猫ギターの教育論

尾道市向島の塾「US塾」塾長のブログ 早稲田大学・開成高校出身 本音が飛び交う、少し「上から目線」の教育論
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僕の開成中学合格戦記
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    僕が開成中学に合格したのは、1981年、ちょうど今から四半世紀前、25年前のことである。

    当時の公立中学校は荒れていて、不良はみんな「なめ猫」みたいな格好をしていた。だからおとなしい内向的な小学生の僕は、「公立中学へは行きたくないな」と思っていた。

    小5の冬だったか、うちに広島の中学受験塾から、入塾テストのDMが来た。僕はどうしてだか理由はわからないが、その入塾テストを受けることになった。

    僕の街から広島までは、新幹線で40分。在来線で1時間20分かかる。同じ県内でも広島はなかなか行ける町ではない。

    たぶん僕が入塾テストを受けたのは、おそらく広島へ遊びに行って、親に切手か、超合金か、鉄道模型を買ってもらうのが目的だったのだろう。

    テストを受けて、2日後くらいに電話があった。僕は4教科400点満点で、360点だったらしい。広島校の入塾テスト史上最高点だといわれた。

    そういうわけで、広島の塾に、日曜日週1回だけ通うことになった。行きは新幹線で、帰りは在来線で帰った。

    受験した中学は開成と広島学院とラ・サール。全部合格した。

    僕の第一志望はラ・サールだった。

    鹿児島という街は僕には魅力的で、西郷や大久保みたいに薩摩を起点に世の中へ打って出ようと、子供心に考えていた。
    桜島は男の子の野心をかき立てる火山だ。

    開成は記念受験のつもりだったが、合格した。謙遜でもなんでもなく、合格するとは思わなかった。
    まさか合格するとは思わなかったし、合格しても行く気はなかったので、過去問は前日に、店内がカレーくさい新宿の紀伊国屋書店で入手し(声の教育社のオレンジ色のやつ)、宿泊先の京王プラザホテルの部屋で解いた。

    過去問を前日にやって御三家に合格するなんて、今考えると牧歌的な時代だった。

    僕はラ・サールに行きたかったが、父親が開成を薦め、紆余曲折ののち開成中学へ通うようになった。

    僕がなぜ開成に合格したのか。それは記憶力が良かったからだと思う。

    15歳くらいまで、僕は電話番号を一度聞いたら覚えたし、メモという物を必要としなかった。

    友人がある日僕に電話番号を教えてくれた。僕はメモも取らず「わかったよ」と言った。友人は「ちゃんとメモしてくれよ」と少し怒っていた。僕は「ちゃんと記憶したから大丈夫だよ」と答えた。

    それくらい僕の記憶力は良かった。

    また、日本の県名・県庁所在地名は、幼稚園の年中組の時には完全に漢字で書けたし、世界の国名も小学校1年生のときには全部言えた。

    親戚のおじさんおばさん達と冠婚葬祭の折に会うと、幼い僕にクイズを出した。
    「栃木県の県庁所在地はどこ?」
    「インドの首都は?」
    僕は生意気に、スラスラと答えた。親戚の人たちは「賢い子だね」と言ってくれた。

    あと僕は好奇心が強かった。疑問点があると答えを知りたくてしょうがなかった。
    とにかく、わからないことがあると大人に質問し、本で調べた。
    一休さんに出てくる「どちて坊や」みたいな子供だった、と思う。

    僕は社会が大好きだったので、百科事典の地理・日本歴史・政治経済の分冊は、小学校低学年の頃から装丁が剥がれ手垢がつくまで、貪るように読んだ。物理とか化学は、難しそうなので全く手をつけなかったけど。





    ★開成塾
    尾道市向島の「秘密勉強基地」





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