猫ギターの教育論

尾道市向島の塾「US塾」塾長のブログ 早稲田大学・開成高校出身 本音が飛び交う、少し「上から目線」の教育論
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「US塾塾長」と「アメリカ合衆国大統領」
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    アメリカに行った時、もし必要に迫られ私の肩書を告げなければならない事態になった場合、「個人塾塾長」は、どう英訳すればいいのだろうか。

    「塾長」は一応社長である。CEOと呼べば格好いいかもしれない。でも社長はアメリカでは"president"が一般的なようだ。

    私の塾の名は「US塾」という。「US塾塾長」をそのまま英訳すれば、なんと"President of the US"ということになる。

    "President of the US"という肩書きを持つ人間は、私が知る限りGeorge Bush氏と私の2人しかいない。

    高2の英語で、"The U.S. President declared war against Iraq this morning."を「今朝、US塾塾長はイラクに宣戦布告した」と訳したら、生徒諸君はお義理で笑ってくれた。

    空港の入国審査で係官に「あなたの職業は?」と訊かれて"President of the US"と応えたら、せっかくのギャグが通じず強制出国させられ、アメリカ旅行を楽しめない可能性がある。

    アメリカだったら強制出国ですむが、アメリカを敵視するイスラム圏に行ったら殺害されるかもしれない。

    冗談もほどほどにしようか。
    | 塾の様子ガラス張り | 20:07 | - | - | ↑PAGE TOP
    アメリカへドライブ
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      ピロ君と来年4月に、アメリカ西海岸をドライブすることになった。
      ピロ君はアメリカでギターを買うらしい。私は運転できないので、悪いけど運転手役を引き受けてもらう。大丈夫だろうか。

      最初は、東海岸のニューヨークに行く予定だったのだけど、西海岸のロスやサンフランシスコの方が航空運賃が若干安いし、またドライブの楽しさではカリフォルニアに軍配があがる。

      おまけにロスからラスベガスまで意外に近い。距離にして約500km。砂漠のハイウェイを飛ばせば5時間で着く。
      500kmといったら東京・大阪間に匹敵するが、アメリカに行くと距離感が麻痺してしまうのだろうか。

      私はラスベガスが好きだ。あの派手派手しさがたまらない。日本中のパチンコ屋が集まっても、ラスベガスのネオンの洪水にはおそらく勝てないだろう。

      ラスベガスはカジノで儲けているため、ホテルの料金は意外とリーズナブルだ。カニや生ガキやローストビーフが食べ放題のブッフェ(日本のバイキング)も内容に比べて格段に安い。カジノにはまらなければ、お金をかけずに滞在を楽しむことができる。

      ラスベガスまで行ったらグランドキャニオンは外せない。実際に行ってみてガッカリする観光地もあるが、グランドキャニオンは想像の100倍良かった。

      グランドキャニオンは地球というより、宇宙船で別の惑星に舞い降りたようだった。前回は慌しいツアーだったので、今度はじっくりトレッキングでもしたい。

      アメリカのドライブは、ラスベガスは除き、ホテルは取らずにモーテルに宿泊する予定。日本でモーテルと言えば100%ラブホだが、アメリカのモーテルは淫らな目的で使われたりはしない。

      ただ古いモーテルには悪いイメージがある。
      ヒッチコックの映画「サイコ」では、女性の主人公がモーテルでシャワーを浴びている最中に、二重人格の男によってナイフで惨殺された。大量の血液がシャワーの水と一緒に排水溝に流れていくシーンは有名である。殺されないよう気をつけたい。

      アメリカのショッピングセンターにも行きたい。私は巨大ショッピングセンターが大好きである。イオンモールなんか行くと胸がときめく。広島のダイヤモンドシティや倉敷のイオンモールにはよく足を運ぶ。買うものといえば本かCDかユニクロの服かペット用品ぐらいなのだけど。
      とにかく、ロスやサンフランシスコ郊外の巨大モールの雰囲気をじっくり味わいたい。
      | 旅行食べ物 | 19:20 | - | - | ↑PAGE TOP
      タモリの赤塚不二夫への弔辞
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        弔辞

        8月2日にあなたの訃報に接しました。6年間の長きにわたる闘病生活の中で、ほんのわずかではありますが回復に向かっていたのに、本当に残念です。

        われわれの世代は赤塚先生の作品に影響された第1世代といっていいでしょう。あなたの今までになかった作品や、その特異なキャラクター、私たち世代に強烈に受け入れられました。10代の終わりからわれわれの青春は赤塚不二夫一色でした。

