猫ギターの教育論

尾道市向島の塾「US塾」塾長のブログ 早稲田大学・開成高校出身 本音が飛び交う、少し「上から目線」の教育論
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日本一素直な男・コウタロウ(30)
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    コウタロウシリーズも、今回を含めてあと2回である。最終回はコウタロウ自身が書くので、私が書く記事は今日がラストだ。また、コウタロウシリーズを最後に、ブログ「猫ギターの教育論」は終了する。ご愛読ありがとうございました。

     

    さて、コウタロウシリーズは「不合格体験記」である。合格体験記はどこの塾の先生も書くが、不合格になった生徒のことを、これだけ長く執拗に書く塾の先生はいない。私がコウタロウシリーズを書く動機は何だったのか。

    おまけに、私の行動は変だ。塾を卒業し大学に通っている教え子に、強引にイギリスに留学しろ、留学がダメだったら慶應に行けと薦め、高校生の時以上に試練を課して、強引に道を切り拓こうとしている。平時に武器を取れと号令をかける狂った軍人のような行為と思われても仕方ない。

    それほど、私はコウタロウの一橋大学不合格が悔しかった。コウタロウが不合格になった瞬間、悔しくて言葉が出なかった。重い沈黙が続き、沈黙の反動が言葉を噴き出させた。噴き出す言葉を書き上げたものがコウタロウシリーズだった。

     

    うちの個人塾は、島の小さなボクシングジムにすぎない。ただ、誇大妄想を省みず言うと、私はチャンピオンを育てている気概は捨てていない。コウタロウはチャンピオンになる器だ。私の確信はゆるぎなかった。

    一流の若者は、同世代の人間から目標にされ、時に嫉妬心にさらされる。コウタロウは秀吉の笑顔と家康の律儀さを持ち、寡黙でニコニコしているだけで強烈な磁場を発し、まわりの闘争心をかきたてる男だ。本人だけが己の磁場に無頓着で気づかない。コウタロウは自分では意識できない、だが他人には否応なく意識させるオーラを放っている。リーダーとして担がれ、黙々と何かに打ち込むだけで周囲を成長させる無言の力がある。一流の若者の証だった。

     

    中1から7年間、私はコウタロウの拳を受け止めてきた。中1の時は大きなグローブをもて余し、初々しくはみかみながら、ぎこちないパンチを繰り出した子が、年齢に比例して筋肉は引き締まり、顔は精悍に、パンチは鋭く重くなり、知性の殺人パンチを打てるようになった。期待以上にコウタロウは強くなった。

    だが最後の一戦で、コウタロウはケガで力を出し切れず、僅差の判定負けでリングに沈んだ。悔しかった。ほんとうに悔しかった。

    私もコウタロウもあきらめなかった。リタイアしたボクサーがリングに復活するように、留学と慶應をめざした。「あしたのジョー」最終回で負けて真っ白になったジョーが、息を吹き返し復活戦を挑むな感じだった。

    私はコウタロウを叱りまくった。コウタロウは2週間に1回は悔し涙を流しながら耐えた。だが、どれだけ叱っても、コウタロウは私に嫌われたとか見捨てられたとか、ひとかけらも疑ったことはないだろう。逆に、かわいがられている重圧がコウタロウを苦しめたと思う。憎悪の鉄条網より、愛情の真綿で縛られる方がつらい場合もあるのだ。コウタロウには私の期待の熱さが、煮えたぎった湯のように降りかかってきた。私はコウタロウのプレッシャーを理解していた。だが同時に、サウナ室に監禁されたような私の熱意に耐えるコウタロウの精神力を信頼していた。

     

    私は慶應大学にこだわった。私の慶應へのこだわりは、私自身の東京コンプレックスが理由なのかもしれなかった。私は若いころ東京に住んでいた。東京は町全体が若者のパワースポットだ。東京という街は、行ったことない人にはただの大都会で、住んでいる人にも有難味はわからない。しかし、東京から離れた者にすれば、心の一部が切り刻まれ、新宿や池袋あたりに残って蠢いているような未練を残す街だ。東京は、健全な野心が強い若い人ほど刺激を受ける。東京にいる時は感性が刺激され、離れると感傷で息苦しくなる。地方人にとって東京は外国のように映る魅惑的な街なのだ。

    コウタロウの性格と能力は、東京でもトップクラスの力を持っている。コウタロウは東京を知らない。東京の街の魅力を知らない。そして東京という環境で大きくなる自分の可能性を知らない。江戸時代の参勤交代制度以来、地方の優秀な若者が江戸で刺激を受け、才能が江戸に集まるシステムになっている。コウタロウを東京へ送り出したかった。

     

    また、私には慶應が神奈川県にあるのが魅力だった。慶應の日吉キャンパスは横浜に、SFCは藤沢にある。慶應は神奈川県の印象が強い。個人的な思い出で恐縮だが、大学時代につきあっていた女性と神奈川県によくドライブに行った。鎌倉・江ノ島・逗子・横須賀・箱根。大学時代に車の中で流したサザンの「希望の轍」を聞けば、東名高速道路の排気ガスで黒ずんだガードレールやら、海沿いの廃屋になったボーリング場やら、夜に鮮明にうかぶ江の島やら、あのころの映像が何もかもが懐かしく、湘南に残してきた心の分身がジリジリ痛んだ。

    私がコウタロウを東京に送り込みたいのは、私が人生をやり直したいという個人的な欲なのかもしれない。大人が叶わなかった夢を子どもに託す、他力本願の情熱だったのかもしれない。だが、個人的な執念だからこそ強かった。

     

    対してイギリスはどうか。
    コウタロウが留学を決めてイギリスに行けば、東京に行くより夢はふくらむ。私がもし大学生に戻れるなら、一番やりたいことは留学だ。イギリスはシャーロック=ホームズ、ジェームズ=ボンド、ビートルズにストーンズにクイーンにレッドツェッペリン、ミスタービーンにベッカムの国だ。外見も内面も純日本人の極みのようなコウタロウが、イギリスから紳士的な振る舞い、ロックの反骨心、スポーツの面白さを学ぶことを考えたら、何が何でも英語を鍛えてイギリスに送り込みたいと思った。

