猫ギターの教育論

尾道市向島の塾「US塾」塾長のブログ 早稲田大学・開成高校出身 本音が飛び交う、少し「上から目線」の教育論
kasami88★gmail.com
CALENDAR
 123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
282930    
<< September 2008 >>
RECOMMEND
RECOMMEND
SELECTED ENTRIES
CATEGORIES
ARCHIVES
twitter
猫ギター
MOBILE
qrcode
LINKS
PROFILE
OTHERS
無料ブログ作成サービス JUGEM
2008 香港・マカオ旅行記 旅立ちまで-1
0


    この写真は、タイムマシンで201×年の尾道水道に時間移動して撮影したもの。左岸が高層ビル街と化した未来の向島、右岸が尾道。

    右下のワイシャツにネクタイ姿の青年は、事業で成功し尾道に帰省したK君の雄姿。



    というのはもちろん冗談で、塾OBの大学1年生、K君・D君と香港・マカオ・広州・深センに旅行してきました。
    上の写真は香港の"Avenue of stars"、左岸は香港島、右が九龍半島です。
    写真担当はK君なので、大阪から写真が届き次第、旅行記を掲載します。
    | 香港・中国 | 18:55 | - | - | ↑PAGE TOP
    K君に怒りのメールを送った話
    0
      うちの塾のOB、大阪大学工学部1年生のK君たちと旅をし、久しぶりに話をした。
      K君は去年、地を這うような努力をし、現役で大学合格を果たした。その奮闘については以前書いた通りである。

      昨年、高校部を始めたとき、高3のK君は真っ先に塾に来てくれた。
      彼は小3の終わりごろから、中3までわが塾の生徒だった。彼が中学を卒業した時は高校部をやってなかったので、2年間のブランクはあったが、一緒にまた戦うことになった。

      実を言うと、高校部を始めて最初の1ヶ月、高3の生徒はK君ただ1人だった。K君がいなければ、私はひとりぼっちだったのである。

      高校部を始めたばかりなので、当然ながら実績は何もない。
      塾が軌道に乗って「あの塾は評判がいい」とやって来る生徒はいくらでもいる。
      でもK君は私を信じて、人生の一番大事な1年間を、場末の塾の塾長でしかない私に賭けてくれた。

      K君の行動は、任侠の世界以外の何者でもない。私の頭には北島三郎の「兄弟仁義」が流れた。私もK君も馬鹿なので、馬鹿2人で一緒に世間の目を覚ましてやろうと誓った。

      さて、K君の大学受験期間、私は声を荒げたりはせず、明るく平穏な時が過ぎていった。
      しかし7月に1度、私が彼に怒りをぶつけたことがある。

      4月に授業を始めて、彼の英語力がどれくらいなのか、いろいろ探りを入れてみた。
      K君の長文把握力は素晴らしかった。彼は理系特有の鋭い頭脳を持っているので、難しい構文の切りさばき方は文句がなかった。まるで手術中に患者の臓器を素早く縫う外科医のような鮮やかさだった。

      しかしK君は単語力がイマイチだった。K君は部活に命がけだったからなのか、単語の絶対量が欠けていた。
      逆に言えば、単語さえ集中的に暗記してしまえば、英語は得点源になる。私は部活で疲労の極地にあるK君の身体に鞭打ち、単語の課題を出し続けた。

      ところが7月前半のある日、単語テスト締め切りの期日に、K君が少しだけ遅れてしまった。
      私は一刻でも早く、K君に絶対的な単語量を身につけて欲しかったので、どう対処したらいいか迷い、焦燥感に駆られた。

      K君が単語力の不足で大学受験が不合格になれば、これは完全に私のミスである。単語は教師がテストを繰り返して強制力を働かせれば単語暗記は楽になる。締め切りは絶対に守らせなければならず、私がここで毅然たる態度に出なければ、K君は大学に落ちてしまう。

