猫ギターの教育論

尾道市向島の塾「US塾」塾長のブログ 早稲田大学・開成高校出身 本音が飛び交う、少し「上から目線」の教育論
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韓国旅行記ダイジェスト
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    僕は韓国へいままで12回訪問している。韓国は中毒症状を起こしやすい場所だ。リピーターになりやすい。

    特に最近のウォン安は激しく、日本人観光客が韓国へ殺到している。
    10年前までは1000円=10000ウォンぐらいで為替が安定していたが、5年ぐらい前からは突如ウォンが高くなり、2年前に訪韓した時は1000円=7000ウォンぐらいだった。

    しかし今は約1000円=13000ウォンまで円高になった。
    要するに2年前は10000ウォンのテジカルビ(豚焼き肉)が1400円だったのが、今では700円強だ。ウォン安のおかげで、国内旅行よりはるかに割安感がある。日本人が韓国に行きたがる理由がわかる。

    韓国について書いたものをまとめてみた。

    まずは韓国の高速バスで、トイレが我慢できなくなった話
    韓国で膀胱破裂 上
    韓国で膀胱破裂 下

    韓国人と日本人の、風呂の入り方の決定的な違い
    韓国の風呂と包茎手術

    韓国人は風呂の中で新聞を読む
    日本人より活字中毒な韓国人

    韓国人のニンニクくささは強烈。体臭がすごい
    韓国人とチョッパリ

    韓国で飲んだ、米で作ったうまい「にごり酒」
    韓国の「マッコリ」と、まんが日本昔ばなし

    そして韓国で食べたうまいものをまとめてみました

    僕は石焼ビビンバより、普通のビビンバの方が好きだ
    ビビンバ

    牛肉の骨を煮込んだ、二日酔いに効くスープ
    ソルロンタン 

    鶏一羽を醤油と唐辛子で煮込んだ地方料理
    チムタク

    怒りすら誘いそうな、激辛タコ炒め
    ナクチボックン

    猛烈な量の、食べても食べても減らない焼き豚
    ボッサム

    韓国は牛肉より豚肉の方がうまい
    豚カルビ

    豚骨ラーメンのスープに、ご飯を入れた料理
    テジクッパ
    | 韓国 | 10:35 | - | - | ↑PAGE TOP
    中村雅俊の曲はカラオケに重宝
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      大津あきら,松井五郎,並河祥太,GARDEN,小田和正,松本隆,山田ひろし,一青窈,山川啓介,喜多條忠
      ¥ 2,813

      中村雅俊の大麻で逮捕された息子・中村俊太は、フジテレビのドラマ「白い巨塔」に出演していた。唐沢寿明の財前教授が引き起こした医療事故で死んだ、仕出し屋の主人の息子役だった。

      仕出し屋は主人の手術死後に経営が傾き、従業員は辞めていき顧客を減らした。未亡人を演じるかたせ梨乃は、仕出し屋の経営と裁判の二重苦で疲弊していった。
      中村俊太は金髪頭のヤンキー少年で、かたせ梨乃を助けたくても助ける力がない、無口で無力な息子を演じていた。当たり役だったように思う。

      当時は中村雅俊の息子だとは気づかなかった。顔が全然似ていないから仕方ないだろう。釈放され車に乗り込むとき、中村俊太は報道陣に向かって一言「すいません」と大きな声であやまっていた。誠実そうな感じな青年だった。



      ところで私は中村雅俊の曲が好きである。25〜30年前に朴訥な歌声でヒット曲を飛ばした。

      中村雅俊の曲は、キーも高すぎず低すぎず簡単に歌えるので、カラオケでよく歌った。音痴の私でも歌手になりきることができる。特に「ふれあい」は歌いやすい。

      ♪悲しみに出会うたび
       あの人を思い出す
       こんな時そばにいて
       肩を抱いてほしいと
       
       なぐさめも涙もいらないさ
       ぬくもりがほしいだけ
       ひとはみな一人では
       生きてゆけないものだから


      「ふれあい」を風呂場でボソボソ歌っていると、「オレって歌のうまい、渋いボーカリストじゃん」と、ナルシスティックに自画自賛できる。

      また「俺たちの旅」は小椋佳の傑作で、歌詞がロマンチック過剰で、インテリ特有の小難しさがある。小椋佳は東大出身の銀行員。観念の青くささと感覚のみずみずしさの、ドッキング感がいい。