    コウタロウがケント大学に留学すれば、政治学を専攻することになっている。研究対象はEUである。1945年まで、フランスとドイツの戦争は、世界史を大いに騒がした。だが、あんなに仲が悪かった独仏両国がEUで仲良くなっている。1世紀前の人から見れば信じられない平和が訪れている。

    逆に東アジアはどうか。現状を鑑みれば日本・韓国・北朝鮮・中国・台湾がEUのように1つの共同体にまとまることなど奇跡だ。中国が中心になれば中華思想の再来と非難され、日本が中心になれば大東亜共栄圏の悪夢再びと嫌われる。西ヨーロッパに比べ、東アジアは緊張状態にある。

    ただ国家間の関係はわからない。独仏関係のように、犬猿の仲が刎頚之友になることもある。コウタロウがEUについて現地イギリスで学ぶことで、もしかしたら東アジアの緊張を緩和する、小さな一つの歯車の役割を果たす役割を果たせるかもしれなかった。

    コウタロウはアトピー・アレルギーの疾患に、子どものころから苦しめられてきた。幼い頃に漢方治療で、お父さんお母さんに連れられ、中国に2回訪れたことがある。小さい体でコウタロウは中国人の漢方医と向き合う体験をしているのだ。

    私は、中国と縁があるコウタロウが社会に出て中国を訪れ、日中友好の懸け橋として、こんなスピーチをする姿を想像した。

    「私は幼い時、中国に2回訪れました。漢方の力で私はアトピー・アレルギーを克服しました。中国の伝統が、私を楽にしてくれたのです。ここでこうして私がスピーチできるのも、中国の皆さんのおかげかもしれません。私は東アジアを、EUのように国境をあまり意識しなくていい関係にしたい」

    理想主義的すぎる話かもしれない。だが私が一番好きなイギリス人ジョン=レノンも「イマジン」で、

     

    You may say I'm a dreamer   
    But I'm not the only one    

    I hope someday you'll join us   

    And the world will be as one  

     
    僕のことを夢想家だと言うかもしれない

    でも僕は一人じゃない
    いつかみんな仲間になって
    きっと世界はひとつになる

     

    と歌っている。あんなにビートルズ時代に反骨心が強い歌詞を書いたジョン=レノンが、最終的に理想主義のユートピアに行きつくのがイギリス人の複雑さである。コウタロウがジョン=レノンの国で学び、穏健な性格の中にある強靭さに磨きをかけ、多面性のあるユニークな人格形成をし、平和に貢献する姿を想像すると夢が膨らんだ。

     

    繰り返す。私はコウタロウシリーズで、コウタロウの名誉回復をしたかった。

    『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』という、大型辞書のように分厚いノンフィクションがある。戦前戦後に活躍した木村政彦という柔道家がいて、日本最強と謳われたのだが、プロレス転向後、力道山に卑怯な不意打ちを食らって負けた。撲殺される犬のようにみじめに負けた。勝った力道山は国民的ヒーローになり、負けた木村政彦は忘れられた。

    作者の増田俊也は木村政彦の名誉回復の一念で、原稿用紙1500枚、700ページにわたって、世間から忘れ去られた木村政彦の強さと存在を書き上げた。力道山だけでなく大山倍達や山下泰裕までが木村より弱いとまで書いた。著者の木村贔屓への執念が読者をひきずり倒し、読み終わると読者は木村政彦が日本最強だと疑えなくなってしまう、力技の説得力がある本だ。

    私もコウタロウシリーズで、コウタロウを原稿用紙500枚にわたって書き続けた。俗に「経過より結果」という言葉があるが、私は経過の迫力は、結果より心を打つと考えている。ただ結果は誰の目にも明らかに残り、経過は忘れ去られやすい。結果は金字塔のように輝くが、経過は砂山のように波に流される。おまけに、経過のすごさは近くで寄り添う人間しか知らない。だから私はコウタロウの拳を7年間受け続けてきた者として、ふつうの若者では成し得ない経過を「不合格体験記」として、ヒエログリフのように文字に刻みつけ、永遠不変に残したいと考えた。

    同時に私は、コウタロウの軌跡を文章に残すだけでなく、コウタロウ自身のパワー向上にも力を注いだ。コウタロウは物故した木村政彦と違い、これから70年以上生きる男だ。明るい将来がある。だから文章で名誉回復するだけでなく、コウタロウ自身をさらなる高みに上げようと、早朝に呼び出し深夜まで説教しながら厳しく鍛えた。外へのアピールと、内なる充実を同時並行で行った。そして、私がコウタロウの努力の軌跡を書き残せば、コウタロウが将来ピンチに陥った時や、自信を無くした時に読み返すだろう。私の文章が未来永劫、コウタロウを励ます鞭になることを願って書いた。

     

    ただ、私がコウタロウを危惧する唯一の点は、コウタロウの引っ込み思案な性格だった。コウタロウは自分を表に出さない。コウタロウは「能ある鷹」だが爪を隠し続けている。歯がゆい。

    お母さんから話をうかがえば、コウタロウは小さいころから、引っ込み思案な子だったそうだ。アトピーとアレルギーで病弱なコウタロウは、幼稚園の頃は友だちによくちょっかいを出されたらしい。無口でなかなか自分の意見が言えない。彼が岡大に入りアメフトをし、知性も体力も充実した若者に成長しようとは、当時の弱いコウタロウを知る人からは考えられないことなのだそうだ。

    コウタロウは小さな個人経営の幼稚園に通っていた。幼稚園の女性の園長先生は、コウタロウをかわいがっていた。ある日、幼稚園で宮島に遠足することになった。お母さんは持病を持つコウタロウが宮島に行くことに不安を持たれた。コウタロウが住む尾道から宮島まで2時間かかる。お母さんが園長先生に不安を口にされると、先生はきっぱりおっしゃったそうだ。「コウタロウ君なら大丈夫です」