      私はK君を叱りたくはなかった。高校3年生でありながら、子供のような明るい屈託のない笑顔を振りまくK君の顔を想像しながら、この笑顔を私の怒りで打ち壊していいいのかと、思いが逡巡した。

      でもK君には絶対に志望大学に合格してほしかった。1人しか生徒がいない塾にダイブしてくれたK君には何が何でも勝って欲しかったし、受験番号を見た時の至上の快楽を、全身で感じてほしかった。

      叱るか、叱るまいか、悶々と悩み続け不眠の夜をすごし、何度も何度も送信ボタンを押すのを躊躇したあと、K君の携帯メールに朝の5時、今日の夜までに単語のノルマを完全に終わらせ、テストで絶対に合格点を取れという内容の怒りのメッセージを入れた。

      K君は恐ろしい文面に満ちた私のメッセージを見て震え上がったという。私はあまりK君を怒ったことがないので、突然の激越な文章で埋められたメールにショックを受けただろう。彼はテストに向けて学校で1日中単語を暗記したらしく、私から逃げずに単語テストに臨んでくれた。

      学校帰り、塾に現われたK君の顔は真っ赤に硬直し、明らかに私を恐れていた。私もK君の顔を見ると気まずいので、無言でテスト用紙を差し出した。

      テストの結果、彼はキチンと合格点を叩き出した。
      その後の彼は、単語暗記の重要さを認識してくれ、私が単語に関してだけは絶対に妥協しないことに気付いてくれ、単語量をメキメキ増やしていった。



      ところで、恐るべき事実を1週間前に知った。
      K君は物理で致命的なミスをし、彼も私も発表まで半ば合格をあきらめていた。彼が合格することは、初日から3連敗した力士が、その後12連勝して幕内優勝を飾るような、「奇跡」以外の何者でもない。

      それでもK君は「奇跡」を起こし、阿蘇山のカルデラのような物理の穴を、他の科目でカバーして阪大に合格した。

      大阪大学からK君の入学試験の得点の開示があった。なんと彼の点数は、総合点であと1点低ければ不合格だったらしい。1点といえば、単語1個ミスすれば不合格になるラインだ。

      私はそれを聞いて慄然とした。K君とは飲みながら語り合っていたが、酔いが一気に冷めた。

      もし私が怒りのメールを送らなければ、K君は不合格になり、いまごろ浪人生活を送っていたかもしれないのである。その日の単語テストで、3点ぐらいはもしかしたら稼いだかもしれないのだ。
      「薄氷を踏む」とは、まさにこのことだ。薄さ1mmの薄氷を踏んだのに、K君は心臓を麻痺させる、冷たい水の中には落ちなかったのである。

      しかしながら、私がもっと完全な指導をしておけば、K君に薄氷を踏ませることなく、本来の力どおり余裕で合格を勝ち取り、純粋な心に過度の苦痛を与えなくてすんだのではないか、そんな強い反省で心が乱れた。

      K君がギリギリで合格した驚愕の事実から、私は入学試験は天国と地獄が紙一重であることを再認識した。
      それと同時に、K君の運気の途方もない強さに、身震いして言葉を失うしかなかったのである。
      | uniqueな塾生の話 | 16:31 | - | - | ↑PAGE TOP
      会議はウンザリ
      0
        私は会議が嫌いだ。会議に出席するのも嫌だし、自分が主催するのも嫌だ。
        やむなく塾のスタッフに連絡事項を伝えなければならないケースもあるが、それでも5分以内でサッサと伝達を終わらせる。

        私が大手塾にいたとき、会議が長いのには閉口した。
        2ヶ月に1回くらい県本部で会議があり、各教室の教室長と主だった時間講師に動員がかけられたが、時には会議が3時間4時間と長引くことがあり、嫌で嫌でしょうがなかった。

        私はその頃20台前半の時間講師だったが、発言するのは30代40代のベテラン講師の方々で、彼らの話は最初のうちは刺激的で面白いのだが、時間が経つにつれて同じ話の蒸し返しや堂々巡りで、声も次第に大きくなり、まるでラヴェルの「ボレロ」みたいな会議で非常に困った。