        何年か過ぎ、私がお笑いの世界を目指して九州から上京して、歌舞伎町の裏の小さなバーでライブみたいなことをやっていた時に、あなたは突然私の眼前に現れました。その時のことは今でもはっきり覚えています。赤塚不二夫が来た。あれが赤塚不二夫だ。私を見ている。この突然の出来事で、重大なことに、私はあがることすらできませんでした。終わって私のところにやってきたあなたは、「君は面白い。お笑いの世界に入れ。8月の終わりに僕の番組があるからそれに出ろ。それまでは住むところがないから、私のマンションにいろ」と、こう言いました。自分の人生にも他人の人生にも影響を及ぼすような大きな決断を、この人はこの場でしたのです。それにも度肝を抜かれました。

        それから長い付き合いが始まりました。しばらくは毎日新宿の「ひとみ寿司」というところで夕方に集まっては深夜までどんちゃん騒ぎをし、いろんなネタを作りながら、あなたに教えを受けました。いろんなことを語ってくれました。お笑いのこと、映画のこと、絵画のこと。他のこともいろいろとあなたに学びました。あなたが私に言ってくれたことは、いまだに私にとって金言として心の中に残っています。そして仕事に生かしております。

        赤塚先生は本当に優しい方です。シャイな方です。麻雀をする時も、相手の振り込みであがると相手が機嫌を悪くするのを恐れて、ツモでしかあがりませんでした。あなたが麻雀で勝ったところを見たことがありません。その裏には強烈な反骨精神もありました。あなたはすべての人を快く受け入れました。そのためにだまされたことも数々あります。金銭的にも大きな打撃を受けたこともあります。しかし、あなたから後悔の言葉や相手を恨む言葉を聞いたことはありません。

        あなたは私の父のようであり、兄のようであり、そして時折見せるあの底抜けに無邪気な笑顔は、はるか年下の弟のようでもありました。あなたは生活すべてがギャグでした。たこちゃん(たこ八郎さん)の葬儀の時に、大きく笑いながらも目からはぼろぼろと涙がこぼれ落ち、出棺の時、たこちゃんの額をぴしゃりと叩いては、「この野郎、逝きやがった」と、また高笑いしながら大きな涙を流していました。あなたはギャグによって物事を動かしていったのです。

        あなたの考えはすべての出来事、存在をあるがままに前向きに肯定し、受け入れることです。それによって人間は、重苦しい陰の世界から解放され、軽やかになり、また、時間は前後関係を断ち放たれて、その時、その場が異様に明るく感じられます。この考えをあなたは見事に一言で言い表しています。すなわち、「これでいいのだ」と。

        今、2人で過ごしたいろんな出来事が、場面が、思い浮かんでいます。軽井沢で過ごした何度かの正月、伊豆での正月、そして海外への、あの珍道中。どれもが本当にこんな楽しいことがあっていいのかと思うばかりのすばらしい時間でした。最後になったのが京都五山の送り火です。あの時のあなたの柔和な笑顔は、お互いの労をねぎらっているようで、一生忘れることができません。

        あなたは今この会場のどこか片隅で、ちょっと高い所から、あぐらをかいて、ひじを付き、ニコニコと眺めていることでしょう。そして私に「おまえもお笑いやってるなら弔辞で笑わしてみろ」と言ってるに違いありません。あなたにとって死も1つのギャグなのかもしれません。

        私は人生で初めて読む弔辞が、あなたへのものとは夢想だにしませんでした。私はあなたに生前お世話になりながら、一言もお礼を言ったことがありません。それは肉親以上の関係であるあなたとの間に、お礼を言う時に漂う他人行儀な雰囲気がたまらなかったのです。あなたも同じ考えだということを、他人を通じて知りました。しかし、今、お礼を言わさせていただきます。赤塚先生、本当にお世話になりました。ありがとうございました。私もあなたの数多くの作品の1つです。合掌。

        平成20年8月7日、森田一義
        | 映画テレビ | 09:32 | - | - | ↑PAGE TOP
        引きこもりと原爆
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          昔は、家に引きこもる若者は「ワケアリ」だった。働かず家から外に出ない若者には、無神経に他人が触れてはならない、何らかの重大な事情があった。

          たとえば、障害者への差別が昔は露骨だった。障害を持つ子やその家族は、無神経に中傷され、容赦なく罵声が浴びせられた。だから障害を持った子を産んだ親は、自分の子を外には出さないケースが多かった。