    コウタロウは寡黙で、みずからをアピールしない。だが大人からかわいがられる何かを持っている。自分自身がアピールしなくても、他人にアピールさせる力がある。

    私も幼稚園の先生と同じように「コウタロウなら大丈夫」だと確信した。

     

    さて、コウタロウの将来にとって、慶應とイギリス留学、どちらが面白いか考えてみた。

    日本的学歴社会の視点からは、慶應大学の魅力は捨てがたい。就活の強さは圧倒的で、特に金融系は無敵だ。

    対してイギリス留学はどうか。留学しただけで箔がついたとカン違いする学生が多く、必ずしも就職活動で有利に働くとは限らない。

    だが、留学はコウタロウが唯一無二の人間になるチャンスだ。コウタロウの大学1年生は濃かった。現役時代に一橋大学をめざしたが、アトピーで力が出せず不合格。浪人なんて考えられない状態から治療に専念し、岡大でアメフト部に入り、留学をめざす。留学の勉強が終わったら今度は慶應。他の18歳19歳が歩まない、波乱万丈の道をたどった。

    もしコウタロウのイギリス留学が決まったら、イギリスで学び遊び旅行し、イギリスでアメリカンフットボールをするというユニークな体験をし、帰国後は岡大アメフト部のQBとして活躍し、東京に進出する。就職活動では東京の金太郎飴のような若者に対抗して、岡山からコウタロウは桃太郎として登場する。桃から生まれた丸顔のコウタロウ。アメフトのQBとして責任感を学び、英語が堪能なコウタロウ。紳士的なのに懐が深く、笑顔が絶えないのに強いコウタロウ。コウタロウは唯一無二の男になれるんだ。

    加えて、コウタロウは組織人として優秀だ。どんな組織でも縁の下の力持ちとしてやっていける。周恩来のような存在になれる男だ。ただそれにプラスして、個人塾の塾長にしかすぎないが、才能ある子に惚れ込み命がけで教えてきた俺の執念と反骨心を、コウタロウには受け継いでもらいたい。

     

    この項もそろそろ終わりが近づいてきた。

    コウタロウと6月に大阪へ行った時、心斎橋のブラジル料理の店に行った。ここは肉やサラダが食べ放題で、豪州産で大味だがガッツリ肉を食べられ、アメフト選手のコウタロウにはピッタリの店だ。サッカー選手や力士もよくこの店を訪れる。

    肉と酒で飽食状態になったあと、私はコウタロウに人生訓話のようなものを語りだした。コウタロウと11になると、いつもの悪い癖で身を乗り出し熱く語ってしまう。

    「昔、広島カープに根本陸夫という監督がいた。カープを球団史上初めてAクラスに押し上げ、そのあと西武とダイエーで監督や管理部長に就任し、強くした人だ。根本さんは高校生ルーキーだった衣笠祥雄選手を、毎晩2時間ホテルの自室に呼び、説教したそうだ」

    コウタロウは手を膝に置いて、神妙な顔で聞いていた。コウタロウは私がどんな下らない話をしても、身構えるようにきちんと姿勢を正して聞く。衣笠と同じように、年長者が説教したくてたまらない素直さをコウタロウは持っていた。

    「根本監督は衣笠に、野球の技術論なんかほとんどしなかった。生き方の話ばかりだった。ある時、根本監督は衣笠に、お前になってほしいものがあると言ったそうだ。監督は衣笠に、何になれと言ったと思う?」

    コウタロウは私の無理な質問を真剣に考えていた。

    「ホームラン王ですか」

    「違う」

    「メジャーリーガーですか」

    「それも違う」

    コウタロウはじっと考えていたが、笑顔で「わかりません」と言った。

    「根本監督は、『お前は衣笠祥雄になれ』と言ったらしい」
    コウタロウは「ふぅ」と息を吸い込んだ。コウタロウは人の話に感心すると、顔に水鉄砲食らったように驚く仕草をし、息を吸い込む癖がある。私は続けた。
    「要するに誰も真似できない、唯一無二の人間になれという意味だ。衣笠はその通り連続試合出場を達成し、国民栄誉賞を受賞した。根本監督の期待通り、衣笠祥雄になったわけだ」

    私は酔った勢いで畳みかけた。

    「コウタロウ、お前は矢野航太郎になれ」

    酔わないと言えないくさい台詞だ。私は酒に酔ったのではない。コウタロウの素直さに酔っていた。

    彼は驚いて、口を半開きにしていたが、細い目を光らせて「はい」と言った。

    「お前は矢野航太郎になるんだ。いいね」

    航太郎は賢そうな顔で、強くうなずいた。

     

    (つづく・最終回はコウタロウ自身が書きます)

     

    | uniqueな塾生の話 | 15:48 | - | - | ↑PAGE TOP
    日本一素直な男・コウタロウ(29)
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      大学1年6月、まだ留学をめざす前、コウタロウと大阪へ遊びに行き、夜の繁華街ミナミを通りがかった。やしきたかじんが飲んでいそうな、関西弁がしみついた界隈。ポン引きの男たちの下品な呼び込みの声から、女性の化粧や躰の匂いが想像できる土曜日の雑踏を、われわれ2人は心持ち早足で歩いていた。
      学生服のホックを止めていないと不良っぽいと見なされ、白いソックスが義務づけられる真面目な地方公立高校の中でも、コウタロウは極めつけに真面目な生徒だった。3歳児のように素直な18歳のコウタロウはネオンの光を顔に浴びながら、試合中のサッカー選手のように、落ち着かない様子で首をキョロキョロさせていた。こんなところに来るのは、生涯はじめてなのだろう。
      悪い遊びをコウタロウに教えてはならないので店には入らず、タクシーで通天閣方面に移動した。コウタロウは繁華街の妖気に興奮状態で、顔が温泉につかったトマトのように真っ赤になっていた。タクシーの中で、とうとうコウタロウは鼻血を出した。わかりやすい反応だった。紳士的な外見とは裏腹に、コウタロウはすべてにおいて欲が強い男である。「大丈夫か?」「大丈夫です」。あまり大丈夫そうではなかった。コウタロウは意志に反してあふれる鼻血に戸惑いながら、慌ててティッシュで血を止めていた。うぶな男である。
       