        会議を自分の演説の場意見開陳の場だと勘違いし、会議になると目を輝かせて語り始める人はイタい。
        人前で話をする以上、聴き手を話で酔わせるサービス精神が必要だと私は考えるが、会議で積極的に発言する人の多くは自分の話に酔い、酔っ払いの戯言に堕ちていることに気づかない。
        彼らはまるで、客を酔わせることを忘れ、逆に自分だけベロベロに酔ってしまう場末のバーのホステスみたいだ。会議の他の参加者は酔っ払いの戯言に付き合わされて大いに迷惑である。

        また会議が長引くと、発言する人は発言するけど、しない人は黙りこくっている。
        ある日、いつもの如く一部の人達が侃々諤々と不毛な議論を戦わせていた。会議は始まってから数時間経っていた。私は「早く終われ」とイライラしていた。
        司会者は他の参加者達にも発言を促そうと「他にもご意見のある方いらっしゃいませんか?」と、今まで黙っていたふだん無口な時間講師を指名した。

        私はその人も同じように会議にウンザリしていると思い「いえ、別にありません」と会議を終わらせる方向の発言をしてくれると期待したが、ところがその人は何と、指名されたのを幸い堰を切ったかのように話し始めた。しかも悪いことにその内容が今まで述べられていた意見の反論だった。もちろん反論された側は黙っていない。会議はさらに熱くなり長引くことになった。
        やれやれ。

        もし私がその時司会者に「猫ギターさん、何か言いたいことはありませんか?」と尋ねられたら、「早くこの会議終わらしてください、うんざりです」と答えていたかもしれない。
        でもそんな勇気、俺にはないわ。
        | 未分類エッセイ | 15:42 | - | - | ↑PAGE TOP
        明治期の学歴と親の経済力の関係
        0
          東大生の家庭は果たして金持ちなのか? そんな親の経済力と学歴の関係がよく話題になっている。では明治時代はいったいどうだったのか? 明治時代のエリート旧制高校生と親の経済力・身分の関係を示す、面白い資料が私の本棚にあったのでご紹介しよう。

          まず、旧制高校生の族譜分布という統計がある。旧制高校の学生の「身分」についての数値である。
          明治期から大正3(1914)年までは、戸籍に族譜が記載された。族譜とは華族・士族・平民という、明治期に創出された「新しい身分」のことで、華族とは江戸時代の公家・大名家・維新の元勲、士族とは江戸時代の武士、平民とは江戸時代の商人・手工業者・農民を表す。

          明治12年(1879)年の、総人口中の族譜割合は
          華族 0.01%  士族 5.2%  平民 94.8%
          となっている。

          維新の元勲が大量に華族に列せられた影響で、華族の割合が0.3%ぐらいまで上昇したことを除いては、族譜割合は、明治後期まであまり変化が無かったようである。
          明治時代終了まで、人口比は士族が約5%、平民が約95%だったと考えていただきたい。

          では、当時のエリート中のエリート学校、現東大にあたる第一高等学校(一高)の学生の族譜分布を見てみよう。

          明治19(1886)年
          華族 0.2%  士族 60.9%  平民 38.9%

          明治43(1910)年
          華族 1.1%  士族 27.1%  平民 71.8%

          まず、明治19年の数字だけをご覧いただきたい。
          伊藤博文が初代内閣総理大臣に就任し、憲法発布の仕事に邁進していた明治19年ごろは、士族が一高生を占有していた。総人口比でたった5%の士族が、一高生のなんと60%を占めていたのである。

          士族は確かに平民と比べて富裕で、平民と比べ高等教育を受ける経済的精神的余裕があったといえるが、同時にこの数字は秩禄処分で安定した収入を失った旧武士の、子弟に学問で身を立てさせようという熱意を読み取ることができる。
          明治初期の大ベストセラー、福沢諭吉「学問ノススメ」に最も感化され、子弟の教育に熱を入れた階級が、江戸時代に武士だった人たちなのだ。