          横溝正史の金田一耕助シリーズを読むと、座敷牢に幽閉された「狂人」がたびたび現れる。世間の偏見から自分の子を守るには、親が子を「引きこもらせる」しか方法がなかったのだ。

          過去の日本で一番、若者が家に引きこもった率が高い場所がどこで、時代はいつだかご存知だろうか?
          それは、昭和20年代の広島・長崎である。この時期の広島・長崎には、引きこもる若者の数が異常に多かった。

          原爆資料館に行くと、顔や身体に火傷を負い、ケロイド状態になった人の写真が数多く展示されている。彼らの多くは放射能の後遺症で死亡したが、傷を負ったまま生き延びた人もいた。

          今と違って皮膚の移植手術が発達していたわけではないから、彼らはケロイドを曝したまま、酷暑の広島の原爆スラムの自宅の奥で、ひっそりと誰とも接触せずに暮らしていた。傷ついた自分の身体を人目に出すことを潔しとしなかったのだ。
          また、戦後は傷痍軍人があふれた。彼らの中には積極的に社会に復帰する人もいたが、家に「引きこもる」人もいた。

          どんな戦争でも、戦後は傷痍軍人が街にあふれる。タイに行くと今でも、カンボジアから流れ着いた、内戦で足を失った軍人や民間人が物乞いをしている。
          タイに行った時、バンコク最大のショッピングセンター、マーブンクロンセンター前の歩道橋に、両足のない20代後半くらいの物乞いがいた。
          カンボジア内戦は二十年前だから、年齢からして彼は幼時に足を吹き飛ばされたのか? それとも最近不発弾を誤って踏んでしまったのか? 

          その足のない物乞いは、両足がないので座っているのか寝ているのか表現できない体勢で、炎天下で日光がコンクリートの路面を真っ白に照らすバンコクの街に佇んでいた。
          彼は「マクドナルド」の紙カップを目の前に置いていた。マックのカップには3分の1くらい小銭が入っていた。
          私はマックのカップに、小銭を5枚くらい入れた。物乞いは私に向かって合掌した。私も合掌で返した。

          彼は家で「引きこもる」より、自分の足のない身体を資本に、炎天下で物乞いするしか生きる術はないのだろうか?
          自分の傷を曝すことを恥辱として引きこもる日本人と、曝して物乞いをするカンボジア人。

          とにかくも、昭和20年代・30年代の日本では、障害者問題や原爆症や戦争で傷を得たせいで、若者が家に引きこもった。だから世間もマスコミも、若者の「引きこもり」を無神経に話題にすることなど、到底できなかった。
          ましてや家に引きこもる若者に対して、「外に出て働け」とは絶対に言えなかった。


          | 未分類エッセイ | 20:49 | - | - | ↑PAGE TOP
          8月6日 ローマと原爆ドーム
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            廃墟のようなコロッセオ。
            奴隷が8年間という短期間で造り、キリスト教徒がライオンに喰われるショーが行われたらしい。
            中は擂り鉢型で、広島市民球場より遥かに巨大な気がする。


            ローマは聞きしに勝る古い街だ。
            多くの建造物は400年〜500年前に建てられた。建築規制は当然京都とは比較にならないくらい厳しい。
            私の泊まったホテルは「新築のホテル」だったが、それでも建てられたのは1960年代である。

            400年前の人はもちろん「自動車」という物を想定して都市計画をしていないから、駐車場事情は非常に悪く、ローマの道はどこもこんな感じである。



            大阪人も驚く路上駐車ぶりである。というか道が駐車場になっている。

            そんな古いローマの街を歩いていると、ローマ帝国時代の約2000年前に建造された、廃墟みたいな朽ち果てた石造りの建物にお目にかかる。夜にはオレンジ色のライトアップが施され不気味だ。

            2000年前といえば日本は弥生時代、卑弥呼もまだ生まれていない時代だ。どんなにローマの建造物が古いかわかる。
            法隆寺の五重塔も、薬師寺東塔も1400年ぐらい前の建物だ。木造建築が1400年も保存されているのは奇跡だが、ローマの遺跡はそれよりずっと古い。