      ♪夢の坂道は 木の葉模様の石畳
       まばゆく白い長い壁
       足跡も影も 残さないで
       たどり着けない山の中へ
       続いているものなのです

       夢の夕陽は コバルト色の空と海
       交わってただ遠い果て
       輝いたという 記憶だけで
       ほんの小さな一番星に
       追われて消えるものなのです


      「ものなのです」と一人で納得するなよ!
      「ものなのです」の連発が文学青年ぽくて、70年代のカッコ良さがプンプンしている。

      あと「恋人も濡れる街角」はブルージーな名曲。イントロからエロティックな世界だ。横浜は日本でおそらく一番、歌謡曲やJ-POPに似合う街だが、「恋人も濡れる街角」はまさに横浜の歌で、「馬車道」なんて地名がサラッと出てくるところがカッコイイ。

      この曲は1982年の映画「蒲田行進曲」の挿入歌である。僕はこの映画が好きで、近いうちに塾生に見せようと考えている。
      どこまでが脚本・つかこうへいの良さで、どこまでが監督・深作欣二の良さなのかわからない、ベタベタした恋愛心理をコッテリ描いた傑作である。

      「恋人も濡れる街角」を作詞作曲したミュージシャンが、自作自演でこの曲を横浜アリーナのライブで歌っていたが、ブルースの神が光臨したようで痺れた。こんなに歌がうまい人なんだと再認識した。正式発売されていないので、絶対にレコーディングしてほしい。

      僕が中村雅俊の曲で一番好きなのは「心の色」だ。
      最近、ハードロックバンド・Janne Da Arcのボーカリストyasuによるソロプロジェクト、Acid Black Cherryのカバーアルバムに、この「心の色」が選曲されていて驚いた。

      「心の色」を作曲したのは木森敏之という40歳で夭折した作曲家で、他にも岩崎宏美の「聖母たちのララバイ」、杉村尚美の「サンセット・メモリー」というヒット曲がある。

      「心の色」「聖母たちのララバイ」「サンセット・メモリー」の3曲とも、静かなメロディーで曲が始まるが、突然、唐突と表現していいくらいのサビで盛り上がり、ラストはドラマチックに声を張り上げ終わる。

      たとえば岩崎宏美の「聖母たちのララバイ」だったら「♪さあ、眠りなさい」でやさしく始まり、「♪この街は戦場だから」で緊張感漂うサビに突入し、「♪小さな子供の昔に返って熱い胸に甘えて〜」と劇的に大団円を迎える。「心の色」も「サンセット・メモリー」も曲の構成が共通している。

      音楽は、作曲家の視点から見たら面白い。
      たとえば岩崎良美「タッチ」、中森明菜「少女A」、チェッカーズ「ギザギザハートの子守唄」「涙のリクエスト」「ジュリアに傷心」など初期のヒット曲は芹澤廣明という作曲家の作品である。

      そして、80年代を代表する作曲家・林哲司は、菊池桃子や杉山清貴&オメガトライブの専属作曲家と言っていい存在だった。
      菊池桃子は「青春のいじわる」「SUMMER EYES」「雪にかいたLOVE LETTER」、杉山清貴&オメガトライブでは「サマー・サスピション」「ふたりの夏物語」「君のハートはマリンブルー」などのヒット曲を残している。

      河合奈保子「デビュー」、上田正樹「悲しい色やね」、中森明菜「北ウイング」、杏里「悲しみが止まらない」、竹内まりや「セプテンバー」も林哲司の作品である。

      なんだかどれも似ている感じがするでしょ?
      優れた作曲家には、一種の「体臭」がある。
      | 音楽批評の部屋 | 17:03 | - | - | ↑PAGE TOP
      補習でヒーロー
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        私の塾は集団授業塾だが、勉強が遅れがちの子には個別補習もやっている。特に中2英語はこの時期に差がつくと、将来とんでもないことになるので、目配りを欠かしてはいけない。とりあえず英語の苦手な子を数人呼んで補習する。

