昔はよく新聞をにぎわせた、裏口入学や替え玉受験の事件がめっきり減った。誰にも気づかれない洗練された形で行われているのか、あるいは学歴に価値がないから裏街道突き進んでまで「いい大学」に入る必要がないのか。
うがった見方だと思われるかもしれないが、推薦入試制度の広がりと、裏口入学の減少は、相関性があるように私は考えている。
推薦入試というのは、学校の先生が「この子は人格的にも学力的にも素晴らしい。試験なんか省略していい。とにかく折り紙つきの生徒です」と、自慢の教え子を上の学校に差し出すのが本来の姿だろうが、実際のところ、逆に筆記試験で合格しそうもない子を救済する措置に成り下がっているケースが多発している。
なにより、高校受験の推薦入試は問題だらけだ。
特に「底辺高」と呼ばれる私立高校の、誰でも合格できて、また早々に合否が決まる推薦入試はやめてほしい。成績が良い中学生は3月の一般入試ギリギリまで頑張るのに、低い子が早々に高校が決まり「これで遊べる」とはしゃぎまくる。経営目的で一刻も早く生徒を確保したい高校側の事情はわかるが、そんな高校は中学時代に真面目に勉強しなかった生徒の逃げ場になっている。今までさんざん遊んでおいて「これで遊べる」はおかしいと思う。
大学入試にも推薦入試やAO入試がある。いわゆる「一芸に秀でる」というやつだ。
正直言って、大学の推薦入試はアンフェアだと思う。
ある大学に推薦入試で「楽して」入る高校生もいれば、同じ大学に一般入試で血尿垂らしながら、それでも合格できない、あるいは浪人を余儀なくされる人がいる。世間に出たらあれこれ不条理な状況が待ち構えているのはわかるのだが、大学受験の世界ぐらいは基準を統一して、アンフェアな部分をなくしたいというのが、受験指導をする側の本音だ。
たしかに大学入試で推薦されるのは、高校の内申点が良い生徒である。素行が良く、学校の定期試験の点数がいい生徒の評価が高い。彼らがどれだけ真面目な高校生活を送っていたか、そこは何らかの形で評価すべき点ではある。
しかし、高校の定期試験では「真の実力」は計れない。高校の定期試験は決められた範囲から出題される「生徒に点を取らせる問題」だが、逆に大学入試問題は難問ぞろいで「受験生に点を取らせない」問題である。学校の定期試験と、難関大の入試問題では、バッティングピッチャーの球と、ダルビッシュの球の差ぐらい速さとキレが違う。棒球しか打てず、生きた球を経験していないバッターが、推薦入試で優遇されるのは疑問である。
大学側からも、推薦やAOで入学した学生の学力低下が指摘されている。おまけに就活において、指定校推薦やAO組は一般入試で「壁」を越えた経験がないからタフさに欠け、採用に不利だという記事を、最近の書籍や雑誌でよく見かける。
大学の推薦入試は大学側にとっても、学生を確保しやすいため経営を潤すことができる反面、ステータスを低下させる「禁断の麻薬」になっている。一般入試という「正門」だけでなく、推薦やAOという言ってみれば「大学公認の裏門」から入学する学生が多いと、大学自体が軽く見られる傾向があるのは否めないところだ。
推薦入試枠は、国立大学より私立大学のほうが多い。早稲田大学政治経済学部ですら一般入試を受けて入学した学生は40%しかいないらしい。このまま国立大学が一般入試を重視し、私立大学が経営上の都合から推薦入試の割合を増やしていけば、国立大学の評価がさらに高まるだけだと思う。
東京大学がステータスを保っているのは、推薦入試やAO入試を一切行っていないことにも理由の一因があると思う。東大や京大や東京芸大にはガチンコ入試でしか入れない。
私は以上述べたように推薦入試反対派であるが、ただ現実問題として、いざ教え子に推薦入試の話が持ち込まれると、「いい話じゃないか、推薦で入りなさい」と笑顔でアドバイスしてしまう。推薦の話が舞い込むと嬉しくなり、宗旨替えし立場を豹変させてしまう。
現場の塾講師としては、正直言ってガチンコ勝負の一般入試は地獄の苦しみであり、教え子にはそれを経験させたくないのが人情だ。これだけ推薦入試を総論で批判しておきながら、そんなイデオロギーは捨て、推薦合格を各論で素直に喜んでしまうのが実情である。
塾講師ですらそうなのだから、親の立場からすれば推薦を受け入れる気持ちは痛いほどわかる。 一般入試の厳しさを将来の糧にするために味わって欲しいが、わが子の推薦合格でほっと一息ついてしまう、矛盾した心理の綱引きに迷うのは無理のないところだ。
しかし、やはり一般入試は、人間を強くする。
一般入試で最後まで頑張っている子、また推薦入試で行く大学が決まっているのに、それより難しい大学を狙っている子を見ていると、入試結果にハラハラすると同時に、彼らの将来に強い安心感を持つのだ。
一般入試直前の12月や1月に、予備校や大学受験塾を訪れてみればいい。世間は忘年会やクリスマスや正月で浮かれている時期、高3生や浪人生が超真剣に頑張っている。教室は静粛極まりないのにもかかわらず熱量が異常に高く、突き刺すような雰囲気が漂う。外から客が来たのに一瞥もくれない集中力。知性と狂気が混ざった視線で問題をにらむ。そんな一般入試組の迫力を見ていると、彼らが社会人になって困難な場面に出会った時に、このド真剣さで乗り切っていくのだと確信する。親ならこのただならぬ環境に、息子や娘を入れたいか避けたいか、迷いどころだと思う。
受験生は人生が宙ぶらりんで、不安を胸に抱いている。そんな不安が人を鍛える。うどんは冷水にさらすことで締まる。空気が生暖かい秋に進路が決まるより、冬の風にさらされながらもがき苦しむ。厳しい一般入試がどれだけ人を強くするか。
大相撲の八百長も、大学や高校の誰でも合格できる推薦入試も、ガチンコの勝負を避けたい心理が根底にある。土俵で白黒つく瞬間、合格発表の緊迫した瞬間を味わいたくないから、力士は八百長に走り、中高生は推薦に流れる。相撲でも受験でも、強くなるにはハラハラした緊張感は最高の肥やしになるのに。
推薦入試は、さっさと勉強を終らせたい怠け者の生徒、経営上の理由で誰でもいいから生徒数を確保したい高校、危ない橋を渡らせたくない学校の先生、一般入試が子供を強くする千載一遇のチャンスであることを知らない親、この四者がもたれあった温床になる危険性がある。
入試制度は、一般入試オンリーにしてほしい。
現行の入試制度は、小選挙区と比例代表を混ぜた衆議院の総選挙みたいな、複雑で逃げ場の多い「大人の論理」丸出しの制度になっている。そんな制度はやめて、スポーツのような勝ち負けがハッキリした、わかりやすい「子供の論理」がまかり通る、フェアなものであってほしいと願う。
税率と入試制度は国民性を変えると思う。税率が高く推薦入試の比率が高ければ、西欧型の「のんびり」した方向にシフトし、税率が低く一般入試が活発になれば、アメリカや香港のような露骨な競争社会になる。入試制度は若い人の性格を変える、想像以上に大きな要因だ。