      コウタロウは、わかりづらい「変人」である。ただの真面目な男ではない。彼の個性を西洋絵画にたとえれば、ピカソのように奇抜でなく、ゴッホのような狂気もなく、ムンクみたいに奇矯でもない。コウタロウの個性はセザンヌのように構図が少しだけゆがんでいる。3次元を正確に描いたつもりが3.3次元ぐらいずれている。見る人の感性を試す「変人」である。しかもコウタロウが変人だとわかる人は、たいてい変人である。コウタロウは変人度を試すリトマス試験紙なのだ。
      真面目なのに変人。多面体のような個性がコウタロウの持ち味だった。コウタロウの個性を東京という高性能な画像処理ソフトで処理すれば、コントラストが際立つと考えた。だからこそ私はコウタロウを東京に送り込もうと燃えた。
       
      さて、慶應の小論文対策がはじまった。
      小論文は水泳に似ている。50メートルのプールを一気呵成に泳ぐように、字数制限ギリギリまで真直ぐスピードを上げて書き切る。途中で足をついたり方向を変えたりしてはいけない。
      スラッとした論理的な小論文を書くには、「怒り」のパワーが不可欠だというのが私の持論だ。「怒り」こそ首尾一貫した長文を書くためのロケット噴射だ。
      論理というのはそもそも戦闘好きで肉食系の西洋人が編み出したものである。武器で戦う代わりに言葉で戦うのが論理の力だ。慶應経済学部の論述問題は、長大な文章を読んで意見を1時間で600字書かなければならない。短時間で解答用紙に文字をたたきつけるには「怒り」が必要なのだ。
      さっそくコウタロウに小論文を書いてもらったが、正直、まだ不十分なところがあった。社会問題に対する意識、つまり「怒り」が感じられなかった。論理に一貫性がなく、文脈がギクシャクしていて、600字泳ぐのに息切れして足をプールにつけている状態だった。大阪ミナミの繁華街を訪れた時のように、課題文を見て興奮し、さあ俺の意見を書いてやるぞ、見ていやがれと、鼻血を噴き出すような熱い文章にはまだ遠かった。
       
      ところで、私の小論文指導は枝葉末節にはこだわらず、赤ペン先生みたいに細かいところを直したりはしない。「おもしろい」「ふつう」「つまらない」と無意識に頭の中で三段階に分け、あくまで内容勝負である。面白くてオリジナリティがあり、内面をさらけだす度胸があれば、少々の瑕疵には目をつぶる。
      小論文指導では、私も解答を書く。コウタロウを圧倒するような解答を書かなければ軽蔑される。コウタロウの文章に対する審美眼に畏敬を抱きつつ、慎重に模範解答を書いた。弟子の前で文章を書いて見せるのは、落語家の師匠が弟子に、マンツーマンで落語を演じるような教授法である。コウタロウは現役時代から私から執拗な文章指導を受けているが、何度も書いていくうちにコウタロウの文章力は上がっていった。おまけに、複数の人から指摘されて気づいたのだが、文体まで私に似てきた。
      原稿用紙がコウタロウの特攻隊員のような達筆で埋まるたび、コウタロウの小論文は進歩していった。あと2か月半あれば、慶應大学教授に感心してもらえるレベルまで仕上がる確信を持った。
       
      私はコウタロウの文章がイマイチだと書いたが、一般的な大学生より格段に上手く書けているのは確かだった。コウタロウの文章に文句をつけたくなるのは、私がコウタロウを贔屓し、コウタロウに対する要求水準が高いのが理由だ。
      われわれは身近な人間を過小評価しがちだ。たとえば私がコウタロウの文章を過小評価するのは、浅田真央を贔屓している日本人に、ライバル選手が強敵に見えるのと同じ心理だった。浅田真央を応援する人から見れば、浅田真央が頼りなく、ライバル選手が強く見える。
      たとえば、キムヨナは機械のように正確で転ぶ素振りもないし、素朴な浅田真央と違い演技も「色仕掛け」なところがある。またアメリカやロシアの選手も妖艶華麗で、日本の小柄な少女俳優が、ハリウッド女優と戦っているように見えてしまう。浅田真央に対する思い入れが、浅田真央の競技を過小評価する。この子は勝てるのだろうかと。贔屓目は過大評価にもなるが、同時に過小評価にもつながる。他人事ではないので冷静な評価ができなくなるのだ。
      だが、浅田真央の2日目のフリー演技はすごかった。もう誰が見てもいい演技だった。コーチにも、肉親にも、ファンにも、ライバルにも、浅田本人にも、天国のお母さんにも、「浅田真央はすごい」と我を忘れて叫ばせる、贔屓目うんぬんを超えた演技だった。
      コウタロウも、誰が見てもゆるぎない文章力をつける寸前まできていた。また、もし留学が決まって、慶應大学への試験勉強が終了し、私とマンツーマンで文章修業する機会が途絶えても、コウタロウの文章力は大英帝国が育ててくれる。
       
      (つづく)


       
      | uniqueな塾生の話 | 20:33 | - | - | ↑PAGE TOP
      日本一素直な男・コウタロウ(28)
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        慶應受験まで4カ月、世界史は突貫工事だった。
        建築にたとえたら、日本のビルのように耐震構造を気にして丁寧に建てる余裕はない。中国のビル建設現場みたいに砂塵が舞い轟音が響く中で、とにかく雑でいいから一刻でも早く高く鉄骨とコンクリを積み上げたかった。
        ただ、一橋や早稲田や慶應の社会で突貫工事は難しい。単なる知識詰め込みだけでは無理だ。教養の深みまで掘り下げないと解けない。ナマの覚えたての知識では歯が立たず、教養のレベルに発酵するまで、ある一定の熟成期間が必要だ。直前にスパートをかけるのは無謀だ。ふつうの受験生がたった4カ月の突貫工事で早慶レベルの社会が解けるわけがない。
        幸いにして、コウタロウは現役の時、国立大学では世界史が一番難しいと言われる一橋大学を受験している。論述問題で世界史のストーリーは頭に入っている。だから世界史の体幹は頑強だ。しかし私立大学対策は特にやっていないため枝葉末節の知識がない。私立の社会は細かい知識の暗記で決まるから、用語を一つでも多く詰め込む必要があった。
         