        でも、ただ単に補習をやってもつまらない。補習というものは過去に習った箇所の復習=反復と相場が決まっているが、それだけでは面白くない。確かに反復演習すると成績は上がるが、補習している方もされている方も、即効性があるパッとした手応えが欲しい。

        そこで私は補習で予習=先取り学習をやる。たとえばちょうど中2は助動詞に突入したところだが、他のみんなが助動詞を集団授業でやる前に、補習組の子に助動詞をみっちり教えておくのだ。

        そして助動詞の集団授業がはじまると、補習組の子にどんどん当てて答えさせる。他の子は助動詞を習いたてなので、あまり正確に答えられないのだが、補習組の子はあらかじめ知識を仕込んでいるので、私の質問に対してバシバシ正しい答えを出す。

        補習組の子は、補習に呼ぶ前には集団授業中私の質問にロクに答えられなかったのに、補習のおかげで力がつき、集団授業の時に楽々答えられて嬉しそうだ。授業中も以前とはうって変わり、「先生、俺に当ててくれ」という顔をしている。おそらく生涯初めて「できる子」の立場を味わうことができ、補習に参加して良かったと思うだろう。

        確かに補習組の子に先取り学習をやらせて、授業中「にわかヒーロー」に仕立て上げるのは、作為的であざとい手段かもしれないが、できる子がいつも授業中に味わっている優越感を、勉強が苦手な子に少しでも味わってもらえたら、局面が変わりそうな予感がするのだ。

        「落ちこぼれたから補習」ばかりでは、子供に劣等感がしみ付いてしまう。発想の転換で、補習を活気のあるものにしたい。
        | 塾の様子ガラス張り | 20:02 | - | - | ↑PAGE TOP
        カンニングは許さん
        0
          私はカンニングを絶対許さない。私自身、生涯で一度もカンニングをしたことはない。

          カンニングは、他人が試験勉強で苦労して積み上げてきた成果を、首の角度をちょこっと動かすだけで盗む、非常に恥ずべき行為である。最小限のエネルギーで点数という結果だけを求める、汚らわしい手法だ。
          また、カンニングペーパーを、前もってせっせと仕込む奴もいる。この類のズルイ人間が持つ本質的なセコさにも、吐き気がする。

          カンニングで一番悪いことは、カンニングが自分自身のためには決してならないことだ。目の前に2つ道があって、困難な道と安易な道があるとすれば、常に困難な道を選ぶ訓練を幼い時からしておかないと、子供は成長しない。学力は伸びない。

          カンニングズルさ、卑怯さ、卑屈さ、狡猾さ、モラルの欠如、自分の能力に対する自信のなさなど、人間のあらゆる悪い要素が凝縮した行為である。悪の芽は幼い時から摘んで焼き焦がしておかなければならない。

          悪い行為は矯正しなければならない。たとえば私は宿題でテキストの解答もいっしょに渡しているが、宿題で解答をただ写して、マルをする子。こういう子のノートは、放置しておくとバツ印は全く存在せず、マルだらけになってしまう。
          解答を写すことは、この子の将来になんら益をもたらさない。写すぐらいなら宿題をやらないほうがましだ。卑劣な行為は、直ちにやめさせなければならない。

          カンニングや、宿題の解答引き写しが劇的に発覚し、集団の前で断罪される決定的瞬間を迎えさせることでしか、不正行為は収まらない。

          宿題の解答丸写しを、劇的に発覚させる手段がある。まず自作の宿題プリントを作る。全部選択肢の問題。解答集も一緒に作り同時に配り
          「このプリントやってこいよ。ノートにやること。プリントはまた使うから何も書き込むなよ。解答も渡しておくから、答え合わせもやっておくこと」と指示する。

          このプリントの中に、答えを写した子の不正をあぶり出す、罠を仕込んでおくのだ。

          さて、その問題例。

          問題86 「十七条憲法」を制定したのは誰か、次から選べ。
          ア.藤原道長  イ.源頼朝  ウ.豊臣秀吉  エ.徳川吉宗

          この問題で、解答集には答えを
          問題86「オ」
          と書いておくのだ。

          問題の選択肢には、ご覧のとおり「オ」は存在しない。

          ノートに解答を「オ」と書いて赤マルしている子は、明らかに問題を解いていないで、問題に目すら通していなくて、解答だけを写していることになる。
          プリントに書きこませると、答えを写している子でも、選択肢に「オ」が存在しないことに気がついてしまうので、必ずノートにやらせる。

