最近の子供は弱くなったという言葉は、人類が誕生してから存在する。
しかしいま、本当に子供は弱くなっている。教育に携わる人間なら、おそらく、多くの人がそう嘆くだろう。子供を見れば日本の未来が予測できる。教育者は子供を観察できる立場にいるので、未来の情報を豊富に持っている。教育者の中には、こう叫びたくなる人もいるに違いない。「日本は滅ぶ」と。
子供が弱くなっている理由は、大人が子供に気を使いすぎるからだ。家庭も学校も塾もそろって、子供に立ち向かう難関を除こうとする。学校が「ゆとり教育」でカリキュラムを減らして学力が落ちたのは承知の事実だし、塾も子供を「生徒さん」と呼び消費者扱いで、塾をやめ儲けが減らないよう、機嫌を損なわないようにする。このままの勢いだと、冗談ではなく子供を「生徒さま」と呼ぶ塾が現れるかもしれない。
また、少子化で生徒が集まらない私立大学や私立高校も、経営上の理由でAO入試や推薦入試を実施して、直前に猛勉強しなくても楽に合格できるシステムで子供を誘う。
家庭も、親は子供に嫌われるのが怖いし、子供の将来を考えてうるさいことを言うより、お友達としてつき合う方が気分が良い。だから親子が友達のようになり、カンガルーみたいに子供を腹の中に入れた過保護な親が多くなる。
私はひそかに、いい年をして親離れ子離れできない親子を「カンガルー親子」と呼んでいる。
子供は思春期になると母親の袋から飛び出し、お母さんカンガルーから独立して、健全な反抗期を迎え親離れするのが普通だが、最近では中学・高校・大学に至るまで、カンガルーのように温かい母親のおなかの袋への出入りを繰り返す乳離れしない子供が多い。しかも母親どころか、父親まで袋を持っていて、子供を腹の中に入れて囲っている家庭もある。気持ち悪い。
子供は学校や塾や部活で厳しい環境におかれると、母親カンガルー、父親カンガルーのお腹の袋に逃げ込む。家庭内は治外法権だから、教師は親に何も言えない。
それから、子供の育て方とペットの育て方の境界線がわからない親がいる。ペットは飼い主だけに愛されればいいが、子供は親だけでなく、教師や友人や異性にも好かれねばならない。ペットは原則として一生飼い主の庇護の下で育つが、子供はいつか親離れをしなければならない日が来るのである。親だけにしか可愛がられない子供にする子育てはまずい。
さらに大問題なのは、教育書も子供に「やさしい」ものが多いことだ。子供の心理を尊重し、繊細に子供の思いを掬い取ろうとしている教育書がほとんどである。子供に「やさしい」教育評論家は、現在の子供のことばかり目が行き届きすぎて、子供が大人になった時のことを考えていない。いつまでも子供がカンガルーの赤ちゃんのままだと思っている。
おまけに教育書の中には、日本は高度経済成長が終わり、安定成長も終わり低成長期に入っているから、夢もつつましく欲も少なくしようなどという論調が見られる。デフレの弊害であろうか。デフレの時は金を節約するのは当然だが、子供の夢や将来の希望まで節約しようとしている。
もし私が松岡修造なら、「小さくまとまるなよ。行動せずに、夢といえるのか?
少しでも行動して計画ぐらい立てるんだ。何もせずに夢を語る資格はない。叶えろとは言わん、夢ぐらい見ろ」と言いたい。
日本の子供とは対照的に、中国・韓国などアジアの国々は夢がある。夢があるから競争が激しい。エグイほどの自己顕示欲がある。中国や韓国へ行けば、街は若者のパワーであふれていて、勉強すれば偉くなれるという価値観を信じて、子供は深夜まで猛勉強している。猛追どころか追い越している。
中国人は猛勉強で日本人はゆとり。中国の子供は千尋の谷に突き落とされる獅子で、日本の子供はカンガルー。これでは20年後・30年後の両国の差はかんたんに予想できる。
もし日本の社会が、日本の家庭が、江戸時代の大奥のようなぬるい閉鎖的な環境で、将軍のような弱いパーソナリティーしか持てない大人しか育てられないほど腐敗しているなら、子供は大人になってから苦労する。子供の時は将軍扱いで、大人になったら一般庶民。子供時代と大人時代の待遇の差の激しさに子供は傷つく。
カンガルー子育ては、袋の中から出た子供に、世間の地獄を味わせる。