        慶應の世界史と一概に言っても、法学部と経済学部は、これが同じ大学かと言いたくなるほど問題形式が違う。法学部は細かい暗記中心でまさに「THE 私立文系型」で、経済学部は論述と年号並べ替えが多い「国立私立折衷型」である。一橋の論述対策をみっちりやっているコウタロウには、経済学部の問題の方が性に合っている。
        私は慶應経済学部の世界史の問題が好きだ。経済学部の問題は1500年以降が中心に出題され、世界史だけでなく政治経済を知らないと解けない。カビの匂いがする史学ではなく、ナマの流動的な現代社会に関する実学が問われる。企業の最前線で働く人材を輩出する、まさに慶應大学のイメージ通りの出題傾向である。
        コウタロウは新聞やテレビのニュースに対する感度が高い。政治経済に通暁し、論述力がきわめて高いコウタロウには、経済学部の問題はうってつけといえた。
         
        私の作戦は、10月には経済学部向けの勉強、すなわち世界史のストーリーを再確認することにあて、11月からは法学部の細かい暗記作業に入るというものだった。10月は鉄骨で基礎工事を固め、11月は枝葉末節を充実させる方法をとった。
        世界史のストーリーを叩き込み体幹を強く太くするには、山川出版社の教科書を読むのがいちばんだ。山川出版社の教科書は名文である。森鴎外の小説のように締まった文体で、簡潔で要領を得ている。だが、教科書の名文が味わえるのは、ある程度歴史の知識がないと難しい。学び始めのうちは実況中継あたりの、くだけた口調の参考書から始めたほうがいい。
        私は手っ取り早い方法として、オーディオブックの活用を考え、語学春秋社から出ている「青木裕司のトークで攻略 世界史B」を使用した。Vol1とVol2の2分冊で、両方買っても税抜きで3000円、CDを全部聞いても24時間分、ドラマ「24」より短い分量で世界史を総復習できる。しかも講師は青木裕司氏。世界史を最短最速で流れをつかむには絶好の方法だ。コウタロウは1日1時間ずつオーディオブックを聞いた。この方法は効果抜群で、BlogやTwitterで推薦参考書を口にしたがる私でも、コウタロウを不利にしないため絶対口外しなかった本である。
         
        また、センターレベルの用語を再確認するため、一問一答形式のZ会「世界史B用語&問題2000」を使った。コウタロウは世界史で半年間ブランクがあり、忘れた知識の記憶回復のために利用した。このテキストはiPhoneでソフトが出ている。コウタロウは大学への通学時間を利用して2週間で暗記した。
         
        そして、慶應経済学部は1500年以降から中心に出題され、とくに現代史の比率が高く時事問題も出題され、高校の世界史の授業だけでは勝てない。経済学部対策として「ふだんから新聞に触れておこう」という漠然とした無責任なアドバイスをする本が多いが、新聞で受験対策するのは一苦労である。
        経済学部受験で、最強の本は池上彰「そうだったのか! 現代史」である。これは学習参考書ではなく、一般向けの文庫本だが、慶應経済受験生のための本としか思えない。池上彰が慶應経済の出身だからというわけではないだろうが、慶應経済の世界史は、まるで池上彰が出題しているようだ。続編も出ており、2冊に現代史がギュッと凝縮され、絶対的な本である。
        「そうだったのか! 現代史」の目次を見ると
        冷戦が終わって起きた「湾岸戦争」/冷戦が始まった/ドイツが東西に分割された/ソ連国内で信じられないスターリン批判/中国と台湾はなぜ対立する?/同じ民族が殺し合った朝鮮戦争/イスラエルが生まれ、戦争が始まった/世界は核戦争の縁に立ったキューバ危機/「文化大革命」という壮大な権力闘争/アジアの泥沼ベトナム戦争/ポルポトという悪夢/「ソ連」という国がなくなった/「電波」が国境を越えた「ベルリンの壁」崩壊/天安門広場が血に染まった/お金が「商品」になった/石油が「武器」になった/「ひとつのヨーロッパ」への夢/冷戦が終わって始まった戦争 旧ユーゴ紛争
        と、戦後史の重要でおいしいポイントが、あの池上彰独特のわかりやすい文体で、面白く説明されている。慶應経済に関しては、新聞よりも池上彰である。
         
        さらに経済学部は、問題の使い回しと言いたくなるほど、同じ表やグラフを使う問題が出ている。過去問対策は絶対だ。アメリカの貿易収支のグラフは10年間で4回も出ているし、また下の写真のように、同じ地図やグラフが数年後に登場するのである。 






        経済学部受験で、過去問対策をやらないのは、手抜き以外の何物でもない。
         
        経済学部は150点満点で、コウタロウが私の作戦を素直に実行してくれたおかげで、点数は、
        2008年 10/2  79
        2007年 11/1  106
        2013年 11/15  123
        と順調な伸びを示した。
         