          では次に、明治19年と明治43年の数値を比較していただこう。明治43年は朝鮮併合が実施された年だが、一高生の平民階級の占有率が38.9%から71.8%に、大幅上昇したことを読み取ることができるだろう。

          士族が減少し平民が急激に増加したことは、フェアな能力主義が進展したことを示している。明治政府の、広い階層から人材を集めようとする初期の方針は、この数字で見る限り達成されたように思われる。

          それから明治期には薩長土肥の藩閥が政府を牛耳ったが、では藩閥と高校進学率は関係があるのだろうか? 明治30年〜33年ごろ、同年齢の若者が旧制高校に進学する率のベスト3は、
          1位 佐賀県  2位 高知県  3位 山口県
          となっている。3県とも薩長土肥の藩閥である。

          この統計からは藩閥諸県の教育熱の高さがうかがえる。また官庁、特に陸海軍では薩長土肥の出身者でないと出世できないという不文律が厳然と存在していたので、藩閥以外の道府県で生まれた若者が無力感を持たざるを得ず、出世のための勉強に身が入らなかったという面は、少なからずあったに違いない。

          しかし別の統計によると、旧制高校の進学率は時代を経るにしたがって平準化してゆき、藩閥が風化していく傾向を如実に表している。
          | 硬派な教育論 | 22:39 | - | - | ↑PAGE TOP
          茶の湯と人嫌い
          0
            私は人嫌いである。いや、人嫌いという言葉には語弊がある。私にも他人にいい人だと思われたい気持ちは人一倍あるし、また私の言動で相手を不愉快にはしたくはない。
            私が人と会うのを嫌がるのは。おそらく私が気を遣いすぎるからなのだろう。余計なことをしゃべって相手を不愉快な気持ちにさせてはならない気持ちが先に立つと、どうしても無口になる。

            特に初対面の人と出会うときは緊張する。会う前から胃がキリキリ痛み、いざ会うと行き場のない沈黙に悩む。不自然な居心地の悪い空間を、慣れない会話で埋めなければならない。
            意味のない酔ったような上っ面の饒舌と、わざとらしい作り笑いで初対面のぎこちなさを解消しようと努力しなければならない。自然体を装うよう演技しても、緊張感は高まるばかりで困る。

            私は元来話し好きではない。人前で話すことは私にとって苦痛である。大勢の前で1時間半講演するより、独房に1ヶ月こもって黙り続けなければならない方が私にはずっと幸せだ。話が商売道具の塾講師が話し嫌いなのは、歌の嫌いな歌手と同じだ。子供相手だから一応軽快な振りして話すことはできるが、人前で話すよりこうしてパソコンの前で文章を打っているほうが私にとってはずっと自然体だ。

            人と話すとき、酒の力を借りるのが一番の得策なのかもしれない。しかし悲しいことに私は悪質な酒乱なのだ。飲み過ぎると酒の勢いが他人を気遣うバリアを簡単に破壊する。酒に乱れて暴言を吐く。相手が泣くまで言葉の毒で攻撃する。相手が逆ギレすると暴力すら振るう。だから私は飲み会の席で「これ以上酔うと危ない」と察知すると、すかさず飲み物をウーロン茶に変える。おかげでここ十数年酒で乱れたことはない。

            とにかく私は人と付き合うことが苦手だから引きこもる。こんなポジションが私にとっても相手にとっても良いことなのだから仕方ない。

            さて、初対面の人と饒舌ぶった浅薄な言葉で沈黙を埋める気遣いもなく、お互いに黙っていながら、心を交わすコミュニケーション手段が日本には存在する。

            それは「茶の湯」である。

            茶室では無駄な会話は必要ない。時候の挨拶も、笑顔すらいらない。
            みずから薪水の労をとって湯相を整え、茶の湯の一定の作法を操り人形みたいになぞるだけで、相手に誠意をきちんと伝えることができる。

