、どうしようもなく難しい。

              大掃除であれも大事、これも大事と、昔の思い出の品がなかなか捨てられないのとよく似ている。自分可愛さのあまり、頭に浮かんだ一言一句に思い入れのバイアスがかかり、大胆に枝葉の部分になたを振るうことができないままになってしまう。

              こんな時、誰か私の代わりに広告を書いてもらいたいと思う。おそらく他人が書いた文章に対して、私は違和感を覚えるだろう。そして違和感を素直にぶつけながら、代筆者と私で意見を交換し、より良い広告を追求していく。

              たとえばミュージシャンがレコーディングする時、プロデューサーという作品を俯瞰する存在がいる。プロデューサーが作品を、ひとりよがりな方向に進むのを防いでくれる。
              その点、個人塾の広告の多くは、他者の客観視というフィルターを通すことなく巷に配布されるから危険性が高い。

              私は今まで、広告を1から10まで自分で書いてきたが、「セルフ・プロデュース」の限界も少し感じつつある。私の雑然とした「イイタイコト」を要約し、混沌とした頭の中を大掃除してくれる第三者の意見が欲しい。
              | 塾の様子ガラス張り | 23:39 | - | - | ↑PAGE TOP