        経済学部は順調だったが、難敵は法学部の世界史だった。9月27日、慶應の世界史の勉強を始める前に、法学部の問題を解いてもらったら、100点中22点だった。コウタロウは現役時代、私立文系のカルトクイズ的な暗記中心の勉強の経験はなく、また半年間ブランクがあるので、この結果は当然だった。わざと2か月法学部の問題は封印し、2か月後の11月下旬に過去問を解く予定を立てた。22点から2か月で、どれだけ伸びるか楽しみだった。
        10月に経済学部の勉強に一段落つけたあと、11月から法学部用の細かい暗記をはじめた。使用した教材はZ会「世界史100題」だった。難関私立大学の受験生には絶対必要な本である。教科書用語集以外に、どうしてもこれ1冊しか選べないと言われたら、この本を選ぶ。調べ込みながら3回反復すれば、どんな難関大学でも世界史に関しては合格レベルに達するだろう。
        私立文系大学の世界史日本史のカルトクイズ問題はよく非難されるが、難解な事項を記憶するには、記憶力だけでなく精神力がいる。難関私立の問題には「努力だけでかかって来い!」みたいなところがある。泥臭い努力型の人間にはチャンスだ。
         
        11月20日、2カ月ぶりに法学部の問題を解くと58点、11月27日は52点だった。順調だった。法学部世界史に関しては最終的に7割5分を目標にしていた。今後の予定として、12月と1月は、早慶の世界史の用語問題集として最も定評がある、東進の用語問題集を詰め込む予定だった。早慶世界史の一問一答は、東進が絶対だ。他はあり得ない。出題者の傾向の感性を読みきったような、ツボをズバリついた用語が羅列されている。早慶問題を分析するプロのスコアラーが作った用語集。また、時折入る解説コメントが面白くためになり、一問一答にありがちな無味乾燥さがないのがいい。
        もう一つの対策として、コウタロウには早稲田の問題を解いてもらう予定だった。早稲田と慶應の世界史・日本史の問題の難しさは図抜けている。だから早慶以外の大学の入試問題解いても対策にならない。早稲田志望の受験生は慶應、慶應志望者は早稲田の問題を解けば絶好の対策になる。テヘラン会談とかロイターとか盧泰愚といった難語が、早慶限定で頻出しているのがわかる。
         
        さらに知識を固めるために、法学部の世界史は文化史の比率が高い。文化史が嫌いな人は多いが、逆に文化史は作者と作品を丸暗記すれば解ける分野であり、経済史のように深い理解は必要ない。文化史は「暗記すればいいや、ラッキー」と思えばいい。佐藤幸夫「世界文化史・一問一答」を詰め込む予定だった。
        受験直前には、Z会の「近・現代史」「各国史」に、山川出版社の「各国別世界史ノート」を使って、強引に用語をギュウギュウに押し込む計画も立てていた。受験直前には同じテキストを繰り返すのが鉄則だが、コウタロウは記憶力がいいので、直前に新しいテキストを使っても消化不良にならないと判断した。
         
        最終手段として、私は山川の「世界史用語集」に、過去10年間に法学部・経済学部・商学部に出題された用語を蛍光ペンでチェックしていた。法学部がピンク、経済学部が水色、商学部が黄緑色である。




        こうやって塗っていくと、マラッカとか天津条約が全学部で集中して出題されているのがわかるし、法学部では教科書に掲載される頻度が少ない用語が出題され、しかも一度出題されたら二度出る可能性は極めて少ないことが判明した。1月になって慶應の過去問を10年分やり尽したところで、私がマーカーを塗った用語集をコウタロウに渡して、あとはコウタロウ自身にヤマを張ってもらおうと考えた。
        こうやって法学部対策の青写真は、精緻にできあがっていた。
         
        商学部は、法学部や経済学部に比べて問題が簡単なので、点数が跳ね上がるのが速かった。
        100点満点で
        2010年  10/12  73
        2008年  10/19  70
        2012年  11/8  83
        商学部には、一癖も二癖もある論述力テストがあるが、合格可能性は極めて高いと判断した。商学部の過去問の点数が安定していることが、私とコウタロウに心の平穏をもたらした。
         
        慶應対策、あとは論述力テスト対策が待っていた。論述の練習は11月から満を持してはじめた。
         
        (つづく)


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        日本一素直な男・コウタロウ(27)
        0

          慶應は、法学部と経済学部と商学部の3学部を受験することにした。

          コウタロウは文学部のキャラではないし、SFCは問題が奇妙奇天烈なので除外した。

          試験日は2月16日・17日・18日。あと5か月ある。科目は英語と世界史と論述力(小論文)。私は綿密な作戦を立てた。一日じゅう慶應の赤本・青本を手離さなかった。過去問の分析をしていたらのめり込んで睡眠不足になり、1日4時間しか寝ない日が続いた。赤本の鮮やかな赤色と、「慶應義塾大学」と黒々と書かれた文字がアドレナリンを分泌させ、疲労の極致なのに頭は覚醒していた。

          もはや失敗は許されない。だが3学部のどれか1つに合格できればいい。5か月あれば慶應に合格できる確信があった。だが確信が安心に緩まないよう、意識して危機感を心の底で煽った。

           

          受験勉強がアメフトの負担にならないように気をつかった。コウタロウは現役のアメフト部員、しかも9月から12月はアメフトのシーズンで、コウタロウのチームは3部から2部へ昇格する目標があった。

          コウタロウはある時、4年になったら1部リーグで大観衆の声援を浴び、京大や関学と戦いたいと夢を語ってくれた。コウタロウは1年生でなかなか試合に出られないので、レギュラーの座を獲得するために力をつけ、監督コーチにアピールしなければならなかった。

          コウタロウには、二足の草鞋を履き、勉強とスポーツの両立をめざす人間には避けられない悩みがあったと想像する。アメフトを練習する時は勉強が疎かになることへの焦りがあっただろうし、勉強をする時はボールの飛距離を伸ばすため、筋トレや自主練習を思いっきりしたい鬱屈があったろう。コウタロウは高校時代までサッカーをしていたので、蹴るのは得意だが投げることは慣れていなかった。しかもコウタロウのポジションはQBで、正確で速いパスが求められた。一刻でも早くチームに貢献したいのに時間が取れない。慶應受験しろと半強制的に立ちはだかる私に対する抵抗も少なからずあったと思う。