            自分の美意識をフル稼働して選び抜いた茶器に抹茶を三匙落とし、鉄釜の中で煮え立つ湯を慎重に注ぎ、茶筅で軽快に混ぜる。
            茶室の凛と張りつめた清冽な空間で、「私はあなたに敬意を持っています。私はあなたに会えて嬉しいです」と、無言かつ無表情ながらも、茶道の一連の所作で客人に精一杯の好意を伝えればいい。

            茶を淹れ終わったら、客人から目を少しばかり逸らしながら茶を差し出す。その後会話が弾むもよし、弾まぬもよし。
            特にインターネットで言葉のやり取りをした人と初めて会う場合は、相手の考えは文章を通じてある程度わかっている。茶室という異空間の雰囲気を利用しながら心地よく沈黙を守ればいい。茶室とは無言こそが最高のコミュニケーションになる稀有な場所なのだから。

            普通、人間同士の付き合いは外面から内面へと向かう。相手の姿形を見てから、会話によって人となりを知る。ところがネットで知り合った人間とは、まず文章で内面を知ってから、容姿や声や語り口といった外面に向き合う。通常の人付き合いとは逆のコースをたどるわけだ。
            茶の湯が全盛を極めた戦国時代も、住まいが遠く隔たった武将同士、まず書簡で相手を知った後で実際に会うケースが多かった。茶の湯はお互い内面を知る人間同士が、初めて実際に会う時の緊張感や羞恥心を巧みに隠し、自然な形での邂逅を実現させた、優れた装置であったはずだ。

            私は茶道のことなど一向にわからぬ素人だが、私のような「人嫌い」の男が遠方から訪ねてきた客人をもてなすのに、茶道の世界は心地よく感じる。茶道の堅苦しい一連の動作の中に、人をもてなす自然体の姿を見る。
            | 未分類エッセイ | 17:37 | - | - | ↑PAGE TOP
            勉強濃度
            0
              高校生から、高校の授業が眠いという話をよく聞く。
              生徒が授業中寝ているのは、絶対おかしい。
              教える側は、子どもの貴重な時間を奪っているのだという、「罪」の意識を持ってほしい。

              ところで私は「勉強濃度」という数値にこだわってみたい。
              「勉強濃度」とは、一定の時間に、どれだけ濃い勉強ができるかを示す数値である。

              1時間の授業で、生徒が最初から最後まで爆睡していたら「勉強濃度0%」
              きちんと授業を聞いて、ある程度満足感を覚えたら「勉強濃度80%」
              ということになる。

              授業を充実させるのが勉強濃度を高める最適の策であることは言うまでもない。
              ただし、授業だけで勉強濃度を高めようとしても限界がある。
              特に数学に関しては、どんなに立派な授業をしても、すべての生徒に同じ満足度を与えることは不可能である。数学という科目には歴然とした学力差がある。

              同じ数学の授業を受けるにしても、理解できる子には勉強濃度80%、しかし分数の計算も覚束ない子にとっては、勉強濃度は1%ということになる。
              逆に勉強ができる子が、簡単すぎる授業を聞く時の勉強濃度は下がる。内容が薄すぎて無駄な時間を過ごす事になってしまう。

              そう考えてみると、個別や家庭教師が、勉強濃度を高めるためのベストな方法なのだろうか?