          当然、きちんと宿題をやった子は、

          「先生、問題86の選択肢の中に、聖徳太子の名前はなかったし、解答に「オ」なんて書いてあっておかしかったよ。ミスプリじゃないの」

          と私に指摘するだろう。そんな声が広まり、宿題を写した子が書き直す機会を与えないために、ノートは子供が塾に来た瞬間に回収する。

          ああ、やはり、消しゴムの跡すらなく、「オ」と疑いなく書いて、赤マルをした子供がいる。

          彼をその場で詰問する。

          私「お前、きちんと正しいやり方で宿題やってきたか?」
          子「うん。」
          私「本当か、嘘はなしだぞ。」
          子「うん。」
          私「答写してないな?」
          子「は、はい。」
          私「問題82、ここの答は「オ」でいいのか?」
          子「はい」
          私「問題よく見ろ、選択肢はアからエまでしかないぞ。」
          子「・・・」
          私「何でお前はノートに答えを「オ」なんて書いたの?」
          子「・・・」
          私「写したな?」
          子「・・・」

          水戸黄門の印籠か、遠山の金さんの桜吹雪のように、劇的な瞬間である。相手は写した決定的な証拠を握られ、反論はできない。
          解答を写すことがどんなに悪いことか、写した子に、一度鼻筋がツーンと凍るほどの、ショッキングな体験をさせなければわからないのだ。

          人間が不正をはたらくのは、不正に対する恐怖感が欠如しているからだ。
          不正をはたらいたって、少々のことではばれないだろうという心の隙が、不正をのさばらせる。

          私の悪いたくらみで、答を写す行為がピシリと収まるか、或いは逆に答の引き写し手口が巧妙になるか、2つのタイプに分かれるだろう。
          | 硬派な教育論 | 17:55 | - | - | ↑PAGE TOP
          理科社会は直前では伸びない
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            理科社会の受験勉強が、直前でいいなんて誰が言ったか。そんなのは迷信にすぎない。
            もちろん英語や数学に比べたら短期間の勉強ですむかもしれないが(英語の直前ダッシュなんて無謀だ)甘く考えていたら痛い目に合う。

            理社を直前になって慌てふためいて暗記し、無理やり受験に間に合わせようとする受験生が、「Newton」を購読している博士のような子や、戦国武将や幕末に詳しい社会オタクの子に勝つのは、現実問題として難しい。

            学校側も考えたもので、気のきいた学校の入試問題は、単純な暗記だけでは解けないように工夫され、丸暗記で受験をしのごうという甘い考えの受験生を蹴散らす。

            どちらかといえば英数国は、紙とさえ対話すればいい2次元的要素がある科目だが、理社は外部の社会と繋がっている3次元の世界だ。理社が得意な子は、現実世界に興味を持つ感性を持っているのではないか。

            理科社会が好きな子は、好奇心旺盛な子が多い気がする。経験則だけで判断して申し訳ないが、理社の成績がいい子は、いっしょに話していて楽しく、ワクワク感があり、目の輝きが強い。キラキラとした知的な目が外の世界を鋭く眺めている。

            ところで、理科社会に対する好奇心が強い子に育てるには、周囲の大人がある程度「たくらみ」を持つことが必要だ。 子供の学力を決定するのは、遺伝か環境かは私にはわからないが、幼児期に環境を意識的に作る意志と行動力が、大人には求められる。

            幼児期の記憶は誰でも曖昧模糊としているものだが、遊園地や博物館や旅行に行ったときの、日常とは切り離された「イベント」があった時の光景は、記憶に焼き付いているだろう。そんな記憶のコレクションの断片が、青年期の知的好奇心を高める。断片は多ければ多いほどいい。

            理科社会の力を伸ばすには、実体験や映像の効果が極めて大きい。
            だから、私に子供ができたら、10歳ぐらいまであちこち旅やイベントに連れ回し、子供の頭に日常とは違う鮮烈な光景を焼き付ける。