          とにかく、私は受験勉強でアメフトという神聖なチームスポーツを犠牲にしてはいけないと考えた。アメフトに打ち込みながら、短時間で濃い勉強をやり抜くことに意義があった。私はエスプレッソコーヒーのような、濃く短い勉強ができる最善のカリキュラムを組んだ。コウタロウのチームメンバーのみなさんは、コウタロウが裏で猛烈な受験勉強をしているなんて、絶対に気づかなかったと思う。練習時間と重ならないよう、塾での勉強時間は早朝が多かった。暗記は往復3時間の電車の中でやった。まさにコウタロウは「仮面」をかぶっていた。

           

          慶應大学に挑む、コウタロウの勉強の軌跡を、科目別具体的に書き記しておこう。

          英語については安心していた。

          慶應大学の英語は、私が受験生の時は単語が難しいという印象しかなかったが、大人になって問題を改めて見ると、相当な「頭の良さ」を求めていることがわかる。意味を閃く力、事務処理能力、テキストからエッセンスを抽出する力、社会問題への食いつき。英語の問題は英語力だけを求めていない。「教養の底力」「地頭のキレ」が勝負なのだ。

          とはいうものの、英単語量は絶対に必要だった。特に法学部の英語は、難単語の意味を類推する問題が出るが、ある程度暗記しておいた方が便利だ。コウタロウはTOEFL用の「TOEFLテスト英単語3800」で2000語の大学受験レベル以上の単語を暗記していた。これは大きなアドバンテージだ。

          コウタロウは英国留学に向けて4か月猛勉強をした蓄積がある。大学1年生の英語力は、受験をピークに緩やかに下がるのに対して、コウタロウの英語力は急カーブで伸びている。カンを鈍らせないよう、Z会の「Advanced1100」「速読英単語・上級編」「リンガメタリカ」の3冊を使って、ひらすら英文和訳で多読乱読を心がけた。

           

          また、慶應法学部の問題を分析すると、「会話問題」で勝負が決まることがわかった。法学部の会話問題は日本一難しい。慶應法学部の会話問題を扱った参考書は少ないが、語学春秋社「横山のメタロジック実況中継」には目を通しておく必要があった。慶應の会話問題を解くには、センター試験では通用する小手先の「ロジック」ではダメで、内容を「メタロジック」で把握していなければ解けないというのが、この本の主張だ。メタロジックとは要するに「会話の空気」である。空気を読む鋭い感覚がなければ法学部の会話問題は解けない。「あうん」の呼吸の機微を知る感性がいるのだ。この本の最後に慶應法学部の問題が3連発で載っているが、この解説が圧巻で、解説を読んでコツをつかめば、会話問題での失点は防げそうだった。

           

          慶應受験で、なにより私が最重要視したのは過去問である。過去問を頻繁にやって得点力の伸びを確かめた。私は過去問中心主義である。偏差値より合格最低点で力を判断する。偏差値という相対的な「他人との戦い」より、合格最低点という絶対的な「自分との戦い」に重きを置く。特に私立大学に関して、模試はあまり信用しない。ましてや慶應の問題は独特すぎて、模試の判定はあてにならない。

          受験勉強を減量にたとえれば、過去問の点数は体重計だ。過去問を解き体重計に足をのせる時、減量に苦しむボクサーのような緊張が走った。

           

          コウタロウの英語での過去問スコアは、法学部(200点満点)が、

          2009年 8/18  90

          2010年 9/30  140

          2008年 11/2  135

          2007年 11/9  115

          2013年 11/16  143

          と着実に伸びていった。法学部は英語が7割あれば合格できると私は踏んだ。伸び盛りのコウタロウなら、本番で最低7割5分は取れそうな気がした。

           

          経済学部(200点満点)は

          2013年 9/13  158

          2008年 10/15  152

          2009年 11/13  139

          と、最初からハイスコアを叩き出した。経済学部は自由英作文の配点が高い。コウタロウは自由英作文が得意で、一橋受験で自由英作文はみっちり鍛えている。

          また、コウタロウはどういうわけか、日本語よりも英語の方が自己主張できるタイプだ。私に対しては相変わらず口が重いのに、大学のアメリカ人の先生に対しては気軽に話せるらしい。書き言葉も話し言葉も「英語人格」の方が積極的になる。英語になると人が変わったように強くアピールできるコウタロウには、自由英作文の配点が高い経済学部の問題は水にあっていた。

          おまけに、経済学部は英作文の比率が年々上がっている。昔は経済学部も英作文を捨てて合格できると言われていたが、傾向が変わったいま英作文を捨てれば致命的だ。経済学部の英作文の難化は、私立文系専門で英作文が書けない受験生を排除する意図が見える。慶應経済は英作文が合否を決めるのだ。

           

          商学部(200点満点)の得点の推移は

          2007年 10/8  149

          2008年 10/23  167

          2012年 11/27  155

          と、こちらも終始一貫安定していた。

           

          英語のメドはついた。合否のカギを握るのは世界史だった。

           

          (つづく)

          | uniqueな塾生の話 | 19:05 | - | - | ↑PAGE TOP
          日本一素直な男・コウタロウ(26)
          0

            コウタロウの大学受験は、ソチ五輪の浅田真央と状況が似ていた。

            コウタロウも浅田真央も、前半で致命的な失敗をしたのに、後半は不屈の精神力で追い上げ、「奇跡の挽回」をなしとげた。

            ソチオリンピックの浅田真央は、前半ショートで転倒しメダルは絶望になったが、後半フリーで伝説に残る滑りを見せた。浅田と同様、コウタロウもセンター試験で失敗し、二次試験で大挽回したが、惜しくも僅差で一橋大学合格を逃した。2人の軌跡は胸を締め付けた。日本を代表するトップアスリートと、無名の19歳の青年を同列に並べることに飛躍があるのはわかっているが、浅田真央の笑顔と涙を見ていると、私にはコウタロウの姿と重ねざるをえなかった。

             

            コウタロウと浅田真央、2人に共通するのは、万人を味方につける笑顔である。また谷亮子や亀田兄弟のような闘争本能剥き出しタイプとは正反対の、お世辞にも勝負師とはいえない普通の子なのに、120%の精神力をふりしぼって、高い所に駆けあがろうとする健気な姿だ。