              とにかく授業中、生徒に濃い時間を過ごしてもらう工夫をしたい。
              勉強濃度を高めるシステムの構築し、実践したい。
              アルコール度数の酒は少量でも酔えるように、勉強濃度の高い授業やシステムがあれば凝縮した短い時間で子供に満足感を与えることができる。
              幸い、某書でフィンランドの学校の授業のルポが掲載されていた。面白そうだ。少し真似をしてみようと思う。
              | 硬派な教育論 | 19:48 | - | - | ↑PAGE TOP
              志望校は「敵」である
              0
                受験が近くなり、塾にも各学校から説明会や学校案内のダイレクトメールが届く。特に高等学校からのDMの量が圧倒的に多い。

                ある高校からは、なんと配達証明郵便が送られてきた。郵便局の配達員が「サインをお願いします」と塾にやって来て、正直大迷惑だったので「この郵便は送り返して欲しい」と、郵便は受け取らなかった。

                また、突然塾に訪問する高校の先生もいらっしゃるが、「突然の訪問は困ります。アポを取ってください」と悪いけど丁重に追い返す。
                もちろん電話は「忙しいです」と秒殺で切る。

                当然ながら、私は入試の説明会なんか絶対に行かない。ここ5~6年ずっとご無沙汰している。東京や大阪のように私立が百花繚乱の情報戦が繰り広げられる地域で、説明会に行かないのは自爆行為だが、広島県東部のように学校の数が限られている地域では、わざわざ行く必要はないと考えている。

                おまけに、私は同業者と顔を合わすのが嫌いなのだ。
                5~6年前、ある私立高校の説明会に行ったら、なんと「ど根性ガエル」のピョン吉のTシャツを着た塾の先生がいて、しかも腹が突き出た人だったので、当人と同じようにピョン吉までデブになっていて、面白いやら情けないやらで、同類に見られたくないと深く心に決め、それ以来説明会に行ってない。

                また私は人の話を黙って聞くのが好きではなく、話し上手の高校の先生ならいいが、話し下手の先生だと「うちの塾生は高校に行ったら、この人の話を延々と聞かされるのか、オレは1時間かそこらで退散できるけど、高校生は膨大な時間この先生の話に付き合わされなければならない」と、せっかく生徒勧誘のために塾の先生を呼んで説明しているのに、かえって逆効果である。

                それから、一部の私立高校の入試制度は複雑すぎて困る。
                特進だの専願だの推薦だのスポーツ枠だの入試制度がいろいろあり、また進学Pクラスだの国際Uクラスだの環境工学Oクラスだの、奇妙なアルファベットのクラスがたくさんあって、お前はオバQ一族かと言ってやりたくなる。

                こんな携帯電話の料金プランみたいに複雑な入試制度の説明を延々と聞かされる高校説明会は困る。
                入試制度は、合格最低点に達すれば合格、でなけりゃあ不合格。そんなシンプルな判定であってほしい。

                とにかく、私が高校を選ぶ基準は、まず進学実績と入試問題の質だが、DMや電話や直接訪問で宣伝に熱心な学校は絶対に避けたい。
                逆に「来たい人だけどうぞ」みたいな、DMなんか死んでも送ってこない高飛車な名門校に、生徒達を送り出したい。

                受験生にとって、志望校とは「敵」である。志望校の入試問題に打ち勝ってはじめて受験に勝てる。
                それを敵の学校側から「うちに来ませんか」と営業的に媚びてくるのは調子が狂う。志望校は受験生にとって、無愛想かつ強い敵でなければならない。

                入試とは、営業に一生懸命であれこれ入学試験を複雑にしたがる学校と、あわよくば少しでも楽な方法で入学してやろうという親や生徒の馴れ合いではない。
                うちに入りたければ頑張って合格点を取りなさいという「冷たい」スタンスの学校と、じゃあ死に物狂いで合格してやろうじゃねえかと努力する「熱い」受験生の戦いである。

                面白いことに受験生にとって、合格が決まった瞬間、志望校は「敵」から、自分を全面的に受け入れてくれる母親のような存在に、一瞬にして変わる。
                学校を母親に喩えるのは大袈裟か。でも日本では自分の出身校のことを「母校」と呼ぶではないか。

                私は「敵」の住処には入りたくないし、敵側の人間とは会いたくないのである。
                学校が「敵」であることが、私の闘志を高める。
                | 大学受験 | 18:12 | - | - | ↑PAGE TOP