            しかし、小学校5年生ぐらいからは、日常の勉強やスポーツの世界に封印する。学校と塾と家庭の狭い世界の、ルーティンなスケジュールの中で、学力や生活力をしっかり涵養する。 ほとばしる若い体力知力を、学校の制服で束縛し、退屈の中に充実を得ることのできる忍耐力を育みたい。

            そして、大学生になったら再び解放して、旅行をバリバリすること、非日常的な体験をすることを勧め、思いっきり外の空気を吸収できる環境を整え、感性を開放させる。そんな育て方をしたい。

            10歳ぐらいまでに、いろいろ記憶に残る体験をさせたら、刷り込まれた記憶の残像が、中高生の勉強の退屈な時間にフラッシュバックする。

            たとえば、学校や塾の授業で「長崎」が登場した時、長崎を旅行した経験があれば、西洋風のグラバー邸、中国風の崇福寺、出島、また原爆資料館の映像を思い浮かべ、長崎がいろんな文化が混合してできたサラダボウルのような街であることがわかるだろう。
            稲佐山から長崎港を見渡せば、長崎が天然の良港であることが一目で理解でき、坂本竜馬がこの地を拠点にした理由が体感できるだろう。

            逆に長崎への旅行体験がなければ、「長崎」という文字は、英単語のように無味乾燥な記号にしかならない可能性だってある。長崎という用語1つでも、ヴィジュアル的なイメージが湧くか湧かないかでは、とてつもない大きな学力差につながる。

            親が意図して、幼少期の子供に豊富な体験を積ませれば、成長した子供は、理科や社会の用語から、知的好奇心をそそる美味しい匂いを判別できる力を得れるのではないか?

            確かに旅行はお金がかかる。ならば幼児期に理科社会に関する映像を意識的に見せ、膝に子供をのせて持たせ読みせ、また家に本をバカみたいに積んでおくだけでも、子供の情操は豊かになるのではないか?

            おまけに理社が好な大学受験生には、大きなアドバンテージがある。理科社会が好きな受験生は、過酷な受験勉強で、勉強しながら「気分転換」ができるのだ。
            数学や英語の勉強に飽きたら、理科社会に科目を変えたら息抜きになり、結果として長い勉強時間を維持できる。勉強の途中で読書をするような遊び感覚で、エンジョイしながら理社の勉強に取りかかれる。

            とにかく理科社会が好きな子、知的好奇心が旺盛な子に育てるには、幼児期に「知的な記憶の断片」を仕込んでおくことだ。

            幼児期の陰惨な経験はトラウマになり、一生逃れられない。それと同じように、幼児期の身体で得た知的体験は、青年期を迎えた子供の知的好奇心の強固な土台になる。

            幼児期に頭に焼きつく体験をさせ、断片を埋め込め。理社の学力を伸ばすことは、決して受験直前駆け込みの短距離レースではない。幼児期からの親子二人三脚のマラソンレースである。
            | 高校受験 | 01:02 | - | - | ↑PAGE TOP
            地方の優秀な子を持つ親の宿命
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              きすけさん、ご子息の大学合格、遅ればせながらおめでとうございます。

              ただ、ご子息と
              離ればなれの生活、お淋しいことは察するに余りあります。無口な性格ならともかく、活発でおしゃべりと伺っているキャラのご子息の不在は、ふつうの親子の別離より、ずっと耐え難いものなのかもしれません。

              親子の離別は淋しいものだ。

              むかし東北地方には、農業以外に働き口がなく、大人は冬に出稼ぎ、子供は中学を卒業すると集団就職で親元を離れ、東京に移り住んだ。

              東北地方の親子は、15歳で離ればなれの生活を余儀なくされた。13歳〜14歳で子供は反抗期を迎え、心の親離れをする。心の親離れをして、たった1〜2年で、中学卒業後ただちに、本当の親離れをしなければならなかった。

              わずか15歳の子供にとっては、心の親離れはまだ中途半端なものだったろう。東北地方の社会状況が、親の腹の中にいるカンガルーの子供を、無理やり引き離してしまうような、親子の悲しい別れがあった。