            浅田真央は決して美人ではない。だが笑顔がいい。笑顔ひとつで日本中を味方につけている。八の字眉毛の笑顔が浅田真央の武器だ。あのけがれのない笑顔の少女が、フィギュアスケートという過酷なリンクという衆人監視の闘技場で、転ぶ危険性と戦いながら、文字通り薄氷を踏む戦いをしているところに、フィギュアの残酷性があり、人気の原因がある。われわれは、ふつうの女の子が転ぶ危険性を秘めながらトリプルアクセルに挑む残酷なシーンを、ハラハラしながら楽しんでいるのだ。
             

            コウタロウも笑顔がいい。コウタロウは中学1年生の時から、お母さんが運転される軽自動車で塾に通った。中1のころは小さい体で、助手席で両手にひざを置き、背筋を伸ばしてちんまり座っていた。大学生でコウタロウは免許を取った。免許取得後、家から塾に向かうときはお母さんが運転され、塾からはコウタロウが運転を代わった。コウタロウはお母さんと運転を代わる時、車の前面に初心者マークを照れた笑顔で置いた。アメフトの筋トレ食トレで体が肥大化したコウタロウが、ういういしく初心者マークを置き、熊のような身体で軽自動車を運転する姿は、ほほえましかった。アメフトで頑強な身体になっても、コウタロウの笑顔は変わらなかった。

             

            浅田真央もコウタロウも、大きな目標をめざしたが、目標はかなえられなかった。

            メダルを逃した浅田真央が現役を続けるかどうかわからない。だが、4年後もう一回浅田真央の姿を冬季オリンピックで見たいし、ここで競技生活が終わるのは消化不良だと考えるのは当然だ。ただ、もう一度目標に向かって進むか、静かに挑戦の幕を閉じるかは、本人と周囲の者でなければ結論は出せない、微妙で重大な問題である。たった4分間の競技のために、4年間耐える道を選択するかどうかは難しい判断である。部外者には口を出せない領域だ。

            対してコウタロウは私の強いプッシュで、留学か慶應受験で、もう1回チャレンジすることになった。青春を完全燃焼し、10年20年30年たって若いころもっと頑張っておけばよかったと後悔してほしくなかった。私はコウタロウの人生を、大規模な治水工事のように強引に曲げた。
             

            受験に際して心配なのはコウタロウのアトピーだった。現役の時、コウタロウは背中と腕がアトピーでズタズタになった。出血し皮膚がかゆみに耐えられず、彫刻刀で刻むようにかきむしる状態だった。再受験はコウタロウの健康を蝕む可能性がある。コウタロウにもう一回、地獄の受験ストレスを与えるのが怖かった。 

            ところで、将来を嘱望された高校野球のピッチャーが、ひじや肩を酷使し壊す危険性がありながら、甲子園で勝利がかかった試合に投げさせるべきかどうかという議論がある。私はひじと肩を壊した将来性があるピッチャーに、連投を命じるかどうか迷う高校野球の監督の心境だった。

            私がもし高校野球の監督なら絶対に連投ストップさせる。将来プロとして活躍する可能性を奪いたくないからだ。

            コウタロウにもう1回大学受験をさせることは、将来ある投手を酷使し、華々しく散らせる高校野球の監督に似た悪行かもしれなかった。だが野球と勉強は違う。野球で200球投げるのは消耗だが、勉強で200個単語を暗記するのは蓄積である。野球の過度の投げ込みは才能破壊だが、勉強の知識詰め込みは豊潤な知性を育む土壌開拓だ。だから私はコウタロウに、大学1年生の平穏な生活に逆行する道を強く勧めた。

             

            コウタロウと私は、9月後半から、慶應義塾大学に向けて特訓を開始した。

            留学の勉強は9月中旬で終了した。97日と21日に2回、イギリスのケント大学留学への基準になるIELTSのテストがあり、大阪でIELTSを2回受験した。10月中旬にはIELTSのスコアが発表され、その後、大学の先生から面接を受ける。IELTSのスコアと面接が留学への判断基準になるのだ。約1か月の選考期間のあと、メンバーに選ばれるかは11月末日に決まる。

            留学が決まれば慶應への受験勉強はストップ。できなければ2月中旬まで慶應大学に向けて受験勉強を続けることになった。私もコウタロウも、留学が第一志望、慶應が第二志望という方向で、意見が一致していた。

             

            コウタロウの生活はハードだった。炎天下で重いヘルメットと暑苦しい防具を身につけ、アメフトの練習を続けながら、同時並行で猛勉強しなければならなかったのである。もはや文武両道の域を超えていた。

            しかも留学の勉強が終わった瞬間、コウタロウには慶應大学受験に向けて勉強が待ち構えていた。ハードな留学の勉強でゴールにたどり着いたと思ったら、すぐ目の前に慶應への受験勉強という新たなレースのスタートラインがあった。だがコウタロウは苦しい素振りは見せず、慶應だからといってとくに意識することもなかった。永遠に転がり続けるボーリングの球のように、粛々と平常心で勉強を続けていた。

             

            私にとってコウタロウは浅田真央だった。もしあなたが教育者で、素直で性格が良く努力家で、少々鍛えてもへこたれない精神力を持つ子が、信頼どころか信仰の域に達するぐらいあなたを頼ってくれたらどんな気持ちになるか。練習でいっさい手を抜かず、努力する姿を7年も見せつけられたらどうするか。高い目標を持ちながら病気で挫折し、再びチャレンジしたい気力を沸々と持ち続け、エネルギーのやり場に迷っているのがわかったらどうするか。将来大物になる高貴なオーラを漂わせていたらどうするか。リベンジを果たしたくなるのは当然ではないか。

            留学が決まるならあと2か月、決まらなければ5か月。慶應受験は私にとって、コウタロウへの最後の奉公だった。私の身体から強烈な磁場が発しているのが、自分でも意識できるくらい気力が充実していた。

             

            (つづく)
             

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