            このローマ帝国時代の古い建造物は、広島の原爆ドームによく似ている。ローマは街中が原爆ドームだらけの街だ。

            ローマの建造物は、2000年という長期間の風化によって廃墟になったが、原爆は一瞬のうちに、近代的建造物を廃墟にしてしまった。
            | 旅行食べ物 | 13:15 | - | - | ↑PAGE TOP
            不定詞と「アイウォンチュー」
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              中2の授業は不定詞。
              ちょうどNHKの「基礎英語2・8月号」が不定詞の分野なので、テキストと併用して使っている。

              この「基礎英語2」が、なかなか面白おかしくできていて、評判がいい。
              登場人物のしゃべり方がユニークで笑いを誘う。
              楽しみながら英語を習得できるし、NHK基礎英語の最高傑作ではあるまいか。

              ところで、中2の「アンパンマン2号」君。
              「基礎英語2」は、家族でハワイに行くストーリーなのだが、飛行機の場面で女性のフライトアテンダントが登場する。

              そこで私はアンパンマン2号君に実践問題として
              「飛行機で何か飲み物が欲しくなったら、フライト・アテンダントに英語で何と言えばいいか?」と問うた。

              ところが、アンパンマン2号君は

              "I want to..."
              "I want to..."
              "I want to..."

              と"I want to..."を何度も繰り返すだけで、先が続かない。

              toを抜かして"something to drink" とでも繋げればいいのだが
              "something to drink" というフレーズが、まだ覚え切れていない。

              しかもアンパンマン2号君の"I want to..."の発音が
              "I want you."に聞こえる。
              「ウォントゥー」じゃなくて「ウォンチュー」なのだ。
              お前は南佳孝か。

              彼が実際に飛行機に乗っても、スチュワーデスに"I want you."と言うのだろうか。

              スチュワーデスさんも、童顔のアンパンマンに似た中学生に

              「アイウォンチュー」
              「アイウォンチュー」
              「アイウォンチュー」

              と、何度も繰り返し求愛されたら戸惑うだろうに。
              | 高校受験 | 17:44 | - | - | ↑PAGE TOP
              さぬきうどんと塾
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                7月26日は尾道の住吉祭の花火大会。
                塾は休みにして、喧騒の尾道を離れて讃岐地方を訪れ、1人でタクシーを駆使して、うどん屋巡りをしてきた。

                上の写真は、何の変哲もない住宅街にある、朝9時ごろからやっているプレハブの製麺所で食べた、エッジの立った飛び切り美味いうどんである。うどんも汁も冷たい、いわゆる現地用語で「ひやひや」という。

                上に乗っかっている竹輪が何気にうまい。讃岐地方の練り物の味はレベルが高いような気がするのは錯覚だろうか。

                讃岐では普通の住宅街や、田んぼや侘しい谷間が、うどん屋の行列のせいで異次元の世界になっている。香川県は面白いところだ。

                讃岐ではどのうどん屋も朝早くから、うどん粉を捏ね、包丁で切り、熱湯で茹で、冷水でひやす。この一連の単純作業が毎日続けられる。素人がやったら、30分で筋肉痛になりそうな作業を、延々と長時間続ける。

                しかもうどんの値段は法外に安い。タイやベトナムの屋台みたいな価格だ。この原材料高で、1玉100円とか120円の値段で、よくやっていけると思う。他県の小綺麗なうどん屋の機械打ちのうどんが、ぼったくりに感じてしまう。

                ところで、讃岐うどん屋は、塾の仕事にどこか似ている。
                塾も学校もそうだが、教師というのは同じ内容を何度も繰り返し教える仕事である。
                特に7〜8学級もあるようなマンモス校の学校の先生は、同じことをテープレコーダーのように、7〜8回繰り返し授業をしなければならない。これはかなり忍耐力が必要な仕事である。

                教師は新鮮さを保ちながら、同じ内容を繰り返す能力を求められる。生徒や聴衆を飽きさせてもいけない。
                讃岐うどん屋のように同じような作業を、レベルを維持しながら、手を抜くことなく淡々と丁寧に続ける能力が、塾を続ける上で一番大事なことなのだ。

                斬新なアイディアの饗宴よりも、愚直に地道な作業をこなしてゆくことが、塾を継続する鍵である。
                10回に1度120点の授業をやるよりも、90点の授業を毎回続けるほうが、はるかに難しい作業なのかもしれない。

                ルーティンワークを厭わない忍耐力。新しい教え方のアイディアを散りばめながらも、基本線を損なわず、毎日同じ作業を粛々とこなす能力。塾の先生は、讃岐のうどん屋のような存在にならなければならないのかも。
                | 旅行食べ物 | 17:32 | - | - | ↑PAGE TOP