              子供が親元を離れるのは、過去も現在も地方出身者の宿命である。うちの地方でも優秀で才気煥発な子ほど、高校を出て都会に移り住み、親子離れて暮らすことが多い。優秀で活発な子を受け入れる大学、あるいは刺激ある環境は都会にしかない。中央集権国家の宿命かも知れぬ。

              ところが子供の方は、親離れをして一人の生活をエンジョイしている場合が多い。子供は環境の変化を喜び、しかも都会は若者を啓発する刺激が多く、田舎のことなどアッケラカンと忘れてしまう。

              それが親にははがゆい。親離れした子を頼もしく思いながらも、親を振り向かない子供を少し憎らしく感じる。何か子供にピンチがあって、親を頼ってくれるチャンスを、どこかで待ちわびてしまう。

              凡庸ならば地方に残れたろう、ニートになっちまえば、一生死ぬまでいっしょに暮らせただろう。でも力があるばかりに、優れた若者は都会のブラックホールに吸収される運命にある。

              確かに子供が都会に巣立ったからといって死別するわけではない。長期休暇の際には帰って来て、いろいろ土産話を聞けるし、短期間ながらも昔の生活に戻れる。

              ただ親にとって、子供が同じ家にいて、朝学校へ行って、夜いっしょに食事をして、テレビをいっしょに見て、弁当のおかずに気を使い、洗濯物の山に困り果て、悪いことをしたら説教して、休日はちょっとドライブして、そんな子供との日常が戻る日は、もはやない。

              都会に行ってしまった子供が帰省し、同じ屋根に住む時間は、ハレの日の貴重な宝物になる。
              ちょこんと助手席に乗っていた小さな3歳児が、バックシートで寝そべる生意気盛りの中高生に成長し、いまでは帰省すると運転席でハンドルを握る。

              塾講師は子どもの学力を伸ばす仕事である。と同時に、親と子を別離させる仕事でもあるのだろうか。学力が伸びれば伸びるほど、子供は遠い都会に行ってしまう。
              塾講師なんて、有能な子を都会に放逐し、親と子を引き裂く、現代の山椒大夫なのかもしれない。



              ★開成塾
              尾道市向島・「二人三脚」を超えた「一心同体」の指導



              | 硬派な教育論 | 17:22 | - | - | ↑PAGE TOP
              授業時間は短く濃く
              0
                音楽でもスポーツでも、練習は短時間で濃いものが望ましい。
                塾の講師は、教える時間が短く限られているので、密度の濃い授業をすることに慣れている。

                たとえば中学校では、1週間の授業時間が30時間もある。これに対して塾は5時間ぐらいしかない。
                しかも私の塾では、私が授業している時間が半分、生徒に演習をさせている時間が半分、演習量が多いせいで、私が生徒に向かって語る時間はますます限られる。正味の授業時間は1週間に2時間強ぐらいだろうか?

                演習時間が長いことには賛否両論あろうが、たとえば中学校の部活で、野球部の顧問が練習時間中ずっと「俺が守備の手本を示してやる」と自分だけ練習して、部員がただそれを眺めているだけの練習法は考えられるだろうか? そんなシュールな練習はない。部員がノックを受けて、実際に身体を動かしてこそ練習は成り立つ。

                生徒の意識が高い大学受験予備校はともかく、教師が解法を黒板に解くだけで、生徒がずっと傍観者の座に置かれた授業はあり得ない。特に数学はそうである。授業は生徒に問題を解かしてナンボだと私は思う。

                とにかく塾稼業は、時間との戦いである。

                普通なら教えるのに30分かかるところを5分で教える。そんな意識だけは常に持っている。 塾講師の教え方が曲がりなりにも鍛えられるのは、タイトな時間と常に戦っていることが、一つの要因であろう。

                バンドの練習でも、スタジオを借りる時間は限られる。
                スタジオ代はバカにならない。ピロ君は私に「練習に遅れてくる奴は腹が立ちますよね」とよく言ってくるが、私はピロ君の気持ちが痛いほどわかる。
                授業もバンドの練習もそうだが、せっかく捻出した貴重な時間を無駄にする無神経な奴には怒りを覚える。

                短時間の授業や練習は焦る。焦る気持ちこそ集中力につながる。限られた凝縮した時間を有効に使ってこそ、授業もバンドもスポーツも技量が上がる。私の生徒には、ウィスキーを一気飲みするような、濃縮した時間を過ごしてほしい。
                | よい授業とは? | 11:04 | - | - | ↑PAGE TOP
                英語のシャワー
                0
                  中学生の英語。中1は単語200個暗記という難行に挑んでもらっている。 中学生になったばっかりで申し訳ないが、語学学習の本質が、苦痛のトレーニングだということを、身体で感じてもらいたい。

                  語学はコツコツ型の子が勝つ。手抜きを覚えるとあとで痛い目に合う。英語こそ地道さが命なのだ。最初は痛めつけられて、涙を流して欲しい。

                  中2は助動詞終了。助動詞を付加することで、感情表現が豊かな文章になる。mustもshouldもcanもmayもwillもhad betterも、人間の感情表現のバリエーション。助動詞を使うと英文に血が通う。
                  中3は受動態と現在完了の胸突き八丁が終了。小テストを頻繁に入れて叩き込む。
                  全学年ともに、単語暗記・文法習得で英語の厳しさを知らしめる。

                  そんなオーソドックスで堅苦しい指導に加えて、NHKの基礎英語を取り入れて、英語をエンジョイしている。英語の厳しさと楽しさを、同時並行しながら教えていきたい。

                  中1は「基礎英語1」、中2は「基礎英語2」、中3は「基礎英語3」という具合に、学年別になっているから便利だ。
                  特に中2の「基礎英語2」はしゃべり方が演劇チックで面白く、シャイな年頃の中2の子達も盛り上がっている。口と身体で英語を習得するにはもってこいの教材だ。
                  基礎英語の授業は、笑いが絶えない。基礎英語のCDを流すと、向島の小さな塾が、いきなり空間を飛び越えアメリカンな雰囲気になったような気がする。

                  スポーツと同じ感覚で、英語も身体を使うと上達が早い。基礎英語で大量の英語をシャワーのように浴びてもらいたい。

                  量! 量! 量!

                  英語の授業の時間配分は、学校の教科書:ウイニングの文法指導:NHK基礎英語=1:1:1かな。
                  とにかく文法や単語暗記で引き締め、基礎英語のおしゃべりで緩める。硬軟両面から成績を伸ばしてやりたい。

                  また最近、授業ではテレビパソコンを駆使している。映像と音の力を精一杯使い、特に地理や歴史の単元の導入部分には、映像を必ず見せている。
                  Audio&Visual、すなわちAVにこだわりたい。「US塾はAV塾」というコピーはいいかも。
                  でもこのコピー、99%別の意味に解釈される危険性がある。
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                  尾道の中学校で不祥事2件
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                    水曜日、中3で授業をしていたら、うちの生徒が通う中学校で事件があったという。しかも2件。学年は同じ中3。

                    まず、向東中での事件。
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                    尾道市の中学校で、教諭から注意を受けた男子中学生が、教諭にけるなどの暴行を加えたなどとして警察に逮捕されました。逮捕されたのは、尾道市の公立中学校に通う14歳の男子生徒です。

                    警察の調べによりますと、男子生徒は今月10日、学校で48歳の男性教諭からポケットに手を入れているのを注意されたことに腹を立て、この教諭の胸ぐらをつかんだり両足をけったりする暴行を加えた疑いが持たれています。

                    警察の調べに対して男子生徒は、「注意され腹が立った」などと容疑を認めているということです。

                    NHK 14日(一部改題)
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                    この事件は、うちの塾生のクラスの子が起こしたらしく、一部始終を見ていたらしい。なんでも生徒が先生をトイレに連れ込み、暴力を振るったという。
                    暴力を振るわれた先生は、向島中から転任してきたばかりの人らしい。「その先生知ってる」みたいな話で盛り上がった。

                    向東中は半年前にも、生徒が先生を殴って肋骨を折り、生徒が逮捕された。教壇がガラス窓越しにグラウンドに投げられ、パトカーが来た騒動もあったらしい。

                    向東中は荒れている学校で、伝統的に日教組が強い。厳しく生徒を律する学校や塾を嫌う傾向がある。ある先生は7年前「北高とUS塾には行くな」と生徒の前で言い放ったという。   



                    もう1つは、高西中での事件
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                    広島県教委は14日、中学校の女子生徒に対し、自宅でわいせつな行為をしたとして、尾道市立中の男性教諭(25)を懲戒免職とした。

                    教職員課によると、男性教諭が勤務している中学校の保護者が6日、情報を寄せた。校長が男性教諭に確認したところ、学校が休みだった2月7日と3月1日の2回にわたり、自宅で女子生徒にわいせつ行為をした事実を認めたという。

                    校長や教頭が8日、女子生徒の自宅を訪れて保護者に謝罪。県教委は14日までに、県青少年健全育成条例違反の疑いで県警に連絡した。一方、懲戒免職では原則公表する実名や詳細な事実関係について、被害者の特定につながる恐れと保護者の意向を理由に公表しなかった。

                    中国新聞 15日
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                    事件発覚前、その男性教諭が突然学校を休み始めたので、うちの塾生の同級生が「先生はどうしたんですか?」と教頭先生に尋ねたところ、「先生は長期休暇になるでしょう」と答えたという。
                    この教頭先生、4月から高西中に異動したばかりで、初仕事が保護者の家へのお詫びの挨拶だったという。やりきれない仕事だ。

                    高西中は、6年前に民間出身の校長が、教員に突き上げられ自殺して、全国的に有名になった学校である。

                    なんだか尾道の中学校は、スキャンダルまみれである。
                    うちの塾からは、学校の悪い部分を完全に遮断し、「凛」とした学びの場を遵守しなければならない。




                    ★開成塾・高校受験
                    尾道市向島・尾道北高・東高をめざす塾



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                    高校受験は市議会選挙、大学受験は国政選挙
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                      いまさら言うまでもないが、高校受験と大学受験は違う。別の競技と言ってよい。問題の難しさもさることながら、敵の強さが唖然とするほど違う。

                      広島県の公立高校受験は、市議会選挙に似ている。
                      たとえば議員定数が25名、立候補者29名の選挙なら、落選するのはわずか4名である。当選者が落選者より圧倒的に多い。

                      広島県の公立高校も、合格者が180人なら、受験者は200名強。不合格になるのは20人〜30人程度。合格者の数は不合格者の数を大きく上回る。

                      公立高校の入学試験で上位合格する受験生は、意外と本人たちは危機感を抱いているものなのだが、周囲からは楽勝に見え、結局順当に当選する。

                      逆に下位層は熾烈な戦いになる。ぎりぎりで合格した子は、受験直前になってやっと試験勉強に目ざめた子が多い。
                      高校受験の最終段階で、先生の「君は合格が難しい。志望校を下げたら」という言葉に反抗して、猛勉強して合格したら達成感が大きいだろう。

                      しかし高校受験で、短期の受験勉強で合格できたからといって、この成功体験を大学受験に持ち込んだら痛い目に合う。
                      広島県に限定して言うなら、高校受験は直前3ヶ月、目の色を変えれば合格できる。よほど内申点が悪く、また基礎力に欠けた子でない限り、付け焼き刃で通用する世界だ。

                      でも、大学受験はそんなわけにはいかない。ラストスパートだけでは勝てない。こんな当たり前のことが意外とわかっていない。
                      定員180名の高校で、172位で合格した高校生が、高校合格に満足して、高1・高2を無為に過ごし、高校受験と同じ意識で大学受験に臨めば痛烈な目に合う。

                      高校受験は武器が竹刀でも勝てる。しかし大学受験は重装備が必要だ。いざ高3になって勉強に目覚め、さあ受験勉強始めようかと2年間封印していた竹刀を取り出して戦場に臨んだら、ライバルは戦車や潜水艦やマシンガンで戦っている。敵の重装備を見ただけで「あきらめ」気分が蔓延する。

                      大学受験はトップアスリートの戦いだ。
                      高1・高2時代を無駄に過ごした若者が大学受験を戦うことは、まるで市議会選挙で25名中23位で当選した議員が、国政選挙に打って出るのと同じくらい無謀なことである。
                      | 大学受験 | 18:32 | - | - | ↑PAGE TOP